朝、NHK朝の連ドラ「こころ」。浅草が舞台とあれば見ざるを得ない。なんだか若者が多すぎて、浅草のいい年寄りがでてこないなあ。脚本がばたばたしていて、若手出演者の演技も概して上滑りだが、だんだん回が増すと落ち着いてくるのだろう。
大学であれこれ事務仕事など。ああ、論文にしてないことが多すぎ。
朝出発、巻潟東ICから北陸自動車道をひたすら南下。結局米原まで一度も高速を降りることなく、夕方には彦根に着く。最後に焼肉を食ってシメ。ゆうこさんは運転疲れか発熱模様。あ、日本酒を買い忘れた。
夕方は巻町なのだがそれまでどうするか。朝、ロビーで協議の結果、とりあえず車組と電車組にわかれて南下することにする。
この二日間カニエビづくしであるにもかかわらず、車組の欲望はさらなるカニエビを目指して402号線を南下。目当ては「魚のアメ横」の異名を持つ寺泊。魚とアメ横がどう出会うのか知らないが、カニエビコンシャスな場所には違いなかろう。
402号線のすぐ東側には角田山、弥彦山の奇岩が迫り、西側には日本海。トンネルまたトンネルの合間に見える岩肌の波しぶき思わず「はぎや整形」という固有名詞を思い出し、それからは波しぶきが見えるたびに車中、「はぎやせいけーい」「はぎやせいけーい」とエコーの合唱。わたしたちの世代の記憶はあまりにもメディア依存だ。
大河津分水路をさらに南へ下ると左側にカニだの番屋汁だのの看板がずらずらと並び、ここがどうやら「魚のアメ横」らしい。
みやげ物屋を眺めていると、うしろから「これはね、ハリセンボンというのよ」と話しかけてくる女性。ハリセンボンは悪い人を玄関から遠ざけるのよ、という説明に、こちらが悪い人になった気分になり立ち去ろうとすると、「うちはこういうところをやってるんだけど」とポケットから取り出したマッチには料理屋の名前。彼女は料理屋の女主人で、店はこの通りではなく、一つ「裏」手にあるという。
なおも続くトークで、女主人は短い時間のうちにじつに的確に「表」の店と「裏」の店の差を言い当てる。成員カテゴリー分析に使えそうな内容。いったんマッチを受け取って別れ、「アメ横」を端から端まで歩いてみると、さっきのトークの内容はいかにも正しそうに見える。引き返して道で客引きをしている主人をつかまえて、裏手への道をついてゆき、四名様ご案内。
そして、その漁師家然とした店の中で、またしてもエビカニパラダイス。ゆでガニの甲羅に熱いごはんをのせて混ぜただけのカニ飯は、甲羅の裏の白い膜がゴハン粒にねっとりとまとわりつき、あたかもグラタンのような舌触り。ひとさじすくって食べては冷や酒を飲む。加えて刺身がいちいち旨い。ホタルイカは中のワタが新鮮で、これまで食った中でもっとも旨かった。
すっかり満足して再びアメ横をぶらぶらしていると、さっきの女主人が「いまうちで魚の解体やってるから見ていったら」というので拝見しに戻る。店の前では、どでかいアラが半円形の台にどんと置かれ、息子さんと見習いらしき若者が解体しているところ。かぶとを取り、エラを落とし、腹を割って消化管を除き、肝臓のきれいな部分だけは別に切り取り(アラ肝、というのがあるのだろうか)、三枚に下ろして皮をはぐ。片身をさらに二つに分ける。この巨大なカタマリはまるまる食えるのだ。刺身何十人分だろう。こうして見ると、アラがいかに豊満なに肉をたずさえた「海の幸」であるかがよく分かる。
そばで見守っていたのはどうやらここの旦那らしく、はがされた皮を虎の皮でも取ったように手の肘に二つ折りにかけると「これはあぶるとうまいんだよ。ここではやらないけどね」と微笑みながらゆうゆうと店の中へ引き上げていく。その後ろ姿を見ていたわれわれの顔がよっぽどうらやましそうに見えたのか、息子さんが最後に切り身から手早く四つ刺身にして、はい、と差し出してくれた。しょう油も何もなし。まず潮の味がして、噛むと、ざらつくような細胞を歯がつぶしていくのが分かるほどで、魚の味がばっと口の中に広がった。
一昨日前から食事のたびに旨い物を食べ続け、これではまるで越前味巡りなのだが(事実その通りなのだが)、しかしわれわれの本来の目的は「のぞきからくり」の見学なのだった。今度は弥彦山の東側、116号線を北上し巻町へ。こうやって走ってみると新潟の地形のおもしろさがよく分かる。信濃川は角田山、弥彦山といった山の裏側を走って、そこに広大な河岸段丘地帯を作り、そこは日本海の激しい潮風から隔てられて米どころとなり、コシヒカリを生んでいる。そしてこの河岸段丘には山間をのぼるにつれて徐々に起伏が生じ、昨日のあの十日町の雪景色へとつながっていくというわけだ。
そんな新潟の生んだ有名人といえば?という話になり、一同うーんと考えるが田中角栄・真起子のあとが思い浮かばない。田尻さんがぽつりと「あ、高野文子」。これはチボー家を読む途中に見る車窓?
町についてから巻駅へ行きがてらぶらぶら散歩。庭木の大きな家が多い。FM局の前に「越光」(こしひかり)なる演歌歌手のポスターが貼ってあって驚く。しかし考えてみると、越路吹雪というのもすごい芸名だった。
駅でJR組と落ち合い、いよいよ巻町郷土資料館へ。この件に関してはあまりに書くことが多いので別にまとめることにする。まずは「巻町のぞきからくり見聞記その1」をどうぞ。資料館の許可が得られたら図版も載せる予定。
見物を終えて湯之腰温泉へ。このあたりから合宿状態。夕食は三食分かと思うようなものすごい量のおかずが来て、半身のカニをはじめどれもうまいのだが、とてもじゃないが食べきれない。
その後は、温泉に浸かり、だらだらとあれこれしゃべり、さて終了、というところで、これまで酒をセーブしてきた佐藤さんが「これからですよ」というので、さらにビールを飲みつつニューウェーブ談義。むかし大学のパーティーでスペシャルズの「モンキーマン」をかけるとどんなにダレた場でもみんな踊り出した、という話では一致したのだが、「そういやジョイ・ディヴィジョンの「デジタル」もそういう一枚だった」というと、え、という顔をされた。
朝食も近江町市場で済ませて、再び北陸自動車道を北上。親不知海岸あたりからトンネルの連続、明らかに海岸の地形が違う。新潟県は背骨のように長く、走っても走っても新潟。
途中で新潟の地図を買い、柏崎から252号線を南下していくと、たいして標高差があるわけでもないのに、車道の両側にみっしり積もった雪が現れる。沿道には紅白の棒が立っていて、積雪量を計るかのようだ。
車一台がぎりぎり入る簡易ガレージがあちこちにある。おもしろいことにどれも断面は上半分が丸く、桃太郎の出てくる桃のようにてっぺんがとがっている。降雪対策だろうか。
川西町に入りトンネルを抜けると、252線を左に折れ、高台をあがっていくと、ジェームズ・タレル「光の館」がある。
車を降りると目の前に十日町の田圃が広がっている。なるほど、川の西だから川西町。地図では河川敷くらいの感じなのだが、じっさいに見ると、なだらかな高低のある河岸段丘が目の前に広がり、盆地といったほうがいいほどで、民家や道の部分以外は雪の白、あたかも白い地衣類がうねうねと続くよう。
降雪の多いせいなのか、玄関は表の階段をあがって二階にある。係の方の後について玄関に入ると、はやくも間接照明と外光を用いたタレル・ワールドが展開している。天井の縁に沿って長いチューブ状の白熱灯が仕込まれているのだが、この白熱灯は樋のような木枠で覆われていて、直接床を照らすのではなく、樋の隙間から天井を照らしている。その結果、天井の四角は、縁がほのかに明るく、中央に向かって暗くなる。館内のほとんどの部屋で同じテクニックが使われていた。
玄関の右手の部屋に案内される。この部屋の上は屋根が稼働式になっていて、天井には上には真四角の穴が空いている。屋根をスライドさせると真四角い空がぽっかりと現れる。空といっても、その距離を測る手がかりはなく、ぱっと見たときは空というよりも四角い表面に見える。流れる雲の速さが、そこはただの天井ではないことを告げている。
畳の真上に穴が空けるなどということは、畳文化の人間ならまず思いつかないだろう。じきに雨粒が降りてきて顔に当たる。畳をもとの植物に戻すかのように細かな水滴がぱらぱら落ちてくる。係の方があわてて天井を閉じた。
一階に下りて右手は風呂とトイレ。浴槽には光ファイバーが仕込まれているらしいが、昼の光の中ではその効果はほとんどわからない。タレルは洗い場を作らずに浴槽のみの部屋にしたかったらしいが、それでは使いにくかろうということで洗い場がついたという。浴槽だけならもっと美しかっただろう。もっとも、そこからびちゃびちゃと水をしたたらせて廊下を歩くことになるが。
トイレにはセンサーがついていて、入るとガラスの洗面台が緑色に浮かび上がる。屈折面でおおわれたものが光を所有しているような奇妙な感覚。いっぽう便器のほうは通常
夜にはおそらく、どの部屋でもまったく違う感覚が得られるだろう。ここには宿泊することもできるのだが、残念ながらすでに土日は何ヶ月も先まで予約でいっぱいだという。来館するのは美術系や建築系の人たちが多いのだとか。
二時間ほど居てから「光の館」を辞し、曲がりくねった山間の道を抜けて小千谷ICへ。そこからは新潟市まで30分ほどだった。駅のそばの宿でJR組と落ち合う。
出たとこ勝負なので、とりあえず歩いて繁華街へ。信濃川が意外に広い。端のたもとにビール会社のネオンがあるので、隅田川を渡るくらいのつもりで歩き始めたが、なかなか向こう岸につかない。川の長さが日本一なのだから当然といえば当然か。
とりあえず本町のアーケードを散策し、市場のそばに良さそうな店がまえを発見、まだ開店前なので、ひとまず通り過ぎて古町へ。17時になり、開いたばかりの寿司屋に入って、各自一人前を頼む。エビエビ刺身に熱燗。まずかろうはずがない。しかしここで深酒をしては後にさしつかえるので、一時間ほどで辞し、再び本町の店へ。入るなり玄関にラズウェル細木『酒のほそ道』が置いてあり、ゆうこさんと田尻さんが「6巻と12巻だけ置いてある、この店取材されたんやろか?」と細かいチェックを入れる。この後に及んでエビエビ。そして酒。すっかりできあがってまだ9時台。宿に戻り、昨日金沢で買った「雪月花の舞」を飲みつつまたしても大貧民に興じる。
さて春休み。ゆうこさんの運転で、青山さん、田尻さんと共に北陸自動車道をぶっとばす。29日に新潟西蒲原郡巻町ののぞきからくりを見にに行くことは前々から決めてあったが、そこにたどりつくまでの宿泊先が決まったのは昨日のこと。とりあえず今晩は金沢に宿をとったが、あとは出たとこ勝負。
一人旅なら、出たところで一人呆然とすればよいが、何人かで行くとなると、出るところに出てしまう前におおよその合意を得ることになる。合意といってもそれは、出るところへ押し出されていくことの確認のようなものだ。
琵琶湖線や京阪神のJR線では、毎年冬になると「カニカニエクスプレス」の広告が構内いたるところに張り出される。車内放送までカニカニ言う。冬中カニカニメッセージを浴び続け、カニ抜きで春を迎えるころには、カニ好きでなくとも甲殻類を食い逃したという残念が残る。その残念に訴えるように、サービスエリアで立ち読みする観光本にはカニエビカニエビ。食堂の看板にはカニとエビが北陸沿岸沿いに並び、日本海を占拠している。車中、誰ともなくカニカニエビエビと呪文のようなことばがつぶやき出し、結局、金沢の近江町市場を攻めることにする。
金沢西インターを降り市内へ直行。昼を抜いてきたので、食う気マンマン、市場の見物もそこそこに回転寿司でいきなりヤセエビ、アマエビを食う。旨い。ここが旨いことは以前来てわかっていたが、久しぶりに来るとあれもこれも旨い。しばらく近所のスーパーの魚介類を食うたびに悲しくなりそうだが、いまは旨いのでしかたがない。
軽く食うつもりが旨すぎて一食食ってしまった。夜にも一食食わねばならない。食うためには腹が減らねばならない。というわけで散歩しながら腹が減るのを待つ。主計町、東茶屋町などをぶらぶらし、晩の酒を買ってから再び近江町市場へ。
まだ食ってから2時間くらいしか経ってないような気がするが、酒を飲みつつゆっくり食べるならよかろうということで市場内の店へ。カニカニカニカニ。焼きガニに刺身ガニ。四人ともカラをみしみし言わせて食う。あぶった甲羅についたミソがもうええっちゅうくらい旨い。ゆるやかにみしみしとカニと格闘し、最後に糠漬けブリ、イワシの茶漬けでしめる。
夜、宿に戻り、市場で買ったスルメイカをぱくぱく食べながら天狗舞を飲みつつ「大貧民」にふける。
先日、Shock & Aweというフレーズについて書いたが、アメリカのこのところの行動は「オーイズム
Aweism」と名付けることができるのではないかと思う。
アメリカが911で体験したことと、アフガニスタンやイラクで為そうとしていることは、対称形であるにもかかわらず、なぜかブッシュをはじめとする好戦的な人々は、これらを非対称に考えている。911でなぜ彼らは懲りないのか。それは彼らが911をテロリズムと考えながら、自分たちの行為をオーイズムと考えているからである。テロリズムには(彼らの考える)神の力がないが、オーイズムには(彼らの考える)神の力がある。
世界をイスラム対キリスト教ととらえる限り、この対立は解消されない。神が違うからだ。片方から見てテロリズム(神なき恐怖)に見えるものは、片方から見るとオーイズム(神による恐怖)に見える。
この非対称から逃れるためには、イスラム対キリスト教の枠組みをはずさなければならない。
家で修論生の打ち上げ、浅井さんと佐々木君からカエルグッズの数々をいただく。
『ヒポクラテスたち』は、生まれて初めての「地元映画」だった。そもそも同級生から「荒神橋がいいんだよ」と言われて京一会館で見た映画だ。なるほど荒神橋の上の夜明けがとても美しい映画だった。それは大徳寺でも太秦でもなく京都の街中で撮影された映画で、万里小路を歩きながら見上げる寮の中に「気狂いピエロ」のポスターが貼ってある部屋を想像することができ、喫茶「リバーサイド」で伊藤蘭の座った席がどこかを言い当てることができた。古尾谷雅人が歩いた鴨川端も何度となく歩くことがあった。京一会館は週替わりでプログラムが変わるので『ヒポクラテスたち』はその週のうちに三度見た。その週から、自分が毎日歩く道筋は『ヒポクラテスたち』を切り貼りした道になり、蘭ちゃんが血を吸い出しては血を新しくするように、車のエンジンをかけると「Break」の文字が何度でも現れるように、何度もカットを組み替えながら歩き直すことになった。自分の生活圏が映画になるということで、映画は日々新たになる。その映画の中で、蘭ちゃんは何度も死に、古尾谷雅人は何度も狂い、千野秀一のメロディは口笛で、口笛の下手な自分の頭には幻の口笛がいつまでも残った。
ここ何年かの食玩の多彩さには目を見張るが、70年代にナショナルから発売されていたラジオ「クーガ」のフィギュアが出たのには心底驚いた。この固有名詞にピンと来る人間ってどれくらいいるんだろう。
そのなつかしのジャイロアンテナを見ているうちに、山藤章二による愛川欣也の似顔絵のついたナショナルのラジカセ広告があったことを思い出し、さらに唐突に「ヴァリアブルモニター」という名称が頭に浮かんで、机に載せたラジカセのチューニングつまみをいじっているときの気分がリアルに起ち上がってきた。
ぼくが中学校のときに買ったラジカセには、ヴァリアブルモニターというものがついていた。これはラジオのチューニングが合っている度合いに応じて小窓の中の針がぐぐっと振れるというもの。チューナーが自動的にスキャンしてくれたり、デジタル表示で周波数を確認できる現在においてはまったく時代遅れだが、当時は、このモニターがあるだけでもずいぶんとチューニングがラクになったものなのだ
・・・と言いたいところなのだが、ぼくの場合はじつはそうではなかった。
最初の頃、この窓がいったいなんのためのものか知らずに、自分でこの辺がいちばん合ってると思うところででチューニングつまみを止めていたのだが、説明書を読んでこれは便利だとさっそく小窓の針の動きを確認してみた。すると驚いたことに、ぼくがここだと思って合わせたところでは、まだ針は3/4しか振れていないではないか。さらにつまみを回すと、音がちょっとなまった感じになって、そこで針はぐいーんと最大に振れた。
納得がいかなかった。針が最大に振れるところでは、確かにシャーというノイズは少なくなるが、なんだか音の輪郭が丸く、カスミがかかったようになる。いっぽう、そこから少しずらせると、高音がしゃりしゃりしてきて、それぞれの楽器の輪郭が痛いほどはっきり飛び出てくる。断然こちらの方がいいではないか。
というわけで、せっかく「ヴァリアブルモニター」があるのに、ぼくは針が振れきったところではなく、そこからぺこりとおじぎをするあたりで、もっともうまく電波をキャッチできていると感じていた。
さらに、そのラジカセには「High - Low」トーンのつまみがついたのだが、それをHighの方へいっぱいに回して聞いていた。それだけだと低音が薄くなるので、ラウドネスつまみ(これもたぶん70年代の産物だと思う)をオンにして聞いていた。とくに、AMで歌謡曲を聴くときは、圧倒的にこのセッティングがよかった。
この好みは中学を卒業するころ消滅した。次第にラジカセのモニタとトーンの目盛りが示す、中庸な音楽の聴き方に屈服したのだ。
たぶん、現在のデジタルチューニング方式でイコライザのついたカセットテレコをいきなり中学のときに与えられていたら、あんな妙な体験はしなかったと思う。チューニング、イコライジングという行為は制度に依存する。チューナーやテレコのデバイスは、いわばCODEなのだ。
夜半過ぎに久しぶりに近くの屋台「No Quiet」に行くと、酒が三列くらいに増えていた。アイラ樽でつけたラムを次々に飲み、明日から開店という隣りの屋台の料理に舌鼓を打ち、結局ショットを四杯飲んで2800円也。激安。
卒業式。謝恩会。二次会ハッシュ。それからカラオケに行き12時ごろ帰宅。
卒業式の日に学生とカラオケに行き「卒業写真」を歌うなどということは、十数年前なら死んでもやりたくないことだった。意外にも死ぬ前にやってしまい、そして全然ヘイキである。
それにしてもおれってほんとこの頃のユーミンの歌好きなんだなー。初期のユーミンの歌は、ボイストレーニングを積んでないせいなのか、音質が試行錯誤し、ひとつのフレーズの中でも声が薄くなったり逆に超音波のようにとがったりするのだが、この変幻ぶりをなぞるのがじつに楽しい。
ことに好きなのは彼女のWで始まる高音で、すぼめた口でく丸めとられたチューニングが、口が開いたとたんにぎゃっとスルドくなる。口が「U」の形になっているときは音程を取ることを気にかけながら、声帯のシマリ具合が決まった時点で、そこからは一気に口を開きながら声を吐き出してしまう。その結果、音程をとろうとする気持ちはこもっているが、音質を丸める情けはないという、絶妙にブッキラボーな「W」になる。握手した手を振りきるようなこの感覚は、自分で声を出してみるとじつによくわかる。
新しいデジカメが欲しいなと思い電気店で眺めるものの、結局買ったのはデジカメではなく、 レンズフェチでありながらレンズ音痴なわたしにうってつけの一冊、永田信一『図解 レンズがわかる本』(日本実業出版社)。しろうとにはわかりにくい収差やニュートンリングの話も楽々理解。
"Silmarillion"(シルマリル物語)は、「はじめに音楽ありき」ではじまる。それはあたかも、脳内モジュール説である。例によって単数複数の関係が重要。
むかし、唯一者(the One)エルがいた。エルはアルダではイルーヴァタルと呼ばれている。まずイルーヴァタルは聖なる者たち(the
Holy Ones)アイヌアをつくりたもうた。それぞれのアイヌアはイルーヴァタルのめぐらした考えのひとつひとつから生まれたもので、アイヌアたちはなんびとが生まれるよりも前にイルーヴァタルのもとにいた。イルーヴァタルはアイヌアたちに語りかけ、それぞれに対して旋律を示したもうた。アイヌアたちはイルーヴァタルの前で歌い、イルーヴァタルは喜ばれた。しかし長きの間、アイヌアたちは別々に歌うのみで、たとえほんのわずかの者が共に歌ったとしても、他の者は聞き入るのみであった。それぞれのアイヌアは、自分の生まれ来たもとであるイルーヴァタルの考えのひとつを理解するのみで、しだいに同胞を理解するようになったものの、それはごくゆっくりとであった。しかしながら、聞き入るほどにお互いの理解は深まり、ユニゾンとハーモニーは増えた。
そしてついにイルーヴァタルはすべてのアイヌアたちを呼び集め、力強い旋律を示し、これまで啓示した以上に偉大ですばらしい存在の数々を解き明かしてみせた。旋律の始まりは喜びの光に満ち、終わりは輝き、アイヌアたちは驚いてイルーヴァタルの前に拝礼し沈黙した。
There was Eru, the One, who in Arda is called Iluvatar;
and he made first the Ainur, the Holy Ones, that were the offspring
of his thought, and they were with him before aught else was made. And
he spoke to them, propounding to them themes of music; and they sang before
him, and he was glad. But for a long while they sang only each alone,
or but few together, while the rest hearkened; for each comprehended
only that part of the mind of Iluvatar from which he came, and in the
understanding of their brethren they grew but slowly. Yet ever as they
listened they came to deeper understanding, and increased in unison
and harmony.
And it came to pass that Iluvatar called together all the Ainur
and declared to them a mighty theme, unfolding to them things greater
and more wonderful than he had yet revealed; and the glory of its beginning
and the splendour of its end amazed the Ainur, so that they bowed before
Iluvatar and were silent.
("Ainulindale, The Music of the Ainur" p1)
昼過ぎに起きる。
今回の空爆作戦が「衝撃と恐怖」作戦と呼ばれているという報道に驚く。だって、恐怖といえば terror であり、「テロリズムへの戦争」を標榜しているブッシュが自らの作戦を「terror」と名付けているとは、思えないからだ。
で、英語でなんと言ってるかを見てみると terrorize ではなくて「Shock & Awe」だった。Awe、つまり「畏怖」。"A
mixed emotion of reverence, respect, dread, and wonder inspired by authority,
genius, great beauty, sublimity, or might" [AHD3rd]。「Shock & Awe」とは、さしずめ、大いなる神の力によるいかづちで相手を目覚めさせ、畏怖を起こさせるという意か。爆弾が落ちるたびに「Behold!」というかけ声が聞こえそうな表現だ。
「Shock & Awe」レポートにかかわったHarlan Ullmanはこの作戦をすばやい攻撃により相手の意志と知覚にショックを与える点で、広島への原爆投下とパラレルなものとして論じている(たとえば
U.S. Plan for Saddam: Shock and Awe参照)。
「Shock & Awe」は「衝撃と畏怖」と訳した方がよい。そのほうが米軍の持っているキリスト教的尊大な感覚がよくわかる。
Tolkien "Silmarillion" (Harper Colins, Paperback)をぼちぼち読む。まずは"Of
the Rings of Power"から。サウロンの登場から指輪物語まで。
ああ大学に行かなくては、と思ったら、今日は春分の日なんだって。なあんだ。ぼくのカレンダーには祝日がのってないので気づかなかった。
いい天気なので芹川端を散歩。つくしが生えているのであえもの用に摘もうかと思ったが、ふきの味噌あえの強烈さには負けると思ってやめる。つくしは春のヴィジュアル系。
けやきの枝に透いた空。真下から見上げながら行くと枝がかごのように空気をかかえているのがよくわかる。このあたりは悪くない環境だ。いい部屋があったら書斎用に借りたいと思う。
どんなに戦いに関する情報が公開されようとそれは事後的なものであり、「ブリーフィング」である。戦争報道は限られた情報から事後的に敵を作りあげるので、そのあり方は「徴候的」でありながら一定の方向性を持つ。戦争報道テレビを見過ぎると「徴候」感覚が偏るので気をつけなくてはいけない。ラムズフェルドは「大量破壊兵器」についてそれが存在しようとしまいと「われわれはよく抑止できていると思います」と言い、それが存在しようとしまいと米軍は「対生物化学兵器用防毒マスクの着脱を繰り返す」。
"The Hobbit"読了。戦い済んで故郷に近づき、ビルボは帰郷の詩まで読んでしまう。「いやはやビルボ!」とガンダルフはビルボをまじまじと見る。「どうかしておるようじゃな!むかしのあのホビットとは別者じゃ」(Something
is the matter with you! You are not the hobbit that you were)。
戦いに巻き込まれ、運に導かれてどうにか生き延び、しかし昔とは別者になり、相も変わらず世界に比べて自分はちっぽけで、友人とパイプをくゆらしている。こういう「戦後感覚」を読むと、なぜか手塚治虫「W3」のラストを思い出す。姿が変わり記憶も失った二人が、夕涼みをしながら、お互いにヘソのない腹を見せ合って笑ってるあのコマ。
ぼくは年にほんの少ししかタバコを吸わないが、指輪やホビットを読むと、じつにパイプがうまそうでうらやましい。ただ味のうまさがうらやましいのではない。誰かがうまいたばこを持っていて、それを一本ちょうだいすること、火を借りること、ふかすこと、煙がどこかへ行ってしまうこと。たばこにはふさわしい空間の広さと相方が必要だ。
小津安二郎の「早春」(だったかな)で、誰かが味の素を取り出してうどんに入れてると、他の者が「お、おれにもかせよ」と言ってふりかけるシーンがある。味の素は好きではないが、あの、誰かから借りる味の素はちょっとうらやましい。
指輪の裂け谷でのグロインとフロドの会話を読んだり、モリアの場面を読み返したり、Appendixに載っていた"Durin's folk"を読んだり。そうかそうか、そうだったんだよなあ。買ったまま寝かせておいたKaren
Wynn Fonstad "Atlas of Middle-Earth" や Annotated 版Hobbitを読み、さらにぼんやり。
トールキンは20代になってマッターホルンを旅し、第一次世界大戦の従軍を経験した。マッターホルン周辺の地形はLonely
Mountainのイメージに援用されている。従軍の経験は、おそらく戦闘場面と、ある種の「戦後感覚」に反映されているだろう。
『ホビット』の原作と翻訳の差に関して、赤龍館の原書房版「ホビットについて」のページを見つけた。この中で、とくにガンダルフの口調をめぐるやりとりは、金水敏の言う「ヴァーチャル役割語」のケーススタディとして興味深い。
英語には「老人っぽい言い回し」というのはあっても、フィクション一般に共通の「老人語」というのはないわけだが、日本の小説では「老人語」があって、単に行動の描写だけでなく、語尾やいいまわしにまで老人ステレオタイプの一貫性が求められる。この差は翻訳小説においてもっともはっきり現れる。
「指輪物語」のようなロールプレイングゲームの元祖で、まさに「ロールプレイ」がことばづかいのレベルで求められるというのは興味深い問題だ。
別冊文藝『江戸川乱歩』に「もれる息・しぼむ風船」。川崎さんのイラスト(空が「模様」だ)のすぐ後ろに掲載されてうれしい。乱歩論はもうええちゅうくらい出ていて、鏡やレンズやのぞきに関する考察はたぶん山のように世の中にあるのだが(のぞきに関しては、『浅草十二階』にもちょっと書いた)、今回はわりと従来の乱歩論とかぶってないところを書けたような気がする。
夕方、銀座商店街にドイツで修行した職人さんがいるという「おうみ」という靴屋がある。彦根にこんな店があるとは知らなかった。入ってサンプルを見ているうちに、自分にとってこの先いちばん重要な道具って、もしかして「足」だよなあ、と思い、一足作ってもらうことにする。
カーボン紙のような板の上に足を乗せて立ち、フットプリントを取ると同時に足の輪郭をとる。体重がかかっている部分はフットプリントに濃くあらわれる。このフットプリントと、輪郭のはみ出しぐあいを読むと、足のアーチがどうなっているかがわかるそうだ。ぼくの場合は、フットプリントに対して足の内側に輪郭が広がっている。やや足の縦方向のアーチの力が弱まっていて、内側に足が寝ているらしい。中敷きの土踏まずの部分に少しでっぱりのあるサンプルをはかせてもらうと、おお、これはえらく歩きやすい。一足およそ三万円なり。いつも量販店で千円単位の靴を買ってる身にはかなり奮発だが、これだけ気持ちいいのなら納得。毎日はいても三年は持つんだそうだ。
『指輪』や『ホビット』にでてくる、ミスリルや指輪やその他もろもろの衣服の装着感って、こういう、ぴったりあった靴をはいたときの感じに似てるんだよなあ。
"The Hobbit"を読み続ける。ドワーフが個性をもったりひとかたまりになったりという往復が楽しい。Beorn のもとに二人ずつホビットを読んでいくところ(p127-)。あるいは、クモの網から要素がはみだし、それがドワーフの集合を想起させるところ(p157)。
Bilbo was horrified, ..., to see a dwarvish foot sticking
out of the bottoms of some of the bundles, or here and there the tip
of a nose, or a bit of beard or of a hood.
(ビルボは身の毛がよだちました、(中略)というのも、(クモの糸の)包みの底からはにょっきりドワーフの片足が出ていて、あちこちに鼻だのひげだの帽子だのの一部がつきでていたからです)
あいかわらず風邪だが彦根の風はきつい。ゼミも頭が回らぬ。Shegloffのジェスチャー論を読みかけるが放り出す。風邪にシェグロフは合わない。The
Hobbitを読んで気をまぎらす。
社会言語学会で知り合った片岡邦好さんから別刷。仕事柄いろんな別刷をいただくが、ひさびさに驚いた。ロッククライミングを題材に空間参照枠が語られ、手紙文における変体少女文字とエモティコンから文脈化やスキーマ化が語られている。しかも道具使用のような身体的なできごとにも、ディスコースやテキストにも、目配りがじつに行き届いていて無類におもしろい。
石黒敬章さんから『ビックリ東京変遷案内』(平凡社・コロナブックス)。石黒さんの膨大な写真・絵葉書コレクションからのお蔵出し。で、昔の写真と対照させるために、現在の東京各地の写真が収められているのだが、これがまたなんともいいのだ。風景も服装も違うのに、人間の歩く姿って変わらないものだなあ、と不思議な感想がわく。若輩者(?)のぼくが浅草六区に関してお出しした手紙も紹介して下さっていて恐縮する。
会議会議。どうも本調子でないので、うっかり「はてなダイアリー」なるものにユーザー登録してしまう。キーワードを設定するというのがHypertextの感覚に近く、おもしろいので試してみる。ただ、「関心空間」などと違い、「はてなダイアリー」では、キーワードの説明にはあるていど「普遍的な」書き方が求められている。なるべく「普遍的」に見えるように三つほど書いてはみたものの、他の説明にくらべてかなり独断的なようである。他の説明はかなり辞書事典的なのだが、もしかして「英辞郎」のようなものの構築が目指されているのであろうか。だとしたらわたしはお呼びでない。キーワード説明は誰でも編集することができ、後には改変されるであろうから、ここに書きとめておく。
反映:
透過性のある面に映った映像には心惹かれる。
とりわけ、複眼で見るとき。水面なら水の中に、窓ガラスなら中空に仮想の奥行きが確保される。
面に映った映像と面を透かした映像との関係は、面の内外の光量によって劇的に変化する。
ステレオ:
もともとはギリシャ語で「固い」という意味だが、そこから派生して「立体」や「三次元」を意味するようになった。
オーディオのステレオにはスピーカーが二つある。ステレオ写真は二カ所のレンズで撮影された二枚の写真から成る。なぜか二つのものが並ぶ。二つを並べてひとつの奥行きを推測する。この世に二つを並べて、あの世のひとつを探ろうとするのがステレオである。
ヒトは二つの耳、二つの目から奥行きを推測する。ステレオである。鼻の穴は二つあるが匂いの奥行きがありありと分かったという経験はない。耳や目も、陰に隠れたものの奥行きまでは推測できない。ステレオ写真には、陰に隠れたものの情報は写り込んでいない。ステレオ写真を見ると、つい向こう側をのぞき込みたくなる。ステレオはのぞくことを誘っている。
ホビット:
身長は人間の半分ほどでドワーフよりも小さい。ひげはなく腹が飛び出しており、緑や黄色などの派手な色の服を好む。かかとは皮のようにかたく、足は頭髪のような毛でおおわれており、物音をたてずに歩くことができる。長く器用な指を持ち、気だての良い顔をしており、腹の底から楽しそうに笑う。食事を好み、ディナーは日に二回とる・・・
ドワーフやエルフやゴブリンなどとはちがい、ホビットはJ.R.R.トールキンが「ホビットの冒険」(1937)でつくりあげた創作で、その特徴については「ホビットの冒険」および「指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)」の冒頭にくわしい。 トールキンは、「指輪物語」の冒頭でホビットについて、まるで動物の生態を紹介するように書いており、「指輪物語」はあたかも図鑑か自然ドキュメンタリーのように始まる。いっけん冒険とは無縁な記述だが、ホビットがいかなるものかを把握しておくことは、その後の冒険におけるホビットのふるまいを知る上で重要である。
「指輪物語」が成功した原因は、指輪の運び手として、強いヒーローではなく、このか弱いホビットをすえた点にある。
ペーパーバック版の「指輪物語」のうしろには新聞評が載っていて、「英語を話す者は以後、指輪物語を『読んだ者』と『これから読む者』とに分類されるであろう」とある。ブッシュは明らかにホビットのなんたるかを知らない。早く『読んだ者』にまわるべきである。
"The Hobbit"読書中。
「ゴブリンは彼らを後ろ手にしばり全員ひとつながりにしました」(ホビットの冒険)
この部分は英語ではこうなっている。
「The goblins cheined their hands behind their backs and linked
them alltogether in a line」 (The Hobbit, p61)
手が背中で集合化され、背中がリンクされて「ひとつながりの列の中 in a line」に属する。この、複数形が集合になり、集合が複数形になってさらに上位の一集合におさまる感覚。集合論は単数形と複数形のある言語で発明されたのだなと思うのはこういうときだ。
東山先生の送迎会。さほど飲まなかったはずなのだが妙に酔いが回る。会場からてくてく歩いていくとハッシュがあるのでちょいと一杯のつもりで入ると鄭先生のゼミ打ち上げが行われていてさらに杯を重ねてしまう。身近にマンガ家の学生がいたことを知り驚く。なんだもっといろいろ教わっとけばよかったなあ。
帰ったのは10時前だったが起きているのがつらくなり倒れるように寝る。
ブッシュというアホウが始めようとしている戦争に日本政府はついていく。どこまでついていくのだ。戦争も何も、喜び組を揶揄する記事と袋とじヌードが同じ週刊誌に載ってるこの国は、世界の秘宝館である。どこかの国と戦うための明快な論理などあるわけがない。イラク相手にも北朝鮮相手にも戦う資格なし。戦争反対というより戦争不能。秘宝館なのだから戦うことができるフリなどしない方がよい。
2日前から喉が痛かったのだがどうやら風邪らしく、重い体を引きずるように大学へ。京都の研究会も休んで、低空飛行で文献読み。事務処理も書類がどこに行ったかわからず、事務に「すいません明日まで待ってください」と電話。人間文化の細馬です、というと、あー、という風にアキラメた声になってくれるのでありがたい(ありがたいのか?)。
おとつい急須の口にさしておいた菜の花が、斜めになった口からぐっと持ち上がって、天井に向けて次々と花開いている。活けたときは急須から菜の花が生えている感じだったが、こうなると菜の花から急須の根が生えているようだ。
先月から川崎サイトに、「模様」という新シリーズが次々とアップされているのだが、これが楽しい。赤と白の格子だけで構成されているのに、いくつものレイヤーが重なり入れ替わる。目で追っていくと、どんどん奥まで行けたり、ふっと路地のようなものを抜けて手前まで帰ってきたりするのだ。すごい。オップアートが見過ごしていた領域が、ここではどんどん深まっている。
頭が働かないときは鬼平犯科帳。
ベランダの下にフキが咲いている。まだツボミのものも残っているので、少し遅いがフキノトウ味噌を作ってみる。さっと茹でてからみじん切りにしてゴマ油で炒め、味噌とミリンを加えてさらに炒める。レシピはこれ。いい苦みになる。
長らく置いてあったTolkien "The Hobbit" (Ballantine books, paperback)を読み始める。
サックスの論文を読んでてわかったことがある。集合論は、英語だと単数複数形の切り替えでかなりのことが表されちゃうのだな。
サックスの論文はごく簡単な集合を扱うのだが、日本語に直すとえらく読みにくい。なぜかというと、彼が英語の単数形と複数形を使って集合や要素を表すからだ。
たとえば、サックスは、カテゴリー category ということばと、集合 collection
(class) ということばを使う。英語だと、a categoryと言えば、それはひとつのカテゴリーを表すし、categoriesといえばカテゴリーの集まりを表す。男性はa
categoryだし、女性もa categoryだし、男性と女性のふたつを指す場合はcategoriesだ。そして「性」とは男性・女性(あるいはn個の性?)の複数のカテゴリー
categoriesからなる「ひとつのカテゴリー集合 a collection of categories」 である。
英語だと単数と複数を切り替えりゃすむ。けど、日本語だと「ひとつの」とか「複数の」とか「集合(集まり)」とかつけなくちゃいけないからややこしいんだよな。
さらにややこしいことに、サックスは、複数のカテゴリー集合のむすびつきを扱う。たとえば「ヘイ、ブラザー!」と呼びかけるときの「ブラザー」ということばには、男性というカテゴリーと黒人というカテゴリーが織り込まれている。つまり、性というひとつのカテゴリー集合 a collection と、人種というひとつのカテゴリー集合 a collection が結びついた、複数の集合 collections が、「ブラザー」ということばにはかかわっている。
夜中にDVDで『わが谷は緑なりき』。この映画のアルフレッド・ニューマンの音楽が好きで、むかしビデオからMDにサウンドトラックをダビングして何度も聞いた。ヒューの枕元には「宝島」「アイヴァンホー」。そこに鳥が来て「Spring?」って言うところ。