Ustreamを試してみる。PCに付属のカメラで、部屋の中から。とくに珍しいものは映っていません。あえていえば、珍しいものが映っていないところが珍しいかも。ラジオ 沼 extra。
メガネのレンズを変える。段ボールを買い、部屋を片付ける。ときどき紅白を見る。
来年明けの〆切原稿。関連本が机の上に散乱する。根本的に整理することと、机の高さをなんとかすることが急務。来年こそは、動画を長時間見ても疲れない環境を作らなくては。
mmm(ミーマイモー)の多幸感あふれるPVにハートを打ち抜かれる。音も絵もすばらしい。
http://www.youtube.com/watch?v=IBtfkJ9Bk-s
一日中大掃除。窓と網戸を拭いたら夕暮れがやけにきれいになった。寿司を食いに行き、ゆうこさんと健闘をたたえ合う。
午前から病院をはしご。眼科、耳鼻科、内科。プチ人間ドッグといったところ。どれも自助努力で治る範囲内。近所の整体へ。
・背中の痛みはもうどこでもない、かのような夜。 1:35 AM
・けれど、昨日の夕方には、確かにあったその痛みは 1:35 AM
・整体の先生が押す指の先に現れたのだった。 1:35 AM
・先生が、ダイリョウケイキン、というので、ぼくは頭の中でちょっと考えて、ああ、大菱形筋だと思い、解剖学の筋肉図を思いうかべ、僧帽筋のうしろにあるその筋肉の、肩胛骨と背骨をつないでいるさまを自分の背中にはりつけて 1:37 AM
・自分の痛みをかりそめに見たような気になったのだが、それは「見た」どころか、あいまいな領域を、名付けただけで視覚化した気になったに過ぎなかった。 1:38 AM
・そもそも、ベッドに寝転ぶ前は、どこが痛いのかも、わかってはいなかった。 1:39 AM
・痛みは、あらかじめ背中に局所的に分布しておりそれが先生の指によって見出された、のではない。 1:39 AM
・背中にあいまいに分布していた注意が、先生の指先が触ったことによって一気に絞り込まれ、そこに痛みの分布がぐっと集中した。その現象を、ぼくは指先の位置のせいにして、そこを「痛みの場所」としたに過ぎない。 1:40 AM
・そのあと、背中に自分のできあいの解剖学図を広げて、その、痛みの場所に、筋肉の名前を重ねたに過ぎない。 1:41 AM
・動かない空間にサーチライトを当てるのではなく、サーチライトを当てると空間の方がぽかりと浮き出してくるような、世界。ソラリスのように、こちらの触手に応じて自在に変化し、こちらの触手の注意をナヴィゲートする世界。ぼくの背中は、「いて!」というぼくの超えとともにそのような、世界となり 1:43 AM
・先生の指先をとどめおく。 1:43 AM
・だから、整体を受ける人はみな、ソラリスなのだ。 1:44 AM
・我知らず、相手の触手の行く先に合わせて、身体上の感覚分布を変化させてしまう、敏感肌を誰もが持ち合わせている。触ることと触られることは、場所をあらかじめ用意しないことで、より高い同時性を実現した。声よりもすばやく、目よりも完全に。 1:47 AM
・同時性とは、あらかじめある場所がつながることではなく、そこに場所が現れることなのだと、指先は告げる。 1:47 AM
・そしてベッドを降りる。 1:48 AM
認知症介護研究会。六車さんの発表。回想法を扱っており、関心が共通するところ多し。打ち上げに行ったものの、背中と耳の調子が悪く、ほとんど隣の河野さんとしゃべってた。
・守山へと向かう車窓からはもはや点々と光る街灯しか見えない夜 10:06 PM Dec 27th from web ・この進行方向のずっと左には湖、ずっと右には山、その間にはさまれた暗がりとしての街を見ながらこのテキストを打つ。 10:08 PM
・どんなに報告を尽くしてもこの車窓の景色をあなたは見ることはできない、ただこのテキストだけ、文字列だけが見えているのだという諦念のもとに、橋を渡る。 10:09 PM
・あるいはUstreamでこの景色を映しながら打ち込んだなら、事態は変わるだろうか。 10:10 PM
・この前の口ロロのライブを、あとからUstで見て、わあ楽しそうとは思ったけれど、いっぽうでやはりそれはよそごとだった。 10:11 PM
・たぶん、現場にいて、Twitterでつぶやいて、あとからUstで事態を確認する人には、なぜ自分の興奮が伝わらない人がいるのか、よくわからないかもしれないけれど。 10:12 PM
・そこであえて欠けていたものがあるとすれば、Twitterでは伝わらない、Ustでは伝わらないという諦念ではなかったかと思う。 10:14 PM
・一方で、先日のokadadada氏のDJの楽しさの底には、なぜかそういう諦念がひしひしと感じられた。それは彼がDJの合間に発していたTwitter上のことばにも表れていたけれど 10:15 PM
・なにより、その映像に付された音がプレーヤーの、おそらくはラインからの音であること、それが彼の聞いているヘッドホンに向かう音とほぼ同じであるだろうこと、彼の目の前が壁であること、そこに麒麟の発泡酒が次々とつみあげられていくこと 10:17 PM
・から構成される、一人加減から、こちらの一人加減に通じるものが発せられていたからではなかったか。 10:18 PM
・もし、あれが二人以上のDJによって和気あいあいとプレイされていたならば、あれほどこちらの胸にささる映像にはならなかっただろう。 10:19 PM
・ところで、いまやTVの映像のほとんどは、複数の出演者によるお笑い番組であり、客席には聴衆もいるわけだが、そういう番組をみているときには、不思議と、よそごとだという感じはしないのはなぜか。 10:22 PM
・おそらくは、そうした番組は、長い収録番組の歴史の中で、カメラの視線を強く意識し、志向するようにしつらえられているから、なのだろう。徹底的にカメラの視線を意識し、番組が構成され、むしろ客席で生で聞いている人々がただの添え物であるかのように感じさせる制度。 10:24 PM
・こうした制度は、いまはだらしなく寝そべってテレビを見ているわたしにとっては当たり前のことだけれど、かつてはけして当たり前ではなかった。テレビカメラの前に立つ人が、この世ならぬものを見ているという不思議な感覚は、60年代のある種の収録番組を見るとかろうじてかぐことができる。 10:27 PM
・坂本九が紅白歌合戦で歌っている「見上げてごらん夜の星を」。そのモノクロームの画面からは、このうたが、わたしでも会場にいる者でもない(もしくはその全部でもある)、遠い場所に向かって歌われているということが定着されている。 10:29 PM
・そのような遠い場所を奪われたがっさがさの荒涼から飛んでくる映像や文字列が、かろうじて、このモニタで見るに耐えるものである。 10:31 PM
査読。異分野ゆえ、参考文献を山ほど読む。
あ、もう夜。印南ゼミの飲み会へ。ブリを食べまくる。
・とある場所でグラスの底に少し注がれたシェリー酒の話をしてみよう。 1:37 AM Dec 27th
・じつはそれがなんという銘柄だったかまるで思い出せない。そういうとき写真を撮るだけの記録欲もなく、ただどんな味だったかは、いま、かなり思い出すことができる。 1:38 AM
・注がれたときの濃い、飴色も。 1:38 AM
・一口なめると、上等のほしぶどうを濃くしたような甘みがまずやってくる。上等なほしぶどうがなにかは知らないけれど、きっとこの方角が上等にちがいない、そんな方角の甘みがやってきたはずだった、はずだったがもう失われかけている。 1:40 AM
・舌はまだ上等を探っている、濃い甘さ、濃い上等、なのに味は失われ、潮が引いたあとに残される貝殻のように、あたりの草むらから戯れにちぎってきたような葉の味が現れる。 1:45 AM
・あたりの草むら、とはいえそれはスペインのあたりの草むらで、噛んだことのない葉の味、ミントでもタイムでもローズマリーでもなく、舌の上の水分を軽くなでて揮発させる、その揮発とひきかえに青くさいエッセンスをひょいと置いていく 1:47 AM
・こちらはまだ上等に勤しんでいるのに、そのエッセンスはスペインの方角を指さしている。まだ。いま消えつつある干しぶどうを手放したくないのになぜスペインなのか。そもそもこれはスペインなのか。スペイン。あ。 1:49 AM
・そしてふたくちめを。 1:49 AM
・ラベルにmoscato、の字。マスカット? 1:50 AM
・そしてもうひとなめ。 1:50 AM
・この、目指すべき方角が入れ替わる時間はモスカート。 1:51 AM
・もすかーともすかーと。ハンバートハンバート、みたいだ。 1:52 AM
・つぶやこう、という構えがもう始めてしまう何か。 10:33 AM Dec 25th
・一昨日より背骨の調子がどうも、でちゃんとしない背骨も、始めてしまう。 10:34 AM
・で、昨日のokadadadaさんのDJはすごかったなあ。あの一人しかいない部屋、お面のかかってる壁で踊ってるのが。あの一人の感じ。 10:35 AM
・一人の壁の前にお面のような何かがいて、それはけして2010人ではないのに、2010人の(たぶん)やはり一人が見てる。 10:37 AM
・それが2010人という数にふさわしくないほど絶妙に小さい。 10:37 AM
・見ながら想像してたのは、2010人が入る箱ではなく、2010人がいままで見たことのない不思議な密度で、あの小さな部屋を圧迫もせず、彼が好きなだけ踊ることのできるスペースを保ったままで、ぼくもまた踊ることのできる密度のこと。 10:39 AM
・いくらでも踊ることのできる高い密度があり、その密度は、ときどき途切れてしまう動画や、音、チャットのスクロールによって、なるほど高いと判るのだけれど。 10:42 AM
・それでも、十分に酸素のある密度だった。 10:43 AM
・おっと、もう10分。 10:43 AM
・さてもう少し、空き時間にテキストならしと背骨ならしがわりに。 11:09 AM
・声で沼をしゃべってるほうがはるかに遠くまでいける気がする、いまのところは。 11:10 AM
・打ち込むことばは、どうしても、静かになる。 11:10 AM
・自分の出した思いがけないトーンに驚くこともなく、ローマ字入力で平坦になったことば。 11:10 AM
・キーを打つ音じたいはせわしないけれど、そのせわしなさは、ちょうど小津安二郎のタイピストのシーンがそうであるように、ごくごく事務的に、ことばを身体に変換しなければならないという職業的倫理のもとに 11:11 AM
・ごくごく機械的に作り出されるせわしなさで、だから、この狭い枠の中にことばを入力したとたん、もうさっき何を書いたか忘れてしまうのだ、なぜなら、声が貫くはずの抑揚を、間抜け通すための浮き沈みを、このテキストは欠いているから。 11:13 AM
・だからいっそ、わーとかぎゃーとか、短いことばを発することのほうが、この枠ににつかわしい。この枠におさまりながら、この枠をいっぱいに使うための声の抑揚がふさわしい。 11:14 AM
・あるいは、いったんそうした抑揚から切り離され、叙述に徹しながら 11:14 AM
・拾い上げることがふさわしい。 11:15 AM
・声で語るときは、移動のない、夜半を過ぎた部屋であやしゅうこそものぐるおしくなるけれど、テキストで打つときは、移動のある、目の前の風景が次々と切り替わっていく場所で何かを拾い上げることのほうが似つかわしいのかもしれない。 11:16 AM
・さてひるやすみをもちいてまたつぶやいてみる、まだこのりずむになれていない 1:04 PM
・1,4,0をカウントダウンするすうじにあせらされるばかりではこえをきざむためのてがかりはすりぬけていくばかり 1:05 PM
・これがたとえゆびさきのむきしつなうごきからはっせられるとしてもそれを音読するこえでくしをさすこと 1:06 PM
・てきせつなはやさで(おそさで)あたまをさませておくこと、などとかきながらあたまをさますこと 1:06 PM
・ところでこのわくのまわりに印刷の方法についての図絵をはりつけたのはただのおもいつきだったのだが 1:07 PM
・こうして囲まれてみると、わるくないアイディアのようなきがしてくる。 1:07 PM
・だれかとむきあうのではなく、ものとむきあう。からだをできるだけ、てはずどおりにうごかしながら、こえをだそうとするりずむからきりはなし、そのことでかえってからだのりずむが顕在化するようなほうほう 1:08 PM
・ローラーはインクをみちみちとのばしていく、それはこえを蹂躙する 1:09 PM
・蹂躙するてつきが、こえをあけた孔、孔版にしみていく 1:09 PM
・しみていくあいだにも、からだはいそがしくふたをあけ、ふたをしめ、あのひとへのてがみをすりあげ、このひとへのてがみをすりあげ 1:10 PM
・ローラーを前後にみちみちと、一定のそくど、一定のみつどをじつげんすべく、たしかなせぼねのうごきもちい、なぜかべれーぼうをかぶり、なぜならかれは芸術家だから、そのせぼねのうごきのたしかさによって 1:11 PM
・さて、でかけよう 1:12 PM
・旋法だけを頼りに単線をゆく旋律の律、時間の律、重複を許さず、未来へと忍ぶことも、過去を塗り替えることもなく、ひとつうちこまれるたびにひとつをわすれることばの打法 2:47 AM
・声にしたときに初めてわかる対を忍ばせて、あのときとこのときとを重ねる、一次元の便法としての韻 2:49 AM
・に、比べれば、右手が滑り出したとたんにもう左手が追いかけ始めているピアノはあまりに自在で、テキストの肩をもってやりたくなる。 2:50 AM
・今日は、デスクトップをきれいさっぱりと片付けて、目につく文字という文字を殺して 2:51 AM
・新しく打ち込まれる文字以外は目に入らぬようにして 2:52 AM
・いま打ち込まれるこの文字すらも、リターンキーを押したとたん見えなくなる 2:52 AM
・いくらでもおいかけあうことのできるメロディを聴きながら、とぼとぼ打ち込む、とぼとぼしていることがゆいいつのつよみ 2:54 AM
・わたりそこねた川にはもうもどらないのと同じように、水のなさを受け入れる 2:55 AM
・遠い雲がそこで降らせているはずの雨をそこで降るにまかせるように 2:56 AM
・視界だけが開けている。水のなさを思い知るために。 2:56 AM Dec 26th from web
卒論生のデータを次々と見る日。データを見るのは楽しいなあ。午前中から始めてあっという間に日暮れ。
背中が痛くて振り向けない。狂言師のごとく移動。これは整体にでもいかねば。
夜、ゆうこさんとバスティアンで夕食。
Twitterにradio_numa名義で連続書き込みをしてみる。いわば文字列版「ラジオ 沼」。時間軸の上にテキストを並べる練習がわりに。やたらたくさんつぶやきますが、お気に召したらfollowしてみてください。
http://twitter.com/radio_numa/
・小さなものをいつくしむべき夜に、ボン書店の幻読んでたら「間抜け通す」なる動詞に出会う。 1:21 AM Dec 25th
・そういえば、間抜けとか抜け作ということばには、どこか通ること、貫通すること、筒抜けになることが含まれており、それはつまり開放管のことだと気づく。 1:22 AM
・そして間抜け、だけでも存分にも筒抜けてはいるのだが、その先にまだ貫通していない、見えないトンネルがあり、それは生きているうちは容易に通らない。 1:24 AM
・あるいはおそらく、死んでも通らない。通らないのだが、それを誰かが拾い集める。集めると、そこに、間抜けが抜くつもりのなかった穴があく。そのとき 1:25 AM
・間抜けは、間抜け通したことになる。 1:25 AM
・そして、この本は、小さな間抜けに気づいた誰かが、間抜け通した穴。 1:26 AM
・この本のなかで内堀さんはさりげなく、この本に、あの本に、と出典をあげていくのだが、もちろん、この本やあの本には、「石神井書林日録」に記されているような悲喜こもごもの入手のいきさつがあるにちがいなく 1:27 AM
・誰それに会った、誰それの話を聞いたという聞き書きにも、穏和な表情を保ちながら、見えない穴に通じる何かを聞き逃さない、耳がはたらいているにちがいなく 1:29 AM
・「文庫版のための長いあとがき」で語られる話にも、その積み重ねがもたらしたか細い水脈のみがたどりつくことのできる物語が拾い上げられている。 1:31 AM
・そして読み終わったとき、「間抜け通す」という動詞に含まれる、二つの抜け、二つの貫通に思い当たる。本を作る人、作った本を拾い上げる人によって間抜け通されること。 1:33 AM
・ごめんなさい、と、こうの史代さんはいきなり謝る。 1:35 AM
・「いま此れを讀んだ貴方は死にます」 1:35 AM
・このことばが誰に拾い上げられるかも(拾い上げられないかも)知らず 1:36 AM
・しかし拾い上げるざしきわらしがいて、拾い上げられるおにぎりがある。 1:39 AM
・そこでも何かが、間抜け通されている。 1:40 AM Dec 25th
感じるところ多し。明日つぶやこう。
ギターにPC、それに本を持ちすぎたせいだろうか、背中の動きが重い。彦根に戻る。
JRの遅れでちょっと遅めの始まり。にしもとひろこソロ、かえる属(細馬、中尾)、最後に三人で高祖保「みかんの実」、そしてとあるアニメのエンディングテーマを。
休憩をはさんで内堀、季本対談。古本のささやかな秘密を大事に拾い上げていく話を聞くうちに、お二人の本がぜひとも読みたくなり(じつは失礼にも未読だった)、帰りに数冊を求める。
夜半過ぎ、お寺で打ち上げ。静かな本の話を進めるうちに羽良多さんの翌朝の釣りの予定は六時から七時、そして八時へと。四時ごろお開き。
講義と実習を終え、京都へ。コミュニケーションの自然誌研究会。菅原さんの発表。夜、忘年会。
日曜日。足の踏み場もない部屋を片付ける。喫茶店で査読二本。夜M1グランプリ。
よく寝る。弁当を買って帰る。変則チューニングで左手の押さえ方を変えたらするすると弾ける曲が何曲かできた。
いままで、存在は知っていたのだが、難しいものだと思って試さなかった。目の前で、さやさんがするすると弾いてるのを見て、急にできるような気がして、やってみたら、できるようになった。実地教育とはこのことか。
会議に実習にゼミ。夜、扉野さん宅へ。猫三匹のすさまじい歴史を聞き、メダイのしゃぶしゃぶ鍋をいただく。お腹がくちくなったところでいざ練習、とギターケースを空けると、そこにはギター大のあなぼこが。開いた口がふさがらない、というのをリアルに体験する。なぜこの軽さに気づかなかったのだろう。
結局、扉野さんの持っていたネックがはずれかけたギターで、にしもとひろこちゃんと来週のための練習。まずまずの音。高祖保の「みかんの実」を合わせる。
ひと段落ついて、たわむれに、メルモのエンディングテーマを歌うと、ひろこちゃんが、あ、それ教えて下さい、と言うので、コードとメロディをゆっくりたどる。それからひろこちゃんが歌い出すと、みるみる彼女のオリジナルソングのように響き出す。
yugueに寄る。ライブを終えたテニスコーツの二人が練習中。ちょっとおじゃまして、その練習の空気を分けていただいた。変則チューニングを教わる。コードを探りながら「これは長い旅になりそう」という植野くんのことばを潮においとまする。
・さて、今日は、キャンディが湿って乾くまでのお話を。 3:13 AM
・たゆたうのひろこちゃんは五線譜はあんまり読まないけど、こちらが歌ってみせるとあっという間に自家薬籠中のものにしてしまう。ぼくがメルモの歌を唄うと、もうメルモの歌を、それはそれは素敵な声で歌ってしまうのだ。 3:15 AM
・彼女が鼻歌で「しあわせのキャンディだから」と歌うと、キャンディにしあわせの力がこもる。 3:16 AM
・そのキャンディの力を保ちつつ、京阪電車にのって下鴨yugueにつくと、そこにはテニスコーツの二人がいて、さやさんはギターを弾きながら、そのフレーズから沁みだしてくる湿度を探っている。 3:17 AM
・そこはおそらくスコットランドの湿原で、変則チューニングのギターは、その湿原に伸びてゆくメロディのありかを、人差し指と薬指の触覚で探知しようとしている。 3:19 AM
・二人はそのメロディに乗せるべきことばを、急がずにひとつひとつ確かめようとしているので、わたくしはその場所をおいとまし、近所のとある飲み屋に移ると、そこには精一さんやbikkeがいて、はっぴいえんどの別テイクがかかっているのだった。 3:21 AM
・で、山本さんは、そのはっぴいえんどの録音をききながら、「あ、これオリジナルとちゃう!これなんのテイクや?!」と、アルバムで覚えたギターのフレーズを口ずさんでいる。そして、流れているのは確かに、ゆでめんに入っている鈴木茂のソロとは違うメロディーなのだ。 3:23 AM
・それがどのテイクであれ、鈴木茂は「流れる人混みをぼくは見てる」と歌っており、この居酒屋でみんな腰を落ち着けてお酒を飲んでるけれど、頭の中では人混みが流れていて、ぼくはそれを見ているのだ。 3:24 AM
・そして、ぼくはそのはっぴいえんどの歌を、まるで初めて聞いたときのように利いている。だからここは1970年代ではなく、まぎれもなく2009年の暮れであり、この、初めて聞いた気がするメロディは、1970年代に作られたメロディなのだ。 3:26 AM
・ひろこちゃんは、メルモのエンディングテーマをきいたことがないという。だから、この歌は、彼女にとって初めて歌。ぼくがはっぴいえんどの歌を初めて聞く気がするように、初めての歌。 3:27 AM
・歌は湿原を渡り、バイバラビンバを渡り、わたしの知らない川をたどって、いつか海に流れ着く。歌は、氾濫原で生まれ、エディンバラの寒風吹きすさぶ土地から養分を吸い上げ、声へと結実する。 3:30 AM
・等高線の低い場所、かつて川底だった場所をひたすらたどると、そこは歌が生まれる場所だった。バイバラビンバ。 3:31 AM
今週の講義で質問を受け付けたらかなりの量になった。あれこれ答えを作っていくとみるみる時間が過ぎる。しかし、「こころ」というと、みんな「感情」や「カウンセリング」のイメージなのだな。神経科学とこころという組み合わせがなかなかしっくりこないらしい。
講義にゼミ2本。
・色のことを考える午前三時。共感覚者なら「三」の文字思うだけで色づく時間。人間の色覚は三つの色受容体から構成される、しかし感じる色は三つではない。
・赤と緑の間の波長がくればそれは黄色と感じられる。波長の長さを三つの組み合わせでカバーする。それだけなら、三つであらゆる波長をカバーするという話に過ぎない。 3:12 AM
・だが、赤色の光と緑色の光が同時にやってくるとき、やはりそれは黄色と感じられるのだと知ったときのショック。ただ黄色がくることと、赤と緑の二色がくることとが、なぜ同じに感じられるのか。 3:14 AM
・たとえばドとミの音が同時に聞こえても、それはレの音にはならない。耳は複数の波長が来たときそれを中間でなく和音ととらえるから。 3:15 AM
・もし目が耳と同じならば、赤と緑を同時に感じるとき、それは赤と緑の和音であって、黄色ではないはず。もし和音のように目が感じるならば、この世界はRGBのハーモニーとして、あちこちで干渉し、うねる光として変化するはず。 3:18 AM
・けれど、目は空間を選び周波数を細分化する道をとらなかった。耳は時間を選び空間を細分化する道をとらなかった。そして色は目のものに、ハーモニーは耳のものになった。 3:19 AM
・赤のすぐそばに紫があることが、いつも引っかかってしまう。まったく波長の異なる色なのに。紫から赤へと抜ける道が人の色覚にはある。いちばん短い波長からいちばん長い波長へと抜けるサークルが。サークルの外にある紫外線や赤外線やX線や電波を意識させないサークルが。 3:23 AM
・赤と青の間が紫であるはずがない。紫と赤とが接続できる自分は、物理学を生物学に翻案している。直線の端で詐術が行われている。 3:27 AM Dec 17th
・
吉村さんと上田先生宅へお邪魔する。クラブハリエのバウムクーヘンを1/3食べる。
会議。
国際ジェスチャー学会のアブストラクト。
・昨日まで毎晩Twitterで長々と歌ってたのだが、今日は散文で考えてみる、ぽつぽつと。というのも、What's happening?というこの枠の上に表示される問い方に改めて奇妙な感じを持ったから。これって、一ヶ月くらい前は、What are you doing?だったよね。 1:30 AM from web
・そして、What are you doing?と問われれば、いちばん素直な答えは、「このメッセージを打ってるなう」であり「このモニタを見てるなう」だったのだ。星を見てたとしても、それはついさっきまでで、いまはこのメッセージを打ち、見ているのだから。 1:34 AM
・What are you doing? に誠実に答えるためには、いま、打鍵しながら並行して行っていること、まばたき、呼吸、足の甲を擦り合わせること、ストーヴにあたっていること、バイクが通り過ぎるのを聴いていること、打鍵のバックグラウンド、意識のバックグラウンドを書くしかない。 1:36 AM
・でも、それがWhat's happening?になり、自分の行為への問いではなくなった。もはや打鍵のうしろの無意識を考えなくとも、打鍵とは無関係に持続しているできごとを考えればよい。たとえできごとに耳を傾けていなくとも、ただ、そのできごとが続いているという確信さえあればよい。 1:41 AM
・星はあいかわらず輝いていて、誰かが泣いていて、時計が動き続けている、打鍵のあいだにも。打鍵とできごとのあいだに、同時性を感じさえすれば、What's happening?に答えることができる。打鍵はもはや同時であることを示すためのアンカーにすぎなくなった。 1:45 AM
・この打鍵をしているあいだにも、起こるできごとをすなどり、打つ。できごとの同時性を埋め込むべくupdateのボタンを押す。文字列は枠外へ飛び出し、less than 5 seconds ago に打たれた文字であること、同時に起こったできごとがそこにからめとられていることを指す。 1:49 AM
・いや、正確には、less than 5 seconds ago には、すでに打ち終わっており、ただぼくはupdateのボタンを押しただけなのだが。そして、そこに至るまでにどれだけ削除ボタンやカーソルが駆使され、どの文字列が何度やり直されたかは、誰にもわからないのだが。 1:51 AM
・それでも、updateのボタンを押したタイミングだけは、嘘をつくことができない、twitterでは。そこにtwitterのリアルタイム性がある。そして、ひとつひとつの打ち込みが分かたれて、「つぶやき」化する理由もそこにある。 1:54 AM
・ニコニコ動画は、リアルタイム性なき同時性を演出する。動画のある部分と自分のコメントとの同時性を埋め込んでやる。ある場面に「すげー」というコメントが表示されたからといって、その人がそのタイミングで「すげー」と言ったわけではない。ある場面とコメントとの同期性が埋め込まれているだけだ。 1:58 AM
・んー、続きはまた、かなー。 1:59 AM
・
講義。実習で、スゴシカフェへ。一回生と倉庫を片付け、簡単なカメラオブスキュラを試してみる。化粧板は乱反射が強すぎて、うまく結像しない。むしろ発泡スチロールの画面が、映像の発色がよい。ポータブル・カメラ・オブスキュラの可能性。
・四弦から六弦にいくとき必ず親指がしくじるのを繰り返して 2:16 AM
・これはもうずっと上手くならない、このままこの親指がしくじりつづけるのかと想いながら 2:17 AM
・ゆっくり弾いてみる、弾いてみると、ああここでしくじるのだなとスローモーションでしくじっていく 2:18 AM
・見届けてまた、しくじりながら、もう、次の小節に入ってる、コードが変わってるのは 2:19 AM
・メロディのせい 2:19 AM
・ゆっくり弾いてもまだ切れない糸のようなメロディのせい 2:19 AM
・あー、とか、おー、とか、もう、とか、そう、とか 2:21 AM
・それをあーーーーにしておーーーーにしてもーーーーにしてそーーーーにして 2:21 AM
・まだメロディ、メロディ 2:22 AM
・のうしろで親指がつまずいた 2:22 AM
・このギターの四弦はさびだらけで、左手はきゅきゅっと鳴る 2:23 AM
・奥さんがよろこぶ洗剤のようにきゅきゅっと鳴る、きゅきゅっと 2:24 AM
・奥さん! 2:24 AM
・鳴ってます。ぼくはきゅきゅっと鳴ってます。 2:24 AM
・親指はへたっぴだけれど、メロディ 2:25 AM
・そしてもれなくついてくるきゅきゅっと。 2:25 AM
・ゆっくり、もっとゆっくり、まちがいがわかるように 2:26 AM
・まちがいがわかるほどこえてゆくメロディは確か 2:26 AM
・きゅきゅ 2:27 AM
・奥さんのかわりに 2:28 AM
・ぼくは鳴ってます、きゅきゅ。 2:28 AM
彦根開国ライブ。坂田明、ユミ・ハラ・コークウェル、大友良英、吉田達也カルテット。
ライブ後、搬出の車が露地からバックで出ようとして商店街通りでつっかえてしまった。運悪く、露地からも商店街通りからも車が来てクラクション。すると、坂田明さんがオーライオーライとすました顔で文字通り交通整理をはじめて、最後は帽子をとってクラクション車に一礼したのだった。その二分か三分の間、突然起こった事態に対して、全くあせる様子をまったく見せず、しっかり時間をかけて搬出車に前進後退の指示を出す態度は、ほれぼれとするほどだった。山下洋輔さんの本で、坂田さんはトラック運転の名手として書かれていたっけ。でも、あれは運転がうまいだけの話ではなかったのだ。
楽しい打ち上げ。坂田さんの前で「ふなずしの歌」を歌う。「よっ」と坂田さんの合いの手。坂田さんのホスピタリティにはほんとうに頭がさがる。いや、打ち上げなのだから、ホストは開催者側なのだが、でも、その場をなごませるべくさまざまな配慮をほどこし、それを配慮と見せない大きさ、ホスピタリティ、と思わずつぶやいてしまう。
夏に日高先生の前で歌ったことを思い出す。坂田さんは呉にほど近い広のご出身で、それもなんだか一方的になつかしい。
・どんな小さな境目でもまたぐときにはその小ささに応じた足のあげかたがあるはず 1:02 AM from web
・ミジンコが泳ぐときの水の掻き方は水の重さに添うはず 1:02 AM
・でもミジンコにとって水は空気のようなものだから、腕を振り上げる重さなんて感じないはず 1:03 AM
・宇宙人から見たら人間はきっと空気を空気のように軽んじていると見えるだろう 1:03 AM
・あんなに重く粘るもののなかで手とか足とかばたばた動かしているなんて 1:04 AM
・水の中で激しくじたばたするミジンコのように空気の中でじたばたしながらそのじたばた 1:04 AM
・そのじたばたは空気の重さに添うはず 1:05 AM
・手を、とてもゆっくり、空気の重さがまとわりつくほど、ゆっくり 1:05 AM
・動かすと、ほらやっぱり空気は重く粘る 1:06 AM
・指を、とてもゆっくり、そこに止まったとんぼが気づかないくらいゆっくり 1:06 AM
・動かすと、とんぼの羽が少しふるえる 1:07 AM
・羽のようなアンテナを持つ指、指を持つ手、手を持つ腕 1:07 AM
・その腕を動かすとき、空気がわかる、わかったらばたばたしてみる 1:08 AM
・ミジンコのように空気を掻いてみると、宇宙人が珍しそうにそれを見てる 1:08 AM
・このひょろ長い腕、へんてこな生き物の掻く空気を 1:09 AM
・宇宙人が見てる、地球はとても珍しい 1:09 AM
・ミジンコはとても珍しい、平たい体についた腕 1:10 AM
・人間はとても珍しい、人間じゃないくせに 1:10 AM
・人間じゃないくせに人間だと思ってる人間は珍しい 1:10 AM
・そんな腕して人間なわけないだろう、きみは、まだ人間じゃない 1:11 AM
・人間になれるかな、空気を掻いていると 1:11 AM
・掻いている、掻いている、まるで人間みたい 1:12 AM
・まるでミジンコみたい 1:12 AM
・あ、いいことおもいついた、明日しゃべるとき 1:20 AM
・だまってまず、腕を動かしてみよう 1:21 AM
・腕が空気の重さを知る、空気の粘りを知ったらそこで 1:21 AM
・声を出してみよう、空気の重さを知り、粘りを知る声 1:22 AM
・粘りながら教室のうしろまで届く声 1:22 AM
・粘りやがれ、教室 1:22 AM
・朝っぱらから粘りやがれ、明日の教室 1:24 AM
・この酔っぱらいがすっかりしらふになった声で粘りやがれ 1:24 AM
・空気吸え 1:26 AM
・この粘る空気吸え 1:26 AM
・吐け、みんな吐いちまえ 1:27 AM
・そんでまた吸え 1:27 AM
京都で映像シンポ。プリントアウトをし忘れた英語の発表原稿を画面の片方におき、プロジェクタ画面で映像を、と思ってのぞんだら、画面の左右が逆にスプリットされた状態でスタートしてしまった。マウスを動かすたびにカーソルを見失う地獄のインターフェース。しどろもどろの発表に。やはり原稿はプリントアウトして臨まねばならぬ。いやはや。
そのあと軽く飲む。アパートに戻ると、popoのキタさんと純ちゃんがいるので、またしばらく飲みながらあれこれ話。
・プリンスの、ひとでと珈琲とメイプルシロップの歌の響きに乗せて 3:02 AM
・いくらこの気持ちがコードにのって、調子のいいことばになったつもりでも 3:03 AM
・きっとこのコードは、きみの気持ちに響かない 3:03 AM
・なぜならひとでと珈琲、メイプルシロップジャム 3:03 AM
・バタースカッチにタンジェリン、おまけにつけるハム 3:04 AM
・この組み合わせはプリンスでさえ、へんてこに感じるはず 3:04 AM
・いとまきひとでに珈琲 いとまきひとでに珈琲 3:05 AM
・ところで、わたしは何を歌ってもラップでなくてフォークだとキタさんに指摘されたのだ今宵 3:05 AM
・ずらずら並べることばの端にメロディが忍び込む、その忍び込む隙がフォーク 3:06 AM
・隙をみせるとプリンスはフォークになってしまう 3:06 AM
・だからできるかぎり密度を保て息をつぐな思いつかないことばも思いつけコードが続くかぎり 3:07 AM
・いとまきひとでに珈琲くりかえせひとでに珈琲 3:07 AM
・珈琲の可否を問うまでもなくひとではひとでだと知れ 3:08 AM
・ひとでの可否を問うまでもなく珈琲は珈琲だと知れ 3:08 AM
・ひとの資格をきみは問えるのか、ゆーきゃん問えるのか 3:09 AM
・いえす、ゆーきゃん問えるなら問え、このひとでと珈琲の資格を 3:09 AM
・こーひーこーひー、こーひーこーひー 3:10 AM
・頭が真っ白になったときは頭にこびりついたフレーズを繰り返せ、その繰り返しが頭の壁をあらわにしてさらにフォークから遠ざかる 3:11 AM
・メロディ 3:11 AM
・またメロディがきた、フォークの神様が忍び込んだ 3:11 AM
・この夜の隙に 3:11 AM
・午前三時の隙にさしこむフォーク 3:12 AM
・フォーク歌手、フォーク 3:12 AM
・歌に差し込むフォーク 3:12 AM
・とひとでと珈琲 3:12 AM
・夜半を過ぎたザンパノでうたたねをしてから 3:33 AM
・まだ次の眠気までは少し間がある、この目覚めの重さがちょうど 3:33 AM
・きみに話しかけるのにちょうど 3:33 AM
・高原町を急ぐ暗がりの中で保つのにちょうど 3:34 AM
・この重さを保ちながら疏水まで急ぐ間にもことばを思いつく 3:35 AM
・思いつくほど軽くなる、きみはまだ近いのに 3:35 AM
・親密な重さが軽くなる、まだ親密なのに 3:36 AM
・そして疏水をたどる、軽さと重さを忘れるために 3:36 AM
・水をたどればどこかへたどりつく知恵にまかせて 3:37 AM
・土曜を過ぎれば日曜にたどりつく知恵にまかせて 3:37 AM
・きみのいない日曜にたどりつく 3:37 AM
・あ、お銚子のことを忘れていた。すっかり 2:04 AM Dec 12th from web
・午前二時をまわり、さてつぶやこうと身構えてから、横をみたらお銚子があった 2:04 AM
・もちろん、昨日からそこにあったのだが、見えない 2:05 AM
・午前二時の身構えによって、はじめて見えてくるお銚子 2:06 AM
・午前二時がくるまでは、お銚子ではないなにものかになって、息を潜めているお銚子 2:06 AM
・この部屋の床は、紙とかばんとわけのわからぬものによって、机まで決まった場所でしかステップを踏むことができない 2:07 AM
・お銚子もまた、いまあるところにしか置くことができない。 2:07 AM
・あるいは、この立錐の余地もない部屋を模様替え、お銚子が輝き出す模様替えをしたならば 2:09 AM
・お銚子は輝き出す。いたるところでステップが踏める。 2:09 AM
・あ、また忘れた 2:10 AM
・お銚子のことを。 2:10 AM
・この部屋で足を踏み出すための余地のありかについて考えたとたんに 2:10 AM
・わたしのお銚子の余地がなくなる 2:11 AM
・さあお銚子のためだけに 2:11 AM
・これからはお銚子のことだけ 2:11 AM
・いつもお銚子と一緒だよ 2:11 AM
・つぶやくたびに、お銚子のことを思い出すよ 2:12 AM
・あ。また忘れた。 2:14 AM
・午前一時をやり過ごしてできるだけ見慣れたものを見慣れないものとして解放してやりたい夜 1:02 AM Dec 11th
・かたわらの机に民芸風のお銚子があるのに気づいた。民芸風? 1:03 AM
・白い胴体にへたくそな墨字の点を散らしたそのお銚子がここにきてもう夏、秋 1:04 AM
・そして冬を迎えようとしている。お銚子の秋をワタシは見過ごした 1:04 AM
・夏のあいだに見慣れたものにしてしまった、お銚子の点も 1:05 AM
・四つある点を四つ数えることもなく秋の中にお銚子をこの部屋に埋めた 1:06 AM
・そして冬、見慣れぬお銚子となって現れた、ずっとそこにあったお銚子が 1:07 AM
・お銚子おそるおそる振る、さかさかと鳴る 1:07 AM
・お銚子おそるおそるさかさまにする、てごたえのない重さ 1:08 AM
・さらりあらわれる細長いそれは紙 1:09 AM
・いや、紙になる前の何か 1:09 AM
・こよりより細いそれは紙になる前の植物 1:09 AM
・ナガミノヒナゲシ 1:09 AM
・このことばを口にしたのはずっと前 1:10 AM
・ナカミとかナマミとかナナメとか 1:10 AM
・ゲシゲシとゲシとか 1:11 AM
・口になじまぬ名前だったから何度も唱えたはずだったが 1:11 AM
・そのまま忘れて夏が来て秋には夏を忘れ 1:12 AM
・そしていま、マウスパッドの無地の上に 1:13 AM
・そこいらに散乱する紙から千切られた一筋の植物であるかのように横たわっているそのひとすじは 1:13 AM
・ナガミノヒナゲシ、という名前だった 1:14 AM
・きみから来た封筒のはじをできるだけ薄く切り取ったそのあとみたいな 1:15 AM
・ナガミの 1:15 AM
・ナマエの 1:15 AM
・そしてお銚子が、また民芸風に濁りながら 1:16 AM
・冬に埋まろうとしている 1:16 AM
今日は午前二時を抜けるためのゆるやかな速度を得るために長い 1:58 AM from web
・急ぐ体がその向こうに遠く連なる山と山のあいだのビートを見出す 1:59 AM
・マルチプレーンのレイヤーのひとつに乗りながらもう一つのレイヤーを見越す 1:59 AM
・ように、ゆっくりと打ち込む、ぱたぱた打鍵の音を、ぱ、と、た、に分かつほどに 2:00 AM
・この狭い四角い枠の中に打ち込まれた文字が回るアイコンと化し 2:01 AM
・枠の外へと送り込まれる時間の長さをも、このことばのスピードを保つ石炭として 2:02 AM
・文字列をうつほどに減っていく数字を、何も記念しない場所と時間のためのカウントダウンとして 2:04 AM
・物語ることがなくとも音楽に合わせているだけでアニメイトされるアニメーションはトーキーとともに生まれた 2:05 AM
・それまでマッケイはひたすら奥行きを求め、パット・サリヴァンは物語を揺らし、映画の外側の音楽を夢見ながらひたすらアニメーションは変態した 2:07 AM
・音楽が映像とともに鳴り始めたとたん 2:07 AM
・歌って踊ればなんとかなることがわかった、蒸気船の上でミッキーは、ピアノの前でカエルのフリップは 2:08 AM
・そしてもちろん、ココもビンボもベティも 2:08 AM
・それからずっとアニメーションからは音がきこえる 2:09 AM
・のだが、音を夢見ているアニメーションがあるとしたら 2:10 AM
・目から涙以外のものを盛んに分泌させながら、どこかにあるはずの音楽にたどりつくまでその分泌物はひろがり、池になり、川に流れ込み 2:11 AM
・いまだ音楽にならぬ流れに乗りながら、まだ聞いたことのないリズムにたどりつくのをまっている、揺れながら 2:13 AM
・また揺れながら、揺れることと揺れることのあいだに生まれるのをまっている 2:13 AM
・この枠の外へと転生するのをまっている 2:14 AM
・目から親を産み出す妖怪のように 2:14 AM
・茶碗の湯船を発見する 2:15 AM
竜王へ。フィールドワーク。夜、学部の忘年会で伊勢幾。
仲居さんの鍋をつくる所作がじつにおもしろいので、ついビデオを回してしまう。
・小さいが楽しかったこともいくつかあったはずの一日を終えようとし 12:58 AM from web
・それをぬりつぶすゆううつなできごとからもからくものがれ 12:58 AM
・あたまがさえてくるとき、いま、つぶやくにたるのは、でんわ 12:59 AM
・つるきさんのでんわ 12:59 AM
・今日、とあるデイサービスで会ったつるきさん(仮名)は、もぐもぐとおぼつかない発音で 1:01 AM
・ぼくたちはそれをクイズのように聴き、思い思いの解釈でつるきさんの言いたいことを言い当てようとする 1:02 AM
・わえあえいめつよーいつ 1:02 AM
・わたしは製鉄所につとめていました、ああ、つゆきさんは製鉄所につとめていたんですよ 1:03 AM
・と、デイケアの所長さんは翻訳する 1:03 AM
・わたしに冷静な夜をいつか 1:04 AM
・とも聞こえたが、たぶん所長さんのほうが正しい 1:05 AM
・もしもし 1:06 AM
・誰かと思ったら、つゆきさんの声で 1:06 AM
・しかし、それはまるきりつゆきさんの声ではない 1:06 AM
・つゆきさんは口にお椀をあてている、お椀の中には少しごはん、少し斜めにかしいだお椀 1:07 AM
・ちょうど昔の受話器のように傾けられたお椀 1:08 AM
・「もしもし」 1:09 AM
・滑舌のよい声はお椀にはねかえる 1:10 AM
・もしもし、こちらはつゆき製材所です 1:11 AM
・つゆきさんは、透き通ったコップを握る。コップの緩やかなカーブ、昔の通話器のような 1:12 AM
・つゆきさんはまつぼっくりを握る。もしもしを受け止めるまつぼっくりのひとひらまたひとひらひらのひらをくりかえすひらのおく 1:13 AM
・クリスマスの飾りにするはずのまつぼっくりにはエナメルを塗る 1:14 AM
・ボンドを置き、ビーズを振りかける 1:15 AM
・雪がふりかかるのと同じ理屈でまつぼっくりにビーズが積もり、ビーズがこぼれる 1:15 AM
・つゆきさんのもしもしが積もり、こぼれるもしもし 1:16 AM
・介護職員の女性のつめは銀色 1:17 AM
・まつぼっくりを塗った銀色が余ったから 1:18 AM
・もしもしが余ったから 1:18 AM
・もしもしなう 1:18 AM
講義。
・そ、ら、し、でつかまった午後を思い出して今日もつぶやいてみるショゾン 12:29 AM from web
・アルバムの最初、最初にがつんといきたい万人の気持ちおさえつつ 12:30 AM
・ニール・ヤングが控えめにそ、ら、しの三文字を打ち込んだギター 12:31 AM
・をまねるべく自分でも弾いてみたらまるで音が違うでやんの 12:31 AM
・それは、はじめからはじめようと 12:31 AM
・最初の最初から弾きだそうする、その最初がもうまちがってやしないか 12:32 AM
・最初から、でも途中から 12:32 AM
・いきなり途中からこの世に生まれたがごとくにだ 12:32 AM
・その途中の切っ先の途中らしさを、そ、と弾きだして 12:33 AM
・ら、し、と続けて、それでこの世に着地するコードはC 12:33 AM
・誰しもCに着地したいはず、でもそこはただのこの世ゆえ 12:34 AM
・気持ちはC、だから、ど 12:34 AM
・そのCの気持ちこめるドを、少し別のこの世に着地させるコード、それがF 12:34 AM
・そ、ら、し、が用意した少し別のこの世にしびれつつあった今日の午後 12:35 AM
・向こうの席では近所の寄り合いなのか、石川遼で一時間 12:35 AM
・一時間も石川遼、でしゃべり続けるおんなおんなまたおんな 12:36 AM
・きっとだれもしらない、なにがパーでなにがアンダーでなにがバーディーなのか 12:36 AM
・なんで球数が少ないと鳥の名前なのか 12:37 AM
・それでも遼くん、遼くんのことなら、あたし語りたいわ 12:37 AM
・だってあの子はすごくいい子、礼儀正しい子なの 12:37 AM
・あんないい子はいないんだもの、テレビを観てたらわかるわ 12:38 AM
・「わかるわあ」 12:38 AM
・わかるわかる、わかりあうこと一時間 12:38 AM
・その一時間、耳をそばだてながら仕事をしてたワタシの耳に 12:39 AM
・ええい、もうたくさんだとつっこんだインナー式のイヤホンから 12:39 AM
・そ、ら、し、と空中階段のぼるよなギターが 12:40 AM
・Fのコードでドに着地した、テル・ミー・ホワイ 12:40 AM
・なぜなの? 12:40 AM
・なぜかしら?はてな? 12:41 AM
・その、は、て、な、のそ、ら、し、抱えつつ、抱えた腕はギターの形 12:42 AM
・このはやる気をおさえて、最初から最初からと身構える気をおさえて 12:42 AM
・少し先で、その先の途中から、まるでずっと弾いていたその先で鳴ったかのように、そ、 12:43 AM
・そうなの 12:43 AM
・そ、ら、し、どう? 12:43 AM
・遼くんはどう? 12:43 AM
・あのおばさんたちにもわたしにも 12:44 AM
・はてなが降りかかりますように。てるみーほわい? 12:44 AM
・
よく眠る日曜日。
おでん、の三文字から始まる妄想、今夜ここでつぶやいてみるとしよう 11:08 PM from web
・おでん、の三文字、三つの文字からなる記号がそれぞれの人の頭に立ち上げる妄想、を止めることはけしてできない 11:08 PM
・それがたとえ料亭の味だったとしても、コンビニの70円だったとしても 11:09 PM
・おでん、の三文字はそのそれぞれの妄想、のゆくさきを縛ることは不能 11:10 PM
・しかし、そのおでん、の鍋の上にまだ味のしみていない、しかしすきとおりつつ大根を見つけるのだとしたら 11:10 PM
・そして、その大根、さらに次第に表面をくずしつつあるじゃがいものその表面を箸でこわさぬようさぐりながら 11:11 PM
・鍋の奥に誰も見つけられずにいた、三日前の白菜の芯を探り当てるのだとしたら 11:12 PM
・それは、もはや自らのエキスを絞り出し、ほのかな魚臭さ以外何も差し出すものはありません 11:12 PM
・と告白するよなイワシのつみれの横で寄り添い、そのくすんだ色をその身に移し 11:13 PM
・もはや繊維という繊維を透き通らせ、芯の向こうのつゆまで見通させる、そう、そのつゆはおでんという三文字のつゆ 11:15 PM
・そしてたとえ透けていてもそれはなお芯、白菜の芯、しんとした 11:15 PM
・つゆの中でこの三日この箸が届くまでそこでじっとしていた 11:16 PM
・その芯をすくい、ほかに何の具を選ぶ愚 11:17 PM
・おかす必要もなく、ただ。その芯と向き合うために必要なつゆ、それはむろん、おでんという三文字のつゆ 11:18 PM
・北極に浮かぶ氷山のように手付かずで、熱帯の樹冠のように熱を帯びたその芯 11:20 PM
・を頬張れば、しん、の二文字からは思いもかけぬほどするりと噛みごたえ 11:21 PM
・の隙間からいくつもの繊維が歯と歯のあいだから逃れようとはみだし 11:22 PM
・はみだすそれを再び舌で押しやる残忍な歯の上へと 11:23 PM
・またしても逃げ出す繊維のなめらかさを繰り返し味わうために 11:23 PM
・繰り返し舌は送り返す、かつて芯だったものを 11:24 PM
・その豊かな水分、じつはおでん、の三文字のつゆがまだ存分に含まれている 11:24 PM
・そのおでん、のつゆが失われてはいない、そのなめらかな繊維は舌がひるむ隙を見逃さない 11:25 PM
・歯のギロチンから舌の奥へ、さらなる暗闇へと逃げ出す 11:26 PM
・その逃走の経路を、「のどごし」と呼ぶわたしは 11:27 PM
・まだかたまりとしてあるそのしん、をのみくだしてその温度が経路をたどり 11:28 PM
・食道の形をその熱さで知らせていく時間を 11:28 PM
・そしてその熱さが自分の熱さとなり、食道の形が熱さにとけていく時間を 11:29 PM
・なう、というにはあまりに遠い半時前に知った 11:30 PM
・そんな三文字から始まった旅について、いま、ここで、つぶやいている、なう。 11:30 PM
・
朝、多賀の一円邸へ。芹川ダムに登り、野鳥の観察。オオタカがずっと枝先であたりを見張っていた。
一円邸から出た絵はがきについて話す。
午後、京都へ。「身体化された心」研究会。金子さんのエチオピアの市の話、菅原さんの新著の話。夜、菅原さん、金子さん、そしてひさしぶりに会った亀井さんもまじえて飲む。
夜中に底冷えのする琵琶湖線で彦根へ戻る。車中、Twitterを見たら、口ロロライブであまりにみんな楽しそうなので、つい冷や水を浴びせる書き込みを連発する。たぶん、最後の行がいつわらざる感覚だったのだろう。以下抜粋。
・Twitterは同時性によって万人を平等にしているように見せてますが、事態は逆だと思います。 11:10 PM Dec 5th
・Twitterは、同時性を強調することによって、同時性の濃度差を強調するのではないか。 11:10 PM Dec 5th
・Twitterによって、「いまここ」を共有できない人は、より疎外感を感じるでしょう。 11:11 PM Dec 5th
・すごくわかりやすく言うと、東京と地方の差はTwitterによって広がるでしょう。選択肢があってあきらめる人と、選択肢から疎外されている人との差が強調される。 11:11 PM Dec 5th
・で、なぜ地方出身者の派遣社員が秋葉原に突っ込むか、ということを考えないTwitter論はむなしいなあーと思うわけです。 11:19 PM Dec 5th
・つまり、この一連のつぶやきを産んでいるのは、琵琶湖線の底冷えなんですよ!全国の琵琶湖線底冷え派よ、共闘せよ! 11:50 PM Dec 5th from web
午前中、学生の相談。午後、京都へ。日高先生のお別れ会の相談。
夜、彦根へ。スミス記念堂のカメラ・オブスキュラの打ち上げ。そして来年の計画。
久しぶりにグループホームに。今日はインフルエンザの予防接種におつきあい。外に出ると入居者の方々のふるまいがまったく違って見える。見知らぬ人々とのやりとりが入るだけで、行動のディティールが変わるのだ。
食事後、午後はフェルトの貼り合わせ。この簡単な作業の中にも、思わぬところに壁があり、そこがまたおもしろい。平坦にならされていない環境の方が、その人がどんな動きをするのかがよくわかる。
講義を終えて名古屋へ。レニングラード国立歌劇団の「エフゲニー・オネーギン」。オペラと手紙といえば、オペラファンの脳裏にすぐ過ぎる(らしい)と言われる「タチアーナの手紙」の場面も含めて、手紙について再考をするため。田舎の落葉を表す淡いオレンジ色と、社交界の虚飾を表す水色と紫色のブレンド。マズルカの足をピンと伸ばす踊り。宝塚の原イメージがここに。手紙については実に示唆的だった。くわしくはいずれ「クラシックかわらばん」に。
学生の相談、書類。いつもの火曜日。