- 20000220
- 静岡の水窪というところに田楽の調査に行くことはわかっている。しかし水窪ってどこだ。と、いうくらい何の下調べもしていない。どうも下調べは気が進まない。出たとこ勝負、とりかえしのつかないことを作動させるべく、準備を怠っておきたくなる。といえばかっこうがいいが、要するに怠け者なんだ、ぼくは。
静岡というからてっきり富士山の近くだと思っていたが、宿泊先に電話で聞いてみると、新幹線の最寄り駅は豊橋だという。豊橋って愛知県じゃないか。で、その愛知県から飯田線でずうっと長野県近くまで上がっていくらしい。東京から3、4時間とふんでいたが、これは甘かった。 東京を出たのが10:43。浜松でこだまに乗り換え、豊橋に着いたのは12:45。それから1時間近く待って、鈍行に乗り込む。じつは中央自動車道と東名高速の間の日本がどうなっているのかまったく知らない。だからこれから起ることはすべて未体験ゾーンでの出来事である。 小野不由美「東京異聞」を読みながら、電車はゆっくりと飯田へ向かう。茶臼山、長篠、冬枯れの山は彩りにとぼしく、しばらくは郊外の殺風景さも田舎の濃さも見分けがつかない。そのうち山と谷が迫ってくるようになり、路線は山の腹にひっかかったように川を見下ろしはじめる。黒衣の男が人形の首をかつんと締め上げるところで顔を上げると湯谷温泉で、人がばたばたと降りる。川底の岩盤が緑色に透けている。あんな硬い岩盤に腰をおろす露天風呂なんてのがあるんだろうか。そう思うと尻がひんやりして落ち着かなくなる。よっぽど途中下車しようかと思ったが我慢する。 水窪まではそこからさらに一時間ほどかかる。次第にトンネルが多くなる。駅に止まるたび、ドアから入ってくる空気はより冷たくなる。十二階から人が落ち、物語が満願成就したところで、水窪に着く。ほとんど午後4時。谷あいの町にはもう陽が射していない。
宿に着いて荷を解き、風呂、食事、それから菅原さんと西浦の別当の家にお邪魔する。今日は田楽の「練習」を見学するということだったが、行ってみると、まず、上がってすぐの居間に通される。玄関というにはやけに広い。 引佐町から伊藤信次さんという画家の方も来られていた。81歳、飄々としておられる。 コタツでしばらく別当や伊藤さんのお話を伺っていると、次々と能衆がやってくる。一人一人が丁寧に正座して挨拶し、寄り添うようにコタツに膝を入れていく様を見ていると、予備知識がなくともこれはすでに儀式が始まろうとしているのだと感じられる。先に到着した能衆と名刺交換してしばらく話をしたが、全員がそろうと、「ちょっと下がって下さい」と言われ、あわてて部屋の片隅に陣取り、ビデオを取り出して回す(あとでこれは「口あけ」という儀式だと知った)。 集まった能衆は7人。しばし雑談。テレビでは「日本人の質問」をやっている。その音声が大きいので、会話がうまくビデオに録れないのではないかと気がかかる。しかし、能衆の何人かは、会話が途切れるとまるでそれが一大事かのように、高橋博士や大桃博士の解答に見入っているので、うかつにこちらの都合でボリュームを下げるわけにもいかない。 やがて、台所から三宝にのせられた椀が運ばれ、酒がふるまわれる。「どうぞ」と勧められるまま、ビデオを置いていただく。うまい。甘酒だが、薬を使わない米の味だ。甘い粥のようだ。 全員が甘酒を飲み終わると、別当と能衆は隣りのまかないの間に移る。この間にはぼくたちは入ることはできない。あいかわらず「日本人の質問」が続いている。今度は公文衆が三宝にのせた甘酒をふるまう。先に台所から来たのは「別当の酒」、公文衆が持ってきたのは「能衆の酒」ということらしい。酒を沸かす役、注ぐ役、口上を言う役はそれぞれ違う。
これが終わると、別当と能衆は家を出て、観音堂そばの宿舎へと向かう。菅原さんとぼくもついていく。あぜ道を縫うように歩く。足元は真っ暗で、知らなければとてもたどりつけない。午後8時、東の山の端は、まもなく出る月のあかりで照らされている。 宿舎は能衆の泊まり場所であると同時に練習場でもある。台所以外は畳で、田楽を舞うのは六畳の部分、笛や太鼓がそれに続く六畳、さらにそこから横つながりに四畳半の部分があって、ここに正方形の炬燵が二つ。そこには練習の順番を待つ能衆が待機する。 そしてこの練習のプロセスがじつに和気あいあいとしていて楽しい。ベテランの所作がときどきあやふやになり、笑いが起こる。若い衆が間違えるとすかさず冷やかしの声が飛ぶ。こらえきれなくなった年嵩の能衆がすっと立って踊り出す。その間にも台所からは大きなヤカンに入った酒が運ばれて、湯呑み茶碗に注がれる。ぼくもビデオを回しながらイッパイいただく。奥の炬燵では田楽談義。冷や酒を飲み、炬燵にあたり、人の練習をちらちらと見る。若衆は、能頭(のうがしら)の舞を見て、ときどき手振りを復習する。いわば炬燵はブルペンなのだ。 謡を唄うのは別当で、唄い終わるとまだ笛と太鼓が続いてるのに炬燵に急ぎ、タバコを吸う。ヘビースモーカーだ。 笛は炬燵にあたりながら吹く。半分以上の能衆は笛が吹けるので、疲れると笛を放りだし、他の能衆に譲る。あるいは興に乗った能衆が自分の笛を袋から取り出して吹く。これらのことが同時並行して起る。場の焦点はあちこちにあって、メンバーは刻々と移り変わる。それが、ただの和気あいあいではない、場のダイナミズムを生む。たぶん詳細に分析すれば、その焦点の移り変わりのきっかけがいくつか浮かび上がってくるだろう。 どれも初めて見る舞だが、明らかに上手下手があることはわかる。とりわけ、沢谷さんの「くらま」で義経がなぎなたを首のうしろから前に返すときの手首のあざやかさにはほれぼれする。はりぼてのなぎなたがちゃき、ちゃきと鳴るようだ。
それにしても、この練習のなんと楽しいことか。ずらりと並ばされた若衆がスパルタ式で所作の特訓を受ける光景を想像していたぼくは、あまりの場の明るさに愕然とした。もっとも、昔は必ずしもこんな雰囲気ではなく、もっと叱咤が飛ぶ厳しいものだったらしい。「いまの若い人は叱るだけではついてきませんから」と別当はおっしゃる。
最後の舞い手が練習を終わると、場はさっさと片づけられる。いさぎよい終わり方。炬燵で冷や酒、といっても、だらだらと続くわけではないのだ。 別当宅に戻ると10時半を過ぎていたが、「明日からはあまりお話しできませんからちょっと飲んでいきませんか」とお誘いを受け、さらに1時間ほど立ち入った話を伺う。口あけの酒は、むかしはひえで作ったそうだ。刻祭りの神秘的な話をするのに、ひねったマイルドセブンの空箱であれこれ説明されるのがおもしろい。
宿に戻り、中村くん、平野くん、田村さんもまじえてさらに飲む。
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