月別 | 見出し2000.1-6 |見出し1998.8-12



20000229
西浦で撮ったビデオおこし。ざっと8時間分見ながらメモをとる。気分転換に部屋の整理。風と雪は激しくなり研究室で徹夜。
20000228
スティーリー・ダンのalmost gothic。途中、ジェリー・ラファティの「霧のベイカー街」が引き伸ばされちぎれてしまったような奇妙な印象。歌詞にあるのはブリーカー街なんだが。

夜中を過ぎてチャンネルを選んでるうちに「ドレミファ娘の血は騒ぐ」を途中から。見るのは十数年ぶり。今回気になったのは、洞口依子が語るときに髪の毛が風にふかれて眉間に寄せたしわが見え隠れするところと、最後の葦の原で、向こうの人物たちの行方よりも生々しい葦の揺れ。十数年前にいちばん気になったのは、加藤賢宗が歌いながら蹴りあいするときの靴下の白さだった、と思う。
20000227
いわゆる記憶術に逆らいたくなるのはなぜだろう。映像的に覚えること、語呂で覚えること、必要なことがらをつなぎとめようとすることではなく、むしろ、思い出せないこと、忘れてしまうこと、何かを選択したことで何かが選択できなくなること、選択しなかったことのしるしとしてかろうじて残ってしまうことばの連なり、記憶されなかったできごとがあちこちで接することでつむがれる、そのような関節だらけの記憶の骨を取り出したい。うわごとのような確かさで忘れたい。
論理によって記憶を保持しようとすると文章が重くなる。論理によらない記憶は選択肢が多すぎる。論理によって忘れられる地点に関節を作ること。
20000226
雪続きでうんざり。
このうんざり気分を変えるべく、スティーリー・ダンとくるりの新譜。
21世紀までカマキリ宿で行くつもりだったところにまさかのダン新譜、全部聞くのはもったいないと思いつつ一気に聞いてしまう。それからまた繰り返し。聞くたびに発見あり。ウォルター・ベッカーの鞭をスローモーションでしならせるようなギター。バスクラのぶりっという音。熱くて涼しい町、情けない自分。ああ、さっさとドライブにいきたいな。こんな町ぶっとばしてさ。
くるりの「街」、京阪電車が歌詞にのった曲として長く記憶されるだろう。
20000225
雪。原稿など。
20000224
大学であれこれ事務処理。成績の最終チェックなど。
20000223
宿に帰ったのは朝の9時過ぎ。朝食をとって少し寝る。昼過ぎ、菅原さんの運転で浜松経由で東名へ。浜名湖で飯。助手席で眠気ざまし代わりのドライビング・トーク。でもちょっとうたた寝してしまった。彦根に着いたのは夕方。メールを一気読みしてうんざり、留守中にかなりいろいろあったらしい。が、もう寝させていただこう。
20000222
 昨日の夜更かしがたたって、朝の9時起き。今日は徹夜なので、朝飯を食ってまた少し寝る。昼前に喫茶アルピナでちょっとコーヒー。この町の喫茶店は、このアルピナと昨日ののんのんの二軒だけ。いったん宿に戻って、今度はのんのんで飯を食いながら「男たちの神話」(滝沢解・芳谷圭児)。気弱な男が自分の美貌で女を食いものにできることに気づき、ヤクザの頂点にのし上がろうとする物語。と書けば整然としているようだが、主人公の性格の急変ぶりがギクシャクを越えた強引さで、全3巻一気に読まされてしまった。気分はセッカーン。ぼそぼそのスパゲティが泣ける。

 午後1時ごろ、西浦へ。楽堂のくみあげ、船渡りの船づくり、面改めなどが行われている。昨日と同じく、何チームかが撮影をしているので、何かおもしろそうなことがあるたびに人がわさわさと移動する。ぼくは船づくりの作業に張りついてそのプロセスをビデオに撮る。
 楽堂が組み上がったあと「おこない」。天狗、天白、八百神をお迎えして御酒上げをする儀式。乳鉢のようなものに墨が入れてある。本堂別当の沢谷さんと佐々木さんが別当や能頭の間をまわり、墨を棒につけて額に押す。押す前にくるくると回る必要がある。そのときちょっとだけ笑みがもれるのが印象的。法印を押す厳粛さと、くるくる回ること、額に印をぽんと押すこと、その間に生じる笑い。
 裸木になったいちょうの横に丈の長い縦の篝が組まれていく。それを見ながらいったん宿舎へ。

 昨日と同じく、午後9時に庭上がり、おぼろ月夜の中、舞が始まる。奥院では火が焚かれ、ここがやはりブルペンとなる。今日は、一般の人もこの幕屋に出入りしている。本来出入りが許されているのかはわからないが、ぼくもはしっこのほうに入る。誰かがこんにゃくを食ったあとの串を火にくべようとして、火守り役にとがめられている。そのやりとりがおもしろいのでビデオに収める。火をめぐるディスコースは、練習から本番までを通じて、ひとつの鍵になっている。
 船渡しを見終り、午前1時ごろ、西浦小学校の増井先生のご案内で近くの耳塚さん宅に呼ばれる。そこで野菜の鍋を呼ばれ(肉を食べて観音堂の階段を上ると転げるそうだ)、酒を呼ばれ、午前3時頃再び観音堂へ。
 篝火にあたっていても、寒さで体温が奪われていく。明け方、眠気で気が遠くなりかかる。山の端がかすかに明るくなっている。ひとつひとつの舞の繰り返しが多くなるように感じられる。回転を基本にした舞。くるりくるり。夢のように見える。火のそばに寄る観客が多くなる。ぼくもリュックを背負ったまま背中に篝火を当てつづける。自分のジャンパーが灰くさくなっているのがわかる。昔会った火事を思い出す匂い。
 最後のべん慶のなぎなた能は、義経が去ったあとの舞が明らかに多く繰り返される。巧みな舞ではない。しかし、その繰り返しは、まるでトランスに入っているようなけだるさと確かさを含んでいる。
 すっかりあたりは明るくなった。獅子舞のあとはしずめ。天狗の面を正面から見据えてから意を決したようにゆっくりとその面をかぶる別当。「帰れ」と大声で神様に言い渡す声。
20000221
 朝、早起きして観音堂の御開帳を見に行く。午前8時過ぎ、ちょうど朝日が山から顔を出す時間に、別当をはじめ能衆がお堂の階段を上がっていく。全員がお堂の中にそろうと、心経が読まれる。昨日の別当の話では、観音様の扉を開けるときにえもいわれぬ気分がする、とのことだったが、ご開帳は奥での出来事で、しかとはわからない。
 御開帳が終わると、奥で田楽に使う面が取り出され、改められる。

 いったん帰って少し寝たあと、昼飯がてら近くの喫茶のんのんへ。地下に入ると赤みがかった70年代風照明。置いてある漫画は「光る風」「御用牙」「銭ゲバ」「薩摩志士伝」など。珠玉のセレクション。菅原さんとしばし漫画談義。
 水窪町民俗資料館へ。田楽・念仏踊りのビデオを見て、資料をいくつか買う。

 夜、9時に別当宅へ。今日は幕屋での鎮守まつり。十七夜の月が山から顔を出す。田楽の日取りは太陰暦で決まっている。きっとこの、月が出るタイミングが重要なのだ。
 まず松明が階段を上る。後にぼくも続く。
 しばらくすると階段下で別当が点呼を取る声が聞こえる。そして月に照らされて、照明ひとつない階段を能衆たちが粛々とのぼってくる。身震いするような時間。
 観音堂の横にある幕屋の一角に火が入れられる。最初に、舞が回れるあたりに能衆が円陣を組んで唄う。この「庭ならし」が終わると、手のあいた能衆は火のまわりに集まる。「御子舞」が舞われる。その間にも火のまわりで酒が注がれ、話に華が咲く。昨日の炬燵とこの火は、同じだ。太鼓は舞い手の奥で、笛吹きは火のそばで笛を吹く。だいたいは二人が同じ旋律を吹いているが、片方が舞の途中で止めたり入ったりすることがしばしばある。そうした笛の出入りの融通無碍さかげんが、まるでこの場の出入りそのもののように感じられる。
 今日は昭和女子大の人たちや新聞社の人たちも来ていて、奥院のまわりはカメラだらけ。無言のうちに場所の取り合い状態になる。ぼくの関心事は舞そのものよりも、ブルペンである火のまわりのやりとりなので、そちら方面にカメラを向ける。舞は夜中まで続いた。ビデオは3時間まわしっぱなし。

 今日は院生の風戸さんも加わり、宿に帰って2時ごろまで飲む。
20000220
 静岡の水窪というところに田楽の調査に行くことはわかっている。しかし水窪ってどこだ。と、いうくらい何の下調べもしていない。どうも下調べは気が進まない。出たとこ勝負、とりかえしのつかないことを作動させるべく、準備を怠っておきたくなる。といえばかっこうがいいが、要するに怠け者なんだ、ぼくは。

 静岡というからてっきり富士山の近くだと思っていたが、宿泊先に電話で聞いてみると、新幹線の最寄り駅は豊橋だという。豊橋って愛知県じゃないか。で、その愛知県から飯田線でずうっと長野県近くまで上がっていくらしい。東京から3、4時間とふんでいたが、これは甘かった。
 東京を出たのが10:43。浜松でこだまに乗り換え、豊橋に着いたのは12:45。それから1時間近く待って、鈍行に乗り込む。じつは中央自動車道と東名高速の間の日本がどうなっているのかまったく知らない。だからこれから起ることはすべて未体験ゾーンでの出来事である。
 小野不由美「東京異聞」を読みながら、電車はゆっくりと飯田へ向かう。茶臼山、長篠、冬枯れの山は彩りにとぼしく、しばらくは郊外の殺風景さも田舎の濃さも見分けがつかない。そのうち山と谷が迫ってくるようになり、路線は山の腹にひっかかったように川を見下ろしはじめる。黒衣の男が人形の首をかつんと締め上げるところで顔を上げると湯谷温泉で、人がばたばたと降りる。川底の岩盤が緑色に透けている。あんな硬い岩盤に腰をおろす露天風呂なんてのがあるんだろうか。そう思うと尻がひんやりして落ち着かなくなる。よっぽど途中下車しようかと思ったが我慢する。
 水窪まではそこからさらに一時間ほどかかる。次第にトンネルが多くなる。駅に止まるたび、ドアから入ってくる空気はより冷たくなる。十二階から人が落ち、物語が満願成就したところで、水窪に着く。ほとんど午後4時。谷あいの町にはもう陽が射していない。

 宿に着いて荷を解き、風呂、食事、それから菅原さんと西浦の別当の家にお邪魔する。今日は田楽の「練習」を見学するということだったが、行ってみると、まず、上がってすぐの居間に通される。玄関というにはやけに広い。
 引佐町から伊藤信次さんという画家の方も来られていた。81歳、飄々としておられる。
 コタツでしばらく別当や伊藤さんのお話を伺っていると、次々と能衆がやってくる。一人一人が丁寧に正座して挨拶し、寄り添うようにコタツに膝を入れていく様を見ていると、予備知識がなくともこれはすでに儀式が始まろうとしているのだと感じられる。先に到着した能衆と名刺交換してしばらく話をしたが、全員がそろうと、「ちょっと下がって下さい」と言われ、あわてて部屋の片隅に陣取り、ビデオを取り出して回す(あとでこれは「口あけ」という儀式だと知った)。
 集まった能衆は7人。しばし雑談。テレビでは「日本人の質問」をやっている。その音声が大きいので、会話がうまくビデオに録れないのではないかと気がかかる。しかし、能衆の何人かは、会話が途切れるとまるでそれが一大事かのように、高橋博士や大桃博士の解答に見入っているので、うかつにこちらの都合でボリュームを下げるわけにもいかない。
 やがて、台所から三宝にのせられた椀が運ばれ、酒がふるまわれる。「どうぞ」と勧められるまま、ビデオを置いていただく。うまい。甘酒だが、薬を使わない米の味だ。甘い粥のようだ。
 全員が甘酒を飲み終わると、別当と能衆は隣りのまかないの間に移る。この間にはぼくたちは入ることはできない。あいかわらず「日本人の質問」が続いている。今度は公文衆が三宝にのせた甘酒をふるまう。先に台所から来たのは「別当の酒」、公文衆が持ってきたのは「能衆の酒」ということらしい。酒を沸かす役、注ぐ役、口上を言う役はそれぞれ違う。

 これが終わると、別当と能衆は家を出て、観音堂そばの宿舎へと向かう。菅原さんとぼくもついていく。あぜ道を縫うように歩く。足元は真っ暗で、知らなければとてもたどりつけない。午後8時、東の山の端は、まもなく出る月のあかりで照らされている。
 宿舎は能衆の泊まり場所であると同時に練習場でもある。台所以外は畳で、田楽を舞うのは六畳の部分、笛や太鼓がそれに続く六畳、さらにそこから横つながりに四畳半の部分があって、ここに正方形の炬燵が二つ。そこには練習の順番を待つ能衆が待機する。
 そしてこの練習のプロセスがじつに和気あいあいとしていて楽しい。ベテランの所作がときどきあやふやになり、笑いが起こる。若い衆が間違えるとすかさず冷やかしの声が飛ぶ。こらえきれなくなった年嵩の能衆がすっと立って踊り出す。その間にも台所からは大きなヤカンに入った酒が運ばれて、湯呑み茶碗に注がれる。ぼくもビデオを回しながらイッパイいただく。奥の炬燵では田楽談義。冷や酒を飲み、炬燵にあたり、人の練習をちらちらと見る。若衆は、能頭(のうがしら)の舞を見て、ときどき手振りを復習する。いわば炬燵はブルペンなのだ。
 謡を唄うのは別当で、唄い終わるとまだ笛と太鼓が続いてるのに炬燵に急ぎ、タバコを吸う。ヘビースモーカーだ。
 笛は炬燵にあたりながら吹く。半分以上の能衆は笛が吹けるので、疲れると笛を放りだし、他の能衆に譲る。あるいは興に乗った能衆が自分の笛を袋から取り出して吹く。これらのことが同時並行して起る。場の焦点はあちこちにあって、メンバーは刻々と移り変わる。それが、ただの和気あいあいではない、場のダイナミズムを生む。たぶん詳細に分析すれば、その焦点の移り変わりのきっかけがいくつか浮かび上がってくるだろう。
 どれも初めて見る舞だが、明らかに上手下手があることはわかる。とりわけ、沢谷さんの「くらま」で義経がなぎなたを首のうしろから前に返すときの手首のあざやかさにはほれぼれする。はりぼてのなぎなたがちゃき、ちゃきと鳴るようだ。

 それにしても、この練習のなんと楽しいことか。ずらりと並ばされた若衆がスパルタ式で所作の特訓を受ける光景を想像していたぼくは、あまりの場の明るさに愕然とした。もっとも、昔は必ずしもこんな雰囲気ではなく、もっと叱咤が飛ぶ厳しいものだったらしい。「いまの若い人は叱るだけではついてきませんから」と別当はおっしゃる。

 最後の舞い手が練習を終わると、場はさっさと片づけられる。いさぎよい終わり方。炬燵で冷や酒、といっても、だらだらと続くわけではないのだ。
 別当宅に戻ると10時半を過ぎていたが、「明日からはあまりお話しできませんからちょっと飲んでいきませんか」とお誘いを受け、さらに1時間ほど立ち入った話を伺う。口あけの酒は、むかしはひえで作ったそうだ。刻祭りの神秘的な話をするのに、ひねったマイルドセブンの空箱であれこれ説明されるのがおもしろい。

 宿に戻り、中村くん、平野くん、田村さんもまじえてさらに飲む。
20000219
 新幹線が新横浜を過ぎるころ、レッドを倒す。あっけないエンディング。これからポケモン図鑑のさらなる充実、あるいは新キャラのトレーニングという楽しみもあるのだが、まあ、この辺が潮時だろう。あー、ハマったハマった。この20日間ポケモン漬けだったよ。

 ザムザ阿佐ヶ谷でリチャード・フォアマン「MANIFESTO」。巻上公一演出、ヒゲの未亡人こと岸野雄一、そして音楽には松前公高他豪華出演。白黒の破線の糸が物干し紐のごとく3本、そして床にも破線状にテープ。そこに巻上さんの、(おそらくわざと)ひじょうに聞き取りにくい小声のアナウンスで始まる劇。
 この日、もっとも、どきりとしたのは、飯田孝男の「え?」という声。音楽はコブラで鍛え上げた、どこからでも手が出る音楽で、かつ、非常に丹念な本読みに裏打ちされているであろう適切なタイミングで発せられていた。テクストの性格上、もう少しテクストを離れた音楽で聞いてみたいとも思った。

以下はあとで書いたメモ。

 反ドラマ。何かを指し示さないしぐさ。「宙づり」。一昔前に聞いたら、なんだポストモダンの常套句かと思っていたかもしれない(といってもこのManifestoは72年のものなのだが)。
 いまは、ほとんど、しぐさ解析のためのテクストのように聞こえる。たとえば、ドラマの明晰さをミクロに追い詰めた一瞬一瞬に飛躍を見いだす、そのことばに。
 テクストを声で聞く。声にされることばの論理を頭の中で追いながら、いつしか自分の論理を追いはじめてしまう。声はその間にも先へ進んでいる。大事な部分をいくつか聞き逃した。いや、聞き逃したことがどうして大事だとわかる?ここにあるのは、もう聞き返すことができないという「とりかえしのつかなさ」だけだ。山に上ろうとして途中まで上り、ああこんな山に上らなければよかったと思うときのとりかえしのつかなさ。とりかえしのつかないできごとは見晴らしがよい。目的から切り離された行為は見晴らしがよい。岩肌のようにぎざぎざした行為の形。街を見ようと思って上ったんじゃなかった。上ったら案外殺風景な街が見える、その見晴らしのよさ。そのように、見晴らしが欲望から切り離される。

 新宿カプセル。そばの24時間ストアで「大日本天狗党絵詞(黒田硫黄)」など。明日から天狗様のお祭りを見に行くのだからな。
20000218
ACTの件で何本かメール。
夜中にまたもパソコンがひんぱんにフリーズ。本体がやたら熱くなっている。熱暴走?
ポケモン。最後のレッドを倒すのは先送りにしてあちこちで新しいポケモンをつかまえてなごむ。探偵ナイトスクープにパラダイスねた。
20000217
近所に、この雪の日に開店している店。
しかも何の店だかわからない。
20000216
 雪をついて講義。午後からは横なぐりに降り始めた。
 「風呂で読む啄木」(木股知史/世界思想社)。題名で注文したのだが、届いたのを見ると、合成樹脂仕様でほんとうに「風呂でよむ」ようにできている。他に「風呂で読む万葉集」とか「風呂で読む古事記」などがあるらしい。風呂で読みたい本がたくさんあるんだが。半七捕物帖はどうだろう。で、啄木の本は、さらりと書いてあって、大岡信「折々のうた」的読後感。加藤典洋の本に引用されていた「へなぶり」の話もあった。的確なまとまりのよさが反啄木的?な本。

月別 | 見出し2000.1-6 |見出し1998.8-12 | 日記