- 19990215
- ▼コミュニケーションの自然誌研究会で、カメルーンの手話を研究している亀井氏の発表。いやあ、目鱗ぼろぼろな話いろいろ。
▼手話でだじゃれってあるんですか(つまり、手型などが似ていることばどうしがリンクすることってあるんですか)と質問したら、亀井さんが「あ、あります」といって答えてくれた例がおもしろかった。「トイレを探して、がまんがまん、ああすっきり」という4コママンガのようなポエムがそれ。といっても、これだけではいったいなにがおもしろいのかわからない。▼「トイレ」は、手話ではCの指の形をとる。「探す」は指をわっかにして目の回りでくるくる動かす。つまり、トイレを表す手の形が、じつは「探す」という動作を表すときの指の形に似ている。「トイレを探して」というとき、トイレであったはずのCの指が「探す」という動作に乗り(このとき指はわっかに閉じられようとする)、目の回りでくるくる動かされる。さらに、「がまんがまん」というときに、手は下に移動していくんだけど、わっか状の指の形はそこで保持される。トイレを形象する指の形が、「探す」「がまん」という所作に受け継がれることで、トイレという器であるだけでなく、排泄されるべき何かを表しているように見え出す。「ああすっきり」という所作で、その手の形が解消される。▼こういうことって、音声のことばでは起こりにくい。音声はリニアに次から次へと単語を並べていく。たとえば「トイレ」と声に出せば、そのことばはもう戻ってこない。「探して」というときに、「トイレ」という声が平行して鳴っているわけではない。ところが、手話では、「探して」という所作に、「トイレ」がのっかることができる。手話では、手の形(手型)と手のひらや手首の向き、手首から先の運動、さらには腕も含む手の移動といった、さまざまな要素が連合したり平行して意味を伝えることができるからだ。▼たとえば「男が行く」というシンプルな手話を考えよう。この場合、親指を突きだした手が移動する。こう書くと、「まず親指を突きだして静止、それから手が移動」のように思えるかもしれないけど、じっさいには、立った親指が移動しているのが見える、という感じ。「男が」「行く」と、時間を追ってわかるのではなく、「男」と「行く」が一挙にわかる。すごい情報圧縮率。ちなみに、「結婚」は親指を突き出した右手と小指を立てた左手が両側から合わさる。男と女の移動とその方向が、一挙に表現される。
▼音声にも、発音以外の要素、たとえば抑揚やアクセントがあって、文の変化にあずかる。しかし、それは意味を平行して伝えているわけではない。たとえば、あることばを抑揚を変えて言うことで、ことばの機能は変化するが(たとえば平叙文が疑問文になったり、皮肉な響きを伴わせたりはするが)、それは機能の変化であって、複数の意味を平行して伝えるわけではない。たとえば「男が」と言いながら、抑揚やアクセントによって「行く」を伝えることはできない。いっぽう手話には、主体と動作を同時に伝えることができてしまう。
▼手話で、指示語はどう使われるか。たとえば、「お土産」という所作をした後、その荷物をとったり忘れたり移動させるとき、いちいち「お土産」の動作をする必要があるのか。どうやらそうではないらしい。お土産をめぐるひとつのエピソードを語るときは、お土産は目の前の空間の特定の位置に置かれ、その位置がお土産の場所となる。その場所で指し示されたり、その場所で(その場所から)操作されるものが「お土産」となる。▼目の前の空間に登場人物や事物を配置し、それを操作するしぐさは聴者でも見られる。となると、その方法には、ろう者と聴者でどう違いがあるか。
▼飲み会で、自動車事故って特別だよね、って話。自動車事故って、交番に死亡者の表示があって、毎日「死亡者何人」って表示されるけど、ああいう現象ってほかにない(「マイクロ・エシックス」参照)。たとえば、インターネットというメディアが原因で死亡する人がいたとして、それが「インターネット死亡者●名」って掲示される可能性ってまずない。でもそれってヘンじゃないか。たとえば、インターネットにアクセスしたとたん、「昨日インターネットで死亡した人は●名です」と表示されたらどうか。
▼菅原さんから「フリッカー」の話。
|