The Beach : May 2004


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20040531

 講義実習4発。実習は毎年恒例となったリュミエールの「工場の出口」鑑賞。今年は馬なしをまず三回見てもらってから、二頭馬→一頭馬の順番に三つのバージョンを見せたが、二頭馬が出てきたところでどよどよと笑いが起こった。毎年反応がよいのでもう確信をもって言えるが、リュミエールは笑える。リュミエールは楽しい。
 そのあと、TVドラマの会話シーンがいかにカットで分断されて構成されているかという話。さらにCMのシークエンス分析をやって最後はメリエス鑑賞。メリエスの短編は中盤の仰々しさで弛緩するのだが、それが終盤のたたみかけで一気にあっちの世界に持って行かれる。この終盤の加速度がすごいんだよな。
 さらに実験。今年の実験は例年に増しておもしろい。内容をシンプルにしたのが効を奏した。

 帰って飯作って食ったら気が遠くなるようにうとうとする。そのあと絵はがき原稿。アルプスの絵はがき史にはスイス革命と鉄道と観光と登山がからむので、これをいかに簡潔にやり過ごしながら絵はがきにもっていくかが課題。まだフィニッシュならず。
 このところタナカカツキさんのデジオナイトにぜんじろう氏が登場して、どんどん深みに潜っている。夜の潜水艦。毎晩の楽しみ。


 

20040530

 野瀬さんのところにおじゃまして引札をあれこれ拝見する。今日の収穫は明治三四年に彦根の川添氏が作った木版の引札に「私製絵はがき」の広告があったこと。当時の引札は暦を摺る関係上、前年の一ヶ月前くらいにはすでに原版を彫っていたに違いない。となると、この引札は三三年十月の私製絵はがき解禁を受けて、さっそく地方の刷り物一般を扱っている川添氏が商売を始めたことを示している。それにしても、この頃の木版引札に見られる暦の細かい彫りには、江戸以来の職人芸の冴えが感じられる。彦根にもそういう彫り師がいたということだろう。
 さらに絵はがき原稿。細かい史実の裏をとるのに手間取る。


 

20040529

 ようやく週末か。絵はがき原稿。

 

20040528

 朝、自転車をこぎながら大貫妙子の「色彩都市」をふと思い出す。自転車をこいでいると、体がある速度で動くせいか、ときどきこういう風に何かの曲が記憶にのぼってくる。
 ちょうど大貫妙子が「ヨーロッパ風」と評されてからあとの曲で、この頃から彼女のMやNやLの発音は独特のふくらみを帯び始めるのだけれど、「色彩都市」では、そのMやNやLのエレガンスで日本語がばらばらになってしまっている。

 

「はじ」「めて」「みつ」「けた」「たか」「らも」「のは」

 裏から入るメロディはかけらになって、単語をすべて分断している。まるでウェーベルンがアレンジした「音楽の捧げもの」だ。それで、続きはこう。  

「しょう」「ねん」「みた」「いな」「あな」「たの」「こ、と」

 この最後の「こ、と」。すごいなあ。ばらばらになったことばが最後に「こと」化する。スクラップブックが閉じられるような歌。

 実験の準備、実習。

 からだとこころ研究会は水野さんのボッソウ報告。死んでしまった子供をチンパンジーがずっと背中におっている話。それも1日や2日ではない。今回観察された母親は、数十日経ち、子供がミイラになってしまった後も、ずっと背負い続けていたという。途中から扱いはだんだんいい加減になってきて、タオルをひょいと背負うような感じになり、餌を食べるときなどは脇に置いているのだという。すさまじい話だ。
 子供の死体はすぐに単なるモノと化すのではなく、長い時間をかけてゆっくりとモノになっていく。それも、ただモノになるのではなく、特別なモノになる。生きていないけれど特別なモノ、という位相がチンパンジーにはある。それはある種の死生観といってもいいかもしれない。
 もうひとつ、枝をあつかう対象操作については「ジェスチャー論」にメモ。

 

20040527

 さんざひっぱった押井守論を朝メール。
 時間がかかったのは、「イノセンス」にどうも釈然としない感じがし続けているからだろう。釈然としないことは、悪いことではない。押井守のアニメは、解けるというより考えさせる。バセットハウンド犬は3D化しえない。だからイノセンスはフル3D化しえない。アニメは3Dに解けない。二次元で考えさせる。あ、このフレーズ、原稿に使えばよかったではないか。校正に入れよう。

 実験の準備。毎年、新しい実験をする時期になると気がそぞろになる。ゼミ生と実験室で話しながら細かいところをつめていく。ホームセンターと100円ショップは実験の準備に欠かせない。マイクの不調が気がかり。6,7月はジェスチャーのことばかり考えることになりそう。

 帰って飯を作って食ったらもうぐったり。
 ユリイカが届いていた。今回は絵葉書とセルロイドの話。ところで、「セルロイドの人形にだって魂が宿るんだ」というセリフが「攻殻機動隊」にあるんだけど、じっさいのところ「セルロイドの人形」に触れたことのある押井ファンってどれくらいいるんだろう?
 今月号が届いたということは来月号の〆切が来たということだ。まだ一文字も書いていない。今週末が正念場だな。とりあえず資料を読み直してエンジンを暖める。

 松岡正剛の「枕詞」の話。この「イメージの落下傘」というとらえ方はまさしく、ジェスチャーで人が手をぽんと前に出すときに起こることに近い。

 枕詞はたくさんありましたが、その用途は、たとえば「久方の」といえば「光」や「天」をめぐるイメージが見えたり、「垂乳根の」といえば「母」や「親」に関するイメージが出てきたりするということです。
 これはコンピュータ用語でいえば、いわばパスワードのようなもので、できれば一つの枕詞はそれなりに限定したイメージを誘い出してほしかっただろうと思われます。けれども、一対一の関連だけでは困るのです、一つの枕詞から光なら光の、母なら母のいくつものイメージが出てほしいと考えたはずです。いわばこの枕詞というパスワードによって、ばっとイメージの落下傘がそこに開いて、その次の、たとえば「久方の」「光のどけき」というふうに進むにしたがって、だんだんイメージとメッセージが絞られていくというような言葉使いの方法が必要とされたのでした。
 (松岡正剛「おもかげの国 うつろいの国」NHK人間講座テキスト)

 

20040526

 講義講義ゼミ。午後の大学院の講義ではジェスチャー分析についてひとくさり。長いことジェスチャーに関するメモを書いてなかったので、ちょっと走り書きしておく。

 

20040525

 バラバラに撮影した三つのカメラ映像を同期させるプログラムをあれこれ試す。いちばん単純な方法はapplescriptで、各movieファイルに、せーの、で再生信号を送るという方法。しかし、movieが重たいとすぐにずれてしまう。
 てなことをするうちに昼の会議を忘れてしまい、実習の時間がやってきてしまう。今日はあるテーマで15分ほど雑談をしてもらってその解析。どんなデータを見せられても、そこからジェスチャーが生成する過程について、なんらかの発見を引き出すことはたいていできるようになった。あとはそれを系統だててやるだけだ。ほんとにジェスチャー分析をしているときは楽しい。
 帰って押井守論(まだひっぱっている)。
 物憂さをなぐさめるべく、「淑女は何を忘れたか」を久しぶりに見る。ひじ鉄砲をでーん。あの、奥さんと和解したあとの、新聞をよよよとバランスするところはあらためてすごいな。無意識がもれている。

 

20040524

 月曜。例によって4コマ。情報室のアクセスにまだあちこち不備があるようだが、もうそれを直す気力が残っていない。原稿も仕上げなければならないがまた明日。帰って飯を食ってじきに寝てしまう。

 

20040523

 絵葉書原稿の資料がようやく揃ってきた。浅草十二階を書いていたころもそうだったが、書き出してようやく何が必要かがわかってくる。そこに新しい資料がぽんと登場する。資料の発見というのは、常に見つける側のタイミングを要する。

 倉谷さんから電話。押井守の話など。「実相寺昭雄の『怪獣墓場』でフジ隊員が魚眼レンズで映ってるのって、どういうアングルで撮影されてたんだっけ?」というような。

 

20040522

 樹木医の葛目さんとお連れの方(名前を失念してしまった)、そして柴田さんと、絵葉書のコピーを頼りに楽々園、玄宮園を歩く。朝の9時半から始めて終わったのは3時。葛目さんは樹影を見ただけで「これはマキ」「こっちはクロガネモチ」と言い当てられるので、みるみる絵葉書のコピーは書き込みだらけになる。
 ひとつひとつ風景をチェックしていくと、楽々園と玄宮園だけでもあちこち発見がある。今回よくわかったのは、もともとこの二つの敷地は地続きで、お互いがお互いを参照し合う構造になっていたということ。楽々園の枯山水からは玄宮園の水の世界を見越し、その境界には丈の低い蓮が植わっていた。逆に玄宮園の池ごしには楽々園の砂地が見えた。そしてこの関係が、おそらく、琵琶湖の浜と沖の関係に対応していた。そして、両者の間には浜の象徴となる松がそびえていた。
 この見事な景観は、現在はない。二つの敷地は分離され、そこにはさつきやら外来種の黄しょうぶやらが植えられ、土手が盛られ、互いが互いを分かつ格好になっている。見事な松も、なぜそこにあるのかその意味がふさがれてしまっている。
 夫婦橋にかつてあった松は、枯れてしまったのか切り株だけになっており、その反対側に松が植えられているのだが、この位置では、向こうにある木橋のヴィスタがふさがれてしまっている。どうも、玄宮園の造園は、どこかの時代で仕事が狂ってしまったのではないか。目の前に鮮やかな樹木を配置することに腐心するあまり、奥行きに対する配慮がを失ってしまったのではないかと思う。

   押井守特集に書こうとして途中で終わった話を載せておく。

「犬の知・鳥の領域」

 人気のない大通りを歩いていて、犬に出くわす。首輪はあるが主人は見あたらない。犬は、わたしと同じ方向に歩いていたが、立ち止まってこちらを見る。
 そのとき、いつもは主人に尾を振っているであろう犬が、主人のあずかり知らぬ大切なことをこちらに漏らしているかのように思えて、黄昏が急に胸にこたえてきた。たぶん、わたしはこの犬とずっと暮らしていたのだ。

 そこでなぜか思い出したのは、ある金融会社のCMに登場したチワワだった。繰り返し届けられるもの、けして好きではないはずのものが、どうしてこんなときに思い浮かぶのだろう。

 わたしたちは、CMが一企業の業績を伸ばすための道具に過ぎないこと、そして動物と子供こそ、そのもっともわかりやすい常套手段であることなど百も承知のはずである。にもかかわらず、ポスターやCMの中で繰り返される犬のまなざしにあっさり惹きつけられてしまう。いかに映像が作りものであるとわかっていようとも、自分の情動に身を委ねてしまう。CMがきっかけで、チワワの売り上げは飛躍的に伸びたという。品種改良の末に人間の目を惹きつけるための体型を持つにいたったその愛玩犬と同じ風貌の犬を、家族の一員に引き入れたくなる人も少なくないということなのだろう。
 これではまるで、「攻殻機動隊」の清掃局員そのもの、バセットハウンド犬の悲しいまなざしにかけがえのない家族の姿を見出してしまうあの男と同じではないか。そういえば、チワワ犬のまなざしに見入るうちに魅入られてしまう初老の男のCMはのちに連作となり、愛娘を嫁に出した男は、しだいに娘の代わりとなったチワワに現実離れした人間らしい振る舞いを見出すようになり、いっぽうチワワは家の外で「融合」相手を見つけ、自分の無数のコピーを連れ帰ることで、男をさらなる混乱に陥れるのだが、複製のもつ微細な変異によって情動が繰り返し揺さぶられ続けるというこの展開は、もはや、単なる偶然とは思えないほど押井守的である。この現実はすでにして押井作品のコピーではあるが、しかしなんと安い現実だろうか。

 押井守のアニメーションには鳥の群がしばしば現われる。鳥は犬のようにこちらを見つめるのではない。わたしたちの背後を舞い、べたりとした幕のような空に、空間を招き入れ、面を攪乱する。
 おそらくわたしにそのとき必要だったのは、一切を引き裂く鳥の群れだったのだろう。


20040521

 朝、講義がないのでベルロードをてくてく歩いて橋本商店街へ。ベルロードには、歩いている人はほとんどいない。その割に車はひっきりなしに通る。車で移動することを前提にした通りは、看板も店構えも車サイズになる。どうもがさがさして散歩向きではない。芹川沿いに行くまでの辛抱だと思って歩いている。
 途中で自転車のかごの縁いっぱいにせんたくばさみをつけ、荷物を積んで押してくるおばあさんがいてふうっと目が引かれると「いまなんどきですかいの」と尋ねられた。あたりにはぼくとおばあさん以外、地に足をつけて移動している人はおらず、歩く同志という感じである。10時54分だったが、それを10時55分と答えるべきか、それとも、もうすぐ11時ですと答えるべきか迷って、けっきょく「10時50分です」と四捨五入してしまった。てくてく歩く人にとって必要な時間の正確さとは、どれくらいなのだろう。

 野瀬さんのお店へ。昨日置いてきた自転車を取りに来たついでにほんのご挨拶でも、と思ったのだが、またまた紙ものの話になり、時計がいっせいに正午を知らせ始めた。
 立花町のすぎもとへ。昔、彦根の滋賀大に通っていた弟が「夫の心得、妻の心得」のびっしり書かれた湯飲みをくれた。そこには「立花町すぎもと」とあるのだが、あんまりびっしり文字が書かれているので、その湯飲みは架空のテキストのようで、立花町すぎもともなんだか架空の名前かなと思っていたのだが、立花町は確かに彦根に実在するし、立花町を自転車で走っていくと、すぎもとも実在した。使い込まれた4人がけのテーブルがぽんぽんぽんと3つ置いてあり、新聞と週刊誌があり、ぼくの理想とする定食屋に近いたたずまい。チキンライスを食べて満足。
 大学に戻って実習。原稿。


20040520

 午前中の実習でジェスチャーのデータを取る。マイクがうまく機能せず難儀する。もう最近は、どんな会話を見てもおもしろい。どんな雑談にもみどころはいくつもある。
 雨模様だが、橋本商店街の野瀬さんのお店へ。絵葉書の話に始まり、初日カバー、引札、錦絵と紙物の話。
 野瀬さんのお店は時計店で、話の最中に店中の時計が時を知らせ出す。野瀬さんは慣れておられるのか、あちこちで時計が鳴ってもごく普通に話し続けられる。話が時計によって駆動しているような、不思議な感じがする。結局、時計の大合唱を二度聞き、あっという間に二時間が過ぎて、野瀬さんに大学まで送っていただき、講義に滑り込む。

 夜、サーバのユーザー環境の修復で夜中まで。なんとか各ユーザーのフォルダと共有フォルダの設定が完了した、と思う。結局いちばん難儀したのは、各人のプロファイルと専用フォルダのアクセス権がむちゃくちゃになっていたおかげで、これを揃えてまっとうなバッチ処理をするのにかなり時間を費やした。

 野瀬さんからお借りした資料を読み、さらに調べ物をしてから寝る。


20040519

 講義講義ゼミ。
 松村さんの、英語学習者によるジェスチャーのデータを一行ずつ、というより一単語ずつ検討していく。松村さんはこれまでWindows Media Playerで再生していたらしく、発話のプロトコルはよく書けているのだが、発話とジェスチャーの関係についてはまだツッコミが足りない感じだった。じっさいにジェスチャーのオンオフを細かく区切って見ると、データはまったく違う性格を帯びてくる。人はなぜ指を組んだり腕を組むのだろう、ということを考える。両手の指を組んだり腕組みをすると、次に行なうジェスチャーがやや限定される。これはじっさいマイクロ分析をするとわかるのだが、まず指や腕を解く、ということが起こり(この「解き」がことばによってなんらかの意味を付与されているように見えることもある)、そこからやっと、表象的なジェスチャーへと移る。この、準備運動のような「解き」は、「これから(なにかはわからないが)表象をするぞ」という予告ジェスチャーのようにも見えておもしろい。投射の始まり、とでもいうべきだろうか。
 昨日、今日と、ジェスチャーを見るゼミが続いたが、やはりひとつのセッションを最初に見るときにはたくさんのことを思いつく。もっとデータを見る時間がたくさんあるといいのだが。


20040518

 実習にサーバメンテ。結局、学部の懇親会もパスして情報室にこもる。夜中にさくさく喫茶店で仕事、と思ったらフロア掃除とやらで1時に追い出されてしまう。ビールを飲んでTV。
 フジテレビ系で、明日の予告トリビアというのをやっていた。「千円札の漱石の写真は・・・」で予告終わり。ぼくの予告ならぬ予測トリビアは「葬式の帰りに撮影された」。漱石は明治天皇の葬列の帰りに知人たちとこの写真を撮影した。ちなみに補足トリビアだが、撮影した小川一眞は、日本ではじめて美人コンテスト写真を撮ったことでも有名である。
 あー、やめやめ。そんなトリビアより、以前に書いた念仏を再び書いておく。

 漱石は明治の前年に生まれた。だから漱石の年齢は満で数えると明治の年号と一致する。明治33年、33でイギリスに渡り、35で自転車の練習を始めた。37で『吾輩は猫である』の最初の部分を書く。38にその猫伝の続きを書きながら『倫敦塔』、39で『坊ちゃん』『草枕』『二百十日』『野分』を書いた。40の春に大学をやめて朝日新聞社に入り『虞美人草』。41で『坑夫』『夢十夜』『三四郎』、42で『永日小品』『それから』。恐るべき二年間だ。43の年、『門』を書いたあと修善寺の大患、東京に戻り病院暮らしをしながら『思い出す事など』を書き始めた。44で胃潰瘍と痔に苦しみ、45の年の正月から『彼岸過迄』、九月に写真を撮り、痔の手術をした。秋風や屠られに行く牛の尻。年末から『行人』を書き始め、46になり、神経衰弱と胃潰瘍で中断しながら晩秋に完結した。47で『こころ』、48の年の正月から『硝子戸の中』、6月から『道草』、49の年の5月から『明暗』の連載を始め、11月に中断、12月9日に死去。

 静かに、息を確かめるような一年一年だ。ここには希釈するようなことは何もない。


20040517

 月曜。そろそろ頭がバーストしかけているが、へとへとこなすぜ。「こころの自然誌」では、以前神戸で撮影してもらった自分のfMRIを見せる。Macのプレヴュー画面で各層をざーっと連続して見せるとほとんど動画になる。「はい、頭頂部にさしかかりました」「目が見えてきました。小脳の頭も見えますねー」「眼底部ですー、大脳辺縁系が伸びてますねー」などと、ほとんどバスガイドである。脳内観光とはこのことか。しかも断層写真の実体とその中身が教壇に立っているので、生々しいことおびただしいに違いない。アップにすると「ぎょえー」という声が起こっていた。
 実習ではブラインドの使い方と窓の開け方のマニュアルを書いてもらう。自分が無意識のうちにできることや間違うことをいちいち言語化するというのは意外に難しい作業である。無意識に行なっていることに気づいてもらうには、その人が成功したり間違うまさにそのときに指摘してあげる必要がある。マンツーマンなら簡単だが、教師1学生30の演習ではなかなか目が行き届かない。それでも、最後のほうはずいぶんマシなマニュアルができた。


20040516

 今日は自転車ツアーの予定だが朝から雨。午前八時に中止を決定。しかし展示があるので9時前には市民活動センターへ。今日は閑古鳥状態かと思ったが、意外にも10時を回ると人が来始める。それもかなりの強者の方々ばかり。なかでも驚いたのは橋本商店街の野瀬さんで、話すうちにこの方が引札をはじめとするそうとうな紙ものコレクターだということがわかってきた。なんと昨年の夏以来謎だった、日英絵葉書交流のキーパーソンの人物像がみるみる明らかに。さらには、写真館の渋谷さんには、コロタイプ写真の修復方法をわかりやすく教えていただく。さらにさらに近藤さんとおっしゃる方が、「じつは祖父が集めていた絵葉書があるのでお見せしたいのですが」と紙箱入りの絵葉書を持参され、拝見すると、喜多川周之氏がかつて歴史読本で取り上げていた見事な木版絵葉書で、これまた驚いた。
 雨ではあったが、三時まで飯もほとんど食わず、ひたすら人と話す。今日一日で一気に彦根絵葉書コネクションが広がった感じ。つくづくイベントは打ってみるものである。

 夜、押井守の旧作「迷宮物件」を見て寝る。

 

20040515

 大阪行きのJRの吊り広告に「旅サプリ」なる雑誌の広告が出ていて、「旅までサプリかい!」と驚いた。なぜ、人々は露骨にサポートされるのではなく、さりげなくサプリメントされたいのだろうか。ビタミンもアミノも露骨にサポートされたのではダメで、サプリメントなのだ。基本的には好きにしたいのだが、その好きを邪魔されないようにこっそり補われたいという感覚。支援の存在の気配を消しつつ、しかし支援の効果は欲しい。  と思ってボトムアップ人間関係論研究会に出ると、尾見さんの「ソーシャル・サポート」に関する発表があったので、ソーシャル・サプリ、ってのはどうだろう、という話になる。たぶん「プリ」って音の響きがつるんと切れ上がっていて、「ポート」のような引き延ばしがないところが受けるんじゃないでしょうか。
 そのあと、松嶋さんの「生徒指導」の先生の物語。集団/個人、未熟な生徒/対等な人間のあいだを揺れ動く談話。どちらかに固定する、というのではないところがおもしろい。  宮崎さんの自死遺族の心理過程の話。個別的な話から何を抽出するか(もしくはしそこねるか)。聞きながら「残念」ということを考える。念が残るというのはどういうことか。

 飲み会に少し参加して明日のために帰宅。電車が遅れて帰るとすでに1時を回っていた。


20040514

 とりあえず押井守原稿を5枚ほど書いてみるが、途中で気が変わりつつある。これに限ったことではないが、5枚くらい書くとすぐ別の枝葉を思いつく。しかも枝葉に行くとなかなか戻ってこれない。10枚くらいの原稿だと、別の枝葉に行ったままで終わってしまう。前の田中小実昌のときもそうだったが、10枚というのはなかなか難しい。たぶん、人によっては1時間くらいでクリアできる分量だろうと思うが、ぼくの場合、どうもまとまりがつかない。
 絵はがき展、もうほとんど上田くん、塚本くんをはじめ武邑研の面々にまかせっきり。こちらの思わぬアイディアが次々出てくるので、まかせるのが楽しい。


20040513

 ゼミに講義。夜、10年ぶりくらいに「パトレイバー2」を見る。パトレイバー2から攻殻機動隊への絵の進化は改めて凄いと思った。


20040512

 朝、研究室のメールボックスにチラシが入ってるのでとりだしてみると、おお、これはすごい。絵はがきチラシだ。上田くん、気合い入ってるな。どうやら武邑先生にも動き始めていただいている模様。学科を越えて絵はがき策動の予感。
 京都新聞朝刊の「双曲線」に「一枚の絵はがきから」掲載。
 講義講義ゼミ会議。ユリイカ校正。


20040511

 睡眠中のみなさまを置いて大学へ。午前中、「わたし、琵琶湖の漁師です」の戸田正直さんの講義。昼飯は持ってきていただいた佃煮に白飯。淡水魚を食ってるとき、なんか「頭が戦ってるな」という感じがする。普段と明らかに違う味覚領域を頭の中に作ってる感じ。
 心理学ゼミ第一回。なんか話の流れで、会話分析ゼミをやることになってしまった。この上仕事を増やしてどうするのだ。

 忙しいときほどそれに見合う解毒剤を必要とする。DVDをいろいろ借りてくる。「ボウリング・フォー・コロンバイン」(まだ見てなかった)。語弊のある言い方をあえてすればよくできたエンタテインメントだと思った。事実の符丁をリズムで合わせていく。そのリズムがすごくいい。最後のチャースルトン・ヘストン宅訪問はほとんど演出目的のイヤミだと思ったが、それも含めておもしろい。  そろそろ「別冊文藝」の押井守特集の原稿のことを考えようと思い「攻殻機動隊」。「攻殻機動隊」から照射すると「イノセンス」には別の味わいがある。ちゅうか、「攻殻機動隊」を見ないとほとんどわからんよ。パトレイバー2がパトレイバーに依存していなかったのとは対照的である。それはそれとして、面の問題についていろいろ考えるところがあったので原稿はなんとかなりそう。


20040510

 月曜は4コマ連続。へとへとこなすぜ。まず「こころの自然誌」は、ウェルニッケ、ブローカー野から始めて脳構造の基礎。「コミュニケーション論」はGoodwinの失語症のデータを見せながら、会話が外に開いているという話。「心理・発達・行動演習」では、マメ科の花の構造を見て、雨なので急遽雨音を聞くブラインド・ウォークをやって、それから学内インターフェース調査。すっかり頭がじんじんする。

 彦根風景探偵の上田君たちが彦根絵はがき調査の途中経過を携えてやってくる。彼らの行動力にはほとほと感心している。一週間すると次々と新しい話題が広がっていく。とにかく話を聞くのが好きなのだな。
 いきなり彦根市史や観光課をおさえるのでなく、まず町の人の話を聞くという手順の踏み方もいいと思う。上田君と「最初から正解に行くのはおもしろくないんだよね」という話。たとえば「探偵ナイトスクープ」が番組として成立するのは、いきなり正解に行かないからなのだ。正解がおもしろいのではなくて、むしろ日常の疑問質問に対して、ふつうの人がどういう答えを想定しているかがおもしろいのである。

 家に戻って、ジェラルド、万里子ちゃん、ゆうこさんと外飯。そのあとジェラルドの「展覧会」。「展覧会」といっても、机の上に彼のスクラップブックを広げて見せてもらうというもの。チラシや走り書きをどんどん切り抜いてスクラップしていくんだけど、それがじつに天衣無縫というか、ぎりぎりで作為がない。明らかに由来があるのに由来から切り離されている。だから由来を問いたくなる。というわけで、ジェラルドに事の由来を聞くページを作りました。っちゅうか、ジェラルドのページってのを作ったので見てくださいな。


20040509

 認知心理学会二日目。午前は乾さんたちの幼児期の言い間違いの話の口頭発表。最近読んだ寺尾康さんの「言い間違いはなぜ起こる」(岩波書店)とも関係するが、言い間違い研究と会話分析の「修復」概念との接点を模索したいところだ。おそらく「間違い」個所を同定するという考え方にその鍵があるだろう。
 昼に伝さんと飯を食う。wavesurferがじつは日本語入力ができるというTIPS。手元のPowerBookでは成功しなかったが、このソフトで日本語が使えれば鬼に金棒である。
 午後は感情・自己、コミュニケーションのセッションに。南部さんたちがやっておられる看護現場のデータはICレコーダで100時間ものデータがあるそうで、これからの解析が楽しみだ。セッションの合間にさかさ眼鏡の吉村さん、荒川くんと話。吉村さんとしゃべっていて、自己イメージとジェスチャー、という新しいテーマが始まる予感。
 睡眠不足もあって頭がじんじんしてきたので、プログラムが終わったらさっさと帰る。

 夜半前、万里子ちゃんとジェラルド来訪。ジェラルドは、フランスから来たサイクル野郎で、三月に日本に来て以来、あちこちを自転車で回って野宿したり居候したりしながら、スクラップブックに絵やら文字やらをどんどん貼り込んでいくという生活をしている。箱根も自転車で越えたんだそうだ。フランスやベルギーで個展をやってるらしいんだけど、なんか「アーティスト」とか「個展」という感じと無縁な感じ。長身なんだけど小さい赤いランドセルを背負っているところが、絶妙にキュート。


20040508

 認知心理学会一日目。同志社の新しい学舎はスペースの取り方がぜいたくでうらやましい限り。午前は空間・イメージのセッションを聞いて、午後は斉藤さんと飯を食べながら話、さらに村上さん、山本さんが加わってまた話。シンポジウムでは「修復をとらえなおす」というタイトルで、「言い間違い」「やり間違い」観を捉え直しながら、ことばと身体の相互作用について話す。乾さんに質問を受ける。乾さんとお話するのはものすごく久しぶり。

 夜、斉藤さんに連れられてシンポジウムの発表者で鴨川端の川床へ。ちょうどいい陽気で、ビールに焼酎を飲み進める。あんがい今くらいの気候がいちばん川床が快適なのではないか。いささか飲み過ぎた。長浜ラーメンを食ってシメ。


20040507

 京都新聞の原稿。絵はがき連載の図版。身体資源の英語アブストラクト。夜になってようやく明日の認知心理学会のpptを作り始める。


20040506/a>

 モモさんのページで教わったタナカカツキのデジオナイトがなんともいえないおもしろさで、結局全部聞いてしまった。番組のスタンスを決めるプロセスまで番組になっているところが楽しい。近所をはばかってか、声をあまり張らないところも「夜」な感じ。

 なぜか相方が買ってきた坊ちゃんの文庫本を読んでしまう。他人の読んでいる本はなぜすらすら読めるのだろう。
 日清戦争期とおぼしき「坊ちゃん」の日々のあとには、街鉄の車夫になり清と暮らした年月、そして日露戦争と清の死がある。現在と「坊ちゃん」の時代のあいだには、松山ほど快活ではないが微細な生活の時間が横たわっている。いっぽう未来には清のいるお墓が待っている。そういう立ち位置から語り手は自分の過去を眺めている。


20040505

 休みだが広々とした研究室へ。彦根風景探偵のページを立ち上げる。5/16には自転車で彦根名所を巡り、絵はがきが撮影された場所(カメラマンが三脚を立てたであろう場所)にできるだけ近づく試みを行なう予定。ご希望の方は探偵ページまで。
 原稿、レジュメ書き。


20040504

 上田くん、塚本くんと雨壺山へ。手元にある「彦根全景」の絵はがきの撮影場所を特定するため。雨が強くて難儀する。雨壺山は彦根と南彦根駅の中間くらいにある小さな丘なのだが、緑が多く、歩き回ると意外に広い。竹藪を抜けたり裏道を通ったりすると、足下がびしょびしょになる。どうも撮影された明治大正期とは竹の茂り具合がまるで違っており、絵はがきのような光景はなかなか得にくかった。結局、長久寺の上のお堂から撮ったのでないかと考えられたが、現在はその方角に孟宗竹がかぶっていて景色は開けていない。
 そのあとご近所で聞き取り。といっても聞き取りの達人である上田くんにまかせてぼくは後ろからついていくだけ。上田くんが初対面の相手に自分の話を切り出すときの間合いは独特で、「ちょっとよろしいですか」と切り出して「はい」と相手が応じるようなとまどうような返事を返すや、端正な風貌ですらすらと自分の目的を述べながら、手は早くも資料を取りだし始めている。この、体のあちこちが同時に動きながら相手の注意を惹きつけていく感じは独特で、先方もいつの間にかわらわらと動き出して奥のおじいさんやおばあさんに取り次いでくれたりする。この過程が、端で見ていてもじつに手慣れているというか、ノーストレスな感じで気持ちがよい。


20040503

 連休前に研究室に据え付けの本棚が来たので、矢野くんと藤井くんに手伝ってもらって部屋の大改造に臨む。貯まりに貯まった会議録などをばんばん捨て、パソコンを廃棄する。模様替えというよりはゴミ出しと書類の分別に追われた。午後1時に始まって途中喫茶店でぼんやりして終わったのが7時。
 ぼくが部屋の真ん中で何も考えが思い浮かばずにぼうっとしていると、藤井くんが「これはここに置いたらいいんじゃないですか」とナイスアイディアを出してくれる。文庫や新書が並んでいると全部出版社別に並べてくれていたりする。ぼくはこういう作業をやると3分で煮詰まるのだが、彼は3分くらいでやってしまう。じつに助かる。

 本棚が気持ちよくスカスカになったので、「棚を作る」というのをやりかけるが30分ほどでギブアップ。ぼくはよく作られた棚を見るのは好きだし、本屋で置き場所が気にくわないと別のところに置いたりするくらいなのだが、いっぽう、自分で棚を作るのはまったく苦手だ。

 気分転換に長らく棚の上のほうに置きっぱなしにしてあった小林秀雄全集(実家で妹か母かが突然買うと言い出して買ったもので、しかし誰も読まないので引越のときに引き取ってきたのだ)を机からすぐ見える位置に置いて「様々なる意匠」を読み始めたら、つくづく思い当たることばかり書いてあって、今さらこんなことを言ってると笑われるかもしれないけど、やはり小林秀雄は凄いなと思う。

 然し、尺度に従つて人を評する事も等しく苦もない業である。常に生き生きとした嗜好を有し、常にはつらつたる尺度を持つといふ事だけが容易ではないのである。

 芸術家達のどんなに純粋な仕事でも、科学者が純粋な水と呼ぶ意味で純粋な者はない。彼らの仕事は常に、種々の色彩、種々の陰影を擁して豊富である。この豊富性の為に、私は、彼等の作品から思ふ処を抽象することができる、と言ふ事は又何を抽象しても何者かが残るといふ事だ。この豊富性の裡を彷徨して、私は、その作家の思想を完全に了解したと信ずる、そのとたん、不思議な角度から、新しい思想の断片が私を見る。見られたが最後、断片はもはや断片ではない、忽ち拡大して、今了解した私の思想を呑んで了ふといふ事が起る。この彷徨は恰も解析によつて己れの姿を捕へようとする彷徨に等しい。かうして私は、私の解析の眩暈の末、傑作の豊富性のそこを流れる、作者の宿命の主調低音をきくのである。この時私の騒然たる夢はやみ、私の心が私の言葉を語り始める、この時私は私の批評の可能を悟るのである。
 (「様々なる意匠」)

 ああ怖ろしい。「芸術家達の純粋な仕事」というのが「人々の会話」と読めて、そら怖ろしい。話者たちの宿命の主調低音をきくほどにデータと向かいあえているのか、と、この文章はこちらに問いかけてくる。鋭い文章は、自分の声になって自分に分け入ってくる。

 夜中過ぎ、TV番組を見る気にもならず、小津安二郎「彼岸花」。二十年ぶりぐらいに見たが、ずいぶん以前と見え方が違った。佐分利信演じる平山が中華屋で文子(久我美子)に先に失礼されるところが、なんというか、間接的に娘と同盟を組み損ねたように見えるのだが、そういう感じに20代の頃は鈍感だったように思う。別に娘がいる身ではないのだが、年を重ねると、なぜかそちらの身になるということか。
 最初見たときにいちばんぶっとんだのは終盤、笠智衆が長々とうなる詩吟の場面で、すごい前衛!と思ってみていたのだが、いま見るとじつにしみじみとした鎮魂の場面である。アサヒの瓶ビールが二本並んで透いているのが、そのまま戦争で歯が欠けた同窓会に見える。小さい頃、両親や親戚の大人がこうした詩吟や軍歌を歌うのを何度も聞いて育ったから、戦後になってこうした歌が歌われるときの大人の感情の動きには、なにかしら思い当たることはある。
 今回見ていちばんぐっと来たのは、平山家を訪れた佐々木幸子(山本富士子)が、廊下をぐるりと回ってピアノの音のする方角に移動するところ。というか、山本富士子がぐるりと回ることで、部屋に輪郭ができ、音環境ができるような感じなのだ。このあとのシーンで浪花千栄子演じる佐々木初の動作が対照されているのも楽しい。ほうきを直してお手洗いに行くのだが、これが終盤、田中絹代が同じ廊下を歩くときの動かないほうきに効いている。
 この映画に出てくる女性はみな腰が軽くて、彼女らが動くことで家が出来上がる。この、女で出来上がった家を逆光学すると、保坂和志の「カンバセーション・ピース」になる。


20040502

  グレン・グールドの「The Alchemist」の冒頭に、彼が父親につくってもらったという、ぼろぼろになった椅子に座ってバッハのパルティータ6番を弾くところが出てくる。グールドというとうつむいてピアノに貼りつくみたいに弾いているようなイメージがあるけれど、じっさいはとてもダイナミックに体を動かしている。
 その体を支えているのは、布張りが取れて骨組みだけになった椅子で、それもおそらくは、彼の座骨のとんがりをその椅子の骨にちょんと乗せているだけだ。ピアノに触れている手は、あの、電気に触れるような指離れによって、いくつもの音色に分かたれていく。右手だけになったところで左手が指揮を始めてまた加わっていくところには、左手で旋律の風を送りながら自らもその風にのっていくような凄さがある(グールドは歌うだけでなく、よく指揮をする)。
 先週の講義で、体がオルガンでできていて、そのオルガンがオルガニックにオルガニズムを作ってしまうという話をしたときに、この、座骨で支えられたグールドの体の話をしてパルティータを流した。

 今日、インヴェンションの1番を弾きながらグールドの真似をして旋律を歌ってみたのだが、右手の旋律は歌えるのに左手の旋律を歌おうとすると右手がひっぱられることに気づいた(ぼくは右利きなので左手の動きが鈍い)。それで、右手のパートだけを弾きながら左手は動かさずに口ずさむというのをしばらくやってみると、これをやるには右手を信頼するというか、勝手に弾かせておかないとうまくいかないことがわかった。自分を信頼する側とされる側とに自分が分かれて、さらにそれを意識しつつあるというのは、あまりこれまでやったことのない体の使い方で、ちょっと時間がかかる。
 これをやったあとは不思議と、パソコンのキーボードを打つ手が旋律的になる。


20040501

 このところ、またピアノを弾く時間が増えてきた。冬のあいだは何日も弾かないこともあったのだが。
 あいかわらず弾き通せる曲はほとんどないが、それでも日に2時間、3時間くらいは弾いてしまう。最近よく弾こうとしているのは、バッハのインベンションの1番で、これは小学校の頃、妹がよく練習していて、正直もう二度と聞くもんかと思うくらい聞いた曲だが、これを弾くのがおもしろくなってきた。右手と左手がかわるがわる動きだして、やがて二つの思考の線ができる。といってもオーウェルの二重思考のように裏表がはっきりしているわけではなく、どちらからでももう片方の思考にたどりつけるようで、しかしくっきりと分かたれている。下手くそなので、指定の速さの倍くらいの遅さでやっと鍵盤を押さえることができる。それでも、中ほどで左右の手が同時に動くところでは、うまく音色が弾き分けられない。弾き分けられないが、譜面を見ながらああでもないこうでもないと試すうちに、体が二つの線に感染してきて、ピアノから離れたあとも注意が多声的になっている。動作が線になり、文字を打つ手が柔らかくなる。ただ動きが軽くなるだけではなくて、なんというか、動きから動きに移る新しい道が見つかるような感じ。ピリスの境地にはほど遠いが、 情動 emotion による組織化 organization 、というのはこういう感じから始まるんだろうな。

 昼飯を食いに立花町へ。以前から噂の高かった「松吉」に行ってみたがここのうどんはほんとうにうまかった。つるつる食べるというよりは口の中で何度も噛んで味わう。釜揚げうどんにもそば湯がついてくる。
 陽が暖かくなり、芹川沿いには今年生まれたシマトラの猫がわらわらと出てきてベンチで憩う大学生になついていた。最近、この川沿いには「無責任に餌を与えないでください」と猫迷惑を訴える自治会の看板が出ている。ここにも「責任」問題か。川沿いの猫は息の出し入れとともに腹が動いて、「ロビンソン」みたく抱き上げて無理矢理に頬寄せたくなる。「ロビンソン」の歌詞は「無理矢理に」というところがいいんだよな。情動は責任より速く、相手の委細に構わず体を貫く。