朝イチの新幹線に乗り東京経由熊谷、ひと駅戻ってJR行田。昼前についた。
駅前でラーメン食いながら花袋の「田舎教師」を読み直す。そう、行田といえば「行田文学」であり「田舎教師」である。熊谷、行田、羽生、いままで見知らぬ土地だったが、こうやって熊谷から行田まで移動しただけでも、「五年間の中学校生活、行田から熊谷まで三里の路を朝早く小倉服着て通ったことももう過去になった。」(田舎教師)というフレーズが現実味を帯びてくる。花袋の文章は、ただ読んでると退屈なところも多いが、現地に来ると妙にしみる。花袋の退屈さの多くは、固有名詞の羅列から来る。しかし、その固有名詞を持つ土地を一度訪れると、不思議とその文章から愛着が感じられるようになる。紀行文作家の名は伊達ではない。
タクシーの運ちゃんの話では、例の「ものつくり大学」はさらにひと駅東京寄りで、この辺にはないとのこと。「ゼリーフライ」なる名物の話を聞き、早くも期待が盛り上がったところで、行田郷土博物館。
ここには郷土の名士である小川一眞の資料がたくさんある。凌雲閣百美人の収められている「Types of Japan, celebrated Geisya of Tokyo」(Kelly & Walsh社、明治二八年)をスキャンさせていただく。このコロタイプ印刷の精度は当時としては画期的だっただろう。ゆっくり拝見できてありがたい。
その他、シカゴ万博の折に金子堅太郎から一眞に宛てられた手紙なども拝見する。この万博のために日本は「鳳凰殿」なるパビリオンを建てたのだが、それを紹介する英文のパンフレットが用意されていなかった。そこで、一眞はこれを作成、写真銅板で印刷し配布した。この銅板技術が後の「日清戦争実記」をはじめとする博文館の写真+テキスト雑誌へとつながっていく。
で、その手紙はというと、どうやら、鳳凰殿のパンフレットにけっこう残部が生じたらしく、それを引き取って欲しいという一眞の願い出を金子が断っている内容。
一眞を始め、行田から出ている名士の多くは幕末の下級武士の息子だ。学芸員の塚田さんの話によると、黒船来航の頃、忍城(おしじょう)の下級武士たちは、黒船の見回り方を勤めていたらしく、直接外国人を見て、その所持品も目にしていた。つまり、これら名士の親世代は、幕末にまっさきに異文化に触れていたことになる。おそらくはその珍しい話を自分の子供に聞かせただろうし、子供はその話から、あれこれの彼の地について想像の翼をはためかせたに違いない。
表は初夏のように暖まっている。塚田さんのオープンカーで、一眞の生家のあった場所に案内していただく。南西に延々と田んぼが続いている。それを見ながら、塚田さんが一眞の話をするのに耳を傾ける。
少しばかり建物がじゃましているが、その方角には富士山が見えるそうだ。黒船ショックに富士山。立身出世を夢見てもまるで不思議じゃない環境。
忍城の公園端に「ゼリーフライ」があったので、「あ」と言ったら塚田さんが止めてくれた。ビニルに入ったそれは、わりばしにくっついた小さなキリタンポのような外見。食べてみると、ん? 衣のないコロッケ? 中身はおからなんだそうだ。独特の手応えのない味。けっこう好きかも。
熊谷で降ろしていただき、ふとエスカレーターの下を見ると、馬鹿でかいパノラマ図がタイルになっていた。明らかに吉田初三郎のスタイル。と思ってみたらやっぱり初三郎のサインがあった。熊谷も描いてたんだな。本州南岸が絵の隅でU字型になってるのがすごい。
21:30には帰宅。NHKアーカイブスを途中まで見て寝る。
「婦系図」に表される口に含まれた機械としての酸漿。機械が手癖口癖になり、機械に淫する描写として。「うっかり」「舌の尖で音を入れる」に注意。
四辺を見ながら、うっかり酸漿に歯が触る。と其の幽な音にも直ちに応じて、コロコロ。少し心着いて、続けざまに吹いて見れば、透かさずクウクウ、調子を合わせる。
(中略)
眉を顰めながら、其癖恍惚した、迫らない顔色で、今度は口ずさむと言うよりも故と試みにククと舌の尖で音を入れる。響に応じて、コロコロと行ったが、此方は一吹きで控えたのに、先方は発奮んだと見えて、コロコロコロ。
(婦系図/泉鏡花)
夜、彦根銀座のACTで豊田勇造ソロ。ペシャワールの歌を十数年ぶりに生で聞く。
今期から一緒にコミュニケーション論を担当する崎山さんと話。部屋におじゃますると、戦前の南方研究の本がずらりと並んでいて、思わず昔の動物学教室の暗い書庫を思い出した。サバの話、方言研究、落語の話など。楽しい余談。
夜、インパク原稿。6000字余り。
講義二本。統計学基礎では、今年からアンケート結果をその場で集計し結果公表する方式を試みてる。なんて書くと、まるで学生全員が端末の前に座ってるみたいだけど、じつは、教室はふつうの講義室。挙手の数をぼくが数えて黒板に書き、傍らの成田くんがその結果をぱこぱこSPSSにぶちこみ、グラフを出してくれる。ローテクハイテク入り乱れた方式。
ようやく単行本校正を送る。粘り過ぎた。文章があちこちで淀んでいる。まあしかし、その淀みも流れのうち、としよう。執筆にはスピードが必要だと痛感。
NHKのインパク用に辞書の追加。
大学院の講義、明日のTAの件で成田君と打ち合わせなど。単行本校正をさらに粘る。さすがに宮田さんが電話口で「えええ」と嘆息まじりだった。
翔泳社から本が届く。本を一人でまるごと訳したのは初めてなので、それなりに感慨。そして読み直すうちに、早くも赤ペンを取り出し、あちこちに付箋が・・・。自分の文章の詰めの甘さを痛感。
お向かいの竹下さんから本。「赤ちゃんの手とまなざし」。あおむけ、両手の複雑な運動、「取らないで見る」こと、など、まなざし論の手がかり満載。いくつか重要なところを抜き書き。
赤ちゃんの手がまず出会うのは自分の口だろう。胎児は一四週ごろから指すいを始めているらしい(中略)。そして、生後四か月ごろには、もう片方の手に出会い、五か月ごろには、同じ側の足、左手は左足に、右手は右足に出会うのである。
基本的には他の霊長類と同じように、母親に「しがみつき−抱かれる」関係に支えられている期間でありながら、ヒトの赤ちゃんはそれに頼らずに、母親や他の人々と交流していく姿勢を発達させる。それが、あおむけである。重要なことは、ヒトのおとなはその時期をとらえて、乳児をあおむけにし、あおむけにした乳児と、笑顔と声で、さらにモノをもとりいれて交流するようになったという点にある。赤ちゃんをあおむけにすることによって、両腕・両手に抱きつづけるために必要なエネルギーを一層、視覚的接触である笑顔や聴覚的接触である声かけでの交流にふりむけることができるようになった。
ヒトの赤ちゃんは、「行くことができない」からこそ、「取ることができない」からこそ、「見る」行動を発達させる時期がある。この時期の「見る」は、「見る−とる」軸上にある欲求−実践的な行動ではありながら、「外界とは距離をおかざるをえない」という矛盾を含んだ行動である。
ヒトは、指さしや一語文発話が発達していく時期、物遊びでは、活発に、複数の物を繰り返して、他の一定の物に重ね合わせることを行なう。器に物を入れ続け、積木を高く、高く積み上げる。
(竹下秀子『赤ちゃんの手とまなざし』岩波科学ライブラリー)
オリエンテーション。明日から講義だと思うだけで気分のギアが上がる。というか、上げておく必要がある。去年までは7月の最初で講義は夏休みに入っていたが、今年は7月いっぱいまであり、しかも期末試験も夏休み前にある。少しギアを上げ目に設定しないとたぶん持たないだろう。
小杉さんとインパク打ち合わせ。おみやげの餅がおいしい。
5W1H方式でユーザーに日記を打ち込んでもらう、という案について考えるうちに、日記から日付の同時性が失われることに、ちょっと違和感。
日付を持つことで、日記はできごとにつながろうとする。日記にとって、日付は最高の特権となる。日付が付されることによって、その日記は他の日記を想起する手がかりとして機能する。
逆に言えば、日付によるつながりが失われる場で、人は日記を書かないと思う。
さらにさらに。芹川へ自転車で。少し花見。ようやく出てきた蝿をさっそくクククと唸りながら狙う猫。
なんだかんだでドラクエは、四つの精霊を呼び出し、クリスタルタワーを潜り、(たぶん)最後のまおうに会うところまで行った。で、まだ勝ってはいないんだけど、もういいか、という気になりつつあり。
さらに。
校正という名の。ドラクエという名の。
花袋論を書き直そうとして、いつも自分の打ち込みことばが何かに抵抗している。たぶん、花袋は他人事ではないからだ。この、キレのよくない、ダサい、ひがみ根性の入ったおっさん。世間的にはまずまず成功してるのに、ちっとも幸せそうでない、ネチネチしたおっさん。そんなおっさんが世の中を遠く、過ぎていくなあと見ようとするやらしさ。どれもまるで自分みたいやん。
ドラクエVII。レベルを上げたせいか、しばらくさくさく進む。飛空石を手に入れた。これいいなあ。乗り降りするときにちょっと世界がズーム・イン、アウトするんだけど、それがたまらん。
と思ったら、穴の底にヴィジュアル系ファッションのイヤな奴。
5ヶ月にわたってeBayの品物が届かない。かといって、相手を罵倒しただけでは届く可能性はゼロになってしまう。肝心なことは、この取り引きがまだ終わっていないこと、自分がまだ待っていることを伝えることだ。
なんて書いてると、まるで編集者になったような気になる。じつは著者であるぼくが編集者にしているのは、まさにこの逆のことだ。
なんて考えたところで筆が進むわけではない。オークションと本の蒐集の名文、「蔵書の荷解きをする」(ベンヤミン・コレクション(2)『エッセイの思想』ちくま学芸文庫)を読んで、倦怠してみる。
ドラクエ、どとうのひつじを覚え、使いまくる。
さらに。
ドラクエの聖風の谷北方にややこしい敵出現。こいつを倒すためにレベル上げに終始する。
4月だというのにこの寒さはなんなんだ。
書いても書いても納得がいかない。たぶん、倦怠が不足している。ある思想のために論理を集めるのではなく、論理が破綻することを待つだけの倦怠が。
「ちゅらさん」は石垣の陽射しだけでもう魅力5割増し。あ、昨日食べたポークが出てる。
朝、校正を何章か送る。
午後、京都へ。琵琶湖線を南に行くほどに桜がほころんでいく。相方とふちがみさん宅へ。今日は親睦ということで、びわ湖放送CM特集とか、ホルヘ的場の「ラテン・タンゴ全曲集」とか見ながらのんびりする。自分で買っておきながら、ふちがみさんに指摘されて始めて「月と牛」のすごさを知る。それにしても、やっぱ谷川越二の訳詩って、すごいへん。「さんぞくむすめ」っていう単語の使い方とか。
おいしい夕食。ものすごい久しぶりに沖縄のポーク食った。夕食後はぐんぐん飲んでぐんぐんしゃべる。
夜、新庄独占告白のテロップがいちいち笑える。「スターを目指したい」というフレーズ。なんで「スターを目指す」でも「スターになりたい」でもなくて、「目指したい」なのだ。この、目標に対して二回くらい屈折してる感じがいかにも新庄。で、終電近くまですっかりおじゃましてしまった。
そしてほろ酔いをリセットする、南彦根のすごい風。自転車を飛ばす。