かえる目1stアルバム「主観」
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2007.10.10発売
Lilmagで買うとポストカード特典が!残部少数!
レコ発ライブ:2007.10.18-21、京都、大阪、彦根、東京。
詳しくはかえる目ホームを。
詳しくはこちらを
毎朝「ちりとてちん」を見る、というよりは、画面を見ずに聞いている。ぼくは小浜弁にさほど親しくないのだが、ですますの語尾を、くにゃり、と曲げる貫地谷しほりや和久井映見の声が心地よくて、つい耳を傾けてしまう。拾った石を交換するエピソード、せつねえなあ。つまらないと思って手放した自分が、相手の手の中で輝きだしてしまうところ。
CRJ-Westに、かえる目がチャートイン!
初登場1位につけられたこちらのコメントもうれしいかぎり。CRJ-tokyoにはライブレポートも。
夕方、京都へ。HRI研究会。今回は座談会ということで、珍しく佐倉さん、酒井さんも泊まりがけで参加。いろいろ談論風発モード。いきがかり上、なぜかぼくが、ネット社会について悲観的なことを言いつのることに。テキストでなんでも検索できて、比較照合によって正解が絞り込まれる世界って、息苦しいなあ、と、ふだん思っていることを言う。
帰りの電車の中で深々と眠ってしまい、目覚めたらもう彦根を過ぎていた。すでに夜半を過ぎ、引き返す電車もなく、米原からタクシーで戻る。
車はちょうど、かつての入江内湖であった干拓地を通り、山際の「差し合い」を抜け、松原内湖であった干拓地へと抜ける。街灯は少なく、ヘッドライトが照らす地面は、土とも水ともつかない。
湖の上を行くようだ。
堂は、ひとつの楽器だ。
そう感じたのは、仙波さんが和太鼓をどろどろと叩き始めたときだった。明らかに、お堂全体がひとつの楽器になって共振している。
仙波さんが入る前も、お堂独特の音の鳴り方がしていて、いい感じだったけど、やはり仙波さんの音が入ってからの音空間が、ぼくには圧倒的にすばらしく聞こえた。太鼓や鈴が、明らかにお堂のサイズで鳴っている。音としてのお堂が確かになるほどに、アンプを通したカヒミさんの声と大友さん、今堀さんのギターが、お堂という器をもののけのように出入りしてすさまじい。そこに石川さんの笙がうすものの帳(とばり)をかけるように微かに鳴る。
やがて音が小さくなり、戸外の虫の音が次第に浮き立ってくる。これまで聞いたカヒミ+大友のセットとはまったく違う音像で、びっくりした。
あとでZAKさんに聞いたら、仙波さんの音にはあえてPAを入れてなかったのだという。うーん、やっぱりZAKさんの技はすごいな。
打ち上げに潜り込むと、昨日来「妙に古いことを知ってるヒト」ということになっていて、仙波さんの隣に招かれる。と、いきなり仙波さんの「ジャガーチェンジ」攻撃。うわあ。一気にダジャレモードになる。
蛇足ながら、「ジャガーチェンジ」=「豹変」。このダジャレを知ったのは、山下洋輔氏の初期の著書からだったと思う。そのせいか、「ジャガーチェンジ」ということばには、なんだか70年代ジャズメンの匂いがするような気がする。
それにしても「仙波清彦とはにわオールスターズ」「はにわちゃん」は、大学生のとき死ぬほど聞いたのに、それどころか矢野顕子のバックで「元ザ・スクエアの仙波です」と自己紹介している仙波さんだって、生で見てたのに、いざご本人を前にすると、情けないことに一曲も思い出せない。
「ええと、家族がいろいろあってえらいことになっていく曲が・・・」
「それはたたみホッペタ!」
「ええと・・・オールスターズの一曲目は・・・」
「かっかっかっか!」
などと、朦朧とした記憶で申し訳なくお相手する。
それでも、途中から少しずつ調子が出てきて、
「かっかっかっか」
「つ。ったらった。」
「ぴゃーらーらー、ぱらららぴゃっぴゃっぴゃっぴゃっぴゃー」(ちゃーのみ友達スレスレのつもり)。
「すーすみーゆくーにーんじゃ(すごい低音で)」<なぜか忍者部隊月光。
ああ、こんなずさんな記憶で申し訳ない。ずさんずさん、ズサンチマン。なんちて。
お堂と楽器の件について恐れながら感想を申し上げると「やっぱりね、ああいう場所でやると楽器がよろこびますね」。
青年会議所のスタッフの一人に、宮川さんというほがらかな女性がいる。ご職業を伺ったら「仏壇を・・・」。なんとなく頭に、丸子船に乗せた仏壇、という、びわ湖放送(BBC)視聴者にはおなじみのイメージが浮かぶ。
驚いたことに、宮川さんはまさに、その丸子船の人、というか、永楽屋の方その人だった。「文政三年」である。「産地彦根」である。うわあ。
最近、仏壇のつくりについていろいろ思うところがあるので、さっそく地方による仏壇の違いなどあれこれ伺う。思わぬところで勉強をした。
東京新聞、中日新聞の書評欄に、赤坂憲雄氏による「絵葉書の読み方」という書評。拙著もラインアップに入っていました。
赤坂氏曰く「ともあれ、いま求められているのは、宮武外骨を真似て、たとえば珍奇なる絵はがき葉書をどれだけ多く集めるか、ではない。むしろ、ありふれた絵葉書をいかに豊かに読み解くか、である。」
まったく同感だ。
赤坂氏は、ひとつの試みとして、絵はがきアーカイヴを挙げている。
東北文化研究センターアーカイブス。これはじっさい、じつに充実した枚数のアーカイヴで、彦根でも十数枚がヒットし、見たことがないものもいくつか含まれていた。
絵はがきのアーカイヴはとてもありがたい。しかし、そのいっぽうで、アーカイヴを使うことじたいは、まだ「読み解くこと」ではない。たとえば、彦根の絵はがきが何枚も検索でヒットしたとして、そこから何を読み取るか。記念印や風景じたいをどう読み込んでいくか。読み解きは、アーカイヴのその先にある。
赤坂さんにはぜひ、11月に出る「絵はがきのなかの彦根」を読んでいただきたいなあ。この本では、ありふれた絵葉書をきっかけに聞き書きを行うことで、絵はがきの中に未知のできごとを再発見する試みを行った。今回の書評に答える内容になっていると思う。
晴天。朝、散髪。カフェ工船。彦根へ。
バスティアン・クントラーリで、カヒミさん、大友さんたちと食事。あれこれお店のスタッフに配慮してもらってすごく気持ちのいい時間だった。ヴェジタリアンのZAKさんがいたおかげで野菜料理もたっぷり食べることができた。うまい!の連発。
夜中近くまで話すうちに、年の近い岡社長と、どーでもいい古い歌を合唱するうちに、「どーでもいいことばかり知っているヘンな人」というイメージがすっかり定着することに。ぶらぶら歩いてホテルまで。背の高いZAKさんと並んで歩く空に十七夜の月。
京都文化博物館で佐久間新さんと伊藤愛子さんのパフォーマンス。二人が展示の中を移動する、というだけで50分なのだが、これが不思議と飽きなかった。
ひとつには、展示会場がパネルで仕切られていて、あちこちに遮蔽があるおかげで、二人の姿が何度も隠れたからだろう。街路を何かが通り過ぎていく感じ、見えなくなったあと、その姿を想像する感じ。そして次に現れる場所、現れる姿が、その想像を裏切る感じ。
二人はお互いの真似をしばしばしている。お互いの身体が見えるところで為される行為はそのつど、真似への誘いに見える。ただし、誘いはあくまで誘いで、視線がはずされることもあるし、どちらかが相手の視界からその姿を隠すこともある。
とくにぐっと来た瞬間は、愛子さんが床を這いながらゆっくりと前進していくうしろから、佐久間さんがゆっくりと手を振っていたところ。
このとき、愛子さんはひたすら前方を見ていて、佐久間さんが手を振り始めたのに気づいていない。それでも佐久間さんは、ことさら愛子さんに悟らせるようなおおげさな身振りはせずに、ごくゆっくりと、優雅に手を振り続ける。そのことで、手を振ることが、単なる挨拶を越えて、何か前進のための力を送る儀式のように感じられてくる。
もちろん、愛子さんが何かの拍子に振り返れば、佐久間さんが手を振ってるのが目に入るはずで、その瞬間、彼の手は別れの挨拶になるかもしれない。手を振ることが挨拶になるかどうかは、一人では決まらないし、手を振るという記号によっても決まらない。
ウイングス京都で、映画「花子」。そのあと花子さんのお母さん、今村知左さんと対談。対談のあとさきにもずっとお話させていただいたのだが、アートに対してまったくがつがつした感じがなく、じつにいろいろ考えさせられた。
花子さんは、ご飯やおやつのあとに、その残りを畳の上に並べてしまう「ごはんアート」で有名になった。花子さん自身には、それを公に見せようという気はまるでなくて、知左さんが毎食撮影した写真によってその世界が世に知られることになった。
ぼくはてっきり、知左さんが類い希なるアーティストの目を持っていて、いわば花子さんをプロデュースするように、花子さんの行為をアート的に演出しているのではないかと思っていた。けれど、じっさいに映画を見て、お話をすると、まったく違っていた。
映画の中の知左さんの写真の撮り方はあたかも「ごちそうさま」を言うような調子で、いわば、食事の終わりを花子さんを共有するための挨拶のようだった。なんというか、まるで気負いがないのだ。
そして、あとで伺った話では、撮影した写真を、知左さんはべつだんファイルに入れて整理するというようなこともなく、プリントしたものをごっそり引き出しに入れていたり、中には現像せずにネガのまま置いてあるものもあるという。なんだか、写真じたいよりも、撮影という行為のほうに重心がある感じなのだ。
花子さんがご飯を並べているところを、知左さんは見ないという。花子さんが食べている時間は、知左さんにとって一日でもっとも落ち着く時間で、花子さんがおとなしくしているあいだ、知左さんは一階でくつろいでいる。
花子さんは、ご飯を並べたり、道ばたの草を道路の真ん中に並べたりと、あちこちで「ものを並べる」。おそらく、それをひとつひとつ克明に再現したり、記録をとれば、いわゆる「アート」な表現になるはずなのだが、知左さんはそういうことに貪欲ではない。「毎日忙しいので」とおっしゃる。それはそうだ。花子さんを中心に24時間が動いている生活の中で、彼女の行為をいちちちいわゆる「アート」として記録していたのでは身が持たない。ほっと息をついたり、休んだりするのと同じように、知左さんのシャッターを切る時間があって、その結果をたまさか、わたしたちが漏れ聞いたり見たりしている、ということなのだろう。
その意味で、花子さんの(そして知左さんの)行為は「表現」と大上段に呼ぶにはあまりにつつましい。ついやってしまうこと、できてしまうことと言ったほうが近い。では、そのついやってしまうことに、なぜぼくは惹かれてしまうのか。
あくまでぼくの場合だが、あの「ご飯アート」が、アートというよりは、何か会話のように見えるのである。知左さんがお膳の上にご飯をよそい、おかずを皿に入れる。それを花子さんがざあっとひとつのお椀に移して二階に持って上がる。いくつかは食べ、いくつかは残す。残ったものを見たり触ったりするうちに、畳の上に残りものが並べられていく。ややおいて、知左さんが上がっていくと、そこに「作品」が並んでいる。あたかもご飯への返答のように。
それを知左さんはカメラでぱちり、とやって、「片付ける」。
花子さんの行為はいずれも「片付け」られてしまう。知左さんは、花子さんの並べるご飯のさまを「だって、すごくおもしろいんですよ〜」と思い出すのだが、でも、その場でそれは片付けられてしまうのである。
そこが、すごくいいなと思う。
対談の最後にさらりと、「だって、ピカソみたいに名前のある人の絵は残りますけれども、ふつうは残らないですよね」と言われる。おそらく会場にいた若いアーティストたちは、衝撃であると同時にある種のすがすがしさを感じたのではないか。
わたしたちの作ったものは、早かれ遅かれ、片付けられる。
たとえ片付けられるとしても、何かを作ってしまうこと。多くの人の目に止まらないとしても、何かができてしまうこと。ごはんを作るように、何かを作ってしまうこと。
いっぽうで、片付けられる、ということは、誰の目にも触れない、ということではない。
誰かが片付けるということは、片付ける誰かが、それを見とどける、ということでもある。「片付ける」ことで、見る者・見られる者という小さな関係が発生する。美術館でも博物館でも公園でもないこのささやかな生活のスキマ、ささやかな場。
誰かの置いたものを片付けるときに、ふとその人の行為を思いめぐらす感じ。それが、映画「花子」や、知左さんの写真に定着している。
それは、もしかしたら「アート」が定着しそこなってきた瞬間なのかもしれない。
大友さんと須川さんが京都の部屋に来訪。単行本用の対談。
「音は、そこから遡るためにある」というアイディアを得る。
対談のあいだにも、アパートに次々と来客、大友さんはどうやら部屋をシェアすることを決意した模様。
ゼミ三本。夕方、栄町のグループホームへ。ビデオ分析のトランスクリプションを上田先生、吉村さん、冨田さんと検討する。
嚥下行動は、視覚的に見えない。つまり、嚥下の瞬間を直接操作できない。もし、嚥下行動に問題がある場合、スタッフは、嚥下行動がうまくいっているかどうかを何らかの代替行動によって予測する必要がある。
・・・と言えば簡単そうだが、どのようなタイムスケールで予測すべきか? その代替行動は嚥下の状態をどの程度の精度で予測させるか? などを考えていくと、なかなか一筋縄ではいかない。鏡を見ながらご飯を食べる、ということの捉え直し。
講義。ビデオおこし。
会議。ビデオおこし。
グループホームのビデオが全部MODファイルなので、なんとかQuickTimeに変換したい。MPEG Streamclip for Macというのを見つけて、とりあえずmpeg4に変換した。
始発の新幹線で彦根に戻り、1コマめの講義。そのあと雑務いろいろ。さすがにくたびれる。
二日目。今日は中尾勘二まつり。夕食時にもかかわらず満員のお運び、ありがたき幸せ。
中尾トリオの飄々としたすばらしき演奏。心も軽く中尾さんのSP鑑賞会へと突入したのだが、これが黒かった!すごい黒かった。なにしろ松岡洋右の国際連盟脱退後の基調報告に始まり、最後は服部良一の五国協和ソングなのである。戦時期の真綿で首をぎゅうぎゅう絞める「日本精神」音楽のあり方、ことばの使い回しにすっかりアテられる。
SP鑑賞会の余波か、かえる目を歌いながらアブラ汗が出てきて、途中シャツを脱いだり着たり。MCも愚痴っぽくなり。まだまだ修行が足りぬ。それでもなんとか歌いきった。
ツアーとは、毎日歌うことと見つけたり。
日をおくことなく十数曲から二十曲近くを歌うというのは人生初めての経験。「この曲ほんまに最後まで歌えるんやろか・・・」という不安が過ぎることも。毎日続けることで見えてくる世界と疲労がいたく新鮮だった。
あー終わった終わった。打ち上げではへろへろ。
本日ひとつめのライブは彦根は四番町スクエア。喫茶店の前は、メインの広場から人がときどき紛れ込む、という程度の人通り。特別に晴れやかな場所でもない。というより、われわれがハレを持ち込むしかない。
「彦根のみなさま!」と営業ちんどん調でご挨拶をして、にぎやかな曲を何曲か。数組の通りすがりのお客さんが足を止めて聞いて下さる。
お向かいのかまぼこ屋のご主人に受けていた。ありがたいことだ。
なぜか真ん前でじっと聞き入っておられる奇特な方がいて、聞けば、渕上さんのお知り合いだという。わざわざ京都からいらしたそうだ。ありがたや。
近所のふなずし屋さんに「主観」を持参し、ご挨拶をする。
新幹線で東京に移動。
山手線の中で、ポケットからひこにゃんストラップを下げているカップルがいたので、「わたし、彦根から来たんですが、よろしかったら・・・」と、ひこにゃん絵はがきを差し上げる。山手線で見知らぬ人に声をかけたのは初めて。
渋谷の南、歩道橋を渡ってから、ちょいと脇道へ。坂を上り、坂を下ったところがなぎ食堂。迷わずに行けば数分で着く。
じつは密かに愛聴している上野茂都さんに、恐れ多くも先に演じていただく。野菜の芯のひとつひとつが言祝がれ、海の生き物の消息が歌われるうちに、後ろの黄色い壁がしっとりと目になじんできて、気持ちのいい空気が張り詰めた。もうこれで、今日のライブはうまく行きそうな気がした。
宇波君の持ってきたDX10を借りてオルガンがわりに。オルガンを入れると、音色が広がっていいな。昨日の曲目に加えて新曲「北クエスト」「記憶術」も。この三日間で、いくつかの曲のアレンジがずいぶんと変わった。
今日は、ボーカルにマイクがついているので、昨日とまったく声の使い方が違う。あまり音量を出さずに微細なコントロールのほうに気を遣う。
知人もたくさん聞きに来てくれて、そこはかとなくアットホームかつ、ほどよい緊張感の中で歌い終えることができた。
終演後、持参したふなずしの試食会、そしてなぜかセットしたままの楽器で弾き語り大会に。午前1時ごろ、ようやくなぎ食堂を出る。
大阪へ移動。本日は、大阪中崎町のカフェ太陽ノ塔。
喫茶店の真ん中を陣取る、といった感じのセッティングで、大和川レコードくんのせつない歌。そのあとでかえる目。マイクなしで完全に生音だったが、カフェのいちばんうしろを見ながら歌うと、空間に合った声がでているのがわかって、いい感じだった。声を張ったときのニュアンスの付け方にはまだまだ工夫の余地があるが。
デジオ経験者の人たちと話すうちに、なんかこのいまの状況って嘘みたいだなあ、と、にわかに時の流れを実感することに。
セットリストは昨日とほぼ同じ。
カフェ太陽ノ塔にあったヤマハの古い電子オルガンが、アタックの絶妙な鈍さ。ぱこぱこ弾くと、ダニエル・ジョンストンみたい。これを使ってやった「やさしさに包まれた」と「女刑事」がいい感じ。
最終電車で彦根へ。耳に入ったことことばに対しほとんど思考なしで反応するようになってきた。これがツアーというものか。
カエルのカーミット人形を手に持ち、それぞれが相手の苦手な台詞を繰り出すという危険な遊びに興じる。
午前中ゼミ。午後は休みをとって京都へ。アーバンギルドでリハ。リハというより、新曲の打ち合わせ。一昨日思いついて作った「三輪車」にいたっては、譜面を作って確認したところでタイムアップ。
というわけで、アーバンギルドで、かえる目「主観」ツアー初日。
人前でこんなにたくさん歌うのは初めて。体力配分等、いろいろ課題もあったが、まずまずのスタートだったのではないか。「三輪車」は本番で初めてまともに演奏したのだが、さすがは練達のメンバー、一発でいい曲になった。
たゆたうさん、イノウラトモエさんという強力な対バンのおかげもあって、私的には忘れがたいライブ。最後は無理にお願いして三バンドがステージにあがるという珍しい世界におつきあいいただき、ありがたい限り。
セットリスト(覚えている範囲で)
音痴というもの
ふなずしの唄
あの寺へ帰りたい
高度情報化社会
坂の季節
やさしさに包まれた
女学院とわたし
女刑事夢捜査(Yuko Nexus6:三味線)
家猫エレジー(Yuko Nexus6:三味線)
Liliput
じゃんけん式
三輪車
夏にまかせて
のびたさん
浜辺に
八月三十一日
終演後すっかり酩酊し、千鳥足でメンバーともどもアパートへ。
ゼミに講義。もうすぐライブなので、夜は部屋で個人練習。しかし、演る曲が20曲はあるので、いったいどれをどれくらい練習したらいいかわからず。とりあえずギターを弾かなければならぬものだけを。
少なくとも、ONJOライブでは、宇波君の好演もあってじゃんじゃん売れてました。
ところで。オンラインで買おうと思っている方は、Lilmagへ行くといいですよ。
いまなら、わたくしが慣れぬプリントゴッコでぺったんぺったん刷った絵はがき
(別名、おばあちゃんのぽたぽた焼き)が付いてきます。
水谷さんの会話の公共圏についての発表。議論百出で、ついにはターンをとれない質問者がはいはいと他の気勢を制して発言することに。
ヨーロッパの新聞雑誌は十七世紀に始まり、十八世紀にはコーヒーハウスが隆盛を極める。十六世紀が、聖書や知識を公開する時代だったとすると、十七世紀はおしゃべりの公開時代だったのではないか?などと妄想。
飲み屋で定延さんとオノマトペ論議。オノマトペの繰り返し(ごうごう、どんどん、ずんずん)には、その背後に大いなる存在が含意されている、などと妄言。
夜半を過ぎて、なぜかカラオケに行ってしまい、さんざ歌って帰る。
沼田さん、須川さんと遅い朝飯。Shin-biに山本精一画展。闊達な絵。山本さん、いつのまにこんなに書いたんだろう。筆の運びを見ていると、自分でも描きたくなってくる。
ギャラリーモーネンスコンピスへ。
知人の村松美賀子さんが文章を書いている『京都を包む紙』出版記念トーク。
編集の丹治史彦さん、デザイナーの関宙明さん、そして凸版印刷の方々による、いわば造本のプロセスを語るトークで、図版がじっさいに紙に刷られるまでのさまざまな仕事を知ることができ、とてもおもしろかった。
色を調整し、適切な紙に刷る、という過程を、ぼくの場合はほとんど知ることもなく原稿を書いてきたのだが、「京都を包む紙」の井上由季子さんと村松さんは、編集、デザイン、印刷と、本が形になるまでのプロセスすべての人々とやりとりしていて、かなりびっくりした。
ちなみに、この本の写真は、包み紙をただスキャンしたのではなく、じっさいに包まれているところや広げたところを写真に写したもの。包むことによってできる折り皺や、紙の光沢、透過性が表現されていて、紙の質感がよくわかる。紙いちまいいちまいに対する著者たちの愛着が伝わってくる。
書店で手にとる方は表紙カバーに注目。
精華大学で、ONJOと音遊びの会。
音遊びの会は見るたびに新たな発見がある。ある意味でメンバーは舞台で音楽を作るということに自覚的になりつつあり、それは成長と言っていい。でもいっぽうで、その成長ぶりは、こちらの予測を裏切るような意外な方向なのだ。
永井くんのドラムを叩きながらの指揮(もしくは踊り)。刻んでいるビートがほどけて、ドラムを叩く手が指揮へと移っていき、またビートへと戻る。一瞬だけど、「マイルス・イン・ザ・スカイ」の一曲目を思い出した。たぶん、永井くんは「マイルス・イン・ザ・スカイ」なんか知らない。ただ、ビートが絞り込まれて、緩まる、その繰り返しを志向したら、たまたま同じ方向を向いた、ということなのだろう。これ、トニー・ウィリアムスが聞いたらひっくり返ったんじゃないだろうか。ここで出ている音は、マイルスとはまったく違うやり方で紡がれていて、とても新しい。
ゆかちゃんの指揮は、今回、独立した出し物になっていて、彼女の体の使い方をずうっと見ることができた。ゆかちゃんの動き、いいなあ。「音の城」のときに、彼女は「せーの」と声を張り上げて、その場にいる人にリズムを伝えようとしていた。それが、いまは声は出さずに、体をいっぱいに使うことでリズムよりももっと長い音楽の構造と関わることに気づきだした。
藤本さんが青木さんと並んでトロンボーンを吹いているとき、二人のあいだで相互作用が起こっていて、あの、腕を伸ばす、腕をたたむの連続を吹き続けている藤本さんが、明らかに音量や音程を操作し始めたのがおもしろかった。しかもトロンボーンって視覚的な楽器だから、腕の動きで二人の関係がわかる。沖さんが、藤本さんのぶわっぶわっの隙を、笛やトランペットで飄々と突いていく。
つぐみちゃんはピアノではなくバイオリンを弾く(もしくは擦る)。おそらくはまだ、バイオリンに意識を集中しなければ自分の出そうとする音を弾くことができない段階なのだと思う。こういうとき、ふつうは、目で、バイオリンの弦や弓を確認しながら、自分の音に腐心するところだ。でも、つぐみちゃんは頭を振りながら、周りを見渡して、音を出すタイミングを測っている。だから、一音一音の音質にばらつきがありながら、他の人とのやりとりの中で音を出すときのためらい、思い切りが一音の中に現れる。
ピアノの(なにちゃんだっけ?)。簡単な曲を弾くんだけど、音量、音質、タイミング、気負いがないのにはっきりとした粒建ちの和音が聞こえてくる。いったん弾き終わってからしばらくずっと他の人のやるのを聞き続けて、もう一度弾き始めたときの入り。あれ、すごかったなあ。
大生君の昔話サンプリング(?)。これ、じつは聞きながら、フレーズの繰り返しやメロディの混ざり方がすごくおもしろかったんだけど、一緒にやってるミュージシャンからはある種の困惑も感じられてそこが興味深かった。カヒミさんは途中でどうしようって感じで歌わなくなったし、藤本さんはぶわぶわ吹いてるし、音楽の終わりに対する志向性がいちばん希薄になったセッションだったと思う。
たぶん、音楽を始めると、どこかで、終わりに対する無意識の予感とか予告のようなものが、演っている人には芽生えるんじゃないか。忘我の絶頂にあっても、おそらくその予感とか予告とかが無意識に伏流している。それが脅かされたり感じられなくなると、ミュージシャンは途方に暮れる。
でも、そういう風に途方に暮れると、逆に、なんでそんなもんが伏流しているんだろうっていうことが問い直されたりする。
あやこちゃんが「終わりにします」と叫んで、半ば強制終了するようにセッションは終わったんだけど、考えてみれば、演ってる側はまったく終わり方を考えずに、終わり方を外部に預けるってやり方だってあるのよね。
最後のセッションでの、永井くんとあやこちゃんの2トップ司令塔方式というのも、いままでのステージにないやり方だった。
第二部のONJOは、両サイドに遠くミュージシャンを配置するやり方で、よくこれだけ遠い距離でアンサンブルができるなと感心する。
サイン波には、あまり距離感がない。だから、この配置だと、Sachiko Mの音の突き抜けていく感じがより際だつ感じだった。たぶん、ステレオ感のある人にはすごくおもしろい音だったんじゃないだろうか。ぼくはあいにく片耳しか聞こえないので、首を振りながら音の感じが変わるのを楽しんだ。
脱中心的な感じに、なぜか第一部「音遊びの会」とのセッションの残響を聞いた。ドラムを持って回る芳垣さんや、途中で席を離れた大友さんの動きも、少なくともぼくが見たことのあるONJOにはなかったことで、そういう距離の取り方に、何か第一部の影響を見たような気がしたのだ。
物販ブースにもぐりこみ、宇波くんのプレイに魅了された若人に「宇波拓の新作、かえる目です」と売り込みをかける。内輪にも次々と売る。
吉田屋の打ち上げに潜り込んでのち、沼田さんと須川さんが来訪。沼田さんに、古いレコードのごみの取り方を教わる。
絵はがき本、再校が戻ってくる。表紙や裏表紙などなど、素材をあれこれ用意。
あわただしい日。午前はゼミ。午後、仕事で高島に行き、夕方彦根へ。
高島は琵琶湖をはさんで彦根の対岸にある。鳥人間ならば、直線コース20kmで移動できるはず。が、鳥ではない人間ゆえに、東岸である彦根からは、まず琵琶湖線で湖の南端である大津、山科へと向かい、そこから湖西線で西岸の高島へと迂回しなければならない。ちょっとした旅行である。
前にも書いたが、三島由紀夫はなぜかくも華麗で緻密な土地についての筆致を、人間関係の呪いに重ねるのか、と「絹と明察」を読んで思う。
湖西は山が迫り、湖東とは全く湖の感じが違う。いつか時間をゆっくりとってあちこち歩いてみたい。
再び彦根に戻り、FM彦根に着いたのは18:00。スタッフ二人、パーソナリティ一人の、アットホームなコミュニティFM。18:10には番組が始まり、5分ほどお話してから、「ふなずしの唄」をかけていただく。「ごくろうさまでした〜」と、スタジオを辞したのが18:15。まだ唄が鳴っている。
階段を下りて歩き出すと、近所から「ふなずしの唄」の終わりが流れてくる。
この感じ。
「トランジスタ・ラジオ」みたいだ。
講義にゼミなどなど。
夜、プリントゴッコで販促はがきを刷る。扉野さんに以前いただいたはがきをもとに琵琶湖とみどり丸の風景を三色刷りに。
試行錯誤いろいろ。まず、レーザープリンタで原版を印刷するときに、ベタ部分を黒くしないほうがよい。濃すぎてメッシュに孔がぽっかり開いてしまうからだ。おおよそ、30%程度のグレーにするくらいがよい。これなら、レーザープリンタだとほどよい網点印刷になり、原版に適している。
以前、レオバルキーを使っていたのだが、多色刷りでベタをあちこちに使う場合は、乾きにくいので、muse社の「高級版画紙」パックを使うことにした。ちょっと割高だが、刷り上がりもきれい。
ぺったんぺったんひたすら刷る「おばあちゃんのぽたぽた焼き」状態。明け方までかかりふらふらになる。
会議会議。
かえる目のCDが来た。ほんとうにCDになったんだな。
倉地さんの絵と、小田さんたちの編集で、いいパッケージになった。
中の歌詞カードも多色刷りでいい感じ。
サンライズに図版渡し。絵はがきの縁がトリミングしてあるのを全部スキャンし直すことに。いささか手間だがやるしかない。
かに祭り。御輿を激しく揺らす、勇壮な祭りだった。夜店もにぎやか。いつも里帰りするときは閑散とした感じのする街なのだが、どこから人がわいたかと思うほどだ。
京都へ。
父母と待ち合わせて吉浦へ。母方の墓へ参る。
呉市美術館で絵を見る。「餅を焼く」に、幼い頃の伯父が二人。土間で祖母の焼く餅を見ている。窓辺からの日差しで顔が照らされている。描き手は部屋からその土間の三人を見ている。そこが、祖父の絵筆を持っている場所。祖父のいた場所に母が立ち、わたしも立つ。
「塩田」の、画面の手前の筧。
呉港から江田島に渡る。伯父の追善がわりに。
伯母の家に。祖父の絵をいくつも見る。
サンライズに初稿渡し。帰って、一昨日に作ったプリントゴッコの原版を刷り直してみるが、どうやら目詰まりしてうまくいかない。WWWなどで調べたところ、原版のハイメッシュマスターは1,2日は持つものの、基本的に使い捨てのようだ。うーむ。刷ると決めたら100枚、200枚と刷らねば元がとれない感じ。
そういえば、昔、妹がプリントゴッコが出てすぐ入手して、「刷れすぎて困るわ」と言ってたのを思い出した。
一日ゼミの日。同調行動のビデオを見直す。
Lilmagは、ZINEを中心に、紙ものからグッズまで、店主の鋭くもあたたかい選択眼が感じられるオンラインショップ。観たことがないものばかりなのに他人の本棚とは思えない不思議な親近感は、三月書房を思い起こさせる。
そのLilmagの店主にして、かえる目の仕掛け人、野中モモ氏が、このWWW全盛の時代に「プリントゴッコはいいよー」とことあるごとに言っているのを聞いてから、ずいぶん時間が経った。
そう言われても半信半疑だったのだが、先日、大津歴史博物館で観た木版絵はがきの数々、そして「岩根豊秀の仕事場」展と、版画の運気が間近で渦巻いてきた。
これはそろそろ、ではないか。
「孔版画」に足を踏み入れるときではないか。
というわけで、ようやく重い腰を上げ、近くの文房具屋でベーシックモデルを購入する。なにをいまさら、プリントゴッコデビュー。
さっそく「先生ビデオ」に従ってすらすらと作っていく。なんだ、ランプをはめてガチャンじゃないか。楽勝よ。
と、思ったのだが・・・あ、あれ? うまくいかない。
原版に空いた穴が、えらく薄いのだ。インクを乗せても、ほとんど絵にならない。
早くもランプ4本を無駄にした後、ようやくマニュアルをひっくり返し(ビデオより先にこれをやるべきだった)いくつかの基本的な壁を知る。
プリントゴッコの製版に反応するのは、カーボン入りのインクのみだった。
具体的には、レーザープリンタ、コピー機(ただしカーボン入りのインクを使っている古い機種)、エンピツ、理想ペンである。インクジェットには反応しない。
つまり、万年筆のインクで書いたのではいかん、ということなのか。
むむむ・・・となると、うちで使えるのはモノクロレーザープリンタか。というわけで、原稿をスキャンして、それをレーザープリンタで出力して、再挑戦。アナログで孔版画のつもりが、すっかりデジタル経由と相成った。
そんなことするくらいなら、レーザープリンタではがきも刷ればいいじゃん、という声も聞こえてきそうだが、いやいや、それは違うのだ。レーザープリンタではがきを刷ると、インクに含まれたカーボンが粉となってあちこちに飛び散り、はがきを汚してしまう。ぜんぜん使い物にならないのである。だから、普通紙にレーザーでプリントアウトして、それをプリントゴッコではがきに刷る、というのは、アリなのだ。
もちろん、孔版画独特の風合いは重要だ。
ともあれ、レーザー→ゴッコという、いささか倒錯した技を使うことによって、ようやくきれいな原版ができた。細いロットリングで書いた文字もきれいに出た。どうやら第一の壁は突破したもよう。
次は印刷。原版にインクを適当にのせて、あとはぱかぱか押す。どんどんできる。これは速い。みるみる付属の紙立てがいっぱいになり、床中にはがきが置かれていく。
しかしここでも問題が。うーん、ケント紙だといささかインクの乗りが悪いようだ。ドライヤーでもうええちゅうほど乾かす。ポストカードの紙質選びも慎重に行わねばならない。
いくつか試し買いしてあった中では、ミューズ社のレオバルキー製のはがきが、わりと乾きがよかった(注:後日、この判断は間違いであったことに気づく)。郵便番号枠や切手枠のない無地のはがきとなると、ミューズ社のバラエティが圧倒的に多い。このあたりは、さらに試行錯誤が必要か。
今年の一回生には、「夏休み中に70才以上の近しい人の話を聞いて、昔の暮らしについて書く」という課題をやってもらった。そういうと小学生の課題みたいだけど、郵便史やメディア史、生活史の話をしたあとに出した課題なので、単なる昔話というよりは、生活のインフラのことや、身の回りの生活用品についての聞き取りが多くなる。
それぞれの学生と近しい人との交流がうかがえて、読むのが楽しい。
さて、今日読んだレポートの一節。昭和10年代生まれのおばあちゃんに聞いた話だという。
「最後に、音楽についてですが、LPレコードが主流だったそうです。LPレコードもイメージはできますが、実際に見たことはありません。針をのせるとレコードが回って音が出るそうです。裏面もあったそうです。」
18才の学生には、LPレコードはもはや空想の世界なのだなあ。裏面もあったそうです、という一節がやけにリアルだ。
こんなのもある。
「テレビはやはり白黒テレビで、リモコンはなく、テレビの本体についているつまみを回してチャンネルを変えていたそうです。」
その「テレビの本体についているつまみ」をチャンネルて呼んでたんや!と叫びたくなる絶妙な過去観。
「今ではフローリングの部屋がほとんどですが、昔はフローリングの部屋はなかったと言ってました。」
いや、あるにはあったのだよ。ただし、「板の間」って呼んでたけどね・・・
この課題は危険だ。自分がみるみる過去へと押しやられていく。ちなみに今年入った学生が生まれたのは1988-9年、ソウル・オリンピックの年。
後期授業の開始。
「東京人」の書評原稿。今回はちょっと冒険をして、山本義隆氏の大作二つを選んだために、読むのにけっこう時間がかかった。わたしにとってはこれだけでもずいぶんな仕事量だが、新聞の書評委員の人は、こういう作業を月に何度もやっているのだろう。
東京人の書評はショートとロングの二通りがあって、ロングでは新刊一冊を含め、三冊ていどの本を選ぶことになっている。さてもう一冊、と考えて、福島伸一氏の「生物と無生物のあいだ」を選ぶことにした。デューラーやパラケルススやフィボナッチが出てくる一六世紀の話と、現代生物学の話と、どこに接点があるのかといぶかしがられそうだが、ふと、つながりそうな気がしたのである。書き出してみると、ああ、これはなかなかいい対比だ。
詳しくは、「東京人」12月号(11月3日発売)を。
これまで「東京人」で取り上げたのは、木下杢太郎「百花譜」「木下杢太郎詩集」、yojohan「リトルブックプレスの作り方」、そして今回の「一六世紀文化革命」「磁力と重力の発見」「生物と無生物のあいだ」。こう並べてみると、あまりにもバラバラだ。あの人が書評した本なら読みたい、と思わせるのが書評子の醍醐味だとすれば、このチョイスは、ほとんど読者を置いてけぼりにしている。
と書いたものの、べつだん反省しているわけでもなく、じつは次回はマンガを、と思っているのだが。