かえる目1stアルバム「主観」
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2007.10.10発売
レコ発ライブ:2007.10.18-21、京都、大阪、彦根、東京。
詳しくはかえる目ホームを。
10/27(土) 15:00〜
ウィングス京都 イベントホール
15:00〜 ドキュメンタリー映画「花子」上映
16:00〜 今村知左さん(花子さんの母)× 細馬宏通(滋賀県立大学准教授)による対談
詳しくはこちらを
ホテルに帰ったものの、三時間後にはチェックアウト。新幹線の中で次の書評用の「一六世紀文化革命」を読み直す。
さすがに彦根に戻ってから疲れて眠る。夜、起き出してさらに読みながらメモをとる。
午前中の講演発表は、片桐さん、わたし、鈴木亮子さん。片桐さんは(おそらくあえて)、定量的分析と文化比較の問題をぶつける内容。鈴木さんは「って」の機能について、じっさいの発話例を分析しながら、そこに生じる「心理的距離」の問題に踏み込むという内容だった。
わたしは、社会言語科学会で話した内容をバージョンアップしたもの。
会話分析を含め、日常のコミュニケーションを微細かつシーケンシャルに記述する研究では、どうしてもひとつのデータを記述する時間が長くなってしまい、口頭発表で意を尽くすのが難しい。今回は研究会ということで、通常の学会よりも長い時間をいただいたのだが、それでもずいぶん積み残しが出てしまった。
多人数会話では、一対一のアドレス性を持つやり方(たとえば視線や微笑)が発生すると、参与者の中の特定の二人の間に、そのやり方による連携ができる。この連携のもたらす作用は、会話の進行によってめまぐるしく変わるダイナミックなものだが、発表の中では「カテゴリー化」とやや強引な見方を取った。こうした見方は、ともすると、参与者を特定の枠にあてはめる危険性をはらんでおり、我ながらちょっと問題があるかなと感じた。
片桐先生の定量的アプローチと文化比較の問題、鈴木先生の談話における機能の問題とももう少しからむことができたほうがよかったのではないかと思っている。特に鈴木先生の「って」の機能については、以前から促音便の持つ無音性がもたらすマーカーとしての機能(直前の語の終わりを無音によって際だたせる機能)に興味があっただけに、ちょっともったいなかった。
午後は一般発表、中で、高木さんのカルテによって組織化される医師と患者のインタラクションの話がおもしろかった。紙の上でペンを持って構えている、ということがもたらす、記録性。この紙は編集可能である、ということを告げる身体。
西阪さんの発表で、子宮底を測定してもらいながら、「おなかがちっちゃいんですよね」と言う妊婦。悩みを告げる、ということが焦点化していないときに、悩みがもたらされるこの感じ。
夜、二次会を終えて、飲み屋を出ると、階下にカラオケの受付が。これを見た榎本さんが「あ、カラオケ!」と突如猛烈なやる気を出し、気がついたらそこに居たメンバーがカラオケに行くことに。
最初はほんの一時間のつもりだったが、榎本さん、伝さん、遠藤さんという強力なメンバーの熱唱止まず、終電の時間を過ぎて居直ると、延長に延長を重ね、結局、朝帰り。ぼくもむちゃくちゃ歌った。まだまだ屈託があるなあ。
カラオケで「くれない埠頭」を歌ったのは初めて。今日までTシャツ一枚で通してきたが、外に出るとさすがに肌寒い風。
明日のEMCAが朝からだということに気づき、あわてて東京へ。
ちょうどループラインで木下くんが演奏しているので観に行く。さゆキャンディ、服部正嗣ソロ、DEATHANOVA × 木下和重という組み合わせで、ドラム祭りの様相。
さゆキャンディのプレイはyoutube上の演奏者(かわい娘ちゃん多数)と演奏するという趣向。なんかUSAの宅録風景って、ベッドが妙な存在感あるなあ。演奏のみならず、そういう、他人の演奏している場所の雰囲気がライブの場に漏れてくる感じがおもしろい。
服部さんのプレイは初めて聞いたが、左右の手の微細なコントロールが素晴らしく、シンプルなセットでさほど大きな音で叩いていないにも拘わらず、一遍のホラー小説を読むかのごとく、聞き所の多い演奏。薄い和太鼓のようなバスドラムもよかった。
最後のセットは、DEATHANOVAさんのレーザービームドラムが室内で明滅するなか、木下君のディレイを使った演奏。じつは木下君のこういうスタイルのプレイって聞いたことがなかったので、おお、この手があるのか、などといろいろ考えてしまう。
木下君、聞きに来ていた宇波君と韓国料理屋。
橋本町の野瀬さんを訪ねると、ちょうど渋谷さんが来られていた。彦根の図像文化を担うお二人の話が伺えるとはラッキーこの上ない。絵はがきや写真を見ながらお話するうちにみるみる時間が過ぎる。校正に出している本の記述にいくつか間違いがあることに気づく。危ない危ない。
夜、川野さんと松田さんを誘って食事、軽く飲む。
卒論生の武藤さんが来たので、実験ビデオを何時間か一緒にチェックする。しばらく仕事で抜けてから戻ってみると、武藤さんはみごとに落ちていた。ぼくも、一人だとよく落ちるけどね。
分析のビデオは、誰かと一緒にあれこれ見所を指摘し合いながら見るほうがいい。一人で見ると、どうしても眠たくなってしまうのだ。
同調の分析用にすばらしいシークエンスを見つける。さっそく同期を取って映像で見直す。うーん、これも楽しい内容。
非常勤講師で来校されている川野健治さんを誘って、バスティアン・クントラーリへ。川野さんがかつてやっていた高齢者行動の話に始まり、研究者と現場のデリケートな問題をあれこれと話す。たとえば、参与観察をしていて、何か「これはこうしたほうがいいかも?」ということを思いついたとして、それを現場のスタッフに言えるか?問題。何ヶ月かじっさいに働いて、入居者の毎日に関わり、入れ歯の手入れからトイレまですべてに関わった人が、いわば毎日の働きを続けていくために身につけてきた習い性を、観察者が横からえらそうに「ここはこれがこうで」などと言えるか。言ったとして、それは本当に改善策になるのか。などなど。
研究をつづけていくことの当事者性について。
「シュレーディンガーの猫」と当事者性の問題を考える。シュレーディンガーの猫の話がどこか酷薄なのは、猫の生死がかかっていることもさることながら、この話が統計学と体験との対比になっているせいではないだろうか。
科学によっていくら人間の行動や性質が統計的に有意な形で明らかになったとしても、それはあくまで傾向に過ぎない。しかし、わたしたちはしばしば、行動の選択や分類の選択を個人として迫られる。いくらその背景に統計確率があろうと、選ぶか選ばないか、という問題は1/0の問題である。世界をマスで捉えようとするときは、確率で考えればよいが、個々人のできごとを考えるときは、1/0である。
「シュレーディンガーの猫」を考えるとき、研究者は、量子の確率的分布の側に立つだけでなく、猫の側に立つ必要がある。この、猫の側に立つ感覚が、当時者性である。
そういえば、以前、茂木健一郎さんのブログにヴィトゲンシュタインの猫というのがあった。箱の中で猫が生死を待つというのは、話の上とはいえ「あんまり猫がかわいそうだ」というので、猫がヴィトゲンシュタインの講釈を聞きながら、果たして五分後に眠っているか起きているか、という問題に改変したのが、「ヴィトゲンシュタインの猫」。「当事者性」のセンスを茂木さんが持っていることが伺えて、いい話だ。
nu次号の八谷さんとの原稿を校正。
久しぶりにカフェ工船。
夜、杉井ギサブローさんとお会いして、アニメーションのこと、動きを見ることについてあれこれ。「銀河鉄道の夜」は大好きなアニメーションで、何度も見直したのだが、いざご当人を前にすると、なかなか、あそこがどうで、といったことが言えないものだ。それでも、夜半過ぎまであれこれお話する。
神戸国際会議場へ。「音遊びの会」のコンサートとシンポジウムに行ってきた。
今回のコンサートも見所が多かった。
音楽をする、ということは、シンプルに言ってしまうと、耳を澄まし音を出すということをしばらくの間続ける、ということだ。おそらく音楽の時間では(たとえば食事の時間のように、あるいは会話の時間のように)、基本的情動に変化があるだろう。
もし、一人で音楽を聴いて一人で音楽を演奏するのなら、この情動の変化は、内的な変化の問題に過ぎない。
でも、誰かと演奏するとき、誰かに聞いてもらおうとするときには、コミュニケーションの問題になる。さあ始めよう、もう終わろう、という、情動の切り替わりを、どう同期するのか。
すでに音楽教育をいっぱい浴びてしまってるわたしたちは、メロディの進行とか、和音の進行、あるいは演奏者の態度など、さまざまなレベルで、始まり方や終わり方のルールを知っている。たとえば、誰かが首を大きく振り上げて振り下ろしたらそれが始まりだとか、どみそ、どふぁら、しれそ、とくれば、次は、どみそ、だな、とか。じゃーんと誰かがでかい音を鳴らしたらとにかく終わりだとか。
こうしたルールに則った表現を出し合うことで、情動の同期問題にとりあえずの解決を与えている。
このことはプロのミュージシャンでもほとんどの場合変わらない。菊池+大谷「バークリー・メソッド」の副題に「憂鬱と官能を教えた学校」とあるのは、単なる大げさな修辞ではない、と思う。バークリー・メソッドは、周到なコード進行とモードの知識によって、情動がどこから始まり、どこへ向かって終わっていくことができるか、そのフレキシブルなルールを作ったのだ、と捉えることができるだろう。
ルールを守れるかどうか、というレベルの音楽教育は世の中にあふれている。何度も同じメロディを練習し、リハーサルを繰り返し、始まり方と終わり方を確かめる教育。
でも、もしこうしたルールを使わない場で、情動の同期問題を解く、としたら、どんなやり方がありうるのか。
音楽の始まりのほうは、MCだとか舞台に登場するといったできごとによって、ある程度決まりうる。でも、終わりは難しい。もう音を出さない、という感じは、いつ、どんな風に訪れるか。それが、即興音楽のおもしろさのひとつだ。
このとっても創造的な問題について、方法はまだまだいくらでもあるのだ、ということがよくわかるコンサートだった。
ゆかちゃんの、何度も小さな終わりに向かって伸び上がるように、体をいっぱいに使う指揮。つぐみちゃんとしおりちゃんのデュオで、しおりちゃんが退場間際に打った一発のビブラスラップ。曲よりも大きな時間の流れで歌っている大生くんのこと。などなどなど・・・
たぶん、既存のルールにのっとった音楽(それは世の中の音楽のごく一部なのだけれど)だけが音楽と思っている人にとっては、どこに焦点をあてて聞いていいかわからないかもしれない。でも、その場でルールが作りながら音を出すってどういうことだろう?、と思って聞くと、聞き所はいくつも出てくるんじゃないかと思う。
公演のあとは「音遊びの会」についてのシンポジウム。話題提供者には林佳奈さん、森本アリくん、フロアには大友さんや江崎さんと、学会というよりライブトークっぽい陣容。いままで知らなかったそれぞれの子の音遊びの来歴や、いろんな隠れエピソードが明らかになって、とてもおもしろかった。
音の城、音の海を経て今回で聞くのは三回目。それぞれの出演者のいろんな側面を見えてくるようになってきた。「ファーストアルバムで繊細な演奏を印象づけた○○が、ここでは奔放なプレイを披露している」というような記述をジャズのライナーでよく見かけたものだが、そういう、各ミュージシャンの演奏の変遷を追いかけるような感覚が、この音遊びの会のメンバーの演奏にも感じられるようになってきた。
シンポジウムには、コンサートを気に入ったドナ・ウィリアムズさんも来られた。ぼくは指定討論者の役回りだったんだけど、すぐそばの席に座られた行きがかりで、通訳をすることになった。あの「自閉症だったわたしへ」のドナさんといきなりあれこれ話すことになろうとは。
事前にご挨拶もなしだったのだが、そのようなかなり唐突な状況にもにこやかに応答してくれた。シンポジウムのやりとりを聞いてから「そう、 conditionよりもselfなのよね」と言われる。そうか、そんな風にselfということばを使うのか。ぱかぱかっとアイディアが飛ぶところに、ちょっとシンパシー。
ひさしぶりに京都へ。伊藤喜久男「旅の趣味」を入手。趣味の交換会の極北。百三十部の謄写版刷り限定版を見ているうちに、貼り付けとは何か、という新たなテーマを考える。
多田道太郎「風俗学」(ちくまぶっくす)を古本で。細かさと大まかさの絶妙なバランス。
さらに原稿。四番町に行き、サンライズの岩根さんに原稿をお渡しする。ひこにゃん裏話をいろいろ聞く。キャラクターの権利問題とは難しいものだ。そうかそうか、そういうこともあるよなあ(以下略)。
図版原稿を揃える。「絵はがきの時代」でもそうだったが、この図版の選択と整理、キャプション執筆が、意外に時間がかかる。図版を決めるうちに加筆を思いついたりする。
ホテルで原稿。近くにジュンク書店の大店舗があるので、ほとんど図書館がわりに使っている。品揃えがすばらしく、調べたいことがかなりわかる。もっとも、立ち読みするつもりが、つい該当書を買ってしまうのが困るのだが。
じつは読んだことがなかった三島由紀夫の「絹と明察」。
筋だけを言えば、戦後の彦根の絹糸産業の内幕もの、ということになる。大作家の書いた数少ない彦根関連小説なのだが、なぜか、彦根出身者からこの本の話題を聞いたことがない。
読んで、その訳がわかった。さまざまな因習に対する酷薄なまでに美しい表現は、逆土地ぼめ、とでも言いたくなる徹底ぶりなのだ。
島巡りの時間を徹底して退屈な長さで描きながら、駒沢の人柄を的確に表していく。スピンドルを扱う女工たちの手つきを克明に記しながら、絹糸の塵で冒されていく彼女たちの肺を「繭」である、とする。
ここには、戦後、絹糸産業にわく彦根が鮮やかに描かれているが、この小説を愛する彦根出身者は、おそらくあまりいないだろう。逃れられない運命を持つ者に、お前たちはそこから逃れられないがゆえに美しい、と宣告する底意地の悪さに貫かれている。
ポレポレ東中野へ。ホースの生演奏に続いて、沖島勲「一万年、後。」こ、これは怖い・・・。窓の外の木の葉の表現がたまらん怖い。映画館ごと、あの世に連れて行かれたような気分。外に出たらそこは、東中野ではなく、影のような木の葉が舞っている荒涼たる世界なのではないか。エンディングがまた・・・。宇波くんのサウンドは、スクリーン全体から音が出てくるような迫力があった。
背中合わせのあの世とこの世。
東京へ。神谷町のHRIへ行くと、中間さんと本郷さんが、レコーダーを数台用意してスタンバイしていた。人間の言語に関する新書を研究会で出すことになり、ぼくがその原稿づくりのトップバッターとして、あることないこと、いや、あることあることをひたすらしゃべり、それを本郷さんがまとめるということになったのである。
もう昼の1時から夜の飲み会が終わる9時まで、しゃべったしゃべった。新書の二章分でよかったはずなのだが、一冊分はしゃべったと思う。後半、じつはまったく用意していなかった思いつきをその場でしゃべり出してしまい、なかなかよい実例が思いつかず、うーんと唸ってしまう。しかし、こういうところが、じつはいちばんおもしろいんだよな。
うまく行けば年度内には出るかもしれないが、はたして?
午前中、葬儀に。午後、さらに原稿を。
大阪国立国際美術館に「藤本由起夫展」を観に行く。広い一室に入ると、ごうごうという低音の上にちりちりとさまざまな音がするのだが、近づいていくと、それは壁一面のCDプレイヤーである。さらに近づくとそれはBOSE製である。しかし、この際、BOSEかどうかは問題ではない。問題は、そのプレイヤーのひとつひとつからビートルズのナンバーがループで流れ続けている、ということだ。しかも、どうやら聞いていくと、一台一台、異なる曲を一曲ずつ担当しているらしい。
しずしずと後ずさりに壁から離れてみる。あちこちから聞こえてきたジョン・レノンの高い声やジョージ・ハリソンのギターのリフが次第にちりちりというざわめきになり、そして、ついにはノイズになる。
なるのだが、それは、いちどきに、なるのではない。ざわめきからノイズに移る、その境目のあたりで、奇妙な幻聴が聞こえるのだ。
どうやら耳と脳が、ほんの微かなきっかけを拾い上げては、頭の中である曲のフレーズを勝手に鳴らしているらしいのである。それはア・ハード・デイズ・ナイトのようでもあり、抱きしめたいのようでもあり、マジカル・ミステリー・ツアーのようでもあり、そして、どれも安定することなく、次なる曲の断片へとみるみる雪崩れていく。
これは、果たして、耳に届いている音声変化に沿った音楽なのか、それとも、脳が勝手に鳴らしている音楽なのか?
そう思って、壁から十メートルほどのところにある、幻聴域をうろうろする。
彦根に戻って、「絵はがきの中の彦根」をさらに加筆。
ポスターに口頭発表、ワークショップと盛りだくさんな一日。二次会であれこれと話し、遅くに阪急線で京都に。途中で完全に寝てしまい、城さんに起こされた。ただのダメオヤジである。
関西学院大学へ。西宮に来ると、奇妙な懐かしさと遠さを感じる。ぼくの昔住んでいたのは、西宮といっても浜甲子園団地というところで、いわゆる「団地っ子」の走りだった。上甲子園とか甲東園とか夙川とかは、すごくよそゆきな感じの場所で、近いけどちょっと縁遠かったのである。
「微笑と発語の相互作用」というお題で話す。反応いろいろ。
懇親会、そして恒例の「未来を作る会」で、いろいろ話す。
四番町でやっていた、「孔版画に映し出された昭和の彦根」へ。
現在のサンライズ出版社長の父上にあたられる岩根豊秀氏は、早くから「孔版画」ということばを用いて、謄写版印刷の質の向上を目指しておられた。その仕事場を、いわば「お蔵だし」したかのような会場。戦前からの出版社ならではの賀状やチラシコレクションが、どれも孔版画ときているから、印刷好きにはたまらない。
展示品は昭和初期から戦後にかけてのもので、一印刷技術であった謄写版が、ヤスリと鉄筆の組み合わせによって多彩な表現を得ていくさまが見える。いまさらながら、「スクリーントーン」の前史として、こうしたヤスリの肌理を幾重にも重ねて立体性を追求する、謄写版の歴史があったことに気づく。
数ある展示品の中でも、ぐっときたのが、謄写版印刷の見本帳。掌サイズの小さな本ながら、沿溝ゴシックの字体を活かした文字から、ヤスリの目の見本にいたるまで、印刷したいことと印刷技術の距離がゼロ! 道具の使い方がそのまま本になったかのような美しい本。
1950年代の「昭和堂月報」「謄写版」のバックナンバーなど、雑誌も充実していた。この頃は、謄写版がより簡便なオフセット印刷に押されて、やや斜陽になっていく時代なのだが、そういうときのほうが、逆に謄写版ならではの肌理への再発見があり、多色刷りの技術やレイアウトの工夫があれこれ試され、かえって質は向上していく。そこに、「ぼくは中学校のころから謄写版がすきですきで」というような、熱い若者の投書が加わって、とんでもなくクオリティの高い同人誌の様相を呈している。
会場には現サンライズ出版の岩根社長、専務もいて、ショウウインドウの中の品々も取り出して見せていただいた。
彦根のグループホームへ。上田先生、吉村さんとあれこれディスカッション。「指導」と「記述」の連続性について考える。
かつて、串田さんが学童保育の研究で、いわゆる学童への「注意」が、じつは学童の行動の「記述」になっていることを指摘していたが、あの話と同型のことが、ここでも起こっている。
たとえば、食べ物を噛まずに飲む人に対して、「飲み込まないで!」と声をかけるとする。そのじつは食べ物が喉を通りすぎるまさにそのときに為されるなら、それは指導というよりは「飲み込んでしまった」という失敗の記述になる。
指導することが、じつは失敗の記述へと滑り込んでいく原因はいくつかある。ひとつには、行動が予期できなくて(つまり行動のシークエンスに投射が含まれてなくて)、指導が間に合わない、ということ。もうひとつには、行動が素早く不可逆的だということ。
たとえば、すでに飲み込みかけている人に「飲まないで!」という「注意」をする場合、嚥下の行動はもはや不可逆で間に合わない。なんとか無事飲み込まれてしまうと、もうあきらめるしかない。逆に、チアノーゼ症状が起こると、力づくでも吐き出してもらわないといけない。
おそらくは、「飲まないで!」と声をかける前に起こっていることの中に、いくつか改善のヒントが隠されているのだろう。それをビデオ分析によってある程度言い当てることができればいいのだが。
朝、学生と別れ、ふらふらと帰宅。原稿。ふなずし臭の屁が出る。さすがに疲れて早めに寝る。
琵琶湖沖島でゼミ合宿。午後は島を散策、そして四回生と院生の発表を3時間ほど。
夕食は川魚の数々。学生はほとんどふなずしを食べることができず、わたしがほぼ一匹食べることに。最後はワンカップで。ワンカップの甘ったるい味が意外にいける。
上田先生が理事長を務める竜王のグループホーム「希望の家」を訪問。入居者8人とスタッフ3人体制。ゆったりとしたスペースで、日頃の所作にもせわしいところがない。スタッフの方が、それぞれの人と会話するとき、大声で遠くから呼びかけるのでなく、必ずそばまで行って耳元で会話をするのが印象的だった。
連れて行った学生からも「もっと狭い場所に押し込めるみたいな感じだと思ってたのでびっくりした」という声。お菓子の時間、散歩の時間、お昼ご飯とご一緒させていただく。
コミュニケーションの自然誌研究会。今回は、人類の西江くんの発表。
チンパンジーが、他人がアリ釣りをするのをそばで「待つ」ことの微妙さをなんとか記述しようとする試み。議論百出。
待つ、というのは、意外に定義が難しい。
たとえば、ただぼうっと突っ立っていることと「待つ」こととの違いは何か。ぼうっと立っている人が、じつは待ち人だったりすることはあるだろうし、待っている人が、ある瞬間、どう見てもただ突っ立ってる人にしか見えないことはあるだろう。
一瞬のポーズで判断する限り、両者の区別はつきにくい。
「待つ」という行為をとらえるには、ある程度の長さの時間が必要となる。その、長い時間のあと、何らかのイベントがやってこなくてはならない。そのイベントをその人が利用する必要がある。
たとえば、道ばたでぼんやりしている人を見て、その人は「バスを待っている」のだ、ということを確かめるにはどうすればよいだろう。
まず、その人の待っている場所が、いかにもバスの止まりやすい場所かどうか、を見るのがいいだろう。たとえばその人のそばにバス停の標識が立っているなら、その人はバスを待っている可能性は高い。しかし、バス停でぼんやりしている人が、実際にバスを待っているのかどうかは、そこにバスがやってくるというイベントが起こり、そしてその人がバスに乗り込んではじめてわかる。
いや、これでも、厳密に言えば、まだあやしいところがある。
その人は、ただぼんやりしていただけで、たまたまそこにバスが来たので乗り込んだだけなのかもしれない。
その人がバスを待っていることを知るには、その人が、バスが来ることにどれくらい注意を払っているかが観察されなければならない。たとえば、ときどき、道に乗り出して、あたかもバスが来ないか調べるように遠くを見ているとか、あるいは遠くのバスを見かけていそいそと鞄を取り上げて列を作る、といった行為があるならば、その人がバスを待っていた可能性はぐっと高まるだろう。
なんだかくどい話をしているようだが、チンパンジーAが、アリ釣りをしているチンパンジーBを「まっている」のだというためには、以上のような考察を経る必要がある。
「待つ」という行為と「ぼんやりしている」という行為を分けるには、
1.その個体がとどまり続けている場所が、長時間過ごすには不自然であること。
2.その個体が、特定のものや場所、行動に対して注意を払い続けていること。
あたりが重要になってくるのだろう。
京都アーバンギルドへ。どのバンドも生で聞くのは初めて。二人以上の知り合いから独立に「いいよー」という話を聞いたのでいそいそと駆けつけた次第。この日はどのバンドもすばらしかった。
えでぃまあこんの溶かし込むようなボーカルと、サックスやフルートを駆けめぐらせるアレンジ。tapeの、電子音と生音を混ぜて合わせるトーンコントロール(電子楽器からピアノに楽器が移っても、まるで違和感がない)。
中でもテニスコーツは、必要な唄を唄ってひょいと止める手つきがすばらしく、最後にギターが、ちゃかちゃかっと照れたように弾き終わるのもよかった。最後にアンコールで全員が舞台に立ったのだが、十人くらいがひしめきあっているにもかかわらず、単なる大音量にならずにそれぞれが隙間を作っては他のメンバーを誘う大人っぷりには、かなり心動かされた。
外は雨。nanabirdさん、近代さんとあれこれ話して帰る。
身振り研究会。今回は、テレビ会議システムのある京都に行き、坊農さん、高梨君と合流する。テレビの解像度は申し分なく、東京会場のテレビをこちらからリモコンで操作できるという便利な環境。
発表は東京会場で、金原さんによる「共同説明課題における身振りの収斂について」。アニメーションを見せたあと、二人で説明をするという実験設定なのだが、従来のアニメーション提示実験と異なるのは、一人がもう一人に説明するのでなく、二人がともにアニメを見たあと、カメラの向こうの相手に説明するところ。このため、二人がともに同じ場面を説明するときに、お互いに似たジェスチャーが出たり、相手のジェスチャーを繰り返したりといった現象が見られる。これはおもしろいアイディアだ。
いくつかの事例を拝見したのだが、単にどちらかがモデルでどちらかが模倣者、というような役割分担が決まってるのではなく、お互いにジェスチャーを重複させながらバージョンアップさせていく様子が映っているように見えた。おそらく詳細な分析をすれば、このあたりの複雑なやりとりが見えてくるだろう。
金原さんのデータを見ながら、共同想起という問題についてあれこれ考える。
共同想起というのは、複数の人間が共通の体験を思い出す、という現象を指す。たとえば、一緒に見た映画を思い出したり、一緒にやった作業について思い出す、といった具合だ。
理屈の上では、全員が同じ体験をしているわけだから、想起の過程で新しい情報はなんらやりとりされていない、と、いう言い方もできる。
しかし、よくよく考えてみると、「同じ体験」というのは、提示刺激が同じであった、ということであって、詳しく見れば、同じ映画を見た二人の行動や感覚変化は、同じではない。
画面のどこに注意するか、場面間のシークエンスをどうまとまりとして捉えるか、どのキャラクターに感情移入するか、などなど、同じ映像を見ていても、注意の構成されていくプロセスは、人によってよほど違っているはずだ。でなければ、映画を見たあと一緒に見た知人と話し合ったときに、全然視点が違って驚く、といった経験を説明できない。
共同想起というのは、単に、すでに体験したこと、自分の注意したことを思い出す作業ではない。むしろそれは、相手のことばや身振りによって、自分の注意しなかったこと、自分のとらなかった視点が明らかになっていくプロセスではないか。
もちろん、だからといって、体験を「同じ」と考えるのが無意味だということにはならない。単に「注意が足りなかった」ではなく、「自分はこの人と同じものを見聞きしたはずなのに、そこには注意しなかった」という形で過去を捉え直すことこそが、共同想起のおもしろい点なのだろうと思う。
記憶研究では、過去に見たものをもう一度ことばや身振りで表すことを「再生」という。共同想起で行われていることは、単なる「再生」ではなく、自分の経験を相手のことばや身振りによって補完していくことであり、むしろ「更新」というべきだろう。
じつは「再生」と便宜上呼ばれているものも、厳密に言えば(下條さんが言うところの)「更新」なのであり、想起のたびに、注意しなかったもの、無意識の間に注意されたもの、などなどをもとに「補完」が行われるプロセスと言えるだろう。ただ、共同想起の場合は、相手のことばや身振りによって補完されるところが異なる。記憶がキメラに更新されるのだ。
では、他人のことばや身振りは、どのようにお互いの記憶の「更新」に預かるか。このあたりには、偽記憶問題や、供述分析などにも通じる、ジェスチャー研究のおもしろい問題が横たわっているような気がする。
烏帽子岩の秘密(というと「つぶやき岩の秘密」みたいだけど)を解き明かすべく、磯町の公民館へ。ちょっと公民館の資料を見せていただくくらいのつもりで行ったのだが、わざわざインフォーマントの方が来ておられて驚いた。そして、岩の名前を次々に言い当てていかれるのでさらに驚く。あとで、この方が元区長の酒居久一さんと知った。
明治期以降、しばしば写真に撮られている岩は「千両岩」というのだそうで、なんでも「この岩を切り取って玄宮園に持って行くことができたら千両やる」と誰かが言ったのがその名前の由来だとか。
そして烏帽子岩は、現在注連縄を張ってある岩で間違いないそうだ。
ということは、こうした区別を、かつての写真師や絵はがき制作者が把握していなかった、ということになる。
その他にも、酒居さんに、磯の町の構造についていろいろ教わる。軒と軒のあいだにある二尺ほどの小さな路地は「ひやわい」。「ひ」はおそらく「樋」ではないか、とのこと。狭い路地をひょいと覗くと向こうに琵琶湖が急に見えて、それからは家並みを行きながらも、ずっと、湖が近いな、という感じが続く。あれは、「ひやわい」感覚なのだな。
もう少し広い、六尺くらいの路地の多くは「出し合い」。畑と畑の境のあぜを道にするとき、お互いの土地を少しずつ出し合うので「出し合い」なのだそうだ。
これに、さらに広い主要の道があり、さらに掘り割りを埋め立てた道があるので、磯の道は少なくとも四種類の由来がある、ということになる。
それぞれ、別の記憶の地層を持つ道。琵琶湖の気配、両側に広がっていたはずの畑、村の主要道、そして足下に水の記憶。あちこちで行き止まり、屈曲しながら続いていく道を、縫うように歩く。
サンライズ出版の岩根専務来訪。ゲラを受け取る。受け取ってみると、あちこち直したくなる。まだまだ道は遠い。
最近入手した「烏帽子岩」という題の絵はがきに、かつてあった大岩が写っていた。磯の烏帽子岩がどの岩なのか、またわからなくなってきた。さらに聞き取りが必要か。
埼玉大学へ。会場をまちがえて、うっかり東京駅前のサピアタワーに行ってしまい、午前中のセッションを飛ばしてしまった。いやはや。
午後は、Heritageのsome/anyの話、そしてClaymanのニュースインタヴューで相手に呼びかける減少についての話。そのあと、山崎晶子さんの博物館ロボット、山崎敬一さんの介護ロボットの話。
終わってから、高田君と北浦和のホッピー酒場にふらりと入って飲む。最終の新幹線で彦根に戻る。
目白へ。切手の博物館。先日の大津歴史博物館のコレクションについて、いくつか基礎資料にあたる。自分はつくづく郵趣に疎かったのだなあということを痛感する。
郵便資料に関しては、アカデミックな研究よりもコレクターによる研究のほうが蓄積も多く、相当深いところまで進んでいる。
コレクションという行為には、対象に対する作法のようなものが自ずと発生する。このあたりが正直なところ、わたしのような粗忽ものにはつとまらない世界でもある。たとえば、切手の部分をぺたぺた触ってはいけない。郵便局員が風景印を少し曲がって押印したりすると、もうコレクションとしての価値が半減する。などなど。
わたしの場合、入手した絵はがきはべたべたと触り放題にしているし、記念印や風景印が曲がってようが多少インクが薄かろうが、「わかればよい」と思っているのだが、郵趣の基準からすれば、こういう態度というのは、いい加減の極みである。
夜、テアトル新宿で「22才の別れ」。「転校生 さよならあなた」が怪物級にすごかったので、期待して観に行ったのだが、こ、これは・・・。
主人公は1960年生まれという設定で、そこに一世代前の団塊世代感覚が埋め込まれている。ところが、脚本家は、これを「転校生」のような肉体と精神のズレとして描くつもりがない模様である。
だから、「わたし、若者になっちゃった!」もなければ、パンク・ニューウェーブやテクノに当惑する場面もないし、とりかえばやの相手である団塊世代の肉体を持った1960年代生まれに励まされることもなく、主人公はひたすら「生産」から切り離されて、コンビニと自宅を往復するように、マンションの螺旋階段をずっと登り続けるように、ろうそくを立て続けるように、はたまた同じ軌道を回り続ける模型鉄道のように、22才の別れにくりかえし回帰するのであった。ええいっ、やめんかやめんか。
というわけで、わたしには2時間半の上映時間が長すぎた映画と言えるだけです。ではつまらなかったかと言えば、津久見の海岸やセメント工場を車でドライブするくだりにぐっときてしまったので、もう後味の悪いことこのうえない。そんな後味の悪さを、あなたも体験してはどうだろう(いきなり観客に語りかける大林節をなぞってみました)。
ああ、粘った粘った。とにかく、すかっとしたくなり、デスプルーフの最終をもう一回みようと思って武蔵野館に行ったらもう売り切れだった。ちくしょう。
アメヤさん、コロスケさん、コドモちゃんと新大久保で夕飯。
1才のこどもは、すぐに注意がそれる。食べていたかと思うとテレビに目がいき、おとうさんに目がいき、おかあさんに目がいき、見慣れぬ客に目がいく。食べるという時間が細切れになる。口に運んだものは口元でこぼれてしまう。食べてはこぼし、こぼしたものに執着することもなく、目は別のものを追っている。
だから、1才のこどもの食生活は、食べることと他の行動とのあいだがシームレスで、はじまりとおわりが希薄な感じがする。
ところが、韓国料理屋で、ポンポン菓子に似た小麦の柔らかいお菓子をもらったときに、コドモちゃんは変わったのである。
ひとくちかじる。かじった残りを手に持つ。菓子は、てのひらに余るほどの大きさで、コドモちゃんはそれを握り続けている。またかじる。かじった残りが、まだ手の中にある。
食べているあいだ、視線は、宙を見ている。でも、手は、お菓子を離さない。表情が安定している。あたかも、口の中の味と、手の中の菓子とにつながれているように。
もしかすると、食べ物を持つこと、食器を持つことには、単なる「操作」以上の意味があるのではないか。それは、「まだあるな」という感じを手から伝え、情動に芯を与え、うつろいやすい注意を絞り込み、「食べる」という時間を作っているのではないか。
以前、現代思想の頃にお世話になった、角川の小島さんといろいろ話。本の計画。
渋谷でガビンさんといろいろ話。これまた本、というよりBCCKSの計画。
たまたま通りがかったユーロスペースで「This is Bossa Nova」をやっているので見る。映画館の前を通りがかる、というシチュエーションについコロリといってしまったのだ。
冒頭からギターを弾く手だった。それからはずっとギターを弾く人を見ていた。カルロス・リラの長い指。ホベルト・メネスカスの左手の指がわずかに浮いてミュートするところ。ワンダ・サーが意外に無骨な手で、コードをはっきりと弾きわけるのにも感心した。じつはジョアン・ジルベルト以外のボサノヴァ歌手に疎かったこともあって、いままで知らなかった曲の魅力にあれこれ接することができた。時間軸に沿ったドキュメンタリではないので、歴史はいきつ戻りつするのだが、それもボサノヴァの緩やかさと見る。
帰りにタワーレコードでボサノヴァのCDをあれこれ。なかで、ジョアン・ドナートの「ケム・ア・ケム」がすばらしかった。ドナートの名前は、ナラ・レオンによる"Gaiolas abertas"で知っていたのだが、ドナート自身がうたうのもいいなあ。
トム・ジョビンの自作自演の歌にも通じる、鼻歌の魅力。作者が拙い歌唱でぽつぽつ歌う、というのにどうもわたしは弱いらしい。
浅草へ。神谷バーで鬼海弘雄さん、小林美香さんと昼間からビール。小林さんの紹介で、鬼海さんの海外向けの写真集の解説を書くことになった。浅草が写真師にとってどんな場所だったかを解説しながら、浅草の猥雑さについてなんとかことばにする、というのがミッション。70年代から浅草で撮り続けてきた鬼海さんの写真集に、わたしのような新参者がうかうかと浅草の話をするのも恐れ多いのだが、これも何かのご縁なのだろう。
じつは来るときに、新幹線の中で鬼海さんの東京夢譚を見ていた(読んでいた)。鬼海さんは、写真だけでなく文章がまたすばらしいのだ。一日に出会った人々のことについて書いているだけなのに、表情や所作の拾い上げ方が、さりげなくも的確にその人の来歴を照らし出す。
東京駅に降りると、いきなり自分の観察眼がぐぐっと解像度を増しているのに気づいた。人の顔や事物の顔(ファサード、とでも言うべきか)が、浮き出すように見えて、とにかく歩いている人一人一人の顔、体からぶらさがっている手、足が、なぜかしら生々しく見えてくる。鬼海さんの写真と文章の読後感が、慣性の法則のように残存しているせいだ。人々が、鬼海さんの撮るポートレートのように、蒲団のような顔をしている。
鬼海さんに会ったときにそのことを思い出して、「写真集を見てたら、なぜか、蒲団のような顔だなあ、と思ったんです」と見たままの感想を言った。すると、鬼海さんは、「ああ、蒲団はいいんですよね、日向に干してあったりすると」と言うので、「ぺるそな」の写真を思い浮かべながら、ポートレートから温かい臭気が吹き出すような気がした。
夜、新宿武蔵野館で「デスプルーフ in グラインドハウス」。わあ。エンドクレジットで思わず爆笑、手を叩いてしまう。映画館出てからも、西部劇を見たあとの満賀道雄状態で、むふー、むふー。
二本足で歩くこと、二本の手と足でしがみつくこと、そのアンバランスさとけなげさと強さに、完全にやられてしまった。歩いているこの二本の足に、映画の足がとりついている。
ちなみに、西部劇を見たあとの満賀道雄状態、とは、「まんが道」によくあるシーンのこと。漫画を描いて部屋にこもりっきりだった満賀道雄と才野茂が「ところで映画なに見る!」「革命児サパタ!」「革命児サパタ!」などと言い合って、新宿に映画を見に行く、あの場面のことである。
「映画館からでた満賀道雄と才野茂のふたりは、すっかり、革命児サパタになりきっていた!」
そんな興奮をなだめるべく、宇波君、モモちゃんとお茶。
夜中に新宿バルト9で「トランスフォーマー」。うーん、これは夜中過ぎには辛かった。とてつもなく動体視力を要求する「トランスフォーム」っぷり。ぼくにはPixarの描く、ヒューマン・タイム・スケールのアニメのほうがしっくりくる。
午前3時過ぎに歩いて宿に戻る。彦根にいるときよりも新宿に滞在しているときのほうが映画を見ている。新宿は徒歩圏内にたくさん映画館があるので、ふらりと立ち寄りやすい。
大津歴史博物館に最近入ったという絵はがきのコレクションを拝見しに行く。学芸員の木津さんとアルバムをひとつひとつ点検しながら、コレクターと収集物との関係を推測していく。数時間にわたってざっと見た結果、木版画の歴史と絵葉書の歴史が交錯する、とてもおもしろいコレクションであることがわかった。これは本腰を入れて取り組まねばなるまい。
夜、拾得で、むいジャグバンドのライブ。往年のむい関係者が次々とステージに現れる。じつは、ぼくは京都に長いこと居たのに、むいジャグバンド周辺の音楽とたまたま接することがなく、初めて聴くセットがほとんどだった。だから、この場で共有されているであろう思い出を、ほとんど知ることはないのだが、それでもいろいろ楽しめた。福島さんがマンドリンを弾く姿も初めて見たし、ひがしのひとしさんの弾き語りと桂牧のセットは、詩と曲の関係がすごく新鮮だった。こういうと失礼かもしれないが、むかしの曲が、全然古くないのだ。
名古屋からはJug Pot。小川真一さん(師匠)とは、NIFTY時代からの古い知り合いなのだが、じつは演奏を聴くのは初めてだった。
それにしても、どのセットも声に見合った弦の音、弦の音に見合った声だなあ。ギターを弾くということについて、あれこれ考えてしまった。
遅い電車で彦根に戻る。