世界水泳シンクロのフランス代表のテーマが「精神が衰弱している彫刻家の苦悩」だという。精神を泳ぐのか衰弱を泳ぐのか、はたまた彫刻家と苦悩がシンクロするのか、いずれにしてもとんでもない世界ではある。そのうちYOSAKOIそーらん祭りあたりに「鬱に苦しむ哲学者の散歩」といった演目が出たりしないだろうか。
田中求之氏の日記(2003.07.11)に、先日書いたblogと日付の違いに関してコメントされているのを発見(ちなみに田中さんのHyperCard用のXCMD/XFCNにはDr. Burroughsを作るときにお世話になっている)。日記が読者を意識するのはタイトルをつけるという行為においてである、という趣旨。もっともだと思う。そして、このことは、公開時のタイムスタンプがもたらすmanifest性と矛盾しない。
タイトルをつけることも、タイムスタンプがつくことも、ともに読者よりに日記をシフトさせる。にもかかわらずあえてタイムスタンプのほうに引かれる理由は、タイムスタンプを付けるのが日記の書き手ではないからだ。
タイトルを付けるという行為は、日記の書き手が自ら行なうことなので意識化されやすい。これに対して、タイムスタンプのほうはシステムが行なうことなので意識化されにくい。そしてぼくにとって興味があるのは、意識化されることなくディブロウのように効いていくできごとのほうである。
さらに実験。ちょっと今年は実験を詰め込み過ぎた。実験と並行して実習をやっていると、どうしても、どちらかが粗くなる。もう少し十分実験に立ち会う時間があるといいのだが。
夜中に中古DVDで「CUBE」。限られた空間を使って飽きさせない力量はたいしたものだと思うが、あまりに作り物めいて、映画学校の秀才が作ったという感じがぬぐえない。狭い空間にとじこめられるという筋書きから真っ先に連想したのはエレベーター映画だったが、じっさいにこの監督の習作がエレベーターものであることを知って納得した。たぶん、20才代の自分だったらすごく共感したと思うが、この年になると、「うまく作られている」というだけではぐっとこない。
朝、二日酔いの身体をなだめつつ、彦根へ。何をする気もおこらず、だらだらと過ごす。夜、DVDで「マルコヴィッチの穴」。不覚にもいままで見たことがなかったのだが、これはたいそうおもしろかった。マッハの自画像のような、狭窄な視野。カメラは誰の視点に立っているのか、ということを強く意識させる筋書き。マルコヴィッチがマルコヴィッチに入ったら・・・という、映像の再帰構造を考えさせる仕掛けなど。しかし、じつのところいちばん気に入ったのは、マルコヴィッチの出口が「ニュージャージー・ターンパイクの見える土手」というところだった。脳の郊外。
名大で「認知と行為」研究会。曽我 麻佐子さんのバレエ創作を支援するWebベースの振付シミュレーションシステムの話。小林由紀さんのガーデンパス文と作動記憶の話。そして吉村浩一さんの逆さめがねの話。 特に、吉村浩一さんの話は、ジェスチャーの左右問題を考える上であれこれヒント満載だった。
本山駅近くに移動して飲み会。前回もそうだったのだが、山本先生はぼくが何か話をすると、じつによいタイミングで全く別の球を返してこられる。今回は「コミュニケーションは腰が大事」という非常に示唆的なアイディアをいただいた。なぜこのアイディアに興奮したかというと、ぼくは現在、メンタルローテーションを促進する身体運動というものを考えているからである。
左右を区別したり、メンタルローテーションの認知を促進するときに、人はしばしば腰をひねる。この運動、あまり心理学では扱われていないのだが、対話行動を見ているとしばしば観察される。さて、180度メンタルローテーションが必要だからといって、人は180度腰をひねるわけではない。ほんの30度ほどひねる。
もし、このような腰ひねりによってメンタルローテーションが促進されるのならば、ひねる度数にかかわらず、上半身と下半身がねじれるという身体運動によってメンタルローテーションが促進されるということになる。「腰をひねってる」ということを体感できると、人は、自分の現在の立ち位置と違う空間を把握しやすくなる。そんなことがあるだろうか。あるかもしれない。
さらに、看護大学の白石さんからは、看護士が日常的に相手の左右をメンタルローテーションして記述する立場にある、という話を伺う。カルテを書くとき、患者と看護士とはたいていの場合向き合っている。そしてカルテには、身体の左右を書き込むことが頻繁にある。考えてみれば、カルテを書くという行為は、しじゅう、左右問題にさらされているわけだ。たとえば、半身不随の左右を取り違えてカルテに書いたら重大なトラブルに発展するだろう。ならば、医療現場における左右の取り違えをどう減らすか、というのは、左右問題の応用領域として大きな可能性を持っているといえる。
他にもあれこれアイディアがわきまくるが、やがて酒に溶け、気がつくととっくに帰る電車もなく、斉藤先生のご好意に甘えて、名大の実験用ベッドで泊めていただく。枕元には心理学文献がずらりと並び、禁欲的な夢が見れそうな部屋。
うっかり携帯を大学に忘れてしまった。昨年末までは蛇蝎のように嫌っていた携帯電話だが、いまやあれがないと親指記も打てないし明日の予定もわからない。困ったことだ。困ったことだが、この雨では自転車で取りに行く気も起きない。
パースペクティブは「私」を含んでいる。
浜田寿美男「身体から表象へ」では、このことが物語生成における問題としてやや象徴的に書かれているのだが、これはむしろ視覚心理学的に、ごくプレーンに
考えるとよい問題だと思う。私の視点が設定されなければ、パースペクティブは得られない。当たり前のようだが、この当たり前のことは、パノラマにおいては
簡単に忘れられ、間違ったパノラマが作成される。
社会言語学会の申し込み〆切日だった。あわてて発表要旨をまとめる。
夜、ひさしぶりにハッシュ。
記憶は通常、認知の問題として考えられる。だから、記銘・保持・想起という三段階がクリアに分かれるように思われる。しかし、コミュニケーションでは事情が異なる。
Aが記憶を想起し表出しているとき、Bは、Aの記憶表出を記憶する必要がある。Aの表出はBの記銘へと裏返る。
おそらく一個人内でも、こうした現象が起こりうるだろう。手続き記憶を身体によって表出しつつある者が、自分の身体が動くのを言語化しようとして、身体
表出を記銘に結びつける。このとき、手続き記憶は、単なる記憶の想起(再生)ではなく、想起と記銘を折り重ねる行為だということになる。
会議会議。公立大学である勤務先にも、独法化の波は遅まきながら訪れつつある。会議は長引く傾向にある。会議が苦手な人間にとっては辛い時代である。
公立大学に対する独法化の影響をすこぶる簡単にまとめてしまうと、「自治体に分かるように結果を出せ。分かるような結果を出すセクションに自治体は金を
出す。出さないセクションは解体統合再編成する。」ということであり、公立大学は研究であれ教育であれ、自治体に対するプレゼンの時代に入ったということ
である。よい研究、よい教育をすればそれでよい、のではなく、よい研究をやってますよー、よい教育をやってますよー、とプレゼンする必要がでてきた、とい
うことだ。国立や私立とやや異なるのは、「自治体に対する」という点である。
会議が長引く原因にはいろいろあるが、これまたすこぶる簡単にまとめてしまうと、教員の側に「自治体に分かるような結果を出す研究・教育」と「よい研
究・教育」とが、必ずしもイコールではない、という危惧が働くからである。もちろんイコールではないのだが、私のような不埒者は「そこは、プレゼンでイ
コールに近づけたらええやん」と思ったりする。するのだが、ことは「よい研究・教育」とは何かという問題にスライドしていくので、簡単に話はまとまらな
い。
夜、京都のカフェ・アンデパンダンでBroken
Consortのライブ。江崎・宇波Duo。すごい音数の少なさ。で、江崎さんがCDか何かをペットのベルに付けて、ぷ、ぷ、と思い出したように音を出す
のだが、この音がじつに考えさせるというか気配を感じさせる。聞こえている部分以上に、聞こえてない部分がでかい。宇波くんの音は、もしかして、空調の
ファンがからまっているのか?と思うほどほとんど空調にまぎれていている。あとで聞くと「それが狙いだった」とのこと。
世の中の音楽は通常、空調が気にならない音楽と空調が気になる音楽に分かれている。たとえば大音量のポップスが流れているとき、空調の音は耳には届いて
も頭の中で自動的にキャンセルされるだろうし、ものすごく静かなピアノソロが流れているときは、空調の音が耳障りでしょうがないだろう。しかし、空調を音
楽に転じる音楽というのはあまり例がない。
Broken Consort、Rhodri
Daviesのハープはまるでカーテンのように押し開かれ、スチロールの卵やボールや洗濯ばさみがはさまれる。アコースティックと思えない音が鳴る。音だ
けでなく、視覚的にもとてもおもしろいパフォーマンスだった。まるで客席も舞台もない、カーテンだけの劇場を横から見ているような気分だった。
まっとうに仕事。
おとついからwww.12kai.comへのアクセス数が激増しているのでどうしたのかと思ったら、どうも台湾のペーパークラフト情報ページから浅草十二階のペーパークラフトがリンクされているのが原因の一つであることが分かった。彼の地で浅草十二階を組み立てている人がいるのであろうか。ちなみに設計者のバルトンは台湾の水道を整備した人間でもある。
この他、オランダのペーパーモデルのページや国内のリンクからもアクセスが多い。ペパクラ熱はワールドワイドであるらしい。そういえば、デルフトに行ったとき、主な建築のほとんどがペーパークラフト絵葉書になっているのに感心した覚えがある。
日本では夏休みも間近ということで、これからペーパークラフトのダウンロードが盛んになるだろう。新学期、どこかの小学校の教室に浅草十二階が飾られたりするんだろうか。だとしたらちょっとうれしい。
親指記を携帯から打ち込んでいると、この感覚は日記とは少し違う。その原因はタイムスタンプにあるように思う。
日記では、書いた日時もしくはできごとの起こった日時を書き入れる。いっぽう親指記では(掲示板やblogでもそうだが)、文章が打ち込まれた日時ではなく、それが送信され公開された日時が添えられる。
つまり、サーバがタイムスタンプをつけるシステムでは、いつ思いついたかよりも、いつ公開されたかのほうが重いのだ。
その意味では「親指記」にしてもblogにしても、日記というよりもむしろ(英語本来の意味での)「manifest」。つまり「(相手の)意識に現わす」に近いのではないか。そう考えると、blogにハマる感覚と日記にハマる感覚の微妙な差異が解けるように思う。おそらく、blogはよりmanifestingな行為なのだ。
逆に言うと、それが「blog」と呼ばれるか「diary」と呼ばれるかよりも、そこに記されているタイムスタンプが、どのような行為の日時を示しているかのほうが重要なのではないか。
疲れたにゃー。何をする気もおこらんにゃー。猫になるのもいいかもにゃー。と、近くの電気屋で「猫の恩返し」を買ってきて見たものの、にゃんだこれは。と
てもオトナが見て楽しむ脚本ではない。主人公が自分の時間を取り戻す、というのがテーマらしいのだが、別段、取り戻さねばならぬほどの時間があるようにも
見えず、単にお寝坊さんが早起きになりましたという話だった。アニメーションとしては猫の事務所にいたるシークエンスが目を引いたくらいか。それにしても
このバロンってやつにはファンタジーのかけらもないな。なんといっても声優が最低。タキシード仮面のほうがよほどマシだ。
あんまりなので、散髪に行き、帰りに安売りDVDの「モンク」を買って見る。モンクのあろうはずがない。旋回する文句はいきなりとてつもなく速く旋回する。
昼前に帰宅。がーっと寝る。
午前中に長命寺。紫陽花の盛り。雲は厚いが、どうやら雨にはならぬようでほっとする。
昼、堀切港から沖島を一周して港へ。瀬戸やさんで昼食。一人前2000円なのにビワマスも鯉の洗いもつき、ウナギもあり、あれこれ奮発していただいた。
量的には今日くらいがちょうど食べきれる感じ。腹ごなしに島の西岸を無人観測所まで歩く。畑仕事に通うのはほとんどが女性で、三輪車のうしろに作業道具や
収穫物を乗せて往復している。この西側の畑はかつて、自衛隊が上陸演習用という名目で開拓したのだそうだ。
その後、ボランティアの西井さんにあちこち連れていっていただくが、沖島はなにもかも初めての学生が十数人ぞろぞろとついて行くので、なかなか足取りは
はかどらず、興津島神社についたところで時間切れとなった。西井さん力作の、カレンダーの裏に筆で記された系譜の披露はまた次回ということに。
夕方、ウッディパル余呉へ。食事と入浴をすませて午後8時半から始まったプレゼンは延々11時まで。いくつか修正はあったが、なんとかここまでこぎつけた。ようやくなごみタイムとなり、学生の恋愛話など聞くうちに夜明けに。
午前に演習。昼過ぎに彦根港へ。住職の勝見さんが迎えに来て下さっていた。ここから連絡船で多景島へ。花崗岩の島。岩場に作られた階段を上り下りしていく
と、ぎざぎざとした岩の稜線で切り取られた湖が見え隠れする。晴れならば遠く向こう岸まで見渡せるだろう。いまは足下からまっさかさまに下っていく崖に目
を奪われ、滑らぬように注意しながら歩いていくだけだ。どこから来たのかざぼんのような半切りの果物の皮がぷかぷかと岩間に浮いている。落ちるとああなる
のだろう。あちこちに卵が散乱していて、そこからイオウ温泉のような腐臭がたちのぼってくる。カラスが食い荒らしたカモの卵だそうだ。
雨はふりしきる。「蟻のとわたり」と呼ばれる岩の切っ先を伝っていくと、南無妙法連華経の刻まれた大岩。竹の足場を組んでのみで刻んだのではないか、とのこと。風のきつい、離れ小島での作業を思うと気が遠くなる。
島の西側には石塔。もともとは東側にあったものが移築されたそうだ。で、その東側には、どういうわけか、五箇条の御誓文を刻んだ石柱が。四方には銅板が
埋め込まれた豪勢なもので、大正末期に作られたという。そこにかかった予算は、大阪城天守閣の修復代に匹敵したとか。わざわざこんな人気のない場所に、遠
く離れた岸からその姿のみがおぼろげに見えるような位置に、なぜ当時、明治天皇の偉業をこのような形で祈念する必要があったのか。
見塔寺の社務所でお茶をいただき、勝見さんのお話をうかがうと、どうやら、勝見さんが来られた当時は、その石柱からは銅板が剥げ落ち、祠もあばら屋のよ
うになっており、島ごと荒れ果てていたらしい。離れ小島のこと、修復には並々ならぬご苦労があったのだろう。
再び連絡船で彦根港に戻り大学へ。明日の準備。
先週・今週と行なった実験の結果を松嶋さん、成田君と見直す。あれこれ設定の甘い点が明らかになり、どうしたものか考えてしまう。その一方で、記憶することと伝達することがシームレスになるようなコミュニケーションの可能性があれこれ見えてきた点は収穫だった。
夜、「トリヴィアの泉」という番組を見ていたら、クマムシの紹介でいきなり同級生だった野田くんが出てきてびっくりしてした。10数年くらい会わないう
ちに、すっかり「博士」の風貌になっている。となると、ぼくの記憶の中の、つるつるでわんぱく顔の野田くんが「博士前」ということか。お茶の水博士や天馬
博士など、さまざまな博士を思い浮かべて、彼らの「博士前」を想像してみる。
午前中に講義がないのをいいことに朝はがーっと寝る。今週は週末まで実習なので体力を温存しておかなくては。
この実習は環琵琶湖文化論実習といって、勤務先の大学の目玉のひとつとなっている。実習先との交渉や日程調整、交通機関や宿泊先の確保など、主な作業は
教員の仕事。担当にあたった年はけっこうきつい。修学旅行を担当する先生の境遇に近いかもしれない。前にも書いたが、事務とスケジュール管理と会計はぼく
のもっとも苦手な作業で、この実習はその作業がてんこ盛りになっている。金とスケジュールのことを考えるだけで頭がワヤになる。幸い、学生は楽しそうなの
で気が紛れる。
すでに犬上川河口、大洞、元松原内湖地域、竹生島をこなし、漁師の戸田さんの話を伺っている。これに多景島、沖ノ島、長命寺が加われば、湖東と湖の生活
史や観光史を考える材料は一通り揃うことになる。たぶんこれまでの実習でいちばん豪華なメニューではなかろうか。今年の一回生は幸いである。あとは天気
だ。
本来なら何ヶ月も前に綿密なスケジュールを組んでおくべきなのだろうが、調べるべきことが具体的になってくるのはよほど実習が近づいてからなのであって
(出たとこ勝負ともいう)、結局今日も、あちこちに電話をかけまくり、スケジュールを変えることになった。ほとんどの交通機関の時刻表や連絡先はホーム
ページを検索すれば見つかる。たぶん、ひと昔前ならこの作業だけで胃薬一瓶空けていただろう。IT革命さまさまだ。
おとつい買った覗きからくりの絵を描いている絵師、宮川春汀(1873〜1914) のことをネットで調べてみると、意外にぼくの関心に近い人物であることがわかった(やしの実大学)。
彼は博文館の挿絵画家で、柳田国男や田山花袋と親交があった。さらには、渥美半島の出身であるこの宮川春汀の話を聞いた柳田国男が、伊良湖を訪れて、椰子
の実の漂着のことを知り、その話を聞いた藤村があの「椰子の実」の詩をつくったというから、因果はめぐる糸車、それともまわる風車。
花袋の「一兵卒」の主人公は、小説の終わりで渥美半島の出身であることが明かされるのだが、それがこの宮川氏と関係があるかもしれないという考察もある(後藤吉孝氏の「雑記草」)。
兵士がかれのポケットを探った。軍隊手帖を引き出すのがわかる。かれの眼にはその兵士の黒く 逞しい顔と軍隊手帖を読むために卓上の蝋燭に近く歩み寄ったさまが映った。
三河国渥美郡福江村加藤平作……と読む声が続いて聞こえた。故郷のさまが今一度その眼前に浮かぶ。母の顔、妻の顔、 欅で囲んだ大きな家屋、裏から続いた滑らかな磯
、碧い海、なじみの漁夫の顔……。
(田山花袋「一兵卒」
花袋は宮川春汀の話を聞いて伊良湖に実際に行っており、その記録は、明治三二年に太陽に掲載された「伊良湖半島」や後の「伊良湖岬」などの紀行文に残っている。上の引用文に表われる「欅で囲んだ大きな家屋、裏から続いた滑らかな磯
、碧い海、なじみの漁夫の顔」といった部分は、花袋の体験に基づくイメージだろう。