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話と歌

音盤

2009年2月
2ndアルバム「惑星」
発売決定!
2/27 レコ発ライブ@loop-line


かえる目1stアルバム
「主観」

主観
オンラインで買うなら
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書いた

扉野良人編集・羽良多平吉書容設計『Donogo-o-Tonka』に「管の中へ」

『東京人』書評
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2009.2 川上弘美「どこから行っても遠い町」
その他

ことば・空間・身体
ことば・空間・身体
(ひつじ書房)

絵はがきのなかの彦根
絵はがきのなかの彦根
(サンライズ出版)

絵はがきの時代
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(青土社)

その他




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The Beach : 2009

細馬 宏通
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お知らせ

鬼海弘雄展ギャラリートーク
 2/7(土)ギャラリー楽で行われる鬼海弘雄さんの写真展で、企画者の福のり子さんとギャラリートークをします。→詳しく

「覗く・透かす」カメラ・オブスキュラ@スミス記念堂
 2/8(日)スミス記念堂(彦根)でカメラ・オブスキュラ展示。今回は透かし絵はがきの鑑賞会も。→詳しく

20090131

 宿を出て近くの喫茶店で長いこと貯めていた原稿をがーっと書く。なんとか脱稿。崎陽軒のシュウマイを買って帰る。



20090130

HOSE@渋谷nest

 なぎ食堂に寄ると今日は貸し切りで小田さんと植野さんが仕込み中。にもかかわらず飯をごちそうになる。前回に続き、なぎタダ飯。植野さんは最近図書館で借りた武満BOXをずうっと聞いているそうで、武満話をひとしきり。

 それにしてもなぜみんなここに迷わずに来れるんだろう。来るたびにnestとかwestとかostとかbestとか行き場所に困るのである。
 というわけで、三つくらい入口を間違えた末にようやくnestにたどりつく。小笠原鳥類くんのフラットな朗読のあと、第一部はポール・モーリアで始まる。ストリングがないので、どうにもプカプカした演奏なのだが、ハープがあるおかげでなぜかときどきゴージャス。位置的にはハットリくんが、態度的には泉くんがすごく居丈高だった。
 突然うしろでドアを蹴破る音がして、謎の男、虫博士登場。普通の青年の恰好から例によって服を脱ぎ始めてスパッツ一丁に。ポがつく名曲の数々を久々に聞いた。

 第二部はHOSEの底抜け名曲の数々。HOSEは管。管で腹一杯。

 ところでみなさま、HOSE IIは聞かれたでしょうか。わたしの感想はこうです。

 深夜、ゴールデン街で虫博士と動作についてのシリアスな話。



20090129

 社会言語科学会の発表要旨を出す。昨年のLaTex導入から一年、ようやくLaTexのありがたみが出てきた感じ。



20090128

昨日の続き

 情動の有名な理論に、シャクター&シンガーの二要因説というのがある。彼らによると、情動は、「覚醒度 arousal の高まり」とそれに対する「解釈」という二段構えになっている。まず、当人の自律神経系が引き起こす覚醒度が高まる。次にその高まりは、環境内の手がかりと結びつけられて情動となり、主観的な体験(感情)として感じられる。
 彼らはこのことを確かめるために、こんな実験をした。
 学生にアドレナリン注射をする。あるグループに対しては、注射されたのはアドレナリンで、興奮作用を引き起こすのだということを知らせる。別のグループにはこうした情報を与えないでおく。そこに、もう一人、サクラの被験者が入ってくる。その被験者はいきなり質問紙を破いたり、実験に不満を言ったりする。
 すると、注射について説明を受けていないグループは、受けているグループよりも、サクラに影響されて粗暴な行動を始める人が多いのである。
 つまり、ただの注射によって興奮していることに違いはないのに、その原因がわからないグループは、自分があたかもサクラの行動によって興奮しているかのように誤認してしまうのである。これをシャクターたちは「覚醒の誤帰属」と呼んだ。

 「覚醒の誤帰属」というのは、何も手の込んだ実験下だけで起こるのではない。わたしたちは、あるできごとによって興奮させられたあとに別のできごとを見るとき、あとから来たできごとを、興奮の原因だと思い込むことがある。
 次々起こるできごとに対して情動が繰り越され、帰属されていくこと自体は、誤りというよりはむしろ、わたしたちの本性と言えるだろう。わたしたちの経験する現象はしばしば、ひとつながりの行為の連続によってできている。一つ一つの行為ごとに情動をそのつど立ち上げ直すよりも、むしろ前の行為で高められた情動を、次の行為を解釈するときに引き継いでいくことで、行為の連鎖はよりうまく解釈されるだろう。誤帰属は、そうした解釈がたまたま陥る間違いの一つ、と言えるだろう。

 さて、ここからはちょっと眉に唾つけて聞いて下さいよ。

 ある演説が、ネガティヴな発言によって聞き手の緊張を高め、その情動が十分に高まったところで、ポジティヴな発言を放つとする。だめ押しに、そのポジティヴな発言のあとに、(サクラによる)ちょっとした拍手が添えられるとする。すると、ナイーヴな聞き手は、高められた自分の情動をまるごと、ポジティヴな発言によって引き起こされたものと受け取ることだろう。

 おそらく、オバマ演説で最初におこった拍手は、このようにして引き起こされた。

 もちろん、こうした情動を高めるには、聞き手がその演説にすっかり没入しなくてはならない。そのためにオバマ演説には、聞き手をこの特別な場、この特別な時に居合わせた者として扱う、さまざまなフレーズが埋め込まれている。それが「people」ということばであり「On this day」ということばである。

On this day, we gather because we have chosen hope over fear, unity of purpose over conflict and discord.
On this day, we come to proclaim an end to the petty grievances and false promises, the recriminations and worn out dogmas, that for far too long have strangled our politics.

 今日この日、わたしたちは集いました。恐怖よりも希望を、諍いや諦めよりも目的の一致を選んだからです。
 今日この日、わたしたちは終わりを告げるのです。つまらない不平や空手形に。わたしたちの政治をがんじがらめにしてきた、非難の応酬と使い古されたドグマに。



20090127

「わたしたち」は「人民」と呼ばれる

 オバマ大統領の就任演説で、テキストの上では目立たないが、重要なポイントがいくつかある。
 そのひとつは、「We the People have remained faithful to the ideals of our forbearers, and true to our founding documents.」という一節だ。
 この文の冒頭でオバマは「We」と「the People」とのあとに、たっぷりと間を置く。この間は、身体動作にも表れている。オバマは右を向いて「We」と言ってから右手拳を軽く挙げてことばを切り、次に左に向き直って、「the People」と言ってから左手拳を軽く挙げる。彼は演説中、フレーズごとに顔を左右に向け直すが、拳を上げるのは、この瞬間が最初だ。

 オバマや彼のスピーチライター(27才だという)に、大観衆がいかに「見えている」かを感じさせる箇所である。

 この演説で「We」が使われるとき、それはホワイトハウスの前に集った何百万人のことを指す。人々は、ここに集った自分のことが「We」と呼ばれ、それが力強く区切られて「the People」と言い直されるのを聞く。
 「the People」が指しているのは、ただの「人々」ではない。それは、オバマがことあるごとに引用し倣ってきた、リンカーンの演説にある「人民 the People」、人種や文化の違いを越えたUnited Nationとしての「人民」のことを指している。人民を、人民により、人民のために統治する(government of the people, by the people, for the people)、の「人民」である。

 この強いフレーズによって、聞き手は、この場に集っているのがただの烏合の衆ではなく、「人民」なのだ、ということを実感する。そして、リンカーンが小声で宣言したというこの言葉を、いまや何百万人もの人々が一堂に会して聞き入っていることを実感する。ここから先、演説の中で繰り返される「We」は、そのような「人民」のこととして聞かれることになる。「we are in the midst of crisis」というときのweも、「the challenges we face are real」というときのweも、人民の「we」であり、そこで語られているのはここに集う「人民」の危機であり、「人民」の試練である。

 このような「we」に対する危機が次々と数え上げられる。その積み重ねによって、情動はいやが上にも高められる。それにしても、演説の内容を聞く限り、この情動の高まりは、深刻な事態に対する恐れの感情として感じられるだろう。その直後になぜ、拍手喝采が起こるのか。



20090126

情動と演説

 講義。先週、別の講義で、オバマ大統領の就任演説を見なかったという人が多数だったので、その一部を見せながらちょいとお話する。
 情動論の講義なので、演説と情動の話。

 最近の心理学研究では、情動 emotion と感情 feeling を区別する。日常生活で、わたしたちは状況を認知的に評価し cognitive appraisal 、我知らず情動を動かされ、どんな情動が自分にわき起こっているかを主観的にとらえる。この主観的な経験 subjective experience of emotions が感情 feeling である。つまり、感情とは、意識に上りにくい情動を主観的に捉え直した状態、ということになる。
 認知的評価→情動変化→主観的な経験(感情)→これらの過程へのフィードバック反応、というループを繰り返しながら、わたしたちの感情生活は営まれている。
 情動や感情は、ずっと一定の状態で安定しているわけではない。情動は、状況の認知的評価に応じて変化するし、感情はさらにそれに遅れてやってくる。認知的評価は、必ずしも刻一刻と変転するわけではなく、ひとまとまりの行為連鎖のチャンクに対して起こる。従って、情動や感情の時間変化は、できごとの時間構造に左右される。
 たとえば演説を聴くとき、聞き手の認知的評価は、演説言語の持っている、音、単語、分節、句、文、あるいは沈黙や抑揚などなどによって形成されるチャンクに左右される。認知的評価は、こうした言語構造に左右されながら特定の位置で変化し、わたしたちの情動を揺らし、主観的な感情体験の波をもたらす。
 認知とは、単に個人的な体験とは限らない。何百万の人が集まって、一人の人の話を聞く。演説の内容だけではなく、その場にいる他の人々の行動もまた、認知的評価に影響する。他の人々が黙っていること、ため息をもらすこと、声をあげること、拍手をすること、あちこちから怒号のような喝采が起こることによっても、わたしたちの情動は揺らされる。

 では、音楽もなく、絵画も映画もない、ただの演説を聞きながら、人々の情動はどのように動かされるのだろうか。
 たとえば、オバマ大統領の就任演説の最初の喝采部分にいたる部分を考えてみよう。

 実際に聞いていくと、そのほとんどの部分は、明るい話ではない。むしろ、現状に対する厳しい認識である。

Forty-four Americans have now taken the presidential oath. The words have been spoken during rising tides of prosperity and the still waters of peace. Yet, every so often the oath is taken amidst gathering clouds and raging storms. At these moments, America has carried on not simply because of the skill or vision of those in high office, but because We the People have remained faithful to the ideals of our forbearers, and true to our founding documents.
So it has been. So it must be with this generation of Americans.

 ただいまをもって、44人のアメリカ人が大統領就任の宣誓をしたことになります。誓いは、繁栄の上げ潮の中、波風のない平和の中で立てられたこともありました。しかし多くの宣誓は暗雲立ちこめ、吹き荒れる嵐の中で行われてきました。そうしたときにもアメリカは乗り越えてきました。それは単に国家政府が有能で先見の明があったからではありません。わたしたち、人民が、先人の理想に対して忠実であり続け、建国の文言に誠実であり続けたからです。
 それがこれまでのアメリカでした。だから、この世代のアメリカ人にとっても、そうでなければなりません。

That we are in the midst of crisis is now well understood. Our nation is at war, against a far-reaching network of violence and hatred. Our economy is badly weakened, a consequence of greed and irresponsibility on the part of some, but also our collective failure to make hard choices and prepare the nation for a new age. Homes have been lost; jobs shed; businesses shuttered. Our health care is too costly; our schools fail too many; and each day brings further evidence that the ways we use energy strengthen our adversaries and threaten our planet.

 わたしたちが危機の最中にあることは、もはや明らかです。わたしたちの国家は戦いの最中にあります。相手は暴力と憎しみの広大なネットワークです。わたしたちの経済はひどく弱体化しています。それは、一部の人々の強欲や責任逃れによって招かれた結果ですが、同時に、厳しい選択をすることなく、新しい時代への国家準備を怠った、わたしたち全員の失敗でもあります。家は失われ、雇用は削られ、多くの事業が閉鎖されました。あまりに高いコストが健康にかかり、あまりに多くの学校が機能しなくなりました。わたしたちのエネルギーの使い方は敵の力を強め、この星を脅かしていることが、日に日に明らかになっています。

These are the indicators of crisis, subject to data and statistics. Less measurable but no less profound is a sapping of confidence across our land - a nagging fear that America’s decline is inevitable, and that the next generation must lower its sights.

 これらは、データや統計に基づく数値化された危機です。しかし、数値にはなりにくいけれども、これらに劣らず深刻な問題があります。それはこの国を覆っている自信喪失感です。アメリカの凋落は避けがたい、次の世代はうつむいて過ごさねばならぬというぬぐいがたい恐怖です。

Today I say to you that the challenges we face are real. They are serious and they are many. They will not be met easily or in a short span of time. But know this, America - they will be met.

 今日この日、わたしは言いましょう。わたしたちが直面している試練はリアルだ、と。試練は深刻で、大量にあります。試練は簡単には、短期間では決済できないでしょう。しかし、知っておくべきことがあります、アメリカよ、試練は、必ず決済されるのです。

 このように、さんざん暗い事実が確認されたあと、最後の「But know this, America - they will be met.」の直後に、人々はどっと拍手喝采するのである。なぜか。

 という話をしたのだけど、長くなったので続きは明日。

 なんとか一本原稿をやっつける。
 気晴らしに歌でも唄いましょう。

沼 411:曇り空

kaerumidori.gif「曇り空」(荒井由実作詞・作曲)。お便り紹介。
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20090125

 低調である。
 Dr.スランプである。

 遅筆はいまに始まったことではないが、今回はかなり深刻である。遅らせるほどの分際ではまったくないのだが、それでも、遅れるものは遅れる。各方面にはご迷惑をおかけしている。
 このような事態を自分では「低空飛行」と呼んでいる。経験上、こういうときは、落ちない程度にゆるゆる飛ぶよりほかない。まったく申し訳ない。申し訳ないが、そういう現状であります。

 原稿のみならず、さまざまな仕事やお返事が停滞している。これまた申し訳ないが、そういう現状であります。

 年齢がら、さまざまな委員や役職のお話がある。できるだけ断っているが、義理と人情の都合上、断れぬものもある。
 しかし、私はとても世間様の要職につけるような人間ではない。私の忘却能力は並外れている。自分の持ち物すら満足に持ち歩けない。財布を忘れることはざらで、携帯もろくに携帯できない。たまに携帯すると充電を忘れている。スケジュール帳に頼っているのに、スケジュール帳に書き忘れる。一つの仕事を思い出すと別の仕事を忘れる。人にまかせればよいのだが、何を頼んだらいいのか忘れてしまう。人の顔も名前も忘れてしまう。ああまた何か忘れてる。何を覚えてたんだっけ。
 こんな調子だから、書類の山も会議の数々も、ことごとく忘れる。いつだったか、会議室の扉を開けたら、委員のみなさまがキッとこちらを一瞥されるので、今日はやけに集まりがはやいなあと思って首をすくめて進行を聞いていると、どうやら一時間開始時間を間違えていたらしい、ということに気づいて、じわっと冷や汗がにじんできたことがあった。
 というわけで、役職のお話があると、あらかじめ「わたしにまかせると大変なことになります」と申し上げるのだが、謙遜ととられることが多い。しかし、ほんとーーーーーに大変なことになるのである。

 ともあれ、低空飛行中はいろいろご迷惑をおかけしますが、気長にお付き合い下さい。

 冷たい夕焼けの中を大学から戻る。



20090124

沼 410:雨の街を

kaerumidori.gif「雨の街を」(荒井由実作詞・作曲)。
この放送をダウンロードする




20090123

 昨日に同じ。〆切間際は、例年の如く阿鼻叫喚。「シールシール!」「あ、一枚足りない!」「もうまにあわん!」などと実験室を絶叫がこだまする。
 それでもどうにかこうにか全員提出終了。みんなおつかれさま。
 学科の卒論生全員がこうなるわけではない。ゼミによってはもっと平穏無事に、何日も前に提出、というところもあるようだ。
 わたしのゼミの場合、みんな実験や観察結果に基づく論考なので、データの吟味に時間がかかるということもある。が、何より、指導教員が〆切の土壇場でじたばたするのを垣間見ているのが問題なのだろう。多かれ少なかれ、学生は教員に似る。
 卒論発表会は今年からポスター形式になるので、簡単にその講習をして解散。学生たちは打ち上げに。こちらはもう一仕事。

campus



20090122

髪にさわる人

 昨日に同じ。明日は〆切で、卒論生たちは徹夜の構え。いつまで添削しても終わらない。夕食の時間もとうに過ぎる。
 宿さんが調べている髪に触る行動を、なんと呼ぶかでいろいろ考える。最初は髪接触、と呼んでいたのだが、どうも瞬間的な行為に響いて、腕をあげてから髪に触れて下ろすまでの工程がイメージしにくい。それで、途中から「髪操作」に変更してもらった。しかしこれまたどうも語呂が悪い。しかも、髪を操作する人は「髪操作者」となる。東京特許許可局か。カミソウサシャ、カミソウサシャと繰り返しているうちに、アタマがどうかしそうだ。
 それで、ぐっとくだけて「髪いじり」にしてもらうことにした。このほうがはるかに呼びやすいし親しみやすい。
 では、髪をいじる人はなんと呼ぶか。髪いじり者、髪いじり人、いっそ「いじりびと」か。それでは「おくりびと」みたいではないか。
 で、夜半も過ぎて、もういい、髪イジラーで行こう!と提案する。え、ほんとにいいんですか、と卒論生の宿さんはとまどっているが、髪イジラー、髪イジラーと唱えると、なんとも響きがしっくりきて、これしかない、という気がする(夜半を過ぎているから)。
 「発語重複後に髪イジラーの視線変化が起こり」などというフレーズを読むと、なんともほがらかな気分になってくる(夜半を過ぎているから)。
 ピザをとってみんなと食べて、帰宅。

campus



20090121

 昨日に同じ。

 講義で「昨日、オバマ大統領の就任式を見て寝不足の人もいるでしょうけれども」と言うと、やけに反応が薄い。「見た人?」と聞くと手が挙がらない。100人以上いるのだが、ゼロ。そういうものか。

 もちろん、彼の就任があらゆる立場の人にとって万々歳のできごとというわけではないし、これからの政治のゆくえがいきなり明るくなるわけでもない。
 それでも、ワシントン広場に集まった夥しい人々の数や、そこに集った音楽家の取り合わせは、見ておいたほうがいい。いかに、人々がそこに希望を見出そうとし、心からその場を祝福しているか。
 そして、「わたしたちの困難はリアルなものだ」ということを何度も繰り返し、地道な生活を立ち上げ直そうという、内容じたいはけして耳に心地よくない彼の演説の中で、なぜアメリカの歴史はあのように練り上げ直されるのか、なぜオバマは「We」を「People」と強く言い換えるのか、なぜあれだけ大勢の人々があのように聞き入るのか、といったことについて考えてみたらいいんじゃないか。
 少なくとも、知らなきゃ、考えないよね。あとでYouTubeとかで見てみようね。ついでに当選のときの勝利演説も見ておくといいんじゃないかな。英語のヒアリングの勉強としてではなく。
 というようなことを、講義の最初に話す。

 歴史から見事に置き去りにされてしまった「相対性理論」のヒロインについても考えつつ。

news



20090120

 卒論週間。朝から晩まで、実験室のリラックスチェアに座って、学生の原稿を見ては添削。この椅子は一昔前、元同僚の東山先生がリラックス効果研究のために購入されたもので、たいへん座り心地がいい。
 それぞれの原稿には、文章表現レベルの問題も多々ある。が、そもそも分析じたいに辻褄が合わない理屈が書かれている場合もある。そういうときは、一緒にムービーを見る。たいてい、分析漏れがある。コマ落としでチェックして、注意点を洗い出して書き直してもらう。この繰り返し。さっそくElanも使ってみる。日本語入力の際にたまにフリーズすることがあるが、まめに保存すれば使えるという感じ。悪くないソフトだ。
 昼食を食べる以外は、ずっとこれをやる。たいそう疲れるのだが、ちょっとしたデータセッションの繰り返しとも言えるので、嫌ではない。

沼 409: LOVEの現在

kaerumidori.gif 相対性理論「LOVEずっきゅん」のことで20分。
この放送をダウンロードする

 夜中にオバマの就任式を見る。



20090119

模倣、同調、同期

 京都でコミュニケーションの自然誌研究会。九大から橋彌和秀さんが来られる。先月はぼくが集中講義で伺ったので、なんというか交換発表のような感じ。
 乳幼児の模倣研究をはじめ、橋彌さんの最近の実験研究を一気に聞ける内容で、レジュメにいっぱい書き込みをした。
 「他者への意図帰属」というタイトルで、心の理論再考というのがメインテーマだったのだが、ぼくは、模倣と同期との、似ているようで違う問題をいろいろ考える。
 おそらく、行為のバウトに対する捉え方が、両者では違うのではないか。模倣では、相手の行為を見ると、まずバウトの終わりを待つ。そこには観察というロールがある。いっぽう、同調では、相手の行為からバウトの終わりを予測し、こちらも遅ればせながらその行為を開始して、バウトの終わりにはお互いの行為を同調させる。

 つまり、同調は1を聞いて10までわかってしまった人の行為であるのに対し、模倣は、1を聞いてそれが10に行くのか、-1に行くのかはたまた1.1に行くのか見極めようとする人の行為である。
 知らないことに対する態度、と言ってもいいだろうか。

 ただし、模倣のモデルに繰り返しが入ると、話が違ってくる。
 今度は、さっきあったことがまた来るのかどうか、の判断になる。
 また来る、と思う者は真似を始めやすいし、次は来ない、と思う者は観察を続けやすいだろう。繰り返しに対する模倣は、予測と同調が入っている点で、同期に似ている。

 ワンショットの行為を模倣することと、繰り返しを模倣することとは、分けて考える必要があるのかなと思う。

gesture



20090118

会話分析、ジェスチャー分析にElanはいかが?

 昨日にほぼ同じ。

 息抜きに、ネットで映像分析ソフトを渉猟する。なかで、Elanはかなりいいと思った。
ELAN 3.6.0
 WaveSurferのようにTier(アノテーションのための行)を何行でも加えることができるのだが、WaveSurferよりずっと直観的でわかりやすい。
 ムービーファイルを読み込むと動画が表示され、音声ファイルを読み込むと波形が表示される。で、ぐっときたのは、二つのファイルを同時に読み込んで同じタイムラインで管理できるということである。つまりですね、たとえばAというムービーファイルを用意して、Aの音声ファイル(QuickTime Playerで簡単に書き出すことができる)を別に用意して、二つをElanに読み込むと、あーら不思議、映像と波形ファイルが同時に表示されて、カーソルも同時に動くのである。
 しかも、Mac版のWaveSurferみたいに途中でエラーが出たり、映像と音声のシンクが狂ったり、ということがほとんどないように見える。これはすばらしい。
 そしてなによりも重要なこと。日本語を書き込める。日本語のトランスクリプトもこれならばっちりである。

 ちなみに、書き起こし作業がいかに大変かという問題については、こちらをどうぞ。

 Mac環境でこれだけまっとうな映像ソフトに出会ったのは初めてである。Kendon流の時間単位分析もこれならかなりできそう。自作のプログラムからこっちに乗り換えてしまうかも。WindowsやLinux版もあり。

gesture



20090117

 今年は久しぶりにセンター試験監督をまぬがれた(他の試験監督にすべて当たっているからだが)。飯を作り、本を読み、データを見て、飯を作り、原稿を書く。



20090116

 ここのところ、ずっと原稿で呻吟している。ある種の感情が伴わないと書けないので、その感情を励起するのに苦労している。

 夜、久しぶりにグループホーム訪問。そのあと吉村さんと上田先生のお宅で、すごくおいしいふなずしをいただく。



20090115

 卒論ゼミ。いよいよ追い込み、という感じ。今年はあまり各人の文章をいじらないことにした。初期段階(もう初期段階じゃないんだけど)で文章をいじると、また先のほうで文章をいじらなくてはならない。構成が見えるまでは放っておいたほうがこちらも学生も手間がかからなくてよい。



20090114

空爆と畏怖、空爆と恐怖

20011009
20030322
20030401
20081107 グミ脳第4回(1994.5)



20090113

雑誌「nu」2号より

 ワッツタワーズにおける岸野さんの歌詞世界、その正しい数の数え方については簡単には語り尽くせない。私関係で恐縮ですが、たとえば2006年6月に発行のnu2号(重版とのこと)をゲットして、岸野×細馬対談を読んでみる、というのはどうでしょう。ちなみに30000字以上あります。→nu website
 その端っこを以下にちょこっと引用します。ちなみに、みんとりさんについての話は、岸野さん特有の愛ある悪罵で、今年出るであろう「ブルースでなく」を聞けば、彼女のとんでもない作曲力、記憶力、即応力にみんな驚愕するはず。

細馬 ワッツ・タワーズはバンドでオフ・ビートをやってるところがすごいよなぁ。単に変拍子というだけではなくて、何だろう、つっかかる感じですよね。あれを共有するのは難しいと思う。

岸野 そうなんですよ。リハーサルを積んで出来るものじゃないんでね、何か理解の一点なんですよね。それが分かってもらえれば出来るんですけど。やっぱり人間性を分かってもらうしかない(笑)。

細馬 人間性……そんな話にまでいく(笑)。

岸野 いちばん重要なのは、「私はこういうタイミングや状況下では、こういうことをする人だ」ということを認識してもらうことですね。みんとりさんを例にしますと、この人は言われたことを覚えようとしない(笑)、だけれども、ある時にそれを思い出すさかのぼりの回路にすごく濃いエキスのつぶつぶがある。そういう人なんだなぁってことが分かると、じゃあその人に対してはどういうアプローチをすれば良いのかが分かってくると思うんです。前に一度、みんとりさんにライブの綿密な進行表を作って渡したことがあるんですけど、見ちゃくれないんですね(笑)。それで、じゃあこの方法はダメなんだ、というふうにね。

細馬 逆にね、普通の人から見たら、ワッツ・タワーズのあの奇怪な進行──普通なら一曲だと認知出来ないくらいいろんなものが間に挟まって、挟まっているどころか、もはやとっくに違う曲に行ってしまったのかってところまで行って、そこからぐーっと元の曲に戻ってくるというね、ああいう進行って普通の〝トラック1〟〝トラック2〟の概念だと理解出来ないじゃないですか。あれはすごいですよね。トラックに分けられない。そういう進行と関連すると思うんですけど、岸野さんが何かをさかのぼったり思い出したりするときに、ある種の残念感というかね、どう言ったらいいかな──例えば、岸野さんが「『君も出世ができる』は素晴らしい」と言うときにですね、単に素晴らしいっていうだけじゃなくて、じゃあこの映画がその当時持っていたポテンシャルの、どこは掬い取られたけれど、どこがピックアップされていないのか、その可能性がぶら下がったまま掬い取られずにブラブラしているというのは、どういうことなんだろう、というところを言い当てようとしてるんじゃないか。多分そういうブラブラ感、「こんなことがなぜこのままブラブラしてるの?」っていう残念な感じっていうのを、おそらく岸野さんはいつも考えてるのかなと。

岸野 そうですね。それは通史への不満っていうこともあるんじゃないでしょうかね。あの映画に関しては、公開が東京オリンピックの時で、映画人口が一時的にすごく減った年なんですよね、六四年って。せっかくあんなに面白いものが作られたのに、歴史的に評価されずにもったいないなあ、残念だなあという感じですね。

細馬 さっき、会話をさかのぼったときに、こっちのオチに来なかったときの可能性があちこちの分岐点でブラブラしているっていう話をしましたけれども、その感覚って、岸野さんの言う「通史への不満」っていうこととつながると思うんです。この会話のオチは実現された、それは良しとしよう。だけど、こっちのオチに来なかった場合のはらんでいる数々の可能性を、実現された会話はいわば見過ごしているわけです。本当はもっと時間をかければそこまでさかのぼって、別のところに行けたんだろうけど、たまさか行かなかったんではないか。じゃあもういっぺんあの分岐点に行って拾ってこよう、と。

岸野 ♪またゼロからやろう(笑)。

(岸野雄一×細馬宏通 nu2号より)

music



20090112

相対性理論「ハイファイ白書」

 アルバムは未聴だった相対性理論の「ハイファイ白書」を聞く。昨日のライブでは切れ切れに聞こえていた部分もしっかり聞こえる。
 あらためて、大丈夫かなというぐらい、怖い歌だなあ。たとえば「テレ東」の、ブラウン管の光が照らし出す顔を感じさせるような不吉なサウンドや、「ふしぎのデカルト」のような歌詞は、けしてシャレでは作れないと思う。
 仮にことば遊びがスタートだったとしても、こういう歌を演じるうちに、歌い手や演じ手にとって、けしてそれは単なるフィクションでは済まなくなる。それが歌の力というものだ。
 作詞がボーカリストではなくベーシストということで、かろうじてバランスがとれているのかもしれない。やくしまるえつこのボーカルは、あえて危ういところを踏み込んで歌ってもらいたくなる声なのはわかる。けれど、これらの歌と折り合いをつけていくのは、なまなかなことではないだろう。

山田参助「ラムネイッキ」

 なぜか吉田アミさんと庄司薫クンシリーズや桃尻娘の話をしながら「年下のゲイの子を憑依させながらことばを考えるとはどういうことか」という話をしていた昨日、帰りがけに、同席していた山田参助さんからひょんなことで「ラムネイッキ」を買う。
 どんなマンガなのかまったく予備知識なしで読み始めたら、ふだん使わないイマジネーションをたっぷり使うことになった。うわあ。18禁ですが、描線がじつに繊細。

music, comic



20090111

うたの住む家@三田の家

 ヒュー・ナンキヴェルを迎えてのワークショップ。野村君のブログで知り、参加してみた。主催者の一人、赤羽さんは沼田さんの後輩なんだそうだ。
 題して「事故とたまたまの日 Accidental Day」。この日、たまたま赤羽さんが発した「Accidental」ということばから名付けられたとのこと。
 参加者は十数人。
 まず、ヒューが自己紹介がわりのように、「Sea is dangerous」(というタイトルなのかな?)を弾き語り。釣りに行くときは気をつけて、ライフジャケットをもっていこうね、だって海はデインジャラス(デインジャラス)、デインジャラス(デインジャラス)。この「デインジャラス」のところで、みんながささやく合いの手を入れる。愛らしい曲。
 フルーツバスケットのように、お互いの名前を呼ぶ歌。それから、ハンカチ落としのように(なぜか)茶こしを回していき、思いついたライムを言う歌。
 そしてメインは、四人一組で、やりたいことを書き込んでいき、それをつなげたものをもとに歌詞を作っていくというもの。

 と、書くと簡単なのだが、道具立てが、おもしろい。まず紙の四つ角に四人が手形をなぞる。描かれた手のそれぞれの指に、自分のいまやりたいことを書く。次にそれらのことばをつなげてフレーズを作る。できたフレーズを各班から集めて、ひとつの歌にする。
 単に思いついたことばをつなげるのではなく、手形という生々しい図形を使うこと、そこから手と手、指と指とがつながることを想起させること、そこにそれぞれの参加者の望みが込められていることで、できるフレーズは他人事ではなくなる。
 集めたフレーズで歌を作る過程で、何度も何度もできた詞を唱えて、唱える声に節回しがついていくのを待つのも印象的だった。いきなりメロディを考えるのではなく、口になじませる過程で自然発生的に起こるリズムを選択する。繰り返し唱えることで、歌詞もメロディもリズムも、耳になじんでくる。歌産みとつきあう時間。

できたのはこんな歌。

 「今年はちがう」

 おなかどきどき
 作って食べる〜?
 新しいメガネ 135歳
 たびたび 旅楽し 食べて10kg 平たいな

 2年前とは違うボク

 食べる話が、多いなあ。

 あとで、これまでのワークショップでできた曲もいくつか聴かせてもらったが、とてもチャーミング。
 歌作りの感覚を、リフレッシュさせてもらった気がした。

FUCK & The TOWN@渋谷O-West

 もっと長居したかったけど、後ろ髪をひかれつつ渋谷へ。
 O-Westで本日の整理券をもらう。この整理券をもらうのにはフライヤーが必要。なのだが彦根ではゲットすることもかなわない。それで、都営浅草線の中でノートに書いた落書きをコピーして持っていった。
 494。500人制限と聞いていたので、危ないところだった。
 
 なぎ食堂をちょっと覗き、仕込み中の小田さんにごちそうになりつつ話。なぎ食堂にも、FUCK & The TOWNのフライヤーをとりにだけ来る客がこの数日何人か居たという。
 さて行列に並びに行くか。

 会場は満員(あとで聞いたら590人だったという)。1F最後列にて。吉田アミの不穏な選曲、ウリチパン郡のごきげんなグルーヴ。繰り返し練り上げられたリズムの深さ。が、スタンディングの客の頭はさほど上下しない。最近のライブの客席ってこういうもんなんでしょうか。
 Yahooニュースでチャートインが報じられ、話題の相対性理論。言葉遊びに隠れて痛々しい詞が聞こえてくる。MCを待ち望む観客を突き放すかのように、あらかじめ考えたのであろう唐突なセリフ(「はい、アメダスに聞いてみます」など)、ブレの少ない、よく考えられたアレンジと演奏。ライブなのに、まるで肉声を聞いた気がしない。鎧で身を固めたおばけのような、ひやりとしたステージ。若いのだなと思う。
 DJ寿子こと七尾旅人のホットな肉声とDJで一気に体温を取り戻す。暗闇を呼び、江戸アケミを呼び、暗闇の中で目を慣らしていくSinging DJ物語。すばらしい。暗い中でラメ服がプリンスみたい。
 ワッツタワーズ。今年もまた岸野さんの語りの変幻ぶり。そしてきっと泣かされてしまう「Will you be my friend?」 。たとえ「犬と大人げ」が待っているとしても。
 たぶん、相対性理論目当てで来た人たちの中には、この二組の「大人」にやられた人が何人もいたのではないでしょうか。

 打ち上げに潜り込みあちこちで話す。デンマークから来たDJトマスとパサージュ論話。アダチさんとチョークトーク話。アミちゃんと大島弓子話。そして、とうに夜半を過ぎ、始発の時間が近づく。なんか歌とか歌ってたらしい>わし。みんとりさんのハワイ話をこちらから尋ねておきながら、うとうとする銀座線。

music



20090110

 東京へ。原稿。共立女子大学で社会言語科学会の理事会。眺めのいい会議室。そのあと、両国に移動して、絵はがき的飲み会。



20090109

MOTOKO+八谷和彦+細馬宏通@shin-bi

 演習を終え、京都へ。shin-biにて鼎談。八谷さんの機転で、MOTOKOさんの写真を見ながら話すという段取りに。
 
 八谷さんが田んぼに突っ込むときの、スケール変化の話がおもしろく、おもわず「生身のパワー・オブ・テン」と。ちょうど客席に、高島で農家をやっておられる石津さんが来られていて、話にぐっとふくらみが出た。農作業中にはmp3プレイヤーが欠かせない、という話。

 滋賀の田園風景を見ながら「精神の持続可能性」という問題を思いつく。
 物質的な持続可能性がいくら備わっても、人は労働できるとは限らない。
 耕した畑の真ん中に菜の花を一本残す。
 車内販売で子どもと目があって微笑む。
 労働にはそのような「精神の持続可能性」が必要だ。



20090108

 初ゼミ。卒論の進行はいろいろ。少なくとも、得られたデータはおもしろいものが多いので有望。今年もまたこの季節がやってきたなあという感じ。



20090107

 彦根から東京へ。慶応大学で、菊池成孔、大谷能生ペアの講義にゲストで。テックス・エイブリーの映像分析を中心に。とくに、個々の動作だけでなく、動作の連鎖に音楽家はいかに形式を見出していくのかを中心にお話させていただいた。菊池さんがテックス・エイブリーの映像を見ながら口三味線で音をあてる、という珍しい絵も。
 受講していたらしい方のブログに、勘所を押さえたご感想あり(→こちら)。

 田町から品川に出て新幹線に乗ると、いかにも東京のはしっこにデンして帰ってくる、という感じ。



20090106

 川上弘美「どこから行っても遠い町」の書評を書きながら、いまさらながらもう一冊、と思い、川上弘美「真鶴」。岬を歩く時間を自分に下ろし、ぐうっと深いところに潜る。二冊を6ページできちんと評することなどできないが、せめて手がかりだけでも。



20090105

 初講義。月曜は振替休日で休みが多くなりがちなので、年頭から早めに講義が始まる。
 なんとか論文は書けたが、まだ書評が二本、展覧会用原稿が一本ある。



 

20090104

 午前中、喫茶店で大学院ゼミ(大学はまだ暖房が入っていないので)。あとは飯を作っては分析と論文。

ガザ日記

 以前にも書いたが、webブラウザで、最初に表示するページをGuardianにしてある。ベストの選択かと言われるとちょっと自信がないが、少なくともあらたにすで国内主要三紙を比べるよりは、ずっと異なる視点を提供してくれる。

 年末からGuardianのトップは毎日、ガザ地区のニュースである。Gaza diaryのような記事は、国内主要三紙では、なかなか読めない。たとえばこれくらいまとまった分量で「派遣村日記」といった記事を掲載する国内紙があるだろうか。

点字年

 国内の新聞の話。今年は点字を発明したルイ・ブライユの生誕200年だそうで、広瀬さんの記事が毎日新聞に大きく載っていた。昨年末にお会いした広瀬さんが、さあっと点字をなでたときのスピードを思い出す。ブライユの話をはじめ、新聞では珍しい点字に関する特集をコンパクトに読むことができる。

news



20090103

 飯を食っては分析と論文。



20090102

 元旦夕方より実家。姪も甥も大きくなった。
 一泊。妹と姪が来て、あれこれ話。夕方、彦根に戻る。



20090101

 あけましておめでとうございます。
 今年は、昨年以上に「小さな動き」の豊かさに相対する一年になりそうです。
 自身のうかつさを、できるだけ開き、みなさまのご指導ご鞭撻を仰ぐ所存です。よろしくお付き合いのほどを。



 
 

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