講義に実習。このところ、キンドルに主なPDF論文を入れて持ち歩いている。暇があるとシェグロフの論文を読む。なかなか楽しい。
日曜なれど、試験監督に採点。幸い、われわれの学科にはインフルエンザ追試は出なかったが、隣の学科には出た模様。
インフルエンザ追試は、試験業務を倍にする。一人でも出れば、監督も採点ももう一日出勤なのである。問題作成者は二通りの問題を作らねばならない。
社会言語科学会の申し込み。
身振り研でテレビ会議。画像と音以外に、ちょっとしたチャットが打てるのだが、わずか二十文字程度なので不便。紙にいろいろかいてはテレビに映す。部屋中紙だらけになった。おでんを食う。三日持つと思ったが二日で食いきった。
演習にゼミ。おでんを作る。鍋の季節。
会議に原稿。
ラジオ 沼#433「着飾る愛の歌」
講義はアニメーション史。ようやくセルアニメーションシステムが出てきたところで終わり。まだ1910年代。先は長い。実習を終えると、はや外が暗い。カレー鍋を作る。鍋の季節。鍋の季節、という歌はどうか。
キンドルのシステムがバージョンアップしてPDFが読めるようになった。しかも、文書を縦や横にRotateできるようになった。さっそく会話分析やジェスチャー分析の主な論文を軒並みぶちこんでみる。うーん、ちょっと字が小さいか。横向きにして、元の字が大きい論文ならなんとか読める、というところ。そこそこの字で読みたいなら、Delux版が必要かもしれない。
9月にChuck Goodwinが来たとき、チャックが使ってたのが、いまにして思えばデラックス版だった。あれはよかったなー。
日高先生が亡くなられた。
大学から大学院、そしていまの職場にいたるまでのお付き合いで、正直なところ、どこから話し出しても気持ちがまとまらない。昨日、マスコミへの発表があり、新聞各社の地方版記事の問い合わせに応じる役回りになり、問われるままに話したけれど、今朝新聞を見たら、訃報に埋め込まれた短いコメントはどれも自分のことばには見えず、なんだかできあいの弔電みたいだった。
今年の夏、高島のシンポジウムでご一緒したときは、ドクターつきで出て来られたけれど、琵琶湖のほとりの湖里庵にわざわざ一泊された。夜が明ける前に、ふと目がさめて二階のテラスに出ると、日高先生が煙草をくゆらせてずっと琵琶湖を見ておられた。それは、先生の時間だなと思って、ぼくはずっと離れたところで写真を撮っていた。やがて朝いちばんの船が着き、湖岸に面した旅館の裏手で船頭が夜明け前にとれた魚を売り渡すのが見えて、日高先生はあいかわらず煙草をくゆらせて、ああ、こんな時間はもう、二度とないと思った。
もう二十年以上前の年末に、すっかり人の気配のなくなった大学で、まさか人はいるまいと思って入った研究室に先生が一人、本の整理をしておられたのを思い出した。そのときは、ん?きみは今日はどうしてるの?と、あの人なつっこい笑顔で笑いかけられて、近所にできたばかりのショットバーがかろうじて開いているのを冷やかしに行ったのだった。
学問上のアドバイスを懇々と説かれることはなく、ご一緒しているときも、ほとんどの時間は横道にそれる話で楽しんでばかりだったけれど、そんな風に学生を自由気ままにさせておくことがどんなに難しいことか、いまはよくわかる。
目の前でおぼつかない手つきで事を進める教え子を見ながら、それでも口を出さずに、やってごらん、と委ねることは、とても難しい。ぼくはいたってぼんくらで気の利かない学生だったけれど、そんなぼくでさえ、まるごと肯定され、信頼されていたのだと思う。
今年の初めから続けておられた集英社の小冊子「青春と読書」の連載「世界を、こんなふうにみてごらん」は、ちょうどいま出ている号で最終回だった。高島でお会いしたときの話から始まって、大学院に入った頃、飲み会のたびに助手室にあったスピーカーを会議室に持ち込んで、みんなでよく踊った話が書かれている。あの頃は当たり前のように踊っていたけれど、そんな風習を先生が後押しされ、自ら踊られていたことが、どれだけ型破りだったのかも、今ではよくわかる。
「いつでもダンスをするように」。いいタイトルだな。
休日なれど講義日。講義に実習。
帰ってから、おでんを作る。ごんべんのだし(c)よしながふみ にて。あたたかい食べ物はいいな。
準備時間もだいぶ短縮され、イベントとしてはだいぶ安定してきた。
この場所でのカメラ・オブスキュラがいかに独自性を持つかについて、とある報告書に書いたので以下に引用。
19世紀以降に流行した観光用カメラ・オブスキュラは、いずれもレンズを用いたものである。レンズ式のカメラ・オブスキュラは、像が明るいので、鑑賞が容易であるいっぽう、レンズの大きさと焦点距離に映像が依存するため、高価な巨大レンズを用いなければならず、しかも、レンズで集光するため、映像の範囲は限られる。
一方、スミス記念堂のカメラ・オブスキュラは、ピンホール(針穴)現象を用いている。レンズ式に比べて映像は暗いが、光は針穴から全ての方向に放たれるため、360度のパノラマ映像が得られる。これを楽しむには、暗がりの中で観客に暗順応してもらう時間(数分)が必要となるが、そのおかげでかえって「次第に見えていく」楽しみが得られ、レンズ式の場合より、より深い視覚体験が得られる。
幸い、スミス記念堂は、玄関からの奥行きが十数メートルで、ピンホール映像を体験するには最適の大きさである。しかもサイズのみならず、ロケーションがすばらしい。正面だけでなく、床、天井、側壁も含めた堂全体がスクリーンとなる。彦根城が正面に位置し、空は床に投影され、正面玄関の道は天井に投影される。まさに、カメラの中に入り込んだ感覚を味わうことができる。
スミス記念堂では、静止映像だけでなく、お堀端を行き交う車や人々のライブ映像が楽しめる。車はちょうど目の高さに映し出され、左右の壁から車が現れて、正面祭壇を通過し、逆の壁へと移動する。このため、長時間鑑賞しても飽きることがない。
ほとんどの観客は、最初は真っ暗に見えた環境に、車が行き交っているのに気づいて驚きの声をあげる。そして、目が暗がりになれるに従い、お城が見え、お堀端が見え、外を行き交う人々が見え、空の色や看板の色にも気づくようになり、あちこちを指さして見るようになる。
ピンホール式は、レンズ式と異なり、単に景色を見るという体験だけではなく、見えなかったものが見えてくるという視覚体験をもたらす。このようなカメラ・オブスキュラを設置し、定期的に公開しているのは、現在のところ全国でもスミス記念堂だけである。
昨夜、伊丹から彦根に戻る車中で「緊急のお願い」という大友さんのブログを見る。なんでもインフルエンザで予定していた地元の吹奏楽部員が欠席で、管楽器奏者を急遽募集とのこと。場所は大垣。彦根からなら関ヶ原を越えて向こう側。幸い何も予定を入れてなかった土曜日。
というわけで、電話で連絡。久しぶりにトロンボーンケースの埃を払って、現地へ向かう。
駅前の大通りが封鎖されて、商店街の店舗がテントの出店を並べている。それが2,300mは続いているだろうか。大規模なイベントでびっくりした。この商店街が演奏会場らしい。
大垣城の中にある講堂がリハーサル場。大友さんによるインストラクション。集まったのは百人余。色別の手旗で指揮、というシンプルなルール。緑は音一発、赤は止まれ、黄色は指された人が指されたときだけ持続音を出す、などなど。シンプルなのだが、手旗の振り下ろすスピード、止め方によって音の大きさや長さ、アタックの表情が変わる。最初はなんとなくエッジがぼんやりしてたけど、小一時間ほど練習すると、みるみる鋭い演奏になっていく。
グラスハープを持って来た人がいて、リハの前半中、ずっと台を組み立てていた。ようやく鳴り始めると、じつに繊細な音。「これ、本番では絶対きこえないよねー」と大友さん。
大垣はIAMASが近い。安藤さんや前田さんにも久しぶりに会う。
商店街のアーケードに楽器を持って登る。絶景かな。大友さんは道路の向かいのアーケード上に立って手旗で指揮。なにしろ四車線くらいある通りをはさんでいるので、かなり遠い。講堂とはだいぶ距離感が違う。
どん、と一発鳴らすと、通りをはさむように並んだ商店街のビル壁にはねかえって、わん、と反響が返ってくる。それから笙のようなAとB音のブレンドで浮き上がるような和音。グラスハープは遠すぎてさすがに聞こえなかったが、もしかして混じってるのかな?くらいの雰囲気は伝わってきた。
基本的に、名人芸はナシ。どん、と鳴らされるフォルテシモは、自分一人ではけして出ない音。けれど、その音の塊は、自分が欠けたらこんな音には鳴らないかも、と思わせる。そして、タイミングを間違えてはみ出た音は、間違いなく目立ってしまう。
ミュージシャンどうしが離れてるので、自分の音はすごくよく聞こえる。しかし、それが他の人とまじって音の塊となった結果は、ビルの向こうから遅れてやってくる。自分を目立たせたい、という欲望からはとても遠い、けれども、自分が決定的に寄与している場所。
わあん、と、向こうのビルに跳ね返る残響があって、下の大通りから、これまたビルに跳ね返るような拍手。通りからはどう聞こえたんだろう。下におりると、すごいすごい、と安藤さん。
久しぶりに吹いて、けっこうトロンボーン吹けるじゃん、と思った。古池くんと中尾さんに共演挑もうかなー。
すがすがしく演奏を終えて彦根に戻る。
追記:当日撮影していたIAMASの人達による写真集。楽しそう。
http://www.flickr.com/photos/iamasos/page11/。
『4.48サイコシス』は、サラ・ケインの遺作。
サラはうつ患いの末にこの戯曲を書いたあと、上演を待つことなく自殺してしまった。4.48とは、午前4時48分、うつの彼女がしばしば目覚める時刻から来ているのだという。
そんな、サラの中にうずまいていたことばが繰り返し台詞にされる内容だと聞いて、正直、どうしようかなと思った。なんとか寛解した人から発せられるおだやかなことばならともかく、死にいたってしまった人の、出口のないことばを聞いてどうするのか。
それでも、見に行ったのは、演出が飴屋さんだからで、これまで飴屋さんが関わる劇を見たあとは、『転校生』でも、『シャケと軍手』でも、ずっと深いところまで潜らされて、最後には、自分の情動のぶれがすうっと見えたからだ。
他人事ではなかった。
放たれることばは、かみ合った会話によって解決されるのではなく、それぞれがあいづちを持たない叫び、すれ違う受け答えによってやり過ごされる叫びとなって、放たれたままになる。そして「long, silence」。
さびしい、死にたい、あなたは何もわかってない。叫びが繰り返されるうちに、腰から持ち上げられるような切迫感が立ち上がってくる。見ているこちらにも、舞台で叫んでいる人と同じ衝動が起こるかのように、出ないはずの小便でも出そうな、いてもたってもいられないヒヤリとした情動が、細かい泡となって体の中から沸き立ってくる。
日本語を母国語としない人たちが重要な役を担っている。
母国語でないことばを、自らのことばとして叫ぼうとする声。誰にでもわかる記号として整えられる前の声、飲み下しやすい処方箋ではない声。何かを言おうとして、言おうとしていることばが言いたいことばと違っているかもしれない、それをなお言おうとするときに、ことばを突き破って現れる声は、停滞し、途切れ、そしてなお、限られた生の中で言い切ってしまおうとするときに、声は思いがけない速さで、カタコトの日本語を言い切っていく。
とりわけ、その場限りの、マニュアルのようなことばを投げかける医師の空疎なことばを、一人の女性が繰り返し声にする場面は、突き刺さるようだった。その空疎なことばこそは、わたしが「死にたい」という声を前にして、無力感とともにしばしば口にすることばそのもので、医師は私の似姿といってよかった。一方で、そのことばを聴きながら女性は、カタコトによって語尾をときおり言い換え、端折りながら、確かな熱を伴った、声のかたまりを吐き出す。ほとんど同じ内容を持っているはずのことばが、生々しい叫びとなって舞台に響き渡る。
このような声をずっと座って聞かされ続けながら、不思議なことに、もう声を聞きたくない、耳をふさぎたい、という気には、一度もならなかった。
声を聞かされる立場、というのではない。むしろ、いま舞台で発せられているその声が、いましも自分の体を震わせて、自分の声になってしまうかもしれない、その一歩手前のところまで来ており、もはや、聞く、という余裕がなかった、というのが正しいかもしれない。
彼や彼女が語ることばが、いまにも自分の声になろうとしている。これは、わたしの聞いている声ではない。わたしが言ったかもしれない声だ。未だわたしの声にはなっていないけれど、わたしはその声の出し方を知っている。たぶん、この細かい泡のような衝動が、それなのだろう。この切迫した感覚の先に、声がある。こんな風に声を出したことはない。たぶんそれは、わたしがいままで聞いたことのない高さ、聞いたことのない音色で響く。けれどわたしの声に違いない。この声に、出口はない。わたしなしでは。この声は、わたしを出口にせんとばかりに、わたしをこじあけようとしている。
ZAKの担当する音像設計のせいだろうか、ひとつひとつの音はただならぬ輪郭をまとっている。階上で鳴らされるドラムにも、壁や手すりにも、階下の叫びにも、目で見た距離感では説明できない空間性が与えられて、どこでどうやって鳴らされたのかと見廻すこともしばしばだった。それがまた、声の彼我を揺さぶる。
とりわけ、山川冬樹は、逆さづりに現れる最初の場面から、ずっと目の離せない存在だった。長い髪の異形の人は、声帯が震える最初の瞬間、まるでコルクのネジがきしみ始めるときのようなク、ク、ク、クという音によって、未だこの世に現れていない声の立ち上がる瞬間を告げる。そして、低い地響きのような声の上で、口笛のような倍音が高く低く、雄弁に旋律を奏で始める。
一人の人間が二つの声を出す不思議な技法としてのホーメイのことなら、知っている。けれど、人が二つの声を出すことの意味を、わたしはこれまではっきりわかっていたわけではない。ホーメイを聞くとき、一つの声に別の声がぴったり寄り添っていることに、そしてそれが一人の人間から出ていると知ったときに、なぜ、頭の先まで鳥肌が立つような感じがするのだろう。
その答えのひとつが、この舞台の上で、はっきりとした形をまとって現れている。
誰かの声を、聞くのではなく、自分の声として叫ぼうとするとき、わたしは新しい声の出し方を試みようとしている。声は、わたしがずっと親しんできた、わたしなりの流ちょうな声ではなく、わたしの中から、わたしの知らない声となって、たどたどしく現れようとする。その瞬間が、いまやカルグラの低い響きに、ホーメイの高い倍音となって、立ち上がろうとしている。
終演後、なんだかひどくへとへとになり、ロビーで呆然としてしまった。それはけして、拒絶したくなるような疲れでもなく、かといって、容易に解消できそうな疲れでもなかった。聞こうとすることで遠ざけていた声を、もし自分の体に、声として立ち上げようとしたらどうなるのか。それを身をもって思い知らされた。それはいままで、使ったことのない体の使い方だった。演じる側の体験がどれほど激烈なものだったかは、計り知れない。
『転校生』を「転生」と読み替えた飴屋さんの演出は、この新しい劇で、この世における転生を、全く異なる形で立ち上げようとしているかのようだ。目の前の声、この世に確かにある声、あり得たはずの誰かの声、聞き難い声。それを、わたしの体に立ち上げること。「転声」。
しびれるような疲れは、翌日になっても残っている。疲れは、ただ舞台に閉じられたものではない。わたしが次に「死にたい」ということばを聞く身になったならば、それは、ただ聞くための声ではなくなっているかもしれない。だとしたらどう振る舞うことになるのか、自分でもわからない。少なくとも、いままでとは、なにかが違ってしまった。
彦根に戻って講義、実習。そのあと、伊丹アイホールへ。
クーラーは、クーラーの温度設定について話す男女の所作が捻れていく奇妙な劇。この、繰り返しの多い冗長なせりふ回しは、日常会話では近しい現象だが、しかし一方で、日常会話ではこれほど執拗には繰り返されることは珍しい。最初に女性が「はい」「はい」とあいづちを打ちながら、そのあいづちのさりげなさに比してあまりにも大きすぎる一歩後退/一歩前進の所作をするのが、なんともおもしろい。
所作がもし、発語のタイミングとぴったりあっていたなら、なかやまきんに君のパフォーマンスに近いものになっていたと思う。が、身体のすべてを次々と変更するのでなく、たとえば身体を捻ったまま、手と頭だけ発語と同調させたり、自分ではなく相手の発語に合わせてポーズを変更するなど、微妙に所作が発語とずれたり、所作によって発語のタイミングが遅れるように組まれている。このタイミングのずれのせいで、自律した身体が勝手に口とは違うことをしゃべりだしている人を見るような、実に奇妙な感覚が生まれる。さぞかし演じるのは難しいだろうと想像するが(ぼくなら、身体がすぐに口に同調してしまいそうだ)、二人の出演者は最後までずれをキープしたまま、緊張の高い時間が続いた。
安藤真理演じる女子社員は事務服然としたタイトスカートで「23度ってありえないじゃないですか」と不必要なほど脚をよじるところに奇妙な色気。いっぽう、山縣太一演じる男子社員は、屈むたびにネクタイがだらりと下がり胸のポケットからタバコの箱を落とす。それがだらしなくたれた陰茎ときんたまのようでもあり。飄々とした風情も感じた。岡田利規氏の作・演出。
ソーグーは、舞台後ろの扉が開き、戸外で行き交う人々が不思議そうにこちらを見る、というショッキングな始まり。やがて自転車が一台二台と行き交う。さらに何台もの自転車が一度に現れて、乗り手が顔を揃えてこちらを見るにいたって、彼らがこの舞台の主役であると気づかされる。おもしろいオープニングだ。この戸外を行き交っていた自転車が舞台に次々と乱入してくるのだが、そこから先は、かかっている音楽のビートが強く、自転車の疾走もダンスも、音楽に踊らされているという感が去らなかった。あの音楽を使わずに演出を深めていったなら、かなり印象は違ったのではないか。
途中、二人が自転車にのったままのやりとりで、お互いのハンドルやブレーキをつかみあうところがあった。ああした動きから、もっと自転車への愛着とか所有の感覚がからむような所作へと進んだなら、ぼくにはおもしろかったかもしれない。
作/吉澤祐太・振付/芦谷康介・振付・演出・美術/杉原邦生。
東京へ。女子美ガレリアニケで、「NNNNYのデザイン家電の予習復習」。
なるほどこたつとは、それ自体はただの枠とヒーターでありながら、コタツ台なる奇妙なアダプタと、蒲団というあまりに人間臭いカバーによって、あらかじめ「家具調」に「デザイン」されることを運命づけられたシロモノではある。その、こたつとコタツ台と蒲団とが一体化した状態を見下ろす平面図が、そのまま壁にかかっている。なんだこりゃ。その平面図で神経衰弱をした場合、描かれたこたつ台からはみ出たカードを、わたしは拾ってしまうのだろうか。麻雀をした場合、あの緑の領域からはみ出たパイをわたしは拾ってしまうのだろうか。そんなことを、壁にかかった絵を見ながら考えているこの時間は、デザイン的なのだろうか。
奥には、なぜかただのコタツ台も飾られている。デュシャンの「泉」と比べることも諦めさせる、あまりに無防備な飾られ方。花柄のコタツ台とそのエッジから漂ってくる記憶の喚起力は、紅茶に浸したマドレーヌにも匹敵する強さである。ヘンな展示。
明滅する三つのこたつヒーターに、床に散らばったみかんが照らされている。三つの影を交互に落として立体なのか平面なのかわからぬたたずまい。ようし、考えないぞ。深読みなんかしてやるもんか。
いすさんとハギーさんがいてちょっとお話。
池袋に移動して、「4.48 サイコシス」。終演後、どっと疲れて、呆然としてしまう。コロスケさんに、わっとうしろから驚かされた。隙だらけだった。くーちゃんが、はい、と粘土のシマウマとゴリラを渡してくれた。粘土は繰り返し練り合わされて、動物離れした色になっていた。なのに、手足がやけにゴリラらしい。アメヤさんは例によっておでこにヒエピタを貼っていた。
感想はまた明日に。
幸い悪寒は収まる。ゼミ講義ゼミ。多賀で発見された一円邸の絵はがきを、綿谷さんにスキャンしてもらう。
夜まで次々と会議。寒いのだが、なかなか大学に暖房が入らない。悪寒がして、PCを打ちながらぼうっとする。これではインフルエンザまっしぐらだと思い、帰ってから焼肉屋に行き、キムチチゲをがーっと食べ、がーっと寝る。
午前の講義、実習を終えて、京都へ。
夕方、アパートの近くで、美山町から来ているという露天の八百屋さんを見かける。試みにおはぎと厚揚げを買って彦根に帰る。厚揚げをあぶって食べるととんでもない旨さ。おはぎは黒ごま餡で、こちらもおいしかった。最近は京都でゆっくりする機会も少なくなった。また会えるだろうか。
古本屋で宮沢清六「兄のトランク」。帰りの電車で読んでいたら、明治大正期の駒田好洋の花巻朝日座における興行を活写しているくだりがあった。
野本さんの企画で、山内桂さんのsalmosax。木造教会の音はとても柔らかく、山内さんの息遣い、とりわけ、ブレスから音になるかならぬか、というあたりが生々しく響く。人が呼吸をせき止めることで声を声らしくしているとすれば、山内さんの音は、その声をまた呼吸へと返してやるような、不思議な間合いを持つ。
だから、山内さんとお手合わせ願うのは、この呼吸の間合いに入っていくことでもある。即興演奏でよく聞かれるターンのはっきりとした演奏や、相手へのスペースをわかりやすく用意するやり方とは、違うやり方を考えてみる。たとえばなわとびの縄に入るような間合い、あるいはなわを止める間合い、縄を眺める間合いなど。
山内さん、ぼく、山内さんとぼく、そして山内さん、という構成で。
人前でギターを弾くときはいつもじゃらじゃらかぽつぽつなのだが、一曲、サティのジムノペティを、おおよそ譜面通りに弾く。ギターの音がよくわかる。そのあと、山内さんがソロでグノシェンヌを。サックスで吹くと、クルト・ワイルの小唄のような、ちょっと剽軽な味が出る。
近くの店で打ち上げ。河端一さんも加わり、にぎやかな夕べ。
結局、ちょっと寝てからようやくトランスクリプトを作り出す。ELANでちょいちょい、といきたいところだったが、2分のデータおこしに3時間くらいかかる。
梅田で会話分析研究会。持参した回想法のデータをみんなで見る。最初はおぼつかない口調の高齢者Bさんの話がたどりにくいかに思われたが、次第にその口調や仕草が判明していくにつれ、Bさんに肩入れする人が続出し、終盤では、Bさんのひとことひとことに「すごい!」と感嘆の声があがるまでに。これだからデータセッションはおもしろいなあ。
昨日来の疲れを癒すべく打ち上げてから家に。大阪から彦根のあいだにみるみる酒が醒める。車中、Kindle読書。Attentionは読み終わり、このところはチャンドラーの中編。能登川で接続の悪い各駅停車を待っていたら同僚の木村さんに会う。やはり大阪方面で研究会とのこと。キンドルを見せびらかしてしまう。
実習、ゼミ。明日のデータを用意。新しいPCでは家のHDレコーダからデータが取り込めないことが判明。あれこれ組み合わせを検討した結果、Toasterで、DVDからmovファイルを生成するのがいちばん早いと判る。ちょっと回り道だが、HDのデータをどんどんDVDに焼き、それをどんどんPC用のファイルにする。・・・と夜明け。
午後、京都でブーレーズの京都賞受賞記念ワークショップ。ブーレーズの姿を生で見るのは、2005年以来。
自作のシュル・アンシーズの公開リハーサル。リハーサルというよりは、生演奏を用いた楽曲解説という趣きで、特徴的な箇所を楽器を拾い上げながら演奏させて、曲の持つ音響構造を明らかにするという内容だった。プログラムに変更があり、氏自身は指揮を振らずに解説に徹していたけれど、曲を聴きながら手を振ったり止めたり、という所作は彼らしいもの。(もともとブーレーズは指揮棒を使わないので)
ピアノ三台、ハープ三台、パーカッション三台に、わざわざ身の丈ほどのスチールパンまであつらえるという贅沢な編成。スチールパンの音はとても深かったし、難曲を大袈裟でなく適確に演奏する奏者たちにも感じるところがあった。
いっぽうでこんな編成の曲をコンサートホールで千人単位の人をわざわざ集める形式を見ると、居心地の悪さも感じる。数人から十数人しか集まらない、しかし聞き応えのあるライブがあちこちで行われているのに、なぜ、こんなに一極集中なんだろう。耳を澄ますということが、世界のかそけきできごとに注意を向けることであるのなら、もっと、あちこちに注意を向ける人がいてもいいのではないだろうか。
ブーレーズはこの曲で、ヴィルチュオーソ性と音響性を掛け合わせたのだという。掛け合わせることができるということはつまり、ヴィルチュオーソ性と音響性は独立しうる、ということだ。ならば、クラシック教育で鍛え上げられた演奏以外に、もっと違う手つきで、できることがあるはずだし、そうした試みに耳を澄ます人がいてもいいはずだ。
たとえば、ここに来る人の1/10でも、アキビンオーケストラを聞きにいってみたらいいんじゃないか。
ゼミ講義ゼミ。査読。
さらに。書類をあれこれ書いてるとあっという間に夜。
最近、ギターの手つきが頭打ちになり、どうにも前に進まないので、先週、寺川努さんに「どうやって練習してるんでしょ?」と尋ねてみた(なんとなく寺川さんに尋ねるのがいいような気がしたのである)。で、Scott Tennantという人の邦訳本を見せてもらいぱらぱらと見ると、これがいい感じだった。ぜひ手許におきたいと思ったものの、楽譜屋では見あたらない。どうやら邦訳本は絶版らしく、結局、amazonでそれらしい本を輸入。
というわけで手に入れたのScott Tennant 「Pumping Nylon」は、たいへん役に立つ。とくにぼくのような、基礎を通過せずになんとなくコード弾きで過ごしてきた人間には目ウロコな練習曲のあれこれ。いちばん感心したのは、左手の指四本でフレットに軽く触れて、弦に触れたまま指一本ずつ押さえていく、というもの。簡単なようで、動作のいらない指がぴくぴく動くのがわかる。右手の指でただ開放弦を弾くというエチュードも、意外に難しい。漫然とやってると、すぐ隣の弦に指があたって音がミュートされてしまう。ギターの構え方、爪の形の整え方も懇切丁寧に解説されている。ともあれ、無駄な指の動きを気づかせるちょっとしたアイディア満載で、文意を丁寧に拾いさえすれば、あたかもアレクサンダー・テクニークの講習を受けているような感触。ほんの半時間ほどで、これまで得たことのない指の動きを感じることができた。
ため込んだ仕事あれこれ。夜、朝日放送「ココイロ」。一ヶ月前にうけた取材の放送。けっこう映ってた。
夜、ビバシティ彦根で「This is it」。リハの記録のせいか、マイケルの足元が、よく撮られている。力を抜いて軽く踊っている足がぴくぴくっと痙攣するかに見えたかと思うと、次の瞬間にはもうとんでもないビートの細かさで踊っている。
快晴。日盛り、ワレモコウに似た小さな花に季節はずれのハチが来る。
庭でpopoの演奏が始まる。日傘をさす人、おもちゃの剣を持った子供。飛行機。
邸宅の入口で、モモちゃんがジンをずらりと並べている。中でアリくんたちがビールとカレー。外では柿のなる木陰で純ちゃんがレモネードを作っている。ういきょうとニッキとミント。丸いテーブルでキタさんがサンドイッチをふるまい始める。築山で中尾さんが写真を撮っている。
この景色、ぜったいに倉地さんの絵で見たことがある。
江崎さんや宇波くんやアリくんたちが培ってきた音楽の作り出した、風通しのよい庭。こんな日に立ち会えるなんて。そして、ここに居ない人とこんな時間を過ごすには、どうすればいいかしら。
純ちゃんがレモネードをかきまぜながらしみじみと「今日はいい日だねえ」。
三田村管打団?のほがらかな音を聞きながら坂を下る夕暮れどき。ぶんかちゃんのことを思い出した。
塩瀬から彦根へ。神戸でちょっと降りて、弁当を買う。うつうつと蒲団に潜り込んでいる相方に。
workroomへ。居城純子さんとintextの個展。浮世絵の色版のような不在感。引き算としてのレイヤー。塚村さんと珈琲を飲みながら話しているうちに、突然、野ばらちゃんが絵の前に立っている光景が頭の中に浮かんだ。そうか、あれはBig Appleだったんだ。「花形文化通信」のころ。ぼくは1991年にBig Appleにいた。何を見に行ったんだっけ。
そのBig Appleの20周年記念ライブ。ひょうたん研究所、play potのあとに、かえる目。4,50分、と言われていたが結局1時間以上もやってしまった。「女刑事夢捜査」には古池くんも加わる。曲間にジョン・ケージの話をしながらふと思い出したが、花形文化通信に初めて書いた原稿は、ジョン・ケージのことだった。あれは何年だっけ。
トリは倉地久美夫。倉地さんの演奏は圧倒的。「さかさまの新幹線」の朗読の、つなぎ目のない語り。
近くの中華屋で打ち上げ。
倉地さんの歌を聴いたあとでは、目に入る惹き文句がことごとく倉地さんの歌詞に出てくるように見える。
朝遅く起きて、シンポジウム用のアブストラクトを書く。英語を書くのは昔から苦手。いまだに冠詞の使い方がわからない。何より、英語の論理で書いているうちに、自分の主張の力点が変わってしまう。ある意味、飛躍の少ない文章になるのだが、飛躍の少ない文章にはアイディアの隙間が少ない。淡々と、しかし思わぬ場所に出るような英語が書けないものか。しかし、学術用の文章でヘミングウェイやチャンドラーをやるわけにもいかない。
ガスが通ったので久しぶりに珈琲でも、と豆を手にしたら窓の外で声がする。宇波くんとモモちゃんがいた。そのまま三人分淹れてお茶の時間。
おみやげのスコーンを頬張りつつ、新曲の譜面を書く。映画を運ぶ人の歌。
影絵のような夕暮れを見ながらyugueに。
二階の畳の間で軽くリハ。窓際に坐って見下ろすと、通りを行く人を目で追える。通りがかりの人かな、と思うと店に入ってくる。あ、来てくれた、と思う。そうこうするうちに畳の間は満員に。
下鴨本通りのざわめきを背中に感じつつ、23曲。ここ最近のライブでは、以前は手ぶらで歌っていた「とんかつ岬」や「花牛図」「マンガ都市」でもギターを弾くことにした。すると、宇波君のリードが映えることがわかる。もっとギターを練習せねばな。紗代ちゃんに二曲歌ってもらう。
そのまま畳の間で打ち上げ。おいしい食事。下から入れ替わり人が上がってくる。親密な空間。
コリアンダーがよく育った。パンにはさんで食ってから、京都へ。
まずは一年ほど止まっていたアパートのガスを開栓してもらう。ストーブもつけて冬支度完成。
次に本日の準備。コンビニに行き、新聞を三紙ほど買う。できるだけ押しの弱い、しかし、何かがおかしい記事を三つほど選ぶと、どれも京都新聞の地方面だった。カッターで切り抜き拡大コピーする。これでニュースができた。
さて次は即興演奏用の譜面。先日中尾さんに聞いた、小学生のときに作ったという四コマのストーリーを、演奏用のスクリプトにする。
さらにLPレコードをひっくり返して、60年代の軽音楽からBGMを選ぶ。
これらを組み合わせて、
・ニュースの時間(中尾さんによるニュース朗読)
・CM
・四コマ音楽(即興)
・天気予報
という、夕方6:30から7:00あたりを仮想した時間を三つ作って譜面にする。ニュースと天気予報は必ず同じBGMを使い、CMはまったく同じものにする。四コマ音楽では必ずテーマとエンディングを演奏する。以上の構成は、この前のyugueで聞いた中尾ワールドに着想を得たもの。
午後、繭ごもり、中尾さん、寺川さん、猫二匹と合流してリハ。寺川さんの巻き寿司うまし。
思いつきで始まった中尾+細馬の「四コマ音楽」。中尾さんはパーカッションとクラリネットと朗読、細馬はピアニカと蓄音機担当。初演ということもあり、いささか工夫の足りないところもあったが、この「三日間のある時間をシミュレートする」というやり方には、いろいろ未来がありそうである。DJというのもいいなあ。
繭ごもりはレパートリーも増えて、これから楽しみ。さりげなく佐藤さんのギターが繊細。最後は、「鳥かごを開けて」「ぴかぴか星人」を一緒に。
打ち上げで、珍しく中尾さんが暴走、二人でわけのわからない動きをしながらあちこちの人を捕まえてはからむ。宇波くんと池田くんも途中からやってきて、いたたまれなそうに膝を揃えて坐っていたが、もう止まらない汽車なのである。恐縮する池田くんに、ぼくは容赦なくステレオ話をふっかけ、中尾さんはカメラの機種を尋問の如く聞き出し、およそホスピタリティとは無縁の応対。そのあと、なぜかギターを弾きながらウエッコとモノマネで張り合ううちに、岡村靖幸をオクノさんの声で歌うという訳のわからない世界に入る。結局朝五時まで飲んだくれる。
休日は京都で平日は彦根。忙しい。講義にゼミ。
かてて加えて、今年に入って編集委員になったせいか、毎月論文査読がいくつかある。
査読は時間がかかる。書評よりずっと難しい。
書評をどう書くかは人によって違うだろうが、ぼくは基本的に人に本を薦めることだと思っている。ある本をこきおろしたとすると、その本は読まれにくくなる。読まれにくくなると、読んだ人からの反論が出にくくなる。「おまえはああ書いてたが、それほどおもしろくなかったではないか」という意見に出会う確率のほうが、「おまえはああ書いてたが、けっこうおもしろかったではないか」という意見に出会う確率よりも高い。そして反論可能性の高い文章のほうが、おもしろい。
というわけで、書評では、自分の得るところがあった点を拾い上げる。
しかし、査読ではそうはいかない。査読とは、基本的に訂正の必要な箇所をできるだけ指摘する作業であり、過去の文献と照らし合わせながら、「どこが足りないか」を指摘する作業である。これはたいへん疲れる。まして、自分の専門分野から遠いものの場合(そういうのを頼まれることもある)、まずその分野を一通り勉強しなければならない。とくにぼくのように、あちこちの分野に横入りしているタイプの人間は、勉強不足を補うのにずいぶんと時間がかかる。
以前はため込むのがいやで、頼まれたら2週間くらいで出していたが、それでもいま三つ貯まっている。こう重なってくると、そうすぐには進まない。
まあ、誰かが査読しなければ、学会誌は成り立たないのだ。勉強をする機会だと思って、依頼されたものはできるだけ引き受けることには、している。
それにしても、自分の論文や著書に早く手をつけたい。昨年のいまごろはもう三本くらい書いてたが、今年はまだ一本も書いてない。
市バスでキンドル、JRでキンドル。確かに出先で読むには便利。片手で長い間読んでいても疲れない。
しかし、やはりモニタの牢獄の読書だなという感じがする。とくに、図と文章が違うページに載っているときが面倒だ。本なら、ひらひらとページをめくるだけでいいのだが、キンドルだと、prev, nextでいちいちカツカツ行き来せねばならない。
学術書のように、行きつ戻りつする読書にもちょっと不便。「ええと、あそこの前頭葉の話はなんだっけ・・・」というようなときに、本だとぱらぱらと行けるのだが、キンドルではそうはいかない。もちろん、ページ数を指定してジャンプすることはできるのだが、そもそも戻りたいページ数がわからない。目次にいったん戻って、このあたりだと目測をつけて、ようやく戻ったら、またさっきのところまで・・・というようなことをボタンをカツカツ押しながらやるのはじつに面倒くさい。
ブックマークやメモも取れるので、とりあえずはあちこちハイライトしているのだが、これが今からどれくらい役に立つかは未知数。
などといいながら、Attentionは2/3ほど読んだ。まあ、わりとさくさく読めているほうではある。
梅津さんのソウルフルなこぶしを聞いたあとに、こそこそとステージにあがりリハ。中尾さんが初めての曲をさらう。その場の思いつきで「昼の歌謡曲」のテーマも演奏することに。とくに客の入れ替えがあるわけでもないので、ほとんど公開リハ状態。そのまま、客電が落ちて、もう一度「昼の歌謡曲」を演奏して始める。10数曲やるつもりだったが、間のトークが長すぎて、かなり削る。にもかかわらず、なぜかお客さんの反応はすごくよい。いちおう、もう一曲やっていいかどうか担当の人にステージから聞いてみたが、答えは身振りで「バツ」。
そのあと、メンバー一同アナベラ・リーで飲みながらなごみ、さらにハセケンも加わり、アパートで焼酎を飲みつつレコード鑑賞などしてなごむ。
さらにそのあと、ちょっとZANPANOを覗いて帰る。
彦根に戻って講義に実習に相談。
amazonからキンドルが届き、あれこれ試す。
まずはサンプルをどんどんダウンロード。各サンプルはけっこう長く、学術書ならイントロは全部読める。この時点でハズレのものを選別できるので便利。
kindleでの注文はPCからが吉。Kindle上だと操作にやたら時間がかかるし、リストに出版年や値段がでない。PCでサンプルや本を頼むと自動的にキンドルに転送される。
図の多い本はちょっと苦しいなと感じる。何度も見返すのが書物に比べて面倒だし、細かい図は読みづらい。たとえば、USMLE Road Map: Neuroscienceの図はちょっと読む気にならん。ウィンザー・マッケイの「チーズトーストの悪夢」のサンプルなど、笑っちゃうほど読めん!
風呂で読めるといいなー、と思ったら、ジップロック大、というすばらしいアイディアを、寺田克也さんに教えてもらう。
A. WardのAttentionを買う。さて、キンドルで読み切れるだろうか。
朝、テアトル新宿のモーニングショーで「こまどり姉妹がやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」。門付けで鍛えられた十代の、不安さとしたたかさが入り交じった表情に感じ入る。不安定の安定、とでもいうべきか。
神田に出て富士レコードでSP用の針を買う。
荷物が多かったのでタクシーで東京駅へ。運転手さんがお城マニアで、石垣の積み方についてあれこれ教わる。
昨日は蓄音機を持ってタクシーに乗ろうとしたら「危険物ちゃうやろうな!」とすごまれて、ちょっとびっくりしたけど、よく聞くと広沢虎造の好きな人で、次郎長三国志の話で盛り上がった。
運転免許を持ってないのでタクシーを使うことが多い。たいてい天気の話から始まるのに、10分ほどたつと思わぬ会話になる。伊吹山に山小屋を建てた話を聞いたこともあったし、京都の銭湯は何で焚いてるか、という話になったこともあった。会話の行き先というのは不思議なものだ。
会場のyugueへ。結局、持っていった蓄音機を使うまでもなく、yugueにあったVestaxのプレーヤーにSP用の針が使えることが判明。
というわけで、前半はSP盤鑑賞会。今回は語りもの多し。母子家庭の寸劇で何度も繰り返される「こうもりの骨工場」というフレーズが耳について離れない。
後半は、中尾さんの小・中学生妄想をたどるMDの数々。聞くうちに、5日にやるライブのアイディアがむくむくわいてくる。この、妄想放送部でいくか。二階の畳の間で、客が全員知り合い状態、ということもあり、際限なく続き、5時から始めて終わったのが11時ごろ。
まほろばのパーティーにちょっと顔を出す。中尾さん、宇波君とかえる目の曲を三曲ほどやって帰る。今日も長い一日だった。