旅を裏付ける旅

前川公美夫編著『頗る非常!』(新潮社)

 明治・大正史を調べるとき、ついズボラをして、東京の新聞記事を調べて終わってしまうことがある。そのあげくに東京史を日本史と勘違いしてしまう。たとえば映画史。浅草六区の活況記事に目を奪われていると、活動写真館に雇われ技師や弁士や楽士がいて、近所の看板描きが絵を描き、そこへフィルムが送られてきて活動写真が封切られる、というイメージを無意識のうちに抱いてしまう。じつは私がそうだった。
 それは違う、ということに気づかせてくれたのは、柳下毅一郎『興行師たちの映画史』(青土社)だった。柳下氏は、田中純一郎の『日本映画発達史』を引きながら、初期の地方での映画上映が、現在とは全く違っていたことに注意を促している。
 地方の上映では、現地との交渉や宣伝をする「先乗り」がいて、さらには映写技師や弁士、音楽手、会計からなる「巡業隊」が組織されることがあった。つまり、映画の初期において、上映とは「興行」だったのである。
 なるほど、よく考えると、活動写真が輸入されたばかりの明治三十年代には、まだ活動写真館そのものがほとんど存在していなかったはずなのだ。活動写真に必要な何もかもをひっさげて、全国各地を巡業し、その魅力を披露する者がいなければ、映画という現象は広がり得なかった。
 となれば、その巡業の実態こそ、語るに足る初期の映画史ではないか。
 そこで、巡業の一部始終をありありと知らせてくれるのが、本書『頗る非常!』である。主役は、活動写真の輸入期から活躍していた弁士にして興行家の駒田好洋。その駒田の巡業記「巡業奇聞」をはじめ、当時の新聞に掲載された聞き書きを、前川公美夫氏が編集した内容なのだが、いやはやこれがおもしろい。
 巡業隊一行は、あらかじめ決められたスケジュールに沿って各地を転々とするのではない。乗り込んだ興行先で依頼を受け、さらに山奥に入ってしまう。用意された先があやしければ、素通りしてしまう。行く先知れぬ巡業の、各土地土地で待ち受けるのは、一癖も二癖もある小屋主、興行の金主たち。客の態度も、金銭授受の作法も違う。身内の者とて一筋縄ではいかない。先乗りに裏切られ、楽隊からは一人抜け二人抜け、かと思えば巡業先で知り合った芸人が加わり、フィルムを囃すその演奏は日ごと変幻する。度重なる火事、フィルムの盗難。非常時とあらば駒田の前口上は一時間にも及ばんとし、寒中といえども巡業隊は総出で客を見送る。巡業とは旅であり、旅の悲喜こもごもは、スコブル名調子の底から、ジワジワと染みてくる。虚実入り交じる駒田の大ボラに隠れた史実を、編者は、各地に散逸した資料や地方紙をもとに、丹念にたどっている。マイクロフィルムの酢酸臭がツンとするような膨大な注釈は、日付と事件を次々と裏付けていき、いつしかもうひとつの巡業であるかのように、奇聞と重なっていく。北海道の楽隊研究から出発したという前川氏の労作は、初期映画のイメージをスコブル付きで一変させた。歴史を愛する東京人よ、この痛快なる旅に参加せずしてなんとする。


(評:細馬宏通「東京人」2008年12月号 p153)

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