鍵盤を弾きながら考えたこと、白川静、押すことと戻ること、舟、般、鍵盤
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さらに原稿。年末の買い出し。
大学院生の城綾実さんとの共著論文が「認知科学」に採録決定となった。めでたい。
「いま何してる?」という気軽かつ深刻な感じが、Twitterには希薄になってきた。いま何してる?という誰からでもない問いかけに答えることの、気軽さと絶望と。
にもかかわらず、入っているとついつい見てしまい、ついつい見てしまうと、「いま何してる?」という問いの持つ危うさは失われて、何かあくせくと情報を集めているようで、あくせく情報を集めるみたいに人付き合いしちゃってるなあ、自分は、と思い、つい、アカウントを消してしまった。
Twitterの全部が全部、そういうあくせくした感じというわけではないだろうし、離れている友人たちの日々がふと洩れてくるのは楽しかったので、何も消さなくともよかったかな、と思ったけれども。
まあ、じかに会ったときにでも、洩らしてくださいね。今後ともよしなに。
以前、Twitterを使ってやってみた「Texture Time」をリンクしておこう。
Texture Time: 03 June 2008 南彦根→京都
朝飯も普段の三倍くらいあった。行き届いたサービス。一泊だが、十分贅沢をした気に。どこにも寄らずに帰ることに。
原稿をさらに。旅館でけっこう仕事をしたなあ。自分の単著論文がなかなか終わらない。これは年末までかかりそう。
サービスエリアで弁当を買って帰る。子ども連れの客が多い。年末気分。
部屋で仕事をしているうちに「オールザッツ漫才」を見逃した。
ゆうこさんと車で金沢へ。風呂付き二食付きの旅館に泊まる。家事の一切は人任せ。ふだん食う量の三倍はある夕食。途中から戦っている気に。
風呂に入り、原稿を書く。だいぶ進んだ。
朝、さっくり起きて扉野さん宅を辞す。帰って論文を書く。木下くん真由子さんのご結婚祝いにビデオを撮る。
今年最後のゼミに会議。明日の天候が思わしくないので「覗く・透かす」スミス記念堂のカメラオブスキュラは延期に。あちこち電話をかける。あわただしく彦根をあとに。ギターも五線譜も、取りに帰るヒマがなかった。ならばナシでいくか。
夕方、京都へ。今日は扉野良人さん企画の足穂生誕祭「KIOTO遁走曲」での演奏。先日、急遽参加が決まったトロンボーンの古池寿浩くんを加えてのかえる属(細馬+中尾)だが、ギターを持って来なかったので、急遽電車の中で構想を練り直す。リハではその構想を古池君にメモしてもらい、近くのうどん屋で改めてアレンジを確認し五線譜を書く。
一ヶ月前には構想すら明らかではなかった同人誌「DONOGOO-TONKA」が、なんとこの日にあわせてめでたく完成。羽良多平吉さんのエッジの効いたなまめかしい書容。ぼくも寄稿した。ガケ書房や恵文社で手に入ります。
ライブは実力者ぞろい。ICHIさんの演奏は初めて聞いた。綿密かつ周到にひっくり返るおもちゃ箱のごとし。ものすごくたくさんの音具を揃えているのだが、どれもここぞというときにだけ鳴らされるので、無駄な感じがまるでない。すごいな。
ARICOさんはurbanguildのアップライトをあっという間に弾きならし、声部を歌い分けていた。
クルビアの二人は床に座ってキーボードとエフェクタを用いる演奏。掛け合いなのにスペイシー。
吉田省念くんは、達者なギターとウクレレ、そしてピアノ(これがまた、ドビュッシーの「ミンストレル」を脱臼させたような、風変わりな伴奏なのだ)によるスポーティーな歌と演奏。わあ。ROY SMECKを彷彿とさせる、めくるめくウクレレ奏法。彼自身、Roy Smeckが大好きだそうで、彼のウェブサイトをあとで見たらYouTubeの動画が紹介されていた。(→こちら)
・・・そんな充実の演奏のあとに、かえる属の底の抜けた演奏。ギターがない分、禍々しさが際だって、けっこうおもしろいアレンジになった、と、思う。ピアニシモでピアノを弾く。アンコールでは、まだ構想中の新曲をあえて。「ラジオじゃなくてレーディオ」と歌うと、足穂読者とおぼしき方々から拍手が。
夜半も過ぎ、扉野さん宅にお邪魔して飲む。
たぶん二曲めだと思うのだが、なにしろ何曲目と確かめながら聞いたわけではないから確かではない。ぶー、ぶーと音楽を遮るような音に誘われて、広げた紙ジャケを弄んでいるうちに、もしかしてもしかするのではないかという予感がして、縦に持って上下からぐっとたわめると、バリッと大事な何かが剥がれた音がして、紙ジャケは筒になってしまった。ジャケットに対してこのような乱暴狼藉を働いたのは初めてである。禍々しい赤い絵の内側は白く、微かに照りを帯びて、穴の向こうの景色をぼんやりと映し出しており、軽快なクラーベと同じ資格で景色が鳴り、同じ態度であの世の絹を引き裂くような音が覆い、その間もジャケの中を覗いていたのだが、ビンゴを言祝ぐ声がして、するともうジャケの中は、それまでのジャケの中ではなくなってしまったのである。何かがもはや取り返しがつかぬほど、決定的に変わってしまったのである。それが証拠に、それからわたしのやっていたことといえば、ずっと音楽に合わせて紙ジャケを、魚の口のようにぱくぱくと覗きながら動かしていただけなのだ。もやもやしたコーラスを聴きました。ベースがぱちぱち言うところも過ぎました。どの音にも楽器を構えるときの気配が前触れており、だから音というよりは、その気配が、わたしの手をぱくぱく動かしていたのだが、そしてわたしの意識はいつも遅れるのだが、それでも手は、紙ジャケを押しつぶす、その一歩手前で踏みとどまり、あんまりぱくぱくさせすぎて、気がついたら紙ジャケの入口は、折りかけたやっこさんのように、丸く膨らんでいた。試しに指を入れていくと、てのひらごとすっぽり入って、小手をはめたかのように腕先が覆われた。遠いハープが鳴りました。曲はますます軽快になる。ジャケットになった赤い手を振り上げて指揮をする。これはいい。これはいいなあ。いきますよお。どんどんいきますよお。
HOSE: http://hose.hibarimusic.com/
「瞳を閉じて」、エレクトリック・ピアノ、ユーミン、穴、おやすみ。
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久しぶりにどこにも行かない休日。買って以来ずっと弾いてなかったキーボードを少し弾く。あとはぱこぱこと原稿。
朝、講義。これで年内の講義はおしまい。
京都へ。コミュニケーションの自然誌研究会。菅原さんの、膨大なトランスクリプトを見せつける発表。民族誌的記述の汲めども尽きぬ奥深さに打たれよ、というメッセージに見えた。忘年会。酒は一杯だけに。帰りに原稿。麻里子ちゃんが来訪。ちょっとポニョ話。
朝、新幹線で神戸へ。卒論生の藤田さんと待ち合わせて、神戸大で「音遊びの会」のワークショップ。これは、コンサート形式のものではなく、参加者とスタッフによるセッションのようなもの。
最初の30分は軽くウォームアップで音を鳴らし、そのあとは、やりたい人が手を挙げて交替で演じる。藤本さんがトロンボーンをぶわぶわやったあといきなりすっと歌い出して、またぶわぶわやった。すごい。
トロンボーンのぶわぶわは、前奏や終奏、あるいは楽章のようにも捉えられないことはない。でも、そのどれでもないくらい独立している。歌の前奏や間奏や終奏ってなんだろう、と改めて考えさせられた。
ゆかちゃんの「羞恥心」もすごかったなあ。伴奏は全くなしでばーんと決める。
新しいメンバーも個性派ぞろいで、これからどうなるのか、また楽しみ。
明け方、眼が覚めて近所を散歩する。バスの終点を過ぎ、集落は山のふもとで尽きている。このバス路線も来年には廃止になるのだという。
小さな祠と土俵だけがある神社と溜め池。山並みの形が多様で目に楽しい。
丘陵地を上り切り、開かれた田んぼを川沿いに下る。日が昇ると、自分の思わぬ長い影が田に落ちた。
遅い朝、橋彌さんにお茶を点てていただいてから、朝食。
橋彌さん、小林さんと宗像大社へ。
高宮斎場。市杵島姫神が降り立ったというその場所は、木々に囲まれた石組みがあるだけで、何もない。
見上げると、高い梢が風でゆっくりと揺らされ、地上では冬の柔らかい木漏れ日が形を変えている。
木々に囲まれた石組みは、正面から見ると、高みに向かって遠近法が強調されて組まれているので、急に遠ざかるように感じられる。ここで行われる儀式は神籬(ひもろぎ)、磐境(いわさか)と呼ばれているという。石で結界が幾重にも組まれているさまは、かつて行われていたであろう岩陰祭祀の配置を抽象化したようにも見える。
斎場の上を上っていくと、さらに小さな石で組まれた祠がある。周りに何の説明書きもないのだが、この石の形がなんともゆかしいものだった。
神宝館で、沖津宮から発掘された岩上、岩陰、露店の祭祀にまつわるものや、三角神獣鏡の数々を見る。
太古の昔、人前で演じ、歌うことは、けして当たり前ではなかった。人の目に届かぬ岩上から、人目を忍ぶ岩陰へ、さらには岩陰に寄り添いながら開かれた半岩陰、そして人々の目に触れる露天へと、祭祀の場は移っていった。祭祀がたどった経緯は、楽や舞が誰にどのように開かれていったのかを考える上で、興味深い。
夜、博多のgigiで投げ銭ライブ。対バンは山本さんに将軍さん。三卓くらいの店内にお客さんがぎっしり。デジオ縁のヨッシーママ、りかよん、そして橋彌さん、小林さんも。その場で思いついた曲順で歌っていき、結局50分くらい演った。将軍さんが、名前とは全く逆に繊細な風貌と歌詞で驚く。
ヨッシーママ、りかよんさんの案内でもつ鍋。
集中講義三日目。今日は隣接ペアをジェスチャーから捉え直す話など、会話のやりとりとジェスチャーとの関係について。
夜、橋彌さん宅におじゃまする。元庄屋さんの古民家。壁くらい分厚い梁で支えられた、広々とした部屋の数々。そこに、目利きの橋彌さんが見立てたやきものや木ぎれが、つつましく配置されている。
囲炉裏端で、茶釜のお湯が沸き、そこから、こおっと、涼やかな風のような音がする。なんともしみいるようだと思ったら、お茶の世界では、松風、という名前がちゃんとついてるんだそうだ。
小林さん、橋彌さんの料理に舌鼓を打ちつつ、お隣さんとの交流をはじめ、田舎暮らしのエピソードをあれこれ伺う。
集中講義二日目。今日はジェスチャー単位の話から始めて、主に空間参照枠の表現について。
夜は呉服町の店で、橋彌ゼミの学生さんと忘年会を兼ねてにぎやかに飲み食い。
朝、新幹線で博多へ。今日から九州大学で集中講義。まずは会話分析の基礎的な概念を話して、映像で隣接ペアや後拡張の簡単な事例を確認していく。じつはこれは伏線で、あとで身体動作を入れて見直すと、単純に見えた隣接ペアが意味深になっていくという段取りになっている。
夜、橋彌和秀さんと箱崎宮の屋台へ。豚の皮やホルモンが旨い。
キャナルシティの宿に。中州の繁華街を散歩してから明日の準備。
朝から公募書類をひたすら読む。学科会議。
東京から月曜の始発で彦根に戻って一コマ目。今年度はこのパターンが多くなりそう。午後は公募書類をひたすら読む。
東京外大の研究会で発表。
もうお一方は、民博の広瀬浩二郎さん。広瀬さんは目が見えないご自分を「触常者」と呼ぶ。わたしは見常者、ということになる。
広瀬さんの前でしゃべるのだなあ、と思いながらレジュメをまとめていると、あちこちに「視点」ということばが出てきて、むむむ、と考え直す。ジェスチャー研究ではすぐに「View Point」ということばを使ってしまうが、これはじつは頭の動きや頭の向きを「視点」と読み替えているのに過ぎないのであって(目玉の動きの細かいところまで解析する人はほとんどいない)、むしろ「頭の動き」問題として分析すべきなのではないか。そして、頭の向きは、聴覚によっても変わるし、触覚によっても変わる。
というわけで、視点問題を「頭の動き問題」として捉え直して話してみる。
ふだんは、動画を見せるときは、ジェスチャーの要所要所だけで「はい、ここの人差し指です!」という風に見所を指示するだけ。しかし、今日は広瀬さんがそばにいるので、「胸元から両手を前方に投げ出して、腕が伸びきったところで・・・」という風にジェスチャーの内容をできるだけ言語化する。これはじっさいやってみると、意外に難しく、いかに自分が動画に込められた情報に無意識のうちに頼っているかを痛感させられた。
広瀬さんの発表は、民博でのさまざまな「触る」試みを紹介するもの。
見常者は、触るということになると、触常者の何十分の一の感覚しか持ち合わせていないのだということを痛感させられる。
たとえば、民博のカラーのパンフレットに、透明な樹脂で点字が打ってある。六点の凹凸で表された点字を、点字表に従って読んでみたが、全く話にならない。そもそも、六点を指先でひとまとまりに判読するのが、簡単ではない。広瀬さんは11才まで弱視だったそうで、点字はあとから覚えたので、最初はとても苦労されたそうだ。が、ずっとやっていると、ある時期から急に触字力が開けて、人差し指でなでるだけですいっと読めるようになるのだという。
印刷の白黒をエンボス化する技術を用いて古文書の草書体に凹凸をつけて読む、という想像を絶する試みもある。これまた、サンプルを触ってみたのだが、文字の曲線や交差の滑らかさを感じることはできても、それをひとつの記号として捉えるのは至難の業に思えた。
細部で構成されたものをひとかたまりのチャンクとして捉えること、そのチャンクから「記号」を一瞬のうちに抽出すること。人の持つこの能力は、じつは触覚を介して徹底的に推し進めることができ、それが「点字法」として実現している。
視覚には「見渡す」という性質があって、細部で構成されたものを一気に見渡して注意点を決めるというプロセスを経る。もちろん「見渡す」ことには「見落とし」もあるのだが、とりあえず注意の方向を決めるには便利な方法に違いない。
触覚の場合には、手で触ることのできる範囲は限定されているから、目で見るように「触り渡す」というわけにはいかない。しかし、その場には音があり、匂いがあって、空間に響く音の鳴り加減や匂いの変化によって、場がいかに変化したか、音の発し手がどのようなものでどのように分布しているかを知らせてくれる。
広瀬さんは、初めて訪れた狭い居酒屋で長椅子に腰掛けるときも、机の端を触りながらすいすいと机と椅子とのあいだに体を入れてここだと思うところに着席される。かくもスムーズに座るためには、触覚のみならず、居酒屋にかかっている音楽の響きぐあい、人の話し声から、部屋の広さ、人の密度が察せられ、そこにありうべき机や椅子のおおよそのレイアウトがおおよそ察せられているのだろう。
ヒバリスタジオへ。2ndのマスターのチェック。チェックといっても、じっさいにはソファに深々ともたれて、ゆっくりと感慨にふけってたのである。我ながら、けっこういい曲多いなあ。
ミキシング後のバージョンに比べて、宇波くんの手が相当入ってるのだが、その工夫がまたいろいろ味わい深い。遠くでカウベルがにぎやかだったり、うっすらキーボードが忍ばせてあったり。「あーいいねー」「これはすばらしい」などと言ってるうちに聴き終わり、結局直しは全然入らなかった。
そのあと、なぎ食堂に出来上がったマスターを納入。その場でかけてもらうが、いやあ、これは結構カフェでかけてもいいんでないかい? リリースが楽しみだ。
帰りに、なぜか「ちょっと鍵盤堂に行きませんか」と、宇波くんの悪魔の誘い。以前、やはり鍵盤堂でウーリッツァーを弾いていたときに、危ない衝動が起こったのをようやくこらえたのを思い出す。
そして、前々から密かにいいなーと思っていたNord Electro2を弾いて、やっぱりいいなーと思ったので、えいやっと買ってしまった。
宿に戻って、さっそくベッドの上にでーんと置き、あれこれ試し弾きする。いろいろ曲を思いつくが、まだ気がそぞろで、まとまった曲にはならない。
夜、アケタの店で中尾勘二トリオ。常人が気づかぬ壁と格闘するような演奏。メロディを思わぬところで寸断する方法を「麦畑メソッド」と命名したい。古池くんの奇怪な試みも楽しかった。
あとで遅い夕食を食べながら、古池くんが26日の足穂生誕祭にゲストで出てくれることが決定。楽しみだ。
午後の講義を終えてから新幹線で東京へ。泰岳ビルの2階は、いい感じのクッションもあり、照明もシックで、なんかおしゃれである。
リハを終えたら30分ほどあった。「ここはとんかつしか!」ということで、メンバー一同で近所の「いもや」に。漬け物から始まって、ごはん、そしてキャベツが大盛りに乗った横にトンカツと、あたかもフルコースを食べるような楽しさなのだが、これが750円。
ライブは、休憩をはさんで二時間弱。MCも(ぼくにしては)少なめだったが、いつの間にフルセットやるほど曲が増えたのか。
途中、「Liliput」で、松本弦人さんがすごいシャッター音のするカメラでバンドに迫ってくる。宇波君はそちらにガンを飛ばしつつ、シャッター音がするたびにギターを止めるという過激な応戦。それを横目で見ながら歌っていると、途中から突然ゲシュタルト変換し、シャッター音が演奏に聞こえだした。歌いながら、ああ、これはすごいなと思う。
稀有な演奏だったのだが、こういうときに限って録音していないのである。
地元ソング「馬喰町」では、木下君が幸せのオーラを放射しながら観客に手拍子とコーラスを促す。このコーラスが、部屋の天井にはねかえってじつにいい響きだったが、こういうときに限って録音していないのである。
終演後、佐藤さんとガビンさんに「進化した!」と言われた。「どこへ向かっての進化ですか!」とも。手紙やmixiでしか存じ上げなかった方々ともお会いして、いろいろうれしいご感想をいただく。
近くの笑笑で、佐藤直樹さん、弦人さん、古池くんという珍しい組み合わせで飲む。そのあと、地下鉄駅で偶然会ったmgkさんの案内で弦人さんとニッポニアへ。ユーミンや清志郎を次々に歌う。途中、ラフォーレで仕込み中のアメヤさん、コロスケさん、コドモちゃんも。結局、朝五時まで。
朝からゼミの一日。この一週間の実験結果を三回生とクロス表を作ってデータを集計。ざっと検定をかけてみる。・・・うーん、仮説が成り立つかどうかは、微妙な結果になった。実験デザインに少し問題があることもわかったので、来年またやってみるか。
来年早々に、写真家のMOTOKOさん、八谷さんと鼎談をすることになった。MOTOKOさんは最近、高島市の農家に入っておられるそうなのだが、ぼくはあいにく、高島の農家を訪れたことがない。車を運転しないので、車がないと行けない場所はフィールドになりにくいのである。
どうしようかと思っていたところ、今日たまたま、他学科の院生に高島市で農作業の衣服研究をしている人がいることを知り、さっそく院生室で話す。実際に着る服をあれこれ見せてもらってちょっとイメージが湧いた。
あとは、いずれ現地に行ってみる必要があるなあ。
実験の合間にドノゴトンカ原稿。分析、講義、会議、そしてまた実験、分析。
実験、会議、実験。
夜、ドノゴトンカの原稿のことで小山田さんに電話。生まれてくる子どもは右肩を回しながら出てきたそうだ。洞窟を抜けるときのように。
朝の講義を終えてから、ずっと分析。
昨日の「最後の戦犯」のことが、その間も頭の片隅にある。
戦争ということを、わたしたちはつい大文字の「歴史」や「国家」で語ってしまう。大文字で語ると、人類にとって戦争は必然だという結論になったり、国家間関係にとって防衛力を持つことは必然である、という話になる。
どんな大義名分があろうとも、人が人を殺すときには、殺す人と殺される人との関係に立たざるを得ない。そして、その関係の、いちばん前に立つ者の頭からは、殺したことが、離れない。その、離れないことは、生活のあらゆる場面で、絶えずじりじりと頭の中で鳴り続ける。夏の蝉も、冬の木枯らしも圧するほどの力で頭を占める。どんな正義で抑えつけても、それは、頭から離れることはない。
人を殺めることは、そのような事態をもたらすのではないか。
そのことを思い知るためにも、人を殺めるにいたってしまった人々の声を聞き取り、その人々が、それぞれの、頭から離れないそのできごとと、どう向き合ってきたのかを、聞き取る必要がある。
先日見た、「シャケと軍手」のことも、あわせて思い出す。
問題は、戦争が正しいかどうかではない。正しさを語ろうとすると、「歴史」や「国家」しか見えなくなってしまう。
戦争とは、誰かを(自分を)、組織的に、人を殺めることの修羅の中に置かせることなのだ、ということを思い知らなくてはならない。人を殺めてしまったあとに続くであろう、長い修羅の中に、誰か(自分)を送り込む、ということについて、考えるべきなのだ。
柴田先生の仕切りで、歴史・景観・まちづくりフォーラム。午前中は講演。渋谷さんが写真を見て「ここは昔」と話し始めると、一気に写真の記憶が豊かになる。写真のアーカイヴという記録には、人の記憶が必要だとあらためて痛感する。
ワークショップでは、渋谷さんの写真を使った街歩き。これは仕込みが足りなかった。次回はもう少しうまくやろう。
講師や来場された方々とお茶。一人、宮大工の方がおられて、最近の宮大工事情をあれこれ伺う。宮大工、というと、なんとなく、寺ごとに専属の大工さんがおられるというイメージを抱いていたのだが、いまはほとんど入札制なんだそうだ。棟梁が統括する会社形式をとっているところもあれば、個人で仕事を請け負っている大工さんもいて、個人の場合は、すべての仕事をこなすことになるのだという。
その、目の前の大工さんが、「じつは彦根城の大手橋の仕事もやったことがありまして」と言われるので、驚く。
明治期の大手橋の絵はがき写真は、何度もしげしげと眺めて、じっさいに、その写真が撮影された場所を特定するため、お城の櫓の上に上ったこともある。写真をかざすとぴたりと重なる位置が見つかって、てっきり明治期から保存されているものだと思っていたら、土地の人から、この橋は何年かに一度つけかえるのだと聞いて驚いた記憶がある。大手橋のことは、「絵はがきのなかの彦根」にも書いた。
しかし、その、橋の復元を実際に手がけた方にお会いすることになるとは思いもかけなかった。橋の微妙なアールの出し方など、工法の極意をあれこれお聞きする。
NHKスペシャルで「最後の戦犯」。
セミの声を圧するように笙の音がする。セミの声が途切れて、それからタイトルバックに入ってカヒミさんの声がしたときに、もう、これはいいドラマだなと思った。
大友さんが音楽をやっていると知って見始めたのだけど、ドラマに引き込まれて音楽を意識しなくなっていた・・・あ、これではFMNの石橋さんのコピペではないか。でも、ほんとにそんな感じだった。
あとで、冒頭のシークエンスの意味を知ることになるのだが、再放送を見る人もいると思うのでそのわけはここでは書かない。
途中、カヒミさんの声は、母性を表すかのように、女性の存在と重ねられる場面もある。しかし、最後まで通して見ると、そうした場面は一部で、むしろ、母性によってすら解くことのできないできごとのかたまりを、てのひらに握りしめ続けるための息のように聞こえた。
「鬼太郎の見た玉砕」と同じスタッフの制作だという。戦中戦後を生き延びてしまった人の声を聞き取ろうとする、稀有な試みだと思う。
東京人書評を追加。前川公美夫編著『頗る非常!』(新潮社)
彦根からゆうこさんの運転で二時間弱、同乗の南さんから多賀のおすすめスポットの話をあれこれ聞きつつ、信楽へ。
shiroiro-ieの、普段はコンクリの床になっている部分にスノコと白いクッションが敷かれ、いい感じの客席が出来上がっていた。
いざライブが始まってみると、地元の方もイッパイ気分でのぞきにこられ、開け放した隣の和室からも声がかかり、にぎやかになる。いかんせん、わたしの歌は、大向こうをうならすようなものでは全くない。この場にどう向かうべきか、歌いながらいろいろ考えることしきり。迷いの多い出来となった。まだまだ経験不足。
卒論生がなんと全員聞きに来てくれた。うれしい。
鍋をちょっとつまんで、それから静かなところで歌ってみたくなり、二階にあがって、車座になった卒論生たちの前で、また歌う。なんだかしんみりした。
結局10時過ぎまで。彦根に戻ると夜半近く。
この日記の右側にある通り、今月はあちこちで歌ったり話したり。
明日は、信楽で「歌と鍋」。鍋! みんな来てね。
明後日、日曜は彦根の歴史・景観・まちづくりフォーラムでワークショップ担当。長年、彦根の街並みに関わっている柴田先生の企画です。
第二週の12日(金)はCentral East Tokyo(今日から開幕)で、かえる目。14日(日)は、東京外大で身体運動とジェスチャーについて話します。公開講座なので、来聴歓迎。
第三週は某所にて集中講義。そのあと、20日になぜか博多で弾き語る予定です。
第四週、26日(金)はurbanguildで、中尾さんと「かえる属」。足穂生誕を言祝ぎます。27日(土)は彦根のスミス記念堂でカメラオブスキュラと透かし絵葉書の会です。
今日は一日、三回生と実験の日。朝から実験刺激をQuickTimeであれこれ編集するが、刺激の時間統制に思いのほか時間がかかる。おにぎりを頬張り、実習に出て、また実験準備。間際まで調整が続く。
実験本番はあっという間。表はとっぷり暮れていた。
わたしには珍しく質問紙形式の実験。被験者が来るたびに、予想が裏切られたり、思い通りだったり。ゼミ生たちと、「あー、こうきたか」「おお、これは」などと一喜一憂する。どちらに転んでも結果が出るのは楽しい。仮説は他人に開かれてはじめて検証される。実験もまた、他者に見届けてもらう行為なのだ。
一日ゼミ。ゼミのあともひたすら分析。
朝、城さんとゼミをやっていて、とてもナイスなアイディアを思いつき、がーっとしゃべる。
こういうときは、話し終えた途端に忘れてるから注意しなくてはならない。「忘れるようなアイディアは大したアイディアではない」という考え方もあるが、わたしの場合、大したものもたいしたことないものも忘れるのである。というより、大したものかどうか、その時点ではわからず、ただ、「あ−、いまオレいいこといってんなー」と思うだけなのである。
思うだけではしかたがないので、そばに人がいるときは「あー、いまオレいいこといってんなー」と口に出して言うことにしている。すると、あわてて誰かがノートに書き留めたり、覚えてくれたりして、あとで教えてくれたりする。こういうことは、言った本人より言われたヒトのほうがよく覚えているのである。
昨日に引き続き、実験室にこもって分析が続く。
初音ミク、カラオケ、メルト。
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初音ミクの歌うどの歌にも「初音ミクの消滅」というサブタイトルが透けて見える。
それがたとえ、露骨な「中2病」の恋の歌であっても、この世に生を受けないVOCALOIDの歌として歌われた途端、はかなさを帯び始める。たとえば「メルト、溶けてしまいそう」という歌詞は、人間が歌うなら溶けそうな甘い恋のことだが、初音ミクが歌った途端、恋をすることによってまさしくVOCALOID性を消失してしまうかもしれない、危うい生の歌になる。
はかないものに涙するのは衆生の理で、わたしもちょっと涙する。だがそのはかなさは、初音ミクという存在によって半ば自動的に与えられるので、なんだか記号的に過ぎて、わたしはあまりのめりこめない。涙そのものまで、なんだかはかない、一過性の感情に思えるのだ。それでどこが悪い、と言われればまったく悪くないのだが、つまり、おっさんだから、そういうのを積極的にとらないだけなのだ。カラアゲにそれほど食指が動かなくなるようなものだ。
そして、おっさんは食わないものについてまで、話が長いのだ。
さて12月。講義や学生の相談の時間以外は実験室に引きこもってひたすらデータを見てメモをとる。卒論生がみんな黙々とビデオ分析に勤しんでいる。
夜、印南先生のゼミと合同で忘年会。刺身のブリをしゃぶしゃぶにして腹一杯食べる。いろいろある今月の始まり。忙中閑ありの極意で。