大阪古書研究会が発行している合同目録「萬巻」が、最近、近代ノリコさんの編集を得てリニューアルした。近代さんは編集のみならず、「恋愛貼込帖」という連載を始めているのだが、この連載がおもしろい。
「恋愛貼込帖」で取り上げられているのは、さまざまな女性からのラブレターを貼り込んだスクラップブック。それをカラーページで紹介するという、とても合同目録とは思えぬ豪華な内容。時代は大正から昭和初期、となると、まるで夢野久作書く「不良少女のレター」のようではないですか。いや、不良少女というより、その内容は、以下のような古典的ラブレターなのですが。
「クリスマスの夜セーラパンツがとてもよく御似合だつた貴男、小鳥の様に快活に踊つていらした貴男。私は明るい光をさけてじつと見つめる子になつていたのです。」
このような甘い、複数の女性からのレターを、蝶の羽を広げるようにスクラップしたのは、どうやら受取人である男らしい(どんな男や!)。しかもそれが、何冊にも及ぶのだから、どうも尋常ではない。この男がいかなる人物なのか、それがラブレターとその配置から逆に明らかになっていくかのようなこの連載、今後も目が離せない。
上の図は、連載第一回号の表紙なのですが、この表紙がいかなる意味を持つのかは、読んでからのお楽しみ。
というわけで、八月以降の萬巻、入手できた人は幸せもの。阪急古書のまち 書砦 梁山泊で発行してます。ちなみに九月号には、私もちょいと文章を載せております。
そろそろ新学期の講義や週末のレクチャーの準備。今年は、人間行動学は全編アニメーションの歴史をやることにする。せっかくなので、ブラックトンだけで一コマ、マッケイで二コマ使うくらいの内容で掘り下げる所存。
幸い、初期のアニメーション作品については、The Library of Congressで、ブラックトンの「The enchanted drawing」をはじめ、主立った映画やアニメーションが無料で入手できる(昔は、これをわざわざビデオで個人輸入したのだが・・・)。その気になれば、若い人たちもダウンロードしてコマ分析ができる。講義に取り上げる機は熟した、と言える。
アニメーションに限らないが、新しいことが起こるときには、たくさんの可能性が一気にあるメディアに合流して、その中からたまたまおもしろい組み合わせになったものが残る。この、組み合わせの妙をもたらすものが「時代」ということになる。
組み合わせの妙に選ばれなかったものはおもしろくないかというと、これが掘り進めていくと意外におもしろかったりする。アニメーションの歴史で言えば、ライトニング・スケッチがその一つであり、それを含むヴォードビルの歴史が、じつはアニメーションの無意識に深い影を落としている。
このあたりを考えるためのリソースとしては、これまで読んだ中ではCraftonの「Before Mickey」がまとまっていておもしろかった。John Canemakerの「Winsor McCay」も美しい本だ。
日本語ではどうか・・・と思っていたら、最近入手した秋田孝宏氏の「「コマ」から「フィルム」へ マンガとマンガ映画」が、CraftonやCanemakerの仕事を下敷きに、コンパクトにアニメーション初期史をまとめているのに気づいた。
逆に言えば、これからアニメーション初期史を論じようとするなら、これら先達の仕事から、さらに掘り下げていく必要がある、ということになる。
火曜あたりから、ちょっとずつ部屋を片付けつつある。このところ、発表や原稿の準備をしていて、資料がなかなか見つからなくて困ることがあまりに多かったので。
今日はかなり徹底的にやる。まずガラクタをゴミと割り切り、どんどん捨てる。本もどんどんあきらめる。ブックオフに段ボール四箱ほど。
封を切ってない本やCDがけっこうあって、我ながらバカじゃなかろかと思う。どうもアマゾンで本を買うようになって、この傾向は加速しているような気がする。箱を開けたところで、もう気が済んでしまうのだ。これからは心して買い物するようにしよう。
その他、当面使いそうにない全集ものを箱に詰め、とにかく床を出すことを目標に。
夜、昨日より来訪中の万里子ちゃん、ゆうこさんと飯。
それからまたずんずん片付ける。机の位置も変える。夜半近く、ようやく床が見えてくる。
朝、フロイト思想研究会へ。新宮先生のワークショップ。来場者がアンケート用紙に書いた夢を、次々と分析していくという内容。「オレンジに虫がたかっている」という一文を読んで、「あ、これは妊娠のことですね」といった具合に、次々と奇想(と素人には思える)が確信を持って語られていく。
もちろん、経験と多くの文献の読み込みに裏打ちされているからこそ、限られた解釈に一発でたどりつくことができるのだろう。背後にあるであろう、新宮先生の前で語られたいくつもの物語に想像をめぐらすうちに、なんだかこちらも夢を見ているような妙な気分になる。
午後、レジュメ作り。志向性 intentionalityということばを、指向 orientation と対比させながら、会話分析やジェスチャー分析に横たわっている諸概念をなんとかたばねることはできないかと考える。
会話を支えているのは、特定のゴールではなく、むしろ枠組みというべきものだ。会話に立ち会おうという構え自体がそうだし、話題、ターン、あるいは空間参照枠も、会話における枠組みといえるだろう。
こうした枠組みがいったん導入されると、わたしたちは、なるべくそれを維持しようと志向する。たとえば、会話をいったん始めたら、しばらくの間は、相手と会話をしようと志向する。話題がいったん導入されたら、しばらくはその話題につきあおうと志向する。ターンがいったん始まったら、しばらくはそのターンにつきあおうと志向する。
これらの枠組みはいずれも、導入に特有のシークエンスを持ち、終了に特有のシークエンスや要素を持つ。会話の構成員が代わるとき、話題が変わるとき、ターンが交替するときには、いきなり終わるのではなく、その前触れが投射され、終結部分に固有の行動要素が来る。
もし、前触れなしに、志向性を破るような行動が現れると、それは修復を必要とする。
志向性にはさまざまなレベルがあり、上位レベルの志向性は下位レベルの志向性を前提とする。会話への志向性の上に、話題への志向性があり、さらにその上に、ターンへの志向性がある、という風に。
・・・などなどと考えるうちにタイムアップ。
ナラティヴと臨床研究会で、「言い間違いと身体動作」について発表。志向性問題と、フロイトの錯誤行為論をマクラに、ジェスチャーと発語の相互作用を考える内容。
二つの意図の間に干渉が起ること、そしてそういう干渉の結果、錯誤行為という現象が生じるという可能性については、心理学はこれまで少しも気づいていませんでした。
妨害する意向については、まず第一に、他の意向の妨害者として現れる意向とはどういう性質の意向であろうか、そして第二には、妨げる意向と妨げあれる意向との間にはどんな関係があるのか、という二点が問題になってきます。
(『精神分析入門』新潮文庫/高橋義孝・下坂幸三訳)
フロイトは、言い間違いや物忘れの背後に、二つの矛盾する「意向」を仮定したのだが、今回の発表では、二つの矛盾する「モダリティ」の問題と考えて、言い間違いを論じた。
終了後、近くの飲み屋でさらに続き。ポニョ話をするうちに、あの波のシーンがなぜ興奮するのかについて、天啓を得た気がする。近々、ラジオ 沼でしゃべるかも。
異像が必ずしも奥行きに落ち着かないという問題を、ラルティーグとマイブリッジの話で約二時間。
ステレオ写真は飛び出す。しかし、一度になにもかもが飛び出すわけではない。
ステレオ写真を見るということは、意外に時間がかかる作業である。ある部分に注意を向けると、その部分とすぐそばの部分との奥行き差が感じられ、さらに別の部分に注意を延ばしていく。
この、じわじわと細部にまで奥行きが感じられていくプロセスを、楽しめるか楽しめないかで、ステレオ写真の楽しみは大きく違ってくる。
ぱっと見て、「ああ、飛び出してます」といってすぐ目を離してしまうのでは、なかなかその深さはわからない。
そもそも、じつをいえば、飛び出すとは限らないのである。
立体写真の左右に、全く異なる像を埋め込んで、奥行きに変換できない効果をもたらすステレオ写真は、歴史上さまざまな方法で試みられてきた。その手練手管の数々をお話した上で、時間をかけてステレオ写真を見ていったとき、わたしたちはいったい何を見ることになるのか、という話をしたのだが、この先は長くなるので割愛。
この機会にマイブリッジのことをいろいろ調べたのだが、いやはや、波瀾万丈のおっさんである。
写真史、映画史に必ず出てくる人物であるにもかかわらず、20代までの人生はよくわかっていない。写真業を始めたのも、30代半ばから。40代になってスタンフォードの知己を得て馬の連続写真撮影を試み始めるが、その間に、奥さんの交際相手を撃ち殺してしまったり、それがきっかけで奥さんが亡くなったり、別人の名前で馬の写真が出版されてそれを訴えたりと、なんともスキャンダラスな人生を送っている。
スキャンダルはともかく、マイブリッジで重要なのは、彼がまず、ステレオ写真による風景写真師として出発し、さらにパノラマ写真で名を成し、その後で、連続写真を撮ったこと、そして、ゾートプラクシノスコープを使って、馬の連続写真を動画として見せつつ講演を行うという、いわばヴォードビリアン的要素があったことだ。
彼の伝記は(たぶん)日本語では出版されてないから、「むかし馬の写真を撮って有名になった人」となんとなく思っている人が意外に多いかも知れない。Doverから出ているMuybridgeの伝記をもとに年譜を書いてみたので、ちょっとメモ。
1830 The Bittoms , Kingston-on-Thames, Englandに四人兄妹の次男として生まれる。
1852? アメリカに渡る
1855 サンフランシスコへ。
1856 サンフランシスコの新聞広告にマイブリッジの求人記事。この頃は印刷出版業だった。
1857 機械博覧会に本を展示。
1860 弟トーマスに出版業を譲り、サンフランシスコからヨーロッパに向かう途中、馬車から投げ出される。NY滞在中にパーカー医師から、イギリス滞在中にガレル医師から写真師への転職を薦められる。
1867? サンフランシスコに戻る。夏から秋、ヨセミテ渓谷でステレオ写真による撮影を行う。
1868 2月、写真集「Yosemite Valley」を出版。4月、サンフランシスコを撮影。夏、アメリカ軍の依頼でアラスカで撮影。サンフランシスコ地震。
1869 写真の一部を覆って露出を調節する「スカイ・シェイド」を発明。自身を「landscape photographer」と称する。
1870 広告に「個人宅、馬、モニュメント、船など」を扱うとある。
1871 21才年下のフロラと結婚。
1872 サクラメントのリーランド・スタンフォード邸で撮影。スタンフォードの持ち馬オクシデントのトロットを撮影する。
1873 マイブリッジの撮影実験が新聞に報じられる。
1874 長男誕生。妻フロラとの交際相手だったHarry Larkynsをピストルで射殺する。
1875 フロラ病死。中米へ撮影旅行。
1877 サンフランシスコのパノラマ写真撮影。
1878 馬の連続写真撮影に成功。サイエンティフィック・アメリカン10月号の表紙に連続写真をもとにしたイラストが掲載される。
1879 パロアルトのスタンフォード邸でゾープラクシノスコープ(プラクシノスコープの投射バージョン)による動画上映。
1880 サンフランシスコのスタンフォード邸などで上映会
1881 "The attitude of animals in motion"を発行。パリに渡り、エティエンヌ・マレー、ヘルムホルツらと会合。
1882 イギリスで連続講演。イギリスで"The Horse in Motion"がJ.D. Stillman名義で出版される。
1882-1883 アメリカ東部で連続講演。
1884 フィラデルフィア大学で撮影研究。
1884-1886 約30000枚の撮影を行う。
1887? Animal Locomotion 出版。
1889 ヨーロッパで連続講演
1891 The Science of Animal Locomotion出版。
1893 シカゴ博覧会で講演会。"Descriptive Zoopraxography"出版。
1894 イングランドに戻る。
1896-1897 イングランド在住中、フィラデルフィアでの撮影のため渡米。
1899 Animals in Motion出版
1901 The Human Figure in Motion出版
1904 死去。
東京人の書評原稿。『頗る非常!』を取り上げる。
明日の準備。
先日、内田樹さんのブログを読んでいたら、「秋日和」の話が出てきて、ああ、しばらく小津安二郎を見てないなあと思って、それからまた、折りに触れて見直している。
「秋日和」は二十代に初めて見てから何度も見ているはずなのに、ものの見事に忘れている。
わたしは、映画や小説の筋を覚えるのが苦手で、しばらく経つと、誰が何をした話だったかさっぱりわからなくなる。
加えて、小津安二郎の諸作品というのは、そもそも筋を覚えるのが難しい。同じ役者、似たシチュエーション、似た役名、似た所作、見れば見るほど作品同士が物語を浸食しあって、区別がつきにくくなる。
秋日和を思い出しているうちに、途中で彼岸花に行ったり、晩春に行ったり、麦秋に行ったり、はたまた、秋刀魚の味やお早うに行ってしまう。杉村春子が誰の娘だったか、笠置衆が誰の親だったか、畳の上でくるりと回るのは誰だったか、季節はいつだったか、とんかつ屋はなんという名前だったのか。ああわからないわからない。
おかげで、幸か不幸か、見るたびに、ああ、そうだったかと虚を突かれる。
「秋日和」で、いまはもういない親のことを思い出す場面がある。以前はあまり気にも留めなかったのだが、今回はそこが妙に心に残った。
親を思い出す場面は二つあるのだが、二つとも、徴候的だ。
後藤(佐田啓二)が中学生のとき、母親と喧嘩して、台所の棚に並んでいた伏見人形を全部割ってしまう。「その年の秋、おふくろ死んじゃったんですよ」。
秋子(原節子)とアヤ子(司葉子)が、父親と行った修善寺の思い出を話している。アヤ子が池の鯉にバタピーナッツをあげると、鯉がパクパク食べてしまう。あくる朝見ると、その鯉が白いお腹を見せて浮いている。「でも、あれがお父さんと旅行した最後だったわねえ・・・」。
順序としては、まず、ある出来事が語られ、そして同じ年に親が亡くなったことが語られる。しかし、語り手にとって、親はもういないのだから、ある出来事を語るときには、もういないのだ、と思いながら思い出している。
いないのだ、ということを遡って、いるときのことになる。と、あるできごとが口をついて出てきて、それがあたかも、いなくなることの徴候であったかのような気がしてくる。
故人を偲ぶことは、生前まで時を遡ることであり、そこから、まるで記念となるものを拾って戻ってくるかのように、徴候は語り出される。
かくして事後的に徴候は作り上げられる。事後的に見出されるものを「徴候」と呼ぶのはなんだかずるい気もする。が、かと言って、それを後付けの詐術だと簡単には割り切れないのは、故人の生前を記念しようとする語り手の構えが、そこに埋め込まれているからなのだろう。
以前見た映画を再び見ながら、そこで交わされる台詞に「ああ、この話はもしかしてああなるのでは」と予感する。予感は的中する。的中するもなにも、見たことがあるのだから当たり前なのだが、思い出している本人はといえば、その台詞がある結果を導くことに、いま気づいたような気がしているのである。
忘れやすいおかげで、あちこちに徴候が見つかってしまう。今度は忘れるまいと、その徴候を拾い上げる。これもまた、記念のあり方なのだろうか。
「失われた時をもとめて」の抄訳版をぼちぼちと読み始めている。前に一度、一巻で挫折しているので、今回はなんとか最後まで行きたいものだ。しかし、案の定、あちこちで妄想が道草を食い、なかなか前に進まない。
沼:392 人の声の気配(1) ツィゴイネルワイゼン、サラサーテ、失われた時を求めて(約8分)
沼:391 quartets(4) 箱の中の箱(約8分)
Ensembles展quartetsについて。
昨日、帰りの「道の駅」で、万願寺とうがらしを売っていた。一袋百円で、ふぞろいながら20本は入っている。
いささか疲れて熱っぽかったので、万願寺と味噌汁と白飯でご飯。
万願寺はよく出来た野菜だなと思う。
両面を少しあぶると、やや厚めの皮が、蒸し器の役割を果たしてくれる。少し焦げるくらいのところで、中の蒸気が漏れて、香ばしい匂いとなって立ち上がってくるので、頃合いだと分かる。皿に盛ってカツブシをぱらぱらやって醤油をかける。
ああ、うまいなあ。
5本くらいぱくぱくと食って白飯一膳、過不足ない。
結局、三食とも万願寺だった。
朝早くに目が覚める。ひとっ風呂浴びてから近くの海岸を散歩。
このあたりの岩は、断面が角張った柱状のものがしなうように重なっており、あたかもトコロテンを固めて置いたような奇観をなしている。豊岡の玄武洞に似ているな、と思う。ここいらは、玄武岩ではなく、安山岩質らしい。
あいにく、朝からものすごい風。せっかくだからとさらに先へと歩くうちに大粒の雨も降ってきた。
少々の雨は傘なしで歩く性分なのだが、これだけ風が強いと体温が奪われる。
しばし雨宿りをと、弁天様のある洞窟に入る。
と、意外なほど中は風がなく、静かだ。
洞窟の入口にある説明書きを読むと、ここは、縄文期に住居として使われた洞穴らしい。弁天様の奥にさらに人の落ち着くことのできる空間があるらしい。
なるほど、これだけ雨風がしのげるのだから、昔の人々は思わずこの場所を住処として選んだことだろう。いましがた雨に打たれたばかりなので、なんだか縄文人の気持ちが染みてくる。
縄文期には、温暖化により海抜がいまより2,3m高くなった「海進期」があった。この洞窟の表はちょうどよい高さの磯になり、貝や魚をとってすぐに洞穴に持ち帰ることができた。
そんな生活をこの洞穴で想像すると、温暖化により海抜があがるということが、それほど問題なのだろうか、という不埒な考えがわいてくる。
いや、もちろん、現在海抜0mから数m地帯で生活している人々のことを、ないがしろに考えようというのではない。が、少なくとも先史時代を視野に入れるならば、海抜が上がれば上がったなりの生活がありうると考えるのは、おかしいことではない。
みんなで東尋坊へ。
東尋坊は、ただの火サス御用達の断崖絶壁かと思っていたら、まるで違っていた。
安山岩の柱状構造が露出しているおかげで、岩の側面はあたかも天然の階段になっており、あの崖この崖をずんずん登ってゆける。楽しいじゃないか、東尋坊。みんな思い思いの場所を目指してお互いを見上げたり見下ろしたりする。
こちらが動き、世界が動く。ダイナミック・アースだ。エディンバラを思い出した。
金華山でバーベキュー。夕方に解散。
それにしても、三回生の企画力はすばらしかったなあ。
金曜日はメディアショップでレクチャーです。
http://www.media-shop.co.jp/students/blog/2008/09/evening-lecture-kyoto-september.html
昨年から3,4回生で行くというプランで始めたゼミ合宿、昨年は少し計画を手伝ったが、今年はもう3回生にまったくまかせっきりにした。すると、彼らは場所の選定から、下見、買い出しまですべて計画してくれた。ありがたい限り。わたしはもうのこのこと彼らの言う先についていくだけになった。
行きはコースは、敦賀から福井市を抜けて越前松島へ。
まずは自由行動。宿のそばに水族館があったので、そこにする。小さな水族館だが、カエルがけっこう充実していて、擬態ワールドを堪能する。
その水族館で上映されていた「海の王者 くじらワールド」が、なんともB級でおもしろい。すがわらそうた氏の作品を彷彿とさせる驚くべき3DCG作品で、固い波、固いクジラ、直角に迂回する小魚、弱気なポップコーンのような水の泡など、たまらん表現の数々。
3D好きの私はまじまじと見てしまったが、一緒に行った学生たちは「なんか思わず寝てしまった」と、複雑な顔をしていた。あとでwwwを見たら、本当に「立体映画なのに、とてもいい気持ちになって眠ってしまう お客様が続出 ! !」という惹き文句があって驚いた。たぶん、本当に眠ってしまう人が続出なんだろうなあ。
四回生による卒論発表。びしびしとコメント。みなさん着眼点はよい。進行状況はばらばらというところ。
その後飲み会。当然、夜半過ぎまで。学生たちが話し込む中、先に休ませていただく午前1時。
沼:389 プルースト、オーケストラ(1)、間違えた場所で目覚めること。(約8分)
沼:390 プルースト、オーケストラ(2)、星座の領域は空を覆うこと。(約8分)
来週と再来週に、テーマが全く異なる発表が3本ある。来週には、ステレオ写真の話、そして発語とジェスチャーの淀みの話。再来週には、コミック・ストリップの話。
それぞれの準備を並行して進めているのだが、どこかですいと、別の発表へ抜ける隘路のようなものが見つかることがある。今日は、マイブリッジの伝記を読んでいて、それが前日読んだ、マッケイのエッセイに通じる論理を持っていることに気づいた。この感じ、抜け穴がぽかりと空いている感じを、それぞれの発表で出せればいいのだが。
「カートゥーンを書くには」 Clare Briggs (1926)
の中で、カートゥーニストで著者のクレア・ブリッグズは、当時の著名な作家に以下のような質問状を送り、その返事を掲載している。
1. あなたが成功した最も大きな要因は何だと思いますか?
2. カートゥーニストを職業として目指している学生にとって、芸術教育はどれくらい重要だとお考えですか?
3. いわゆる通信教育についてどうお考えですか?
4. カートゥーンを描き始めた何がきっかけですか?
5. 平均的な初心者が守るべきことは何でしょう。また、アドバイスはありますか。
ウィンザー・マッケイからの答えは以下のようなものだった。
わたしが成功した最も大きな要因は、とにかくずっと絵を描いていたいという強い渇望でした。これは私自身の内からわき出るもので、さあ絵を描くぞと決めた特定の場所や時があるわけではないのです。自身に「訓練を積まねば」「うまくならねば」と言い聞かせたこともありません。とにかくなんでも描かなければ気が済まなかったのです。誰かを喜ばせようとか、いかにうまく描けるか見せびらかそうとしたわけでもありません。ただ、自分を喜ばせるために描いたのです。
自分の絵を誰に気に入られようが、誰にまずい絵だとけなされようがかまいませんでした。自分の絵をとっておいたこともありません。欲しい人にはあげるし、でなければ捨ててしまいます。フェンスにも、学校の黒板にでも、使い古いしの紙にでも、スレート屋根にでも、納屋の壁にでも描きました。とにかく止められなかったのです。ちょうど口笛を吹く子どもみたいに。何になりたいという志もありませんでした。自分が楽しむために描いたのです。ちょうど、ハーモニカの好きだった少年が今になって立派な音楽監督やアレンジャーになっているようなものです。他の子に比べてとりたてて才能があったわけではありませんが、絵に対する好奇心、絵を描くときの楽しさのおかげで、いまのように熟練したのではないかと思います。
いまでも、子どものときと同じように描くのが好きです。私を知っている人は驚くかも知れませんが、わたしは自分の人生で、描いた絵に対して何か報酬をもらいたいなどと思ったことはありません。とにかく描いて描くこと、報酬はあとから勝手についてくるだけです。ずっと描いていなければ、いくら才能があったとしても、今の自分はいないでしょう。
芸術教育の重要性はもちろん大事です。が、いくら音楽を教育しても、その人に音楽を感じる力がなければ偉大な作曲家にはなれません。もしその人の内側に芸術の感性がなければ、どんな芸術教育もアーティストを作ることはできないでしょう。それでも、内側にユーモアを欠いた人を教育してカートゥーニストにならせるよりはましです。カートゥーニストは自分のキャラクタを動かさねばなりません。自身の中にあるキャラクタを感じて描かねばなりません。笑うことができない人は笑う人を描けません。怒ることができない人は怒る人を描けません。つまり、何かを描こうとするときは、それを自分の指先ではっきりと感じなければならない、ということです。戸外ですばらしい風景を描いたり、美しい人物画を描く人もいるでしょう。でもそれは自然を写しているに過ぎません。生活の中のさまざまなもの、バラや空やさまざまな事物、静物を描く人は、自分の見ているものを写しているだけなのです。彼らはアーティストと呼ばれます。いっぽうカートゥーニストは、生みださねばなりません。生き生きとした喜劇でいっぱいの、あるいはドラマティックな、あるいは悲劇でいっぱいの状況を心の中で想像しなければなりません。自分の感性のすべてをつぎ込んで、アーティストたちが手に出来るようなモデルや助けは一切なしで、描かねばなりません。
通信教育がカートゥーニストになるのにどれくらい役立つかは正直わかりません。もし若い人がおもしろいアイディアを持っていて、それを心の中で動かすことができるのなら、それを紙に描くことを教えるのはたやすいことでしょう。
わたしは長いこと、どんな紙やインクやペンやステンシルが必要なのか探してきました。カートゥーンは、部分を使うときのために大きめに描かれるべきだということも、知りませんでした。縮小したときに線をくっきり出すにはどんな質や量の線を描くべきかということも知りませんでした。
もし通信教育が、内にユーモアを秘めた人、そしてたゆみなき厳しい仕事のできる人にこうした必要な技術をすべて教えるというなら、教育によってカートゥーニストを作ることは可能でしょう。誰かにカートゥーンにおけるおもしろさやアイディアの掘り下げ方を教えるのは無理だと思いますが、紙やインクやブラシを使って自分のアイディアを扱うための方法なら、教えることができるでしょう。
もし自分にカートゥーンの才能があると思うなら、通信教育を受ければいいでしょう。あなたに才能があれば、それによってあなたの道は開けるでしょう。もし才能がなかったとしても、少しの出費でそのことが分かるのですから、あとで膨大な時間を失うよりはましです。
とにかく描くことから始めなさい。そしてけして止めないことです。目に入るものはなんでも描きなさい。どんなにまずい絵でもかまいません。あなたをからかう人がいるからといって止めてはいけません。あなたを褒める人がいるからといって心を揺らされてもいけません。人が褒めるとき、100000回のうち99999回は、自分で何を言っているかわからず褒めているのです。わたしなら、褒める人よりもけなす人に耳を傾けます。描けば描くほど、前よりは巧くなるものです。いまの自分や自分の描いたものを真に受けないこと。今日はよく見える絵も、明日になれば人に見せたことが恥ずかしくなるほど拙く見えるものです。満足がいくことはありません。常によくなろうと心がけなさい。
エンマおばさんが、こんなすてきなのは見たことがないわ、と言ってくれます。ジョンおじさんもママもパパも、すばらしい、と言ってくれます。にっこり微笑んでありがとうを言いましょう。でもそこまで。けして信じてはいけません。
情け容赦ない編集者があとからやってきてひどく罵倒します。でも内なるものがあるなら、ひたすら続けることです。そしてもし内なるものがないなら、もっと地道な仕事に就きなさい。
出来上がったカートゥーンは、シンプルに見えます。あまりにシンプルに見えるので、1,2分で描いたのではないかと思えることもあります。クレア・ブリッグズのカートゥーンはとてもシンプルに見えるので、懸命に描いたのだと聞いたら多くの人は笑うでしょう。でも、彼のカートゥーンを研究すれば、キャラクターの配置といい表現といい、ほとんど写真的だということに気づくでしょう。彼は真なる物語を描き、すべての動き、ジェスチャー、表情を、自分で感じながら描いています。彼はほんのわずかな線だけでそれができる、唯一の人です。そのわずかな線のうしろにどれだけの神経が行き届いていることか。それらがどれだけ考え抜かれていることか。線が少ないほど、懸命な仕事が必要です。たった数本の線でできたシンプルな絵だからといって、騙されてはいけません。その背後には、何百万もの線で描かれた絵よりも多くの仕事が費やされているのです。わずかな線でカートゥーンを描けるのは、懸命に描いた人だけです。
描くこと!ひたすら描くこと!カートゥーンはこれに尽きます。
(訳:細馬宏通)
(*注:Fantagraphics社の"Daydreams & Nightmares. The fantastic visions of Winsor McCay" (ed. R. Marschall) に同文が掲載されているが、後半が一部省略されている。訳出には、
Jesse Hammによる記事
http://sirspamdalot.livejournal.com/36328.html
http://sirspamdalot.livejournal.com/36806.html
を用いた。)
沼:386 quartetsの影(約8分)
沼:387 quartets (2) 影の静けさ(約8分)
10/4(土)、大阪workroomにて、長時間レクチャーLesson05 コミック1913を行います。
以前から好きだったウィンザー・マッケイの「夢の国のリトル・ニモ」について、この際、自分でも、その系譜をきちんと考えておきたいなと思って、あえてあれこれ語ることに挑んでみようと思います。
まだ、文章にしたこともなく、まとまった話をするのはこれが初めてで、どこにどう散らばっていきますか。読書の秋到来ということで、ご興味のある方はお越しいただければ幸いです。
「夢の国のリトル・ニモ」を描いたウィンザー・マッケイが、コミック作家でありながらアニメーターであった。そのことを、ただの伝記の一節としではなく、空間から時間への欲望の歴史として捉え直そう、というのが、このレクチャーの目標です。
19世紀末から20世紀にかけて、印刷技術と映像技術の発達によって、アメリカのカートゥーンはいくつもの転機を迎えます。このレクチャーでは、そのさなかに活躍したウィンザー・マッケイの作品を軸にしながら、彼の代表作「恐竜ガーティー」(1914)のキャラクターが新聞紙上に発表された1913年を、印刷メディアにおける「カートゥーン」と映像メディアにおける「カートゥーン」の結節点と見立てます。マッケイをはじめ、この時代に流行したアメリカン・コミック・ストリップの歴史を追いながら、時期を同じくして起こった映画とアニメーションの歴史を交差させ、平面とフィルムで行われた「動くコマ」の相互実験の模様をあぶり出していきます。
19世紀末、石版印刷技術の発達とともに、廉価でスキャンダラスな内容を扱う「イエロー・ジャーナリズム」がアメリカで流行します。こうした新聞は、日曜日になると、小難しいニュースではなく、軽い話を盛り込んだ多色刷りの「日曜版」を発行し、そこに「コミック・ストリップ」を掲載するようになります。リチャード・F・アウトコールトの「イエロー・キッド」(1895)は、キャラクター(イエロー・キッドとオウム)どうしの会話によってコミックを進行させていくことで、カートゥーンの可能性を広げました。また、ウィルヘルム・ブッシュの「マックスとモリッツ」(1865)に影響を受けたルドルフ・ダークスの『Katzenjammer Kids』(1897)は、コマ割りや吹き出しを用いて、コマによって進行するコミックの形式を広めました。マッケイは、こうしたコミック・ストリップの隆盛期に、新聞マンガの世界へと移りました。
しかし、マッケイは、新聞によって初めてコミックと接したわけではありません。
1889年にシカゴの印刷会社に入社したウィンザー・マッケイは、1891年にはシンシナチに移り、見世物小屋の美術担当者となります。マッケイはポスター制作に従事することで、コミックの世界に入る以前に、すでにカラフルな石版印刷によるドローイングを発展させていくテクニックを身につけていたことになります。
いっぽうで、マッケイは恐竜ガーティーの公開とともに「lightning sketches」と呼ばれる早描き芸で巡業を行いました。それは、黒板に描いた赤ん坊を次々と描きかえて老人にしていくという、あたかもブラックトンの「愉快な百面相」を彷彿とさせる芸でした。
このレクチャーでは、マッケイ作品の分析を軸にしながら、彼と同時代のコミック作家やアニメーション作家たちについて触れながら、平面上のコマとフィルム上のコマとの関係を探ります。
第一部「サーカスのもたらしたもの:石版印刷ポスターと早描き芸」
第二部「アメリカン・コミックの勃興」
第三部「動きを幻視する人々」
朝一番の新幹線で彦根から新山口へ。
乗り換えの列車を待っていたらホームにSLが入ってきた。
動いているSLを見るのは子どものとき以来だ。C571、昭和十二年川崎製、とある。
小雨の中、胴体からかげろうが立っている。ポンプの蓋がかぷかぷと鳴る。大きな車輪とシャフト。あちこちのメカニズムが剥き出しになっている。考えてみると、汽車から電車への変化は、剥き出しのメカニズムが覆われていくこと、動かしている主体を隠すことでもあった。
駅でもらった町の地図を便りに、山口駅からてくてく歩く。
駅前の商店街を抜け、国道沿いを西にしばらく行ったところに、YCAMは忽然と現れる。背後の山並みを模したらしい、巨大な屋根が波打つ建物に、大きくOTOMOと垂れ幕が下がっている。芝生の前庭が大きく取ってあるので、この山のような建物を自然と離れて見ることになる。国道からその芝生を横切るように進んで建物に入る。
(以下、ensemblesについてに続く。)
* 上記のリンク先は展示内容に触れてます。これから行く人は、行ってあとにどうぞ。
まだ、ポニョ祭りなんですけどね。
ポニョといえば、あの、頭にこびりつくような歌なんですけれども、ぼくはあれを街のあちこちで聴きながら、途中で歌われている擬音語がどうも聞き取れないんです。
わくわくちゅゆ、って言ってるのかな。こころも踊るよって言ってるからね。他にも、ぺたぺたなんとか、とか、にーきにきぷんぷん、とか。
とにかく、口の中がもちゃもちゃにちゃにちゃしてる音なんだけど、あれはなんといってるのか*1。
舌っ足らずの子の発音って、適切に舌がとがってないから(これ褒め言葉なんですが)、そして唇と舌とのタイミングがかっちりコントロールされてないから、たとえばPという発音をするときに、一発でとーんと行かないように聞こえるんですね。
ちなみに、日本人のぱぴぷぺぽと英語のPは違っていて、それは空気のタメなんですね。日本語のPは唇を破裂させるときに、あまり空気を外に出さない。むしろ唇を離すような感じになってる。ところが、英語のPは空気をまずぱっと外に破裂させるように出して、その後に声帯の震えがくる。だから、英語のPの波形を見ると、空気がまず勢いよくphと出て、その後に声帯の振動を示す振幅の大きな部分が来ます。いっぽう、日本語のPの波形を見ると、Pの始まりとともに声帯が震えているので、頭からばーっと振幅が大きくなっている。唇が離れたらもう母音が鳴っている。
英語のPに比べると、そもそも日本語のPはぺたぺたにちゃにちゃしてるんです。
それがもっとはなはだしいのが、ちっちゃい子のぱぴぷぺぽです。
まだ空気玉がぽーんぽーんと前に出て行かない。ぺたぺた、と発音しても、空気がひとつひとつ適確に空間を保ったままそこから空気を一気に押し出すというようなメリハリに欠けている。
ちょうど、土踏まずがまだはっきりしなくて、にちゃっと床に貼りついてしまう子どもの足のような、ぺたぺた。体重も軽く、空気をしっかり押し出すことのできない子ども足が、床に接着して離れるときの「ぺ」。
そういう「ぺ」を考えるときに、ポニョの歌には独特の感じがあると思うんです。
あの歌って、徹頭徹尾、接触の歌なんですよね。
まず、歌詞に歌われる行為じたいが接触的である。おててを「つないじゃお」。あしで「かけちゃお」。わあ、手が生えた!足が生えた!っていう、初期衝動に貫かれた歌である。
考えてみると、サカナっていつも水に触れているから、逆にいうと人間にとっての空気みたいなもので、特別、どこかに触れて生きているという感じを与えるものではない(いや、もしかしたら、サカナは側線から水との接触感を強烈に感じているのかもしれないけどそれは置こう)。
それに比べると、人間というのは、手とか足とか、やたら突き出た身体部位を持っていて、接触することと離れることの繰り返しを、ずーっとやってる。足がそうです。足は地面に接触して、離れる。「足でかけちゃお」という行為の何がどうかしてるって、せっかく接触した地面から離れちゃうんですよね。接触して離れる。かならずどこかに接しないといけない。かならず接したその場所から離れなければいけない。この酷薄な出会いと別れを繰り返さないと、歩いていくことはできない。
手もそうです。握ったものをずっと離さないということはありえない。誰かの手を握っても、それはいつか離さないといけない。握った食べ物もいつか離さないといけない。でないと、誰かにあげることができない。チンパンジーは握ったものをなかなか離しませんが、人間は握ったものを他の個体にあげることができちゃう。
この、接することと離れること、出会うことと別れること、というのが、ポニョの隠れたテーマであって、それが、やたら接触音を盛り込んだあのポニョの歌に現れているということではないかと思います。
*1
実際にポニョの歌に出てくる擬音は以下の通り。
ペータペタ ピョーン ピョン
ニーギ ニーギ ブーンブン
パークパク チュッギュッ
城さんとの連名で、「同期する相互指差しは何を示すのか」
WS「コミュニケーションに伴う身体動作の時間的構造」。ジェスチャーの文脈、可塑性、状況について、コメントする。
学会のワークショップで話すときは、他の登壇者とのバランスを考えるので、いつもの論考に比べて、よりその分野を広く見ることになるし、その場で最前線だと思われることを話すことになる。
こういう場で話したことは、ふだん考えていることのコンパクトなレビューになっていて、あとで、記録しておけばよかったと思うことも多いのだが、なにしろ、あらかじめ原稿を作って臨むわけではないので、つい散逸してしまう。というわけで、ここにその場で作ったpptを再編集したものをあげておこう。
文脈:現在の行為に視点を置いて、そこから遡ったときに考えられる過去の行為の機能
投射:現在の行為に視点を置いて、そこから未来を予測するときに考えうる未来の行為の可能性
*注意点:現在の行為を視点にしておきながら、あたかも過去の行為からの視点であるかのように語ると、文脈と投射は混同される。
・UFEによるTRPの投射、視線移行の投射(榎本発表)
・もしかしたらジェスチャーも?
・成長点
・高められた投射可能性
・成長点のコア:一つのジェスチャー・フェーズと発語のセット
例:滑る
・ジェスチャー単位(句)というプロジェクト:コアの前後に発語とジェスチャーの時間関係を配置する
例:登って滑る
・相互行為的なプロジェクト:(洞窟の径路)
相手の行為を取り込んだ複雑な行為連鎖
・前もってなのか?自転車操業なのか?
・個人内の可塑性:プロジェクトのやり直し(関根氏のデータ例:「するするってね、のぼって、するするってすべるの」)
・個人間の可塑性
SGM内での相互作用(城氏のデータ例)
ジェスチャーの相互修復(細馬による提示:前もってやりかけていたジェスチャーの中断)
・文脈との関係:前のジェスチャーの中から、現在のジェスチャーと似たものをを参照する機能 ・投射性との関係:これから行われる(行われつつある)ジェスチャーの投射可能性を高める
・速度の可変性
・保持
・キャッチメント間の差異
(荒川氏の議論に答えるために)
文化的背景
・ジェスチャーが好まれる雰囲気/避けられる雰囲気
・TCUという状況
情動の問題
・炬燵からむっくり起き上がる人
・ホームポジション問題(例:テーブルの上の手>膝の上の手、ほどかれた腕>腕組み)
会議、ゼミ、研究会。こころとからだ研究会は、岡本早苗さんの発表。
チンパンジーで視線追従 (gaze following)がどのような手がかりによってリリースされるかを論じる内容。
視線追従では、目の前にあるものを指された場合に視線をやることと、目の前にないものを指されたときにそちらを向くこととを区別しており、後者の場合は、表象的メカニズム (representational mechanism)が働いていると考える。
具体的には、自分の後ろ側を指さされたときに振り向くことができるかどうかが、この表象的メカニズムに関わる。
大人にとっては、後ろを指されようが目の前を指されようが違わないように感じられるが、子どもの発達過程では、この、自分の後ろを指さされたときの反応は、目の前を指さされたときの反応よりもあとに出る。
岡本さんは、このような視線追従の発達を、チンパンジーとヒトの両方で調べておられる。
人間は、誰かの視線や指さしを見て、そちらを見ることに慣れているけれど、これは他の動物からすると珍しい。
よく考えてみると、わざわざ他人を気にしなくても、自分で敵や捕食者を気にして入ればよい。それに、いざというときは小さくて見にくい他人の視線をいちいち気にするよりも、警戒音のように、遠方からアクセスできる手がかりでお互いに知らせ合ったほうがいい。
というわけで、人間以外の動物では、視覚探索はめいめいでやり、何かあったら声で知らせ合う、というライフスタイルを採っている。
やたら他個体の視線を気にするのは、ヒトくらいのものだ。
だからであろう、黒目の視線を強調するような白目は人間に特有のもので、チンパンジーをはじめ、他の霊長類には見られない。ヒトは、他個体の視線を気にする能力と同時に、黒目/白目という独特の構造を進化させた(これは小林洋美さんと橋彌和秀さんが指摘したことで、昔、動物行動学会でこの発表を聞いたときは、思わずうなった)。
チンパンジー自身には、人間のような白目部分はなく、チンパンジーどうしで視線を追うのはむずかしいと思われる。しかし、どうやらチンパンジーは、ヒトの視線をある程度読み取れるらしい。不思議なことだ。
京都へ。佐藤守弘さんのレクチャー。ピクチャレスクの起源から、柳田国男の「要望なき交渉」としての風景論へと接続していく刺激的な内容。転地、という概念は、もしかすると、面を引き剥がすことに起因するのではないか、接面に残された痕跡として、わたしたちは風景を愛でており、だからこそ、風景画や写真には、それがかつて接面であった痕跡が求められるのではないか、などと妄想する。
次回のレクチャー、どうしようかな、などと考えながら佐藤さん、前田さん、そしてなぜか登場の松島さん、文芸映画を研究しておられる院生の方(お名前を失念してしまった)と飲み会へ。記憶と風景について語る・・・つもりがポニョ話へ。
さて、その、次回のイヴニング・レクチャーのお知らせを。
9/26(金)にメディアショップで「異像と徴候」というタイトルでお話します。ステレオ写真を中心とする「異像」の系譜をたどりながら、平面から時間と空間へと離陸する欲望の系譜を、LESSON5とはまったく異なる角度から考えていきます。
19世紀に発明されたステレオグラムは、人の視覚体験に大きなインパクトを与えました。二つの映像を見ると、そこにはない立体の映像が見える。それは、映像でも網膜像でもない視覚が、人の頭の中で形成されていることを、意味していました。
なぜ、二つの異なる映像から、そこにはない、さらに別の映像が頭に浮かぶのか。この不思議な現象にとりつかれたであろう人々は、ただ二枚の絵から立体像を浮かび上がらせるだけでなく、さまざまな異像を左と右の眼へとぶち込み、そこから生まれる複雑な視覚体験を楽しむようになりました。
周到に作られた立体写真が頭の中に立体を生むのに対し、異像は、頭の中で設えられた空間には収まらない位置に現れ、空間を揺らし、運動を引き起こします。それは、この世に収まらない何者かの現れとして感じられます。
このレクチャーでは、19世紀以降の異像の系譜を追いながら、人々を魅了し続ける異像の魅力について、考察します。
沼:383 ポニョ(6) 映画は変化のすべてを引き受けるか(約8分)
Steidl社から鬼海さんの写真集"Asakusa Portraits"が出た。ぼくは浅草に関する解説をつけたのだが、こちらにレビューが出ている。
Review of Jörg Colberg
写真の力が圧倒的なのはもう明らかなので、あとは海外でも多くの人が知るところになればよいと思う。
沼:381 ポニョ語り(5) すべてのコマを受け入れよ(約8分)
をようやく見る。いやあ、すごかった。もんのすごかった。あまりにすごかったので、いろいろ語ります。
沼:378 ポニョ語り(2)
ひまわりの手足/イマジネーションの老後(約8分)
参考:
たけくまメモ:パンダとポニョ(1)
たけくまメモ:パンダとポニョ(2)
たけくまメモ:パンダとポニョ(3)
名古屋で映画でも、と思ったが、結局論文の図版やらlatexやらにてこずって一日かかった。ようやく提出。ふう。
まだ論文が終わらない。などと言ってるそばから査読も回ってくる。えらいこっちゃ。てんてこまい、とはこのような舞いのことを言うのか。
夕方から名古屋。論文のことはいったん忘れて、ふいごとやる曲を書く。といっても、カフェパルルまでの道を歌うだけの曲。
ジョンのサンは、夢見がちなのに報われないところにシンパシー。飛行機が飛びそうにない夕方、の曲がよかったなあ。
かえる目はちょい長めに。いい出来だったと思う。そんなときに限って録音し忘れる。
ふいごに、夕方作った曲で一曲まぜてもらう。しかし、後の曲のあまりのすばらしさを聞いて、深く恥じ入ることに。
酒もそこそこに、ホテルに戻って論文を書く。
今日はかえる目はお休み。論文を書き継ぐ。
沼:376 新開地軽音楽ジャンボリー宣言
新開地軽音楽ジャンボリー(神戸KAVC)にて。かえる目曲間の始末に負えないMC。(2分弱)
最初に中尾勘二トリオ、popo、かえる目で前半。後半は、HOSE、bikemond+関本岳郎、そしてふいご。一観客としてとても楽しんだ。ひさしぶりに宇波ギターが入ったかえる目。やっぱり自分は歌に専念するほうがいいなあと思う。
純ちゃんに影響されて、ビールとイカリングを近くのスーパーで。キタさんが、「よそのスーパーの揚げ物ってうまいんですよね」。まったくだ。よそのスーパーのはなぜ旨いんだろう。ベストの揚げ方、というより、揚げ方の差異をわれわれは楽しんでいるのか。揚げ物のポストモダンなのか。
アーモンドキャラメルを見つけて4箱買ってしまう。なめた後につぶつぶのアーモンドが紙屑のようになったのが口の中に残る、あの感じを久しぶりに味わいたくなったのだ。
沼:374 生きのびてしまうこと(約8分)
転生と生き延びることについて。(約8分)
定延さんの招待公演。「た」と体験について。
聴きながら考えていたのは、体験と注意の関係について。
人は、ただ体験を語りたいのではなく、過去における自分の注意を語りたいのではないか。たとえば「赤ちゃんが笑った」というときに、その人は、笑っていない赤ちゃんに自分がかつて注意を向けていたこと、その赤ちゃんがいま「笑った」ことを言おうとしているのではないか。
とすれば、「た」は、過去における私の注意の存在と、あなたの注意の不在の、両方を言い当てようとしているのではないか。
参与者間の注意のあり方の差異が、現在の気づきの差異をもたらし、そこで「た」による報告が用いられる、というのはどうか。
終了後、梅田で軽く飲む。彦根に戻って論文。
「夢の国のリトル・ニモ」のウィンザー・マッケイには、もうひとつの代表作「チーズトーストの悪魔」がある。これに、映画版があるというのは、Dover 版「Dreams of the Rarebit Fiend」の紹介で知っていたんだけど、ふと、YouTubeなら、と思って検索したらありましたよ。
映画版「チーズトーストの悪魔」
でもって、これ、BGMにワーナーブラザーズのカートゥーン音楽(つまりカール・スターリング・プロジェクト)が使われてるんだよなあ。レイモンド・スコット・ミーツ・ウィンザー・マッケイ。時空が捻れてる。
天人五衰読了。さっそくラジオ 沼にアップしようとしたものの、ココログのサーバが、なんと今回のメンテナンスを期に、1M以上のファイルがアップできない仕様になっていた。これでは数分以上のポッドキャスティングは事実上無理である。
さらに容量の大きいサーバへの移行(有料)が奨励されているのだが、はてどうしたものか。金もさることながら、時間がかかるのが面倒で困る。やれやれ。
薄花葉っぱは、中尾さんが入った5人編成。下村よう子のボーカルが自在に遊んで、いよいよこのバンドの演奏が円熟に向かっていることを感じさせる。中尾さんが入っていることもあって、リズムの揺れも絶妙だった。
Ettは生で聞くのは初めてだったが、CDで聞いたときよりもずっと魅了された。西本さんのボーカルもkeiさんのアコギも圧倒的。keiさんのアコギはなんであんなに確かな音がするんだろうかと、指を見つめることもしばしば。
西本さんの書く詩には、独特の距離がある。部屋で聞く、朝一番に動く人の気配。遠くで見つける、橋を渡る人。適切な距離をとったときに初めて目や耳に入ってくる他人がいる。そういう他人に近づくための、最初の一歩、最初の覚悟が毅然と歌われている。