実習第一日目。朝から大洞弁財天へ。写真に写っている家のうちの一軒におじゃまし、いろいろと新事実がわかる。鳥居わきの家は、古くは小料理屋で、その敷石や桜の木は現在も残っている。(そういえば、鳥居前の駐車場には桜が何本か植わっており、切り株もいくつか残っている。たぶん、桜が湖沿いに咲いていたのだろう)。その後満鉄の中村氏の別荘となり(もしかして「満鉄ところどころ」の中村是公?)、戦中にはその知己の方の疎開先となったのだという。現在のお宅の庭先にも、水際の石垣が続いており、当時の内湖の線がよくわかる。
釣り客などで、戦前は彦根駅から細い道を通ってたくさんの人がこのあたりに訪れたのだという。
線路の右に写っているのは、シチリさんという民家で、現在は廃屋になっている。
玄宮園に移動、こちらはさまざまな絵はがきが残っているので、100年前の風景と現在の風景がわりあい比較しやすい。さらに彦根港に移動、最後に大学に移動して資料づくり。
夕方に発表会、夜は合宿。今年は午前二時くらいにおとなしく寝る。
卒論指導。近さんと少し話。70年代末のニューウェーブのことなど。明け方にTVでコンフェデ決勝、ブラジル vs. アルゼンチン。
実習を終えて、京都アンデパンダンへ。A.C.E.、ヒゲの未亡人、ジューシー・パニック、ドラジビュスという四本立て。
安井君にものすごくひさしぶりに会ったらあいかわらず髪の毛が長かった。A.C.E.はしかし、メンバー二人が終始バケツをかぶってドラムを叩くバンド。途中、吊るしてあった防火用バケツ(ビーターがついててMIDIで叩かれていた)がこけて、客席から誰かが出て直してあげてたのだが、バケツをかぶった安井君からは「なんかこけた感じはわかったんですけど」(本人談)というバケツ内世界。その視界の限られっぷりを内側から覗いてみたい感じ。
ヒゲの未亡人はピアノがゲイリー芦屋さんのバージョン。オケも作り込んであり、生ピアノ部分との交替もとてもスムーズで、アドリブが入り込んでいるとは思えない流れるような展開。あくまで個人的な好みを言えば、ピアノと歌との関係に、もっと ひっかかりがあってもいいかなという気がした。
日常の入念なリサーチから繰り出される岸野さんのフレーズは主客の転倒で時間をねじ曲げて楽しい。飲み会で伺った話だが、その場でフレーズを作っていくときは、まず音節数を頭で数えてるんだそうだ。
おそらくは音節数だけでなく、ことばの持つ抑揚やアクセントもうまくメロディやリズムに乗せていかなければならず、しかもそれが、いわゆるラップのような縦割りのことばから逃れて、あのシャンソン歌唱になるわけだから、驚くべき高速思考だ。
ジューシー・パニックは初めて聞いた。ぱちぱちと弾ける楽しい音粒の数々。ノーマン・バンビが「星」なんて日本語を唄うと、それだけで切ない感じ。「あなたの犬の名前は?」に合わせて踊る。今日はどのセットもいいなあ。
トリはドラジビュス。いやこれは楽しい。B52'sを初めて聞いたときのような迷いのない音。ピンクの水玉ガエル?の着ぐるみをはじめ、愛らしい衣装から繰り出されるビートは、さながら子どものためのパンク。フランスの古い童謡だという、二匹のカエルが自殺する歌。その他の音づくりもとっても気に入った。
終演後、見に来ていたふちがみさんに、彷書月刊のバートン・クレイン話のその後を聞く。じつは、バートン・クレインはアメリカの経済学者100人に入るほどのインテリなんだそうだ。いつかバートンコンピレーションにふちがみさんがばっちりライナーを書いたCD、なんてのを聞きたいものだ。
打ち上げの吉田屋料理店へ。diatextの村松さんが偶然来ているのを知り、じつは原稿を滞らせているので恐縮しつつも、「真の」〆切を聞き出すことに成功する。真の〆切を知ればもうこっちのものである。しかし「真の」〆切に万一遅れると、ほんとーに困ったことになるので注意せねばならない。
隣に座ったドラジビュスのドラマー、フランクが、じつはパリで有名な日本コンシャスなモンドショップ、ビンボータワーのオーナーだと知り驚く(知らなかったのはぼくだけ?)。ドラジビュスはじつは幼稚園で演奏するプロジェクトに端を発したバンドらしい。童謡の残酷さとか悲しさとかが好きなんだよね、というので、じゃ「うたを忘れたカナリアは」ってのは知ってる?と訊ねたら、もう録音したんだって。そこから、太田蛍一氏の単行本やヴァニティ・レコードの復刻といった、ぼくにはもはや手の届かないコアな話が。
それにしても噂には聞いていたが、吉田屋料理店はほんとにいいなあ。出てくる皿はとにかく旨いし、雰囲気もすばらしい。オーナーの吉田さんは、むかし大阪でやった立体写真のイベントで(たぶん徳山さんと太田さんがやったやつだ)、立体視スピード一位に輝いたそうだ。大阪3D協会の会員としては、ノスタルジーにむせびなく話である。そんなイベントに行ってる人がなぜここに。その他さまざまな過去のつながりに驚く。
卒論指導。ようやく実験を計画するところまでこぎつけた。いよいよこれからというところ。
倉谷さんと京都で待ちあわせて本屋めぐり。古本で買ったのは織田一磨の浮世絵論(浮絵に関する詳細な記述あり)くらいで、あとは買い損ねていた新刊本。最近、本に対してはめっきり淡泊になった。
本屋をまわったあとは、その日にやっている映画を適当に見る、というのが恒例で、この日もなんとなく「戦国自衛隊1549」を観たのだが、これがとんでもなかった。だって、「戦国自衛隊」なのに、戦国武将と自衛隊員のファーストコンタクト「だけ」は避けて通るんだよ? ETを撮るのに、ETと子どものファーストコンタクトを避けて、いきなり普通に話をしてるところを撮るようなもんである。油のないアブラゲである。
多すぎるエピソードを消化するためか、だいじな部分はほとんど短いカット割りの断片で語られていて、なんの感情移入もできぬままラストクレジットへ。おれは映画のつじつまあわせにつきあわされただけなのか?
そばの鰻屋に入って、倉谷さんとひたすら「オレならこう撮る」話。「そんなに言うならおまえメガホンとってみろ」というツッコミがどこからも来ない、しあわせな空間。
帰って、延ばしに延ばしていた絵はがき原稿をひたすら書く。なんとか脱稿したがかなり枚数を超過してしまった。
6月とは思えない暑さ。去年もこんなに暑かったっけ。どうも眠りが浅くて困る。
こころとからだ研究会で発表。昨年のヘルメット実験の話を模倣と鏡像の話から説きなおす。ぼくがintentionという考えを導入しないことについて、明和さんがかなり違和感を表明して、おもしろいやりとりになった。つまり、マクロな意図かミクロな構成かということなのだと思う。どちらが正しいというわけではなく、注目している点が違う。
マクロな意図(あるいは予測モデルの選び方)がなければ確かに行動は流れるように進まない。しかし、マイクロスリップを介して行動が相互に変化していくその驚くべきスピードは、意図だけでは説明がつかない。コンマ秒単位の世界では、意図によってその都度適切な選択肢を選ぶのでは神経の発火が間に合わない。おそらくは、「おおよそだいじょうぶ」な想定の範囲として意図は現われるのだが、その微細な調節は、むしろ相互行為にまかされている。
いちばん陥りやすい穴は、事後の機能から事前の意図を定義することで、このように後から定義されるものは「意図」ですらないし、この方法では、いかに意図が更新されるかが明らかにならない。
ぼくの考えでは、「意図」の想定範囲も、相互行為の微調整も、相互行為のオンラインで更新されるできごとであり、それはマイクロ分析によって初めて明らかになることだと思う。実験の設定と記述の分厚さをどう両立させていくかが今後問題となるだろう。
マクロの大学で夜なべ。息抜きにとNHKBSをつけたら、ルネ・ヤーコプスの指揮で「フィガロの結婚」をやっていて、これがなんとも楽しい演奏で、ついついずっと観てしまった。弦の裾をひきずるような擦音の優雅さ。絵画の衝立で構成された舞台と演出も、さほど麗々しくなくてよい感じ。
夫人とスザンナが浮気な伯爵をこらしめようと手紙を送る場面があるのだが、ここで封印としてピンを使う。このピンの存在は、手紙における封の問題を考えるうえでヒントになるなと思う。
このところ時差ボケと原稿でどうも体調がおかしい。二限めのゼミの途中で、もう完全にビデオに目の焦点が合わなくなり、松村さんに謝って仮眠をとる。どうもだらしないことだ。
森本さん、鈴木さんが来学。統計学の講義でアンケートをとっていただく。しっかりしたアンケート調査で、学生にアンケート調査を体験してもらうにはちょうどよかった。
夜、みなさんでロータスにてイタリア料理。いつもながら旨し。しかし、ワインを飲むうちに途中でうわごとをいいながら寝てしまう。
原稿。夏のせいか、パソコンが猛烈なファンの音を出すようになり、神経にさわる。夜半を過ぎ、突如、二桁の九九のうたを完成させる気になり、吹き込む。
忘れ物をとりに京都へ。帰りに出町柳のそば屋にひさしぶりに入り、ちょうど半端な時間だったため他に客がいなかったこともあって、店主の方に戦中、戦後の話を伺って楽しかった。「戦後はニンジンやゴボウを食べてましたよ」とおっしゃる。そばは収穫量が少なすぎるので、戦後すぐにはほとんど撒かなかったそうだ。最近、こういう話をするのが本当に好きになってきてしまった。
京都時代、いつも楳図かずお「漂流教室」を読むために入っていたZACOにて「こわい本」第5巻の「へびおばさん」をチェック。これは、「幽霊の継子いじめ」と同型の話として前から気になっていたもので、おばさんがヘビのふりをして子どもをいじめるところのみならず、思いあまった子どもが小学校で誰かに相談するところまで同じで、確実に「継子譚」の系譜である。ただし、楳図かずおの真価が発揮されるのは、そのあと。
第一巻「鏡」に登場する鏡像の女の子は、ある意味で「わたしは真吾」を予告しており、鏡が割れるところからが素晴らしかった。
ミュージカル・バトンというのが回ってきて、リヨンでさくっと書いてよりぬき日記のほうに投げておいたのだが(なぜオリジナルにないものが「よりぬき」にあるのかというと、単にぼくがずさんなだけである)、dagboekの三中さんは系統学者らしくそれがオランダのとあるサイトにあったもののバリエーションであることをつきとめた上で、オリジナルの形がどのようなものかを紹介している。
Wat is de totale grootte aan muziekbestanden op je computer?
=「あなたのコンピューターに入っている音楽ファイルの総容量は?」
Wat is je laatste gekochte cd?
=「あなたがいちばん最近買ったCDは?」
Wat is letterlijk het laatst geluisterde nummer voordat je dit bericht las?
=「あなたがこの通知を読む直前に聴いていた曲は?」
Geef drie nummers door die je heel vaak luistert, of die veel voor je betekenen, en vertel waarom.
=「あなたが頻繁に聴く曲,あるいはとても大切な曲を3曲挙げなさい.その理由は何?」
Aan welke drie personen geef jij het Muziekstokkie door, en waarom?
=「この muziekstokkie をどの3人に手渡しましたか? その人選の理由は?」
というわけで、オリジナルはどうやら五曲/人ではなく三曲/人だったらしい。確かに三つくらいが気楽でいいような気がする。
さて、その三中さんが書いている三人に意外にもぼくが入っていた。というわけで、ここで答えてしまおう(なぜオリジナルの結果が「よりぬき」よりあとで、しかも違うかというとぼくがずさんだからである)。
「あなたのコンピューターに入っている音楽ファイルの総容量は?」
15.72GB
「あなたがいちばん最近買ったCDは?」
バッハ「ゴールドベルク変奏曲」(ピアノ:高橋悠治)
「あなたがこの通知を読む直前に聴いていた曲は?」
バッハ「ゴールドベルク変奏曲」(ピアノ:高橋悠治)
むかしから、ひとつの盤をなんども聴く癖がある。なぜ五枚もCDの入るプレーヤーを買ったのか分からない。唇からいくつも真珠をこぼす女の話を聞いたことがある。あるいは映画だっただろうか。バロックがばらまかれた真珠なら、これはひとつまたひとつとこぼれていく真珠の転々とする軌跡。句読点のない分かち書きの足どり。帰る頃にはすっかり日暮れている知らない街。
「あなたが頻繁に聴く曲,あるいはとても大切な曲を3曲挙げなさい.その理由は何?」
ドビュッシー「海」(ピエール・ブーレーズ/クリーブランド管弦楽団)
いちばん最初に自分で買ったLP。あまりに何度も聴いたので、レコードがなくても頭の中ですっかり再生できるようになり、修学旅行中に船の上でずっと再生してたらみんな下船して誰もデッキにいなかった。いまでも頭の中で再生できるそれを、頭の中で何度聴いたかわからない。なのにレコードを聴くと、それは頭の中の曲とまるで違っている。
クインシー・ジョーンズ「ゲッタ・ウェイのテーマ」
もう長いこと聞いていない。高校生のころ、「アイアンサイドのテーマ」のホーンセクションをコピーしようと思って買ったクインシー・ジョーンズのベストLPに入っていた。「アイアンサイド」のコピーは難しすぎて挫折したが、この曲のハモニカは溝ががたがたになるほど聴いた。これから、というときにこの曲はフェイドアウトする。それで、ぼくの頭の中にはフェイドアウトのその先が幾通りかある。
家にあったハモニカで同じように吹けないか何度かやってみたが、どうやって音があんなにきゅっと曲がるのかわからず、ひたすら息が苦しくなるばかりだった。いまこう書いたら、そのとき吸ったハモニカの空気をまた吸ってるような不思議な気分になる。同じ頃、ラジオで小沢昭一の「ハーモニカが欲しかったんだよ」を初めて聞いた。
ハモニカを吹いているのはトゥーツ・シールマンス。のちに家にあったレコードをあれこれとりだして聞いていたとき、むかし父がよくかけていたジョージ・シアリングのレコードの中に、彼がギターを弾いている曲があったのに気づいて驚いた。
山下毅郎「ルパン三世」の劇中で使われるウェスタン風の曲
手元にこの曲が入っているCDがないので題名はわからない。ルパン三世の最初のクールの中で、寝ころんでいた次元大介が暇つぶしにダーツの的にいろんなポーズから百発百中ど真ん中を撃ち抜くシーンがある(あるいはいろんなシーンが頭の中で混ざったものかもしれない)。そのシーンをはじめとして、「ルパン三世」のエンディング近くでしばしばかかっていたウェスタン風の曲がある。たいてい誰かが死んだり自分が死に損なったり奪ったと思ったお宝が失われたときにかかっていて、まだ小学生だか中学生だかのぼくは、そのゆっくりとした馬車に揺られるような(もちろん馬車になんか乗ったことはなかった)曲調に、新しい感情の使い方を覚えたような気がした。
「この muziekstokkie をどの3人に手渡しましたか? その人選の理由は?」
ブログじゃないところで、こっそり誰かにたずねてみよう。
早朝にタクシーで空港へ。見渡すかぎりの田園の中を抜ける。この学会のあいだ、ずっと天気がよくて、すっかり夏だった。
今回は片桐さん、坊農さんと宿も飛行機も一緒だったのだが、旅中、ジェスチャー研究のスタンスの話からただの四方山話にいたるまで、あれこれと考えるヒントに満ちた話ができてとても楽しかった。
もう何回めかの機上の食事をとっているとき、ジェスチャー研究で被験者の顔出しについていかに同意をとるか、という話から、被験者にとって研究とはなにか、という深い話に移行する。
たとえば、心理学的研究をしていると、どうしてもジェスチャーの「失敗」の場面が素材になってくる。目線を合わせ損なう。ジェスチャーを見損なう。ことばをかけ損なう。そういう例として引き合いに出されるのは、被験者にとって愉快なことではないだろう。
じつは、自分が「修復」にこだわっている理由はそれなのかなと話しながら思う。「失敗」は誰にでも起こりうることであり、その形はある意味でステレオタイプだ。しかし、修復のプロセスは千差万別で、しかもその微細なプロセスには、相手の行動を更新するための智恵が詰まっている。そしてこの智恵は、意識からもれる。いわば、身体が勝手に相手の行動を更新してしまうのだ。
そして、そういう風に思わず知らず失敗からやり直すことができる身体は、なんだか信用できる気がする。そういう身体を持っている人間を見ていると、なんだか生きているのも悪くないなという気になる。
おそらく、「修復」を見るというのは、そういう人間を発見することなのだろうと思う。
そして、「失敗」ではなく「修復」を語ることで、被験者はようやく、ただ笑われるべき存在ではなく、尊敬すべき存在となる。
関空を下りて、京都へ。コミュニケーションの自然誌研究会。後藤寛さんの具体的・抽象的指さしに関する考察。まずコーパスをもとに分類をするというスタンス。いろいろ空想をたくましくしたが、ジェスチャー分析の側から見ると、なによりまず、映像を見ながら考えたいという感じ。映像がないと、アイディアを係留するものがなくて、どうも落ち着かない。
飲み会で、定延さんときらきらアフロの話をしながら、ふと、擬態語・擬音語がキャラクタ視点の始まりのストロークを促す、というアイディアを思いつく。これは解析の価値ありかも。
一人称二人称で、なぜ男性は「ぼく/きみ」で、女性は「わたし/あなた」なのか、という問題について。
それにしても、国際学会にときどき来るのはやはりよい刺激になる。人生は短く、やることは山ほどあることにいまさらながら気づくし、だからこそ、あれもこれも、ではなく、いちばん大事なことだけ見てればよいのだということもわかる。もちろん、何が大事かは人それぞれに違ってよい。自分はもう、心理学的に条件を詰める役回りでもないし、その能力もない。むしろアイディアをきちんとデザインすることに精力を向ければよいのだと思う。
最終日。Volteraのダウン症候群、ウィリアム症候群におけるジェスチャーと発語の関係に関するキーノートスピーチ。ウィリアム症候群において、ジェスチャーと発語が同じ意味をとりやすいという話。
ウジュリュックや喜多さん、ケリーたちによる、EEGを使った実験のセッション。ジェスチャーと発語のミスマッチを刺激にするというアイディア。もうひとつ、発話者とジェスチャー者とをずらせてミスマッチを見せるというのもおもしろい。コンテクストが盛り込まれるかどうかで結果が微妙に変わっていた。
午後、川向こうのミニチュア博物館(Musée International de la Miniature)。たまたま見つけた博物館だったがこれはすばらしかった。一階には、ダーク・クリスタルや、ジョージ・パル、レイ・ハリーハウゼンなどのフィギュアが並び、ストップモーションアニメーションファンにとってはたまらん内容。のみならず、映画で使われた活人形の迫力(とくにA.ヴァンデルムートの手のポーズには吸い込まれるよう)もまたすごい。
二階にはミニアチュール作家が並んでいるのだが、M. Connandの(ねずみ穴のどんづまりに部屋のある感覚、巣箱の家がミニチュア世界にかけてあるセンス)とD. Ohlmanのシンプルな建築をミニチュア構築するセンス(地下水道、刑務所、シャワー室など)には驚嘆した。ベアトリーチェ・コドンのデコパージュ世界も愛らしい。
それにしてもミニチュアはなぜ過去に向かうのであろうか。やはり部屋に閉じこめるという行為のせいだろうか。それとも、「いまにも動きそう/動かない」という、現在を常に過去へと更新する人形の喚起力が、廃墟や廃屋を引き寄せるのだろうか。とにかく、この博物館だけでも観光が済んだ気に。
そこから欲を出して、あちこち絵はがき屋を回ったが、どこも土曜日で閉まっていた。残念。外はすっかり夏で、陽射しはうだるほど。おとなしくカフェに入りビールを飲みつつ、尻に火がついている原稿を半分ほど書く。
いよいよ最後の夜。坊農さんの二人目のおともだちは台湾出身、フランス在住三年。昨日の雪辱を果たすべく、表で食事している人々のバケツを覗き込み、ここはいけそうという店に入る。これは当たりで、ムール貝とまぐろの専門店だった。フランスにおける恋愛話をひとしきり聞く。
ジェスチャー学会三日め。キーノート・スピーチはクリスチャン・ヒース.去年、日本で聞いたのと同じオークションねただったが、日本でやったときの百倍ハイパーアクティブだった。あとで聞いたら朝の7:30に着いて、なんだか舞い上がっていたんだそうだ。オークショニアがハンマーを叩こうとしながらさらなるビッドを招き入れるその微細で巧妙な手つきのスローモーションでは、会場から大喝采。昨日、ビーティーのプレゼンに文句をつけていたハヴィラントが拍手していたのが印象的だった。だって、クリスの発表のほうがずっと微細なところに目が行き届いてるもんな。
午後いちのキーノートはジャスティン・キャッセルのヴァーチャル・キャラクタについての話。キャラクタ画面とユーザーとの間にある地図を説明するときに、キャラクタがまずユーザーとアイコンタクトを成立させ、それから下を(つまり地図のほうを)向くところがかわいい。ちょっとしたことだが、こうした視線の交錯を経るとぐっとリアルさが増す。ロボットづくりを、「人間の条件」を絞り込む道具として使う限りにおいて、おもしろいと思う。もっとも、そこで目指されている「ロボット」とかバーチャル・キャラクタは、どうも、つきあいたい相手には思えない。このあたり、工学者とかかわりながらジェスチャー研究をするときの悩ましいところだ。
もちろん、そういうかかわりをきちんとこなすのがアメリカ的研究ということなのだろう。しかし、それよりも、目の前の人間のフレキシビリティをちゃんと祝福する必要があると思う。
データセッションはスルーして、リュミエール博物館に行く。だってリヨンに来たらリュミエールなのだ。リヨンにはあの「工場の出口」で有名なリュミエール兄弟の工場がある。自転車で大通りをぐるぐる回る短編もリヨンで撮影されたものだ。
シネマトグラフィのプロトタイプや一号機をしげしげと見て、よくできているなあと思う。撮影機としてのシネマトグラフィは、写真機用のレンズをはめ、上部のフィルム部分には木製のカバーがかけてある。レンズを幻燈用にすげ替え、フィルムカバーをはずすと、そのままこれがプロジェクション用になる。ただ、これだけではただの薄いフィルム回転機なので、その後ろから、幻燈器に似たレンズ付き光源で光りを投射してやる。オプションはつくものの、撮影に使う道具と投射に使う道具が同じメカニズムを持っているというところがいい。そのほうが1/16sという精密なコマ送り機能を共有できるからだ。
帰りに、リュミエールのペーパーバックを買い(実習の資料用)、かつての「工場の出口」の撮影現場でムービーをとる。
夕方、学会会場に戻って、スーザンのやってるスキゾフレニーのジェスチャー研究のパネル。ジェスチャーにおいても、ローカルな関連に執着するスキゾフレニーの特質が発揮される、という話。
ホテルにいったん戻り、坊農さんのおともだちと合流。近くのレストラン街へ。途中で野辺さんたちを見かけたり、ワインを飲んでたら古山さんや関根さんが通りかかって合流したりと、狭い世界なり。
バケツに顔を突っ込んでる人々にならってムール貝を頼んだが、身がやせていて、いまひとつ。黒いソーセージというのを初めて食す。これはすごくうまかった。
ジェスチャー学会二日め。朝のキーノートはBeattie。彼はイギリスではTVにばんばん出ている有名心理学者でもある。ジェスチャーがどれくらい発語に比べて役立つか、という具体的な話のあと、それを検証すべく、ジェスチャーがキーワードを強調するCMとそうでないCMとをわざわざ制作して、それを印象評価させるという研究。とってもエンタテインメント。しかし、あとでジョン・ハヴィラントが「そういう印象のよしあしを聞いてジェスチャーのなにがわかる?」みたいなかなり本質的な質問をしていたのに共感する。昼はBavelasの話。これは、心理学的指標を織り込みながらも、シークエンスにも目を行き届かせるアプローチで、これまでのキーノートでいちばん共感できた。
昼飯を抜いて発表の準備。しかし、あまりにも泥縄で我ながらイヤになる。共同作業における聞き手の話。Beattieからは移行適切場を使うことにどういう意義があるのかという質問。Bavelasからは、Clarkの共同作業の研究との関連の話と、ことばとジェスチャーのどちらが効いているのかそのアプローチでクリアにできるのか、といった質問をもらったが、うまく答えられなかった。とにかく不完全、準備不足は明らかで、半年近くUCLAにいたのにちっとも英語がうまくなっていない自分にも気が滅入り、入りたい穴がそこらじゅうに見える。
くさくさしながらも、発表が終わったので、とりあえず街に出る。旧市街で飯。あああ、またしてもうまい。そして長い黄昏。夏至が近い。
ジェスチャー学会一日め。午前中はフリッケの「here」論を聞けたのが収穫。lexical affiliateということばは自明のものとして使わないほうがいいという意見にはまったく賛成だ。キーノートはJeannerodの他我論。ミラーやモニタを使って、腕の先を被験者と切り離したり逆に見せたりすると、被験者は自分の腕と錯覚してその(まちがった)動きをキャンセルしようとする、という話。
午後はSusan Duncanのやっているジェスチャー書き起こしツールのワークショップへ。今回はMcNiel御大が来ていないので、スーザンがかわりにとてもアクティブにあちこちのワークショップやパネルに関わっている。
tierを使ったインターフェースはすでに一般化しつつあり、あとは一長一短。新しいソフトの開発もけっこうだが、この先も機種依存の壁は越えられる気配はないし(Anvilにいたっては逆にWindowsに特化してしまった)、むしろ、データをソフト間でどうやって共有するか、という問題を考えるほうが生産的だと思った。たとえば、データおこしはWave Surferでやっておいて、そのデータをMacVISTAに移してプレゼン、というふうにできれば、楽だと思う。そのためには、相互のxtmlを変換する作業が必要ではあるのだが。スーザンにそういう話を振ってみたけど、「まあ問題は誰がその変換ソフトをつくるかよね」。いや、ごもっとも。
ま、結局、ツールをあれこれ迷ってるあいだにデータをおこしたほうが楽しいんだよな。
片桐さんと坊農さんに斉藤先生と院生の田中さんをまじえ、旧市街のレストランへ。子牛の頭だの、山羊の腸だの、かなり癖のあるリヨン料理を頼む。ワインで流し込む旨さ。
始発で彦根から草津へ。はるかに乗り換えて関空へ。搭乗口で片桐さん、坊農さんと落ち合い、無事搭乗。機上でパワーポイント書類を作るもバッテリーの関係上二時間で終了。そのあとは、斎藤茂吉随筆集(山形時代の父の思い出を書きつづっているところは、奇妙な夢を見るような時間の経過)を読んだり眠ったり。
無事リヨンに到着。ホテルは古い劇場の近くで其の名もオテル・ド・テアトル。近くのレストラン街で石焼き肉を食う。ああ、夕食がうまいのはいいな。
滑り込みでユリイカ原稿をあげる。1893年のシカゴ万博の話。どうしてもあちこちで資料を開くことになってしまい、なかなかすらすら書くというわけにいかない。こういう史実を追う話は、どこかで資料を見るのをあきらめて一気に書いたほうが、筆の勢いが出るのだが。
リヨン行きの準備をするうちに朝。
ヨドバシカメラでローランドのWave/Mp3レコーダーR1を買う。これはコンパクトフラッシュに音声録音するものなのだが、電車でさっそく録音するとあまりに音がよい。聞き直すと現実が二度襲ってくる感じ。
それにして原稿が書けない。いや、量だけは書いているのだが、どうもスカスカしている。事実の羅列を貫く芯がなかなか下りてこない。そうこうするうちに明後日はフランスだ。フランスの準備もまるでできていない。困ったことだ。
研究会。菅原さんの西浦の発表。世襲制を身体資源の再配分ととらえる、というコンセプト。しかしじつはおもしろい点はディティールにある。物を配分するならばただぽんと手渡せばよいが、身体行為を配分するということは、行為が行なわれる空間を配分し、その空間認知を配分するということである。回転する舞は、回転するがゆえに手本である他人と自分を照らし合わせることができない。一回転するあいだに必ず手本である他人が死角に入るからである。だから、回転という技法は、「見ながら舞う」ということができない。見ることと舞うことは分離させられる。回転は観察によってまず覚え込まれ、次に舞によって確かめられる。などなどと共著者としてあれこれコメント。
約束の時間を一時間ほど過ぎ、ようやく谷町空庭へ。関西デジオオーナー会議、という名の飲み会。やっささんのダンバウ演奏楽し。とても「声」的だ。これは右手の弾きによる子音、そして左手のバー(これがスズメガの幼虫の尾状突起のようでじつに印象的)のコントロールによる六声の表現だと聞いた。
途中からどんづまりのお二人、ぱんつくったさんまで登場し、飲み会は夜半を過ぎた。明け方まで行きたかったがいろいろ仕事が押し詰まっているので新大阪に宿をとってカリカリ。
ひさしぶりに絵はがきを買う。最近は、連載に掲載するのを見込んでかなり絞って買う。何かのシリーズをコンプリートしようという気がどうも起こらない。
使用済みの絵はがきは、ぼろぼろでも愛着がわく。その絵はがきは旅をしているからだ。絵はがきの旅を慰労するようなことばで書ければよい、と思う。
来週の学会発表準備やら原稿やら。
「ロベルト・ジョビーの カード・カレッジ」(東京堂出版)。二巻本。かなり高い買い物だが、これはとても勉強になる。カードがいかに注意の焦点をはずすか、そしてわたしたちがものの配列をいかなる手がかりによって認知しているかを考え直させるヒントが満載で、しかも実際に自分で試せる。さっそくオープンハンドによるシャッフルやフォースのいくつかを練習するが、次第にスムーズにできるようになってくると、やっている自分でも、いまどこがトップカードか分からなくなるような、奇妙な錯覚が生じる。配列を操作する人の動きによって、配列が誘導されるカードの不思議。おそらく、そこには相手のジェスチャーを見ることの秘密がかかわっているに違いない。つくづく、カードって人なつっこい存在だな。
「ミスダイレクション」ということばは、「スリップ」の問題を裏から言い当てているようで興味深い。
松田道弘「魅惑のトリックカード・マジック」(東京堂出版)。絵はがきがもっている「カード性」を考えるべく、少し奇術の世界を勉強しようと思い購入。この本は、カードに細工をするタイプのマジックを、著者のオリジナルも含め豊富な文献にしたがって網羅しており、マジックの世界がいかにして「一枚」のカードに裏表以上の何かを忍び込ませてきたかがリアルに分かる良書。
それにしてもマジックの本は概して高いが、これはやはりマジックの秘儀性とかかわっているのだろうか。
先日、金沢あたりでカーラジオから流れてきた楽曲にしびれて買い込んだ「東京ビートニクス」vol.1,2。とくに、「火の玉ロック」をはじめとする井田誠一の訳詞はもの凄い。翻訳というよりは、感覚の表現。初めてロックンロールを聞いたときに聞こえてきた日本語。意訳とはこのことを言うのだろう。初めてFilamentをきいたときに聞こえてくる日本語、とか、初めてユーミンを聴いたが自分には人間のことばがわからなかった、とか、さまざまな状況における創作を妄想する。
渡辺マリは「東京ドドンパ娘」しか知らなかったが、「東京レジャー娘」は、あなたの人生に何があったのですかと問い正したくなるふてぶてしい「ひま」っぷりで、しびれる。
ところで、この井田誠一の歌碑は、思わず「ジャマをしないで〜」と唄いたくなる出来。
ブリコラージュ展「きのうよりワクワクしてきた」@国立民族学博物館。最終日にあやうくすべりこむ。以前、大阪成蹊大学で山下里加さん@猫道日記や小山田徹さんたちがやっていた「図鑑天国」が、みんぱく企画展「ソウルスタイル」と合体したような、非常に不思議な場だった。リサイクルセンターや百円ショップで得られたなんということのない日用品にも、西サモアやマレーシアで得られた珍しい民族学資料にも、同じようにネームタグがつけられている。収蔵し、集めるという民族学の網羅主義じたいが、ありあわせの並列という「ブリコラージュ」と出会っている。
館内には、目の前のものを網羅してしまうさまざまな人たちの「作品」(一般的にはアウトサイダーアート、というくくりになるかもしれないが、そもそも「アート」という文脈からも漏れてしまうなにものか)が置かれ、集めることの魔が館内を覆っている。覆っているのだが、そこには、集める場(家)の手触りがあって、必ずしも禍々しい感じはしない。
重たげにだらんと垂れた二階からの巨大リリアンを見ていると、編んだ糸を内部に送り込むことと、編み込んだものの内部に入り込むことが反転する感じ。リリアンのあの、平面に立てられたロッドからいつのまにかひょろ長く編み物が伸びていく感覚も、集めることの魔に関わっている。関わっているのだが、リリアンには、どこかのんびりとした居間の感覚も漂っている。魔の許される間。
集めることによって家ができる。家によって集めることが許される。娘さんの残したご飯を撮影し続ける母親のビデオを見て、そんなことを考えた。
佐藤さんが最終日の会場風景をあちこち撮影しておられた。会場を出たら、偶然、青山さんが入ってくるところだった。ちょっとお茶して帰る。
午後の実習。30年前の大学周囲の航空写真を見せて、どこがどこにあたるかを言い当ててもらうが、ほとんどできない。一回生というせいもあるが、みんなあんまり大学のまわりで道草をしないのだな。次回は、航空写真を片手に道草をしてもらおう。
NICT@けいはんなにて会話分析のデータセッション。今回は鈴木さんのもってきた、とある販売店におけるクレーム処理の電話。いわゆるline by lineの分析ではなく、おのおのが思いついたアイディアから話をふくらませていく形式だったが、経験者が多いせいか4時間はみるみる過ぎた。
クレームが目指すのは、単に苦情の処理ではなく、自分の怒りを表現することである。しかし、ただ怒るだけでは、単に怒りっぽい人として扱われてしまう。クレームでは、怒りの原因が自分の感情的な起伏のぶれではなく、商品サービスにあるのだということを表現しなければいけない。つまり、係との会話の中で、「この正常なわたしが怒っている」((c)串田さん)という表現を目指さなければならない。だから、言い淀みや繰り返しには、怒りとは別のレベルの、会話を無事進行させようという標識が織り込まれる必要がある。
明日のみんぱく行きに備えて新大阪宿泊。
ラスク(1才)に存分に手をなめられたのち、野尻湖湖畔付近をあちこち。黒姫駅前の酒屋は充実の品揃え。湖畔で散歩。霧と晴れ間の交替する琵琶島の向こうを眺めながら空間の遠近について考えるのはなかなか楽しい毎日だろうと思う。信州そばを食い、吉岡君たちと別れて帰路へ。道中、電池が切れるまで原稿。車の中ではゆうこさんが韓国ライブのリハをするべく大音量で冬ソナをかけつつ唄っており、思考を飛ばすには最悪の環境である。
金沢でいったん高速を出て、近江町市場へ。日曜とてほとんどの店は閉まっているが最後の頼みの綱である山ちゃん寿司は開いていたので、おまかせ丼を食す。
朝、北陸自動車道から上越自動車道を抜け、妙高高原へ。ゆうこさんのお母さん、吉岡君夫妻と待ちあわせ。ゆうこさんのお母さんが所有している野尻湖からほど近い土地に、共同利用できる別荘を建てようという計画。
まずは現地視察。野尻湖を見下ろす森林の中。いったん建ってしまえば気持ちのよい場所ではある。が、関東や関西の都市部からはけっこうな距離があるから、簡単に通うわけにはいかぬし、しかもここは積雪量3mの北越雪譜の世界、豪雪地のノウハウなしに気ままなデザインの住居を建てるわけにもいかない。最初は、みんなで寄ってたかってログハウスみたいなのをトンカン建てればいいや、などと気楽なことを言っていたのだが、土地の遠さと自然環境のハードさを考えると、もう少し地道なやり方が必要に思える。少なくとも、寝泊まりのできる「家」の状態までは、それなりの資金を投入してきっちり作る必要があるだろう。
ちょうど管理人さんが通りかかったので、雪対策をはじめあれこれ基本情報を伺う。冬は、雪下ろしをするのは大変なので、屋根に角度をつけて、雪を勝手に落とすほうがよいらしい。ただし、周囲に木があると、伸びてきた枝と屋根の間で雪がくっついて凍ってしまうので、家のまわり一m以内は伐採すべし、とのこと。雪のすべりをよくするには「一文字」というトタンにするとよい、と言われて、なぜかわれわれのあいだで「一文字」ということばが呪文のように繰り返されたが、そんなことばを活用する前にやるべきことが山ほどある感じである。
吉岡君夫妻には犬のラスク(1才)が同行。5人でペット宿泊OKのペンションに泊まる。ラスクの胸のあたりをわぎわぎとなでてやると目を細める。かわいい盛り。
ペンションの書架には武田泰淳がずらりと並んでいる。「富士」を引っ張りだして読む。リスの尾のように、謎をかけるような出だし。
徹夜でレジュメを作っていたら猛烈な下痢に襲われる。が、午前中にはなんとかなり、京都工芸繊維大学へ。 言語・音声理解と対話処理研究会 (SIG-SLUD)。ふらふらふらふら。実験検証的な発表が続いたあとに、きわめて事例研究的記述的な発表を行なう。あとで宮崎さんに「そんなのでいいんですか」と、工学的にはごもっともな違和感を唱えられる。「そんなのでいいんです」と答える。
一例もアイディアがないことと一例があることとのあいだには大きな違いがある。そして、じつはそんな一例を一例として意識することは、さほどたやすいことではない。だから、意識できるような輪郭を与えてやる仕事があってよい。おそらく記述とは、そういう仕事なのだろうと思う。
京都タワーたもとのビアガーデンに移動、ひとしきり飲んだあと、さらに二次会。ふらふらふらふら。帰宅後倒れるように寝る。
五限目を終えて駅まで自転車を飛ばす。京都三条のギャラリー射手座で四人の演奏。左からラドゥ、クラウス、宇波、杉本の順番で配置。最前列で座布団のおかれた床に座って鑑賞。
とても不思議な演奏だった。全員、アタックが違うのである。
杉本拓の柔らかいギターのアタックの後に、ラドゥの微弱なトロンボーンが加わる。ちょうど音域が近いこともあって、少しずつ絵の具を水で溶くように音が交じりながら、微細な音色の変化を起こす。と書くと簡単そうだが、じつは片方は管楽器のベルから、もう片方はギターアンプから両端で鳴っているのだから、このような交じり方をすること自体、ちょっと驚きだ。この二つの音がキャンバスの下色を広げるように、時間の流れにある種の予感めいたものを用意する。
ところが油断ならないのは、クラウスの音で、これが、いつ鳴ったのかわからないのである。かなり耳を澄ませていたつもりなのだが、いくつかの音の始まりを聞き逃してしまった。ふつう、音は、鳴り始めることによってそれと気づき、こちらの構えを生み、こちらのメソッドを立ち上げていくものだが、クラウスの場合、むしろ、鳴りやんだときにそれと気づかせる。気づいたときはもう音が消えているのだ。つまり、音が鳴って、音楽が始まって、という風に時間が進行するのではない。むしろ、音が鳴りやんだときに、それまでの経験がまるごとひっくり返され、記憶が更新されるような感じなのだ。
じつは、一度、完全に入眠してしまって、自分の頭がかくっとなったのにはっと気がついた瞬間があったのだが(隣の客が明らかに驚いていた。それくらい静かな演奏だった)、そういえば、クラウスの音は、浅い眠りから目覚めるときの感じに似ている。夢がなだらかに進行するというよりは、目覚めるときの一撃によって、それまでの眠りの経験が一気に広がるような、あの取り返しのつかない感じ。
宇波くんは、テーブルにマブチモーターをいくつもおいて、これを操作しているのだが、モーターのくせに、回転するのではなく、それこそ、生き物の頭がかくっとなるような、この世で目覚めるために夢の中で死ぬような、禍々しい音が鳴る。
ギャラリー射手座は壁を白く塗った地下の一室で、三条通りを往来する車の音、人々の会話が部屋に漏れてくる。自分のいるのは確かに部屋の中のはずなのだが、むしろここが世界の果てのような感じがする。ちょうど赤瀬川原平が、カニ缶の内側にラベルを貼り直すことで世界の側をカニ缶として外包してしまったように、この部屋の白壁の向こうが世界の中であり、ここは世界の外であり、世界の外に打ち寄せる音をを遡っている。
そして空間も時間も裏返しになった一時間(え、そんなに?)。
以前ガビンさんに教わった国土画像観覧システムで、近所の画像をあれこれすなどる。実習のネタ集めが目的。
彦根市の画像は1975年、1982年のものが幾通りかある。市内のあちこちは、明治・大正期の絵はがき再訪で訪れたことがあるのだが、明治・大正期まで遡るまでもなく、ここ2,30年で、彦根市、とりわけ南彦根は激変していることがよくわかった(以下、地元民の方向け)。
たとえば、JR南彦根駅から滋賀県立大学にいたる県道(通称くすのき通り)は、いまでこそ大型店舗が点在する郊外の公道といった趣だが、なんとこの道路が、1982年の時点ではまだ通っていない。犬上川下流に位置する旧滋賀県立女子短大の学生さんは、30年前にはどうやって通われたのであろうか。
いまや彦根駅に近い商店街よりもむしろ賑わいを見せている「ベルロード」も、1975年では両側のほとんどが田園である。つまり、てくてくとこの道を歩きながら西の方を見やると、彼方に琵琶湖岸の村落や防風林を見はるかすことができたことになる。1982年の時点でも、沿道の店は数えるほどだ。
平田川をはじめ現在、町のあちこちで一部暗渠になりながら通っている川は、かつてそういえば、くすのき通りといい、ベルロードといい、何か妙にうしろ寒い感じがするとは思っていたが、なるほど、こういうことだったのか。
水辺の様子はどうか。南青柳橋のたもとにある見事な桜の樹影が確認できる。川岸の砂地も、途中までは現在とほぼ同じだが、河口付近は最近の護岸改修工事でかなり様子が変わっている。
戦後すぐまで存在した長曽根港は、現在では木杭のみが残っているのだが、空中写真で見ると、水面下の土台が透けて見えて、どこからどこまでが突堤だったかはっきり分かる。野田沼や曽我沼の輪郭もクリアに分かる。水辺の変化を手軽に知るにはいい教材だ。
空中写真は、撮影経路上で撮りこぼしがないように、隣り合う領域をのりしろのように重ねて撮影する。このため、隣り合う写真の1/3は同じエリアが写っている。ただし、撮影角度は異なるため、結果的に、この重なりの部分を用いて立体写真として鑑賞することができる。
撮影ポイントは数百m離れているため、得られる奥行き感はものすごい。3階以上のビルは高さが分かるし、ちょっとした小山が絶壁のように目に突き刺さってくる。
「シャンドール ピアノ教本」(岡田暁生 監訳/春秋社)を手に入れてからというもの、ピアノの弾き方がまったく変わってしまった。ぼくは、小学校のときにバイエルを途中であきらめたっきり、ピアノを誰かに習った経験がない。中学に入ってから、まったく自己流に弾くようになったけど、すぐに指がついていかなくなって、技術は頭打ちになった。それで、やはり小さい頃から指を鍛えないともうたいした曲は弾けないのだろうと半ばあきらめながら弾いていた。
ところが、このシャンドールの教本は、そんなぼくにもまだ、やることがあるのだということをはっきり教えてくれる。ただ掌をめいっぱいのばしたり、親指をサーカスのようにくぐらせる動きから、自分をすっかり解放すること。かわりに、上腕や下腕を動員して、ひ弱な指に的確な力を伝えてやること。鍵盤は一度押したあといくら力を加えても無駄なこと。無駄なのだからその間に筋肉を休ませること。
これまでは、指定された鍵盤にとにかく指を届かせることばかりに意識がいって、音色を実現する運指、という発想に思い至らなかった。近所をおもんばかって小さな音で弾く習慣をつけていたことも、あるいは音色を狭めた原因かもしれない。
譜面台にこの教本を置き、あちこちのページを開きながら、おおよそ以下のような準備運動をする(べつにシャンドールがこのような運動を薦めているわけではなく、わたしがシャンドールの言ってることを体に納得させるためにやっているだけである)。
まず上腕、下腕を振り上げ、ばたばたと鍵盤を上から下までまんべんなく指で触る。このとき、手首をぶらぶらさせる。指がほどよく音を鳴らすまでこの運動をやり、ピアノさんと懇ろになる。
指をリラックスさせる。一度指が鍵盤を押したら、そのあとは押し込まずに筋肉をリラックスさせ、次なるアクションに備える。
指を離すときのスピードをコントロールする。指が鍵盤に触れたときの反動を利用して素速く離す。すでに指が鍵盤を押さえているときは、鍵盤を軽く指で「蹴る」。
指・手首・下腕が直線になるように手首の傾きを調節する。むずかしいときは体全体で調節する。
左右の手のコンビネーションに注意を払う。左右それぞれにおいて指・手首・下腕が直線になるようにするには、左右非対称な動きを必要とすることがある。この非対称な運動を身につけること。
・・・やみくもな運指の実現をあきらめ、手元の譜面を弾きながら以上のようなことを主に考えるようになった。すると!ものすごいフォルテが弾けるようになってしまった。いままで自宅の中古電子ピアノでこんな音が鳴るとはしらなかった。すでにじゃんじゃん弾ける人にとっては、当たり前のことが書いてあるのかもしれないが、ぼくは一頁一頁目から鱗が落ちる思いだった。
輝かしい音色が一気に眼前に出現した。これは楽しい。軍隊ポロネーズの出だしをじゃんじゃか弾く。ああ、いい音だなあ。近所迷惑だが楽しくてならん。
ようやく前半期の講義が一段落し、水曜は講義なし。たまった原稿に勤しむ。
先日考えた、意図理解と情動対の問題をさらに考えている。
ダマシオは、情動 emotion を意識下で起こる外向きのできごと、感情を情動の認識にかかわる内向きのできごととして区別している。この区別を使いながら、コミュニケーションを考えることはできないか。
他人の情動表出に対して、受け手にはまず対となる情動が立ち上がる。おそらくこの反応は意識下(ここでいう「意識」はダマシオのいう「延長意識」を指す)で起こる。いっぽう、この未だ名前のない他人の情動 emotion は、他人の情動表出という表象を得たとき、自分の情動が結びつく。そしてそれは「怒り」「恐怖」という情動対となって意識化される。つまり、感情 feeling とは、他人の情動表出 と自分の情動との間に対を発見したときに表象化もしくは意識化されるできごとではないか。