The Beach : 02 2005


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20050228

■アカデミー賞

 アカデミー賞は「ミリオン・ダラー・ベイビー」が主な賞を総なめ。他の映画を見ていないのでこれがどれくらい正当な評価なのかはわからない。「ミリオン・ダラー・ベイビー」は、ボクシングシーンよりもむしろ会話のシークエンスがとても美しい映画で、ただのダイナーや病室でのダイアローグに強い緊張が感じられた。ミスティック・リバーに通じる、逃れられない運命の過酷さ。日本公開前なので詳細は書かない。


20050227

 朝6時、ゆうこさんを空港に送る。昨日までのできごとを反芻しつつシンメトリ写真を大量に作る。


20050226

 ゆうこさんが買ってきた朝食のサンドイッチとアップルジュースは18ドル。もう博打を打つ気も失せてとっととこの町を出たくなる。幸い東西の大通りのほとんどはハイウェイに通じている。

■ラスヴェガスはなぜ研究対象となりにくいか

 ハイウェイを飛ばしながら「ラスヴェガスは博覧会好きな人なら研究対象にしやすいんじゃないの?」とゆうこさんが言うのだが、ぼくはどうにも気が進まない。世界のパヴィリオン化がいきつくところまでいきつきつつある現象や、ビルを縫うように走るジェットコースターや、数々のショッピングとエンタテイメントとが組み合わさった状態は、なるほど博覧会的ではある。が、どうもそこに、行きすぎた浪費の感覚がある。自分をだいなしにする感覚といってもよい。ギャンブルという蕩尽が主たる目的の場所なのだから、無理もない。
 蕩尽の対象になるものは、価値をだいなしにされることにその存在価値がある。だいなしにされる価値がでかいほど蕩尽の快感は増す。
 いっぽう、ぼくのやろうとしていることは、口はばったいようだが、人々の意識から漏れた対象をすくいあげ、そのディティールに分け入ることだ。もしよき対象にめぐりあえば(そして記述が伴えば)そこからあふれ出す時間空間の輝きによって世界は少しなりとも異なる角度から照らされるだろう。およそ研究という営為には、多かれ少なかれ、こうしたディティールへのこだわりが必要なのであって、蕩尽と研究はまったく逆の行為だ。
 なにかをないがしろにするという行為を、ないがしろにせずに研究するには、よほどの周到な戦略が必要だろう。少なくとも、ないがしろにされる側の研究は、ラスヴェガスとは離れたところでやりたいと思う。

 

■ラスヴェガスはなぜ砂漠に現われたのか

 それはともかく、砂漠と渓谷しかない場所にラスヴェガスという街が忽然と現われた経緯は確かに興味深い問題ではある。砂漠感覚は蕩尽の感覚を誘発するのかもしれない。  

■モハヴェ砂漠

 15号線を南下。途中からcimaに行く道に折れる。モハヴェ砂漠を縦断。途中で下りて1時間ほど歩いていたら、完全に迷子になってしまった。トレイルからはずれてあちこちのユッカの木を尋ね歩いていたら元の道がわからなくなったのだ。高い岩に登って道路標識を見つけ、なんとか車道まで戻る。車を止めたところから1kmほど離れていた。

 Cimaの売店に化石のような老女。
 Kelso Duneを眺めながらさらに南下。40号線に出て、Ludlowの歯の欠けた店主のいるレストランでステーキ。  夕暮れの15号線を南下して無事LAへ。パスタを茹でて食う。


20050225

■Tusconの西

 朝、モーテルを出て、まずはTusconの西へ。ここには昔の西部劇の撮影所跡があり、以前、進化心理学会の合間に長谷川夫妻、平岩さんと訪れたことがある。あれから七年、もう来ることはあるまいと思っていたが、こうしてまた崖から眺めることができるとは。TusconのSaguaro(ソウアロ、と聞こえる)平原は何度見ても気が遠くなるような世界。

■アリゾナ・ハイウェイ。ハシラサボテンをたどる平原。

 10号線を通ればフェニックスへの近道なのだが、途中の景色を楽しむべく、少し東を走っている77,79号線を北上することにする。砂漠なのに、そこら中が緑で覆われており、沿道には紫色のツユクサに似た花や黄色いポピーのような花が咲きほこっている。途中、Tom Mixの記念碑が建っている駐車場に車を止め、何気なしにフェンスの中に入って、その世界の平穏さにすっかり魅せられてしまう。背の高い柱サボテンが数十mおきにそびえており、それが道標のように見える。ひとつのサボテンを訪れると、今度は離れたサボテンを訪れたくなる。そうやってサボテン詣りを続けていくうちに、次第に一様に見えた下草の植生がじつはとても多様であることに気づく。図鑑を持参していないので名前はわからないが、葉の形、枝の色、他の植物への依存のしかた、それぞれに工夫がある。棘のない植物は棘のある植物に寄り添い、幹のない植物は枯れ木に寄生して空中から水分を補給をしているらしい。砂漠植物の専門家はさぞかし楽しいだろうと思う。
 犬の散歩に来ていた人と立ち話。一昨日までの豪雨のおかげで、いつもは砂漠らしい砂漠が一面緑で覆われ出しているという。年間降水量24mmのところに4mmの雨が降ったのだから、植物としてはこのタイミングを逃すわけにはいかない。そしてぼくは、たまたまそのベストの時期をhitしたんだそうだ。その他にも、ヘッジ・ホッグ・カクタスのかけらを集めて巣を作るWild ratのことや、もうすぐ咲くであろうクレオソートの花の匂いのことやら、興味深い話をあれこれ聞いた。

■フェニックス、田舎宇宙、キングマン

 結局二時間ほどあちこち歩いただろうか。ようやく切り上げて北上。フロレンスででかいブリトーを食い、そこからフェニックスを経由してさらにひたすら北上。
 街灯も街灯りもないただの平原を、ほとんど前の車のテールランプを頼りに時速70マイルでぶっとばしていく。助手席に座っているぼくは、ひたすら、カーブでハンドルを切り損ねないように祈るのみ。運転しているゆうこさんは「こんなん名神の竜王越えとおんなじやもん」と平然と言い放つが、難儀なものや珍しいものに会ったときに卑近すぎるたとえを持ち出すのは彼女の癖であり、さっきツーソンの崖を登ったときも「いやー、摩耶山のぼりを思い出すなあ」と言ったばかりだ。
 途中、路肩に車を止めている人に気づく。それで窓越しに空を見上げると、とんでもない星空。われわれも急遽、路肩に車を止めてしばし星を見て呆然とする。8,9等星が軽く見えている感じだ。「こんなんグリーンピア三木の林間学校以来やわ」とゆうこさん。
 彼女がサンフランシスコでもらったというカセットをかける。ギターのシンプルなフレーズだけでできている曲が続き、遠い車のヘッドライトが現われては猛スピードですれ違っていき、途方もない田舎宇宙へ吸い込まれるようだ。  そして今宵も東にとんでもない月が現われる。

 Kingsmanで遅い夕食。最後の70マイル。志ん生の「黄金餅」を聞きながらロード感を高め、「火焔太鼓」を聞きながら大金を夢見るうちにHoover's Damの豪華な照明。そして、谷をいくつか越えると、ラスヴェガスのとんでもない大平原照明。

■ヴェガスでサムダウン

 数々の電飾を見るうちに、なんだかとても不愉快な気分になる。電飾、パビリオン、ジェットコースター、好きなものだけでできているように見えるのに、どうもなじめない。
 モーテルに泊まろうと次々と電話をかけてみるが、ラスヴェガスのまっとうなモーテルはとんでもなく高く、そして週末はどこもいっぱいであることに気づく。せっかくラスヴェガスに来たので、この際、カジノホテルに泊まってしまえと、いくつか尋ねて回った結果、Mandalay Bayに。
 ダブルで199ドル、いつも泊まるホテルの倍以上はするのだが、部屋の広さ、内装の豪華さ、窓からの眺めを考えると、数百ドルはしても不思議ではない。ゆっくりバスタブに浸かる。しかし、ここでも、何か強い違和感を感じる。
 そして、下のカジノで少しスロットをやり、ラウンジでビールを頼んで飲み始めたところで、それは明らかな不快感となって、もう一刻も早くその場を抜け出したい気分になった。

■集積と蕩尽を支える憎悪の感触

 まだうまくことばにはならないが、それはたとえばWastedに対する不快感と言えるだろうか。あるいは、Wastedを支えている、ある種の「憎悪」に触れた気がしたのだと思う。
 Wastedとは、無駄なものに労力を使い果たすことを言うのではない。それを言うなら生き物はそもそも、吸って吐く有機体であり、その灯りは誰の為ともつかぬ明るさを放つ。むしろ問題は、誰かが労力を傾けたもの、誰かが無駄と知りつつ(知るよしもなく)作ってしまったものに対して、まるきり畏怖がないことだ。作られたものを、ひとつひとつ時間をかけて知っていくことも、それがなんであるかについて考えることもなく、ただワオとかキャーとか声をあげて通り過ぎていく。ワオとかキャーとか言わせるためにモノや力が集められていく。
 そういう集積への欲望を支えているのは、おそらくとんでもない憎悪であり、それは、ある意味で、空爆による人殺しを認める憎悪、ビルに突っ込む憎悪、小さくささやかなものに対して「それが何の役にたつの?」と尋ねる鈍感さ、鈍感であることを大人であることだと考える憎悪に似ている。


20050224

■ジョシュア・トリー国立公園

 Visitor Centerを南へ。朝8:00、開いたばかりの入り口で聞くと、このところの雨で先はあちこち通行止めになっているという。少し走るとなるほど「Road closed ahead」の表示。しかしどうせここまで来たのだから、行き止まりになっているところまで行こうとさらに南に下る。
  まずはセンターからほど近いホワイト・タンクと呼ばれる場所で車を止めて、セブンイレブンで買っておいた朝食をパクつく。RVで移動しているらしい先客がゆったりと新聞を読んでいる。いちおう挨拶は交わしたが、あいかわらず新聞を読んでいるのであまり邪魔しないことにする。RVは衛星アンテナのついた本格仕様。もしかするとRVに乗ってこのあたりで暮らしているのだろうか。こんな砂漠に暮らしていると観光客と話すのが疎ましくなることもあるのかななどと考える。

■ユッカの木のほうがまだましだ、とランディ・ニューマンは歌った

 初めて見るユッカの木(ジョシュア・ツリー)は、遠目には手と頭がヤマアラシになった生き物だ。枝は、関節の数と自由度が倍になったように不規則な方向にうねって、危うく空を目指す。
 近づいてみると、巨大なアザミのように鋭くとがった葉は、下部に行くほど色を失い、枯れ葉となって幹にまとわりついている。この、生きているものと死んでいるものとが枝の上でグラデーションを為しているのも、なんだか浮世離れしている。この異様な姿を、天を指し祈るヨシュアと見立てたモルモン教の開拓者は想像力が過ぎていると思う。

■砂漠の植生グラデーション

 車で南に移動する。これは楽しい。砂漠を下ることがこれほど目を見張る経験だとは思わなかった。標高が低くなっていくに従い、1マイルごとに植生が変わっていくのだ。ホワイトタンクで優先していたユッカの木の姿が次第にまばらになり、今度はCholla Cactusと呼ばれる膝丈ほどのサボテンが優勢になってくる。このサボテンは、砂漠の強い陽射しをはねかえすべく、美しく白い棘で武装しているので、あたりのテクスチャはきらきらと不思議な輝きを帯び始める。さらに山を越えると、目の前には気の狂いそうな平原が出現し、そこに突っ込むように道が延びている。あたりはオコティーヨOcotilloと呼ばれる枝状の植物が点々としている。

■オコティーヨの木

 このオコティーヨは、いつもはほとんど枯れ枝の束のようになっているらしい。が、昨夜までの雨のおかげで、枝にはびっしりと小さな背 びれのような葉が並んでいた。

■岩に囲まれる

 ここで残念ながら南行きの道は通行止め。今度は分岐点から西へ。仮眠をとるゆうこさんを車に残してScull Rockを散歩。手をつきながら岩場を上り下りする。あちこちに水の流れのあとがあり、黒いグラファイトのような筋が砂の上を走っている。つい最近雨水が流れたのだろう。砂漠では、ときおり大量に降る雨のために、あちこちで小さな洪水が起こる。ひとたび岩の上に小さな筋ができると、水はそこを目指して流れ落ちて溝を彫る。雨のたびに溝はますます深くなる。おそらく、いま地上に見られる水流のあとは、かつては岩の上のほうにあって、何度も岩盤を削るうちにこの低さまで彫り込まれたのだろう。そしてスカル(頭蓋骨)と呼ばれるこの丸い岩の曲線は、そうした水の流れと風によって作られたのだろう。
 その、スカルの岩に囲まれた一角に出る。完璧な静けさ。空から降ってくる飛行機の音だけが響く。

■パースペクティヴとテクスチャ

 Key Viewと呼ばれる眺望の名所に行こうとするが、ここも通行止め。しかたなくCap Rockの短い散歩道を楽しんでいると、レンジャーらしき車がやってきて、通行止めの柵を撤去していった。おお、やった。
 Key Viewからは、パームスプリングズの街並みばかりか、遠くSalton湖の向こう、メキシコ国境の山々まで見渡せた。空の半分は雲に覆われていたが、そのおかげでかえって、パースペクティブがはっきりする。しかも標高が高いおかげで、雲の高さはほとんど目線に近づく。うろこ状に規則正しく並んだ雲は、大きさの物差しであり、頭の上を覆う天蓋のような一片が、じつは眼の前に続く幾片と同じなのだと思うと、吸い込まれるような距離感が得られる。慣れると、この感覚はあっという間に立ち上がる。はじめはちょっとめんどうくさいけれども、空間は、意外にこういうめんどうくさい理屈を経由して感覚化できるのだ。

■Last chance to Texaco、満月、The Hooters、米朝、二村定一

 Joshua Treeの分岐点まで戻り、62号線をひたすら東へ。目の前に広がる平原、BGMはSketch Showでかなり気が狂う。高度が下がると次第に増す緑。
 95号との分岐点であやうくスニッカーズとガソリンを補給。何もないロードサイドに突如Texacoのサイン。リッキー・リー・ジョーンズのLast Chance to Texacoとはこんな状態をいうのだろう。95号を南下、やがてコロラド川流域に入り世界はすっかり緑に。10号線を東へ。
 トノパで沈む夕陽。さらに東へ。
 行く手の地平線が明るくなり、やがてとんでもない満月が昇るのを見る。ジョアン・ジルベルトを聞きながら月に導かれてフェニックス市街へ。夕食をとるべく街に下りる。The Hootersなる、ぴちぴちのホットパンツのねーちゃんがでかい胸をばーんと寄せてオーダーをとる店。
 10号を南下。米朝師匠を聞き、二村定一を聞きながらTusconへ。今日もモーテル6。


20050223

■いざドライヴへ。いきなり事故る。

 午前十時、LAを出てゆうこさんの運転でドライブ・・・と思ったら、いきなり駐車中の車と接触、先方のミラーをへし折る。ゆうこさんの右側感覚に深い疑念を持つ。持ち主がどこにいるのかわからないので、とりあえずこちらの連絡先を書いたメモをワイパーにはさむ。
 Freeway 10を一路東へ・・・とはいうものの、気がかりなので、結局、途中、公園墓地で降り、丘の上からレンタカー屋に電話すると、とにかく手近なチェーン店に行けという。警察にも電話したが、人身事故ではないのでおのおの処理して欲しいとの旨だった。
  誠意を尽くす用意はあるのだが、手近なチェーン店に着くまではなんともならない。先方のナンバーや目撃者の電話番号をほんとうはその場で控えておけばよ かったのだが、あわてていて、すっかり忘れていた。後学のため、こういう「人身事故を含まないミラーこすった系の軽い事故の処理」をまとめておくと、

 目撃者がいるなら、その人の連絡先を聞く。
 どちらが加害者であれ、お互いの連絡先とナンバーを控える。
 レンタカーなら、レンタカー屋に連絡し次の指示を受ける。  レンタカー屋にはトラブル連絡先があるので、先方にはその電話番号を伝え、あとの保険による支払い等の手続きはレンタカー屋にまかせる。

 というところであろうか。

■風の谷

 運転席と助手席で事故と事後処理におけるお互いの抜け作ぶりをやんわりと罵りあいながら、10号線をひたすら飛ばしていくと、やがて、風力発電がずらずらと並ぶ奇怪な風景に出会う。これがどうやらパームスプリングズ Palm Springsの入り口らしい。近くには温泉もあり、なかなかゆかしい町なのだが、われわれの目的は、空港にあるレンタカー屋。事故の報告をして書類を書き、とりあえず事故のイメージは払拭したらしいゆうこさんは、ぶいぶいスピードを上げ、しかし(ハイウェイ・パトロールのお世話にはなりたくないので)制限速度65マイルは守りつつ、Indian driveから62号線を北東へ、荒い山肌を左に見ながらJoshua treeから29 Palmsに着いた頃には日暮れ。ちなみに、書きながらこうやってずらずらと地名を挙げることができるのは、助手席で地図との首っ引きを繰り返したおかげである。

 Visitor Centerで道路状況を聞くと、昨日と今日の雨のおかげで、CottonSpring FieldとKey Viewへの道はふさがっているとのこと。今日はスタートでつまづいたことだし、このあたりでおとなしく宿を取ることにする。

■モーテルを探していると、じつにドライヴに来たという気がするな

 モーテルを探して西へ逆走すると、丘を登りながら暗色の二層の雲が黒と赤にうっすら夕暮れていく空に吸い込まれかける。その向こうに煌々と輝く Motel 6のサイン。ダブルで一泊49ドル+tax。近くのセブンイレブンでビールを買い込み、判で押したような、しかし整った部屋でくつろぐ。  


20050222

■松茸ご飯の意外なうまさ

 朝、ゆうこさんはSawtellのマッサージ屋へ。わたしは虹屋で日本食の買い出しをし、日本食レストランで「リボンの騎士」と「攻殻機動隊2」の英語版を読む。昼、牧鉄平くんご推薦の「エリンギと松茸のお吸い物でつくる松茸ご飯」を試すと意外なうまさ。

 ゆうこさんがレンタカーを借りて来たので、今週はドライブ週間と決定する。車の免許を持っていないぼくは、LAに来てこのかた、ハリウッドもカルヴァーシティもろくろく行かず、ダウンタウンも一度ちょいと行ったきりだ。

■ワッツタワーとハバネラ

 手始めにどこに行こうか相談した結果、まず最初はワッツと決める。同居人のレジーに「いまからワッツに行ってくる」というと、露骨に顔をしかめられた。「ワッツ?何しに?」
 ワッツ地区は1965年の黒人暴動や1992年のロドニー・キング裁判後の暴動など、暴動の発火点として有名な場所だ。いずれにもそれなりの歴史的経緯 があるわけだが、とにもかくにも「物騒な地区」として扱われていることは確か。Lonely Planetには「夜にはうろうろするな」と書いてあるし、LA生まれのカール・ストーンにも「カメラや金目のものは持って行くな」と言われた。
 何もトラブルを求めて行こうというのではない。われわれの目的はワッツ・タワーだ。岸野雄一とフォルティ・タワーズあらためワッツ・タワーでおなじみの、あのタワー。シュヴァルの理想宮と並ぶ、世界三大幻視建築のひとつなのだが、残念なことにもう一つがなんだったか忘れてしまった。ともかく、シュヴァルと並ぶものならば見ないわけにはいかない。

 とは言え、初めて行く場所なので、いささか緊張気味で出発。405号線から渋滞の10号線を東へ。ダウンタウンで@に乗り換えるが、なおもノロノロなの で、下の道に乗り換える(一人称で書いているが、運転はゆうこさんで、ぼくは助手席にいて地図と景色を見比べる役。以下同じ)。
 鉄道の線路を過ぎると、家並みの向こうににょっきりとタワーが飛び込んでくる。とても一人で作った高さとは思えない。ぐるりと回り道をして、タワーの生 えている三角地帯へ。車を駐車すると、さっそくゴミ拾いのおっさんがカートを止めて車の前でごそごそし始めるので気が気でならぬが、どうやら単なるカート の整理らしいので、いちおうちらちらと見やりつつ、タワーの周囲をぐるぐるする。
 そばの記念館は休館日で、あたりには、さきほどのおっさんと、自転車をよろよろさせながらどこへ行くともなくあたりをふらついているもう一人のおっさんのみ。観光客はいない。真ん前の家からは陽気なラテンが流れ、無人の前庭をハバネラで満たしている。
 タイルが使われていることで、ちょっと見にはガウディを思わせる。しかしその光沢を特徴づけているのは、タイルよりもむしろ、ビン底だ。セブン・アップ やカナダドライの空き瓶を中心に、緑色のビン底がずらずらと埋め込まれ、曇天の下で鈍い光を放っている。さらには、貝も多用されていて、なんだかシュヴァ ルの貝趣味を思い出させる。
 タワーは鉄骨のまわりをセメントで固めた骨組みによって構成されている(ように見える)。鉄製なのに、藁で結わえて端を揃えて立てたような感じがするの は、垂直の骨組みを束ねるリング状の鉄骨のせいだろう。このリングが、きれいな丸ではなく、鉄をくくりつけたらこうなりました、というような形なのだ。鉄 を結わえるとかくくりつけるとかいう表現は奇妙に聞こえるかもしれないけれど、じっさい、そんな不思議な柔らかさがこの塔にはある。塔を建てるひとつひと つの行程が鉄骨の微妙な歪みに凝っているようで、高さのわりに、ささるような痛さがない。
 足場はどうしたのか、地上の庭のような部分はどうしたのか、知りたいことはいろいろあるが、今後の宿題にしよう。

 夕暮れの鉄道駅にはヒスパニック系とおぼしき人々が列車を待っている。パトカーが二台止まっていた。そのパトカーに、「危険な町」という印象がすがりつ こうとするが、どうも現実味がない。さっと通り過ぎた限りでは、ワッツは、平屋建ての簡素な家が目立つ人通りの少ない町という印象を持った。何かこの町に は空白が感じられるのだが、それは、きっと庭を満たしていたハバネラのせいだ。

■アメーバに呑み込まれる

 日暮れてきたのでハリウッドに移動。アメーバ・レコードへ。これはまごうことなく危険な店だ。十年前のぼくなら1000ドルは買っていたに違いない。し かし、いまやすっかり物欲も枯れたいまのぼくは、ほんの200ドル余り買ったところで、打ち止め。買ったDVDといえば、スミス、レジデンツ、ヤング・ マーブル・ジャイアンツ、CDのほとんどはミシシッピ・ジョン・ハートやらスリーピー・ジョン・エステスやら、まるで「この時代向きじゃない私」を証明す るようなラインアップ。買い逃していたAimee Mannの、Lost in Space (Sethがカバーデザインを手がけている)がいちばん最近の盤、というていたらく。

 タイタウンで夕食。ボーダーで明日からのドライブ・マニュアルとして「California Scenic Driving」なる本を買う。帰って、ゆうこさんと旅の計画を話し合う。計画とはいっても、途中まで三泊四日のところを二泊三日と誤解したまま話してい たほどのおおざっぱさで、どんなルートをとるかはでたとこ勝負だ。  


20050221

■LAに戻る

 小一時間寝て、朝の四時半にタクシーでラ・ガーディア空港へ。これだけ雪がつもると「The Gates」は全然違って見えるだろうな。今日セントラル・パークに行った人はラッキーだと思う。

 ゆうこさんとレンタカー屋で待ち合わせのつもりが、入れ違い。結局夕方になってようやく落ち合い、車を得て部屋に戻る。夜、買い出し。パスタを作って食す。


20050220

■アメリカ自然史博物館のジオラマ

 ゆうこさんと自然史博物館。最初はティラノサウルスの骨などを見て、「Betty Boop's Museum」気分。(ちなみに、「Betty Boop's Museum」が作られた1932年は、ちょうどこのアメリカ自然史博物館が「骨の博物館」として有名になってからしばらくしてのことだ。)
 が、ジオラマで、きた。もうここで頭がねじ切れた。パノラマ好きにはこたえられない内容。というか、19世紀のパノラマのいいとこどりといってよい。

■パーティー。マンブルボーイ・ヴィデオ

 本日もJ trainに乗り、Flushing Ave.の近くのケイコさん宅で映像と音声のパーティー。開発好明さんに10年ぶりに会う。10年ぶりだったのに、なんだか大音量と映像でぶっとんでしまい、あまりきちんと話せなくて、ちょっと申し訳なかった。
 ゆうこさんのパフォーマンスは「Take the A train」を歌ったテープを使ったもの。
 夜半を過ぎた頃にマンブルさんがPCにつないで映像を流し始めたのだが、これはすごくおもしろかった。PCのモニタで見るのとはぜんぜん違う迫力。線画 のロジックで、ひとつのイメージから予想もつかないイメージへ飛躍する。勝手に「映像しりとり道場」と呼んでしまった。入れ子の果てにまたもとの位置に 戻ってくる感じが楽しい。

■雪の上を転がるヨロコビ

 外に出ると雪。タクシーもろくに通らない。サシャが、通りかかった車を止めて帰宅先まで8ドルで送ってもらうよう交渉。無事、近くまで送ってもらった。雪はますます強くなり、道ばたに身を投げ出してごろごろ転がる。

20050219

 朝起きてロン!シンメトリー用に音声ファイルを吹き込んでアップ。

■The Gates@セントラル・パーク

 午後、59丁目のコロンバス・サークル(ここの彫刻、もろシカゴ博っぽいな)で、県大OBの松村さんと会う。松村さんは、いまはロング・アイランドの大学でアート・マネジメントと音楽の勉強をしている。いっしょにクリストの「The Gates」を見ながらあれこれと感想を言い合ったのだが、彼女の視点がGatesだけでなくそれを楽しむ観客にきちんと注がれていて、なんとも成長著しい感じで頼もしかった。

 ひとつひとつのゲートに下げられたカーテンは、上のバー部分で止めてあり、その的確な重さのおかげで、強い風にも優雅に揺れる。ただし、まくれあがったり木にひっかかった場合に備えて、伸縮棒の先に黄色いテニスボールをつけたボランティアがあちこちに立っている。

■Gateという物差し

 The Gatesのおもしろさは何時間かかけるとよりはっきりする。できれば2時間くらいはかけて、さまざまなポイントから見てみるとおもしろい。なにしろ、いけどもいけども同じゲートが並んでいるので、ゲートじたいに対する鑑賞欲はじきに消滅する。そしてそれからがおもしろいのだ。同じ形式のゲートがいわばニューヨークの風景を見るための物差しになっていく。マンハッタンの高層は、ゲートの上に聳えることによって新たな大きさを得る。セントラルパークの池の対岸は、遠いゲートのはためきによってその距離を明らかにする。そして85番街あたりの瀟洒なレンガの橋の下をくぐろうとすると、たった一つのゲートが橋の向こうに顔をのぞかせる。

 風は遠く揺れるゲートからこちらのゲートへと近づいてくる。隣のゲートが影を落とす。その影の位置はゲートの向きによって変わる。木陰はゲートを横切って散歩道に逃れていく。
 結局東側の89丁目あたりまで歩き、そこからバスで101丁目東まで移動、ふたたびハーレムのそばを通って西側に抜けると、もう夕暮れてきた。いっしょに晩飯を食って別れる。
 その模様は、  沼201:セントラルパークを歩く(1) 沼202:セントラルパークを歩く(2)にて。

■Live@Free

 J TrainのMarcy駅まで移動して、Freeでライブ。Yukoさんのソロを皮切りにいくつもパフォーマンスがあったが、個人的にはヴァーモントから来た連中の音造りと、4台の16mm映写機を使った動く映像(というか、映写機自体をつり下げてぶらぶら動かすのである)が楽しかった。ちょっとケン・ジェイコブスを思い出す。生マンブルさんにお目もじをし、Tシャツをいただく。



20050218

■ニューヨークへ

 朝から雨。LAXからデトロイト経由でNYCへ。コロラドはずっと曇って下は見えず。ミシシッピ流域と思しきあたりでは、畑のあちこちに河筋が入り込んで、まるで洪水のあとのように見える。

 La guardia空港につき外に出るとぎしぎしと寒い。これはたまらんとタクシーを拾うが、Nostrand, Brooklynというと、「さあ知らないね」と言われて乗車拒否。結局、いくつかの通りの名前を挙げて三台めの車でようやくなんとかなる。どうもロサン ジェルスのタクシーとは勝手が違う。
 サシャの部屋に着き、ケイパー入りお手製パスタをいただく。夜半をとうに過ぎて話題転々、ロスト・イン・トランスレーション見て怒ったというサシャと意気投合、どこがダメかを徹底的に話し合う。


20050217

■寿司レストランの人類学

 黒嶋さんと、彼女のフィールドである寿司レストランへ。ロサンジェルスで寿司レストランに入るのは初めて。
 この店の場合は、シャリの酢が抑えめで、そのかわり濃い味付けが多かった。こちらでとれる白身の魚をブリの照り焼き風にしたもの、カブの煮付けなどは、照り焼きというよりテリヤキ味。オーガニック・サーモンには大根とポン酢を合わせたもの、そしてローストガーリックが乗っている。これはこれでおもしろい味付け。
 ネタの説明も、「これは九州から空輸」「これは築地から空輸」という風に「空輸」が入る。もっともこちらでとれたものもあって、アオヤギの貝柱は巨大で、ウニはとてもおいしかった。ぼくらにはしっかりと筋の入っているトロを握ってくれたが、アメリカでは白い筋の入ったトロはあまり好まれないそうだ。あれだけ脂身たっぷりのベーコンのある国なのに、へんなの。以前から不思議だったカリフォルニア・スパイシー・ロールの辛味は何かと尋ねたら、ラー油を使うことが多いんだそうだ。そういわれてみれば確かに中華味。もっともこの店は別のもの(秘密?)を使っているという。客がカウンタの中の板前さんにビールをおごって「カンパーイ」とやっている風景も、ちょっと不思議。たとえばカウンタ形式のダイナーで、客が店の人におごるなんてことがあるだろうか?
 ここでは特に書かないが、じつはこうしたあからさまに不思議な光景よりも、どうということのないちょっとした光景がなかなかおもしろい。たぶん、不思議な光景によって、体験全体が異化されたようになって、別に不思議でもなんでもない光景までいっしょにポップアップするのだ。ロサンジェルスの寿司レストラン研究、というのは、寿司屋研究としてはいっけん傍流に思えるけれど、意外と本質に近づきやすいのではないか。
 たらふく食って、そのあとさっきまでの体験を復習がてらあれこれディスカッションして締め。手近なフィールドに複数の人間で行ってあとからいろいろ言い合うというのは、記憶が生々しいだけにとてもおもしろい。


20050216

■感情と空間の共有

 感情を共有することと空間を共有すること。ある物語を語ろうとして、登場人物のしぐさを真似る。等身大で人物のジェスチャーが行なわれる。このと き、表わされるのはただの人物を表わすだけではなく、人物を中心とする等身大の物語空間が提示されており、その動きが空間の共有を感じさせる。それが相手 の感情を動かす。

■自己指向性と他者指向性

 ジェスチャーの特性を語るときにしばしば用いられる「自己指向性」と「他者指向性」ということばは、注意を要する。
 たとえば、他人のいないところで為されるジェスチャーは「自己指向的である」と見なされる。しかし、じっさいはどうか。たとえば電話の前でお辞儀をして しまう(a)のは「自己指向的」といってよいか。相手から見えないという点では「自己指向的」である。しかし、お辞儀は「どうもありがとうございます」と いう相手への礼のことばとともに、相手に向けて為されるのだから、「他者指向的」とも言える。
 自分で何かを考えるために体を動かすことはもちろんある。たとえば、一人で考え事をしているうちに、虚空で手を動かしてしまう例がそれに当たる。しかし、聞き手の目の前で、考え事をしながら体を動かすことは自己指向的か他者指向的か。
 たとえば、対面している相手から世界がどう見えるかを考えるために、ちょっと体をひねることで180度異なる視点を得る人がいる(b)。これは、自分の 思考を助けるという意味では自己指向的だが、目の前の相手のことを考えるために行なっているという意味では他者指向的である。
 じつは、自己指向/他者指向を区別する切り口はいくつかあって、その切り口によって定義が変わってしまう。相手への反応要求度で区別するのなら、aやb は要求度が低いから自己指向的といえるだろう(aの場合、相手からは見えないので反応を期待するのは不可能だし、bの場合、相手からの反応を求めたいの は、体のひねりに対してではなく、それに続くジェスチャーに対してだろう。
 bについては、さらに留保を要する。たとえば「えーと」といいながら体をひねることは、「現在わたしは思考中であり、このジェスチャーはいわば次のジェ スチャーのためのつなぎに過ぎない」ということを伝えることでもある。つまり、それはまったく相手の役に立たないのではなく、むしろ、ジェスチャーの構造 を理解するための重要な鍵となりうる。

■自己と他者の切り分けがたさを記述すること

 じつは、会話における「自己」にはさまざまな形で他者が埋め込まれていて、簡単に他者と切り分けることができない。さらに「自己」は話者の意図にかかわ らず他者に漏れていて、簡単に自己に限ることができない。ジェスチャー論の役割はこの、切り分けがたさ、限りがたさを記述することであり、自己的なものと 他者的なものを分類することではない。

 沼201:北海道



20050215

■華氏と摂氏の変換法

 どうもこちらへ来てから華氏の感覚がわからなくて困っていたのだが、いくつかのサイトを回ると、計算機を持たなくてもさくっと分かる方法が載っていた。要約すると、
1. 摂氏10度は華氏50度、と覚える。
2. 摂氏で10度上下すると、華氏では18度上下する、と覚える。
これだけ。

では、摂氏0度は華氏何度かというと、50-18=32度。摂氏-10度はさらに18を引いて14度。
逆に、摂氏20度は50+18=68度。摂氏30度はさらに18を足して86度。
ここまで分かれば、おおよその感覚はつかめる。

 沼200:メール


20050214

■ロン!シンメトリー

 昨年から事あるごとにシンメトリーを作ってきた甲斐あって、元祖シンメトリーのお二人のイベントに音声とシンメトリーで参加させていただくことになった。

ロン!シンメトリー
寺田克也×伊藤ガビン
トーク&スライドショー
スライド上映/サイン会あり

日時:2005年2月20日(日)15:00〜(開場14:30)
会場:青山BC本店内・カルチャーサロン
定員:100名様
入場料:500円(税込) 電話予約の上、当日精算
予約・お問合わせ:青山ブックセンター本店 電話03-5485-5511
         〒150-0001 渋谷区神宮前5‐53‐67‐B2

 バレンタイン・デーの黄昏。花を持って歩く男子学生多し。日本ではあまり見られない光景。

 例によってInDesignをいじりながら考える。細部をぐいぐいと考えていくと、最初の大局的な見方にひびが入る。そこで大局の腰を割らずにもう少し考える。

 青山さんがクリストに感嘆しているのを聞いたらどうにも行きたくなり、NYC行きのチケットを買ってしまう。週末はセントラルパークだ。


20050213

 日曜日。昼までぐーすか寝る。卒論生の矢野君が急激にやる気を出したらしく、何分かおきに質問のメールがやってくる。

■観覧車、シカゴ博

 産経新聞に書いた福井優子「観覧車物語」書評。くしくも、この書評を書いたあと、フェリスホイールのあったシカゴ万博跡地を訪れることになった。

   万博会場は、大きく分けると、現在のJackson Park、そして線路をはさんで、大学南にあるMidway Plaisanceの二箇所で行なわれた。観覧車はMidway Plaisanceのど真ん中。Doverのペーパーバックで出ている「The Chicago World's Fair of 1893」には当時の写真が多数収められていて(この本、お買い得)、p96-97には観覧車から見た会場の写真が載っている。工場の煙のぶれ、国旗のはためき、そして高架橋をぶっとばす馬車のぶれがすごい臨場感。観覧車の動きで写真がぶれていないのが不思議だが、よほどゆっくり回っていたか、もしくは撮影のために回転を止めさせたのかもしれない。

 沼199:蚤の歌


20050212

■本番で言語を介していては間に合わない

 寿司レストランでの調査を計画しているという黒嶋さんと会いに大学へ。同意書の書き方についてあれこれディスカッション。なんでもLAにおける寿司職人と客とのやりとりの観察をするそうで、そのために20週間にわたって寿司レストランに通い詰めるんだそうだ。と、きくとうらやましい限りの話だが、寿司は自腹とのこと。学生ということで多少まけてもらえるそうだが、それにしてもグラントなしでこういう調査をやるのはたいへんだろうなあ。
 さらにケーキがめちゃくちゃうまい店マンデインに移動して、練習風景や修行風景を会話分析的に観察することの楽しみについてあれこれ話す。
 音楽や踊りや寿司の握りというのは、本番では言語であれこれ言い合う余裕がない。本番ではちょっとしたまなざしのやりとりや腕の振り、体の向き直し加減で、「あ、次はおれの番だな」とか「あ、ここで体を開かなきゃ」とか「大将のネタが足りなくなってる」といったことを察して、ことばを交わす間もなく次のアクションを実行する必要がある。
 しかし、こうした阿吽の呼吸は一発で身に付くわけではない。練習や修行というのは、この阿吽の呼吸をやり損ね、それを言語化し、意識にのぼらせ、そして再び身体化し、意識せずに行なえるレベルまでもっていく過程である。

■練習時における修復がもつ学習効果

 それでひとつ思いついたアイディア、というか直観なのだが、練習や修行でおこるちょっとした言い淀みや体の動かし間違いとそのささいな修復には、学習の契機が入ってるのではないだろうか。つまり、言い淀みややり間違いとその修復過程には、わたしたちの無意識にやっている動作を意識上にのぼらせる働きがあって、それを通してじつは、本番に必要な動きが学ばれるのではないか。そして、おそらくよい教師と生徒の関係とは、こうした日常につけられた「しるし」を上手に拾い上げて学習の手がかりにできる関係なのではないか。だとすれば、うまく行っている練習といっていない練習を比較すれば、おそらく修復の過程になんらかの違いが見られるのではないか。うんぬん。

 卒論発表が間近の日本の学生からSOS。4人分の論文に対するコメントおよび発表用パワポの作り方などなどを次々と書いて送りつけているとすっかり夜も更けた。

 

■前戯について語るジェスチャー

 夜、ひさびさにTVでもみるかとチャンネルをいじってたら「SEXについて語りましょう」(だっけな?)という番組を発見。いわゆる悩み相談番組なのだが、70は越えているとおぼしき老婦人が、電話の悩みにまじめにこたえるのである。
 「この前ひさしぶりに主人とセックスをいたしましたのですが、主人がキスをしてくれないのです。それでそのことが気になって・・・」
 老婦人は身振りをまじえながらじつにプラクティカルなアドバイスをする。「いい、セックスは人それぞれだし、それはあなたが悪いのでもご主人が悪いのでもないわ。だから、あなたはご主人にはっきりとこういうべきね。わたしにとって、キスは前戯の中の大事なひとつなのだと。キスは前戯から本番にいたる長い道のりの中に組み込まれているひとつの儀式なのだと。」こういいながら老婦人は、左手をまな板の上の包丁のごとく振り下ろし(おそらくこれが前戯)、そして右手を少し離れたところにこれまた包丁のごとく振り下ろし(おそらくこれが本番)、左手をぐぐっと右手に近づけていく(おそらくこれがまぐわいのプロセス)。そのあまりに具体的なジェスチャーに思わず見入ってしまう。

 沼198:玉蜀黍


20050211

 ここのところやっているInDesign書類作り。これ、楽しいんだけど、どんどん時間が経つな。

 沼197:ナッツ


20050210

■アメリカの歴史教育

 木曜日のファーマーズ・マーケットに昼食を食べに行くと、うちによく遊びに来るアーロンB.がいた。韓国屋台でチヂミと餃子を買って食しつつ、LA黒人事情やアメリカの歴史教育事情についてあれこれ聞く。州や学校にもよるのだろうけれど、彼の場合は、高校に入ってからアメリカ史と世界史をパラレルに習ったとのこと(これは選択制なので世界史をとらずにすむ場合もある)。アメリカ史はビッグイベント中心主義というか、ボストン茶会事件があるとそれをがーっとやり、南北戦争があるとそれをがーっとやるという具合で、さほど風俗や土地の歴史のディティールには触れないとのこと。でも、それは日本の歴史教育でも同じだよね。彼自身のコメントによれば「まあ他の国にくらべると、世界史の比重が低いことは否めないね」とのことだが、はたして現在の日本において世界史の比重が高いと言えるかはよくわからない。

■ノミ・ソング

 夜、上映作品のチョイスが気が利いているNuatreに行き、「The Nomi Song」を見る。クラウス・ノミのメジャー・デビュー前のスタッフの談話を中心としたドキュメンタリーで、サタデイ・ナイト・ライブでのボウイとの共演映像や、「N」の字から横入りで(肩パットがでかいので)現われるノミの姿など、いま見てもかなり狂ってる映像が満載だった。が、いっぽうでそれらは、何か一山あてたい際物ぶりにも満ちていて、作り物を維持しなくてはならないクラウス・ノミの姿は見るのが辛い気もした。

 いちばん、リアルな感じがしたのはAnn Magnusonが語った話。
デビュー前、雪深いニューヨークの冬、アンや仲間と外に出たクラウスは、とつぜん高らかなファルセットでアリアを歌い出した。そのあまりの凛とした美しさにアンは衝撃を受けたのだという。

 ストレンジャーの放つ美しさという点で、テルミンを思い出した。

 沼196:花嗅ぎ


20050209

■シカゴ>LA、花の匂い

 朝からパッキング。新しく買った旅行鞄はぱんぱんになってしまった。ヘアカットを済ませてきたエリックと昼食。シカゴ・ミッドウェイ空港からデンバー経由でLAへ。途中、デンバーまでの景色が白くて、最初は雲がかかってるのかと思ったら、一面雪だった。

 LAの空港を下りてセーターを脱ぐ。つかまえたタクシーの運転手はしっかりとターバンを巻いたインド人。タクシーの運転手というとインド系の人をよく見かける気がする。ちょうどラッシュアワーで、アパートまで20分のところが倍近くかかる。やっと着いて先に降りた運転手が「ああ、花の匂いがしますね」と言った。それで、ああ、暖かい場所に戻ってきたのだなと思う。


20050208

■後日談

 朝、メールを開くと、先方から「二度もシカゴに来てもらうなんてあなたには負担でしょうけれども」という書き出しで、日付の再設定の返事。救われた。ほんとに救われたなあ。そして、このうかつ粗忽な野郎にまで、きちんと気遣いのある内容。なんとやさしいメールなのだろう。もう、恥ずかしいよ、わしゃ。穴に入りたいよ。感謝の返事を書き、また枕につっぷして、ぎょー、とか、もー、とか言う。

■Quimby's

 今日が発表のつもりだったので何も予定がない。昨日ついた物欲の火でも確かめに行くか。Quimby'sに行き、さすがにあまり買うとLAに持って帰れないので、ゴミ袋1つ分だけ買う。曇りがちの気が、小雨まじり華氏34度の外気にぴったりなじみ、それが喫茶店に入ると少し緩まる。さっき買った本をゆっくり読む。ああ、結果的にはいい休日だなあ。鬱々とするこの気分さえ甘い。グレーの中にある色。まるでゴッホの描くシュフェーニンヘンである。

■Jackson Park、日本庭園

 午後、CTAを乗り継いでJackson Parkへ。ここは1893年のシカゴ万博が行なわれたところで、いまは「科学工業博物館」(かつての美術館)の建物のみを残してただの公園になっている。しかし、たとえ公園であっても、そこには何らかの場所の痕跡が残されているはずで、それを手がかりにさまざまな催しのスケール感がつかめる可能性がある。これは「浅草十二階」を書いたときに身に染みてわかっているので、とにかく行ってみる。

湖岸に近いジャクソン・パークは、凍った湖水の上を渡ってきた風が容赦なく吹き付け、裸木がこの世を呪うような禍々しい枝ぶりで凍った池にその身を突っ込んでおり、およそ公園とは思えぬ荒涼たるありさま。それでも、池にかかった橋を渡り、1893年当時に日本のパヴィリオン「鳳凰殿」があった中州に行ってみると、驚いたことに日本庭園があった。説明書きによれば、1993年に(おそらくは百年を記念して)シカゴ市と姉妹都市の大阪市の協力で、新しく作り直したらしい。門をくぐると赤茶けた砂石が敷いてある道が小さな池を囲み、そこここに石灯籠が置かれている。木々は冬枯れて、点々と植えられた松も勢いがなく、凍った池を覗き込むと真っ白に脱色した紅葉が底に沈んでおり、およそ人を寄せ付ける気配のない場所だが、おそらく春が来れば、少しは見栄えがよくなるのだろう。

■ループ。オーディトリウム。マーシャル・フィールド。

 カメラを持つ手がきかなくなってきたので、早々に引き上げる。ループに戻って、サリヴァン作のオーディトリウムを外から眺める。1893年のシカゴ万博は主に復古調の建築で占められ、サリヴァンのような革新派はほとんど締め出しを食った、ということは、知識としては知っていたが、こうしてじっさいに見ると、その違いがよく分かる。あの、科学工業博物館の、いかにも重たいものを支えてます、という柱ではなく、壁と一体になりながら優雅に曲線を描いていくファサード。建築は重力の表現なのだ。そして、重力の表現が、19世紀末に変わったのだな。
 街並みを見がてらループの中を歩き、Rock Recordで買い物。デパートの老舗、Marshall Field and Company Storeへ。こちらはサリヴァンのライヴァル、バーナムの作。20世紀初頭、このデパートの登場によって、女性は一人で気楽に買い物を楽しむようになった。本を持ちかえるための鞄を買う。


20050207

 朝から小雨。日が照らないとさすがに寒い。

■フィルタ

 近所の喫茶店「フィルタ」で原稿書き。隣にすわったおっさんがいきなり「ここの空調はいかれとる。向こうのタバコの煙がこっちの禁煙席まで来る。真ん中にすわってるやつらをみろ。室内なのにコートを羽織ってるではないか。空気の流れがおかしいのだ」などなどと突然誰に話すともなく話し始める。そばにいた学生風の男が「だから『フィルタ』っていうんじゃない?」などなど。おっさんはその後もひとしきり空調のグチをこぼしつづけ、周囲三人(わたしを含む)が適当にあいづちを打ち続けるうちに、突然、憑きものが落ちたようにしゃべり終わり、本に向かいだした。「○○の幾何学」というタイトルがちらと見えたが、ヘンなおっさんだ。

■Quimby's

 近所にある「Quimby」に行く。表にはクリス・ウェアのデザインのネオンサイン。中はパラダイス。というか危険すぎる。次々にカウンタに本の山を預けて、最期はゴミ袋4つ分になった。だって買い逃してたウィンザー・マッケイの初期作品集三巻とか、American Splender全巻とか、Drawn & QUataryのバックナンバーとか、その他いままで見たことなかったミニコミコミックが目白押し。そのすべてが立ち読み可能。もうグレイテストとしか言いようがない。
 店の名前はクリス・ウェアの「Quimby the Mouse」からとったのかと思ったら、単なる偶然なんだそうだ。今の経営者はクリスと知り合いなのだが、店の名前はもとの経営者がつけた名前を引き継いだだけなんですと。

 外が寒いと店に入ったときに暖かさがひときわしみる。フィルタはかかってる音楽も悪くなく、パソコン用の電源はあちこちにあるので存分に長居できる。コーヒーを飲み、サンドイッチを追加し、またコーヒーを飲み、絵はがき原稿をあげて送る。

■そしてとんでもないミス

 夜、メールをチェックしていて、研究所の教授から「今日はどうしたの?」というメール。プレゼンの前日になにか約束でもしてたっけと読み出して生汗が出てくる。なんと約束の日付を一日間違えていたのだ。結局ぼくが不在のまま、教授がかわりにプレゼンをして今日の集まりを終えたとのこと。すぐに平謝りのメールを出したものの、気分が真っ暗になる。この研究人生で最低最悪のミスだ。何人もの人を待たせて、結果的にすっぽかしてしまった。あほあほあほあほあほ。思えば約束を取り付けたその日にパソコンがぶっ壊れて、あわててノートにメモった数字が間違っていたのだ。それにしてもそれから何度かやりとりしたのに、ずっとその間違った数字で覚え込んでいた。あほあほあほあほあほあほ。久しぶりに精神的な吐き気を催す。もしかしたら、もう誰にも話をきいてもらえないかもしれない。もう一生、すっぽかし野郎として業界で後ろ指をさされ、眉をひそめられ、外も歩けないかもしれない。マジで。枕に顔をうずめて、ぐわーとかぎょもーとかぎょえーとか言う。ドアの向こうからエリックのルームメイトが「Fuck!」と大声でどなっている。その声が自分に向かっているように聞こえる。扉を開けてふらふら出ると、そのルームメイトがエリックのところへやってきて「すまん、ちょっと気が立ってて」と謝りにきたところで、しかし、それにまともに応答することもできぬほど自分の体の力が抜けているのがわかる。小便をしてまたふらふらと帰るが、あらゆる否定的な考えが頭に迫ってきて収まらない。

 いやいや落ち着くのだ。先方にもう一度連絡しなくては。心を静めてメールだ。謝るだけでなく、関係を途切れさせないことだ。「まことにすみませんでした。でも、もう一度、発表の機会をいただけないでしょうか。うんぬん」。しかし、メールを書いたとてすっかり落ち着くわけがなく、気は世界が遠ざかり、昼間買った本など読んでも、まったくうわのそら。これがいい大人のやることだろうか。なおもうわのそらのままネットにつなぐと、ちょうどオトガイくんが昨日に引き続き生放送をやってるのでそれを聞き続けてたら、途中から下ネタパラダイスになった。こんなときでも下ネタはおもろい。なんでだろう。


20050206

■先生が目を離しているとき。音楽のような練習。

 午後、青木さんのやっている太鼓道場の見学。予想外に、といっては失礼なのだが、とてもおもしろくて、ほんの一時間ほどいるつもりが、延々四時間も見学させていただいた。
 「道場」というだけあって、黙想で始まり黙想で終わる。生徒は下は6歳から上は十代まで。太鼓の先生である吉橋さんはまだ25歳だというのだが、その教え方はじつに音楽的で見ていて惚れ惚れする。手本を示して一緒にビートを叩かせる。ビートが緩んでくるとバチどうしを叩いて締め上げ、ビートが確かになってくるとリムショットで下がり、ときには叩くのを辞めて様子を見る。ときにはまったく違うリズムを重ねたり、わざと少し難しめのリズムを叩くことで、別のリズムが重なるときの感覚、よりステップアップしたときの感覚を呼び覚ます。そして、そのタイミングがなんともあざやかなのだ。
 クラスがうまく行っているかどうかは、先生が目を離しているときの活動でわかる。よいクラスでは、自分で考えて事を進めるための基盤と材料を生徒がしっかり与えられており、先生がいないときも、生徒はその基盤と材料を使ってどんどん自分で事をこなしていく。このクラスはまさにそれが機能している。
段取りを説明し、手本を見せ、生徒にやらせてみる。それはどんな種類のクラスでも行なわれていることだが、この太鼓教室のばあい、すべての流れが音楽的なのだ。たとえ太鼓を叩いていないときでも、説明と手本との往復の間合いに大きなグルーヴがあり、そのおかげで、説明がただの説明に終わらず、音楽を感じさせる。
 別の部屋では青木さんが三味線の稽古をつけていて、これも拝見したのだが、やはりとても音楽的。この、一瞬一瞬が音楽で満たされてる光景を見ていると、自分の講義の仕方を根本的に改めたい気分になってくる。
 その模様は、ラジオ 沼にて近日中に公開予定。

■生デジオに国際電話

 部屋に戻ると、エリックがリハーサルをしていた。その音を聞きながら発表の準備。そのうち、オトガイくんがデジオ生放送をしていることを知り、思わず聞き続けるうちに朝の4時。デジオとネットの掲示板が同時進行するのだが、聴取者8,9人の超小規模放送がもつ、独特の親密さ。国際電話までかけてしまった。


20050205

■シカゴ街歩き。「グラフィック都市シカゴ」。

 午前中、Yukoさんのリクエストで青山さん、Marikoちゃんとユニオン駅へ。ジ・アンタッチャブルの(というか戦艦ポチョムキンの)階段落ちの舞台。階段は思ったより狭いなと思ったが、それは全体がバカでかすぎるからだろう。
 いったん部屋に戻ってからラジオ出演するYukoさんを残して、再び街歩き。Water Towerから、ゆっくり建築を見て歩く。なんというか、石の壁で挟まれて歩くと、否応なく垂直線に対する感覚が誇張される。線が空に向かって伸びるよう でもあり、線が空から下りてくるようでもある。窓枠の方形がこの感覚に繰り返しをつけて、果てしがないように見える。
 カメラを構えるものの、ほとんどの建築は大きすぎてフレームに収まらない。そういえば、クリス・ウェアのコミックで、高い建物をいくつかのコマに分割して描いているのがあったなと思う。「グラフィック都市シカゴ」というコピーを思いつく。

 Navy Pier付近へ。シカゴへきたらやはり観覧車でしょう!というわけで、フェリス・ホイールに乗る。
 1893年に作られたフェリス・ホイールは、もともとシカゴ大学の南に横に広がる公園(旧万博会場)に据えられており、客車は60人乗りで二周するのに20分かかったが、いまのフェリス・ホイールはこのNavy埠頭、子供博物館の裏にあり、4人乗りで一周7分。マクドナルドの提供を得ているのであちこちにMicky Dのマークが付けられている。それでも、ループににょきにょき生えた摩天楼を眺め、遠く凍ったミシガン湖を眺めるにはよい乗り物だ。

 黄昏が近いが少し時間があるので、タクシーを飛ばして大学内のRobie Houseへ。フランク・ロイド・ライト設計。大学の南部分に残る、ほとんどゴシックかと思うような古色蒼然たる建築を見ると、ライトの設計がいかに風通しのよいすっきりしたものだったがよく分かる。
 日が暮れるとあたりは急にうそ寒くなり、遠い高架線路を目指して歩くが、駅がなかなか見つからず、大学南側の何もない公園をうろうろする(あとでこれが万博跡地だと知った)。結局、Metraの高架線は間遠だとわかり、6番のバスとブルーラインを乗り継いで帰るとすでにYuko & Marikoのリハ時間。

■Yuko & Marikoライブ。「サラミガイ」

 会場の準備を手伝ったり、来客と断章するうちにYuko & Marikoのライブ。Marikoちゃんは、午後に行ったフェリスホイールのチケットとCTAのチケットを光に透かすという新しい技を使っていて、これがなかなか良かった。

 Tacatelianなるメキシカン専門料理屋で打ち上げ。なぜか近くの科学工業博物館でやってる人体のプラスティネーション展の話になったのだが、それを評してギャラリー主エリックの放ったひとことが「サラミガイ」。エリック48歳、静かに狂ってるな。


 

20050204

■シカゴへ。アメリカの地形。

 朝、LAXヘ。雲一つない上天気で、飛行機ではずっと窓の外を眺めて飽きない。カリフォルニア砂漠からグランドキャニオン、ロッキーを横切るとい う、アメリカ西部非接触スキャン航路。砂漠の中に伸びる一本の道路を見ながら、なんて蛮勇なんだろうと思う。こんなところまで入り込むなんて、フロンティ ア精神というより、無茶である。
 ロッキーを越えると、途端に広大なる畑地帯が広がり、そこがデンバー。東部からやってきた連中がロッキーの壁に突き当たり、あきらめて落ち着いた、という感じの景観。
 乗り換えてシカゴへ。ミッドウェイ空港からギャラリーのあるDamenまではオレンジからブルーラインに乗り換える。高架線が高層の間を縫うように走る。人の気配は少ない。スーパーマンに出てくる夜の街みたいだな。
 Yuko & Mariko、アルチュール青山さんと無事に落ち合い、ギャラリーオーナーのエリックとともに飯。シカゴは思ったより暖かい。この冬でいちばんの暖かさだそうだ。


20050203

■ジェスチャーのトランスクリプト

 せっせとトランスクリプト。

 ジェスチャー分析の書き起こしには、タブがとても重要だ。複数の人間によることばと体の各部位の動作がいかにそろっているか、それをうまく表わすには、 縦のラインがしっかり揃ってくれないと困る。PowerPointではこれができない。InDesignはIllustratorに比べればずいぶん簡単 で、それでいてテキストのタブ揃えがじつにスムーズにできる。あとはMovieやファイルのリンクを覚えれば、かなり使えそう。
 発語とジェスチャーの縦の線がどこで揃っているかを見ていくと、おもしろいアイディアがいろいろ沸いてくる。だから、この作業がスムーズにかつ楽しくできることはとても重要だ。

■ノームとルール

 人は自分のしぐさに、じつは簡単な文法のようなものを作っている。「のようなもの」と書くのは、それがルール(規則)というよりもノーム(規範)だからだ。ルールならば、破られた時点でコミュニケーションはブレイクダウンする。しかしノームならば破られたら繕えばいい。そして繕い方にもノームがある。なぜなら繕いは破れの歴史を負うからだ。負いたくなくても負わされる。それはしぐさの受け手が、破れと繕いのあいだに発し手の意図を読もうとするからだ。この、破れと繕いのあいだに差し挟まれるさまざまな言い淀み、しぐさの淀みを見ることで、少しずつではあるが、日々の微細な体の動きが持つ秘密がこじあけられる。

■ロサンジェルスにはろくな長袖がない。

 明日からシカゴに行くので長袖のシャツでもと思って衣料品店のRossに行ったが、見事なまでに半袖シャツしか置いてなかった。トレーナーも品薄でほとんど買い物にならない。冬支度はシカゴでするしかない。ネットで天気予報を見たら、ここ数日は0度から5,6度のあいだを動くらしい。まあ彦根なみということだろう。ねぐらとなるHeaven Galleryのそばはどうやらショッピング街らしく安い服も適当に買えそうなので、とにかくありあわせのシャツとセーターとオーバーをがっしり羽織って行くことにしよう。


20050202

■大学生活

 午前中、 Candyの講義。軍隊における Speech ActのビデオをCandyが流すと、軍隊経験のある学生が実体験を話す。
 Ackermanの旅行代理店でシカゴ行きのチケットを入手。代理店の壁にはアイン・ランドの「Atlas Shrugged」の引用文。「このつかの間、この気分が続くあいだ、完全に身をまかせよう、なにもかも忘れて己を解き放つのだ。ゆくがままに。コントロールを手放せ。この感じだ。」なるほど、こういうあおり文句で旅情をくすぐるのだな。

 家でトランスクリプト。シマコさんにグロスの書き方を教わる。 J. Heritageの発表は「Knowledge and Experience」。知識と経験はどのように「語り手の唯一の経験」として構築されるか(あるいはされないか)について。トークの中に感情の山のようなものがあって、それが発語のオーバーラップのタイミングに現われる。このあたり、なかなか定式化がむずかしい微妙な問題なのだが、会話における感情の揺れというのは確かに重要で、今後何度か考え直す必要がありそう。

 帰りにAckermanで InDesignを買ってくる。 PowerPointのお仕着せテキストではトランスクリプトがまともに書けないので、Chuck流に InDesignに乗り換えることにしたのだ。Chuckは、どのソフトをどう使ってジェスチャーや発語のトランスクリプトを作るかについて膨大なマニュアルを作っていて、とても助かるのだが、いつこんなのを書く時間があるんだろう。


20050201

 充実の朝飯を終えて Yuko & Marikoの二人はポートランドへ。ぼくは今日の発表内容を準備。ムービーを何度も見直すといくつも新発見が。

■発表

 今回はデータセッション風にひとつのムービーを見せるのに終始したのだが、いつもは「 Great, great, great」と言っているChuckがどんどん鋭い質問を投げてきて、エキサイティングだった。多人数会話における指さしと視線の交錯を語らせたらChuckの右に出るものはいないわけで、ぼくの気づかないポイントをいっぱい指摘してもらってすごく勉強になった。さっそく帰って図をいくつか書き直す。