- 20010113
- スキャンした明治30年代後期の浅草十二階の絵葉書をデスクトップの背景にしたら、すっかり見とれてしまい、しばらく何もできなかった。
柳の葉がすっかり落ちてるからたぶん季節は冬で、池の端には簡単な柵がほどこされていて、石が積まれている。道は乾燥しているが、雨の日はぬかるみそうだ。塔を見上げながらその道を進めば、そばの柳との遮蔽関係がみるみる変わっていく。回り込んでいけば茶屋の前を過ぎると、中将姫のどでかい看板が塔の姿をふさぐ。その看板は千束館の活動写真のもので、そこでかかっている活動の題名をちらと見て、今のひさご通りの南端にたどりつく。そこはもう十二階の入口のすぐそばだ。首が痛くなるほどそれを見上げながら、さらに回り込んで玉乗りの大盛館前に出る。あちこちが剥がれた貼り紙に、古風な玉乗りの絵が描かれている。少し下がって清遊館の前を過ぎ、萬盛庵の蕎麦もいいが、そこで絵葉書は途切れているから、池にかかった橋を渡り、藤棚ごしにまた十二階を仰いで、池中の小島の茶屋「橋や」ののれんをくぐる。その奥座敷からはまた十二階が見えるだろうか。
この絵葉書には人の気配がない。だから池の周りを素直に巡ることになる。別の絵葉書だとそうはいかない。たとえば浅草観音堂裏、淡島堂前に点々とする人々を見はじめると、その人の場所にいちいち風景が移動し、一つの絵葉書からいくつもの風景が生まれだす。それらは必ずしも整合しない。たとえば向かい合ってあいさつする人はお互いまったく別の風景を見ているのだから。
風景のなかに現われてくるひとつの村や町の、いちばん最初の眺めが、あのように比類なく、そして二度と取り戻しえないものであるのは、そうした眺めのなかに、遠景が、近景ときわめて厳密に結びつきながら、共振しているからだ。まだ慣れは働いていない。とりあえず様子が分かりはじめると、風景はたちどころに消えてしまう。ちょうど建物の正面が、建物のなかに歩み入るときに消えてしまうように。周囲をくまなく調べようとする、不断に存在し習慣化している意識によって、後者[近景]が[遠景よりも]優位に立つ、ということが、最初はまだ起こっていなかった。その場所の様子がひとたび分かりはじめると、あの一番はじめの像は、もう二度と復元できない。 ベンヤミン「拾得物保管所」(「一方通行路」ベンヤミン・コレクション/浅井健二郎・久保哲司訳/ちくま学芸文庫)
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