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2001年1月a

20010115
 二元配置分散分析をしようと思ったらSPSSのパッケージが足りなかったことやら大昔に作ったHyperCardベースのQuickTime映像解析ツールのカレントタイム関数が6分ごとに一桁繰り上がることを発見したりする。つまり、今まで6分以上のビデオ映像を解析したことがなかったのだな。
 下水道文化研究会からバルトン資料があれこれ届く。水道業績については知らなかったことが多くあれこれ勉強になる。一方で、写真家としてのバルトンに関しては相変わらず謎多し。とにかく巷にあまりに三次、四次資料が流布しすぎている。せめて二次以下の資料にアクセスしなければ。また写真新報や写真叢書を洗い直すか。来週は東京だな。

20010114
 千林へ。「ウイメンズパフォーマンスアート」。Yuko Nexus6、上田假奈代と、知己の人のパフォーマンスには、その人の年の経方と、年を経てなお行われている葛藤が感じられる。それは、音の荒々しさとか声のゆるやかさとは別の、息のつぎ方やトラブルの回避といったふとした瞬間に表れてしまうことだ。
 この日圧倒的におもしろかったのは山岡佐紀子のパフォーマンス。バスケットボールを至近距離で投げる勢いを見ただけでも来た甲斐が合った。

 千林の古本屋で数冊。カラーブックス「レディーのノート」など。「どのくらい待つことができるかということは決して恋の尺度にはなりません。恋愛感情においては、待つことは結果であるよりも原因であることがしばしばだからです。少なくともあなたを数十分、もしかして一時間近くも待たせたからといって、彼の恋愛感情が稀薄であるという証拠にはならないのです。」など、微妙に仮想敵の分からない文章が満載。
 グランドビル30F紀伊国屋で「まんがサガワくん」と鈴木翁二数冊。無意識の邪気払いか。だとしても鈴木翁二に失礼。
 さらに旭屋書店で買い逃していた「明治・大正文学史(2)」。勝本清一郎の執拗な資料収集(花袋のよんだ経から訪れた寺までチェックしていて、なおかつ「笛吹川」の生原稿を握っている)を読んで、いっそすがすがしい気に。もう資料で勝負する必要はないや。

 「風景」とは、ここで何より、単なる未知のものでもなければ単なる既知のものでもない、未知と化した既知の「現れ」なのである。人々は、自分の身の回りにあるものが、それ自体何一つ変わっていないのに、それが全く違うものに見える、あるいは見えていたにもかかわらずそのことに気づかなかった、という、そのことを教えられて驚いた。(加藤典洋「日本風景論」講談社文芸文庫)

20010113
 スキャンした明治30年代後期の浅草十二階の絵葉書をデスクトップの背景にしたら、すっかり見とれてしまい、しばらく何もできなかった。
 柳の葉がすっかり落ちてるからたぶん季節は冬で、池の端には簡単な柵がほどこされていて、石が積まれている。道は乾燥しているが、雨の日はぬかるみそうだ。塔を見上げながらその道を進めば、そばの柳との遮蔽関係がみるみる変わっていく。回り込んでいけば茶屋の前を過ぎると、中将姫のどでかい看板が塔の姿をふさぐ。その看板は千束館の活動写真のもので、そこでかかっている活動の題名をちらと見て、今のひさご通りの南端にたどりつく。そこはもう十二階の入口のすぐそばだ。首が痛くなるほどそれを見上げながら、さらに回り込んで玉乗りの大盛館前に出る。あちこちが剥がれた貼り紙に、古風な玉乗りの絵が描かれている。少し下がって清遊館の前を過ぎ、萬盛庵の蕎麦もいいが、そこで絵葉書は途切れているから、池にかかった橋を渡り、藤棚ごしにまた十二階を仰いで、池中の小島の茶屋「橋や」ののれんをくぐる。その奥座敷からはまた十二階が見えるだろうか。

 この絵葉書には人の気配がない。だから池の周りを素直に巡ることになる。別の絵葉書だとそうはいかない。たとえば浅草観音堂裏、淡島堂前に点々とする人々を見はじめると、その人の場所にいちいち風景が移動し、一つの絵葉書からいくつもの風景が生まれだす。それらは必ずしも整合しない。たとえば向かい合ってあいさつする人はお互いまったく別の風景を見ているのだから。

 風景のなかに現われてくるひとつの村や町の、いちばん最初の眺めが、あのように比類なく、そして二度と取り戻しえないものであるのは、そうした眺めのなかに、遠景が、近景ときわめて厳密に結びつきながら、共振しているからだ。まだ慣れは働いていない。とりあえず様子が分かりはじめると、風景はたちどころに消えてしまう。ちょうど建物の正面が、建物のなかに歩み入るときに消えてしまうように。周囲をくまなく調べようとする、不断に存在し習慣化している意識によって、後者[近景]が[遠景よりも]優位に立つ、ということが、最初はまだ起こっていなかった。その場所の様子がひとたび分かりはじめると、あの一番はじめの像は、もう二度と復元できない。
ベンヤミン「拾得物保管所」(「一方通行路」ベンヤミン・コレクション/浅井健二郎・久保哲司訳/ちくま学芸文庫)

20010112
 原稿。をかべでちゃんぽん。やたら寒い。夜はたこ焼き。原稿に手が着かなくなるとTVをだらだら。明治編年史(明治二四〜二六年)を通読。

20010111
 原稿。ただでも低い事務能力はさらに低下。とにかくこの頭の皿の水をこぼさないようにすることで精一杯だ。
 卒論も佳境に入ってきたが、昨年ほどバシバシの指導はしない。でも、卒論は卒論生が書くんだもん、これが当たり前だよね。

 十二階の設計者バルトンの件で日本下水道文化研究会に問い合わせ。バルトンは東京をはじめ明治に日本各地の水道設計を行なった。明治のコレラ禍がいくらかおさまったのは彼のおかげである。

 原稿に行き詰まって折に触れて開くのは前田愛の本。樋口一葉が写真に写るときに隠そうとする生の手。そういう機微に触れていく大人の色気が彼の思考には常にある。一葉の手に触れながら、読み手の手の甲をさらりとなでていくようなところがある。それだけのことで、読み手は自分をさわるものを知り、自分をさわらせるまいと衣服にさわらせている自分を知り、衣服にさわられている身体と衣服ではない何かにさわられている身体があることを知り、二つの身体を区切る袖口に気づき、少しだけ袖をたくしあげてみたりするのだ。いやん。

 夜、(大島渚の)「日本春歌考」。ちょうど浮世絵のカタログで日清・日露の毒々しい赤を多用した錦絵を見たところだった。勝ち絵としての春歌、壮士節から始まった春歌について。

20010110
 いまごろ昨年の8月のドイツでの日記更新(8/20-)。じつはいちばんあれこれ考えた時期なのだが、書ききれぬままその時書きなぐったのをほぼそのままアップしておく。ゲーテの家で考えたことはもう少し寝せて置こう。

 原稿。まだ浅草十二階こと凌雲閣が建って一年しか経っていない。連載時よりは読める出来になりつつある、と思っておこう。
 日本映画史100年(四方田犬彦/集英社新書)。戦前・戦中のコンパクトで充実した流れ。何よりも、百年を書き切る体力。パースペクティブを作りパースペクティブを忘れる胆力。

20010109
 葦書房から「新聞集成明治編年史」全巻。一昨日の注文で今日届く。速い。
 ずっとこの本を図書館によく置いてあるあのごついB5判だと思っていたが、届いてみると昭和57年版はB6判だった。持ちやすくてありがたい。さっそく机の前に15冊並べてあちこち読む。
 明治編年史はダイジェストだから、当然ここから先はマイクロを回し縮刷版を指でなぞる作業が開けている。幾つか間違いやトラップがあることも分かっている。が、ざっと読んでその時代の感触を掴むには、悪くない分量だ。見出しの付け方やレイアウトも喫茶店の新聞気分。

 「たけしの万物創世記」で横浜ランドマークタワーの話。エレベーター設置やクレーン撤去の話など。やっぱ現場の話はおもしろい。

20010108
 さらに原稿。
 何年かぶりにきつねうどんを作る。きつねどんべえは死ぬほど食ってるが、普通のきつねうどんはめったに作らない。作るといっても、こんぶとチリメンジャコでダシとってアゲを砂糖としょうゆで煮つつ、うどんつゆ作ったら、あとはうどん煮るだけ。しかも冷凍めん。このような、いまひとつこだわりに欠ける、労力のわりにさほど報われないと予感される作業こそ逃避にふさわしい。で、味はというと、あ、けっこううまい。
 二年前に書いた原稿はまだ未熟だったことがよくわかる。資料収集には終わりがない。が、いつまでも新資料を補充しているわけにも行かない。ある時点での構図を書ききれるかどうかが問題。

20010107
 朝、宇波君が来る。午前8時から大橋節夫やエセル中田のハワイアンを聞いて、くー、とか、かー、とか言う。いったん寝て昼過ぎ起床。かんぽの宿の温泉へ。脱衣所に入るなりおじいちゃんが一人横になってて、声をかけると相方の名前を細い声で言うので、女湯に呼びに行く。その相方の女性がやってきておじいちゃんの身体を触るなり「いやあ、冷たくなってる」というのでどきりとする。そのうち宇波君が呼んだフロントと救急車がやってきたが、しばらくするとおじいちゃんは起きて「トイレに行く」。無事だった様子。
 宇波君を送ってからソバ。帰って原稿。ゆうこさんのカレーうまし。原稿。飛び飛びで持っている新聞集成明治編年史を読んでいるうちにどうしても全巻欲しくなり、ネットで注文。朝方、ビール飲みつつ家族話。

20010106
昼過ぎ起きてマクドで飯、夕食は煮物にオクラなど。夜食はイワシ缶茶漬(だいぶ前に安田理央氏の日記にあったやつ)。ずっと原稿。

20010105
珈琲をいれて原稿を書く。歌の入ったCDはフィービー・スノウ以外かけない。カレー、ココスで飯、夜食はスパゲティ、朝まで。

20010104
 さらに原稿。息の長い文章を書くためには、セッティングが必要。というか、セッティングが必要な気になってしまう。珈琲をいれたり飯を作ったりTVを見たりする。傍目には遊んでいるようにしか見えないかもしれないけど、これはセッティングなのであり、心中はシッテンバットーである。高座の三木助である。そしてセッティングをし終わったところで一日が終わってしまったような気がする。二十枚書いたがすぐにあちこち直したくなってしまう。

20010103
 原稿。
 「地下鉄のザジ」をビデオで見直していたら最後の次々とガラスが割れる音に興奮した猫が部屋をあちこち飛び回り始め、モニタの中も外も大騒ぎになった。

20010102
 起きて数時間を食卓で過ごす実家。彦根へ。CD屋もレンタルビデオ屋もタコ焼き屋も空いていて、もう普通の日。
 夜中、レンタルしてきた「バッファロー'66」。ム所を出て、はっきりした行き先は用を足す場所だけ。用を足す場所さえあれば。つまり行き先はどこだっていいってことだ。ぴったりしたパンツ。毛のなさ。尿意と寒さでぴったり閉じられる毛のない足。車の陰すら奪われる肌。毛のなさを覆うようにくどいほど繰り返されることば。

20010101
 明け方まで録画してあった「猿の惑星」(10年前のCM付き)を見る。バルトの「エッフェル塔」を(気分だけは)畳の上で正座して読む。
 JRから近鉄、京阪と乗り継いで実家へ。びっくりしたのは、京阪の特急が丹波橋と中書島で止まるようになってたこと。ここもか、と思ったのは駅前にスターバックスができてたこと。腰がくだけたのは京阪の新標語「京阪乗る人、おけいはん」。なんじゃそら。
 姪二人はまた大きくなってた。どこで覚えてきたのかオリジナルソングなのか「だかあらわたしーは、金がーすきー」と歌う。田島?

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Beach diary