11月後半 | 携帯 | 月別 | 12月後半

20001215
 ICレコーダーとパソコンとの間でmp3ファイルのやりとりができると、ろくでもないことをいっぱい吹き込んでそれを全部パソコンで管理できて楽しいだろう・・・
 と思い、各社のICレコーダーの中で記録媒体の使えるものを探すが、なかなかこれというのが見つからない。

ソニーのICD-MS1はメモリスティック対応で、保存形式が独自のmsvという音声ファイルで、付属ソフトで変換できるのはdvf,msv,ics,wav。比較的汎用性が高いWAVE形式が使えるのでぎりぎりオーケーという感じだが、いったん専用ソフトを使わないといけないのがまだるっこしい。VAIOをはじめとするIBM PC/AT互換機を持ってれば便利かもしれないけど。

東芝のDMR−SX2はスマートメディア対応なのだが、こちらも独自の音声形式を使っているらしく付属ソフトがセット。mp3への対応がどうなってるのかはWWWで調べた限りではよくわからなかった。

アイワのMM-FX500はマルチメディアカード搭載でしかもmp3エンコーダがついてる。これはかなり有望か?と思ったが、WWWの案内によると「著作権保護機能」が搭載されていて、


1.パソコンから本機へMP3データを戻す際には、送り出し時と同じMultiMediaCardにのみ転送が可能です。
2.パソコン本体でMP3データを再生する際には、送り出し時と同じMultiMediaCardをセットした本機がパラレルポートに接続されている必要があります。


というわけで、むろん不正コピー対策なのだろうが、ネット配信まで考えているものにとってはこれでは使えない。

 つまり、各社ともmp3に対して微妙に障壁を作っているというわけだ。どうもまだるっこしいなあ。要はマイクで拾った音を即mp3みたいな圧縮率がよくてネット配布に便利な音声形式で保存できて、波形ソフトでばんばん処理でき、ついでにアップロードも楽々、という線が欲しいんだが。当面はやはり音声出力からちまちまと取り込む線か。ちなみにぼくの持ってるのはパナソニックRR-QR240で、昔のライターくらいの重さでけっこう気に入ってる。

 銀座街でビッグバンドの演奏を読んでから、近さんと大名寿司で学会大会の慰労会。ずいぶん飲んだ。

20001214
 都々逸は「七七七五」だ、ということになっている。でも、それを短歌のようなかっちりとした数だと考えると、三亀松の都々逸のおもしろさは抜け落ちてしまう。都々逸は何より声によって唄われる。たとえば

ねえ貴方
もうこんなになっちゃったと(ハ)
鬢かきあげて
忘れちゃ(ハ)いやです
今のこと

という三亀松の都々逸は、最初の「ねえ貴方」という投げ言葉(五字かぶり)を除けば、一応七七七五という格好で説明はつく。が、その七という数字の意味は唄の中で変わる。

 「もうこんなになっちゃったと」は、「[もう][こん][なに]〜[なっ][ちゃっ][た]〜[と]〜」で、七なのだ。一方、「鬢かきあげて」は音だけ数えれば七だが、その七つの音は、あるいはまとめられあるいは切り分けられて、「[びん][か][き]〜[あげ][て]〜」と唄われる。つまり、「七」とは、一つ一つの音を指すこともあれば音のまとまりを指すこともあるという融通無碍な数字であり、七を数えさせながら七を数えそこねさせるスピードの加減ぶりが都々逸の聞きどころの一つとなる。

 さらに言えば、七七七五という四節の切り分けだって便宜的なものだ。三亀松は「鬢かきあげて〜忘れちゃ」と二節から三節までをなだれこむように唄う。聞いてる方は「鬢かきあげ」る女の描写のつもりでいるから、「忘れちゃ」というのもその描写の続きかと一瞬感じる。その刹那「ハ」と合いの手が入り感覚は寸断される。次に起ちあがる言葉は「いやです」と、じつはそれは描写ではなく、いつのまにか女のセリフになっていることに気づき、聞き手はぎょっとする。描写なのかセリフなのか、見ているのか聞いているのか、景色なのか声なのか、揺らされぎょっとしたその七七七が、「今のこと」と女の声でまとめられるとき、聞き手はぎょっとしたのが女のせいではなく取り込まれた自分のせいかと思い、自分の方こそこんなになっちゃったのではないかと思い、さらにぎょっとするのだ。「いかが」「だめだよ、あんまり刺激がありすぎるよそりゃだめだよ」

 仕事を終えて、みぞれ混じりの川沿いを自転車を飛ばして彦根のとあるレストランに。ゆうこさんは店を探して体が冷えきり不機嫌の極み。険悪なムードの中食事は始まったが、出てきた料理のあんまりな味に、「これ、ひどいね」「うん」と話を再開。冷えた心がうまい料理でなごむ、という話はよく聞くが、まずい料理で仲直り、というのもあるのだな。マイナス共闘。

 夜半を過ぎて、「銃・病原菌・鉄」(ダイヤモンド/草思社)読み始める。噂にたがわずおもしろい。イームズ夫妻みたく、人類の起源や農耕の発生と伝播を時間スケールのあるアニメーションにしたい気分。

 農耕とは、刺激後にとてつもなく長い遅延を経たできごとを「報酬」と感じることのできる脳の出現のことなのかもしれない。ただし、そうした脳は突然現れたのではなく、植物のさまざまな突然変異(蒔けばすぐ生える、種が散逸しない、変異が定着しやすい自家受粉システムなど)の特性に助けられながら徐々に成立した。

 6章の狩猟採集民と農耕民との対比(ただしそれが必ずしもはっきり二分できるものでないこと)を読みながら、なぜか中上健次の「千年の愉楽」を思い出す。狩猟採集民の「野蛮さ」が農耕民と対決したときの弱さが想起させるはかなさのせい? あるいは狩猟採集民と農耕民の二分化としての血統の登場、そして狩猟採集民の消滅としての路地の喪失? 

20001213
 小川珈琲で近さんと花輪和一「刑務所の中」の話。神秘に関わる二つのあり方:肥大した近代的自我が安い神秘を持ち上げる場合と、愚鈍過ぎる精神がとんでもない神秘を作り上げてしまう場合。どちらに圧倒されるかといえばそれはもう後者なんであって、前者になんかてんで興味ないよねえ、という話。で、近代的自我は花輪和一に圧倒されるしか能がない。

 別冊日経サイエンス「心のミステリー」に遺伝学と犯罪率に関する議論「犯罪要因を探せ」が載っているのに気づいて読む。犯罪問題に関しては米国の方がマイノリティ問題(たとえばマイノリティを調査の対象にする/対象からはずすという問題)も含めてより深刻だし、良くも悪くも遺伝学や心理学の応用に関してきわめて積極的。
 それにしても「Seeking the Climinal Element」を「犯罪要因を探せ」とは、「Looking for Mr. Goodbar」を「ミスターグッドバーを探せ」とするようなもんではある。誰が誰に命令してんねん。レッドオクト−バーを探せ。

 昨日撮った銀座光路の映像を使って紹介ページを作る。

20001212
 仕事仕事。学部懇親会。帰りにACTに寄る。
 三亀松花柳情緒。耳で聞く「感じ」。


女: でも、うれしいわ、なんだかあたし。こんなに感じが出たの初めて。
男: ほんとかい。
女: ほんとよ。なんともいえない感じだわ。

婆や:姉さん!
女: おまえ声出さない方がいいわ、感じが出始めるとおまえ声出すから、なんか谷底へ蹴落とされたような気がするよ。なんだよ?
婆や:こちらの旦那、お泊りになるんですか?
女: 馬鹿・・・泊まるか泊まらないか、いつもと違ってあたしがこんなに感じ出してんの婆や分からない?お泊りになるんじゃないか。
婆や:寝間着はこないだの旦那の寝間着でいいんですか?



20001211
 とんでもない風の中を大学へ。卒論はいよいよ佳境に入ってきた感じ。週末に貯まったあれこれ事務処理を済ませるとあっという間に7時。雹混じりの雨の中を銀座商店街へ。

 彦根の銀座商店街の空き店舗に布をかけ、ライトをつける試み「銀座光路2000/2001」がスタート。さっそく見に行く。通りには銀座の歴史をプリントした白い布があちこちに張られ、コメントもいかしていた。ACTの人たちの企画力も実行力も格段に進歩しつつあると思う。

 スタッフの話では、全部が完成したのは朝の3時だったらしい。そしてこの強風で洗濯物現象(ばふばふとものすごい音がする現象)が起こったため布の一部を緊急撤去したとのこと。
 これから15日、風の強い彦根でのメンテナンスは大変だろうと思う。
 12月10日〜12月25日の17:00〜21:00に灯っているので、お近くの人はこの機会にどうぞ。天気のいい日はおすすめ。場所は地図を参照

20001210
 クラウンでモーニング。
 銀座線、京王線を乗り継いで東大駒場へ。人間行動進化学研究会二日目。久しぶりに柴坂さんに会う。発話行為論を行動学に乗せる試みについて野澤元さんと話。発話内行為、発話媒介行為を考えるときに、じつは理想的な話し手と理想的な聞き手が想定されていることが問題。サールが間違いとして排除するような例を実際のデータで拾い上げていかないと、発話が実際に何を媒介しているのかは見えてこないのではないか、と思う。ちなみに発話タグ(人工知能WG)がサールと異なる点は、実際のデータを扱うことで(サール流の)発話行為論が排除してきた事例を正面から考える機会を持つ、という点だと思う。

 午後のシンポジウム、行動遺伝学と法学の接点を巡る話かと思ったが、すれ違いの感あり。「生物学で法律を説明できるか」という和田氏の話。法の内容を従来の進化モデルの結果と比較する前に、法の特殊な性質(利害の第三者が刑の執行に専門的に関わるという性質)を組み込んだモデリングが必要じゃないのかと思う。

 行動遺伝学という研究を何らかの社会的規範に照らすのが目的なのであれば、遺伝学の応用の最前線にアンテナを張っている人、たとえば立岩真也氏のように生殖技術と倫理を扱っている人との議論を試みたら、より話が具体的になったのではないか。

 東京駅でカツ丼、車内で鹿島茂「絶景・パリ万国博覧会」(小学館文庫)。サン・シモン主義者の鉄文化礼賛、事物教育の有り様(「連日、万博帝国委員会に対し、蒸気が十分供給され、すべての機械が完全に作動するよう十分に注意を払うよう命じられた)p150)を読んでミュンヘンのドイツ博物館を思い出す。ひとつひとつの出品例はおもしろそうなのだが、さらりと書かれていてもったいない感大。p276にパリ万博に出品されたレオン・エドゥーのエレベーターの記事。p322の「二眼レフカメラ」とはステレオカメラのこと? p336, 342の「ディオラマ」の構造は?

 帰って、花輪和一「刑務所の中」。素晴らしすぎ。突如挿入される「四つ菱文様の畳縁」そして「鵜の鼻」にノックアウトされる。

20001209
 朝、旅館に届いたのは「猫の生野菜」のパッケージに入ったAC電源。
 午前中に、浅草に最近できたTEPCO電気館へ。場所は駒形どぜうの向かい。凌雲閣のエレベーターがあるというふれこみだったのだが、行ってみると、ただのエレベーターのそばにパネルが貼ってあるだけ。なあんだ。
 浅草文庫はここから雷門前に移り、そしてまたここに戻ってきた。サトウハチロー「ぼくの東京案内」、室生犀星「蒼白き巣窟」。あと、戦後まもない頃に出た詳細な浅草案内。
 早い昼を「より道」で。定食の平がつおがやたら旨いので聞いてみると、館山でご主人自ら釣り上げたやつだそうだ。

 午後、人間行動進化学研究会。吉川さんの周辺視提示実験の話。表情によって注意の定位の大きさが違うというアイディア。

 自分のポスターは「話者間の距離とジェスチャーの空間表現」。動物行動学会とほぼ同じ話。進化研究会むけにつけ足したのは次の文章。


コミュニケーション能力に対する他者の評価は適応価に関わる。
コミュニケーション能力には行動形質のセットが関わる。
:この2つの点が、コミュニケーションの適応的側面の研究の根拠になる。ところで、現在主流に行われている次の2タイプの研究には、コミュニケーションの文脈の扱い方に問題がある。

1.特定の行動形質を提示し、それに対する他者の評価を考える研究の場合(行動刺激の提示実験など):
○行動刺激と評価を対応させやすい。
?行動の起こるコミュニケーション場面(文脈)が捉えられない。

2.コミュニケーション場面に関わる行動形質セットを一つの行動と捉え、それに対する他者の評価を考える研究の場合(社会的行動に関する実験など):
○行動形質セットと評価を対応させやすい。
?セットに含まれる各行動形質が異なるコミュニケーション場面(異なる文脈)にどう関わるかが捉えられない。

これらに対し、コミュニケーションの微視的行動の研究は、行動形質と評価を対応させるのに手間がかかる一方、どのような行動形質がどのような場面(文脈)に関わるかを明らかにする点でメリットがある。


 懇親会で三中さんと話。「来る電車の中で例の『銃・病原菌・鉄』を読んでしまいました」とのこと。どう考えてもぼくよりずっと忙しそうなのに何であんなに精力的に本が読めちゃうのか。

 浅草に戻る。久しぶりに「ひさご湯」に行ったら、川の絵が男湯と女湯をまたぐように描かれていた。岩々や山々の作る遮蔽が奥行きを生む、パノラマ風の絵。上州老神(?)というサインが読めた。
 

20001208
 午後から東京。翔泳社で井浦さんと打ち合わせ。パソコンのACアダプタを忘れたのに気づく。ゆうこさんに宅急便をお願い。
 浅草へ。金寿司でちょっとつまむ。昔は花川戸の靴の袋さげてた客が多かったけど、最近はユニクロが多いねえ、という話。つくしでもんじゃ。宮田レコードでCD。三平と三亀松を寝床で聞く。三亀松の声はマイクを通してもほとんど完璧なコントロール。合いの手の「はあ」の間の抜け方がすばらしい。三平がせわしなく吸う息の音。

20001207
 仕事仕事。

20001206
 講義、ゼミ、ゼミ。聴講生の方が講義後あれこれ発明品を持ってきて見せてくれる。しかし、そのアイディアはどういう風に使えるかという話にさしかかると、特許をまだ取ってないので他言は無用だと言われる。となると、うんうんとその品々を認めることしかできないのだが、これは苦しい。

20001205
 「認知言語学の発展(坂原茂編/大修館書店)」。田窪・金水の談話管理理論の章が目当て。前に書いた「あれ」の話は、じつは談話管理理論のD領域、I領域の考え方を使うとかなりうまく説明できる。ミソは、聞き手の共有知識を前提としなくていいところ。

 談話管理理論のもう一つの魅力は、「領域」という概念を使うことで(神尾の「情報なわばり理論」とは別の意味で)空間概念を援用した理論になっているところ。D、Iという領域が、ジェスチャーの空間表現によってまんま表現されている可能性を考えたくなる。

 それにしても、I領域とD領域を使い分けたくなるその力はどこから来るのか、I領域とD領域が想起させるものは何か。
 共有知識を推測しようとするとループになる、という現象は、必ずしも避けるべき事態ではなく、むしろ人間の言語能力の一部として捉えられるのではないか。実は、会話とは、共有知識推測のループの破綻(Opening up closing)であり、言語人生じたいが壮大な共有知識推測のループなのではないか。

20001204
 野口君は赤いロードスターをマンガの主人公のようなメリハリで運転する。その運転で小松から金沢へ。兼六園、時雨亭の庭のつつじと紅葉。緑から垣間見える黄色と赤。夕顔亭前の瀧。ぶらぶら歩いて寺島蔵人邱。ここにも末広がりの瀧のようなドウダンツツジ。さらに歩いて近江町市場。あいにくと食堂は休み時間で近くの廻る寿司へ。サバとハマチが旨すぎる。もうええっちゅうくらい食う。食った勢いでつい、市場でカニを二匹買ってしまう。二匹で4000円なり。一匹はお向かいにおすそわけだな。

 それからまた野口君のメリハリのきいた運転で福井まで送っていただく。
 電車が来るまで小一時間あったので駅前の古本屋で樹村みのり「flight」300円、「日本の漫画家:一線作家傑作集(伊藤逸平編著/昭和31年)」。JR車内で読む。戦後すぐ、よくも悪くもマンガは美術に近づきたがっている。文春漫画賞第一回が谷内六郎だもんな。ひとコマ風刺画というジャンルの中に久里洋次、やなせたかし、小島功、長新太といった人たちが集っているのも妙。気になるのは六浦光雄の絵。

 帰ってからカニを煮て食う。足は鍋用と煮物用に分ける。鍋には一度煮終わった胴を丸ごと入れてミソも何も一緒に。旨すぎるダシ。胴体を取り出して足の根もとやらミソやら乳白色の部分やらほじくり出して食ってると、次々変わる味景色(tanguescape、とでも呼ぶか?)、初めてカニを煮て食べた人類の驚きが分かる気が。

20001203
 まつさきは朝飯も充実。一夜干し旨し。
 「Searle on Conversation」の読み合わせ。最後に読んだDascalの「実はサールは語用論者ではなく意味論者である」との指摘に一同頭がスカッとする。昼から始めて結局夜9時近くまでかかる。まつさきにもう一泊。夜中に来て朝に帰るとは無粋な客だが仕方がない。石崎さんにはメチャクチャお世話になった。
 
 

20001202
 朝、「歌ってオドロンパ」「マテマティカ」(新聞欄では「マテマテ」)とNHK教育で気持ちよく目覚めた後、昼前から「インタラクション」(上野直樹・西阪仰/大修館書店)の合評会。JAISTのコンファレンス・ルームはソファで構成されたスタジアムといった観でうらやましい限り。寝転がって話すも可。着脱可能ソファをはずして体を埋めると風呂気分。
 旅館まつさきは泉鏡花ゆかりの宿。料理旨すぎ。
 伝さんが昔京都の田中大久保町のあたりに住んでいたことがわかり、ランドマークをあれこれ言い合う。ほどよく記憶が欠落しているので、迷路を巡るような想起感。
 風呂は24時間入り放題。飲みながら寝たり起きたり。

20001201
 ゆうこさんの運転で紅葉の北陸道を飛ばしてJAISTまで。車中でStreeckの論文を読む。昼過ぎには到着。やはり彦根は北陸だと思う。
 午後、マップタスクのセッティングを待ちながらStreeckのレジュメをパワーポイントで作る。午後7時、初体験のマップタスクはいろいろおもしろかった。夜中過ぎから自由会話録音。眠たくて2時ごろには寝てしまう。突如がばっと起き、「もうみなさん、寝ましょう!」と叫ぶ。宿に着いたのは朝の3時過ぎ。

11月後半 | 携帯 | 月別 | 12月後半

Beach diary