月別 | 見出し1999.1-6 |見出し1998.8-12



20000115
Ego exchangeを改変。現在、物語は各10。

久しぶりにピアノを引きつつキリンジの曲など歌う。歌うといろいろわかる、目に見えないカーブの切り具合とかフレーズを乗り越えていく息の長さとか押しつけがましくない声の出し方の工夫とか。「双子座グラフィティ」はこの前見たグッドモーニング・バビロンのテーマみたい。

ドリキャスの「スペース・チャンネル5」。これはダンス版ドラゴンズレアか?といっても、難易度は高くなくて、ボタンを押すタイミングがリズムにはまると気持ちいい、ということだけでできている。この振りつけであんなキャラを躍らせたい!ってのがはっきり伝わってくる。音楽のバリエーションにも納得、値段に見合う内容。3時間ほどで裏面までクリア、ごちそうさまでした。「とりあえず踊ってみまーす」というセリフとマイケルのスリラー振りがよかったです。楽しさとプレイ時間は比例しないのだ。
20000114
卒論〆切。無事全員提出。いろいろ勉強しました、ぼくの方が。そのあと寝不足で気持ちよく、焼肉、カラオケ。
いまさらながら歌うことの気持ちよさを改めて感じ始める今日この頃。田中くんとサマージャム’95。スチャはカラオケの一服の清涼剤。いわゆるJ−POP女性歌手たちの自作歌詞を見ながら、歌がうまいゆえに歌わされてしまう世界の鼻持ちならなさを考える。
20000113
卒論指導。
夜中に「グッド・モーニング・バビロン」。イントレランスの象。こんなん兄弟で撮るか。シンバルはハクション大魔王におけるクシャミか。誰かがあの世でシンバルを鳴らしたら、ぼくはこの世から消えるに違いない。
20000112
夜半過ぎにシステムエラー頻発。システムディスクでも復帰できないので、結局、明け方に大学で打ち直し。が、間に合わず、原稿は来月まわしに。こう遅れるのは、大逆事件以降の宙ぶらりん状態をうまく頭に描けていないということだろう。
大正琴の音の軽さ。添田知道の「演歌の明治大正史」。「死んだあとでの極楽よりもこの世でらくらく生活(くら)したい アラ ほんとに 現代的だわね」という現代節は、「先端的だわね」のルーツ?
夜、TVで「木刀奇譚」(漢字でない)。角川博の節回しが現代的だわね。
20000111
さらに。
20000110
原稿。
20000109
原稿。昨日買ったピチカートVで景気をつけるも、景気だけでは原稿は進まない。
さんと岡本さん来訪。
20000108
原稿。が進まず「文字逍遥」(白川静)を見ながら習字。
母から呉の叔父が亡くなったと電話。
20000107
卒論指導。
20000106
クオリアMLに金沢創「他者の心は存在するか」(金子書房)書評。あるいは、他者の思考にまとわりつく「私」と、事物にまつわりつく「私」について。一種のフェティシズム論。
20000105
 久米宏復帰ニュースステーションで、政治家のフリップに卒業大学と血液型。マジなのか?いっそ動物占いの結果でもつけたらいい。

 NHKで昔の新日本紀行。1970年の「熱球の軌跡」(青森・三沢市)、「雪の日・ある港」(青森・深浦町)。よくも悪くも、今のドキュメンタリーとかなり違う空気。「熱球」の太田幸司、三沢の基地風情に黒人バー。「雪の日」の方は、汽笛一声、冨田勲のテーマ音楽とともにズームアウト、走り去る汽車の横を荷馬車、日本の美学でんな。
 ナレーションのないシークエンスがけっこう多い。といっても、長回しで人物に語らせるというよりは、カット割りによって印象形成をもくろんでいる感じ。映像がかなり記号的に使われている。ある意味では、より作り手の作為が見えやすい。
 近年やたら入るようになったスーパーインポーズが、この当時はほとんどない。それがひとつひとつの映像の力を強めている。アフレコでインタヴュー録音を流しているときも、語り手の声以上に1カットの力が強い。
 草柳アナウンサーのナレーションの調子はゆっくりと平坦だが、その内容はかなり仰々しく映像の遠さを規定している。「にぎやかです」「楽しそうです」「さみしい」といった情緒的なナレーションが、逆に映像と語り手との距離を語っていく。ときに個人の生死も扱いながら、遺族の様子を「小さく見えました」「小さな家でした」などと風景を語るように、民話を語るように語る。大きなお世話のようにも思える。まさに「紀行」。ふれあいよりも叙景。不幸でけなげな田舎として、叙景的に描かれる地方。

 
20000104
術と法について。
白川静「字通」によれば「術」の字のまんなかに含まれているのは、呪霊をもつ獣を用いて道路で呪儀を行い、軍の進退などを決する行為であり、「術」は路上でこれからの行為を決定する呪儀である。
いっぽう「法」の字の「去」にがあらわしているのは敗訴者の盟誓の器であり、それは無効を表し、廃されることを表す。つまり、「法」の字にはもともと廃棄や自己投棄のイメージがあったらしい。「法」はあらかじめ排除される存在を含んでおり、排除を生む法制を意味する。

これらのことから、術はその発祥において空間的・時間的に狭い目前のできごとであり、「法」は空間的・時間的に広い効力のできごとだったのではないか、と考えられる。

日本語では術と法はどのようなことばを伴うか。
「術」では、「術をかける/にかかる」「術を解く」と言う。対人的だ。
いっぽう、「法」は「かける」ではなく「布く」。空間的だ。
行為を行為対象の身体から考える思考(術)と行為の場から考える思考(法)。

ところが、これに「魔」がつくと、事情が変って「魔法」は「かける」と呼ぶことができる。「魔」が関ると法は身体っぽくなるのだ。ただし「魔法陣」はあっても「魔術陣」はない。魔法とは、陣のような空間の限定を必要とする魔である。つまり、それほど空間的に広がりのある魔だといえる。
 悪魔くんが「魔法の杖」を使うとき、その魔法の源はどこ(誰)にあるのだろうか。杖か。それとも杖は魔のメディアに過ぎないのか。
 小沢健二が「雨の日は魔法」と歌うとき、その魔法の源はどこ(誰)にあり、その魔法はどのような範囲に及んでいるか。


「字通」に収められた古代文字を筆で書いてみる。ちょうど賀状の返事を書いてなかったので、書き初め代わりに書く。
賀状を受け取った方に解説。えー、二文字で書いたのは「迎春」、一文字で書いたのは「辰」です。ほんとはタツ年は「龍」であり、「辰」は貝を表すのだけど、なんか字がかわいいので「辰」にしました。

20000103
 もう誰かが似たようなこと書いてそうでなにをいまさらだが、「LOVEマシーン」について思いついたことを。
 さて、LOVEマシーンといえば「つんく:作詞・作曲、モーニング娘:歌」、とまず著作権を明らかにしたところで、盛大に引用させていただくとダイナマイト。恋はDYNAMITE。まずこの英語圧縮効果あーんどサンドイッチ効果ですね、LOVEマシーンは。英語の速さでやたら情報が圧縮されてるCHOCOLATE。ちーよーこーれーいーと、ちゃいまっせ。CHOCOLATE。の、スピードでそれまで言ってたことを一言で結論する、これが英語圧縮効果。
 で、この圧縮効果をさらに高めるのがサンドイッチ効果。辞書引いても出てきません、ええねん、なんでもナンタラ効果て言うといたら。つまり、「恋愛って→いつ火がつくのか」「いつ火がつくのか→DYNAMITE」。この二つを「いつ火がつくのか」をはさんで強引に食わせるわけです。「恋愛っていつ火がつくのかDYNAMITE」、はい、サンドイッチいっちょあがり。具を抜き取ると「恋はDYNAMITE」これがサンドイッチ効果。
 さて、このダブルの効果がいわば時限爆弾となってあとで効いてくるわけです。そう、はじめて聞くと一瞬当惑するあの箇所。「日本の未来は(Wow*4)世界がうらやむ(Yeah*4)恋をしようじゃないか(Wow*4)」、ここの揺れがなかなかにインチキくさくてええなー、と思ってるわけです。
 だって「日本の未来は→世界がうらやむ」ってこのご時世に言われてもウソまるだしなわけでしょう。そんなまるだしを言い放っておいていきなり「世界がうらやむ→恋をしようじゃないか」と、国家レベルから個人に突入する。つまり国家の責任はおまえがとれと。「世界」をはさんで国家と個人をサンドイッチで食わせたろ、という強引な大詐術に聞こえるわけです、ここが。「日本の未来は恋をしようじゃないか」日本語おかしいやないけ、そう思うわけです。それも含めて、だまされたろやないか、そんな気になるわけですね。だまされる自分を止められないのが恋。
 さらに加えるなら、娘の左半分が言うてるWowとかYeahとかもクセ者ですね。「日本の未来は→Wow*4」にも聞こえる。未来はどこいくねん。うぉううぉうにいくねん。世界がうらやむのはいえいいえい。ヤケクソです。ご時世にしっくりきます。
 これらウソヤケクソが入り乱れてどこでつながっとんねん、といいたいところでいきなり英語圧縮されてDANCE。だーんーす、ちゃいまっせ。おーまーえーはーだーれーじゃ、ちゃいまっせ。DANCE。つまり日本の未来はDANCEだし、世界がうらやむDANCEだし、恋をしようじゃないかDANCEだし、早い話が何もかもあの田植え踊りみたいなDANCEに圧縮されるわけです。
 そして、あの多方面に発散し過ぎている娘たちがきらきらーっとするのが二番です。「あんたの笑顔は→世界がうらやむ」とミエミエに励ましておいて、しかし「世界がうらやむ→夢があるんじゃないか」と責任をこちらに押しつけるんですね。すなわちサンドイッチ効果で「あんたの笑顔は夢があるんじゃないか」あんた、と言われるわたしの夢は、ねーちゃんの笑顔に裏返るわけです。そんなねーちゃんの塗りすぎた口紅が、暗がりの中でふとええ感じに見えてくるMYSTERY。恋はMYSTERY。
 とはいえ、これらの英語がいわゆるNOVA英語だと圧縮も鼻についてしょうがない。で、そこを、微妙にお里が知れる下品さにおとしめているところがこの歌のいいところ。fu-fu-をふーふーだの夫婦だのと笑えないダジャレ。そしてきわめつけは、らーぶらーぶらーぶマシーン、らーぶらーぶらーぶステーション、らーぶらーぶらーぶファクトリー。きらきらでぺらぺらの、アルサロピンサロの帰りにたどりついた場末のキャッシングマシンみたいな英語、J-POP未満の歌謡曲が進化したといっても過言ではないヒトゲノム計画、歌詞カードにもちゃんとカタカナで書いてあるのが念が入っている。根性悪そうでもしかしたらその辺歩いてるやつの方がよっぽどマシかもしれへん、そんなねーちゃんが、ふとけなげに見えてくる。そんなねーちゃんにだまされる自分を知る、それが日本の恋、どこが日本やねん、それはうぉううぉうでいぇいいぇいで、脱臼したよな腰つきと足つきのええじゃないか踊り。だーんーす、ちゃいまっせ。といったところで、また次回。
20000102
昨日目をつけておいた古本屋で、70年万博のガイドブック、小島功集など。小さいけれど安くていい店だ。
夜、白川静の番組、89歳とは思えぬカクシャクたることば。老人力の対極。あらゆることばに漢字のネットワークが張り巡らされているから呆けようがないのかもしれない、などと考える。
20000101
昼過ぎに起きる。今年も賀状を一通も出さなかった。が、返事は書こう。
exchangeのスクリプトが2000年問題。書き込みの年号が100になっていた。メガ日記にも同じ症状。とりあえず100を2000に置換する。しかし、これだと来年また問題が起きる。まあそのとき直せばいいか。というわけで、年明け早々2001年問題を抱えることになった。

実家に戻る。途上で香里園の本通りに古本屋を見つける。
両親、妹夫婦+姪二人、弟夫婦。姪は会うたびにことばがうまくなっている。正月は気忙しくて姪の遊びは次から次へ移る。手品を披露。「魔法や」と言われる。そうか、「魔術」ではなくて「魔法」なのだな。魔術、というと見世物小屋のような非日常=術者の居場所に限定された世界のようだが、魔法には術者から場所も時間も離れて効果を及ぼすようなイメージがある。術と法の違い。シンデレラには魔法、タミラ君には魔術。

夜、NHKの荒俣宏+黒柳徹子「20世紀の見た夢」に星一の話が出る。「親切第一」がフィーチャーされていた。星一は「親切」によって、関係をコントロールしようとする。いっぽう幸福の薬によって、個人の状態を直接コントロールする。


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