The Beach : Oct. 2005


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20051031

 朝の講義のあと、タクシーを飛ばして市役所へ。6月の健康診断を出張で受け損ねたので、市役所送りとなった。帰りはてくてく歩いて帰る。途中でひさしぶりに松吉のうどん。絵はがき原稿の直し、九一九(クイック)のコラムなど原稿いろいろ。


20051030

 自治会の防災訓練。これまた組長仕事のひとつ。ご近所の呼び鈴を一軒一軒鳴らして「避難訓練です、よろしければお集まりを」と言ってまわるのだが、日曜の朝から呼び出されて気持ちよかろうはずもなく、訪問販売のような感じで断られ続ける。それでも、集合場所には一人二人と、人が集まってくる。こわれた巣からアリが這いだしてくるような奇妙な感じである。  ワンダと巨像は六体目が手強く、途中でギブアップ。


20051029

 考えごとのバランスが変調をきたしているのか、どうも書くこと書くことが上滑りになる。思うに、これはゲーム脳が足りないのではないか。ゲーム脳が足りないのは脳によくない。いや、脳へのよしあしで何をするか決めるという考え方がすでにしてよくない。理屈はともかく、気がついたら電器屋に行って「ワンダと巨像」を買ってきた。
 ネタバレを避ける意味で、「ワンダと巨像」については、今後「- 亀は踏むと止まる -「ワンダと巨像」日記」の方で書きます。とりあえず、巨像四体と戦った。


20051028

 松島恵介さんは最近、外部記憶が失われることについて興味を持っているそうで、一時間あまりインタヴューを受ける。話すうちに、自分の忘れっぽさがどうやらかなり根深いものらしいことが明らかになってくる。無意識のうちに忘れたものを、もう一度意識化することは誰にとっても辛いものだと思うが、わたしの場合、どうやらこのつらさを、「だって、無意識のせいだから意識は責任とれないもーん」と棚上げにするという方略を子供の頃からとっていたのかもしれぬ。
 この方略はなまけものにはたいへん都合がよく、覚えなければならないものもどんどん無意識に放り込めば、どんどん責任を逃れることができる。ただし、意識の届かない場所に無分別にさまざまなものを貯め込み過ぎた結果、さまざまな副作用が起きると思われるので注意が必要である。
 小学校の頃に読んだ星新一のショートショート「おーい でてこーい」に、なんでも吸い込む穴にゴミを捨てていくという話があったが、あれはもしやこういうことだったのか。

 こころとからだ研究会はLA在外研修報告。昔、日高研で、誰かが海外調査に行くとその報告会というのをやっていたが、あのノリで、現地の珍しい風物などを見せながら、あることないことを語るという話。そのあと、Hush改め、パスティアン・クントラーリへ。座ってみると、わたし以外は、松島さん、松嶋さん、松村さんと松づくしである。研究によって紡がれる解釈もしくは物語は、どれほど必然的に語りうるか、という話になり、データのもたらす拘束性についてあれこれ考える。

 家へ帰ると、UCLAから重要書類が郵送されてきていた。何かとんでもない失態でもしたのかと思ったら、Visiting Scholarの修了証書だった。そういえばLAに行ったのはちょうど去年の今頃だった。


20051027

 午前中からゼミ三発。途中までは学生の考えをあれこれ聞いていたはずだったのだが、気がつくと三十秒ほどの断片を見ながら、ほぼイタコ状態であれこれとアイディアを出す。指導形態としてこれはいかがなものか。しかし、目の前のデータの豊かさはわたしを黙らせることができないのである。さりげない行動であればあるほど、ことばもジェスチャーも信じられないタイミングで同調している。間投詞「え」と息すすり「しー」について新しい知見が得られた。


20051026

 朝いちの電車で帰り、ふらふらになりながら二コマめの講義をこなす。interということばは本来、システムとシステム、界面と界面との間をつなぐものを表す。しかし、人は、interの中身を詮索せずにブラックボックスとして扱い、むしろ界面にあるものによって、interを語ろうとする。interと界面とのこのようなとりかへばや感覚を、internationalの翻訳である「国際」という語は、「際」という漢字を使うことによってよく体現している。などと、ホラを吹く。徹夜明けならではの妄言だ。前日徹夜で遊んで次の日の朝から講義をすることは可能だということはわかったが、あまり何度もやらないほうがよさそうである。

 ユリイカ「文化系女子カタログ」特集。個人の来し方行く末が綿々と綴られた一冊。「徹底討論」をはじめ、いろいろおもしろく読んだ。あちこち記号だらけなのに、NANAとまったく違う読後感なのは、その記号の連鎖に、確かに使い古した跡があるからなのだろう。平均値や最大公約数で語られる記号がつまらないのは、おそらく、個々の記号が個人の連鎖から分かたれるからなのだ。
 多和田葉子「免許証」。わたし自身、免許証のないLA生活というのを、つい半年前まで経験していたので、免許を持っていることが当たり前の社会感覚も、間遠なバスを待つ感覚も近しい。でも、その感覚をけしてこんな風には書けない。来歴は現在にいかに結晶しているかを記す、あざやかなハンドルさばき。来月号からも楽しみな連載。


20051025

 会議と実験をこなしてから、彦根へタクシーを飛ばす。新幹線が品川についてふと前の席を見ると、見覚えのある後ろ姿があり、振り返ったその姿はGbMのTシャツを着たたかぽんさんだった。一緒に回転寿司を食ってから六本木のスーパーデラックス「一円も儲からナイト」へ。パーティーが苦手だということを忘れていた。例によって、うまく泳ぐこともできず、ろくなお祝いのことばも言えず。椅子に座って呆然としているあいだに、前日、中沢新一のトークに行ったというヨシマルくんと話したり、隣り合ったHello Taroさんの来し方を伺ったり、オトガイくんのトランプを穴の空くほど見つめたりした。
 ぜんじろうさんとカツキさんのトークは、笑いのフォーマットを気にせずに聞くことのできる、ヘンテコなオーラが出ており、もしかして「お笑い」はいま、あまりに「笑い」に拘泥しすぎているのではないか、もはや笑わなくてよいのではないか、と、いう妙な気になった。戸田さんのライヴできもちよくグルーヴを味わい、終了間際、最後にテッペイくんに似顔絵Tシャツを描いてもらう。
 打ち上げ席は、カツキさん、ガビンさん、ロビンさん、ぜんじろうさん、タカポンさんというコアなメンツで、録音機が回らないとまったく話にならない。せっかくデジゼン用に2時間近く録音機を回したのに、最初の30分が入っていなかった。あれ、いい話出てたのになー。

 始発の新幹線で米原へ。トイレに立とうとして、自分の似顔絵Tシャツを着たままであったことに気づく。久しぶりにいいようのない羞恥に襲われ、上っ張りでTシャツを半ば隠しながら歩く。露出狂のような足取りになる。


20051024

 ひつじ書房から出た串田秀也・定延利之・伝康晴編『活動としての文と発話(文と発話 第一巻)』に、「修復をとらえなおす -参照枠の修復における発話とジェスチャーの個体内・個体間相互作用-」を書いた。これまで、会話の中で生じる言いよどみとジェスチャーとの関係がどのような力に拘束されているかをきちんと語っている文献はほとんどなかったといってよい。その意味では、わりと満足のいく出来。ちょっと高い本ですが、身体と言語研究、ジェスチャー研究に興味のある方はご一読を。

 他の著者の論文もぼちぼち読み始めているが、まずは感動詞「あ」を扱っており関心の近い、冨樫純一氏の「驚きを伝えるということ」。「あ」の発語上の機能を、「新規情報」ということばを使わずに「変化点の認識を示す」としている点は卓見だと思う。作例文からの考察のせいか、聞き手にとっての機能についてはほとんど問われていないが、その点は、むしろわたしの仕事と補完しあうところなので、読んでいてぐっとこちらの考えがまとまった。

 控室に大きな荷物が来ているので何かと思ったら、この前古書店で注文した折口信夫全集だった。しかも旧版。全集は本棚を占有するのでなるべく図書館で済ますようにしているのだが、吉増剛造氏の本に影響されてついインターネット古書店のボタンをクリックしてしまった。腰が抜けそうな重さで、台車で運ぶ。店頭で現物を見たらまず買うのを思いとどまっていたはずである。
 せっかくなので、ぼちぼちと読み進めることに決める。水窪に行く二月までに半分くらいは読めるといいのだが。


20051023

 胡口桂子「一円も儲からずにTシャツを作る方法 オンラインTシャツショップGbMの伝説」(ラピュータ)。すがすがしい一冊。全国の女子はNANAもいいけど、この「一円も儲からずにTシャツを作る方法」を読むべき。あるある話よりも、ありそうもないことがリアルに起こることのほうがずっとときめかない?

 山川直人「口笛小曲集」。「コーヒーもう一杯」もよかったが、この小品集もよかった。水没した都市の話「バスタオル」のこの世ぶり。ありそうな日常を描いた「いちご」「金曜日」のあの世ぶり。帯からアンケートはがきにいたるまで行き届いたデザイン。

 安永知澄「やさしいからだ」(1)。ひさしぶりに、マンガで読んだことのない話を読んだ気がした。p57に、主人公がさっと左手を振るコマがある。これ、すごい。こんな動作が記録されたものを見たことがない。

 日曜日。ピアノをたくさん弾く。あいかわらずうまくないが、いつも二声のインヴェンションを弾いているせいか、昔より左手の動きに感覚がいきやすくなった気がする。あと、両手の指離れが少しだけよくなった。
 その癖がパソコンのキーボードを打つときにも抜けず、妙に高い打点からキーを叩いてしまうことに気づいた。その方が右手と左手の運動として文字入力を感じることができて楽しいのだが、打鍵の音が大きくなるのが難点。


20051022

 朝帰りのあと、就寝。午後、近所の学童保育へ。今日の見どころは、皿洗いとじゃんけんだった。TちゃんとAちゃんのあいだでじゃんけんのルールが共有されていく過程はとてもスリリングでビデオを回しながらノートをとれないのがもどかしいほどだった。

 ルールの発生について。ルールがあってそれを守るのではない。まず人は何かを繰り返そうとする。繰り返そうとするときに、まるきりの繰り返しが起こるわけではなく、先立つ行為の何らかの形質が焦点化される。たとえば、じゃんけんで負けたほうが倒れたとき、次に負けたものが倒れるならば、「倒れる」という形質が焦点化される。別に、倒れる方向が焦点化されてもよいはずだし、視線の方向が焦点化されてもよいはずだが、数ある可能性のなかから「倒れる」というのが選ばれる。
 「倒れる」という動作は、「倒れる」という形質だけでできているのではない。声があがる。手が思わず頭に当てられる。すると、声や手の位置を焦点化する者も現れる。こうして、負けたものは声を上げながら手を頭にあてて倒れる、という行為が繰り返しの単位として次第に結晶化してくる。
 このように、行為の繰り返しにおいてなんらかの形質が選ばれ、選ばれた形質に伴って別の形質がさらに選ばれていく。その過程で、形質の集積としてのルールが次第にできあがっていく。
 まず、繰り返そうとすること、真似ようとすることに対するヒトの志向性があって、そこからルールが生まれる。繰り返すこと、真似ようとすることの持つ、形質の焦点化、誤解、再焦点化の過程で浮かびあがってくるのがルールであり、ルールを守る、というのは、こうした焦点化が安定した結果に過ぎない。あらかじめ固定されたルールがあるわけではない。


20051021

 恋のマニ・ノイマイヤー、というフレーズを思いついたが、使い道がない。新世界ブリッジ。2セットめの和田シンジ+NANA LALA&稲田誠 with 枡本航太。稲田さん以外は半裸。絶叫であった。最後の曲がいちばんボーカルの人の体のうねりが(ええ意味で)やらしくて、グルーブが感じられた。
 マニ・ノイマイヤーは、パートナー(?)の女性と太鼓をたたき合うという愛らしいパフォーマンスから、シンバル中心のソロ。これはシンバルの低い倍音がこもって美しかった。彼のドラムは正確なパラディドル、正確な打音を基本としながら音の散らし方がヘン。山本精一、津山篤が入ってからは、最後の絶叫入りの曲がよかった。今日は絶叫の日なのか。
 合間に稲田さんのNANA話。「なんかこわいんですわ」というのが稲田さんの感想で、「頭文字D」に読後感が似ているという。

 串カツで腹ごしらえをしたあと、なんばへ。なんばロケッツそばのSaomaiでDJをするYukoさんを見る。いろいろ聞き覚えのあるサンプリングが。オールナイトなので、合間に近くのマンガ喫茶で、のだめカンタービレとNANAを一気読み。
 マンガ版のNANAは、小松奈々がはっきりとダメな感じで描かれており、その点はおもしろいと思った。発情の説明として恋を語る人の苦難の物語。
 読んでて楽しいのは「のだめ」の方。かっこいいことと歌うことと、どっちが音楽かといわれたら、歌うことのほうだから。カンタービレっていいことばだな。ナラ・レオンの「Gaiolas abertas」に「Canta(歌え)」という一節があったっけ。


20051020

 「計算力を強くする」の鍵本聡さんとお会いする。鍵本さんはじつは、わたしの勤め先に非常勤講師として来ておられる。「計算力」の本に盛りきれなかった内容などあれこれ伺う。いずれ、日本の「計算シーン(c)ガビンさん」を盛り上げるべく、何かご一緒できるかもしれない。

 字訓の「しじに(繁・密)」の項を読んでいると、次のような記述。

 「しじ」は「縮(しじ)む」「默(しじま)」と同根の語。すきまなく数多くのものが密集すること、その状態のままであることをいう。

 つまり「しじま」は「しじ」ということばと同じ根をもつことで、繁密・細密の意と通底している。逆に「密」は秘密といったことばによって「默(しじま)」とつながっている。
 「しじま」とは単なる空虚さがもたらす静けさのことではない。「しじま」は何を密しているか。その密度、濃さをたずねることが山深さとなる。

 「しづか」は、「垂(し)づ」「沈(しづ)く」と根を同じくする。つまり、「静」ということばは、重力とかかわっており、古代では波に対して「しずけし」を使うことが多い。
 沈めるものを見通すことのできる状態が「しづか」。

 藤浪(ふじなみ)の影なす海の底清み之都久(しづく)石をも珠とぞ吾が見る(万葉集四一九九)

 この歌での「しづく」は、石の沈んだ状態を表すとともに、それを透かし見ることのできる海の「しづか」な状態と通底している。視線を沈めることのできる静けさ。
 した。したがふ。したし。したふ。しだる。しづか。しづく。字訓の「し」の項は、重力と視線が縦横無尽にまじわって、それぞれの意にしづく。


20051019

 周囲の人々の風評にえらく振れ幅のある「NANA」を観る。
 大崎ナナがボーカルをつとめるバンドの物語が軸のひとつに据えられているのだが、そこには、別段、バンドの音を作るにあたってのエピソードがあるわけでもなく、ただ、メンバーが入ったか抜けたかが扱われるだけである。「ピストルズとか」というフレーズで募集されるバンドの音は、別段ピストルズの音と格闘するでもなく、すでに出来上がってしまったヴィジュアル系バンドの音楽をなぞっているだけだから、見ているこちらも、ただブランドを選ぶように、それをいいと思うかどうかしかない。
 傍観者である小松奈々は身に添わない仕事を我慢しながら、少ない収入からお気に入りのブランドを選ぶことを楽しみとする女性で、好きなバンドというのも、おそらくはそうしたブランド好みの延長にあるのだろう。たまたま同居人の大崎ナナがその好きなバンドと因縁を持っているがゆえに、ちょっぴりプチセレブな世界を覗いた気になるのだが、それで生活の空虚さが埋まるわけでもない。
 もしかしたらこれは、その空虚な浮遊感を、ブランドを選ぶように身にまといたい人のための話なのかもしれない。自分が観客席にいることじたいが、何かマチガイのような気がしてきた。

 それにしても、だったねだったねと、ありもしない未来から振り返るように現在を希薄に共有していくことばづかいは、いつから流行り始めたのか。

 見終わって、がしがししたものが読みたくなり、本屋で「字訓」の新訂版を買う。白川先生は今年九十五歳。未来よりも現在。


20051018

 小森・岡田組の卒論実験。例年より取りかかりはかなり遅いが、とにかく、自分たちでシフトを組んで実験を組むところまで来たのでよしとしよう。
 実験結果はとても充実しており、すぐにアイディアノートがいっぱいになる。やはり、じっさいのデータは、想像したものよりずっと豊かだ。

 吉増剛造「生涯は夢の中径 折口信夫の歩行」読了。ここのところ気になっている、音韻と感覚の問題にずばり踏み込んだ内容で、途中から、なぜか中上健次の小説を思い浮かべながら読んでいたら、本当に中上健次の話になって驚いた。
 折口の水窪に関する記述について読み込んだ箇所も多数あり、以前、自分で読んだときにはまるで気づかなかった点があれこれ指摘されていた。特に、「山深く」という歩行の感覚について。奥領家から青崩にいたる道へと分け入っていくことば。
 急に、兵越峠を長野側に見下ろしたときに見た、とんでもない雪深さのことを思い出した。ことばはうねうねと山をたどっていく。あの、行く手をはばむ雪を見おろすことになるとしても。


20051017

午前中講義。午後、コミ研。今日は森本さんの発表。名前を呼ぶことと、アドレスと人称に関する発表で、異論続出。森本さんには異論を誘発する才能があるのかも。私見だが、名前以外の要因(助詞やジェスチャー、視線など)が、その名前に当たる人を指しているかどうかが、議論の鍵だと思った。
 そのあと、近くのお好み焼き屋で例によって飲み会。早めに退散するが、電車が遅れる。車中で折口信夫「死者の署」を読みながら眠る。結局夜中に帰宅。


20051016

 朝、ふと思いついて宮の上の墓参りに行くことにする。「墓に行ってくるわ」というと、それならと父も一緒に行くことになった。墓の上から海をみながらしばし話。島と島とがあやうく接しているところを「瀬戸」と父は指さす。

第288回 (瀬戸、SとSh、しじま、吉増剛造「生涯は夢の中径 折口信夫と歩行」)

 帰りの新幹線で、吉増剛造の本を読み続ける。

 京都で研究会。岡ノ谷一夫さんの話を最近の研究にいたるまで二時間たっぷりと。鳥においては分かたれている地鳴き(シンボル表象)と歌(系列学習)という二つの川が、どのようにしてヒトの言語(シンボル表象+系列学習)という一つのガンジスになったのか、という壮大な話であった。
 鳥の場合、系列による表現(つまり歌)は、もっぱら歌い手に対する評価に使われ、性選択の対象となる。しかし、ヒトでは、歌が、歌い手を越えて、歌い手をとりまく世界を表象し、さらには聞き手を取り巻く世界を表象してしまう。それはヒトの言語を限り当たり前なのだが、鳥の言語から照射すると、とても不思議なことに映る。
 系列学習からシンボル表象が起こるひとつの径路の可能性として岡ノ谷さんが挙げていたのが、相互分節学習仮説というもので、これは、二つの系列の中に潜む同じ種類の断片がまず認知され、その断片によって、二つの系列の共通性が表象される、という過程を経るもの。先に共通性があって、それを言い当てる断片があるのではなく、むしろ、共通の断片に気づくことによって共通性があぶり出される、という順序になっているところが味噌である。
 ところで、もし、そのような過程である断片がシンボル表象として取り出されるなら、次のステップ、すなわち、取り出された断片が、単に元の二つの系列を想起させるのみならず、(断片を含むものも含まないものも含めた)他のさまざまな系列を想起させる必要がある。そこに、もうひとこえ、何かあるかなという気がした。

 そのあと、飯を食いながら、楽器の話、そして「独身力」の話、などなど。


20051015

 新幹線の中で吉増剛造「生涯は夢の中径 折口信夫と歩行」(思潮社)。

 吉浦へは広島からさらに呉線へと乗り継ぐ。義祖母の通夜。急遽、葬儀のあいさつをすることに。そのあと、吉浦の実家で一家五人で休む。夜中に妹や弟といろいろと話。いろいろあった後ということもあるが、こたつのある一間がやけに親密な空間に感じられる。


20051014

 荒川洋治「詩とことば」。改行に声を重ねつつ、声から分かつ試み。現代詩における改行の効果を語るくだりを、歌謡曲のことを考えながら読む。細野晴臣の「絹街道」の「とーこーろーでーぼーくは」の「ぼくは」と、田村隆一の「ぼくは」。
 夜、義祖母が亡くなったとの知らせ。


20051013

 卒論の実験のセッティング。そのあと週刊朝日から「一九一九」の取材。

 近くの本屋は、郊外型の大店舗にありがちなTVメディアの再認場所のようで、必ずしも好みではないのだが、詩のコーナーには、荒川洋治全詩集があったり、友部正人の作品集がずらずらと並んでいたり、妙な品揃え。中で、吉増剛造「生涯は夢の中径 折口信夫と歩行」はぱらぱらとめくって何かぴんとくるものがあり、抜いてしまう。詩だけで合計八千円なり。


20051012

 文学座から大正期の浅草に関する原稿の依頼。江守徹氏主演で浅草オペラを題材にした劇を上演するのだそうだ。これは劇もぜひ見てみたい。ちょうど手元に物語の舞台となる関東大震災前の金竜館を写した絵はがきがあったので、それを見ながら、ひょうたん池と十二階とペラゴロの話について簡単に記す。


20051011

 アフガニスタン空爆以来、パキスタンで何かが起こると、いつも日パ旅行社を見る。そのたびに「オバハンからの気まぐれ通信」を見ては、やわらかなパーキスターンに触れ、日本の閉塞さを痛感する。

 エリック・ラーソン「1900年のハリケーン」読了。これはいろいろ考えさせられた。とくにその語り口。災厄を、すでに起こったものとして提示しておいて、そこに一歩また一歩と知らないうちに巻き込まれていく人々を書くという手法。この、作者だけが結末を知っているのではなく、読者だけが結末を知っていると思わせるやり方、登場人物を運命から無知な立場に置くやり方は、確かに読む者をひきつける。ひきつけるのだが、いささかそれが断罪的に過ぎる気もする。
 主人公である気象士兄弟の相克は、豊富な資料から積み上げられて、感情的な肉付けが押さえられているだけに、いっそう救いがたい感じだ。この、資料に物言わせるやり方は、後の「ホワイトシティの悪魔」でより洗練された形を取る。
 ガルヴェストン港が地理的にどんな場所かを知るにあたっては、maps.google.comのお世話になった。
 そしてようやく絵はがき原稿提出。


20051010

1900年のハリケーンエリック・ラーソン「1900年のハリケーン」島田三蔵訳/文春文庫
 ハリケーン・カトリーナの被害が続いているいまだから、ということもあるが、「ホワイトシティの悪魔」の著者、エリック・ラーソンの出世作ということで読み始めた。まだ最初の100ページほどを読んだところだけど、この本もまた、ホワイトシティの悪魔同様、よくできている。近づくハリケーンの気配とともにゆっくりと練り上げられていく歴史的記述は絶妙な緊張をもたらす。
 たとえば気象学の歴史の話。
 大航海時代に、船舶に甚大な被害をもたらしたハリケーンによって、まず、ハリケーンがどのようにして起こるのかが問題となった。とはいえ、気圧と天気になんらかの関係があることが分かったのはようやく十八世紀のことだった。そもそも、十七世紀には、空気に重さがあることすらわかっていなかったのだから。
 大気に関する知識が気象学として形をなしていったのはようやく十九世紀に入ってからだった。
 風速を正確にはかる機器がなかった時代、船乗りが海と帆のようすから風の強さを容易に表現する方法をビューフォートが開発した。この風速表現を1831年、最初に取り入れた船舶の名前はビーグル号、その乗組員の中にはダーウィンという博物学者もいた。
 同じ年、アメリカン・ジャーナル・オブ・サイエンスには「大西洋岸の強い嵐について」という論文が掲載された。新聞、手紙、舟の航海日誌など、さまざまな断片的な情報を付き合わせた結果、著者のレッドフィールドは、のちに気象学の古典となる重大な結論をその論文の中で導いた。すなわち「嵐は、大きな渦巻き型の形」・・・
 てなぐあいに、気象学の記述が気象の変化そのもののごとく、気配を濃くしていく。そして舞台となる1900年のガルヴェストン、その頃、まだ天気予報は信用するに足らず、天気予言士なる人々が幅をきかせていた・・・

 読んでいると、思わず気圧計が欲しくなり、そういえば、もしかしてこのデジタル時代、気圧計も水銀式ではなくデジタルでお安く手にはいるのかしらんと思って検索をかけると、腕時計式のものがいくつかヒットした。カシオから出ているプロトレックシリーズなどは、方位計や高度計までついており、値段は張るが、これなら山登りにはとんと縁のないわたしも、町歩き用にひとつ買い求めたくなる多機能。しかし、手元にうっかり気圧計などあると、「今日の気鬱はこの気圧のせいか」などと毎日一喜一憂してしまいそうである。

 水銀柱で気圧を測るのは想像がつくけれど、電子回路でどうやって気圧という空気現象を計るのだろう、と思って検索をかけると、PISCO社のページで、空気圧の計測に関するPDFが見つかった。世の中はこんなことになっているのか。

 この「1900年のハリケーン」で一カ所気になる箇所がある。それは日本の関東大震災を引き合いに出している部分。

 一九二三年九月一日、はげしい台風が日本を襲い、まず横浜に上陸して、それから東京に移動した。嵐が猛威を振るう間に、強い地震が起きた。地震は建物をぺちゃんこにして、火をつけた。台風はその火をあおりたてて、火事場風を起こしたのであった。気象局の気象学者C・F・ブルックスは、低気圧と高潮が連動すると、地震を引き起こすかもしれないと論じた。

 と、あるのだが、真偽はともかく、このような説は初めて知った。  関東大震災当日午前に暴風があったことは知られている。が、東京ではそれは午前中にはからりと上がっていた、と手元の「大正大震災大火災」(講談社)にはある。さらに、地震当初、風速は17メートルであった、とも。17メートルというのは、台風直撃というほどの風ではないが、強風ではある。この「大正大震災大火災」は、けっこう風聞の多い二次情報本なので、ちゃんと当時の気象データにあたったほうがよいかもしれない。

20051009

 「二桁のかけ算 一九一九」は、先月末で三刷。ご愛読感謝します。

クジャクの雄はなぜ美しい?長谷川真理子「クジャクの雄はなぜ美しい?」紀伊国屋書店

 前にも同じタイトルの著書が出ていたが、内容はかなり改訂されており、ほぼ別の本と言ってよいのではないかと思う。もっとも興味深いのは、前著の執筆後になされた伊豆半島でのクジャクの徹底した調査に基づいた意外な結果。ほかにも動物行動学でかつて流布していた論が、かならずしも実証されないこと、他のさまざまな可能性に開かれていることが、ていねいにたどられている。
 まず社会生物学的な議論に乗った上で、それを実証する過程から予想と異なる結果に出会った場合には、考え直すという本書のやり方は、長谷川さんたちの日本の殺人データに関する仕事でもなされていた(長谷川寿一・長谷川真理子「進化と人間行動」。1990年代においては、じつはキレる若者よりも中高年の殺人率のほうが高かったというデータは、あの「反社会学講座」でも流用されていた)。
 研究者は多かれ少なかれ、自説に固執しがちなもので、「相関がない」とか「有意な差が見られない」といった結果を認めるのはなかなか難しい。長谷川さんはあえてそういう道をたどりながら、しかもそうしたことを認めることが逆に別の仮説への道へとつながっていることを示そうとしている。稀有な試みだと思う。

 

20051008

 気圧のせいというわけでもあるまいが、どうも気がふさぐので、気晴らしにバッハのインヴェンションを弾く。インヴェンションといっても、一番しか弾けないから、一番を速度を変えながら何度も弾く。この曲は、小学校の頃だったか妹が習っていて、日に何度も弾くのですっかり聞き飽きてイヤになってしまったものなのだが、自分で改めて弾くと、あちこちにひっかかりがあって、何度弾いてもおもしろい。弾き始めると、十回は弾く。幸い、下手くそなので、左右のタッチのばらつきやボリュームのばらつきによって、弾くたびに違う感じになる。たとえば最後のほうで左手が上のEから下のDに飛ぶところは、何度やってもつっかえて、そこで、右手の思考がとぎれるような感じになるのだが、たまに、この跳躍がすっと通るときに、右手のメロディが新しくなりながら、左手が我関せずで酷薄に下手で活動しているのを見るような、弾いているのに他人事のような距離が生じる。

 たまには、違う曲もやってみようと思い、二声のト短調をやってみる。これは弾いているうちにどんどんメロディが四度や五度に反転して、うっかりすると森の中に迷ったような感じになる。素早く弾ければそうした迷いも起こりにくいはずなのだが、二倍くらいの遅さで弾くので、メロディ感が途中で失われそうになる。

 気が低空飛行しているときには漱石を読む。「漱石・子規往復書簡集」(岩波文庫)。ロンドンからの漱石の手紙は、半ばホトトギスに掲載することになっていたせいもあって、友人へのことばに乗せながら、見知らぬ者に向けて思い切って生活を開くときの、気安さとよそよそしさがある。当時の地下鉄のエレベーター(リフト)は旧式で、エレベーター内にスターターとなる縄があったらしい。
 付録に子規追悼の文章の推敲。水泡と棒杭。


20051007

 朝晩が肌寒くなってきた。
 大平貴之「プラネタリウムを作りました。—7畳間で生まれた410万の星」。メガスターIIの作者のプラネタリウム作成記。好きなものに没頭する人は、ここぞというときに人を惹きつけてブレイクスルーを迎える、ということがよくわかる。この著者は、おそらく、好きなことをやらせてみたくなるオーラを発しているのだろう。

 何か突き抜ける人には、思考にせよ作業にせよ、桁が上がる、ということがあるのではないか。10が11になったり12になったりするというのではなく、10が100になるような世界を、とりあえず幻視すること。そして、それをリアライズするスキルをありあわせのものから作り上げること。太陽系を脱するには、指数の力を借りる必要があるのだが、それをアニメーションでリアライズしてしまったイームズ夫妻のように。

 新潮11月号。椹木さんの文章が目当て。ぱらぱらと中身を見て、萩原朔太郎賞の荒川洋治の「心理」が目に留まり、つい全部読んでしまう。ふだんはあまり気を入れて現代詩を読む機会がないのだが、久々にこれは持って行かれた。郵便番号でつながれる運命。数字と沼と色。縦笛からしたたり落ちるよだれのごとく、ぽとぽとと落ちてくる謎。

20051006

 絵はがき原稿がなかなか手につかない。
 ベンヤミンを読み返しながら「痕跡の逆光学」というフレーズを思いつく。これは前川さんのベンヤミン論「痕跡の光学」をほぼ拝借したものである。なぜ「逆光学」かといえば、行為から痕跡を産むのは一意に決まるが、痕跡から行為を推測するのは逆問題で一意に決まらないからである。あ、こう書くとなかなかおもしろいな。逆光学、逆問題は、人の創作活動の持っている営みである。逆光学をむりやり解けば、必然的にそこには誤解が生じる。しかしその誤解を足がかりに再び光学にかけて、問題を照射する。というわけで、大瀧詠一氏の「分母分子論」とは、音楽活動における逆光学である・・・というような話を書けばよかったな。

 できる原稿からコツコツと。一九一九本の次回作の原稿を書く。パワー・オブ・テンの話を書くうちに、太陽までの距離やら冥王星の距離やらアルファ・ケンタウリやらアンドロメダやらを調べ始めてしまう。宇宙の果てのことを考えるには、指数の力を借りなくてはならない。想像力が等速運動をしていたのでは、いつまでたってもたどりつけないからだ。


20051005

 講義にゼミ。久しぶりに卒論生の小森さんが来て実験室であれこれと機器のセッティング。毎年のことだと、ゼミには四五人はいるのだが、今年は春先まで在外研修に行っていたこともあって、割り当ての学生は彼女一人。一人で実験を組むのは正直なところかなり辛いものがある。ぼくが手伝ったとしても、もう一人くらいいないと、と思っていたら、岡田さんが顔をのぞかせる。なんでも彼女も対面実験を計画しているらしく、今月から被験者集めをするという。これは渡りに舟、ぜひ一緒に組んでやりなさいとアドバイスする。
 指導教員と学生とが顔をつきあわしていると、どうしてもこちらがあれこれ教え過ぎてしまう。学生どうしで相談する時間があったほうが「考えている」感が出てよい。


 

20051004

 郡さんから電話。今月もまた、原稿をお待たせしている。原稿に息を吹き込む感じがなかなか出てこない。もういい年をして、そんなあいまいなことを言っていてはいけないのだが。


20051003

 今日から後期の講義。今日はイントロなので、ざっとこれからやる内容をしゃべり始めたら、みるみる一時間半たってしまった。
 別冊文藝の大滝詠一論校正。

 世界の語呂が気になり、なにかいい本がないかと思っていたが、この本はおもしろかった。 友清理士「英語のニーモニック 覚え歌大集合」(研究社)。タイトルどおり、英語のニーモニックが中心にはなっているが、あちこちに日本の語呂も紹介されており、ちょっとした日英ものおぼえ比較になっている。

 この本で初めて知ったのは、英語には生物分類ヒエラルキーのニーモニックがあるということ。界門綱目科属種という例のアレだが、これは英語ではkingdom, phylum/division, class, order, family, genus, speciesとなる。で、これを
King Philip Came Over For Good Soup.
などと覚えるのだそうな。ちなみに門は動物ではphylumだが植物ではdivisionなので、King PhilipだけでなくKing Davidもスープを飲みにやってくる。日本語ならいっそ、かもんこうもくかぞくしゅ、と唱えたほうが早いかも。ちなみに、わたしのやってる、かえる目の「目」は、eyeじゃなくてorderの意です。


20051002

 目覚ましがわりの携帯アラームを呪いつつ、寝室の菅原さんに声をかけて辞し、龍大へ。二日酔いを覚ましつつ発表を聞き続ける。榎本美香さんの三者における視線研究は、いよいよ彼女が事例研究を語る段にきたことを告げる内容で、聞きながら、自身の会話における目配りのことを思い出して、すごいリアリティを感じた。今回の収穫はこれだな。視線変化の表現法も勉強になる。
 そして昨日の今日であるにもかかわらず再び飲み会に。竹田くん、坂崎くん、平本くん、増田くんの二十歳代の屈託ある話をサカナに喜界島の黒糖をがーっと飲んで今日は早じまい。
 帰ると、自治会の組長仕事が。せっせと赤い羽根を人数分仕分けたり回覧板を仕込んだり。おっと動物行動学会の要旨を出すのを忘れていた。あわててざっと書いてメール送信。


20051001

 龍谷大学で社会言語科学会。とくに練習もせずに話し始めたら、途中で時間が足りないことに気づき、あわてて事例を二つくらいスキップしたので、えらく駆け足の話になってしまった。それでも、終演後に何人かから声をかけられて、あれこれ考える。

 関連性とは、あらかじめことばの内容に埋め込まれているわけではない。あることばの流れに注意が向けられ、そして顕在化が起こるときに、はじめて関連性が生じる。この意味で、関連性は、単にことばの問題であるだけでなく、基本的情動の問題であり、注意の問題である。
 「あ」は、いわば、無意識に伏流している、いまだ関連性ならざる流れに竿さし、「あ」に続くことばから過去に遡って、その場で起こっていることの意識化を促す。「あ」によって、半ばばらばらに伏流していた無意識上のさまざまなできごとが、聞き手の注意と情動によって、未来から過去へと一本の練り物に練り上げられる。
 このように想起とは、未来から過去へと、無意識を練り上げながら、その練り上げを可能にする自身の情動をも意識化する(情動を感情として認知していく)行為である。
 思い出がときとしてわたしたちの気を狂わせるのは、この、情動が意識化されてゆくプロセスの鮮やかさによるのだろう。それを「感情がわきおこる」と呼ぶ。

 招待講演は菅原さんで、ワークショップでもその語りはとまらない。マクニールをジェスチャー研究のパイオニアの一人として取り上げながら、しかし、その手法に日常生活の経験が入っていないという点でばっさり切る話。菅原さんと藤田さんとぼくとで調査に入っている西浦のデータも出て、映像を見ていたら、また彼の地に行きたくなってきた。今年の冬は在外研修でいけなかったから、来年はぜひみっちり西浦で過ごしたい。

 いつものように一次会のあと「社会言語科学会の未来を考える会」という名の飲み会。未来のための提言をすると一次会の1000円がキャッシュバックされるという、たいへん、有意義な会である。会話分析、音声分析関係者はアルコールに強い人々がそろっているのだが、今宵はさらに菅原さんも加わっているので、歓談はとどまるところを知らず、ぼくはいつものごとく、うとうとしては復帰を繰り返す。終電はとうに過ぎ、いやが上にも話は盛り上がっていく。酔い覚ましにちょっと外へ出たら、地蔵寺があり、猫が通りすぎるのを見た。京都は寺の町。
 三次会、四次会、そしてお互い前後不覚状態になった菅原さんと、よれよれになりながらタクシーにて菅原邸へ。よせばいいのに、さらにその上ビールを飲みつつ、男女の機微についてあれこれ語るうちに沈没。