- 20000518
- あ、「会話分析の手法」(サーサス/マルジュ社)を読んだわけね。入門書としては手ごろなボリュームね。
で、ピンとこなかったわけね。会話分析の話ってどうも、「何当たり前のこと書いてんの?」って感じのする内容のものが多い。たとえば「隣接ペア」って考え方が出てくるんだけど、これ、当たり前過ぎて、何がおもしろいのかよくわかんない。
「隣接ペア」というのは会話の始まりや終わりや質問、勧誘などに際して、典型的に行われる二つの発話のペアを指す。たとえば、
A:こんにちは B:こんにちは
A:わかる? B:うん
など。ペアの最初の方(Aの発話)を第一ペア部分、後の方を第二ペア部分、という。
・・・ふうん。専門用語の説明だけ抜き出してもおもんないな。この「隣接ペア」とかいうのを使えば、このペアは「挨拶−お返し」、このペアは「質問−返答」、なんて会話の中身を分類できるだろうけど、それだけじゃちっとも楽しくない。
会話分析の魅力を考えるには、イレギュラーな場面を考えた方がわかりやすい。「当たり前は見えない。当たり前でないから見える」。ここ、相田みつを風に、下手クソかつ豪快な墨字でお願いします。「会話分析の手法」にも、そういうイレギュラーな例が載ってただろ。まだピンと来ない? 確かに翻訳された会話ってのはどうも読みにくいね。じゃ、こんな例を考えてみよう。
A:こんにちは B:・・・
こういうときAだったらどうする?「Bには聞こえなかったのか?」「こいつ、今日不機嫌なのか?」「オレのこと嫌いになったのか?」などなどさまざまな思惑疑惑が頭に浮かぶはずだ。そしてBが「こんにちは」って言ってくれてたら、こんな疑惑はまるで起こらなかったはずだ。このように、Aに思惑疑惑を起こさせる力が「隣接ペア」の力、というわけ。逆にいえば、こういう思惑疑惑を起こさせないように、つい、「こんにちは」って答えちゃったりするんだ。こんな風に答えさせられちゃうのもまた、「隣接ペア」の力です。 思惑疑惑を起こさせることの良し悪しは、いまは置いておこう。とにかく、思惑疑惑を起こさせる力が発話にはある。思惑疑惑をできれば起こさせたくないと思わせる力が発話にはある。ぼくたちは「こんにちは」と口にすることでそういう力を行使している。それを覚えておけばいい。
Aが挨拶したのにBは答えなかった。そこでAがもう一度「こんにちは」と言ったとしよう。
A1:こんにちは B2:・・・ A3:こんにちは B4:( )
はい、カッコの中を埋めて下さい、ハットリ君。え?「あ、ごめんごめん」て言うの? ハットリ君、キミ、ええやっちゃな。ええやっちゃけど、キミ、謝るようなことしてるか?
A1:こんにちは B2:・・・ A3:こんにちは B4:あ、ごめんごめん
ぼくがAやったらな、こう思うわ。こいつ、謝るちゅうことは、さてはオレが最初に「こんにちは」て言うたん聞こえとってんな。うざったいんかかったるいんかぼーっとしてたんか、とにかく、聞こえとったくせに答えへんかってんや。ほんで無視した自分が後ろめたいから謝っとんねや。オレが二回めに声かけへんで通り過ぎたら、こいつ「挨拶せんで済んだ」とか思うてほっとしたんちゃうか。まあ挨拶がうざったいときは誰にでもあるわ。今日のところは貸しにしといたろ。
・・・どうよ。ハットリ君、借りた覚えもない借りを作ってしまいました。「こんにちは」は挨拶−お返しという隣接ペアの第一ペア部分にあたる発話。それに対して「ごめんごめん」は謝罪原因−謝罪という隣接ペアの第二ペア部分にあたる発話ね。で、謝罪の発話があったってことは、必ずその前に、謝罪の原因となるできごとや発話があるはずだって聞き手は思う。つまり、第二ペア部分の発話は、会話を前に遡らせる力を持ってるんだ。 理由もないのにいきなり「ごめんごめん」なんて普通は言わないんじゃないか。もし言うとしたら、それは約束の時間に遅れたとか、雨の中相手を待たせたとか、「もう、何やってたのよ!」とか、何にせよ謝るべき原因なり相手の苦情なりがあるはずじゃないか。てな具合に「ごめんごめん」は会話を遡らせちゃう。
さて、まず直前に遡ってみよう。A3の「こんにちは」という発話はどうか。別に謝る原因には見えない。ただの挨拶だ。だからAは、A3の「こんにちは」以外のできごとに、謝られる理由があるんじゃないかと、さらに遡って詮索しちゃうわけ。 普通、人は相手のしたことに対して謝るっていうよりは、自分のしたことに対して謝るよね。たとえばBはBのしたことに対して謝る。Bのしたことはどこにある? B2の「・・・」、この沈黙がアヤシイ。つまり、Bは自分がA1に対して沈黙したことに気づいていて、それで謝ったのではないか。ってなわけで、「ははん、こいつ聞こえてたんだな」と憶測が成り立つわけです。
ただし、「ごめんごめん」って言っちゃいたくなるような「こんにちは」があることも事実だよね。口調がちょっと誇張されてるときなんかがそうだ。たとえば、相手がすぐそばであからさまに大声で聞こえがよしに「こーんーにーちーわ!」って言ったらどうか。
A:こーんーにーちーわ! B:あ、ごめんごめん
あ、もしかして、こんな大声を出させるくらい相手のことを気づいてなかったのかな、もしかしたら、相手はすでに何度か自分に合図を送っていたのかもな、なんて、言われたこちらは思っちゃう。「こんにちは」の内容に対してというより、その声の大きさに対して「ごめんごめん」と言ってしまいそうになる。
・・・というわけで、これなら「あ、ごめんごめん」も無理ありません。そしてハットリ君が「ごめんごめん」ということによって、「こーんーにーちーわ!」の声の大きさには理由が与えられるでしょう。ハットリ君が謝るようなことをした。だから、相手は大声を出した。え、やっぱり謝っとくか、ハットリ君? でもな、謝らんでもええねんで。なんでかて、キミ、相手がなんで大声を出したかほんまに分かってる? ほんまにキミが相手に失礼なことしたていう保証ある? もしかしたら、君に全然関係ないことで八つ当たりして大声出してるのかもしれへんで。 もちろん、謝ったら謝ったで、相手はこれ幸いと八つ当たりの的をキミに絞ってくるやろね。「わたし八つ当たりしてんのに、こいつ適当に謝ってイナしてるつもりなんかな、ムカツク」とか「わかった、昨日フラれたんも、キーボードにコーヒーこぼしてイライラしてんのも、つまりいま「ごめんごめん」て謝ってるコイツのせいや」とかね。 ・・・どうよ。ハットリ君、大迷惑です。だからな、ハットリ君、
「なに大声出してんねん?」
って答えてもええねんで。もしハットリ君がもっとイジワルな奴やったらね、たとえ「こんにちは」が聞こえてても無視したりします。で、相手が「こーんーにーちーわ!」て言うても「ん?どしたん?大声で」とかすっとぼけます。相手の大声にこちらから理由を与えてあげない。むしろ相手に理由を言わす。
極端な可能性ばかり挙げたけど、もうわかってきたでしょ。「こんにちわ」「こんにちわ」っていう当たり前のやりとりのウラには、ここまで挙げたような可能性がいくらでも考えられる。キミの答え方しだいで、「こんにちは」あるいは「こーんーにーちーわ!」にどんな意味があるかは変わってくる。「当事者は秩序の創出に自由にかかわっているのであり、当事者自身が秩序の創出を志向しているのである」っていうのは、たとえば、こういうことです。
発話することで、相手に力をかける。次の発話を拘束する。これが第一ペア部分の力。でも、第一ペア部分が何もかも決めてしまうわけじゃない。第一ペア部分の力がどういう運命をたどるかは、続く第二ペア部分によって決まってくる。そして、第二ペア部分は、事後的に、会話を遡って解釈させる力を持つ。未来に対して力を行使する第一ペア、過去に遡って力を行使する第二ペア。こういう第一ペア部分と第二ペア部分の関係を「条件関連性」っていいます。じゃ、続きはまた。
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