月別 | 見出し(1999.1-6)


19990415
▼夜中過ぎにミュンヘンの倉谷さんから梅園さんが亡くなったという電話。高台寺で葬儀。帰りに三月書房に行って本を買った。梅園さんが「自分の本棚みたい」と言っていた場所。
19990414
▼Amazon.comで頼んでおいたOetermannの「The Panorama」英語版が到着。読み始めると、なんとまさに次のユリイカで書こうとしてた書き出しとほぼ同じ展開ではないか。やられたと思ったが、やられたも何も原著は1980年にドイツ語で出てたのだ。20年殺し。これだけ詳細に調べた人と同じ考えにいたったのだから逆によしとするか。しかし、びんびんくるなあ、Oetermann。これに比べると、ベルナール・コマンの「パノラマの世紀」の味の薄いこと。▼Oetermannの本をずっと前に読んでたら、たぶんパノラマのことをそれ以上調べようとは思わなかっただろう。あるいは、十年前に買った前田愛の「都市空間のなかの文学」を、読みもせずに水谷さんに貸しっぱなしにしてなければ、いまさら十二階の話など書こうとは思わなかっただろう。はたまた、十年前に飲み屋で橋爪紳也氏に「凌雲閣というのは大阪に先にあったんですよ」という話を聞いた(とこの前昔のノートをよんでたら書いてあった)あとに彼の「明治の迷宮都市」を読んでいれば、いまさら明治の塔とパノラマの話など書こうとは思わなかっただろう。なにしろ、当時はエレベーターのことばかりで、塔やパノラマのことなどちっとも考えてなかった。▼もちろん、これらの人の仕事を越えることはできていないが、異なる上り口を見つけつつはある。うかつさが図らずも探求欲に幸いした、と思っておこう。これからも幸いするかはわからないが。
19990413
▼模型電車のジオラマで作ったというのを知り、プレステ用シミュレーション「ガタンゴトン!」を即買い。頭の中には、「電車でGO!」 meets Charles Eamesの「Toccata for toy trains」、という甘いイメージ。▼で、期待にふるえつつやってみるが・・・うーん、辛い。▼模型の模型らしさ、ジオラマのジオラマらしさは、表面のディティールにある。穴のあくほど見つめると見えてくる、つるんとした塗りや粘土のでこぼこ。照明の作るかげひなたの作り物くささ。その作り物くさい風景を、あたかも実景のようにカメラがなめていくときのめまい感。それが、実写ではなくジオラマを使うことの魅力であるはずだ。ところが、プレステの解像力では、こうしたディティールが摩滅してしまう。とくにズームアウトすると、がっかりするようなドットの粗さ。▼シミュレーション画面の被写界深度の浅い画面からは、風景が後ろに消える寸前にフォーカスが合う刹那のミニチュアのきめが感じられて、それなりに楽しい。▼が、そのすべてをぶちこわすのが音楽。あのちっちゃな世界が動くというマジックが、かけらも表現されていない、雑誌のオマケMIDIデータのような出来。構内放送?の声もわざとらしくて感心しない。▼せめて音楽オフにしようと思ったらそのモードもない。あんまり耳触りなので、適当にその辺のCDをかける。ほら、鉄道とは縁もゆかりもないラヴェルのソナタにだって、こんなにマジックがある。
19990412
▼いつになく早起きをし、昨日ゲットしたひげ剃りをしゃかしゃかやり、何年かぶりにアイロンまで出し、シャツのしわのばしまでして登校。とはいえ、オリエンテーション以外これといっていつもと変わりなし。▼自転車で帰りながら唄ってるうちに2曲。一曲は前に作って気に入らなくて放ってたんだが、ペダルこぎながらヘン拍子にしたら意外にいい曲だと判明。▼学生時代からずっといわゆる格安(もしくは無料)スチール本棚を並べて対処してきたんだけど、もうにっちもさっちもいかなくなってきた。床にあふれかえる本を整理すべく、ちと奮発して「つっぱりフリーラック」を購入。銅製でやたら重くてけっこう組み立てが難儀。これで天井の高さまで壁を有効利用できる・・・と思ったら、棚の留め具のプラスチックが軟弱。さっそく一段わやになった。おしゃれなインテリアとか置くのを想定してるのかな。こちとらぎちぎちに本とCDで埋めるつもりなんだが。
19990411
▼午後からACTへ新入生歓迎イベント。日高さんと柴田さんとであれこれお話・・・するつもりが、日曜ということもあって、来ているのはほとんど高校生。で、急遽高校生向けの話をすることに。やはり土地勘のある子の方が来やすいのだな。3人ほど新入生が固まってなごんでるので話を聞くと、入学式の喫煙所で知り合ったという。喫煙縁。しかしACTのメインの部屋は禁煙なので、ちょっと肩身が狭そうだった。▼バルブもなかを初めて食す。なるほどバルブの形だ。そしてバルブにつぶあんが詰まっている。詰まっていては困るのだが、もなかなのでこれでいいのだ。▼オークションでひげ剃りを格安で入手。▼その他、今後の企画についてあれこれ可能性。松村さんの照明の音は前々からおもしろいと思ってたので、エフェクタかまして一曲作らないかとお誘い。
19990410
▼京都の浮世絵屋さんへ。うわあ、この前買った絵が半値以下でしかもめちゃくちゃ状態いい。そして明らかにぼくのために取っておいていただいたものだ。もちろん買います。ダブっても買う。この絵を二枚持ってる奴は世界ひろしと言えどもぼくしかいまい。▼ここへは買いに来るというよりいつもご主人の話を聞きに来る。気がつくと二、三時間がすぐ。▼あの○○博物館の表に飾ってあるあれね、復元したやつでしたけど、よろしおした。そらようつくってありましてん。けどね。この前行ったら、あれ、と思いましてね。もう時代が見えまへんねん。最初はこっちの目が狂うたんかなあ思うたんですけどね、やっぱり何年か経って色とか落ちてきたんですね。ずうっと照明とかこう当ててますし。作ったときは、いまの塗料で、昔のにうまいこと合わせてきっちり塗り直してあったんですけどね。何年か経つともうずれてきてますねん。不思議なもんですね。▼虫はね、とりあえず紙でこうして包んでビニルでぴしって閉じて防虫剤入れといたらまあ大丈夫ですわ。でもね、それがむかし、わたし歌麿の「むしえらび」いうのん手に入れましてね、歌麿でこんなでっしゃろ、もううれしゅうてうれしゅうて、それをきちっとビニル袋に入れて、虫よけも入れて、おいときましてん。それでまあ何年か見んとね、ふっと出したら、だーっとこう虫がくっとるんですわ。もう情けのうて情けのうてね、がくーっとなりましたわ。あれ、卵がついとったんですね。ほいで虫よけが切れたころになって孵ってだーっと食いよりましてんや。▼こういう硬い紙やと虫食いませんねん。そやけどこれは湿気すいませんねん。奉書やったらね、やわらかいですけど湿気すいます、まあ一長一短ですな。こういう三枚続はほんまは離れてるほうがええんですけどね、これは糊づけしたあるからちょっと安いんですわ。これ、どうしてもいわはるんやったらちょっとずつはがさはったらええですけど、どうしても湿気使いますでしょ、そしたらね、ここの赤が泣っきょるんですわ。こういう色はすぐにじみます。▼もうずいぶん前にね、○○いう人の蔵から画帳が出てきまして、それの中に春信が二枚と大津絵が三枚とそれから瓦版とかがざーっと貼ってあるのんに役者のサインとかが付いてますねん。いま考えたらそれまるまるとっといたら良かったんですけどね、そんときはもう春信と大津絵だけあったらええわ、とにかくこれとっとこ思うてばらばらにしましてん。もったいないことしました。あれまるまるあったらね、あれごと資料にできたんですけど。それが大津絵とかもう、ぴしーっときれいなんでね、手が切れそうなやつで、○○大の○○先生に見せたら、これはちゃうて、あとから足したもんや、こんなきれいなはずあれへん、とかいわはるんですよ。で結局なんやかんやでいろんな人からこれはだいじょうぶ言うてもろてやっと納得していただいたんですけどね、難しいもんですな。ちょっとくらい古い感じがした方が、やっぱり時代が見えるんですな。

▼拾得でふちがみとふなと with 千野秀一+大熊亘。ええやん、ふちがみとふなと。ブレヒトもよかったけど、オリジナルの曲がいいんだ。いや、もう最近歌の歌詞とか聞いてもぱっと忘れるけど、「仕事」っていうことばの使い方がとってもよかったです。お金を貯めて仕事に行こう、とか。食べることにすごく近い仕事。ややこしいもんがその間に入らない。千野さんはごりごり弾いてて、拾得の古いアップライトがホンキートークな音色でひいひい言ってた。
19990409
▼入学式。しかし、いつもながら犬上川の墓所の桜はきれいだ。▼いつも間際になりつつユリイカ連載第4回脱稿。脱臼しそこねたな。
19990408
▼春になりひさびさの更新。「かえるさんレイクサイド」第三十五話「九死に一生アゲン」
19990407
▼しりあがり寿「弥次喜多 in DEEP」1,2。「真夜中の弥次さん喜多さん」でついにシフトしてしまったしりあがり世界。もう妄想と呼ばせないほどジャンキーな勢い。「エレキの春」以来ほぼずっと読み続けて、こんなところまで読むことになろうとは。あの「雨に唄えば」のラスト20分のような初期妄想作は、思えばこの前兆だったのか。▼米朝の「近江八景」に「七景は霞の中に三井の鐘」というのがあった。八景圧縮俳句。東海道中膝栗毛時代の「和漢名数大全」の近江八景は一枚に収まって、琵琶湖もおぼろな妄現の境。



19990406
▼かえるさんソングブック計画深く静かに進行中。気分を変えて筆ぺんで五線譜を書いて稲田氏に送る。

▼おとつい買った「和漢名数大全」がいつのものか後ろ数ページが抜けててわからなかったのだが、幸い「将軍家御歴代」という項があった。これが十一代家齋のところで切れているので、おそらく寛政あたりだろう。そして多分、伊能忠敬が地図を完成させる前だ。なにしろ日本はこんなだから。



19990405
▼え?あのDJけろっぐステッカーが本当に発売なんて!しかも買うともれなく全22トラック+Extra Data入り豪華CDがおまけに付いてくるとは?ますます現実との境目が危うい「かえるさんレイクサイド」は要注意!
▼しばらく見てない間におじゃる丸のエンディングが変わっていた。それとも今日から変わったのかな。


19990404
▼朝風呂。今日は暖かい。城崎の桜はソメイヨシノじゃないな。花がまばらで、ひとつひとつの花がよくわかる。▼駅弁の笹寿司の笹はいい匂い。山陰本線は京都に近づくにつれてソメイヨシノ度が上がってくる。▼京都はすっかり花見日和で、鴨川端のあちこちに人が座ってなごんでいる。古本屋回り。今日の収穫は、コピーでしか持ってなかった「通天閣30年のあゆみ」と、表紙と後ろがとれてるおかげで200円だった「和漢名数大全」。あと、昭和初期の進化論や科学史本が各200円。しかし、神田に比べるとやはり京都は(店にもよるけど)安い。
▼工繊で西本・羽尻氏とフロー研(という名の雑談会)。帰りに羽尻氏と「読むことはいつ完結するか?」という話。たとえば、読み終わると燃え上がる本は可能か。閉じると燃える本や、閉じると消えるテキストファイルなら、たぶん可能だ。しかし、読み終わると燃える本を作るためには、「読む」という行為がいつ完結するかが本に感知されなければならない。その瞬間はいつやってきて、それはどう測る?▼たとえば、考えた瞬間に逮捕される思想ってあるのか。あるとしたら、「考える」という行為はいつ発生するのか。逮捕された瞬間に考えていたことが明らかになったりして。考えを極薄で逮捕から隔てよ。


19990403
Different Train99/04/02を追加。

▼湯船、というのは妙なことばだ。船だから、水に浮かんでいるはずなのに、中に水があって外はたたきだ。湯桁をはさんでうちそとが逆になっている。赤瀬川源平の逆カニ缶よろしく、これは海を逆封した空間ではないか。してみると、銭湯の床は船のデッキであり(そういえばここはモップで掃除する)、湯船の中こそは海ではないか。などと湯桁にもたれて考えると、居ながらにして太平洋ひとりぼっちだ。▼その太平洋で、思い思いの姿勢で湯船につかる。目の前の老人が、浅い底にうつぶせに手をついて顔だけ上げて、ヤゴのように止まっている。この姿勢が何かに効くのか。ジェットバスの吹き出し口に下半身をあずけて浮いている人。湯船の外では腕立て伏せをしている人もいる。▼なにかこう、「健康」が漏れてくる感じだ。▼風呂から上がって近くの弁財天に行く。小高い丘になっている。この位置どりは、まるで琵琶湖の竹生島だ。この弁天様こそ城崎の竹生島であり、城崎という町はいわば但馬の山々の水底である。だから城崎にいるとなんだかぷかぷかしてくるのだな。

▼本屋で「半七捕物帳(続)」(岡本綺堂/講談社)。湯から上がって読む。

■「すっかり暗くなりました」
半七老人は起って頭の上の電灯をひねった。
(「勘平の死」大正6年)

 半七老人は近代の「電灯」をひねる。江戸の暗がりが消え、近代の明るさが灯る。遠ざかる江戸をまなざす東京が灯る。と、同時に、近代の東京をまなざす現在が灯る。江戸と語り手との距離が、語り手と現在との距離と重なる。
 半七老人は、語り終わると、人々のその後の消息を添える。江戸の暮らしは明治維新という断層をはさんで屈曲している。近代の東京は関東大震災と東京大空襲を経て屈曲している。

▼ポップジャムに速水けんたろうおにいさんと茂森あゆみおねえさんが。あ、松野ちかまで。そしてあの、対象年齢不明のミュージカル風振り付けで、全国民のだんごへの期待とは45度くらいずれてる入魂のパフォーマンス。

19990402
▼名残りガニを食いに城崎へ。川でなまっていく鬱心。▼外湯に行く曲がり角に遊技屋があって、おばあちゃんがこちらを見るなりサッシの戸を開けて「おにいちゃん、ヌード見ていかない?」。思わずおばあちゃん本人のヌードを拝ませてもらうのかと思うほどの威勢。なるほど隣りは「ヌードスタジオ」だ。いったん風呂に入ってから、帰りに寄る。1500円也。「はい、3曲ね」とおばあちゃんは戸を開けてから奥に「はいお一人さまぁ」と声をかける。脱ぐのは別の人らしい。6畳敷きほどの客席で二列の長椅子が並んでいる。一段高いところにあるステージも6畳敷きで、後ろは赤カーテン。ストーブの赤と照明の赤。ステージ前に金属の手すりがあって、そこにもたれかかる。逃げも隠れもできぬかぶりつき席だ。なにしろ他に客がいない。まさしく「スタジオ」サイズ。やがてカセットのボタンを押す音がしてブラックコンテンポラリーがかかる。カーテン裏の端より踊り子登場。母親とは言わないが腹違いの姉ほど年の離れた顔立ちで、フラメンコ姿で前を見据えてくるくる回る。拍手。一人の拍手がことさら寒く響かぬ広さ。いいねえ。湯上がり全肯定モードだ。かぶりつきだから、目を合わせるときは、向こうはぐっと顎を引き、こちらは阿呆のように見上げるかっこうになる。曲が進むと手すりごしに目の前にしゃがんで、あらあ、いい髭ねえ、などと無精髭をなで回していただく。手など握りあい、湯上がりなの、すべすべじゃない、おねえさんのも気持ちいいねえ、などとどっちがどっちの肌だかわからない。二曲めになるとするすると脱ぐので、また阿呆のように見上げる。小ぶりできれいな胸に触らせていただく。わお、と大げさに驚かれる。ねえその髭きもちいいわね、もっと触っていい?長く伸ばしたことあるの?うん、これくらい、と指で示すと、わお、と大げさに驚かれる。あ、ちょっと待ってね、曲変えてくるから、と奥に引っ込み、またカセットのボタンをがちゃりと押す音がして、いよいよ3曲めはオープンショー、親密ににあれこれ見せていただく。エッフェル塔のように手すりの真上に立ってから、最後にサービスね、とそのまましゃがんで匂うほど近づけていただき、胸を差しだすのでまたさらりとなでると、わお、と大げさに驚かれる。どんな驚きもこの「わお」で統一されている。元気になった?今日はこれで3回くらいいけるわね?さよなら、またどこかでね、あたしは一人だしね、とカーテンに半身を入れながら言ってから隠れる。次の曲が少しかかりかけて、がちゃりと言う音がする。照明が変わるでも終わりましたと声がかかるでもない。しかし確かに終わったのだと思う。外に出る。▼なんだか小宇宙から出てきたような完結感。あの赤いカーテンはツインピークスみたいだったな。ほんの数十メートル先に旅館があることが納得がいかない。見上げると、このヌードスタジオと隣りの遊技場は同じ屋根の下だ。ということは、遊技場の射的の脇のカーテンがスタジオへの入口か。▼使い込まれたスマートボールの打ち出し棒はすこすことひっかかりがなく、そのすこすこが湯上がりでなまった体に緩く響いて玉は15と5の単位で出入りする。200円でしばらく遊ぶ。射的でうさぎの置物を手に入れた。

19990401
▼会議会議。やりたくないことはやめればいいのだが、やりたくないことをゆずり合う会議はつまらぬ。▼今日はうそをつかなかった。

月別 | 見出し(1999.1-6)
日記