ゼミで立岩真也『私的所有論』を読み合わせながら、ああ、これはレッシグが 『CODE』でやろうとしてることに似ているなと思う。ごく具体的な事例を検討する。しかし事例を枚挙し記述するだけでなく、その事例において「所有」という観念がどんな要素で構成されているかを見る。そしてそこに参与者のどんな価値観が反映されているかを考える。要素と価値観の分かちがたさを確かめる。事例としては、問題なく進む例よりも、わたしたちがそれまで当然だと思っていた要素や構成が揺るがされるような例のほうがよい。要素がどのように分節されるとき、価値観がどう分節されるかを見ることで、気づかなかったことに気づくことができる。レッシグが最初に出している、アヴァター空間で有毒植物を食べて死んだ犬の話は、『私的所有論』につながる。
講義とゼミで月4、火1,水3、木3コマ。目の前のことだけ考えていればこなせるコマ数だが、論文の草稿がいつも頭をもたげてきてじゃまをする。
カメラを持って出かける。
先月、いつも使っているEXLIM EX-M1では心細いと思って、PanasonicのLUMIX(DMC-FZ1)を買ったのである。浜崎あゆみのズームアップにやられたからではなく、川崎さんが絶賛しているのを読んで、前々から欲しいなと思っていたのだ。欲しいなと思っているうちに三ヶ月たち、デジカメの三ヶ月は地球では千年にも匹敵するのだが、千年後もあいかわらず店頭にあるので、これは信頼が置けそうだと思って買ってはみたものの、資料写真を撮影しただけで、資料写真となると、いくらズームがすごいとはいえやはり200万画素なので、さほど値打ちがあがったようには思えなかった。
買って以来、カメラをぶら下げてぶらぶらしていなかったので、天気もいいことだし、これというあてもなくあれこれ撮影してみることにした。
犬上川にさしかかると、陽気のせいかえらくにぎわっている。「スイカの臭いのする魚よ・・・」ヒマシロ先生を思い浮かべつつカシャ。
土手から大学に降りた両側には原っぱがあり、ヒバリのいい営巣場所になっている。しかし、現在、新校舎とグラウンドが建設中で、空高くあがっているヒバリも来年は別の場所に移ってしまうだろう。そのヒバリが道に出てきたところをカシャ。鳥を撮影すると、ズームの威力を実感する。
さらにとことこ歩いて草むらに入ったところをカシャ。ファインダの中で見失うほど周囲にとけ込んでいる。たいして広くない原っぱだが、この中に何羽のヒバリが棲んでいるのだろう。
大学の裏庭へ。学生と昨日調べた花を次々に撮ってみる。
野の花が咲く時期を追っていくと、春と初夏の間はひとつの境目ではなく、花が次々に交代していくグラデーションの時間になる。四月のはじめにあれほどたくさん見られたホトケノザの花はほとんど姿を消し、日当たりのよい原っぱはいちめん、オランダミミナグサで、これもいまの時期はもうほとんどが咲き終わり。原っぱの端でそのオランダミミナグサと高さを競い合っているのはオオイヌノフグリで、こちらは早春から次々と咲き続けている。この二種よりも背の低いコメツブツメクサも今が盛りで、上から見るとその黄色が粉を葺いたように二種の下に透いて見え、そこここにパッチ状になっているのがわかる。
カラスノエンドウも陽を浴びて大きく花を開いている。この花が実になり始めるのが五月初旬、その頃になるといまはまだ気配もないシロツメグサがいっせいに咲き始める。
カラスノエンドウ、コメツブツメクサ、シロツメグサ、レンゲ、これらはみんなマメ科の植物である。マメ科の花は、基本的に大きな旗と、その内側の翼と、さらに内側で雄しべ雌しべを守っている舟から成っている。旗にひかれて来たハチは、翼の上に着陸し、舟を肢でぐいと押す。すると、舟の中に隠れていた雄しべが現われてハチの体に付着するという仕組みだ。
花が盛りになると、これら異なる三種類の花びらがそれぞれたっぷり水分を含んで波打ち、しどけないほどに妖しくなる。試しに開きすぎたレンゲを正面から撮ってみると、妖しさを通り越して紊乱なほど。
さてもっとささやかなのを撮ろう。
好きな花のひとつにキュウリグサがある。よく見るとオランダミミナグサにまじってそこここに生えている。ごく小さな目立たない花なのだが、花びらに少し厚みがあるのか、その表面には独特の量感のある肌理があって、まるでひとつひとつが極小の木型で作られた打菓子のように見える。その落雁のような肌理が写るだろうか。カシャ.
近接撮影でも、このカメラはなかなか楽しい。測距がすばやいので狙った花にぴたっと合う。そのままズームをかけると、少し離れた周囲の花々がぼやけながら、わっと視野の外に広がっていく。背景がいい具合に焦点からはずれて、撮りたいものだけがくっきり浮かび上がる。
彦根は風の強い土地柄で、今日もけっこう風がきつくて、茎の丈が長い草はワイパーのように揺れていたのだが、近接撮影してみても、なんとほとんどブレが生じない。手ぶれ補正が風ぶれまで抑えてしまったのか、恐るべしDMC-FZ1。
日陰に、わずかに残ったホトケノザの花を見つけた。仲良く並んで二人仏。カシャ。
シソ科の植物は総じて花の形がヘンテコでおもしろいのだが、このホトケノザも、あちこち突起があってじつに奇妙な形をしている。ホトケが手を前に差し出しているように見えなくもない。蜜は根元にあって、そこまでは花弁が細管を作っているので、ハナバチでもなければ容易にはもぐりこめない。
ホトケの顔を正面から拝んでみる。カシャ。
ホトケがシンクロナイズドスイミングを踊っている。花というより、植物から生じた紫のエクトプラズムである。この世のものとは思えない。ホトケだけに。ほとけのざ枯れておらんだみみなぐさ。帰化植物は名前が長くて俳句にしにくいな。
ゼミ講義実習実習とフル回転の日。明日が祝日なのがせめてもの幸い。
実習で、大学の中庭にある草の名前を調べてもらう。図鑑や写真とじっさいに見る植物とのスケール感の違いに気づいてもらうのが目的。ぼくもじつは記憶があやふやで、毎年調べていながらすぐに名前を忘れてしまう。オランダミミナグサ、セイヨウタンポポ、オオイヌノフグリ、コメツブツメグサ、カラスノエンドウ、スズメノエンドウ、マツバウンラン、カタバミ、アブラナ、ゲンゲ、ハルジオン、ホトケノザ、ナズナ、ヤエムグラ、キュウリグサ、ノボロギク、アレチノギク、ノミノフスマ。来年はこのうちのいくつを覚えているだろう。
倉谷さんと久しぶりに電話。例によって無駄話。
午前中、千里の大阪国際児童文学館へ。朝いちばんに行ったので人も少なく気持ちよく閲覧できる。時事新報社から出ていた「少年」「少女」を次々とチェック。上田正道氏の論文にあった永島永洲の継子いじめ話を読み進める。子供の本に限定するなら、ここはいい文献閲覧場所だ。
千里から日本橋に移動し、幕見で「妹背山婦女庭訓」の妹山背山の段。これがじつに楽しかった。
舞台中央には吉野川がこちらに向かって流れ込み、両岸は桜、客席はさながらその下流で、客の頭は桃太郎の桃か川中で洗われる芋の子か。一点透視で描かれた上流には桜が小さく迫ってまさに奥ゆかしい。
川を挟んで舞台向かって右側が大判事と息子久我之助のいる背山の館、左側が定高(さだか)と娘雛鳥のいる妹山の館。太夫も左右に分かれてステレオ効果、親子が揃うと一度に四人の太夫が左右に揃うという、集団義太夫語り。その掛け合いの変化がおもしろい。これ、直筆の床本が見たいなあ。
雛鳥と腰元たちは、川向こうの久我之助を見やりながらガールズ・トーク。ついにたまらなくなった雛鳥が、文を川に流すと、とたんに仕掛けが動き出し、川の流れは客席に向かってうねり、まるで蠕動運動のように、雛鳥の文を背山の館に送り届ける。。
川の流れの仕掛けは、いつも動いているわけではなく、川に物語の焦点が当たっているときだけ動く。あたかも窓を開けたときだけ川のせせらぎが聞こえるように、川がにわかに活気づく。簡単なことなのだが、この切り替えで、かえって川が生き物めいてくるからおもしろい。生き物だから、流れとは垂直方向に物を送ってもかまわないのである。
久我之助が切腹してから、父の大判事は介錯をためらうばかりか、雛鳥の首を待って川岸をうろうろするので、そのあいだずっと久我之助は虫の息でうめいているのである。酷すぎ。ようやく流し雛とともに雛鳥の首が流れ着き、久我之助の首をはねて、両手に首を持ち見栄を切る大判事。あまりのすさまじい筋書きに呆然。
帰りに古本屋に寄って、落窪物語や黄表紙本の翻刻など。
山下さんのお誘いで国立文楽劇場、吉田簑太郎あらため桐竹勘十郎襲名披露公演に。ピープショーの吉田さんにも久しぶりに会う。
演目はおめでたい「面売り」に続いて「絵本太功記」夕顔棚の段・尼が崎の段、「紙子仕立両面鑑」大文字屋の段。
字面ではわからないことがいろいろとわかる。たとえば、夕顔棚の段は「南無妙法連華経、南無妙法連華経、南無妙法連華経」という声のあとに「御法の声も媚(なまめ)きし尼が崎の片ほとり」と始まるのだが、「南無妙法連華経」の声は幕の開く前より、太夫ではなく舞台の方から聞こえだし、幕が開くとそこには一人遣いの人形たちがじつに楽しげに身体を揺すっており、声はその下にいる遣い手たち自身から出ているとわかる。その声のたからかさに客席からは笑いが起こる。
こうして見ると、それに続く「あたりの近所の百姓ども、茶碗片手に高咄し」という文句も違って聞こえてくる。「茶碗片手」は、一人遣いの片手間に重なり、「高咄し」は、一人遣いゆえの軽さほがらかさに重なる。
尼が崎の段は、いよいよ桐竹勘十郎遣う武智光秀が登場。
妻の操が吉田文雀、嫁初菊が吉田箕助、武智十次郎が吉田玉男と三人の重要無形文化財保持者が集う豪華な顔ぶれ。十次郎が傷ついて帰還した場面では、操、初菊、十次郎、光秀が舞台下手へと移動し、狭い船底の一角には四つの人形がぎゅうぎゅうと集まる。後ろには三人遣い計12人、もう立錐の余地もない。この息苦しいほどの場面に耐えかね勘十郎光秀は、はらはらはらと雨か涙の汐境、と思う間もなくまたも聞こゆる人馬の物音に、ええいと重要無形文化財を払いのけて立ち上がり、敵か味方かを見定めんと、松の木に登り始める。一枝、また一枝、上るたびに人形は高々と差し上げられ、ぐっと片手が突き上がっては拳で虚空をつかみとり、のぼりつめてゆくその様は、いかにも襲名披露にふさわしい。
山下さんによれば、この演目にはもうひとつの読みどころがあって、最初に光秀は登場するときに「簑」をはおって家の様子を伺い、これを脱ぎ捨て竹を切り(桐竹)湯殿に突き刺す、という展開が、簑太郎から桐竹への襲名と読めるらしい。
「紙子仕立両面鑑」は、悪人の番頭権八が楽しい。一通り話が終わったあと、伝九郎と権八がお松を誘拐しようと悪巧みをするくだりは、いかにも付け足したような短いエピソードなのだが、その短さがかえって舞台を急転させ、あれあれという間に権八がつり上がって爽快。
お松が母妙三に向かって泣く場面。「『私や何もかもよう合点してゐるさかい一つも悲しい事はない、ナ、ない/\/\/\』と、言ふ跡声もしやくり泣き」というところで、太夫の声は「ない、ナ、ない/\/\/\」とすでにしゃくり泣きを先取っているのだが、人形の方はここではまだ正面を見てぐっとこらえており、「言ふ跡声もしやくり泣き」で突っ伏すように泣き始める。すなわち、太夫の声は、人形に寄り添うように泣きの高ぶりを聞かせておきながら、いまわの際で人形から離れ、語りへと引き下がる。太夫の激情がつれなく語り部に戻ると、人形の激情は急に見る者の手の届かぬほど遠く小さくなり、なぐさめようのない哀れさを増す。
ところで、観劇の間ずっと隣に座っていたのは、なんと以前民博の「ソウルスタイル」に生活財の一切を提供して見る者をうならせた、あの李さん一家の奥さん金英淑さんだった。昨年からINAXギャラリーで、愛知・東京・大阪で、2002年ソウルスタイルその後・普通の生活展が開催されているというので、来日されたという。
ぼくは、「ソウル・スタイル」の生活財リストに買った場所と値段がいちいち記されているのを見て圧倒された一人なので、隣にその金さんがいるというのがなんとも不思議だった。かぼちゃのソフトキャンディをいただいて、このキャンディはどこでいくらで買ったのかしらんと思いながらその柔らかさを噛みしめていると、舞台の上の番頭は太夫の声に乗りいかにも極悪非道。そういえば、ドイツの列車で隣り合わせた韓国の人も飴をくれたっけ。
幕間には山下さんについていき、舞台裏をのぞかせていただく。勘十郎さんが人形の後ろから手を入れたとたん、人形が声なき声でしゃべり出す。まさに息が吹き込まれる感じ。
金さんはサイバーショットを持ってきていて、その人形ぶりや舞台装置をどんどん撮影していた。撮影される側ばかりではないのだ。
どうも腹の具合がいまひとつなので、ここ数日酒を飲んでいない。
毎日酒を飲む生活というのは、三十代半ばになってから始めたことで、それまでは、人と飲むとき以外に自主的に酒を飲むということはあまりせずに、夜中はとにかくコーヒーとか茶をがぶがぶ飲みながらろくでもない思考に身を委ねていたのだが、ここ数年は、その思考を酒でドライブしていた。
ひさしぶりに酒抜きの夜を続けてみると、これはこれで悪くない。悪くないが、まだ勘が戻らないというか、ちびちびなめながら考えればもっと液体じみた思考になるのにと思う。
彦根から大阪へ向かう車中、さらにPowerBookと格闘。原稿を書く場合は、テキストエディットでやるのがいちばん軽い。あれこれしちめんどうくさい機能がついていないのが好ましい。
ぼくは、FEPの漢字変換というものに不審を抱いていて、文節ごとに変換をチェックしては確定キーを押すというやり方でないと打てない。10文字くらい打つともう、いったん変換してチェックしてみないと不安でしょうがない。不安でしょうがない、というと、まるで神経症的だが、この神経症はもはや内化されてしまっているので、本人には自覚はない。端から見るといらだたしそうにリターンキーを頻繁に押して文章を押している人間にしか見えないと思うのだが、これまたしょうがない。雨の日はしょうがない。
ただ、変換間違いは以前に比べるとずいぶん少なくなった。以前は、変換機能が信じられないため、画面を見ずにうつということは、 山ほど変換ミスを覚悟することでもあった。しかし、これだけ漢字変換が的確になってくると、もはや画面を打たずにおもいついてすぐに頭の中のできごとを文字化して、あとから編集をかけるほうが、より口語に近い文章が書けるような気がする。
先日古山さんと話していたときに、歩きながら話す言葉(あるいはジェスチャー)は、ただじっとしているときのジェスチャーと違うのではないかというようなことが話題になった。
あの伝でいけば、画面を見ずに風景を目に入力しながら、風景のリズムにまかせて打ち込むテキストとそうでないテキストとのあいだには、明確な差が生じるはずだ。これはすでに、texture
timeで試していたことだが、ようやく漢字交じりの文に足していても同じようなことを考えるときがやってきたのかもしれない。そうなれば、息の長い文章を打つときも、ほとんどピアノを弾くような感覚で自分の呼吸を感じながら打ち込むことができるようになるかもしれない。そのいっぽうで、声が空中に葬られ、次々とわすれられていくように、書き言葉も、その発端を忘れ、経緯をお忘れ、ひとつの文の中で何度も屈曲を体験することになるかもしれない。
一度、電車の中で、いっさい画面を(文字を)見ずに、ただ風景だけをみながら入力されるテキストで一冊の本がかけたらよいと思う。すでにそれは可能になりつつある。
博覧会研究会。大橋さんの発表は博覧会通史と近代日本の自画像について。そのあと、橋爪オフィス物色大会。
夜半を過ぎて実家に帰宅。眠そうな父とあれこれ話す。
浴槽のへりについた水が乾いて、生き物めいた形に縮みながら、小さな水滴の島を取り残し、それは本体と細い川でつながっているのだが、川はみるみる乾いて糸のようになり、鳥の足首のようになる。島はさながら水かきの付いた足で、そういえば本体はまるで、ぼろぼろの両翼を広げたままつぶされたペンギンのように見える。ペンギンの腹に、風呂の灯りが写り込んでいる。見る角度を変えると、灯りは生き肝のように胃やら肺やら腸やらをうろうろして、そうするうちにもペンギンはさらに縮んでゆき、足首は乾ききって、胴体だけの不定形の水滴になった。その水滴にまだ灯りが住まっている。
朝、長浜バイオ大学で講義。息が上がってしまった。寝足りなかったせいか。
昼、いったん自宅に戻り、PowerBookと格闘するが、どうもOS 9からOS X へのメールの継承がうまくいかない。ぼくの使っているのはNetscape
Mailで、さほどたいした機能はついていないものの、けっこう軽いし、これまではMozillaに切り替えても全然問題なく以前のメールが継承されてきた。それが、OSをまたぐととたんにダメなのだ。しかたなくClassic環境でOS
9用のNetscapeを立ち上げてみるが、二通りのNetscapeを使うのはどうも気持ちが悪い。
ここはすっぱり、これまでのメールはいったん忘れ、いちから出直すことにしよう。うん、そうしよう。と思って、これまでのメールはCD-Rに焼いて、気持ちよくからっぽになったメールボックスに新着メールを取り入れてみると、全部SPAMだった。
夕方、さらに統計学基礎の講義。
夜、iBookのデータをPowerBookに吸い上げるというごく当たり前の作業なのだが、ここでも原因不明のトラブル続発。デスクトップの再構築をかけたりDisk
First Aidをかけてみるがダメ。
あーもうやめやめ。いましろたかし「釣れんぼーい」を読んでなごむ。一度に読み切るのが惜しく、毎日5,6話くらいずつ読んでいる。
講義講義ゼミ発表。ふう。水窪のデータをプレゼンしたのだが、これまで見過ごしてきた話者の言い直しの部分を再検討する必要があるのに気づいた。言い直すたびにジェスチャーが置き直される妙。
さらにPowerBookをいじるが、これをメインのマシンにするにはもう少し時間がかかりそう。
朝には平熱に下がった。会議、松嶋さんの発表会、そして会議、実習。病み上がりにはヘビーなメニュー。
夜、新しく買ったPowerBook G4が来る。システム環境設定を一通りいじってterminalをちょこちょこいじったところで終了。本格的にいじる時間ができるのはゴールデン・ウィークか。
講義実習実習。
お初地蔵に関する新聞記事を調べる。初七日を前に首が上流で見つかったというのは出来すぎのような気がしていたのだが、ほんとうに廓橋近くで首があがっていることを報じる記事があって驚いた。もっとも、夫婦の犯行は胴体があがった当日にすでに発覚しており、首があがってから判明したのではない。胴体のみで葬式を行う予定が「首があがったので葬式はのびた」という記事。
当時はこの殺されたお初を哀れんで「お初の唄」なるものが浅草で流行ったという。「ぶたれ叩かれ踏み蹴られ、哀れお初は泣く声も、力弱りて虫の息、僅かに通ふ其の息で、絞る声さへ苦るし気に、猶も許して下さいと詫びるも聞かぬ鬼夫婦」(読売,
T11.7.30)。こうした猟奇な事件で「唄」が流行るというのは、現在ではちょっと考えられない。
なんだか昼飯を食った頃から体が重いような気がしていたが、帰るともう立ち上がるのがだるくなってきた。お初にあたったのか。体温計は38度。とっとと蒲団をかぶって寝る。寝汗を山ほどかく。
朝から雨。スターバックスであれこれ打ち込み。
浅草新劇場で岡本喜八『侍』。伊藤雄之助、アップの回数では三船敏郎に勝っているのではないか。伊藤雄之助の顔は縦長で画面は横長なので、アップになる伊藤雄之助の顔の横には話し相手のうしろ頭があったり障子があったりするのだが、この余白がまたコワイのである。伊藤雄之助の顔があんまりコワイので、逆に余白があまりにも何もない空間に見えすぎてコワイ。あまりにも何もない空間とは、化け物の気配だけが濃い空間のことである。
木曽屋を演じる東野英二郎は、出生の秘密を隠すところではやけにシリアスなのだが、いざお菊を演じる新珠三千代と打ち解け始めると、急に秋刀魚の味のような気安い庶民の演技になるから楽しい。
この映画では、記録係がナレーター的な役回りになる。記録を書いたり読んだり燃やしたり。三船敏郎に誤殺が打ち明けられるとき、その記録係が屋敷の出窓のところに座ったまま、外に居る三船敏郎に事情を読み上げる場面が異様。見世物がこちらを見ているかのような反転。美術は阿久根巌氏。
ラストの桜田門外の変は雪上ラグビー状態。ドブに相手の体を押し込める格闘。
どじょう屋でどじょう鍋を食べながら一杯やっていると、向こうのほうで携帯が鳴る。男が仕事先とおぼしき相手と大声でしゃべっている。「ああ、すいません、いまね、いろいろやってるところなんですよ」。男の前にはぼくの前にあるのと同じどじょう鍋、ネギは山盛りで、向かいの女性が手持ちぶさたそうにそのネギをちょいちょい崩している。電話の向こうからはネギも女性も見えないだろうが、こちらには丸見えである。なるほど、あのネギとか山盛りとか女性のちょいちょいとかが「いろいろやってるところ」なんだろう。そう思いながらこちらもネギをつまむ。自分が食ってるこのネギも「いろいろ」のひとつか。店内見渡す限り「いろいろ」だ。
新幹線の回数券を精算機に入れたら「この機械では処理できません」と表示されたので改札を通る。駅員さんがハンコを押しながら「ありませんでしょう」というので一瞬なんのことかわからなかったが、「ないですね」と答えて出た。「ありませんでしょう」とは、おそらく、精算機の反応に関する何かなのだが、それを推測できてしまうのはなぜか(南彦根駅にて)。相互環境の顕在化とは、相手が注意する対象を相手の履歴の中から絞り込むこと?
朝、喫茶「豆の木」に行ったらなくなっていた。呆然とするが、隣りの店の人に事情を聞き、本を言付ける。
浅草文庫に行きご無沙汰のおわびかたがたご挨拶をして、榧寺(かやでら)の場所を尋ねてから厩橋の東へ。
なぜ榧寺かというと、この寺が継子いじめ話の起源のひとつではないか、と以前小沢昭一氏がどこかに書いておられたのを伝え聞いたからである。
お寺の方に尋ねると、わざわざご住職が出てこられてお話を伺うことができた。淡々と話されるのだが、その中身はなかなかにむごたらしい。
それは大正11年、7月2日(と、ご住職は年月日を正確に覚えておられる)。蔵前のあたりに松村関蔵というセルロイド業を営む男と、常磐津の師匠兼崎マキという夫婦が住んでいた。この二人の養子の初子は時に13才。継父と継母はこの初子にせっかんを重ねた末に殺してしまい、発覚を恐れた夫婦は、当時の新聞によれば「頭部両足を切断し深川相生橋水中に投ず」。
ちなみに、この「頭部」というのをご住職は「とうぶ」ではなく「ずぶ」と読み、「ずぶりょうそくをせつだんし」と何度も調子よく言われるので、こちらの頭部にもずぶりょうそくがずぶずぶと入り込んでしまった。
さて、そのずぶりょうそくを切断されたお初は、初七日になんと上げ潮にのって隅田川をのぼり、厩橋にもどってきてしまい、これがために事件が発覚したのである。
あまりのお初の不憫さに、先代の住職日比野諦我(たいが)師がお初地蔵を建立したところ、参拝者が続々と詰めかけ、多いときには日に300人にもなった。お初まんじゅう、お初せんべいなどまで売られたというのだが、もとの話が話だけに、なんともすさまじい。住職の山口諦源師は、いまも当時の都新聞を金庫にしまっておられるという。
江戸東京博物館へ。ちょうど桜川ぴん助社中によるかっぽれをやっていたので、手踊りを少し真似て、常設展の十二階錦絵を拝み(ちょうど展示替えして、十二階手ぬぐいなども展示されていた)、帰りに「十二階レターホルダー」を買う。
空がかき曇って小雨。金寿司に飛び込んで軽く食事。5年もののホタテを貝柱、ヒモ、キモと別々にしていただき、貝柱は握って、キモはあぶって、ヒモは生でわさびじょうゆでいただく。これでおなかいっぱい。10年ものもいちおう見せてもらったが、一人ではとても食べきれる量ではなかった。ほたてをなめんなよ。
十二階の宿に戻ると日没前の虹。東京の虹もでかいな。日が低いからだろう。おぼろげながら外輪まで見えてダブルレインボウ。地上にいたらたぶん見逃していた。
大塚outloungeで「理解という出来事」。Yukoさんの演奏と中村明子+日本-デンマーク。日本-デンマークの人が「Live」っていう波形再生ソフトを使ってたんだけど、波形のズームイン、アウトのスムーズさが、あたかも「マトリックス」みたいで楽しそうだった。足立さんと話。彼は最近、小学校のワークショップによく行くらしいのだが、小学校1,2年だと「はいはーい」と手はよく上がるのだが、いざ人前でやるとなるとやはり恥ずかしさが出てなかなかぶっとんだことにはならないらしい。ドイツの話を聞き、日本逃亡欲強まる。
東京の夜にはなかなか慣れない。夜の十一時だというのに人がたくさん乗り降りする。トイレにはもうええっちゅうくらい人が並んでいる。液晶画面が進学塾のクイズを出す。行き先を示しホームの階段位置を示す。向かいで女性がものすごい速さで化粧している。この時間から化粧とはたいへんである。夕方、三人の中学生がじゃれあってるのを見たのを思い出した。二人が座り、ガタイのでかい一人がつり革につかまって、話ながらときどき座っている一人のスネに蹴りを入れている。その蹴りがどうも冗談にしては強い。蹴られているのは、ジャニーズに入れそうな女っぽい顔立ちの華奢な子で、和気あいあいと談笑している風だったが、一発さすがに耐えられない蹴りが入ったのか、顔を歪めると立ち上がって、ズボンをまくりすねを見せる。「おお、赤くはれてんじゃん」と蹴り男。ジャニーズはそれに答えずに、人をかきわけて隣の車両に行ってしまった。
身振り研究会で古山さんの発表、ジェスチャーの詩的構造について。ジェスチャーにおける脚韻にあたるものはなんだろう。ジェスチャーの手には、音声よりもさらにたくさんの要素があって、それがそのときどきで違った風に顕在化する。たとえば掌を上下させるとき、掌が下を向いているか上を向いているか、指は開いているか閉じているか、握られているかどうか、手首は使われているかどうか、などなど、各関節どうしの組み合わせによって、そのニュアンスは変わりうる。しかし、これら要素のどれが意味生成にとって重要かは、音声におけるフォルマント構成ほどにははっきりしていない。
歩きながら話すときのことばは、じっとして話すときと違うはずだ。歩きながら話す日本語、という本を出すのはどうか。
朝、芹川沿いの桜並木を通る。暖かい朝。すれ違う人はみな歩く速さを緩めている。
長浜で非常勤。帰りにとある食堂に入って天ぷらうどんを食うが、生涯ベスト3に入る画期的にまずいうどんだった。
帰りも芹川沿いを通る。いい陽気で、あちこち見とれていると自転車のハンドルがふらふらになる。
午後大学へ。事務講義などなど。
晩飯は、成田君のおすすめのそば屋。激ウマ。昼の分を取り返した。
春がすみが月光を吸って、空が明るい夜。ソバはあっという間に消化され、屋台で酒に食事。
朝から講義講義ゼミ。ゼミでは塾におけるカテゴリー化以前の問題について。実際のデータはこちらの定式化したいことよりも微妙で、そこがおもしろいのだが、焦点はぼける。
あちこち電話。昨日書いた継子いじめの話をさらに書き直し。やはり一日3コマ以上しゃべるとどっと疲れる。