朝、クラクフ駅発ヴロツワフ行。4時間半ほど。車中で「Illustrated history of Poland」。たぶん高校生くらい向けに書かれた本だが、タイトル通りイラスト資料満載で見通しがよい。なにより、地図がたくさん載っているのがありがたい。
ポーランドといえば、「ポーランド分割」。つまりロシアとプロシアとハプスブルクが大げさな身振りで地図を示して分割を話し合ってる絵が記憶に残っているていどで、さてその分割前の歴史はというと、とんと分からなかった。
が、ポーランドという場所を通史として読むと、初期の王権とSeymの構造や、16世紀以降に選挙制によりスェーデン王やサクソン王を立てていたポーランド貴族の退廃の過程、さらには複雑な民族間のかけひきなど、ひじょうにおもしろい、というかややこしい。
じつのところ、ポーランドがどこからどこまでなのかは、歴史のどこを起点にするかで解釈が変わってくる。ポーランド語を話す人間がいる場所がポーランドだ、と言えば簡単そうだが、さまざまな移住が起こっているから一筋縄ではいかない。唐突だが19世紀のポーランド分割期を考えるのにショパンの伝記を読みたくなってきた。
駅前のホテルのフロント兼ツーリスト・インフォメーションへ。「150から250ズウォチくらいでダブルのホテルを」といったら「うちは115で一晩ダブル。いい?」てな感じで、結局その駅前ホテルに決まる。ベッドはあるしシャワーもトイレも付いてるしお湯も出る。バストイレ付きで一泊3000円ちょいは、これまで経験したポーランドのホテルの中では激安といっていい。ベッドの布団は薄く、部屋には工事現場に使うような赤い鉄の傘のライトが下がっていて、インテリアはいたって殺風景ではあるが、まあ値段相応だ。ベッドのそばのライトはスイッチを入れるなりポンといって線が切れてしまった。
さっそくパノラマ・ラツワヴィツカ(ラツワヴィツェのパノラマ)へ。ここはポーランドで唯一現存するロトゥンダ(円筒型の建物)を持つパノラマ。
他のパノラマと違うのは入れ替え形式になっていること。30分ごとに係員に案内されて入場する。「静かに」という電光掲示板のある暗い回廊は、ほどなくなだらかなスロープになり螺旋を描く。見上げるとまず、青空にうっすら空気をまとった松の梢が見える。この時点で、これはいいパノラマ絵だとわかる。
基本的にはワーテルローのパノラマと同じタイプの戦争パノラマで、さまざまな隊列のバリエーションを軸に、歩兵戦と騎馬戦の様子を描いていくというものではある。しかしその中で印象的なのは、戦列の傍らで十字架に祈る農民、そしてその農家に生えた大きな樹で、これがいかにもいと高く、奥行きをもって見える。このパノラマでは、この一本の樹のほかにも、松や白樺などが点々と奥行きを持って描かれていて、奥行き感の重要な手がかりとなっている。
ラツワヴィツェの戦いは、ポーランドの第二分割に反対したコシュチェンコがクラクフを拠点にすべく行なったもので、もちろんコシュチェンコは主役の一人として描かれている。
加えてこの戦いは、初めて農民に武器を持つことを許した戦いでもあった。そしてこの身分を問わぬ一斉蜂起という点ゆえに、ポーランド独立の象徴として長く語り継がれているわけだ。
そう考えると、美しい田舎の光景を血なまぐさい戦闘への行軍に接続させているこのパノラマは、愛国心をかきたてる巧みな構図をとっていると言えるだろう。
もう少し落ち着いてみたいなと思ったところで、ナレーションが終わって、係が出口へ進めと促す。「もう少し見たいのですが」と頼むが答えはノー。
あきらめきれず、事務室に行って、「あまりにパノラマ絵がすばらしいので是非もう一度みたいのですが」とやんわり頼んでみたが、「それならもう一度チケットを買うしかありませんね」とすげない返事。シュフェーニンゲンのパノラマなんか、1時間半いてもなんにも言われなかったぞ。ちぇ。
とりあえず資料になりそうな本を買って引き上げる。
そこから適当に歩き、旧市街広場などを冷やかしてホテルに戻る。駅前の雰囲気はなんというか、1989以降の普請中という感じで、妙にうらぶれた感じ。