5月からの彦根絵はがきプロジェクトに向けて、上田洋平くんと会う。上田くんは昨年まで高谷研の院生をしていた。彼の手がけている「うちわプロジェクト」や「人と地域」や「八坂絵解き」など、前々からすごくいい仕事だと思っていたので、先の高谷先生の退職記念パーティーでお誘いした。
写真部の笹本君も来てくれて、いっしょにしばし彦根の絵はがきや写真を見る。一通り話が終わったところで、「ちょっと今日、絵はがきお借りしてもいいですか」といって上の階にあがって数時間後、「できました」といって戻ってくると、 なんと数十枚の絵はがきすべてを裏表別々にスキャンしたデータが CD-Rに焼かれていて、しかもうち二枚は A1大にプリントアウトしてあった。 CD-Rにはラベルが打ってあって、さっそく「風景探偵」というキャッチフレーズが考えられて印刷してあった。大学に来てこの方、こんなに仕事が早く、かつ期待以上のものが返ってくる人に会ったのは初めてである。高谷先生が彼のことを何度も文章に書いておられたのがよく分かる。
夜、「黄泉がえり」を見る。この大ヒット作をじつは見たことがなかったのだが、なんともいえないおもしろさだった。長回しがこちらの予想を裏切る。長回しのあいだにいったん事が収束した感じを与えてちょっと会話に間が空いてしまうのだが、そこを粘ったあとに、粘ったかいがあるようなないような微妙な変化が訪れる。それについ引き込まれてしまう。飲み屋でおでんをつつきながら話す竹内結子と草なぎ剛のやりとりなどには、ブーメランのような緩急があった。独白のあいだに回り込んでいくカメラの後ろの暗さも悪くない。 砂浜で三人が入れ替わるシーンを最後に、後半は筋に流れたかな(正直なところ、この映画の音楽は趣味じゃないし、柴咲コウの歌をさほど長く聞きたいと思わなかった)。
たぶんこの映画で草なぎ剛の棒読み声は単なる「いいひと」を脱して、魂迎えと魂送りの力を帯びるようになったのだな。彼の声はもしかすると、 2000年代における笠智衆の声を担いつつあるのかもしれない。「僕の生きる道」や「彼と彼女と彼女の生きる道」で彼の独白が多用されていたが、あれが狙っていたのはこういう感じだったのかと納得。
「てるてる家族」の視聴率は歴代最低だったそうだ。ところが「てるてる家族」、そして同じく同率で歴代最低の「オードリー」は、ぼくにとってここ数年の朝ドラ歴代ベスト1,2である。なぜこれほど「視聴率」の反映する世間と自分がずれているのかよくわからない。
「てるてる家族」では、何か作業をしながらセリフを言う演出が常に意識されていて、作業をする身体から生まれる演技者のことばには独特のリズムが感じられた。つまり、出演者の演技に明らかに「ノリ」があった(特に、丸い風呂に入ってぐるぐる動きながら少女時代の秋ちゃんと冬ちゃんが語り合うシーンはいつも楽しみだった)。いつも動きながら声を発するという点では、番組全体が「ミュージカル」的だったとも言える。
あえて言えば、最初の二ヶ月に見られた、横移動撮影による思い切った時間の接続(冬子がおせちをこっそり食うシーンや、浄瑠璃のお師匠さんを夢に見るおとうちゃんの長回しは、連ドラ史上画期的な演出だったのではないか)や、和ちゃん兄弟のいる塀のうちそと世界の往復に見られたような大胆な空間演出が、後半ではめっきり少なくなったのが残念だった。
ともあれ、フィギュア、歌手、宝塚、パン職人、白衣と、ほとんど姉妹コスプレのような衣装の変化も楽しめたし、前期で作り上げた設定を後期で繰り返し使いながら「ベタ」化していく過程も楽しかった。なにより上野樹里びいきのぼくは秋ちゃんが出てるだけで満足であった。
ソウルへ行く留守のあいだ、猫の世話を矢野くんに頼むことにする。うちの猫は人馴れしない猫で、初めて来た相手にはずっと姿を見せずに押入れに引っ込んでいることもある。今日はエサを食いに出てきたときに矢野くんの手の先を嗅ぎに来たので、初対面としてはまずまずというところ。もっともそのあとものすごいうなり声をあげたのだが。
サーバの設定など。大学にいるといくらでもやることが発生する。それにどこまで距離を置くかが問題。
ホテルで「てるてる家族」最終回を見る。最後は米朝師匠の「サービスショット」。半年間このドラマには楽しませてもらった。
午前、岡隆氏の講演を聴いてから、ワークショップの打ち合わせ。午後、鷲田清一氏の講演は、ディスコミュニケーションをめぐる内容。学校の言語は「知ってる人が知らない人に聞く」言語であり、試す言語である。ここには「信頼」がすっぽぬけている、という話からは、先日のメイナードの「バッド・ニュースを伝える」話が思い出される。
知る者から知らない者に一方的に話が伝達されている、という見方に対する危機感はあちこちであがっている。となると、会話分析において「知る者が知らない者を試す」のではないコミュニケーションから学ぶことはひじょうに多い、ということになるだろう。
ワークショップ「多人数会話における話者交替再考」。最初の議論が長引き、残り20分となったところで、嵐のようにデータを見せる。なんともあわただしいことになってしまった。 最近、短いデータを濃密に解析することに馴れているせいか、ほんの30秒ほどのデータでも、2時間くらいかけてディスカッションしないとフラストレーションを感じるようになってしまった。かといって、データから発見できることを列挙していくと、ターゲットとなるテーマから離れがちになる。データとテーマのどちらに重きを置くかは難しいところだ。テーマに沿って話す場合は、シェグロフがよくやっている、データコレクションからほんの数ターンだけを切り取るやり方がいいのかもしれない。
帰り際に西阪さんとちょっと話したが、 UCLAに行ってからというものデータを見るのが楽しくてしかたがないそうだ。晩にテレビ見るよりもデータ見てるのが楽しい、とのこと。
新宿に出てワークショップのメンバーで飲み会。終電を過ぎ、タクシーでホテルに。部屋に戻ってパソコンを開いたら、「飲み屋ディスカッションアウトライン」という下記のようなファイルが残っていた。こういうファイルはうっかりすると、HDの奥底に埋もれそうなのでメモがわりにアップしておく。
新幹線で東京から中野坂上へ。でかいビルを過ぎ山手通りから西に入ると意外に閑静な住宅街が坂に沿って下りていく。駅にほど近く、こういうところなら住んでもいいかなというような辻がちらほらあった。東京工芸大学で社会言語科学会。片岡さんのシンポジウムを聞いて、懇親会。
榎本さんから被験者倫理と同意書について意見が出て、二次会はもっぱらその話。これだけ映像の利用が多様になってくると、映像の公開といっても「研究会等の公開」「講義での公開」「インターネットでの公開」などといろいろなケースが考えられる。とくに「インターネットでの公開」となると、二次利用の問題が入ってくる。二次利用で何が起こるかは予測がつかない。いっぽうで、ジェスチャー研究のサイトを見ていると、けっこうみんなイケイケで人間が写っているデータを公開している。このへんをどう考えるべきか。
原稿を書き、明後日の準備のためにデータを見直す。もうかれこれ5年以上前にとったコップを探す話。見直しはじめるとやたら時間がかかる。
卒業式に謝恩会。和田さんをはじめ4回生の頼れる仕切りのおかげで場所も段取りもきちんとアレンジされていて、とても気持ちのよい会だった。玉置くんがいつになく殊勝なことを言うのでちょっと泣ける。 遠山さんにも仁木さんにもあれこれ卒論中に「毒舌」を吐いた(らしい)のだが、いまとなってはよい思い出である。みんな元気でね。
春は物憂いねえ、何か気晴らしになるようなことがないかねえとゆうこさんと話していて急遽ソウルに行くことに決める。アルキカタドットコムで航空券予約して即決。以前から印南さんから「彦根-ソウル間は、じつは彦根-東京間だと体感的にはより近い」と言われていたのだが、なにしろソウルに行くのは初めてなのでどうなることか興味津々。
かちゃかちゃと原稿を打っていたら、おっと退職記念パーティーだった。脇田先生、高谷先生、安土先生、鄭先生と、滋賀県立大学創設期からの精神的支柱の方々ばかり。いつだったか飲み会で高谷先生から言われた「ぼくはね、この大学でええおふくろさんを育てたいんですよ」ということばは、ときおり頭の中にひっかかる。帰りがけに高谷先生の文章と安土先生の絵による「二人の湖国」をいただく。いつの間にこんなに分厚い本を書かれたのか。
講習会。ほんとは現場心理学の話につなげるべくあれこれネタを用意していたのだが、欲張りすぎて、最後はすごい駆け足になってしまった。 講習会のPDFはこちら。終わってからどっと疲れて、仙川駅前のトンカツ屋で水戸黄門を見ながらトンカツを食って東京へ。
東京駅の喫茶店で西條剛央さんの『母子間の抱きの人間科学的研究—ダイ ナミック・システムズ・アプローチの適用』(北大路書房)を読んでいたら、どんどん読み進んでしまい、つい指定の列車に遅れてしまった。昨日の西條さんのシンポジウムでの発表は時間が少なかったせいか、ちょっと方法論と制度論に終始しすぎているかなと思ったが、この本では方法の考察とじっさいのデータの扱いのバランスがよく、ひじょうに刺激的だった。
文春の田中真紀子がらみの問題はどうもイヤな問題だ。田中家という特別な事情によって司法も文春もストップやゴーをかけてるくせに、それがあたかも「プライヴァシー」の問題であるかのように振る舞っている。このような訴訟が成立するのは、田中家や長嶋家のような人々の場合に限られている。この「特例」によって「プライヴァシー」が守られるというのなら、「広末腹ボテ写真」なんていう吊り広告も規制してみやがれ。
そういえば、最近の長嶋氏が立った歩いたを伝える報道には、昭和天皇崩御間際のような「やんごとなき」感じがして、どうも気持ちがワルイのだが、どうして誰も違和感を訴えないのだろう。
朝早くにポスター発表を何件か見てまわり、それからは休憩室と喫茶店をハシゴして明日の準備をする。
笹塚の商店街は人通りが多い。やはり商店街は歩いて回れるのがいちばんだと思う。彦根の商店街の多くが間違っていると思うのは、車社会を前提にしていることだ。車は目的地に速くたどりつくための道具であると同時に、目的地以外の場所をスキップするための道具なのだ。車によってたどりついてもらうことばかり考えていると、自分がじつは車によってスキップされているのだということがわからなくなる。
昔の彦根銀座の写真を見ればわかるが、もともといまのバス通りだって、人がわさわさ歩いていたのだ。
その意味では、花しょうぶ通りは、歩いて回れる商店街のよいモデルだと思う。
午後に「 質的研究を評価-洗練するための理論的・方法論的・実践的提案:次世代を創る人間科 学的コラボレーションの実践」シンポジウム。斉藤清二さんの話、砂上さんのコメントにいろいろ考えさせられた。質的研究はよく「仮説検証型」研究と対比されるために、仮説を生成すること自体がイカンと誤解されることがあるが、そうではない。斉藤さんの「構造仮説継承型事例研究」という考え方では、質的研究における「仮説」のあり方がうまく言い当てられていると思った。
仮説検証型の問題は、建前では研究者による仮説の相互チェックが目指されているにもかかわらず結果的には仮説のほとんどが論文生産のために使い捨てられている点にあると思う。この点で、「仮説継承」というのは、「仮説」の力は認めつつ、しかし現場に仮説が裏切られる(仮説をバージョンアップさせる力を持つ)契機を重視するという点で、ひじょうにバランスが取れていると思う。
後でサトウタツヤ氏と歩きながら、早い話が、現場に帰ったときにむなしくならない研究というのが必要だなという話をする。
裏コンに出て、夜半近くに笹塚のホテルに戻る。
今週来週と東京に新幹線で往復しなくてはならない。新幹線をしじゅう使ってる人にとって、スペインの事件は「明日は我が身」だろう。その新幹線の中で「ブッシュマンとして生きる」読了。書き込みをたくさんした。
「ナレ」( p212)について。
乾期の終わりの一〇月の空に、野火の煙が立ちのぼり、その上空に白い雲ができていた。 それを指し示しながら、タブーカが教えてくれた。「こういう雲を見た人は『アエー、あの火をつけた男の人はちっちゃな子をもってるぞ』って言うんだよ。ちっちゃな子のいる男が火をはなつと、その子に真っ白な歯が生えたことを感づいて(ナレして)真っ白な雲をつくる。だから、幼子をもっている男は、雨が降ることを願ってよく野火をはなつんだ」 いったいこのとき「感づく」主体はだれなのか? うっかり聞きもらしてしまったが、この何かが「雲をつくる」のである以上、おそらく「空」または「神」(ガマ)なのである。
ブッシュマンの思いは煙になる。煙となった思いを「ナレ」して雲を生むのは空のしわざである。ブッシュマンは煙を焚く。焚かれた煙に、人は人の兆しを見る。それはブッシュマンが「彼方」とこの地を重ねることのできる(p76)広大な原野にいるからだろう。ブッシュマンの空は、雲の高い空であり、ブッシュマンは空に「ナレ」し、同じ空の下に誰か自分に似た者がいることを「ナレ」する。
菅原さんは串田さんのことばを引きながら、ブッシュマンの唱和を「交感の構図」と呼んでいる(p108)。高い空で「ナレ」は兆しとなって交わる。ブッシュマンの「交感」のセンスは雲に兆している。
雲を見、空を見上げる、といえば西行を思い出す。西行は雲を見るうちに身も心もあくがれ出でて雲になるのだが、その身や心の漂う場所が「空」である。
空に出でていづくともなく尋ぬれば雪とは花の見ゆるなりけり
そらになる心は春の霞にてよにあらじとも思ひたつかな
さてもあらじいま見よ心おもひとりてわが身は身かと我も浮かれむ
西行は我が身を浮かせ雲となる。雲を浮かせるのは空のしわざである。西行は雲にあくがれる。しかしそのあくがれを見る人がいない。それは彼が出家しているせいだろう。西行の空は高い山に一人いる者の空であり、西行は山から間近い雲に「あくがれる」。だからこそ、西行は歌を詠むのかもしれない。西行の歌はブッシュマンの煙である。
発達心理学会一日目。午後の共同注意のシンポジウムに出たのだが、これがかなり刺激的だった。とくに大藪さんの豊富な映像事例を見ていると、養育者・乳幼児・モノという三項関係じたいよりも、その三項関係が生成するプロセスのほうが圧倒的におもしろいことがよくわかった。とりわけ、乳幼児がモノを見たり、モノを使って何か動作したあと、母親に「やったよ」の視線を送るところ。それから、小嶋さんが紹介していた「キーポン」はかなりメロメロきそうなロボットだった。
夜は「エスニックな」店で、あぶらについていろいろ語る。橋彌さんが符丁のように「ブッシュマンとして生きる」を持ってたのでお互いかざし合う。
大阪教育大へ。森本さんに新大阪から送っていただきがてら、会話分析話。車で移動しながらディスカッションするというのは、独特の「ドライブ」感がある。方法の困難さが走行の困難さ(あるいは容易さ)に折り畳まれながらどんどん進んでいく。
川島さんをお迎えして串田さんのデータについてディスカッション。川島さんによると、シェグロフは一行一行の解析から先走ると「Jump aheadはいかん!」といって怒るんだそうだ。というわけで一行ごとに議論百出。あっという間に4時間経つ。もはやこういうのが当たり前に感じられるんだけど、ただの日常会話を4時間かけてディスカッションして楽しいという体験って、もしかすると稀有なものかもしれない。
三人における視線の使い方はやはり、二人に比べて圧倒的に複雑だ。発話の途中で視線が一人からもう一人に移ることがよくあるのだが、あたかも話の聞き手であるということと、次のターンを指定するということが区別されているかのように見えておもしろい。
「だからいったじゃないの」という発話の不思議。相手の直前の発話を予言との照合部分として引き受け、さらに「だからいったじゃないの」の後に、成就のありさまが語られる。「だから」は過去に為された予言を背負い投げのように未来に倒し、成就へと重ねる。予言→成就、ではなく、予言→事件→事件と予言の重ね合わせ=成就、という三段階。
「なんていうか」。相手からどこでターンが終わるかを隠しながら、ターンを保持する装置。
発達心理学会の講習会の準備。とりあえず 話の流れのレジュメを作ってフォローアップのページを作った。
さらに原稿。スペインの爆破事件を受けてポーランド首相が米英を公に批判した。歴史的に義勇軍が国のアイデンティティであり、しかし大国にいいように扱われることに敏感なポーランドがこういう態度に出ていることは、「いくらなんでもこれはまずいのではないか」という感覚がいよいよヨーロッパ内外に広がり始めていることの証左だろう。アメリカだって、損得が損と出ればあっけなく退くだろう。気がついたら日本だけが「テロとの戦い」を声高に叫んでフロントラインに立っているかもしれない。
暖かい、というよりはぬるいほどの空気。自転車に乗って切る風が痛くない。かわりにまとわりつくような甘ったるさがある。原稿を書きながらシェグロフ論文をいくつか読み返す。不思議なことだが、メイナードと話をしたあと、以前よりずっと連鎖に対しての自分の感度があがったのがわかる。たぶん、organicという感覚に感染したのだろう。それはいいのだが、どの原稿も長くなってしまって困る。
夜、KeShellyで彦根絵はがきプロジェクトの会合。
菅原さんの「ブッシュマンとして生きる」を読み始める。じっさいの菅原さんは実に話上手で、飲み会で語られる長いエピソードにはなんともいえない緩やかさと驚きがあるのだが、この「ブッシュマンとして生きる」では、いよいよ、そのストーリーテラーとしての魅力が発揮されつつある。感情が動き、その感情にのせて、より遠くまで考え進められている。たとえば、この本では、クリプキの「名指しと可能性」から「いったい人間は、どんなときに、複数の異なった『現われ』をもつのだろう」という問いが引き出されている。そこであげられているのは、こんな例だ。
さて、そのキレーホだが、彼は途方もないおしゃべりである。田中二郎はそのことにかねてからあきれかえっていた。あるときわれわれは、ソレまで知らなかった<パープー>という形容詞(あるいは擬態語?)を知った。「大口たたき」という意味である。田中はおもしろがって、しきりとキレーホのことを「パープー、パープー」と呼ぶようになった。ところが田中が日本に帰った後、私はキレーホが田中の噂話をするたびに、田中のことをパープーと呼んでいるのに気づいた。けげんに思い、「田中がおまえのことをパープーと呼んだんだ。だから、パープーとはおまえの名だ」と注意した。キレーホは答えた。「おれとタナカはドワオ(交差いとこ)だから、おたがいに同じ名前で呼びあうんだ。ほら、ホアアヤはおまえのことをツォーカムって呼ぶだろ?だから、おまえも彼のことをツォーカムって呼べばいいんだ」
このキレーホの答えは、私を少しばかりほろりとさせた。
(菅原和孝「ブッシュマンとして生きる」中公新書 p56)
Scriptに DVDに仮想チャプタを割り振るスクリプトをアップ。テキストエディットにDVDの現在時刻を書き込み、逆にテキストエディットからDVDを頭出しするという、回りくどいのか便利なのかわからん機能がつきます。自分ではよく使っているけど。
ビバシティで「イノセンス」を観る。押井守作品を見るのはものすごく久しぶりで、そのCGの密度のあまりの濃さに、東京にはじめてでてきた田舎者みたいに「すげー」とぼーっと観ていた。ぼーっと観ていたものの、最後まで絵がすごい映画だなという印象で終わった。
アニメーションの人物の動きがすでにしてくぐつめいているというところに、よくも悪くもこのアニメの閉塞感があるのではないかと思う。丹念に書き込まれた背景やディティールのクオリティの高さに対して、生身の人間どうしがわらわら動くときの動きの感じがどうも得られない。人形と人間の境というのがテーマで、それはある意味で「アニメーション」の本質にかかわるテーマだとは思うのだが、人間と人形の境といっても、どちらもアニメーションの中のできごとで、どうも人間も人形もアニメの中でなんか苦しそうだな、という感じになる。で、その閉塞感にどうも没入できずに終わった、というのが正直なところだ。
くぐつ感を出すために、口を閉じて声を出す、という趣向が盛り込まれていたが、普通にしゃべっているところのリップシンクがずれているため、口を閉じている者も口を開いている者も同じ領域にいる感じがした。
無生物に人間らしさを感じるという感覚と、人間も皮一枚剥げば機械、という感覚はどうも違うのではないか。「イノセンス」ではこの二つの感覚を「人形」によって行き来しており、それは、視覚で人間らしさを判断することの危うさを喚起する仕掛けのはずなのだが、どうもその仕掛けを使えば使うほど、(中身はともかく)人間らしい面をしてる奴だけが人間と機械のあわいを生きる資格のある世界になってしまっているようで、そこにも息苦しさを感じた。と、ここで「わたしは真吾」を思い出した。
昨晩は「ファスター・プッシーキャット!キル!キル!」に続いて「ヴィクセン」も観てしまった。ラス・メイヤーは、なんとなくオールナイトな感じをおこさせる。DVDだからお得でもなんでもないのだが、なぜか入れ替えなし料金均一な、京一会館的というかみなみ会館的な気分にさせられてしまう。
ヴィクセンはカナダが舞台だとわかったので、字幕を東北弁にしてみるが、こちらはあまり違和感がない。単に観ているこっちに東北弁の知識がないからかもしれない。あの関西弁の妙ちきりんな字幕だって、関西人でない人にとっては漫才師のしゃべるようなおもろいことばに過ぎないのだろう。
ヴィクセンが弁護士と抱き合っているところのカットバックはすごいな。背中越しに語る弁護士がほとんどヴィクセンとは異次元で声をあげているみたいだ。ラス・メイヤーのカットは時間がぶっとんでいて、明らかに違う時間のできごとを撮っているところはもちろん、通常のカットバックもなぜかまるで異次元どうしに見える。
それにしても、あの鱒踊り。すごくライブなエロ時間。
昼はずっと原稿。
夜、レイトショーで「ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還」。とにかく三時間半、複雑なエピソードを限界まで盛り込み、しかもほとんど飽きさせなかったのはすごいと思う。烽火のシークエンスや死の軍団の表現にはかなりしびれた。
そのいっぽうで、あの、原作の体験は(当然ながら)映画とはまったく異なるのだということを改めて痛感した。戦いによってテンションをあげるほうが映画としては成立しやすいのだということはわかる。しかし、小説では、もっと暗く、ただ歩くだけの救いのない過程にこそ魅力があって、もっと鈍く重たいのだ。特に王の帰還後の、失われた故郷からフェイド・アウトまでの感覚は、映画に求めるのは無理なんだろうな。
ピーター・ジャクソンはハリウッド的なまとめ方によく抗したと思うし、映画は映画の世界を全うした。「ロード・オブ・ザ・リング」は映画による叙事詩として確実に後世に残るだろう。しかし、原作の灰色は、けして映画にはならない特別なものだ。
Pantherを導入して以来ずっと手つかずだったXcodeでGScriptのプログラムをいじる。最初、まるでスクリプトが読み込めず難儀したが、どうもスクリプトのエンコードが狂っていたらしく、「欧文Roman」にしたらなおった。XcodeはいわゆるiTune式のインターフェースで、以前のProject Builderよりはずいぶん見通しがよい。
夜、DVDで「ファスター・プッシーキャット!キル!キル!」。文句のあろうはずがない。
ないのだが、何気なく字幕をいじろうと思っておどろいた。このDVD、なんと標準語以外に関西弁と東北弁の字幕がついている。むろん、関西弁を試してみたのだが、これがとんでもないイカモノ。笑っていいのか脱力していいのかわからない。なんせ、いきなり「皆はん」でっせ。「ワテは女よ」「水をちびっと使わせて」などなど、全編、まるで大阪弁変換辞書を使ったかのようなパチモン関西弁攻撃にくらくらする。そしてとどめのラストテーマは「どなたはんも彼女をとめられへん」。ど、どなたはん・・・
こころとからだ研究会。荒川さんの発表は、顔文字の使われ方や説明場面から聞き手志向と話し手志向とをさぐるというもの。
志向、ということばと、制約、ということばのあいだにはなんらかの区別が必要だと感じた。さらに、制約には関係の制約と表出の制約がある。さらにさらに、表出の制約には、レパートリーの制約と、表出の時間構造の制約がある。たとえば、メールにおける顔文字の場合、レパートリーの制約は大きいが、前もって編集できるので、表出の時間構造は相手からは隠されている。いっぽう、表情筋は顔文字よりはるかに微細な表現ができるという意味で制約はずっと緩いが、表出の時間構造じたいが表出の意味にかかわるので、顔文字にはない制約を受ける。
身振りのような動的な空間表現では、表出の時間構造じたいが相手の読み出しの時間構造に直接かかわり、表出の意味にかかわる。つまり、表出に伴う時空間構造が読み手の時空間構造を制約する。逆に、読み手の時空間構造に制約された時空間構造が表出される。
いっぽう、文字や建築のような静的な空間表現は、表出の際の時間構造は相手から隠されており、相手は、空間配置から読み出しの時間構造を生み出す。言い換えれば、静的な空間表現では、空間配置によって読み出しの時空間構造を制御する。逆に、読み手の時空間構造に制約された空間構造を構築する。
だから、静的な空間構造を表出するときは、時間のシバリが緩い。もちろん、「ノリノリで」書くためには、ある種の時間が必要だが、あとでいくらでも編集が可能だ。動的な空間表現と静的な空間表現の違いは、ライブと録音の違いといってもよい。
ライブの研究、つまりインタラクションの研究というのは、じつは少数派だ。多くの社会学や社会心理学は、じっさいのできごとではなく、質問紙による研究を行なっている。つまり、ライブに関する自己評価や世評の研究というのが主流になっている。会話分析やジェスチャー分析のようなインタラクション研究の目標は、表現の時間構造が受け手の時間構造に次々とprojectされていく事態を、いかに明らかにするか、という点にある。
後の飲み会で、「骨董を見分けるハト」というのを育てるのはどうか、という話。真贋を見分ける学習をどんどん繰り返すうちに、はじめて見た骨董の真贋をイッパツで見分けることができるようになる。なんでも鑑定団に出て、クチバシをコツコツとやって「これは1000万円の雪舟で・・・」というおとうさんの夢を打ち砕く。
がーん、上方漫才コンテストを録画するのを忘れた。痛恨のミスだ。
シュテフィーとゆうこさんはロード・オブ・ザ・リング王の帰還を見て帰ってきたせいか、部屋の照明を暗くして呆然としていた。裏庭でとれたふきのとうのみそあえをなめつつ歓談。
夜、ゆうこさんの同僚のシュテフィーさん来訪。映画の話をするうちに「秋刀魚の味」を見ようということになり、ゆうこさんとぼくとで英語の解説を入れながら見る。
英語の説明を入れながら見る、というのはなかなかおもしろい体験ではある。どちらかというと、ミリ単位のできごとの方が鍵になる。たとえば、岩下志麻演じる娘が帰ってきた父親に投げる、ご飯もうないわよ、というようなことばは、父親の娘への依存のしかたがはっきり出ているので訳しておいたほうがよいような気がする。いっぽうで、三人の同窓生のちょっと冗談関係めいたやりとりは、いちいち訳すとヤボなので、ざっと説明する。
ひょうたんを知らないシュテフィーに「ひょうたん」ということばの持つ奇妙な感触、(ぶらさがっていること、無用に大きいこと、「ひょう」という音のひょうひょうとしてひょうしぬけした感じ)を説明するのはなかなか難しい。さらにそれが先生のあだ名であり、しかも先生がそのあだ名を自称に使っていることのおかしさを説明しなければならない。
説明しながら、この映画での「ひょうたん」の扱いはずいぶん酷いなと思う。正直言ってかなりヤな感じである。当時の小津安二郎にとっては、「ひょうたん」こそ同世代であり、戦後をくぐり抜けてそれなりにサラリーマンとしての地位を築いている三人の同窓生は、むしろ若い世代だ。その若い世代に対照させて、自分の世代をかくもバッサリと典型的な没落者として扱ってしまう冷たさは、ちょっとやりすぎではないかと思う。杉村春子も、他の作品のような軽快さがなく、ひたすらみじめだ。
そのむごさをかろうじて救っているのが加東大介だ。加東大介は、ひょうたん親子の中華そばを「ここあんまりうまくないんです、な、オヤジ」と評して、笠智衆演じる平山を連れ出してしまうのだが、逆に、そんなことをずけずけと言いながらも常連となってラーメンをなんとなく食いに来てしまうらしい加東大介がいて、彼の巨体が、トリスバーで、おもちゃの魚みたいにぷかぷか進んでいくから、あの親子はかろうじて人間らしい感じがするのだ。
それにしても、敬礼とともに加東大介丸になってしまう加東大介は、ほんとに気持ちよさそうだな。
シュテフィーはメディアアートをやっているだけあって、勘がよく、少し説明を入れただけで、あとは画面からディティールを引き出して楽しんでくれた。「あ、あそこにまた電気掃除機が」とか「ああ、この空の階段の感じね」とか、いいところに目をつける。
「秋刀魚の味」を見終わってから誰からともなくお互いのfamily storyを話し出し、気がついたら4時をまわっていた。
南彦根に向かう自転車でいつものように鼻歌を歌っているときに、The Smithの「Some girls are bigger than others」という歌をとつぜん思い出した。
この曲の歌詞は「ある娘は別の娘よりも大きい。ある娘は別の娘よりも大きい。ある娘のおかあさんは別の娘のおかあさんよりも大きい。」というじつに他愛ないもので、この曲の入ってる「Queen is dead」をきいた当初は、人を喰ったイギリス経験主義的な歌詞だなと思って、おもしろがっていた記憶がある。
それが、ふいに、なんだか生々しい感覚で思い出された。誰かと長いことつきあって、相手の背の高さが、一緒に歩くときや食事をするとき、目線を交わすとき、あらゆる生活のやりとりでこちらの所作にかかわって、そのうち空気のようになる。ところが、その相手と別れて別の相手とつきあうようになったとき、空気のようだった所作が、すべてうまくいかないことに気づく。ちょっとした癖がすべてやり直される。
そして、相手の母親と会ったときに、こうした自分の身体にかかわる感覚が、自分や相手の先代、先々代からずっと経験されてきたできごとでもあるのだということがふいにわかる。そのとき、「ある娘は別の娘よりも大きい。ある娘のおかあさんは別の娘のおかあさんよりも大きい。」という不思議な事実が、何か逃れがたい体感として、一気に捉え直される。そういう感じが、自転車をこぎながら立ち上がってきた。
京都でやなぎさんと母とで食事。大徳寺一久の奥座敷の精進料理。最後はお抹茶が出て、当然大徳寺納豆も出る。大徳寺納豆というのは、うまいとかまずいとか言うモノではないのだが、なにか食べている時間を感じさせる食べ物ではある。まとわりついた衣をなめていくと、昆布のようなしいたけのような風味が塩味の中から顔をのぞかせては塩辛さの中に消えていく。そうするうちに、舌は芯にある柔らかい大豆の表面をなでている。
そのあと母と北野天満宮の梅を見て、下鴨神社を歩き、夕食を食べて別れる。
原稿。長い会議。
原稿。夜、2期OBの面々が「研究室にコタツがあるうちに」と鍋をしに集まってくる。参加者は成田君、をださん、高橋さん、浅井さん、田邊さん(到着順)。途中まではええ感じの豆乳鍋だったが、田邊さんがスナックを入れだしたあたりから、わたしにはついていけない世界鍋になった。午前2時に解散。
午前中、西垣さんの発表。患者側の医者観の質問紙データ。午後、メイナードの「自閉症が開く社会学の未来:エスノメソドロジーと会話分析の未来」。夜、また飲み会。帰って西浦田楽の原稿。
京都へ。昼過ぎにキャンパスプラザ京都でメイナードの「悪いニュースをいかに伝えるか」。それから法華クラブへ行き、ボトムアップ人間研究会。夕食のあと、午前1時くらいまではなんとか起きていたが、飲み屋のソファで撃沈。目が覚めてホテルに戻る。
朝、新幹線に乗って東京へ。人工知能学会の言語・音声理解と対話処理研究会(第40回)という長い名前の研究会。「対話における記憶の相互作用」というタイトル。データは社会言語科学会と同じだが、解析はバージョンアップしている。が、30分では細かい話ができるはずもなく、かなりスキップしてしまった。ジェスチャー分析のプレゼンでは30分というのはとても短い。30秒くらいのデータをねちねちと分析していけば1時間はゆうにかかる。いま書いている西浦のデータも30秒ちょいだが、これについてあるていどのことを言おうとすると原稿用紙40頁くらいは必要になる。
人間が30秒でできることを1時間かけてわかる学者というのはアホウのようだが、オートマティックに30秒でできてしまうことというのは、言語化しようとすると、じつはとてもむずかしいのだ。
会が終わって、西本くんに連れられて谷中カフェでお互い近況報告など。考えてみれば彼とはパソコン通信で知り合って以来10年以上のつきあいだが、その頃はお互い言語・音声理解と対話処理研究会(それにしても長いな)などというところでいっしょになるとは思っていなかった。ふだん行く喫茶店はスパゲティとかサンドイッチとか出てくる場所で、いわゆるカフェめしとは縁がない。おかずがどれもおいしく、量もちょうどよかった。ちょっとだけだが、あまり飲んだくれるのはやめようと思った。
D. Maynardをコメンテーターに迎えて会話分析研究会。大辻さん、ぼく、串田さんの順番で発表。ぼくは、成員カテゴリー装置を拡張しながら塾における人間関係を記述したのだが、メイナードからいきなり、あなたはなんのつもりで成員カテゴリー装置のような問題をとりあげるのだ、それよりも連鎖解析を深くやるようにというコメントをもらっていささか面食らった。ぼくはいつもは細かい連鎖解析に耽溺しているので、連鎖解析の方向を掘り進めることじたいにはむろん賛成なのだが、いっぽう成員カテゴリー装置を考える方向をはなから否定する彼の態度にはちょっと納得がいかなかった。だいいちこちとらは少なくとも、サックスが言っているMemebership Category Deviceよりは、ずっとダイナミックなモデルを提唱しているのだ。というわけで、こっちもちょっとオトナげなかったけど、プレゼンのあとの議論はやや水掛け論に終わった。
しかし、あとでメイナードに話しかけてもう少し話を聞いてみて、彼の考え方が単に研究におけるディシプリンの違いというよりは、もっと深いところから来るものであることもわかった。
あとで話していたときに、成員カテゴリー装置をつかったインタラクション分析として納得できる例として彼があげたのが、白人のカウンセラーと黒人の子との会話の話だった。ある子が、サマーキャンプに来る前に、母親から「白人のカウンセラーなんて信じちゃいけないよ」と言われる。しかし、彼はその、白人のカウンセラーにあたってしまう。カウンセラーが、ごめんね、わたしは白人で、と言うと、その子は、ううん、あなたは白人じゃないです、と答える。そのカウンセラーは明らかに見た目は白人ではないにもかかわらず、その子は彼女が白人であることをけして認めない。
おそらく、さまざまな民族文化の違いがいたるところで顕在化し、しかもそのことが問題となってきたアメリカで、成員カテゴリー装置の研究としてありうべきスタイルは、このようなものなのだろう。そして、こうした問題から離れて、いたずらに、カテゴリー差の運用を取り上げるような研究は、危ういものだろう(ちなみに、成員カテゴリー装置の研究が、70年代以降、提唱者Sacksのいたアメリカ西海岸よりも、イギリスのマンチェスター一派によって勧められてきたことはこの点で示唆的である)。
メイナードがデータを読み込んでいく丁寧さからは、人と人とが緊密にあるできごとを組織化していく過程をできるだけ生き生きと記述したいという感じがよく伝わってきた。それで、会話分析や相互作用分析のひとたちがよく使う「organaization」のorganicな感じというのが、少しわかった気がした。
メイナードは、organaizationのorganicさに、ある種の敬虔さを持って臨んでいる。逆に言えば、ぼくの研究には、ある種の敬虔さが欠けているのだろう。
長いセッションを終えて飲み会。彦根に帰ると夜中近く。明日の準備は新幹線の中だな。
明日のための英語原稿。日本語の会話を英語に直したり、データとなるムービーに字幕を入れたり、というのがなかなかめんどくさい。
明後日の準備。成員カテゴリー装置関係の論文を読み直す。
田中小実昌原稿に入れようと思ったが見送った話を書き留めておく。
呉の墓のある坂を下りて、駅からしばらく歩くと、狩留賀という戦前からの海水浴場がある。ここには、近所の子といっしょに行ったことがある。
当時住んでいた甲子園にも浜はあったが、そのころはたいそう汚くて海に入ると油まみれになった。呉の海はそんなことはなかったが、そのかわり、あちこちの岩がぬるぬるしていて、歩こうとすると足がすべった。ここにはかわった「油」があるなと思ったのを覚えているが、たぶん子供心に納得がいかなかったのだろう、いっしょに行った子に、このぬるぬるしたのは何かとたずねたか何かしたら、クラゲよ、と教えられておどろいた。それまで絵で見たことしかなかったから、まさかそんな正体のないぬるぬるしたものがクラゲだとはとても信じられなかった。そのうちその子は、少し沖のほうに泳ぎに行って、もどってくるときに海からぽーんと白いものを放り投げた。すると、それは、ぴしゃんと岩場に落ちて、近づいてみるとそのあたりにあるぬるぬるしたものと同じだった。海からあがったばかりなのに、とてもクラゲには見えなかった。
おとつい書いた「傷」の話に出てくる魂振りと玉の話だが、これに関して、三浦佑之氏の「ゆら」に関する論考がおもしろい。「揺らかす」の「ゆら」と魂振りとの関係。「つまり、<ゆら><ゆらく>は、物自体に潜む<たま(魂)>が自ずから発動する状態を示すことばであり、具体的には揺れる状態をさす語なのである」。
たとえば、玉を緒が貫き、その緒をぶらさげることにより、玉が揺れる、その揺れを魂の揺れと見る。振り子がこちらの体を揺らすのは、振り子の玉がこちらの魂を揺らすからだ。振り子の糸にぶらさげられた魂としての玉。このイメージ、パラジャーノフの映画のようだな。
由良という地名についても三浦氏は言及している。「<ゆら>の名をもつ地名は海岸にあるが、そこは、海がはげしく魂を発動させて波を揺らしている場所だから、<ゆら>と呼ばれる。そういう場所は神の坐す聖なる空間であるとともに恐ろしい処でもあった。」
こういう話を知ると、
玉の緒よたえなばたえねながらへば忍ぷることのよわりもぞする
由良のとをわたる舟人楫をたえゆくへも知らぬ恋の道かな
といった百人一首の歌にも、魂振る感覚が読み取れる。
玉に由良、とくると、たまゆら(玉響)ということばも思い浮かぶ。勾玉が触れあうわずかな時間から転じて、ほんの一瞬、という意味として使われているが、「ゆら」が魂振りから来ていることを考えると、そのふれあいのかすかさに比して玉の揺れは大きそうだ。たまゆらでググってみると、「たまゆらラーメン」や「出会い系サイトたまゆら」など、みかけのかすかさに比して購買者を激しく揺さぶるさまざまな商品が。