月別 | 見出し1999.1-6 |見出し1998.8-12



19991115
まっとうにお仕事。
19991114
学園祭最終日、ではあるが、盛大に部屋をかたづける。書類やら手紙やらを大量処分するとゴミ袋が6つくらいになった。ようやく机の地平が現れる。
19991113
学園祭の企画で大工哲弘氏の演奏。アムロは天皇在位10周年に臨席し、ダイクは彦根の大学に来る。ダイク支持。
三弦の硬い音の粒を浴びる。石垣島はちょうど琵琶湖くらいの大きさなんだそうだ。つまり滋賀県を水陸裏返すと石垣島、湯船と洗い場の関係
当たり前のように前の席に座ってから、妙に人がいないなと思ってふと振り向くと、客のほとんどがホールの後ろや端の席にいる。弾き語りを聴くならもっと前に座ればいいのに、なぜそのように、いつ退出してもいいような席に座るんだろう。主催者も、もっと前に来るように促せばいいのに。
ぼくの周囲にいた数人は安里屋ユンタが唄われれば「サアユイユイ」の合いの手を出している。あとでわかったが、どの人も京都や大阪から来た熱烈なファンだった。
最後にはカチャーシー。ひさしぶりに踊ったので頭がじんじんする。しかし、うしろの人間はほとんど座っている。たかが学園祭だが、これは「祭」だ。嘉手納から朝一で飛んできた取れ取れぴちぴちの三弦が撥ねて、大工氏が「さあみなさんの番だ」と言う、そのとき、はじかれたように立って踊るお調子者がもう少しいてもいいんじゃないのか?
あとで「先生踊ってましたねー」と何人かから言われた。君は踊ってませんでしたねー。君はあらかじめ踊らずにすむような遠巻きの席を選び、踊れといわれてもそれが伝わらない場所にいる自分に気づき、そしてそんな場所で踊ることは奇異だと思っている。この次は前に座って、踊らない自分に困ってみるといい。
研究室に帰る途中で大工さんが打ち上げに行くところに遭遇。「さきほどはカチャーシーを踊っていただいてありがとう」と言われた。嬉しいような悲しいような。脇田先生に招かれたけれど、低空飛行中なので早々に引き揚げる。

19991112
学園祭。なのだが、柴田先生のビデオ出力手伝い、卒論指導など。交流センターにはさまざまなAV機器があるのだが、いざ稼働してみるとあちこち不調。大学にはこういう機器担当の人間がいないからライブハウスとかに比べると格段に能率が悪い。それでも学生があれこれこなしてくれてるのでまだ助かる。
かと思えば研究室ではシステムクラッシュ。パソコン調整の忙しさは、細切れの待ち時間で構成されている。トータルでは頭を働かせている時間より、待たされている時間のほうが長い。が、待ち時間は、有効に使えるほどには連続していない。
帰ってしばらく寝る。起きてビデオで「素晴らしき日曜日」。キャバレーの裏や土管、杭のような子供、駆ける足、構図と動きに見どころ満載。観客に拍手を求める昭和22年。当時、映画館ではいつも拍手が起こったりしたのだろうか。
19991111
渡辺さんは映画のタイトルのカタカナ語を調べているという。70年代から90年代にかけて、邦題にカタカナが増えているのは事実だ。では、それは単純に日本語訳が減ったということなのか。いわゆる直訳と、内容を加味した意訳を分けてみると、日本語訳のうち、減っているのは直訳系で、意訳系の数にはさほど変動がない。また、カタカナ語を、外来語(和製英語)とアルファベットのカタカナ化に分けてみると、後者が増加しているのに対し、前者はほとんど増加していない。つまり、邦題タイトルのカタカナ語増加は、「直訳よりは、アルファベットのカタカナ化」という現象らしい。
そういや「勝手邦題」っていうページがあるんだよね。

夜中、「親指トムの秘密の冒険」。前にテレビで半分だけみて題名がわからなかったんだけど、ふこをさんがCartoonn Music BBSで教えてくれた。
19991110
講義にゼミ二本に卒論指導。
夜半を過ぎて「まあだだよ」。百間先生のハートウォーミング世界。おいちに。百間が飲み過ぎてふと気づくと会場が空っぽになってるシーンに、かすかなもののけの気配。名前のない所ジョージももののけ的。
19991109
会議4本。会議は体に合わない。
夜、リュミエールの短編集。計算された演出と、そこから洩れてしまうアクシデント。ドキュメントとは、ありのままに取ることではなくて、洩れてくること。
19991108
結局今月のユリイカは落とす。
仁丹の話でいくつか不明な点を図書館で詰めたいところ。
浅井さんが「ひとまねこざる」で実験するというので、スライドショー作り。スキャナで画像取り込み、PixelCatで画像提示用ビデオに。
19991107
さらに低空飛行。
19991106
煮詰まりながらも少しずつ。
昼過ぎ、気分転換に散髪、眼鏡を買う。
さらに気分転換に郵便局に荷物を取りに行くと、キャッスルロードで骨董市。絵葉書を5000円分、さらに明治期の軍人手帳(1200円)。なぜかくそ重い小学校のチャイム(4000円)まで。
チャイムでよろよろになりながらさらに気分転換に帆船へ。「荒野の少年イサム」続き。読みながら、いたるところで「巨人の星」や「いなかっぺ大将」が割り込んでくる。川崎のぼるだから当たり前なのだが。圧巻、というか途方もないのは列車に牛を運ぶ見開きのシーン。そしてやはり見開きで、縁日の的のようなインディアン大虐殺の図。人種を越えた愛は物語の前で無力。
こうして引き延ばして引き延ばしてもうだめ、というところからでないと始まらない。
19991105
bit編集から催促メール。「締め切りを1カ月以上過ぎ,枯葉が舞う季節になってしまいました……」はい、忘れておりません、毎日低空飛行しております。ユリイカも月曜〆切。もはや片肺地上すれすれ。「まんが道」で、〆切をすべて踏み倒し途方に暮れる夢やうつつのシーンが何度も登場するが、いやほんと、あの感じ。

食事をめぐるエピソードを話してもらう実験。食卓の世界に出入りする語り。しぐさで描かれる食卓を共有する対話者。椅子の距離が離れたらどうなるだろう。

最近知った角川ブックレット「本の旅人」に連載の大島弓子の入退院マンガ。枕もとのカレンダーは1998。

「当世書生気質」続き。
19991104
卒論緊急事態のビラを扉に張る。卒論生がとたんにアタフタ、おれって人心左右してるなー、これが権力っちゅうもん?なんつってる場合でもなく、これから2ヶ月あまりの地獄を思う。低空飛行ついでだ。モットモットコイ。

夕焼けの中を名神で京都へ。キクオ、赤尾と古本巡ってから三条木屋町上がるヴィヨロンの上に新しく出来たレコード屋にちらっと。いやあ、いいアナログ揃ってました。
カフェ・アンデパンダンでヒゲの未亡人ライブ。未亡人とヒゲのそぐわなさがつきささるような独特の寒さ漂う前半から、いつの間にか夢中。マイクをかにばさみしながらゾラが岸野雄一をしめあげていく、つる植物のような言語空間。はじめての声、はじめてのメロディ、はじめてのハム、料理、かぞえそこない。
 ライブ前後にミントリさん、岸野さんとミニ生話。ここんとこの低空飛行のせいか、なんか業界挨拶みたいになってしまった。
 名神を飛ばして帰ると、シスコ・キッド、リキどん電話番号、タイム・アフター・タイム、と、絵に描いたようなドライブミュージック。そして帰り着くとまた超低空飛行。
19991103
研究室でかちゃかちゃやってると、山川さんが来ているというので、ベルロード近辺に飲みに行く。産婦人科残酷物語など。その後再び大学に戻ってかちゃかちゃ。気分は低空飛行。
19991102
〆切が近いのだが原稿が手につかない。
ネットワークプリンタを研究室に導入、室内LAN整備。

「当世書生気質」この名作を実は読んだことがなかったのだった(こればっかし)。こういう韻文すれすれの調子のいい文章は、音読向き。黙読しててもいちいち頭で音が鳴るのでやたら時間がかかる。リズムのかなめで横文字を入れるセンスは、現在の歌の素型というべき?

 兎角少年の中には、小説、稗史にあるやうな荒唐奇異(ロマンチック)な事がしたいもので、それが為に、遂に一身を誤ることがあるヨ。下等の動物と同じやうに、肉体の快楽に耽るのは、飽けば止めるといふ事があるが、架空癖(アイデヤリズム)といふ事は、素(もと)が無形の想像だから、年をとって実着(じみ)な料簡が浮ぶまでは、決して厭倦(あき)がくるものではない。剣呑な所以、蓋しこゝにあり、と言ふべきなりだヨ。想ふに君の迷つて居るのも、やっぱりアイデヤリズムに相違はない。我輩が恥かしき事(ウヰークネス)を打明て話したから、君も打明けて話したまえへ。
(「当世書生気質」)

 リズム過多で会話文さえ言文一致から離れていく。言文一致とはリズムの破産?


19991101
何か忘れているような気がしながら読書。あとで会話分析読書会の日だったと気がついたが後の祭り。じつは数日前に木村さんにわざわざ行くとメールしたのだった。
あまりの我が身の物覚えのずさんさがイヤになり鬱々と読書。

▼「不敬文学論序説」渡辺直巳/太田出版。個への回帰を保証する不敬言語空間。加藤典洋の本がしばしば、最後に突然、純粋な個へと回帰する、その危うさについて。

 連合国の武力を背景に強制された「平和憲法」なるものの「ねじれ」を、「わたし達」の「汚れ」「よごれ」なる用語と無前提に等置する点も見逃せない。(中略)この統合はしかも、比喩的な飛躍とはいえ(あるいは、多くの侮蔑語がそうであるように、むしろ比喩としてこそ)、現実の分裂症患者の状態を「汚れ」「よごれ」と呼ぶ無意識の差別性を示さずにはいられないだろう。にもかかわらず、この書物が政治的な矛盾と感覚的な触穢とを等置しつづけるのは、政治や歴史にたいする内面の優位(「自己からはじめる思想」)を保証する「文学」に固執するためである。 
(「不敬文学論序説」)

▼「雪中梅」末広鉄腸のこのあまりに有名な小説をじつはまだ読んだことがなかったのでした。いやあ面白いじゃないか。「政治小説」というくくり以前に、これは権謀術数を看破せんとする才人美人探偵活劇です。ことばの短い区切りに江戸の名残り、漢詩に短冊、開化前後の新旧のことばのスタイルを往復してその身軽さをひけらかし、才ある美人を貶めながら浮かばせる、これで売れないわけがない、というわけで明治期に三万部を売ったのもうなづける。冒頭の未来小説じたての部分については、藤森照信「明治の東京計画」におさめられた、空が煤煙で真っ黒の「明治一七三年の東京」の挿絵を参照。

「宮沢賢治と「遊民」芸術」吉田司(「日本人の自己認識」岩波書店所収)「聖者」宮沢賢治思想のダークサイドを暴く!単純明快。あまりに明快なので、まるで宮沢賢治がきらいにならない読後感。

神田で買った戦前の彦根名所絵葉書を見ると、必ずといっていいほど「大洞」が写されている。現在の長寿院(大洞弁財天)の向かい側あたりだ。国鉄の線路脇に小さな鳥居があって、そこから左には湖が広がっている。松原内湖だ。彦根城の北、佐和山の東に広がっていたこの内湖がすべて埋め立てられたのは、ずっと昔だと思っていたのだが、どうやら大正以降のことらしい。一昨日買った大正4年の「中等教科最近日本地理」に小さく載っている彦根市の地図を見ると、城の北には広大な内湖が広がっていて、そのほとりに大洞の名が記されている。磯(今の彦根プリンスホテルあたり)と松原との間は湿地だ。

昨日図書館で彦根市史を繰ってみた。大洞以北の埋め立てが始まったのは昭和19年5月、つまり戦局悪化、食糧難の頃だ。この計画経緯について市史は詳しくは論じていない。その年の7月には田植えが行なわれたというから、猛突貫工事だったに違いない。ところが10月には豪雨で冠水、目標の半分以下の収穫しかあがらなかった。計画に無理があったことは確かだ。しかし、いったん埋め立てはじめた内湖はもうもとには戻らない。その後、近くの寺から学徒動員して、この広い内湖の干拓事業を行なったが、戦後、改めて干拓事業が進み、昭和23年にようやく完成する。
もし内湖が残っていれば、彦根城や現在JR沿いに広がる寺が、なぜそこに位置したかがはっきりわかったはずだ。楽々園や八景亭のすぐ裏に、水の気配があったはずだ。佐和山にもがっしりとした磁場が発生しただろう。それらは、内湖を囲むように並び、建てられた時代は違っても内湖を眺めるまなざしを共有した。それはまなざしを映す鏡だった。
むろん、そうした内湖をめぐる景観は、美しき自然であったわけではない。むしろ関ヶ原以後の戦い以後の政治的な布置だったことは、芹川の移動など、関ヶ原合戦後の故事から知れる。彦根城という戦闘と防御の象徴を観光名所にしておきながら、戦いの禍々しさ、それをめぐる交通の屈曲を示すものごとが、この土地からは失われつつある。そのツケが、佐和山遊園にだらしなく洩れているのだ。

で、念のためネット上でも検索をすると、あ、ちゃんと松原内湖のことが書いてありました

一週間見たビデオから拾遺。

「子連れ狼 −三途の川下り−」大西氏推薦の劇画映画。すばらしい。竹藪での二重露光格闘、風呂QTVRなど、全編悪い夢のようなリアルさ。音楽もいいです、これ。三隅研二といえば勝新が万博跡地で墓守をする映画ってなんだっけ、あれもすごかったなあ。

「ハートマン」越前屋俵太監督というので借りたが、これは・・・。Mr.ビーンを「ギャグ」として笑える人は笑えるのかもしれない。

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