月別 | 見出し1999.1-6 |見出し1998.8-12




19990930

時間表啄木日記メモを追加。個人的にはとても楽しんでるこの作業。メモもばんばん書き込める。あらためて「かの蒼空に(関川夏央/谷口ジロー)」の構成のすごさに驚く。特に日記や書簡にはないフィクションのはさみ方。WWW日記ではまだまだいくらでも嘘をつける。少ししか書かないという嘘を。しかし、たとえ一日一日はええかっこしてても、いつか考えの一貫性が破綻する地点が来る。そのとき遅ればせながら恥ずかしい自分をさらすのだ、WWW日記は。問題はそのころにはすっかり昔の自分を忘れてるってことだ。かくして恥知らずの日記は続く。

19990929

南青柳橋彼岸花ロード。墓所のそばは彼岸花だらけ。羽尻さんの話では、彼岸花が毒だってのはウソで、じつは飢饉用の非常食なんだそうだ。で、飢饉以外には食いにくいようにわざわざ墓所に植えてるんだとか。
大学院入試結果発表。浅井さんと田中くんは二人とも合格。おめでとさん。
SD法の最近の動向をWWWで調べてたらあるわあるわ。
印象の工学のページでは、ストリーム再生でワークショップ発表のほとんどを見ることができる。その場にいないので、お茶を入れたりしながら、飛ばし見したり、なんでやねんとかそやそやとか何人かで見ながら失礼なツッコミを入れてもオーケー、短時間でえらい勉強した気に。

19990928

さらに啄木界に潜る。

19990927

啄木日記ダンジョンに潜る。自然主義へのアンビバレントな感情が釧路時代から底流にあること。花袋の「蒲団」がひとごとでないタイミングで読まれていること。鳥影の調子がまさにあがっているところで東京に再登場する小奴のすごさ。などなど。

19990926

琵琶湖畔で朝食。昨日の佐和山後遺症か、四人ともなんとなくダメ。
午後、ゆうこさんと長浜へ。ラリルレロで「少年百科」「お金の貯まる本」など。 北びわこホテルサンセットガーデンで夕食。山本くんのはからいで絶景かなの夕暮れ。
佐和山の邪気を払うため久しぶりにピアノの電源を入れ、キリンジの 「Drive me crazy」を、だいなしにして弾く。
すんなり聞けるところで 変わったコード使ってる兄楽曲。 ドナルド・フェイゲンみたいやん。

19990925

 羽尻氏が東京転居を前に西本氏と彦根に来訪。以前から彦根のバッドカリスマと評判の佐和山遊園にご案内する。じつはぼくも初めて。

ただよう 歴史のロマン
豊かな自然の中のレジャーランド
ゆったりと澄みとおった琵琶湖の広がり、気品に満ちた国宝彦根城。そんな豊かな自然につつまれた彦根に豊臣秀吉が最も信頼した家臣石田三成を中心として日本歴史を一堂にした彦根歴史公園があります。佐和山観音、子供遊園地など、ヤングからファミリーまで、ゆっくりと過したい・・・とおっしゃる方には最適。四季の自然の美とともに存分に満喫していただけます。
(「佐和山遊園御案内」より)

 こうしてパンフを引き写しているだけで、すでにして下腹にバツ印でも描かれたようなあやしい膨満感が漂ってくるのだが、ぐっとこらえて書き進めよう。
 まず、われわれは「入場門」を経て、左手に、事務所、三成資料館、日本歴史屏風館、を見ながら「石田三成公一大記絵巻」をたどった。
 それぞれの絵は、コンクリートのフレームに収められている。フレーム、と書いたが、実際にはコンクリの塊といった方がよい。あらましは型押ししてあるのだろうが、あとでヘラで塗り整えられたのだろうか、表面のでこぼこが夏草の露にしっとり湿ってものすごい。前面はガラスになっているが、それも割れていたり、なくなっていたりする。
 そして、肝心の絵だが、そのほとんどは改作である。日本画を、絵の具だかペンキだかで描き直してある。デッサンの狂いが激しい。ずさんと言ってもいい。しかし、ただのずさんではない証拠に、この狂った改作が山の中腹まで延々と数十枚続く。おどろおどろしい佐和山城炎上の光景から三成の処刑まで、描き手は何かに憑かれたように、このむちゃくちゃな絵を描き直し続けている。肝心の関ヶ原の戦いの絵は空だった。もしかして、現在進行形で描き直されているのか。これはヘタウマなどという呑気なものではない。この描き手にはおそらくヘタとかウマいなどという概念はない。これは何かとんでもない情念に突き動かされた模写だ。
 さて、この膨大な絵の傍らには、確かに事務所、三成資料館、日本歴史屏風館、といったものらしき城風の建物がある。が、中には何もない。窓から中を覗くと割れたガラスや建具が散乱しているだけだ。作りかけのまま放置されているらしい。城がまるごと行き倒れている。
 気弱な人ならこの時点で、すでに立ち直り不能のダメージを受けるはずだ。が、われわれは蛮勇を奮って、この山腹でひときわ目立つ「金閣寺」に向かった。そう、ここには金閣寺がある。むろんここは京都ではなく彦根だ。この金閣寺はJRからも名神からも見える巨大なもので、その唐突さは前々から気になってはいたのだが、近づくに連れ、その異様さは倍増した。
 濁った金色。いや、どうやら金ではない。よく見ると、ところどころ表面が浮いている。これはアクリル板だ。どうやらアルミ箔を敷いて、その上に色付きのアクリル板を貼ってあるらしい。この創意工夫によって、まるで寒天のような、パチモンのみが放つ妖しい光沢が生み出されているのだ。折からの秋の陽射しがはねかえり、内部には悪夢の中の水族館のような反射光がゆらめいている。ああ、思い出すだけで腹が痛くなってきた。
 そしてその内部に据えられた仏像たるや。その天井画たるや。ああ、まずい。マジで腹がおかしくなってきた。
 すぐそばには三成の霊を弔うべく「佐和山観音」なる巨大な観音像が建てられている。観音像の下には昭和五十五年の日付で、井伊直愛前市長の名が記されている。その横にはコンクリの台座がさらに6つ、並んでいる。この上何を建てるつもりなのか。十四年前の世界古城博において、この佐和山遊園がどのような扱いを受けたのか、興味のあるところだ。いや、興味などという生やさしいもので触れることはできない、この空の台座には。
 この先、宝物殿、そしてこの佐和山遊園の持ち主らしき方の個人宅庭園などを見たが、略す。もう書けん。

 当地では笑っていたぼくも、30分後には腹の調子がおかしくなり、リフレッシュすべく入った、たねやの冷やしぜんざいも味がわからぬありさま。このままでは精神崩壊しそうなので、天神湯へ。少し持ち直す。
 以前、彦根駅の東口開発計画が頓挫した話を何かの本で読んだことがあるが、その理由がもうはっきりとわかった。彦根の東には、佐和山の強大かつ邪悪な怨念が渦巻いているのだ。東を開くということは、この怨念を市街に流し込むことを意味する。
 タクシーの運ちゃんは、この佐和山遊園の持ち主は長浜出身の左官屋だという。本人に確かめたわけではないから、本当のところはわからないが、少なくともそういう風聞が広まっていることは確かだ。彦根の北、すなわち石田三成の出身地の方角からやってきた男が、井伊家からかつて破却された佐和山城を記念すべく、佐和山遊園を開いた。この遊園と閉鎖された住友セメント跡とが相まって、彦根の東には、もはや手のつけられないほどの邪悪な霊力が住まっている。そこは、JRからはっきりと確認できるほどの濁った光を放っている。逆に、そこからは彦根城と琵琶湖が一望できる。これで、前々からうすうすと感じていた彦根の土地の底流にある濁りの元が、はっきりとわかった。これはなまなかなよこしまさではない。これを解決するにはよほどの霊力が必要だろう。
 ここからゆうこさんも合流。玄宮園に虫の音を聞きに行く。藤居さんも来てた。人出があるってしあわせ。人の手が行き届いてるってしあわせ。と、つくづく思う。心の佐和山遊園がそう思わせているのだ。この玄宮園が彦根の陽なら佐和山遊園は陰である。ああ、もう頭から離れない。
 モモフクで焼き鳥。心が佐和山遊園で占められているので、いくら避けようとしても話題はそこに落ち着く。他の三人はげっそりした顔をしていたが、止まらぬ。

19990924

 啄木の日記メモを自作日記HTML産出スタックにぶち込む。WWW化してもほとんど違和感ない。ちうか、WWW化して見直すことで、現在自分でつけてる日記の時間感覚が指標に使えて、まるで現在形。じきに公開します。  台風を息を詰めて待つ、が、彦根はこともなし。低い雲に夕暮れがはねかえってすごい色。

19990923

 啄木の日記でいちばん好きな箇所を引き写しておく。

 十五夜近い月が皎々と照つて、ヒタヒタ寄せてくる波の音が云ふ許りなくなつかしい。船が二隻碇泊して居る。感慨多少。名刺を波に流した、二人も流した、芸者の名刺も流した。潮が段々充ちて来た。自分らは、梅川の袂に入れて行つたビスケツトを囓つて、”自然”だと連呼した。
 月が明るい。港は静かだ。知人岬の下の岩に氷交りの波がかかると、金剛石の如く光る。光る度に三人は声を揚げて”呀”と叫んだ。三人!二人は男で一人は女! 三人は”自然”だと叫ぶ。三人共自然に司配されて居る。そして寧ろそれを喜ぶものの如くであつた。噫、自然か、自然か。此夜の月は明かつたが。
 ”三月十五日は忘れまい”、と一人が云ひ出した。”さうだ、忘られぬ”と一人が応じた。かくて此三人を”ビスケツト会”と名づけた。”ビスケツト会は自然によつて作られ、自然を目的とす”と誰やらが云ひ出した。”毎月十五日には、お互何処に居ても必ずビスケツトを食ふことにしませう”と女が附加した。二時頃月を踏んで帰つて寝る。

(明治四十一年日誌三月十五日)

19990922

 大学院入試の面接。ぼくは入口を示すだけで扉を開けるのは学生。院生が増えてお互いに刺激を与えあってくれるのはありがたい。しかし、コースに10人教官がいて、院生のほとんどがうちに集中するってのはどうしたもんか。
 小川珈琲で近さんと、菅原さんや岡安さんの本の話。
 ビバシティシネマで「マトリックス」。格子戸をくぐりぬけ見上げる夕焼けの空に、この世を牛耳るあの世を見た「キアヌの城下町」。どろにちゃの子宮から生誕した救世主様は、死んだと思ったらトリニティのキスで復活して気に入らない奴を皆殺しにしましたとさ。いやあすごいなあ、アメリカって国は。単純な陰謀史観で裏返された千年王国。で、銃乱射ですか。あ、薬莢がきれい。萩尾望都/光瀬龍「百億の昼と千億の夜」で育った人間にはついていけまへんわ。
 物語はともかく、視覚効果的にいくつか。拡大文字、揺れる文字テトリスたのし。エレベーターが伏線敷きの道具として出てきた(扉が閉まり際、ホールでうずくまっているホームレスを、向こうに見せることで伏線にするやりかた)。あと垂直移動と水平移動のカットの組み合わせ。静止したままぐいーんとアングル変える手法(これなんてカメラで撮るんだっけ?)は、最早CMで使い倒されているが、ステレオグラム的にはヒット。プルヒリッヒ効果使うとたのしかろう。マトリックス世界の解説の中に認識者であるキアヌ自身が入っているのはフヌケ。こうした認識者対被認識世界の表現はマリオ64やゼルダ64の方が巧み。
 ウェイガイキアヌ。「ビルとテッド」の「No way!」「Yes way!」のやりとりによって、キアヌはウェイガイ=求道者であることを刻印された。今回トリニティ様が示す選択は「This way or High way?」。ハイウェイ選んだらマトリックスじゃなくてスピードになっちまうだろうが。
 しかし、こうしたあからさまなウェイの選択の場面よりも、たとえば、ドアノブを握ろうとして、そこに映りこんだ影に一瞬躊躇する場面の方がぐっとくる。あ、そのクッキー食べていいのかな。気づいたらフラグを倒しちゃってるのが人生よ。

 啄木日記を改めて通し読み。

19990921
 台湾大地震。
 京都へ。クイックガレージで電源アダプタを交換。モニタもちらついているので交換したかったけど、注文してからとのこと。新制度Applecareは来年の12月まで。パソコンってもはや車並みに金がかかる。
 土砂降り。近くの喫茶でオリオンビール。二十一日だから東寺では弘法さんの市をやっているはずだが、この降りの中で葉書を物色するのも難儀。アバンティで本。「オランダ・ベルギー絵画紀行」「百貨店の誕生」その他、別冊太陽のバックナンバーなど。京都駅に「のり、たおす」という枚方パーク(ひらぱー)のポスター。パソコンのシステム入れ替えに音楽が必要。久しぶりにCDを買ってキリンジとユーヒーズを大音量でかけながら、ようやくネットにつなぐところまで。

19990920
絵葉書趣味に「Kinjiro」を追加。

京都で「コミュニケーションと自然誌」研究会。後安美紀さんによる太田省吾と平田オリザを題材にしたマイクロスリップ論。太田省吾の沈黙劇。時間を引き伸ばすことで、かえってそこに潜在していたさまざまな行為の可能性があらわになる。その可能性の中で揺れる鞄の緊張。平田オリザの、わざとらしさから回避することで得る同時発話のなめらかさ。

マイクロスリップ、という語について改めて考えさせられる。スリップ、ということばは、そもそも「誤り」という意味をはらんでいる。スリップ、といったとたんに、スリップせずにたどりつくはずだったゴールのことが想起される。スリップはプロスペクティブに起こるとしても、それは観察する側からはレトロスペクティブにしか観測できない。行為が成立すると見えたとたんに、たどりついたゴールとたどりつきそこなったスリップとが、事後的に観察される。

しかし、だからといって、スリップということばを放棄すべきか。事後的に観察者が行為の可能性を見い出すという点にこそ、じつは行為の色気が存在するのではないか。行為の可能性に近づきながら、それでも行為は成り続け、観察者は遅れて気づかされ続ける。そのような場所で、沈黙劇の手は揺れていないか。「スリップ」ということばは観察者の傷だ。しかし、それを「行為の可能性」とつるりと言ってしまうと、観察という行為も消えてしまう。 PowerBookのシステムがクラッシュ。過去4か月分のメールがぶっとぶ。いやはや。

19990919
京都へ。古本屋で絵葉書を数十枚。日露戦争記(金港堂)14巻。
「思いつき夫人」(昭和十三年・朝日新聞社)の「不思議に」という表現。

貝類の料理を頂く時砂が混つているものは不愉快なものですが、煮る二三時間前に淡い塩水に貝を入れて
その中に火箸でも包丁でもカナ釘でも鉄気のものを入れて置くと、不思議に砂を吐きます

蟻が這入ると不衛生で甘味がなくなります。蟻は金物も嫌ひですが
ゴムバンドを五六本瓶に鉢巻をして置くと不思議にはいりません


同じく「思いつき夫人」から、レコード愛好家必見!レコードと針の再利用法。

古くなつたり、割れたりした蓄音機のレコードは
くだいてアルコールにつけておくと、どろどろになります、それを
木の箱や素焼の器などに塗りつけると気の利いた水盤が出来ます。

蓄音器の使ひ古した針をシヤモジに沢山打ちつけてお魚の鱗とりに使用しては如何でせう
また蘇鉄の幹にさし込んでやるとその針の鉄分が栄養になつて速く成長します


19990918
大阪へ。松竹座で猿之助「新・三国志」。桃舞台。笑也の線の細い色気。猿之助の高くて薄い(そのくせよく通る)声。声のお化け。声が空気を掻き、スクラッチカードのように桃の匂いがする。
実家へ。姪はもうずいぶんとしゃべる。しりとりをするというのでつきあう。
「つみき」
「き」
「きつね」
「ね」
「ねこ」
「こ」
答えを言うのは全部姪の役で、こちらは合図を出すだけ。
夜中にサンTVで「うず潮」。

19990917
車検が切れかけている今の車を下取りにして車を買う。近くの中古屋で即決、印鑑証明に住民票に車庫証明などなど。
動物行動学会に発表要旨。今年は2本。
「つっぱりフリーラック」届く。組み立てるのは一仕事。連結棚もつけて本を並べていくと、あ、この本がこんなところに。

19990916
統計学の試験作成。その第一問から。

a:今日、鉛筆ころがしてたらな、3回ころがして3回とも6やってん。今日めちゃめちゃついてるわ。
b:あんた毎日鉛筆ころがしてるん?
a:わたしの人生、鉛筆ころがしやねん。
b:鉛筆がどうなったら、いい日なん?
a:続けて同じのが出たらええねん。
b:456とか234とかは?
a:456は666より出やすいような気がするけど。
b:え、どっちも似たようなもんなんちゃうん?
a:そうかな。まあええやん、じゃんけんしよ。
b:いきなりなんやの?
a:今日ほんまについてるか試したいねん。
b:はいはい、ほないくで。じゃんけん、
a:あ、待って。3回勝負な。
b:でも、あんたの方がよう勝つから、3回にしたらわたしよけい不利やん。
a:なんで?3回にした方があんたのチャンスが増えるやん。
b:えー、納得いかへん。ちゃんと考えような。
a:まあ、確かにあんたにはよう勝ってるような気はするけど。
b:10回に6回はあんたが勝ってる。
a:ちょっと、あんたなんでそんな自信たっぷりに言えるのん?
b:過去10年の対戦成績を調べた結果。
a:いつ調べてんな。まあ、ほな10回に6回くらいにしとこか。
b:そしたら、あんたが勝ってわたしが勝ってあんたが勝つ確率はなんぼ?
a:あんたわたしあんたわたし言わんといて、頭イタなるし。
b:ほなaとbでいくで。abaの順番で勝つ確率はいくら?
a:えーと、(    )。
b:baaの順番やったら?
a:それもおんなじ(    )。
b:aabの順番やったら?
a:ちょっと待って。それ、もう2回の時点で勝負ついてるやん。
b:あ、そうか。ほなaaと頭から続けて2回勝つ確率は?
a:3回めはもう考えへんねんな。そしたら(    )。
b:これで、あんたが3回勝負で勝つ場合は全部考えたやろ。全部足したらなんぼになる?
a:(    )。
b:ほら見てみいな。1回勝負よりあんたが勝つ確率上がってるやん。
a:・・・なんでこんな計算せなあかんの?
b:つまりやな、あんたが今日の運を試したいんやったら3回やなくて1回勝負にした方がええねん。
a:なんかようわからん理屈やけど、まあええわ。じゃんけん。
b:あ、後出し。

月別 | 見出し1999.1-6 |見出し1998.8-12 | 日記