生物地理学会シンポジウム
「進化と系譜:ツリー,ネットワーク,視覚言語リテラシー」
オーガナイザー・司会:三中信宏
中村雄祐「現代世界における「リテラシー」と生存」
細馬宏通「絵の宛先の革命 — 郵便改革と絵はがきの登場 — 」
田中純「イメージの/イメージによる系譜学:人文学の図像的転回をめぐって」
日時:2006年4月8日(日)13:00〜15:30
場所:立教大学(豊島区西池袋) (詳しくはこちらを)
※このシンポジウムは非学会員でも参加できます
JeditとQuickTime Playerを結びつけて動画解析をするJedit_qt.zipをマイナーバージョンアップ。そうこうするうちに、MacのOSがバージョンアップするのだろうが、果たして新しいOSでもこのスクリプトは動くだろうか。
明日の洞窟入りのための道具を買いに行ったついでに寄った電器屋で、もはや都市伝説なのかと思っていたWiiを発見し、即購入。ソフトのほうはとりあえずWii Sportsを買う。
さっそく似顔絵を登録する。思いがけず似る。
ボクシングをやってみるが、これはもう、いままで体験したことのないインターフェースだった。手軽で、すごく自由だ。
もちろん、現実のボクシングのように、微細な手が出せるわけではないし、こちらの振りはかなりアバウトに伝わる。しかし、空間の精度と時間の精度のバランスに妙がある。腕を振っていないときは、身体の向きを同調させることに気が配られており、腕を振ると、速度判定とアタリ判定のほうに気が配られる。この速度判定とアタリ判定は、こちらが振ったのに少しく遅れるのだが、これは、弾を放ってからその行方を見守る感じに似ている。拳が直接ヒットするというよりは、拳に乗せた何者かがヒットする、という感じである。拳幽体離脱。
気がつけば数人と対戦して息が切れていた。
そして、明日は、さらにアスレチックな洞窟だ。そういえば、「インターネットはからっぽの洞窟」という本があったな。
アパート前に見事なしだれ桜がある。その真ん前の部屋のふくしまさんに誘われて、お茶を飲みながら窓から絶景を拝見する。
久しぶりに墨を摺って4時間ほど書く。「雁塔聖教序」を半分ほどと、「梅雪かな帖」の臨書。字の形に引き寄せられると、字の意味が希薄になる。いや、正確には、文字列の意味が希薄になり、ひとつの文字の中を渉猟している感じが出る。また白川静本を読み返したくなってきた。
エスノメソドロジー読書会。一日で一冊のアンソロジーを読み上げるというハードなこの会はとても勉強になる。本日は、Ethnomethodology and human science。序論から読んでいくと、なかなか一貫した編集になっている。もっとも、エスノメソドロジー的に、人間科学を「再特定 respecify」してみせている章は、やはり「測定」の章あたりのようだ。その意味では、この章を担当できたのはアタリだった。
午前中に始まった読書会が終わったのは7時過ぎ。それから飲み会。夜中近くにアパートに。伊東で買った酒盗を持って小山田さんの部屋に。外の桜を背にさらに飲む。
身振り合宿二日目。本日は古山さんによる成長点理論の発表とぼくの発表がそれぞれ1時間以上。ぼくは、本をめくるデータとディスプレイの話をする。
それにしても充実の合宿だった。なにより、日頃身振りのことばかり考えている人たちとディスカッションができるのがとても楽しい。手元のデータを改めてまとめて見直したい。
旅館近くのひもの屋でアジのひものを買う。
昼飯のまご茶漬けも旨し。
帰りに木下杢太郎記念館に。
ちょうど、杢太郎の兄で関東大震災の復興計画に携わった太田圓三の展示があり、彼が杢太郎に送った絵はがきもあった。太田圓三は、隅田川の六つの橋のプランを建てたことでも知られている。しかし、復興に伴うさまざまなトラブルと疑獄事件で心身疲労した圓三は、その後自殺してしまう(建設業界の記事を参照)。この兄の死は、杢太郎にある種のバランス感覚を強いただろうと思われる。
杢太郎は、1943年から45年のあいだに、ほとんど日課のように花をスケッチした。多いときには一日10枚以上ものスケッチを描き、それは800枚以上の「百花譜」となった。それは、押し詰まる時局の中で、伝染病研究所の職務をまっとうしながら、なお生き延びるための「バランス」だったかもしれない。
「百花譜」は最近、岩波文庫で新装された。その「新編百花譜百選」を買って、新幹線の中で読む。コンパクトながら印刷もよい。一ページずつめくっては窓の外を見る。
彦根に戻って、ひものと味噌汁で夕食。
朝、スーパー踊り子号で伊東へ移動。身振り研究者が集う身振り合宿。今回は、ちょうど講演のため来日中の喜多さんも参加。
旅館に行く道すがら、「木下杢太郎記念館」という看板を見つける。あれあれ。 杢太郎は、「屋上庭園」「方寸」の同人で、浅草十二階についての文章も書いており、以前、全集を調べたことがある。そういえば彼は伊東の出身だとそのとき読んだ記憶がある。しかし、伊東に来るのに、杢太郎のことはちっとも思い浮かばなかった。これは行ってみなくては。
昼からさっそく各参加者の発表。まだ修士だという武長くんが空間参照枠について手堅い実験をしていて感心する。
伊藤さんの幼稚園児の着席行動、とくに、お誕生日会で、誕生日席に座った子に、一般席の子が「手を振る」という行動。距離的には手をふらなくてもいいくらいの離れ具合なのだが、祝われる側と祝う側とでは、社会的役割は離れている。この、社会的役割が離れている、という抽象的な距離に対して手を振るところが、めっぽうおもしろい。
関根くんの発表は、滑り台を語るジェスチャーについて。このデータは以前にも見たけど、自分の身体経験が、ジェスチャーに乗っかっていくところがやはりおもしろい。それにしても、関根くんのデータは縦断的に何人かの子の成長を追っていて、奥が深い。
夕食をはさんで坊農さんの手話データの発表。続いて喜多さんの発表になるころにはすでに夜中近く。途中、関根くんが、喜多さん本人に向けて、成長点理論と情報パッケージ理論の違い、というナイスな(?)質問をしておおいに盛り上がる。
読書会のもうひとつの担当は「Ethnomethodology and human science」の「認知」の章なのだが、クルターの議論はどうもすっきりしない。機械に対しては内的プロセスがないことを論難しておきながら、いざ人間の話になると、「理解とは達成 achievementである」などと、プロセスの問題を棚上げにする。エスノメソドロジー的な冴えもあまり出てこない。うーむ。
というわけで、本を放り出して、発達心理学会の最終日へ。木下康仁先生によるグラウンデッド・セオリーの講習会に出る。
グラウンデッド・セオリーは、データをいくつかの概念に落とし込み、さらにそれらからカテゴリーを汲み取っていく手法なので、理屈の上では、どんなデータにでも応用できるものだ。ただし、じっさいの細かい手法は、主にインタヴューデータを念頭に置いて作り込まれており、聞きながら、はたしてこれは会話分析やジェスチャー分析に使えるだろうか、と考える。
会話分析のルーツであるエスノメソドロジーは、「概念化」の対極にあるもので、むしろ、データを概念に落とし込もうとするコード化の際に起こることこそが問題になる。
ガーフィンケルは、かつて、精神病院のカルテをコード化する作業を分析することで、研究者によるコード化自体に、行動を簡略なコードに落とし込む一種の常識が働いていることを暴いた。このコード化の作業自体が、わたしたちの経験知によっているのだとすれば、研究すべきは、その二次生産物である研究結果よりも、コード化自体のプロセスだろう。
そんなわけで、「概念化」というのは、エスノメソドロジストから見れば、かなり危うい橋なのだ。
だから、もし、できあいの概念を使った論文生産効率のよい研究方法としてグラウンデッド・セオリーを見るならば、それは、エスノメソドロジーの格好の餌食ということになる。
が、いっぽうで、エスノメソドロジストとて、コード化など所詮常識の虜だとタカをくくっているわけにはいかない。むしろ(自らの作業も含めて)コード化の作業を渉猟すべく、データに向かう旅に出なくてはならない。その意味では、まず、多量のデータを浴び、自分のコード化を危うくするほどの綿密な観察をする必要がある。
そうしたデータ渉猟の先にある、データを基盤とした data-grounded コード化と脱コード化の運動として、グラウンデッド・セオリーを使うのならば、あるいは会話分析となんらかの折り合いがつくのかもしれない。
ジェスチャー分析はどうか。特定のシーンに出てくるジェスチャーを片っ端から記述して、思いつく限りのコーディングをしていけば、あるいはなんとかなるかもしれない。
問題は、ジェスチャーをはじめとする非言語コミュニケーションは、ことばのように簡単に概念化しにくいところだ。というか、この、概念化の段階で、ほとんどの人は途方に暮れてしまうのではないかと思う。幸い、空間参照枠などの研究では、いくつか、データを記述するための方法が見いだされつつあるから、そこが突破口かもしれない。
宿に戻って、明日からの身振り研究会の準備。
昨日、彦根を出がけに届いた「Ethnomethodology and human science」を読み始めたのだが、Lynchの書いている「測定」の章が予想外のおもしろさだった。まずガリレイとルネッサンス期の科学の話から始まって、アルベルティの絵画論などを紹介しつつ、純粋数学がいかに(目の前の現実とは異なる)純粋な自然観を作り上げたかを描いていく。議論の核になっているのは、フッサールの「ヨーロッパ諸科学の危機と超越論的現象学」なのだが、じつはフッサールがこんな系譜学的な仕事をしているとは知らなかった。
これは簡単に片付きそうにないので、新宿のジュンク書店に行き、「ヨーロッパ諸科学の危機と超越論的現象学」の文庫版を買って読み始める。ルネッサンス期の芸術にはあまり触れられていなかったが、それでも、ガリレイ、デカルトを端緒に、フッサール自身までの連なりを、純粋な自然観と純粋な心理学観への(危機的)発達として描いていく議論はぶっとい。当時フッサールが置かれていた、ナチズムと非合理主義の台頭を考えればなおさらのことだ。合理的精神のそれなりに細やかな感性が、「よくわかんないけど要するに」な言説でなぎ倒されていくのに抗することば。
ちょうど、先日、デブリンの「数学する遺伝子」を読んで、どうも形式的数学に対する考え方が、あまりにナイーヴというか、人類にとってのよき出来事として語られすぎなんじゃないかという気がして、居心地が悪かったところだ。いいタイミングでこの本に出会った。
夜、宇波くん、モモちゃんを呼び出して、かえる目の今後の相談。いろいろ画策。
一日目。じつは発達心理学会には、第一回に参加しているのだが、そのころからすると隔世の感がある。とにかくシンポジウムがたくさんあって、ポスターがたくさんある。聞きたいシンポジウムが重なっていてたいへん。
ぼくは「幼児の行為発達の記述視座-食事等のデイリータスクにおける発達について」に出る。「食環境は他者の身体を通して明らかになる」というタイトルで、発達障害児童の学童保育についてあれこれ話す。保育園や幼稚園での食事場面というのは、多少の個人差があるにせよ、さほど食事の仕方にバラエティがあるわけではない。しかし、発達障害児童の学童保育では、一人一人が違う食事の来歴を持っていて、食べ方もずいぶんと違う。
しかし、ここからがおもしろいところなのだが、そういう来歴の異なる子どもたちに、基本的には同じものをサーヴするのである。もし食べる効率だけを考えるなら、指を使うのが苦手なAちゃんには握りやすいものを、上体を動かすことが苦手なBちゃんには皿の支持機を・・・などと個人差を考慮した配膳をすればよさそうなものだ。しかし、ぼくの観察している学童保育では(そして認知症のグループホームでもそうなのだが)、基本的に、同じ配膳をする。同じポッキーの袋を分配して、そこから先は、それぞれの子どもとスタッフが試行錯誤して、なんとか食べるところまで持って行く。子どもによっては、袋を開けるのをあきらめる子もいるし、逆に、あくまで自分でやり通そうとする子もいる。つまり、個人差は、配膳の段階で出るというよりも、配膳後から口に入れるまでの過程である。
人はなぜ、同じ食べ物を食べようとするのだろう。
いちばん簡単な答えは、狩猟や調理の効率、だろう。それぞれに異なる食事をしてもらうには、まったく異なる獲物をとり、それをそれぞれの個性に合わせて配らねばならない。そんなことは、少なくとも狩猟採集民ではあまり育たなかったのではないか。
しかし、ことはそれで終わらないだろう。至近要因が、効率の問題であったとしても、いざ「同じ食べ物を食べる」というシステムを使い始めると、そのシステムに依存したさまざまな認知ややりとりが生じるはずだ。
たとえば、同じ食べ物を食べることによって、お互いにその食事に関するさまざまなことばを交わすことができるようになる。相手が食べながら発したことばを、自分が食べているものと結びつけることができるようになる。たとえば、相手の「おいしい」とか「まずい」とかいうことばを、自分が現在行いつつある食という体験と結びつけることができる。
相手と自分がすでに同じことに注意を向けているとき、そこで交わされることばを同じ対象に結びつけることは容易だ。これは、ミラーニューロンの力を借りなくともよい。
味見というのは考えてみるとおもしろい現象だ。
味見というのは、自分が食べたことのないものを食べるときに起こる。
自分と違うものを相手が食べているときに、味見をさせてもらうことができる。
自分の口に初めて何かを運ぶことも、一種の味見だ。
自分のために設えられたもの(便宜上、以下「自分の膳」と呼びます)を一口食べてみる。大丈夫だと思ったらもうひと口。この時点ですでに人は一種の「味見」をしている。味見の起源は、初めて口に運ぶ、ということだろう。
自分の膳と他人の膳の区別がついていない子どもは、とにかく目新しいものを見たら手を出して「味見」をする。しかし、自分の膳と他人の膳との区別がつくようになると、今度は、他人の膳の内容が気になってくる。自分と膳と同じ内容かどうかをチェックするようになる。自分の膳にないものを発見すると、どんな味がするんだろう?とか、それも食べてみたいな、などと思うようになる。自他の膳の比較によって、味見の対象が決まる。
さて、ここからなかなかデリケートな問題が待っている。味見をする者は、まず、自分は味見をしたいのだということを意思表示する必要がある。つまり、それはただの味見であって、何も相手の膳のすべてを横取りしようというのではないことを意思表示する必要がある。
わたしはただ、ここではない将来の別の食事のときに、この味見した食べ物を食べたいかもしれないだけなのだ。そういう感覚を持ち、そのことを意思表示する。それが他人の膳を「味見」するには必要なのではないか。
さらに、味見という行為は、単に、その食事に対する評価ではない。「相手の」食事に対する評価を意味する。相手においしい表情をしたり、顔をしかめることによって、相手のその食事に対する評価と自分の評価とを、付き合わせることになる。この突き合わせが対話を産む。
夜、ホースを見に渋谷屋根裏へ。まっとうなライブハウスに来ると、なんだか「アウェイ」な感じ。
突然段ボールを初めて生で見る。ぼくがいまさら言うまでもないことだが、年期と腰の入ったいいライブだった。
ホースのライブを見に行ったら、ハットリくんが壇上でこちらに合図を送ってくるので、歌うハメに。
そのあと、スペイン坂で軽く飲んで解散。
昨日に引き続き、『系図』のライナーを書き上げる。この一枚だけで分かることを・・・と言いたいところだが、山之口獏や金子光晴を読み直し、永山則夫『無知の涙』を読んだので、いささか時間がかかった。おかげでいままで気づかなかったことがいろいろ分かった。元の文献をつい読んでしまうのは、これでも研究者のはしくれのせいか。
明日からの学会発表や研究発表の準備。
彦根に戻って会議。
ディスクユニオンからの依頼で、高田渡『ごあいさつ』のライナーを書き上げる。
高田渡については、すでにいろいろな人がいろんなことを書いているのだが、彼に近しい人やリアルタイムのファンではなく、ぼくにライナーが回ってきたということは、そういういろいろは書かなくてよい、ということなのだろう。
だから、ウディ・ガスリーがとか、ボブ・ディランがとか、ドグ・ワトソンがとか、そういうのは一切ナシにして、この一枚を聞けばわかることを書く。意外とそういうことのほうが、書かれていないものだ。
二階のこの部屋には、宣伝カーの声がよく届く。
道のどんつきにあるので、スピーカーの方向がまっすぐこちらに向く格好になるのだろう。
宣伝カーというのは、名詞を切って連ねることが多いので、名詞が部屋の中を回る感じになる。
それを無視して朝飯を食っていると、「健康器具」という名詞が回り出した。
・・・健康器具・タンスなどございましたら、お気軽にご相談ください。こちらは大型ゴミ不要品の回収車でございます。ご不要になりました。カラーテレビ・パソコン・CDラジカセ・ミニコンポ・アンプ・ミシン・編み機・ギターなどございましたら、故障していても一部無料にて回収いたします。また、冷蔵庫・洗濯機・クーラー・健康器具・・・
健康器具、と聞いて、はっ、うちのあの鉄のカタマリが、と色めきたつ、ここではない部屋もあるに違いない。
昨日は酔っぱらって帰ってから、小山田さんとバッティングセンターで、120kmをぱこーんぱこーんと打ち込んできた。あとで、「アルコールを摂取してのバッティングはたいへん危険ですのでおやめください」と書いてあるのに気づいた。
今日は、大学に行くつもりだったが、妙に通りの気配がのんびりしてると思ったら、春分の日だった。松村さんに電話をしてデータは机の上に置いてもらうことにした。桜のつぼみがふくらんでいる。次に戻ってくる頃にはもう散りそめだろうから、せいぜいつぼみを眺めている。
さらに。
夜、近さんと「いやいやえん」に行き、女将を驚かせる。料理が旨く、酒が安い。
在京都。発語内発話のデータを見直す。論文執筆のため。しかし、投稿に間に合うかどうかはわからない。
東京へ。おーおかさんとミナジさんの結婚式では、バカCGの真実が語られ、大友さんの爆音ギターが演奏されたのだが、どちらも、結婚式らしい手加減のない、それゆえにしっかりと気が緩み気が引き締まるもので、とてもよかった。そのいっぽうで、結婚式らしい、八戸音頭もよかったなあ。
さて、引き出物の包みを開けると、サルだった。
食玩の大きさではあるが、しっかりとした素材で、手にずしんとくる。かなり重い。ポケットの中で、ごつごつする。
ストラップがついているので、携帯につけてみたのだが、携帯を持つ手が地面にひっぱられる。ぶらさがっているサルのほうが、携帯なのではないかと思える。試しにサルを持ってみたが、ちょっとしたコツでかけられそうな気がした。サルで電話をするための、裸眼立体視に似たコツが、たぶんヒトの脳の中にはあるのではないか。ぶらさがっている携帯のほうはあまりストラップらしくないが。
さてしかし、これは確かにサルであり携帯ではないのだから、携帯で撮影できるはずである。というわけで撮影してみたのだが、ストラップが短くて焦点が合わなかった。サルはサルで、携帯をにらんでいるはずだが、それがいかなるヴィジョンなのかはサルにしかわからない。
久しぶりに療育センターへ。ままごとするAちゃんを見ながらいろいろ考える。Aちゃんは、ままごとの食材をとろうとするたびに、手元に設えた料理の皿をざーっと崩してしまう。それはいっけんすると、自分の作ったものに構っていないように見えるけれど、よく見るとそうではなく、とろうとしている食材は、たいてい、手元の皿の中の料理に関係がある。
床に並んだ食材を越して手を宙から狙ったところに着地させることができないので、目標に向かって手を上半身ごと床にそって動かす。すると、ばらばらと手元の皿が倒れてしまう、ということなのだ。
こうしたままごとの場面と、食事の場面とを、うまく結びつけながら考えることはできないか。
鍵本さんと「計算力を考える」対談。「数学する遺伝子」で仕入れたネタをさっそく披露しつつ、宇宙空間に放り込まれた数学者に思いを馳せて妄言を飛ばす。わたしたちが使っている座標軸が、上向きにプラスになっているのは、重力に逆らってのことだろうから、無重力に放り込まれた数学者の頭には、これまでの座標軸では思いつかないアイディアがひらめくだろう。などなど。文字におこしたらおもしろそうな内容になった。
そのあと、来場者の方も交えて、久しぶりにバスティアン・クントラーリへ。ほんとうにこの店のある彦根はいい街だなあ。
ヒューマンルネッサンス研究会。来年度の出版の計画について。
八重洲でデブリン『数学する遺伝子』を買って新幹線の中で読む。数学の遺伝子がある、という話ではなく、むしろ、言語を思いつくことの中に数学(というパターンの学問)が含まれていた、という話。数学者としてのデブリンの感想がいろいろおもしろかった。
新幹線を降りる間際に、別の席に座っていた日高さんに「数学する遺伝子っておもしろいですよ」などと話していたのだが、ふと気がついたらジャケットを忘れていた。財布も携帯も一切合財入っていたので、困ったことになった。忘れ物センターに問い合わせると、無事見つかったものの、ブツは岡山駅まで行ってしまったという。宅急便で送ってもらうことになったが、明日は明後日は財布なしで過ごさなくてはならない。
ポケットに千円ほど入っていたので、京都から彦根へ。ちくま文庫で『春と修羅』。昔は、「永訣の朝」のような無声慟哭の作品と、風景とオルゴールのような透明な作品とのあいだの連続性をうまく受け入れることができず、なかなか読み通せなかった。この年になって、ようやく読み通せるようになった。昔から自分は感情の発達が幼いと思っているが、若死した作家の作品を読むと、ことにそう思う。
今年度のレポートを整理しがてら、ぱらぱらと「倒れかけレッスン」レポートを読み直す。「倒れかけレッスン」というのは
20060424
やり方は簡単で、二人一組のペアになって、片方の人が背中側に向かって倒れる。で、もう片方が支える。倒れるといっても、ほんの数センチほどでいいんですが、最初はけっこうこわい。
というもの。
そこで、ある学生が、「他の人に見てもらったら、自分は腰が曲がっていることに気づいた」と書いているのを見て、ハタと気づいた。
このレッスンは、三人でやるとよい。
二人がペアになって、一人は観察者として、「うまく倒れているか」を観察する。役割を交代すれば、三通りの組み合わせを経ることになる。これなら、受け止め方、倒れ方、観察眼の多様性も体験できる。
夕方、認知症のグループホームへ。
今回は、龍谷大の青木先生も加わってディスカッション。
入れ歯を入れて噛む、ということがうまくいかない方が何人かおられる。しかしそのあり方は一様ではない。
Aさんの場合は、以前から歯茎で噛むことはできたのだが、入れ歯がうまく口に収まらなかった。だから、口の中で噛んでいるうちに、入れ歯がずれてしまい、口の中で入れ歯と食べ物がごちゃごちゃになってしまった。
いっぽう、Bさんの場合は、そもそも咀嚼をほとんどしていなかった。舌の真ん中で食べ物や飲み物を受け止めて、それをごくんと飲んでしまう。入れ歯を入れても、この癖はなかなか治らない。そばでスタッフの方が、一口ごとに「よく噛んで」と言うのだが、ふいと目をそらして、こっそり嚥下してしまう。
ではBさんはまるきり噛まないのかというと、そうでもないという。せんべいやりんご、きゅうりはぽりぽりと噛む。
Bさんは、目の前の食べ物の名前を盛んにスタッフに聞く。それが何かわかると、ときには箸でとって直接舌に乗せ、ときには箸でいったんほぐして小さな塊にしてから舌に運ぶ。
そのプロセスを見ていると、どうもBさんは、ただなんでもでたらめに飲み込んでいるのではないという気がしてくる。口に運ぶ前に、箸でいわば「前咀嚼」のようなことをして、小さな塊に分け、飲み込みやすい大きさに加工しているらしい。おそらく食べ物の名前を盛んに聞くのは、素材によって、飲み込みやすい大きさが違うからではないか。
Bさんは長い間の指導にもかかわらず、いったん口に入れたものは、ほとんど噛まないという。もちろん、ほとんど咀嚼をせずに飲み込むのだから、喉をつまらせる可能性もあるし、あまり消化にはよくない。それなりのリスクはある。
が、いっぽうで、ひとくちひとくちずっとBさんの横で噛みなさい噛みなさいと言い続けるスタッフの気苦労はたいへんなものだし、Bさん自身も疲れるだろう。
せっかく入れ歯が入っているのだし、常識的には「噛む」というのは人の基本的な行為なのだから、それをせよと指導するのは当然なように見える。
しかし、それをしてもらうために、Bさんの頭を抱えてさあ噛めと押さえつけるわけにもいかない。たとえ、それが食べるという基本的な行為であっても、スタッフは、機械的な方法でそれを実現するわけにはいかない。ことばと身振りを使って、つまりはコミュニケーションのレベルで、それは解決されようとする。
介護という行為が抱えているしんどさもおもしろさも、このコミュニケーションのレベルにある。わたしたちは、相手の身体を直接操作するのではなく、ことばと身振りと相手の行為を使って、お互いをナヴィゲートする。
Bさんは一年のあいだ、結局噛まずに飲むことを繰り返してきた。この「噛まない」ということに、どうもBさんは執着しているらしい。だからといって、いわゆるミキサー食をBさんに食べて貰えばよいのか。以前にも書いたが、Bさんの食べ方を見ていると、Bさんは咀嚼のタノシミよりも、「舌ごし」とか「喉ごし」で味わっているようにすら見える。どうすべきか。
考えようによっては、事態は急を要しているわけではない。なぜなら、Bさんはこの「噛まずに飲む」やり方で、この一年をなんとか過ごしているからだ。
とりあえずは、噛め、ということを言い続ける指導から、喉につまらないような箸使いや前処理をしてもらう方向に切り替えるのはどうか、という話になる。もちろん、最終的には専門家の判断を仰ぐべきだろうが、コミュニケーションを介して相手に何かしてもらう、という点からすると、「噛まないことが問題である」という考え方から、「食べるのに必要な処理を、Bさん自身ができるような形で支援する」という考え方にシフトしてみるのは、一つの方法としてアリなんじゃないかと思う。
食の楽しみとは何か、ということを考えさせられる。ふだん、食べ物のおいしさを考えるときには、口の中にいれたときのこと、あるいは盛られた食事を目で見ることを、中心に考えがちだ。しかし、食べ物を箸でほぐすこと、その箸ごたえ、あるいは飲み込むときの舌ごたえやのどごし、そういうところにも食のたのしみはあるのではないか。
カタマリを目にし、それを小さな、しかしなめらかではないカタマリにほぐし、舌にのせ、喉を通す。
しかし、そのひっかかり、手応えや舌ごたえや喉ごし自体が、じつは食事のたのしみを構成している、ということはないだろうか。
それは、スムーズな食事、ひっかからない食事とは異なる。ひたすら安全を期すなら、ホームに居る人はみな、ミキサー食、流動食を食べればよいに違いない。が、どうもそれが唯一の解決ではない。
建築におけるバリアフリーと食事との比較の話。
バリアフリーは安全だし転びにくい。しかしいっぽうで、「ここからは別の空間である」という感覚が生じにくくなる。スロープがあったほうが家には入りやすいが、スロープはとても場所を取る。中にはスロープをさほど必要としないお年寄りもいる。
しかし、入居者の一般性を考えると、なるべくバリアフリーの方向にいかざるをえない。
建築は、いったん建てるとなかなか細かい改修がしにくい。使う側の個人差にも対応しにくい。いったん段差をつけたらそれをあとからなくすのにはえらくコストがかかる。
その点、食事は、毎日毎回が改修だ。
うまくいかなければメニューを立て直す。そして全員に同じメニューを出したとしても、それは同じ食事ということにならない。目の前の食事は個人的に加工される。
そう考えると、食というのは住に比べて、ずいぶんと融通のきくシステムだ。
だから、建築に比べると、食事のしつらえは、もっと柔軟でありうる。喉を通っていくまでのさまざまな食材のあり方、皿の上で為される加工、口に入ってから行われる加工、そのプロセスが毎度異なる。
もちろん、ひたすら効率化を目指すなら、建築のように、スロープのように、皿から喉まで、流動させればよいのではある。が、それ以外の道はないのか。
このグループホームでは「それ以外の道」が志向されている。そこがおもしろい。
「でも、試行錯誤だからいつまでも終わんないんですよね」と冨田さん。現場の人ならではの声。
米田さんと研究室の片付け。年度末なので書類をごっそり捨てる。そのあと会議会議。また書類を持ち帰る。
いつも、晩飯づくりにかける時間は短い。
昨日のTVでメッセンジャー黒田が作っていた、簡単カレーというのがおいしそうだったので、作ってみる。フライパンで挽肉とタマネギをざっと炒め、だし汁としょう油を入れる。そこに固形カレーを入れて、しばらく溶いたらできあがり。ごはんには卵の黄身を乗せる。
これは確かに旨い。タマネギの味がしっかり出る。手早く少人数分作れるのもありがたい。
挽肉のカレーというと、京都のリズム&ブルース喫茶ZACOを思い出す。この味は、あそこで「漂流教室」を読んでいる感じだな。
古賀さんから「壁書」に関する文献のコピーをいただく。唐詩選に載っている漢詩の中には、壁に書いたものが意外にあるらしい。垂直の壁に向かっていわば「書き下ろし」していたわけだ。「王義之の草書は、らくがきに使うにもってこいのらくがき文字といってよいかもしれない」。筆が重力にまかせて意図せざる長さにすいと伸びる、まさに「筆まかせ」な感覚。落ちるに身を委ねてのちの、着地としての収筆。
ラジオ 沼 vol.152「壁書の場所」
いただいたメール二つ。壁の詩について。
壁の詩としての板書。
朝から夕刻まで入試業務。
帰ってから味噌汁とフキ味噌で飯。ここのところ、味噌汁を作る、というのが定番化しつつある。汁なしでおかずのみを作ることが多かったのが、フキ味噌を作って以来、どうも味噌づいている。
野菜を切って煮て、味噌を溶くとき、墨を摺る時間を思い出している。時間の長さも似ているし、切るほどに材料の匂いがしてくるところ、味噌を混ぜて腕が旋回するところも、ちょっと似ている。
夜、また反古紙を出してひらがなを書いている。
京都造形芸術大学で講義。熊倉一紗さんの正月用引札の話と、ぼくの絵はがきの話。聴衆の中に紙ものに詳しい方がおられて、質疑応答のあと、藩札の透かしのことなどを伺った。
終わってから、熊倉さんとお茶を飲みながら紙もの談義。引札をやっているというので、てっきり年配の方かと思っていたら、佐藤守弘さんの後輩の方だった。
図像学的な見地だけでなく、引札の流通のスタイルや、使われ方に注目した論に、いろいろイメージが湧く。引札を見るのは誰か。貼ることは漏らすこと。
フスマから引き剥がした引札を拝見したのだが、場所の感触がそのフスマ貼りの紙の断面から漂ってくるようだった。壁から剥がしたフレスコ画のような感じ。
ひらがなの練習用に頼んでおいた「梅雪かな帖」(松林堂)が届く。臨書の手本にするつもりだったのだが、中を見ると、変体がなの書き順が書いてある。思わぬところでいいものに会った。
絵はがきの通信文を読むときに、変体がながいつもネックになってきた。以前よりはだいぶ読めるようになってきたものの、いまだに、すぐ忘れてしまう。
両親の世代の人は、小さい頃に変体がなを習っている。では両親は、長年使ってない変体がなをどうやって読むかというと、おもしろいことに、読みながら紛らわしい文字に出会うと、手で空書をして、書き方を確かめるのである。
つまり妄言をたくましくするなら、こうだ。
読むことと書くことの間に身体が介していれば、軌跡を見ただけでミラーニューロンは活性化する(ここらへん、話半分で読まれたし)。その結果、読みながら無意識に手が動き、動いた手によって文字を意識的に認知する、というややこしい経路が開けるのではないか。
というわけで、梅雪かな帖を横に置き、かなを書く。
どのかながどの漢字から由来したかは、知識としては知っていたが、じっさいに自分で書くと、ひとつの線の流れ、ちょっとした配置の違いが意識されるようになってくる。
「ね」「れ」は「しめすへん」の漢字(祢)(礼)に由来するので、左部分が同じになる。「わ」は、活字では「ね」「れ」と左側がほとんど同じだが、「のぎへん」の(和)に由来するので、行書では少し書き方が違う。
「わ」(和)と変体がなの「り」(利)は、ちょっと見には区別がつきにくいが、右側の部分が「わ」ではやや上側で、「り」では下側に位置する。旁の「口」は「か」(加)と同じく、やや上に書くのがキマリ、と分かると、「わ」の右側が上に来る理由が納得できる。
「ゑ」の下のぐちゃぐちゃした部分は、じつは(惠)の下部分であり、「心」である。
変体仮名の「に」(尓)は不思議な形をしているが、じつは「ね」(称)の右側と同じだと気づけば、なあんだ、ということになる。
「あ」(安)、「め」(女)、「ぬ」(奴)は、いずれも「女」を含んでいる。
「え」は、(衣)の草書から来ているので、右に流れる部分をちょっと下に書けば、元の漢字を想起させることができる。
「を」の最終画は、(遠)の内部からしんにゅうに至る線だから、思い切って右に出してから、左に走らせるとよい。
「る」「ろ」は、活字では似た形をしているが、行書ではずいぶん違う。「る」(留)は、「ろ」(呂)とは違って、上部が左右の部分に分かれているので、行書で書くと左から右に流れて、上部をなぞるようになる。
・・・などなど。つまり、活字になる段階で、同じ部分を持つひらがな(「あ」「め」「ぬ」)のみならず、由来の違う部分を持つひらがな(たとえば「わ」と「ね」、「る」と「ろ」など)が、同じ形として扱われ、現在に至っているわけだ。
現在の活字は、表面的な形の類似から改めてかなを分類したものだということになる。
それを一度解きほぐしてようやく、行書や草書のひらがなの形が見えてくる。
東京のジェスチャー研究会にオンラインで参加。Skypeを使ったのだが、Firewallのせいなのか、かなりディレイがかかり、声もぶつぶつで、実用にはもう少し設定やソフト選びに工夫が必要な感じ。
ここ三日ほど、ほとんどキーボードで文字を打っていない。そのかわりに、その辺の反古紙の裏に余白を見つけては、文字を書きつけている。今日は、ひらがなの行書をやってみたのだが、いざ、自分で思いついた文章を書こうとすると、どうも文字列がまとまらない。漢字が楷書でひらがなが行書なので、なんだか不揃いなワープロの字を見ているような、妙な感じなのだ。
いずれ、一連なりの文字列として、自分の字をこなれたものにしていかなくてはならない。自分の字体を徹底的にいじるというのは、高校のときに一度やったことがあるが、それ以来のことだ。
朝から墨を摺る。紅花墨のいい匂いがする。
「墨」No.52の記事によれば、奈良古梅園の墨は主に竜脳樹からとれる竜脳を使っているのだという。熱帯の樹木から採れる結晶は、いかなる経緯で墨にふくまれることになったのだろう。
まだまだ、長年の書字の癖がつい出てしまい、意識してゆっくり書かないと、つい筆先への注意がおろそかになる。そして、覚えなければならないことは多い。
試しに黒板にも何度か字を書いてみる。筆でやっていることの多くは通じないわけだが、それでも明らかに自分の筆法が変わりつつある。来年度からの板書が楽しみだ。
彦根に戻る。それからまた反古紙に字を書く。
朝から、石川九揚編「「書」を書くためのハンドブック」を読みつつ、万年筆や筆ペンでなぞっているうちに、昼時を過ぎ、もうどうにも筆と墨で書かなくては辛抱たまらなくなってきた。
幸い「「書」を・・・」には、入門者用に必要な筆や墨が紹介されている。これはぜひとも必要だなと思えるものには説明が尽くされており、装飾めいたものについてはごくあっさりと記されている。必須道具をメモして、自転車を飛ばす。
まずは三条の有名文房具店に。以前からはがきや便箋を買うときに、筆や硯が置いてあるのが目に入っていたので、思い出したのだ。
が、どうも品揃えが違う。いささか敷居が高い。
おかしいなと思い、水墨画をやっている父に電話で教えてもらい、五条烏丸下がるの「書遊」に行ってみたら、なんだ、ここにあった。
ドシロウトなので、「「書」を・・・」にあるままのものを買う。4号中鋒兼毛、羅紋硯、奈良古梅堂の五つ星紅花墨、手漉き半紙、あとは安い文鎮と筆巻と下敷き。臨書用に「雁塔聖教序」。思ったものがほぼ手に入った。のみならず、富岡多恵子『さまざまなうた 詩人と詩』を読んで以来気になっていた會津八一の絵手紙や短歌に関する書籍もあった。そうか、會津八一の本はこういうところに置いてあるのか。これまで縁のなかった二玄社の本が増えていきそうだ。
帰りに錦市場のそばでふらりとうどん屋に寄る。店に入ると、びっくりするような値段が壁に張ってあってどうしようかと思ったが、おばちゃんのトークに圧倒されて、言われるままに食ってみたら、倒れそうに旨かった。
昔、小学校の書道の時間に使っていたのは、ごく小さな硯だったが、今日買ってきたのは条幅でも書こうかというくらいの、9号の羅紋硯。墨を持つ手がぐるぐるとよく回る。紅花墨を摺ると、なんともいい匂いがする。
日暮れ近くから書き始める。正座が辛くなっては休み、ストーブにあたる。それでも気がついたら夜中近くまで書いていた。いったん外に出てぼんやりするが、また書きたくなり、夜半を過ぎてまた墨を摺る。ごとごとと低い音が部屋に響く。包丁でも研いでるんじゃないかと隣人に思われそうだ。さらに書く。
昼なのに、何かはらはらとホコリのようなものが舞っていると思ったら霙だった。外に出たらえらく風が冷たい。暖冬だと思って油断していた。
文庫堂で、石川九揚編「「書」を書くためのハンドブック」(正続)、別冊太陽特集の「夏目漱石」など。石川九揚氏の著作はこれまで何冊か読んできたのだが、じっさいの書を書く指南書があるとは知らなかった。夜に読んでいるとあやしい気分になってきて、部屋の反古紙にペンであれこれと試し書きをする。
松本隆さんのWWWサイト「風街茶房」の「風街コラム駅伝」に「ハイスクール・ララバイ」について書きました。
題して「ララバイの瞬間」。
ラジオ 沼 vol.151「ハイスクールの悲劇」
イモ欽トリオ「ハイスクール・ララバイ」と
バッティングセンターの夜。
昨日買ったギターは、以前買った数千円のギターよりはずっと音がいい。単音だけで気持ちよく、メロディを探りながら弾く。
原稿を書く。京都合宿といったところ。
いつも、カナートの2Fにいくたびにギターがずらずら並んでいるのが気になっていたのだが、ついにうっかりガットギターを買ってしまった。春ゆえか。そういえば昨年もいまごろギターを買ったのだった。
店員さんの勧めてくれるギターは、アップグレードするごとに値段が倍になる。一万円よりいい音がするのは二万円、その次は四万円・・・という具合。そして確かにいい音がする。素人が一音弾いても、明らかに違う。あんまり弾いてると天井がないので、四万弱のを弾いたところで、「もう止めときます」と根をあげる。
同じアパートにカナートでギターを衝動買いした人が少なくとも二人いることを知って驚くあそこは目の毒だなあ。
ラジオ 沼 vol.150 「倍々の音色」
早くも匂い始めた花々と
ギターの話。
ラジオ 沼のメインサイトを移動しました。
http://12kai.cocolog-nifty.com/gesture/(旧ジェスチャー論)です。
引き続きよろしくお願いします。
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ホームページの移転に伴い、しばらく使えなかったカットアップのページを修復しました。オンラインでカットアップができるCutitupのページも復活。ついでにカットアップソフトの作り方も書き加えました(これ)。これから文字列をいじって何かしようという方にはもしかしたらヒントになるかも。
それにしても、最初にカットアップソフトを作ったのがもう十数年前だとは。もう世の中には酢鶏をはじめ、優れた文書生成プログラムがいっぱいある。それに比べると、もはや古文書という感じです。
昨年、映画美学校の講義用に作ったカートゥーン音楽小史のPDFをアップしました。
たとえばこんな風に音楽史を横断してみる試みです。どうでしょう。
「地球の上に朝が来る」とあきれたぼういずが歌い出した1937年、バルトークは「二台のピアノと打楽器のためのソナタ」を作り、M.スタイナーはアンダースコアを思いつき、レイモンド・スコットは「パワー・ハウス」を作曲し、スコット・ブラッドレーは「ショック・コード」を用い始め、リー・ハーラインはディズニーの「白雪姫」の曲を書き、カール・スターリングはまだサイレントの伴奏音楽風の曲を書いていた。アメリカでは、音楽はまだフィルムのサウンドトラックに光学録音されていたが、ドイツでは前年にテープ録音が行われ始めていた。
毛受さん、小山田さんほかで洞窟ミーティング。本日はビデオを撮影させていただく。視覚なき経験を語るジェスチャーについて考えるため。いいデータがたくさん取れた。分析はこれから。
昨晩フキ味噌を作ったついでにタイマーで飯を炊いた。朝はいつもトースト一枚ですませているのだが、今朝は久しぶりにご飯。味噌汁と白飯とフキ味噌。しばらくこれでいくか。
今日も松村さんの予行を見て夕方。
裏庭のふきのとうはもうずいぶん育ってしまい、中の花が開いている。摘んできて包丁で叩くと、白く細い花冠がちりぢりになる。それも叩いて味噌と合わせてしまう。ひたすら包丁で刻んで混ぜると、苦い、ヨモギのような青臭さのあるフキ味噌が出来上がる。これにちょっと砂糖にみりん。練りわさびを入れてもよし。酒のアテにもよいが、飯と食べると旨い。
この苦みには、どこか記憶をくすぐるようなところがある。紅茶にはマドレーヌ、白飯にはフキ味噌。
ふきのとうには雄株と雌株があって、花の様子が違うらしい。こちらのサイトが参考になる。
夜、ふたたび開きすぎたふきを摘んできてフキ味噌。包丁で腑分けしてみたら、裏庭のものはいずれも雄株(両性花)で、こん棒状の花柱が見えた。
で、結局それも叩く。ごま油で味噌ごと炒ってみる。煎餅のような風味になり、これまた旨い。
三四郎はそれから門を出た。というわけで、肝臓を休めるべく酒を断ち、漱石の『門』を手に取る。いちいち身に染みて読む。高校生のときに学校の先生に勧められたもののさっぱりピンと来なくて、「なぜ突然参禅など?」とまるで小六のようにいぶかしんで読んでいたのが、いまでは嘘のようだ。
もはやとりつかえしのつかないことによって世間との交渉を切り詰め、あちこちを点々とした先に、じめじめした玄関を下駄でなく靴で歩かねばならぬ生活に陥った。その生活をなんとか生き延びる知恵はないかと思って参禅すると、そこはむしろ、今の生活を断つための場所だった。そんなこととは思いもかけず、すっかり懲りてまた今の生活に戻った。
なんだか間の抜けたような、救いのないような話だ。参禅するならなぜさっさと俗世を捨てないのか。捨てることができないほどの男の話をなぜ漱石は書くのか。昔はそう考えた。
いまでは、宗助とお米の押し詰まり方がよくわかる。宗助が追われるように参禅に向かったのもわかるし、そこで初めて、お米との生活を捨てるなど思いもよらないことに気づくのも、よくわかる。
彼らの生活は、二人か一人か、というような形で選択されたのではなかった。そもそも二人という形を取ることによって世間から放逐されたのであって、一人きりの出奔ははじめからありえなかった。
そのような二人のために、話のそこここにはほんのわずかな、それこそ庇と崖との隙間に漏れてくる陽射しのような、リラックスが仕組まれている。六円と思った屏風がみるみる値を上げて思いがけず三十五円で売れる。それが本当は八十円の値打ちだとしても。わたしもようやく年を取り、話に生じるわずかな緩みを味わうことができるようになった、ということなのかもしれない。
チェーホフの『犬を連れた奥さん』が『それから』だとすると、『ワーニャ伯父さん』や『可愛い女』には『門』のようなところがある。選んでしまった生を、選ぶことの高揚を遠く離れ、なお長く生き延びなければならない。それを思い知ることは残酷である。が、思い知った上で書いた人がいる、と知ることはなぜか読む者をリラックスさせる。殺風景な崖下の影に家を見つけた、ということも、その家のいちばん日当たりのいい場所を渋々小六に譲るところも。「うん、然し又ぢき冬になるよ」ということばさえも。
午前午後と松村さんの発表予行を見る。
紙を使ったジェスチャーの話。うまくまとめれば、「紙」論として何か書けるかもしれない。