会議、書類書き、採点。
『ユリイカ 2009年9月臨時増刊号』総特集*昆虫主義に、「行動の来歴、個体の来歴」。サブタイトルに「昆虫研究最前線」ってあるんだけど、もう20数年前のことで、まったく最前線じゃないです。ナンヨウベッコウトンボというボルネオのトンボの話。
朝ご飯を終えたばかりのグループホームへ。申し送り、体操のあと。ボール遊び。
ボール遊び、というのは、柔らかいゴム鞠をテーブルの上で軽く転がし合うもの。単純なゲームのようだけれども、けっこう個人差がある。たとえば、左手が麻痺してあまり動かないCさんが、意外にうまかったりする。両手とも不自由なく動かせるはずのAさんやDさんがしばしばボールを取り落としたりする。よく見ると、Cさんは両手をテーブルの上に出して、いつでもキャッチできるようにしている。動かない左手でボールをいったんバウンドさせて、右手でキャッチする、という具合に、左手も役に立っている。いっぽう、AさんやDさんは、すぐに両手を膝の上に置いてしまう。別に膝におくというルールはないのだけれど、ボールを打ち終わると、ふうっと身体がテーブルから遠ざかって、両手が下がる。それで、いざボールが転がってきたときに間に合わない、ということになる。Eさんは、ボールを打つと少し過呼吸になったりして、大丈夫かな、と思うけれど、すぐに両手をテーブルの上に置いて構え直す。
この、現在進行中の遊びに対する構えをとるかとらないか、というのは、行動の連鎖をどの程度長く認知できるか、という問題としておもしろい。
昼食。今日はAさんと並んで食事をする。Aさんは、例によって「いただきます」のあと、目の前の食事をじいっと見つめて固まっているが、こちらが箸に手を伸ばしてちょっと待ってると、それを見て、箸に手を伸ばす。こちらが箸を取り上げると、Aさんも取り上げてくれる。次に起こるであろう行動の少し前を行くと、とくにどうしてほしいとこちらから言わずとも、ついてきてくれる。
Aさんはご飯の最中にもしょっちゅう「これなんです?」と聞いてくる。ここでたとえば「かぼちゃです」と答えただけだと、かぼちゃ?、とたずねて、しばらく箸を止めたあと、また、「これなんです?」と聞いてくる。
ここで、じつはAさんは「これなんです?」といいながら、かぼちゃを箸で指している。そこで、「かぼちゃです」と答えながら、こちらも箸でかぼちゃを指す。そして「おいしいですよ」といいながらかぼちゃを箸でとってちょっと待つと、Aさんもかぼちゃを箸でとる。そうしたらこちらは口に運ぶ。するとAさんも口に運ぶ。「どうですか?」とたずねると「おいしいですね」と言われる。ものの名前をたずねられたときに、ただ答えるだけでなく、そこに次のアクションを埋め込むと、Aさんとの会話は前に転がっていく。
今日はご飯もスムーズに行き、ごちそうさまのあとお盆を片付けるのも、比較的うまく行った。が、そのあと、皿拭きの段になって、思いがけず手こずった。
Aさんの目の前には、すでに洗い終わった食器が洗いかごに収まって置かれている。これを拭く作業をAさんに手伝ってもらいたいのだが、そのためには、まずAさんに手を洗ってもらわなければならない。このことをAさんに納得してもらうのが一苦労だった。「Aさん、立ちますよ」「Aさん、手を洗いましょう」などなどと言って、Aさんを促すべく立ち上がりかけるのだが、Aさんがついてこない。何度か繰り返したあと、「そんなんあんたの好きにしたらよろしいがな」と言って、自分はあくまで席についていようとする。はて、たつのがしんどくなったのだろうか。そばの職員さんがなおも「手を洗ってからでないとね、お皿が拭けないの」と諭すと、Aさんは「そやけど、男用と女用とあるやろ、向こうで一緒になるやもしれへんし」と、ぼそぼそ小さな声で言う。それで、はっとした。つまり、Aさんは「手を洗う」というのを「お手洗い」のことだと思っていて、男のわたしがお手洗いに誘っていることに強い違和感を感じているのではないか。
それで、Aさんを「手を洗う」ということばで説得するのは諦めて、立ち上がって流しに行った。そして、そこで手を洗いながら、「はい、Aさん、こっちで洗って下さい」というと、ようやくよっこらしょと立ち上がってくれた。「お手洗い」でないことに気づいてくれたおかげか、それとも単にお互いの位置がかわったせいか。
さてしかし、まだ問題は終わったわけではない。
流しには、左に台ふきが置いてあり、右下には手ぬぐいがかかっている。台ふきは上に置いてあるので目立つ。Aさんは手を水で洗ったあと、この台ふきで手を拭いてしまう。職員さんがすかさず「ああ、Aさん、それはやい直しやわあ」と注意。「Aさん、すいません、もういっぺん洗ってこっちのタオルで拭きましょう」というと、え、という顔をされる。「もう一度洗ってこっちのタオルで拭きましょう」「そんなんあなたの好きにしたらええがな」。確かに、何度もタオルで拭いたことにはかわりないし、何度も手を洗うのは合理的ではない。が、ここを乗り越えてもらわねば次のステップにいけない。すいませんがもう一度、と繰り返して、ようやくテーブルに戻ってもらった。
そういえば、以前、こんなこともあった。
毎食前、Aさんの前には、おきまりのコップとは別に、くすりを飲むための水を入れる湯飲みが置かれる。しかし、Aさんはお茶を注ごうとして、この、二つの湯飲みひっかかる。「これ、どっちに入れるんやろ」「こっちに入れるといいです」「でも、そっちにいっぺんいれて飲んだんやさかい・・・」。ごもっとも。ごもっともなのだが、そちらは水でこちらはお茶なのだ。
二つ以上の似た選択肢があるとき、Aさんは手近なもののほうにふいと引き寄せられる。
「ね、わたしたちの苦労がわかるでしょ」と職員さん。いやはやごもっとも。ぼくは参与観察者ということでAさんにつきっきりであれこれやりとりできるけれど、何人かの面倒を、しかも手足の自由のきかない人の面倒を見なければならない職員さんたちにとって、手足が動いて、一行為ごとに質問を繰り出してくるAさんの要求をすべて満たすのはたいへんだろう。
と、納得しかかる一方で、何がAさんの「二者択一問題」にとってのブレイクスルーになるだろう、と考え始めている。
三木君が作ってきた窓フタをはめてみる。完璧な遮光。なおかつ内面は白。パーフェクトである。あまりにぴったり窓枠にはまるので、はめこみ作業が楽しくてしかたがない。杉原さんがゲットしてきた布で正面もくまなく白で覆ってくれる。これで、部屋を真っ暗にすることができ、かつ、針穴から漏れてくる映像を、正面全面、そして、側面の窓にも映すことができるようになった。
さて、まっくらにしてみると、おお!
お堂全体がスクリーンになっている。まさにカメラの中にいる感覚。
今日は前宣伝が少なかったせいか、さほどの入りではなし。それでも、看板につられてきたお客さんがぽつぽつと現れた。
来月からは、広報も使ってやや派手に宣伝する予定。そして、10月には、なんとひこにゃんが登場することも決定した。
いやあ、遅ればせながら買いましたが、すごいですわ。
デジカメができたり、デジカムが出たりするたびに、「もう技術的にはステレオカメラが出せるのに・・・」とステレオ好きの人と何度言い合ったことか。しかし、そこでハードルになってたのは、じつはカメラのほうではなくて、ファインダのほうだったのですね。撮影しようとするときにその場でステレオを確認したいのだけれど、ここがなかなか越えられなかった。それをやってくれましたですよ、FUJIFILMさんは。
詳しい理屈はすっとばしますが、液晶ファインダでステレオ映像をみることができるようになった時点で、もう驚異です。いやあ、こんな時代を迎えることができるなんて、長生きはしてみるもんだ。あとは、撮った画像をどうやって人に見てもらうか、ですが、ぼくはもう昨日買ってから、いく先々で人にファインダを見せる、といういたって原始的な方法をとってます。ネット越しの場合は、ファインダをお見せするわけにいかないので、ステレオフォトメーカー(改めてこのソフト、グレイト!)のお世話になりまして、と。
そんな高揚感とは無縁の、地味な写真をお送りします。でも、ステレオでみると、違うんだなあ。いわゆる赤青めがね用。左が赤、右がシアンです。
yugueにて。いい調度。
スミス記念堂の木彫の天使像。
ZANPANOの階段で。
ステレオフォトメーカーはこちら。
http://stereo.jpn.org/jpn/stphmkr/index.html
以前、こんな光景をグループホームで見た。
Bさんは、自分の名前も言えないし、出会った人のことを端から忘れていく。何秒かおきに(たぶんワーキングメモリの途切れるあたりで)「あなた、だれでしたかいの?」と聞かれる。そのBさんのもとに、ひさしぶりに娘さんがやってきた。
娘さんが声をかけても、Bさんにははかばかしい反応は浮かばない。ああ、娘さんでも同じなのか、と思った。しばらくして、お昼ご飯前になり、娘さんがみんなに挨拶して、立ち去るべく居間の硝子戸を閉めた。
そのとき突然、Bさんの顔にさっと激しい表情がさした。両手をメガホンのようにして「こっちへこないの?」とはっきり言って、左手で、こいこい、というように硝子戸の向こうに手招きをした。あいにく、娘さんには声が聞こえないらしく、もう玄関に向かっている。吉村さんが気をきかせて、硝子戸を開けると、Bさんの手は止まって、声も出ない。けれどまた硝子戸が閉まると、「こっちへこないの?」と左手で手招きをする。
もうお昼ご飯の配膳が始まって、「Bさんご飯ですよ」と職員から声がかかる。またBさんの手は止まる。まだ表情が名残っている。視線がさまよっているBさんと、目が合う。Bさんはこちらに向かって、こいこい、をする。うなずくしかない。すると、また視線がさまよって、Bさんは吉村さんにも、こいこい、をする。
ある未来が閉じようとしている。そのとき、情動がさっと立ち上がる。身体が思わず動く。そこから別の未来が開ける。
近しい人と別れるときだけに立ち上がる情動が、Bさんに訪れて、Bさんは、こいこい、をする。次の瞬間にはもう、Bさんはなぜ自分がこいこいをしているのか、判らないのかも知れない。それでも、情動は名残って、Bさんの身体を動かす。Bさんは情動の宛先を、開かれた未来の絞り込まれていく先を探している。
Bさんに一瞬訪れた情動の光芒と、食卓でのAさんの行動を考え合わせる。AさんにもBさんにも、もやのかかった認知の向こうに、情動の開く未来がある。それは、生活の節々にやってくる未来だ。食事が終わる。誰かと別れる。未来が閉ざされようとするときに、情動が立ち上がる。身体が少し動く。身体が兆しを示している。それはほんのささやかな、わずかな兆しではある。その兆しはどこに向かって絞り込まれようとしているのか。それはAさんやBさんだけの問題ではない。それを読み取り、見極め、引き受けるわたしの問題でもある。
発表は日高友郎さんと坊農真弓さん、そして荒川歩さん。荘厳先生とわたしは指定討論者の役回り。
ある身体行動が、いっけんすると冗長に見えるとき、そこでは実際には何が起こっているのだろうか、という問題について。
日高友郎さんの発表は、ALS(筋萎縮症)患者の方の聞き取り調査をもとにしたものだった。
筋肉が萎縮しても、顔筋やまぶたなど、ごく一部の筋肉は動かすことができる。Wさんの場合は、頬に金属のセンサをつけて、頬肉のあげおろしで文字を選び、チャットを行うことで、ことばを介したコミュニケーションを行っている。
日高さんの話で印象深かったのは、Wさんが「自分のことばで最後まで言いたい」と主張していることだった。チャットをしていると、ひらがなをいくつか打ったところで、読み手はおおよそ何が書かれつつあるかがわかってしまう。たとえば「つくえ」と書かれたら、それは机のことだろうし、そのことは、わざわざ「机」と漢字に変換しなくともわかってしまう。「机がおおき」と書かれれば、それはもうすぐ「机がおおきい」と書かれるはずで、それは予想がつく。実際、ぼくたちは日常会話で、相手が言い切る前に「ああ、はいはい」と前倒しであいづちを打ったりする。
しかし、そうやって予想がつくときでも、日高さんは打ち込み終わるまで次のやりとりに移らない。たとえ、つくえを「机」と変換するために、頬肉をよけいに動かさなければいけないときでも、それは省略しない。漢字を変換すること、文章を完結させることへの強い意志が、チャットの場面からは伝わってきた。
もし、コミュニケーションの効率だけを求めるなら、このようなこだわりは余計なことだろう。ただ消えていく文字なのだから、ひらがなでも言いさしでもよく、相手に伝わった段階でさっさと次のことばに移ればよい。実際、お互いの入力過程が見えるチャットを通常の人にやってもらうと、相手のことばに重ねるようにどんどん次のことばを継いでしまう傾向が観察される (細馬宏通 2002 相互行為とメディア 伊藤勇・徳川直人編『相互行為の社会心理学』北樹社 pp.179-198)。でも、Wさんの場合は、むしろ逆に、いっけん冗長と見えることをあえて「言い切る」ことを大事にしている。
いま、「冗長」とか「余計」ということばを使ったけれど、じつを言えば、この、冗長に見えることこそ、コミュニケーションの本体ではないか。
わたしたちの身体表現は、誰にでもすぐに理解可能な「記号」に絞り込まれる。そのとき、残ったものはいっけん冗長に見える。しかし、じつはその残余の部分にこそ「身体」がある。その「身体」につきあうことをわたしたちは捨象し過ぎているのではないか。
坊農さんの発表は、手話におけるマウジングがもっている機能について。こちらは、手というメディアと、口というメディアが同時並行に走っている状況で何が起こっているかを分析したもの。日高さんの扱っているWさんの話が、チャット入力において見逃されている身体であったのに対して、こちらは、手話を構成しているメディアが複数あるという話。複数あることは明らかなのだが、問題は、その複数が、まったく同じ機能を同時に持っているのか、それとも複数の機能を持っているのかということ。坊農さんは、とくに行動のホールド(維持)という現象に注目して、この問題に取り組もうとしている。
こちらの場合は、じつは「記号」を構成する身体がひとつではない、という話で、これまたおもしろい。ある「記号」が実現されるとき、ついついわたしたちはその由来を単一のメディアに落とし込みがちだが、じつは、「記号」が頭にともるとき、頭の中では複数の時系列を解釈しており、そのプロセスの中で「記号」は産み落とされるのではないか。
まとめておこう。まず、わたしたちは、何がコミュニケーションに関与しているか、ということをさまざまな意味で軽く見過ぎている。記号を産み出す身体に、記号からこぼれたものを読み取ること。あるいは記号を産み出すシニフィアンとして、単数ではなく複数の身体チャンネルを考えること。以上二つの課題を、日高さんと坊農さんの発表から読み取った。
発表後、企画者、発表者、そして斎藤洋典先生もまじえてお茶。
オペラの手紙の場面は掘れば掘るほどおもしろい。一曲一曲、リブレットを訳して、音楽を何度も聴く。それだけなんだけど、発見がいくつもある。今回はオペラ「マノン」の手紙の話。詳しくは本文にて。
http://www.classic-kawaraban.com/column_hosoma/
書類書き、入試の面接、会議。
この夏は軒下のミントがよく茂った。今日もいつものごとくミントをわしわしとつかんで、お湯を注ぐ。青い味。何度となくかけあわされた、人為淘汰の果てに現れた、ワイルドネス。竹田くんと高橋さんにもらった鳩の形のらくがんを食べる。
去年録音して、いつのまにか忘れていたもの。
この放送をダウンロードする
スミス記念堂で、三木君に作ってもらったカメラ・オブスキュラ用の扉をはめてみる。さすがは大工さんの作品、ぴたりと扉に収まった。杉原さんがゲットしてきた金魚鉢風のガラスで、凹面鏡遊びをして遊ぶ。いろいろできるなあ。週末が楽しみ。
夜明け前、日高先生が琵琶湖を眺めている。入れ替わりにキキさんが起きてきて、ヴェニスに死すみたい、あれ、なんの曲だっけ、という。マーラーのアダージェットをかける。宿のすぐ下に舟が着く。漁師さんがニジマスを五匹選んで手渡し、また舟を出す。手渡し漁、と勝手な名前を思いつく。
朝、近所を散歩。ちょうど庭の手入れをしておられた福善寺の方とお話。
車道を渡って天神社。平安期のものだという。かつては、車道もなく、浜からずっとあがってくると、ここに至ったのだろう。
朝食を食べながら茂木さんとサルマネの話。
すぐそばの魚治で、ふなずしを作るところを見せていただく。場と道具と慣れ親しんできたご主人の、話の所作。
上田くんのナヴィゲーションで針江生水の郷へ。針江大川から、山川悟さんに案内していただき、かばたを訪ね歩く。それぞれのお家にあるので、一軒一軒たずねる、という形になる。それぞれのお家の調度があり、しつらえがすこしずつ違う。ほどよいところに道具があり、使い込まれていることが判る。その、ひとつひとつ違うかばたから水路が流れ出し、表の道に沿って走り、また別のかばたへと流れ込む。
田中三五郎さんのかばたにおじゃまする。きれいに壁にかけられた傘。鍋。包丁。ひとりひとりの絵はがきにサインをして下さるその所作も、並べられていく傘のようだ。並べられる時間があって、指先があって、その指先がかばたに差し出されると鯉が吸いつく。かばたの裏には、もう秋の空と田んぼが広がっている。
中島自然池へ。川がひととき流れを止めたような池の上をトンビが往復する。その往復を見守るようにお話をうかがう。
ソラノネへ移動。「空の根元だからソラノネ」と上田くん。石津さんの作った米を、ソラノネのかまどで炊いたご飯。裏には広々と広がる、ブルーベリーの畑。岩田康子さんのブルーベリーの話。茂木さんはここでも、ぱっと飛び出してブルーベリーを食べに行った。速いなあ。ご飯をおかわりしながら石津さんとお話。motokoさんの写真展でお話して以来。石津さんは目玉がきらきらしてる。昨日のシンポジウムの話を、ずばりと聞かれて、しばし考え込む。
おひつに残ったご飯を握っていただいたのを、鞄に入れる。前にお年寄りの話で「昔は五合飯ちゅうて山に持っていった」と聞いたのを思い出した。
湖西線で岸尾昌子さんと一緒になる。日高先生の話をしていたのだけど、途中から情動論の話に。
京都で降りて、タワー浴場に。あがって、昼のおにぎりを食べる。あ、冷えてもうまい。電源を求めて漫喫に飛び込み、しばし原稿に向かう。
夜、二期生の竹田くん、高橋さんと食事。10月の結婚式のこと。ゼミ生どうしの結婚はこれが初めて。めでたい。めでたさを肴に、飲み、食べる。日高先生と朝、教え子と夜。
朝、家まで上田洋平くん、青山香菜さんが迎えに来てくれる。
青山さんがダッシュボードを開けると、フリスクがあり、あめ玉があり、さらにかえるのハンカチがあった。なんでもあるなあ、この車。マンガの中の車みたい。
米原へ。茂木健一郎さんが加わって高島へ。上田くんの端正な説明を聞きながら湖北の緑が濃くなる。なんとなく無口になる。
「高齢社会先駆的事業シンポジウム「ふるさと絵屏風でふくしまちづくり」」会場へ。日高先生が来ておられた。
基調講演で、茂木さんの話。捕虫網で虫を捕まえるときの時間の短さについて。
黒田末寿さん、来島修志さん、そして茂木さんとシンポジウム。司会は上田くん。10分しか持ち時間がない、というので、えいやっと、ほんとうに触りだけを(でもだいじなことを)しゃべる。誰かの話にあっという間に反応する声と身体のこと。「まるで捕虫網で美しい蝶をつかまえるように、コンマ一秒で」。
シンポジウムを終えて、遠藤周作ゆかりの宿、湖里庵へ。着いたらすぐ、茂木さんがたたっと駆けだして、路地を抜けて真っ先に浜辺に出ていた。テレビでは伝わりにくいけど、茂木さんのいいところは、ワイルドなところ。ぱっと決断が身体に表れる、そういう野生が所作にあふれている。
近所をあちこち回る。山も川も湖も近い。かつてはすぐそばが内湖だったのだそうだ。地蔵盆で、路地のあちこちが共有地になり、子どもが往来している。水を得た魚、というのがほんとうのことのよう。
東マキノ小学校の裏にはボート。水路はそのまま琵琶湖へつながっている。
湖畔でぼうっとしてたら、向こうで滋賀出身の山形蓮が、ゴリをつかまえようとぐっと屈んで肘まで水につけている。「あたし、むかしはこんなのとくいだったんです」。かばんを背負ったまま、しばらくそのままじっとしている。そんなのでとれるのかと思ったら、しばらくして、「あ、とれました」。ワイルドなやつ。
懇親会で参加者で親しく話。途中、上田くんが「座興」といって、絵屏風で絵解き。彼がやってきた何十時間もの聞き取りを圧縮した、さりげなくも見事な内容。久しぶりに日高先生が「あっはっは」と笑うのを聞いた。
二階にあがって、なおも話は続く。ふなずしの歌を唄って、ふなずしを食べて、日高先生がぷかぷか煙草を吸ってて、キキさんがいて、来島さんがよっぱらってて、茂木さんが採点の仕事をしながらときどき会話に加わる。酔っぱらいながら、集英社の岸尾さんに、昔の日高研のことやボルネオの話などお話する。Jambatan do Tamparuli、Justin Lusahなんて固有名詞、何年ぶりに口にしただろう。カダザンの名曲、Jambatan do Tamparuliを歌いながら、ジープでジャンバータンの橋を渡る記憶。すぐそばに水が流れているような親密な時間。
貯まっていた仕事をあれこれ。
朝、大山乗馬センターへ。ゆうこさんは乗馬。わたしは馬となごむ。
馬に乗って軽く森と道路を一周できるコースあり。高原ならでは。
近くに「本宮の泉」なる看板があるので寄ってみる。これまで、彦根の十王の水や伊吹山のふもとの名水と呼ばれる場を巡って、名水とは水質のことではなく、その水のわき出る場の神性のことなのだということを知った。だから、この本宮にも何かあるのでは、とは思っていた。
が、予想を越えて、ずっと瀟洒で、もう吸い込まれるような場所だった。いや、押しつけてくるような装飾はなにもないし、人によっては、なんということはないただの田舎の水場だと思うかもしれない。でも、ここには、行き届いた手入れがあり、行き届いた手入れをさせる何かがあることが、ひしひしと感じられる。もちろん、水はおいしい。ぐんぐん飲む。この世にRPGの聖なる泉が実在するならば、それはここではないか。
テーブルにウラギンシジミが一頭止まっている。向かいの農家の庭には牛がつながれている。水中には梅香藻が豊かに漂っている。机のわきに用意された餌を投げ入れるとニジマスが競うように食べる。旅のHPを得た。
昼前に米子に着く。レンタカーを返して街歩き。アーケード街はシャッターがほとんど下りていて、工事中のところもあり。かつて、ここが賑わった当時、植田正治もこのあたりの空気を吸っていたのかしらん。加茂川沿いの土蔵あたりを歩く。おもちゃ屋のみごとな看板は「一銭屋 岡本」。加茂川から少し離れた場所には花街らしいところもあり、こちらは夜が楽しそうな場所だった。
途中、本のたくさん置いてある珈琲屋さん吹野で和む。米子文学、という同人誌。
米子駅から岡山へ。東海道線や山陽線では味わえない、川沿いの景色。分水嶺を越えるころ、あられを床にぶちまけるような音、こどもかな、と思ってしばらく聞き耳を立てていると、「ちー」と一円玉の転がるような音がする。あられらしからぬ音だなと、身を乗り出してみたら、色とりどりの粒が目に入った。なんだ、マーブルチョコレートだ。
ふと通路の向こうの席に目をやると、いつの間にか折りたたみテーブルの上に銀紙の折り鶴。さながらマーブル時間の栞。
新幹線で京都へ。彦根にたどりついたら夜。
大川寺の参道を右へ折れ、夏山登山道へ。すれ違う(というか追い抜いていく)人の多くは、地元の健脚家とおぼしき人々で、時計を見たりラジオで高校野球を聞きながらタイムトライアルという様子。ゆっくり二時間ほどかけて五合目に着く。
ヤマジノホトトギス、と言うらしい。
ちいさいけれど、熱帯植物のようなあでやかさ。
二合目付近でよく見かける。
ゆうこさんが、もう五合目でじゅうぶん、というので、そこから行者ルートを下る。頂上にも行きたかったけどまあいいか。
行者ルートは夏山登山道と比べてぐっとドリーミーな道だった。上りにはきついだろうけれど、下っていくと、ブナ林の垂直分布を抜けていくかのような、重層的な木陰のテクスチャを味わうことができる。ブナ、カエデ、ミズナラ、木漏れ日がみるみる変わっていく。柔らかい葉影と葉影が重なって、石灰岩質のガレ地に限られた日だまりを作る。アブがホバリングをしながらなわばりを張り、アオスジアゲハが舞い込んでくる。ニワハンミョウが日盛りを歩いている。標高が高いせいだろうか、上空の雲はおそろしく速く、皆既日食のようにいきなり日だまりが暗転しては、また明るくなる。
元谷を渡るところでは、いきなり森林が途切れて、瓦礫だらけの川面を横断する。あちこちの岩にペンキで登山路。登山路らしからぬ表示。
山を下りたところにシシウド。低地なのに、と思ったが、よく考えたらこのふもとあたりでも、標高は800mくらいあるのだった。
二時頃宿に戻る。すっかり疲れて昼寝。夕方に散歩。日も暮れかかっているのに、ツリフネソウにミツバチが盛んに来ている。おいしい食事。ごうごうとリフトのワイヤーを鳴らす風。
朝、倉吉駅で食事でもと思って宿の人によい場所はないか尋ねると「旧市街のほうがいいですよ」と勧められる。じつはろくに下調べもしていなかったので、新旧の市街があることも知らなかった。
ふと、宿の机に、谷口ジローの「遙かな町へ」が置いてあるのに気づく。それで、何か既視感が湧いてくる。「もしかしてこのマンガ・・・」とたずねると「そう、谷口ジローさんは鳥取のご出身で、その本も倉吉が舞台なんです」。ずいぶん前に読んで感銘を受けたはずなのに、それが倉吉の話だとはちっとも気づかなかった。ぱらぱらと最初のほうをめくってみると、なんと物語はスーパーはくとから始まる。ということは、主人公がふとまどろみから覚めて、知らない車窓にとまどう、あれは佐用町のあたりではないだろうか。48歳という主人公の設定も、ほぼぼくの年齢に近い。キツネにつままれたみたいだ。
バスで旧市街へ。表通りは、シャッターが閉まりがちな地方都市なのだが、少し入ったところに白壁土蔵のエリアがある。川沿いの蔵の風景を見た途端に思い出した。これは、まさしく「遙かなる町」に描かれていた光景ではないか。
48歳の男が14歳の自分に乗り移ってしまう、という話なのだが、物語は単なるタイムスリップというより、大人としての未来を見てしまった男がいまいちど14歳をやり直すことにまつわる、甘くも苦いずれについての話だったと記憶する。
あちこち散歩。ぶらりと入った桑田醤油のお店の壁に、なぜか西洋風の銅板画が飾ってある。なんだろうと思って近づいてしげしげ見ると、これが1893年シカゴ万博の表彰状だった。当時このお見せでは綿織物を扱っておられて、それをシカゴ万博に出品して表彰されたのだとか。倉吉でシカゴ万博の図像を見るとは思わず、びっくりした。
もっと長くいれば、この町になじんでいけそうな気がする。今日は打吹山にも登る暇もない。少しずれたまま、倉吉をあとに。またいつか。
レンタカーを借り、ゆうこさんの運転で大山方面へ。まずは植田正治写真美術館へ。カメラ・オブスキュラが目当て。
行って見ると、映像展示室と呼ばれる室内で、映像展示の前後数分ていど、外の光景を映し出すというものだった。レンズを開けるだけなのだから、出し惜しみせずにずっと映すといいなと思う。カメラ・オブスキュラの魅力は、ときおりそこに動くものを発見することで、そのためには、それなりの時間を過ごす必要がある。じっさい、いちばんあっと思わされたのは、たまたま人通りのほとんどない美術館裏のあぜ道を、一台の軽トラックが通ったときだった。こうした瞬間に出会うには、それなりの時間を費やす必要がある。ぼくはしつこく何度か映像展示を見たのでそういう場面に出会えたけれど、ああ大山が映ってるな、で終わってしまう人も多いのではないか。
カメラ・オブスキュラとは逆側に映像を見せることで、片方の壁は映像、もう片方の壁はカメラ・オブスキュラという工夫になっているのだが、せっかくの大山を映すスクリーンのど真ん中にプロジェクタ用の穴が空いてしまっていて、それもちょっと惜しい感じ。フタをつければ、穴のないスクリーンになったのではないか。
植田正治の写真は以前から好きだったので、展示を楽しむ。後年の広告写真も楽しいけれど、やはり、戦前の演出写真と、戦後の童暦あたりがいちばんおもしろい。演出をほどこしたとしても、人に現れるカメラへの意識的な表情は自然、という論理。童暦の、冬枯れた道のテクスチャは、プリントで見る価値あり。
国民宿舎の大山ヴューハイツへ。あちこちに60年代から70年代にかけての「国民宿舎らしさ」が残っていて、懐かしい感じだった(テレビが東芝の「ブラックストライプ」だったり)。といっても、メンテナンスは行き届いていて畳も新しい匂いがする。
目の前は大山の手前にあるスキー場。その芝生を登ると、美保湾沿いに米子と境港を見通すことができる。いいロケーションだ。夕方、窓からぼうっと人っ子一人いないスキー場を見てたら、宿舎の子なのか、三線を抱えてずんずんスロープを上って、上のほうで歌の練習を始めた。安土里ユンタが風で切れ切れに聞こえる。
ご飯はやたらとおいしい。日本海の幸と高原の幸が合流した心づくしの料理。食べながら、正面には暮れていく大山の北壁。ぜいたく。
お盆のぎりぎりまで調査だったので今日から夏休み。
彦根から京都へ。京都からスーパーはくと5号で倉吉へ向かう。チケットを予約したあとに、あの豪雨が起き、スーパーはくとは智頭急行の平福(佐用町の次の駅)と大原との間でバス輸送をしている。列車を降りると、かつての水運を利用したとおぼしき、佐用川沿いに発達した家並みが見える。しかしよく見ると、あちこちの家々で、泥をかぶった痕が見える。
倉吉駅についてから、バスで三朝温泉へ。瀟洒な川の流れる温泉街をイメージしていたのだが、意外にも温泉街そばを流れる川は広く、川端にあけっぴろげな露天風呂がある。通りからはずれたところにある旅館に荷物を置き、近くを散歩。近くには株湯と呼ばれるこの温泉地最初の湯源もあり、あちこちに誘うげに小路が開いている。足のおもむくままにあちこち。温泉につかって料理をいただく。
ユリイカの原稿を駆け込みで。ナンヨウベッコウトンボの話を。短くするつもりが結局20枚近くに。
昨日のAさんのことを考え続ける。
Aさんには、行動をかたまり(チャンク)として扱えるとき(たとえば、二口目以降の食事、洗い始めた皿を洗う)と、扱えないとき(出された食事に手をつける、ごちそうさまをする、洗い場に行く)とがある。これはあくまで仮説だけれど、Aさんの行動が滞るのは、おもに、あるまとまった活動から別の活動へと切り替わる場面のように思われる。一昨日も昨日も、出された食事に手を付けるまでにかなり時間がかかったが、いったん食べ出すと比較的短時間のうちにことが進んだ。
わたしたちは、行動を切り替えるとき、無数の選択肢の中から注意を絞り込み、未来に広がっている行為のチャンクに対して身構える。たとえば、席についていただきますと言い、箸を手にとる。このとき、席につこうかどうしようか、いただきますを言おうかどうしようかといつまでも迷いはしない。あるところで、決然といただきますに向かう。
いわば、「ご飯を食べる」というひとことで表せるような構えが、一挙に身体にわき上がり、あらゆる感覚が、そこに向けてセッティングされる。
しかし、Aさんには、そんなひとことで表せるような構えがない。目の前の小さなできごと(たとえば並べられた皿、あるいは湯飲み)に注意が向くのだが、それが「ご飯を食べる」という、まとまった活動へと組織化されない。
だから、Aさんに「ご飯を食べましょう」「ごちそうさまをしましょう」「皿を洗いましょう」というふうに、次の身構えを作るよう指示を出しても、なかなか理解してもらえない。
そのいっぽうで、目の前の手がかりを使って、「皿を持ち上げましょう」「箸をここにつけましょう」と言いながら身体で次の行動を示すことは有効なようだ。長期的な行動のチャンクを理解してもらうのは難しいが、短期的な行動を理解してもらうことはできる。
一度始めるとあとは比較的スムーズに行くところをみると、Aさんには、前の行動の名残りを使っていまの行動の意味を考えることは、できるのではないか。Aさんの認知には霧がかかったようになっているけれども、その霧の中で、こっちかなとぼんやり方向を感じることはできるのではないか。たとえば、一口ご飯を食べたあと、口の中に残っている味と、目の前のご飯とを結びつけて、どうやらこれは食べるということを行いつつあるのだ、と感じることができるのではないか。
別の見方をするならば、わたしたちが「ご飯を食べる」ということを、なんの苦労もなく行えるというのは、じつはとんでもなく不思議なことなのだ。短期的にはなんの必然性もないことに注意を絞り込み、目も、口も、手も、姿勢も、一気に「ご飯を食べる」ことに向かって身構える。生活の節々に可能性の荒野が開ける。その荒野で、突然ある構えが選ばれる。気がつくと、目の前の食べ物に箸が向かっている。それは、簡単なようで、じつは、ワーキングメモリと長期記憶の連動を必要とする、とても難しい問題なのではないか。
朝、京都に出て新幹線で東京へ。国立新美術館で水墨画展。父の絵を見る。
銀座に出て、熊田千佳慕展。作家がつい一昨日亡くなったこともあるのか、すごい人出だった。
ぼくがいちばん最初に親にねだって買ってもらったのは、小学校1年のときに先生が読んでくれた、世界の名作図書館「シートン動物記とファーブル昆虫記」(講談社)だった。シートン動物記に載っていた水彩画の流麗な描線にもぐっときたけれど、ぼくがとくに惹かれたのは、ファーブル昆虫記と博物学者の本に描かれている絵のほうだった。背表紙にも描かれているフンコロガシ、アナバチの狩り、脱落してしまう行列虫、フンコロガシとその下で眠るセミの幼虫、ミミズの傍らで眠るモグラ(なぜ、ある生き物のそばで別の生き物が眠っているのだろう)が、子どもの妄想に火をつけて、おとなならdetachmentとか冷血とか孤独ということばで言い表しそうな、さびしくむごくつつましくも芯の通った感情に触れたような気がしていたものだった。
会場に入るなり、いきなり判った。あれはクマチカさんの絵だったのだ
原画の細密さには改めて圧倒された。そしてその細密性を備えたまま、ありえないフィクションが盛り込まれている。スタレヴィッチが絵筆をとったらこんな絵を描いたのではないか。
夜飛ぶミツバチの絵になぜか見覚えがあるような気がして(熊田千佳慕の絵は、どれも見覚えがあるような気がするのだが)、濃い青で描かれた夜の町に吸い込まれそうになった。
浅草橋へ。パラボリカ・ビスで、ENSEMBLES'09 EXTRAの「Sachiko M/ I'm here.. departures..」「filament/4 speakers」。二階は、スピーカーの膜性が、一階はスピーカーの指向性が強調された展示。どちらもスピーカーという同じメディアによって鳴らされているのに、二階は、スピーカーの材質そのものが鳴っているようで、一階はフィクションとしてのスピーカーが鳴っているよう。低音であんなに指向性がある音を初めて聞いた。おもしろいことに入ってくるお客さんの位置取りが、スピーカーの指向性に左右されていて、スピーカーの正面に落ち着く人、指向性の影に落ち着く人など、それぞれの人の好みが出る。
夕方からクロージング・コンサート「〜最後の祭りにつきあって欲しい人達。〜」
出演 「コロスケ&くるみ&飴屋法水」、伊東篤宏、utah kawasaki、Sachiko M、大友良英
飴屋さんが何かをするときの、決然とした態度。ひとつひとつの、なんでもない動作、バケツに水を張る、小さな積み木を階段にまく、といった所作に迫力がある。くるみちゃんは注意のおもむくままに移動する。というより、身体が注意そのもの。
サロンと二つの会場とで同時進行するので、すべてを見ることは不可能。こちらもまた、注意のおもむくままに移動する。とはいえ、くるみちゃんほど、我が身を注意そのものとすることはむずかしい。
最後はずっと一階に居た。飴屋さんは洗濯板の上でごしごしやるように、ギターを床にこすりつけていたのだが(あとで聞いたら画鋲が打ってあったらしい)、ここからきいきいと音がする。ずっとこすり続ける。くるみちゃんがのぞきこもうが飴屋さんの肩を叩こうが、こすることは止まない。次第にスイートスポットを探り当てたのか、とんでもなく大きな音がするようになる。伊藤さんが携帯電話を妖しく扱いながら(どうやらそれがコントローラーらしい)蛍光灯とパルス音のパターンを変化させていく。ギターはさらに音を増してぎいぎいと鳴る。どう見てもギターを弾いているのではなく、床に激しくこすり続けているだけなのだが、出てくる音は、まぎれもなくギターの胴の鳴る音なのである。
即興演奏の自由度が増していくと、どこかで、わたしたちが普段当たり前にこなしていく行動が問い直され、広々とした行動の可能性の中で途方に暮れるような瞬間が訪れる。わたしたちは誰でも、Aさんのように、文脈から切り離されて、目の前で注意を誘うものに執着しながら、展望を持たない、そんな瞬間を知っている。そこで、決然と、次の行動に向かうには、身体がどこに向かって立ち動こうとするのかに耳を澄ませ、そのかたまりに一気に身をまかせるしかない。即興演奏の可能性の荒野の中で、そういうことができる人はとても少ない。飴屋さんはそれができてしまう、稀有な人なのだろう。
朝、彦根のグループホームへ。午前十時、ちょうど朝食が終わったところで、流しの横に、早くも昼食の準備なのか、野菜が置いてある。「手伝いましょうか?」というと、「そのことばを待ってました」と職員の矢野さん。というわけで、吉村さん、中村さんと手分けしてカレーの準備。ぼくはもっぱら野菜を切る役で。そのあと、吉村さんが奥で体操が始まったのに気づいて「あっちで始まりましたよ」と呼んでくれる。体操場面、おもしろい。Aさんもどんどん目の前の人について体操。そのあと簡単な回想法。「今日は終戦記念日」で始まるいくつかの会話。いくつもの発見。
昨日来、Aさんの食事場面が気になっている。今日も、カレーになかなか手がつかず、じっと見つめている。昨日の方法を試してみる。「いっしょにたべましょかー」といって、カレー皿を持ち上げてスプーンを構えて見せる。すると、Aさんは皿を持ち上げる。ほんとはスプーンを構えるほうを真似てもらいたかったのだが。スプーンをふるふると振ると、ようやくスプーンも持ってくれる。皿とスプーンを構えてもらったところで、こちらがカレーにスプーンをつけると、Aさんもカレーにスプーンを。そこからこちらがぱくっと食べると、Aさんもぱく。おもしろいことに、一口目に成功すると、二口目からはスムーズである。口の中に味が残って、「食事の感じ」が持続するからであろうか。
やれやれうまくいった、と思ったのだが、今度はご飯を終えたあと、Aさんがなかなか立ち上がらない。「Aさん、たちましょか」と声をかけるが、Aさんはしばしこちらを見て、また湯飲みに目をやる。「これはいいのかな?」と湯飲みを手にとって不思議そうにみてから、こちらを見る。これは時間がかかりそう。「いいですよー、じゃ、ちょと飲みましょうか」というと、素直に飲む。「はい、じゃ湯飲みおきましょか」とお盆を指したら、Aさんはお盆の外に湯飲みを置いてしまった。そしてしばらく固まったあと、「これはいいのかな?」。うーん。「いいですよー、ここにおきましょう」とお盆を指すも、また湯のみを手にとって飲んでしまう。そして、吉村さんやスタッフの人に、Aさんごちそうさま、などと言われているのだけれど、まだごちそうさまができない。
ほぼ湯飲みを持ってるAさんに、「はい、じゃ、Aさん、とにかく立ちましょう」という。すると「これは?」とお盆の上を指す。ええい。「お盆はおいときましょう。まずたちましょか」と言うが、ことばだけではAさんは立ち上がらない。ハシや茶碗を指して「これわたしのやー、大事なもんやー」という。執着する、ということは、いまこのハシや茶碗が片付けられつつあることは察知しているのかしらん。
ここはいっちょ動作をつけて、と思い、「立ちますよ、はい」とまずテーブルの上に手をついて立ち上がりかける。すると、「ん?三角すんの?」ふとぼくの手許を見ると、なるほど両手が親指と人差し指で三角を作っている。そしてAさんは同じように三角を作り始める。そこに目をつけるのか。
手は準備できた。もういちどぼくは腰を下ろして「Aさん、いっしょに立ちましょう、いきますよー」と立つ。Aさんは立ち上がろうと腰に力をいれるが、椅子を引かずに机に向かって立とうとするのでうまくいかない。「手伝いましょか」と二の腕に触れると、何をする、という感じでかなり強く振り払われる(あとで考えたら、ここは椅子を少し引いてあげるべきところだった)。
「はい、じゃ、自分で立ってみてください」とちょっとAさんから一歩離れて、横のスペースを空けてみる。すると、Aさんはゆっくりと方向転換して、机とは90度逆向きに身体を向き直して、ゆっくりと足を踏ん張って立つ(かなり時間がかかる)。
しっかり立ったところで、「はい、じゃお盆持ちましょか」というと、今はじめてお盆に気づいたように不思議そうに見る。「でも、これ(箸)もこれも(お椀)わたしのやし・・・大事なもんや」またしてもひとつひとつを手に取り始める。それで、「はい、こう持ちましょか」と空手でお盆を持ち上げる所作をすると、幸い真似してくれる。昨日は実際に皿を持って見せたのだが、空手でも伝わるのだな。
ダイニングルームに水場は二カ所或る。Aさんの視線がその二カ所の間でうろうろしている。「こっちに」と東側の水場に先導して中村さんが洗っている横に行ってもらう。そのあと、中村さんがどううまく誘導したのか、少ししたら中村さんと並んで皿を洗っていた。
お盆とて、夕方、実家へ。両親と夕食を食べながらいろいろ話す。昔は繰り返し聞いて「もう百ぺんきいたわ!」と言っていた戦争前後の話が、いまはひとつひとつ染みこむようで飽きない。妹も来て、AUの話など。
朝ご飯をいただいてから、デイケアへ移動。今日は、昼食づくりから昼寝、お風呂、団らんと、デイケアの一日をほぼ拝見できた。途中、近くにある山の上の道の駅へ。お盆前とて、ほとんどの野菜は売り切れ。さつまいもとふなずしを買う。今日は、団らんをかなり長く撮らせていただいた。みなさんの所作が楽しい。最近買ったFlipvideoがかなり活躍した。ごく小さなビデオカメラで、640*320のAVI映像(1秒30コマ)が手軽に撮れるのだが、撮られる人があまり意識しなくて済むところがよい。
夕方、彦根のグループホームへ。夕食を一緒にいただく。久しぶりだったけど、見所がいっぱいだった。
Aさんはよく、ご飯に手をつけずに見つめることがある。今日の夕食には秋刀魚の蒲焼きが8切れ出たのだが、これを何度も見つめては「あんた食べてくれる?」という。吉村さんが、「じゃあボクが二つ食べますから、Aさんがあと食べて下さい」と交渉。ぼくも、じゃあぼくは二枚食べますから、と調子を合わせる。が、Aさんはそれでも箸を付けようとしない。同じ問答を何度か繰り返されたが、Aさんはいっこうに箸を挙げず、再び「あんた食べてくれる?」
どうも理屈で納得してもらおうとしてもらちが明かない。それで、ぼくは、箸をとって「Aさん、じゃあいっしょに食べましょう」という。怪訝な表情のAさん。構わず、「はい、箸持って、こうして下さい」と箸を構えてお願いする。
「え、持つの?」と言いながらも箸をとるAさん。いいぞ。
次に、蒲焼きに箸をつけたところで止めて「Aさんこうして下さい、食べますよー」と言って待つ。Aさんはあいかわらず怪訝な表情ながら、ようやく箸を蒲焼きにつける。次に、ぼくが皿から蒲焼きを空中に持ち上げて待つ。Aさんも持ち上げる。ぼくが口に運ぶ。Aさんも口に運ぶ。「いけますねえ」。これでようやく一口目。
二口目も同じやり方でやったら成功。
いまのはAさんと同じ皿から取ったから成功したのかもしれない。別々の皿だとどうか。
今度は、ぼくの皿を手にとってトマトに箸をつけ「じゃ、次はトマトいきましょうか」と言う。Aさんが自分の皿のトマトに箸をつける。いけるではないか。今度はぼくがトマトを持ち上げる。Aさんも持ち上げて、今度はぼくが口に入れる前に自分で口に入れた。
職員の方にうかがうと、「Aさんは蒲焼きとかはあまり好きじゃない」とのこと。なかなか箸がつかなかったのは、好き嫌いの問題もあるのかもしれない。でも、それ以上に、食べるという事態を納得するところに、何か壁があるような感じがする。でなければ、トマトやキャベツに手がつかない理由がわからない。
近江八幡で吉村さんと待ち合わせてから、竜王のグループホームへ。職員のみなさんのカンファレンスを見せていただく。これはじつにおもしろかった。入居者の方々の日々の暮らしを表すときに、いかにジェスチャーが強力な役割を果たしているかを痛感する。
たとえば、Aさんがソファからずり落ちた、というのと、その「ずり落ちた」に所作がついているのでは、喚起力がまったく違う。それが証拠に、Aさんのその様子を目撃していた人は、いっせいに「ずり落ちた」の所作を始めて、お互いの体験を所作つきでうなずきあう。笑いが起こる。もちろん、描写されているできごと自体は、楽しいできごととは限らないのだが、描写に使われる所作がぴたりと一致するとき、なぜか人は笑ってしまう。そして、同じ体験をした、という感じがありありと湧いてくる。
おもしろいことに、レポートに書かれたことを報告する段階では、さほど所作はでない。いっぽう、一通りレポートを聞き終わった他の職員が「そういえばこんなことがあった」とエピソードを思い出す場面では、盛んにジェスチャーが出る。この差はとてもはっきりしている。ペンを持つとき(キーボードを叩くとき)、ジェスチャーは抑制され、テキストが編まれる。語りがいま産み出されつつある、という部分で、ジェスチャーはあふれてくる。
ぞうきんを使った体操のやりとりも、所作にあふれており、おもしろかった。ぞうきんを結んだり、ほどいたり、それをお互い軽く投げ合ったり、という簡単な遊びなのだが、その中に、やりとりにとって重要な場面がいくつも埋め込まれている。
たとえば、ぞうきんを相手に投げるときに、相手の防御を促すように投げる「まね」をする人。あるいは、よそを向いている人に気づかせるべく、手を上下させながら受け取りのポーズを強調する人。投げることと受け止めることのリハーサル。
夕食の準備のとき、職員の山田さんが一抱えもある冬瓜を切っておられる。ご近所からのおすそわけだそうだ。その大きな冬瓜が手際よく切られていくのだが、使われているまな板の形がとてもユニーク。三方に枠がついているのだ。なんでもホームを建てたときに大工さんに作ってもらったのだとか。これなら山盛りの冬瓜もこぼれない。
山田さんがまな板を説明する所作がとてもわかりやすい。こうやっていま、テキストに起こすととても長くなってしまうけれど、実際のまな板を前に所作つきで説明すると、まな板の便利さが短時間のうちにさっと納得できる。このまな板話、あまりにおもしろいので、いつか講義で使わせていただこう。Chuck Goodwinがやってるように、まず声だけで、次に所作を入れて、最後に道具を入れて、いかに会話が、身体と環境に依っているかを示すことができるだろう。
夕方、ちょっと近くのデイケアへ。広沢虎三がかかっている。みなさんのお話をうかがう。
夜、ホームへ再び移動。食事をいただいてから、テーブルをお借りしてちょっと原稿。夜中に、一人の入居者の方が起きてこられる。戦後の歌がお好き、とのことで、笠置シヅ子の歌をいっしょに唄う。
朝、烏丸今出川に集合。エリック・フォールさん、仁丹看板マニアの川崎さん、村松さん、Lマガの蔵さん朝9時にスタートして一条通りを行く。千本通のカフェで休息。かもねぎ丼うまし。仏光寺通に移動して再び歩く。しょうきさまと仁丹看板に注意して歩くおもしろき道中。結局午後3時くらいまで。陽射しがけっこうこたえた。頭がカピカピになる。
会議や書類いろいろ。夜、原稿に向かうもすぐ目が閉じてしまう。夏バテか。
「3人いる!」を見た何人かとネット越しにやりとりしたけど、かなり演出が違うらしい。出演者が本名で出てるだけで十分違うのだろうけど・・・。とあるサイトで、終演後の写真を見てしまったのだが、自分の見たセットとまるで違ってかなり驚いた。
「動物行動学」集中講義。個体群の研究と個体の履歴の研究との比較。スキャンサンプリングと個体追跡法の対比、などを経て、さまざまな時間単位における「行動の履歴」を問う学問として動物行動学を位置づけてみる。短い時間単位で考えるなら、それは行動連鎖分析になるし、個体ごとの縦断的で長い時間単位を考えるなら発達の問題になるし、世代間の長い(しかし安定した系としての)時間単位を考えると機能の問題になる。さらに長い変異の時間を考えると進化の問題になる。
あとは昔自分でやったナンヨウベッコウトンボの話をもとに、環境と行動の相互作用の話。ユクスキュルの機能環の問題を、行動と環境のマイクロな相互作用の問題として語り直す。鳥の歌の進化(岡ノ谷さんの受け売り)の話を最後にしがてら、音声分析の基礎をやったところで5コマ終わり。例年のごとく、帰ったらボロギレ状態。だがまだ原稿が残っている。
オープンキャンパス二日目。そのあと、渋谷さん宅へ御子柴さんと。偶然近所に住んでいるという県大OBの子のおうちにおじゃまする。昔よく研究室に来ていた正野くんがシタールを弾いてくれた。
スミス記念堂へ行き、三木君の採寸(の横でぼくは論文を打ってた)。
家に戻って明日の集中講義の準備。
オープンキャンパス一日目。講義と会議を終え、茶店にて論文集原稿をぱこぱこ。家にてぱこぱこ。
朝、東京へ。世田谷ものづくり学校。つい「ものづくり大学」って言ってしまいそう(「ものしり大学」とまちがえてるのだ)。前は三軒茶屋から行ったのだけど、今日は池尻大橋から行ってみる。途中、迷ってお稲荷さんのなかで暑さしのぎ。
「Knock Knock les26板橋ポール組 三回目の展覧会」。巨大のぞきからくりや、つなぐ年賀状など。
長岡さんはタンスの中にスケールエラー。単語帳が斜めに開かれて、小さい人のための階段になっている。スケールの変化を感じさせるときに、肌理は重要な要素だ。単語帳は、たとえ階段として扱われても、単語帳の紙の肌理を持っている。紙の肌理を持ちながらそれが階段として扱われることで、「小ささ」を喚起する。ちょうどイームズ夫妻の動かすティン・トイの列車に、塗料の肌理が残されているように。
原宿へ。竹下通りの交差点からちょっと迷う。VACANTで大友さんの展示。
(以下、内容にふれています。これから見に行く人はあとで読むといいです。)
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階段を上がると、会場が暗くて、思わず立ち止まってしまった。あちこちの壁際に人が座っている。うろついている人はいない。目をならしてようやく、レコード・プレイヤーがどう並んでいるかが、判然としてくる。まずはその間を縫うようにして、そこここのプレイヤーのそばで立ち止まってみる。山口の展示で見たのとたぶん同じプレイヤーが見つかる。しかし、控えめな光量で明滅する電球の下では、ひとつひとつのプレイヤーの形を子細に検討するわけにもいかない。
山口での展示では、一帯が明るくて、立ったままあちこちをうろつく人が目立ったけれど、今日はそうではない。あちこちで音が鳴っているのだけれど、ほとんどの人は壁際でじっとしている。照明は薄暗く、遠くでプレイヤーが鳴ったとしても、その回転のさまを確かめに行くには、足下がおぼつかない。真っ暗というわけではないから、目がなれれば近づけないことはないが、鳴るままにまかせて、じっとききいっている。
音の密度は、山口のときより、さらに「アンサンブル」らしさを増している。目立った長い沈黙は少ないけれど、さほどたくさんの音が鳴っている感じはしない。ひとつひとつのプレーヤーが際立つように仕組まれている。離れたプレーヤーが飛び火するように鳴り、ひとところに立っていると、音の遠近がよくわかる。会場の真ん中ではなく、壁際に人々が位置どるのは、もちろん真ん中に立っているのが他の客から目立ちすぎるということもあるだろうけど、端にいるほうがより距離が取れて、遠近を楽しめるという事情もあるように思う。
ときおり、ごく近くのプレーヤーが鳴る。明滅に続く薄暗がりの中で、そのプレーヤーと、ゆっくり親密になっていくような気がする。わたしのそばにあるのは、「使用針SJN-75」というシールの貼られたもので、スピーカーはもはやほとんど機能しておらず、針がターンテーブルの凹凸をまたぐ、かたかたという微かな音だけがする。他のプレーヤーが鳴ると埋もれてしまいそうなほどささやかな音だけれど、ささやかなだけにいっそう、わたしとそのプレーヤーとの関係が濃くなっていく。よくよく見れば、無効の別のプレーヤーではアームにはベアリングの球が貼り付けられており、別のプレーヤーではターンテーブルの縁にプラスチックの板が貼り付けてある。この会場のどのターンテーブルにも、それぞれに、1分当たり33回転や45回転の呼吸を形作るための、異なる工夫が凝らされていて、それぞれのアームは、水平に、そして垂直に、小さなジェットコースターのような軌跡を繰り返しながら、異なる音色を奏でている。山口では、明るい会場の中、そのひとつひとつを検分して、スケッチを試みたりもした。けれど、今回は、そんな気にはならない。わたしだけではなく、一つ一つのプレーヤーの持つ機構を、目で確かめて回る人は見あたらない。ときおり照明が明るくなったときに、坐る位置を移動しがてらいくつかのプレーヤーに目を留めるだけだ。
明滅のなか、遠近で繰り返される回転音に耳をすませていくと、ターンテーブルの持つ実際の形よりも、それぞれの位置のほうが強く意識されてくる。どうやって鳴っているのかはわからないけれど、それは確かに「あそこで」なっている。それは、確かな手の届かなさ、といってもいいかもしれない。いま、「あそこで」鳴っているというこの関係は、いまここでしか体験することができない。「あそこ」に近づいていくことはできるけれど、近づいてしまったとたん、いまのこの距離は失われてしまう。
これと似て非なる体験を法政大のAnodeでしたことを思い出した。その日、二部構成の第二部では、広い講義室のなか、観客を囲むように配置されたミュージシャンのあいだを、あたかも七福神めぐりをするかのように、あちらこちらと移動するという試みがなされていた。同時に演奏しているミュージシャンのうちの一人に無遠慮に近づくというのは、通常のコンサートではあり得ないことで、それはそれでおもしろい試みだったけれど、一方で、確かな音像を得る間もなく、あちこちの屋台でつまみ食いしているようでもあり、これでいいのだろうかと自分でも確信が持てぬままうろうろしていたのだった。
このVACANTの展示でも、客はどこへでも立つことができる。いつ、どこへ移動するのも自由で、その意味では、あのANODEのときと同じルールだ。けれど、じっさいに起こっていることはまったく異なっている。客はほとんど移動しない。近づいてみればそれなりに心動かされるはずの、ターンテーブルの機構にも、がつがつと近づくことはない。相手はレコードプレーヤーであって、近づいたからといってにらみつけられるわけでもなく煙たがられるわけでもない。にもかかわらず、客は、プレーヤーとの距離を楽しんでいる。
通常、舞台で演奏が行われるとき、わたしたちは、プレーヤーに近づかないこと、自分の席でじっとしていることを不文律としている。不文律もなにも、そんなことは社会のイロハであり、それが社会的きめごとであることを示すかのように、演奏の行われる舞台は一段高いところに設えられ、低い客席にはひとりひとりが占める椅子が置かれているではないか。そう考えたくもなる。
では、そんな社会の不文律が成り立つ前、まだ誰かが音を鳴らしているそばに、誰もが無遠慮に近づいて行けた時代に、あえてプレーヤーに近づかずにいようという態度は、どうやって成立したのだろう。もしかすると、このEnsembleのような光景が、そこにあったのではないか。
誰かが歌っている。誰かが音を鳴らしている。そこに近づいていくのではなく、その歌や音との距離に耳を澄ませている。あちこちで音が鳴っている、その中から親密な音をききわけ、あるいは親密ではない音に惹かれる。それぞれの音がまるで語り合っているようにきこえたかと思うと、ばらばらになっていくかにきこえる。時間の中で形を為し、崩れていく遠近のつながりに注意する。
と、自然とからだは立ち止まる。いまここで生まれつつある距離に耳をそばだてている。
明滅と薄暗がり、と書いたけど、今回、YCAMとまったく違ったのは、この照明のあり方だった。なによりもまず、照明の暗さ/明るさによって、じっとしている時間/ゆっくり歩く時間を誘っていたように思う。
でも、それだけではない。電球もまた垂直水平にレイアウトされ、ときには会場を大きく掃くように、ときにはあちこちで呼吸するように、明らかにお互いの光が連動していると思わせるパターンを感じさせた。
とはいっても、エレクトリカルパレードのように、明滅のきらびやかさによって目を楽しませるものではない。むしろ、いま居る空間の奥行きに対して、視覚的な注意を払わせる役割を担っているように感じられた。電球がさあっと、しかし、さあショウタイムでございというようなきらびやかさとは無縁のさりげなさで向こうからこちらへと明滅の波をよせてくるとき、そこで示された奥行きと、これまで音によって感じられていた奥行きとがひととき重なる。そしてまた明滅によってわかたれていく。
すぐに思い浮かんだのは、プレーヤーとすぐそばの電球とが互いにon/offを合わせているのではないか、ということ。けれど、そうしたあからさまな関係は、少なくともわたしの目には見いだせなかった。こころもち同期してるかな、と思わせるものもなくはなかったが、見つめていると、光は音の消滅から分離して、また静かにまたたいているように見えた。
視覚と聴覚のレイヤーが重なり、離れていくような微妙な調整を行う繊細な配慮とセンス。YCAMでのもうひとつの展示、orchestrasの明滅の残光が、この会場にも射しているように感じられた。
VACANTから歩いて千駄ヶ谷のリトルモアへ。
明治通りを渡ると、不思議と緑が多い。東郷神社の横を抜けて、中学校のそばから延命寺へ。そこを曲がって、美容学校の向こうがリトルモア。表で開場を待っている間ずっと、林からセミの声が降ってくる。線路の向こうは明治神宮だから、そこから舞い込んでくるのだろうか、石垣の上のヤブカラシの花を一頭、また一頭と、アオスジアゲハがたどっていく。
入口で保冷材を渡される。地下で飴屋さん演出の「3人いる!」。
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(以下、内容にふれています。これから見る人は注意。)
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「自分ではドッペルゲンガーをさしているつもりなのに、ハタから見ると自分自身をさしているように見えるヒト」という動作は、いかにしてリアリティを帯びるだろう。
たとえば、携帯をかける動作と比べてみよう。
ある人が携帯をいじっているのを見て、ああこの人は使い慣れてるな、と感じるとき、携帯を扱っている身体はさまざまな特徴を帯びる。携帯を開くときの手慣れた指の用い方、携帯を構えたときのリラックスした上体の姿勢、携帯を耳に当てながら空いた片手が手持ちぶさたに動く、その動作などなどなど。
こうした動作に比べると、「自分ではドッペルゲンガーをさしているつもりなのに、ハタから見ると自分自身をさしているように見えるヒト」という動作は、とても難しい。
まず、誰かを指さすという動作に、リアリティを与えなくてはならない。いかにもその人がふだんやってそうな、他人への指さしがそこで実現されている必要がある。
さらには、他人をさすはずが、自分をさしているということをリアルに表現する必要がある。つまり、指さしの軌跡が、幻によって他人向きから自分向きに変換されているという、その変換が見てとれる必要がある。
力ずく、という方法がありうる。必死で誰かに向けた指がある地点でぐいっと強引にねじ曲げられる、という風に。あるいは、途中で突然加速度がかかる、という方法もありうる。指さしのスピード自体は遅いのに、途中でさっと速まって方向転換し、またゆっくりと自分をさす、という風に。あるいは、あちこちで所作が滞ってしまう、というやり方もありうるかもしれない。しかし、結果的にどうなるにせよ、他人を指そうと出発した手や指は、変換の「点」を経由するだろうし、しかも本人がその「点」に気づくことができない、ということを縁者は表さなくてはならない。
「三人いる」を見ながら考えていたのは、そういうことだった。幻を見ている動作にリアリティが与えられるとき、幻の存在もまた、リアルになるのだということ。自分が自分をマボロシ化するという動作に正解はないけれど、客にとってリアルに見えるやり方はありうる、ということ。
一人の人間に複数の人が憑依したり抜けたりする。その入れ替わりの境目を、この舞台では、三人のレイアウトの変化だけで見せている。三人は話しながら立ち位置を変えるのだが、それによって、誰が二人憑きで、誰が一人憑きかが変わる。二人憑きかどうかは、話をするときの冗長さ、しぐさをするときの冗長さによって読み取れる。
舞台には、ここからは二人憑き、ここからは一人憑きというような境界は設けられていない。ことは出演者どうしの動きがもたらす配置によって決まる。語りかけながら相手から遠ざかる、近づく。遠ざかる誰かを見ながら距離を詰め、距離をとる。その過程で、出演者がふだんやっているであろう人とのやりとりのちょっとした癖が、ほの見える。携帯をそつなく扱うことのできる出演者も、この場面では、これまで人付き合いの中で獲得してきた身体能力をあらわにしてしまう。とても、きびしい演出だなと思った。
柴田君がいちばん訥々としていて、國武さんや佐野さんのほうが、台詞回しは達者に聞こえる。でもおもしろいことに、柴田君がいちばんリアルに憑いてるように見える。もっとも、柴田君には、異なるジェンダーの人が憑いているので、ちょっと得をしてるかもしれない。そしてもうひとつ、柴田君がやけにリアルだったのは、半身血みどろだったせいもある。彼の意識からは何か大切なことが抜け落ちているのだという感じが、その血みどろの半身からずっともれていた。
憑かれるということは、憑かれているということを忘れること。うまく演じること以上に、うまく忘れることは難しい。
終演後、出演者が紹介されて、登場人物の名前と同じだということに、初めて気づいた。そうか。彼らは、自分の名前を自分に対して呼んでたのか。ドミノが倒れるみたいに劇の色合いが変わって思い出された。
たぶん、あと何度かみたら、それぞれのバージョンがお互いをマボロシ化して感じられるかもしれない。二度以上みた人の感覚をきいてみたい気がする。
誰もいなくなった舞台に置かれた小さな机の上には、薬(?)と駄菓子のラムネ瓶と香料の瓶。わけもなく「3本ある!」と思う。飲むものと食べるものと嗅ぐもの。國武さんがろうそくに香料を垂らしたあと、佐野さんも垂らすのを見て、よく瓶を間違えないな、とおかしな感覚にとらわれたのを思い出した。。
「3人いる!」をいっしょに観たモモちゃんとお茶。明日行われるという東京ZINESTERギャザリングのために作ったという「ジン・クエスチョネア・ジン」をもらった。わら半紙に青インクで刷られたアンケート。フォントと手書きの質感が混じっていい感じ。
新幹線の中でデータ分析。熱暴走なのか、最近PCがよくフリーズする。週末のいろんな〆切に間に合うといいけれど。夜の南彦根を歩く。昼間の東京の暑さが足裏で重なる日帰り感覚。
期末試験に会議。合間にデータ分析。
サマーペックス09に出すのはこんなの。今週の週末、ていぱーくにて。
会議、ゼミ、期末試験作りなどなど。3回生ゼミの図書館調査は今日で前期終了。今日中に気がついたことをできるだけ書き留めてもらって、9月末の合宿でアイディア出し。
本当は会話分析研究会に行くはずだったが、どう考えても週末にサマーペックス09に出す原稿を今日中にあげなければならない。というわけで、絵はがきを選んでInDesignと格闘。書類などなどで一日暮れる。ここぞというときにPCがフリーズするようになってきた。熱暴走の季節。本格的な夏の到来。
京大で安井さんのデータセッション。吉田屋で村松さんと打ち合わせつつ好き勝手な話。すっかり酔っぱらって帰る。
赤塚不二夫も知らず、おそ松くんも知らず、そこから生まれたキャラクターも、しぐささえも知らず、ただ「シェー!」という奇怪なことばを叫んでいる者の姿を想像することを想像してみるザンス。そんなシェー!、かっこつきではない叫び声に、直にたどりつくことができる、湯浅湾をきくと。シェー!湯浅湾はいいなあ。シェー!
tumblr に書き込んで10日あまり。 tumblrユーザーのほとんどはreblogを主に使っていると知ったが、なぜかなかなか使う気になれず、いまにいたるまでreblog数ゼロ。古雑誌から自分で切り取ったりスキャンして貼り付けるのは好きなので、気軽にスクラップできるreblogは、理屈のうえでは性に合いそうなはずなのだが、なぜかその気にならない。なぜか。なんちゅうかなー、tumblrに流通している画像や文章って、あらかじめセレクトされてる感じがするんですよ。reblogされやすいように、気が利いてる。利きすぎているといってもいい。ごく初期はそうでもなかったんだろうけど、これだけtumblrが流行ってくると、書いたり写真を撮ったりする側も、あらかじめreblogされやすいものを無意識のうちに狙ってるんじゃないでしょうか。reblog数やlike数、あるいはtumblarityなんて数値化がされてるのも、そういう「流通されやすさ志向」を煽ってる。
気が利きすぎてるものには、こちらをはっとさせるような驚きがないんだよなー。どこを狙ってきてるかわかっちゃうので。うーん。
というわけで、もうしばらく、reblogせずに書き込みばっか続けてみます。
あとね(なぜreblogを使わないかって話ね)、スクラップブックを作るときって、自分で何を切り取るかを決めるんだよね。新聞や雑誌を手に取ったとき、そこにはキリトリ線がない。だからどんな輪郭で、どことどこを、どんな風に切り取るかはこちらで決めるしかない。
あらかじめ「キリトリ線」があるものをその通りに切ってぺたって貼っても、あんまり楽しくない。いろんなものが雑然と並んでるのを見つめてるうちに、あ、ここを切り取ってみようかなって思う過程が楽しいんですよ、スクラップブックって。
前に、戦前の大阪毎日新聞をスクラップした画帳ってのを1時間くらい見てたんだけど、その画帳に、高畠華肖のイラストをていねいに切り取ったものがいくつか入ってた。ああ、この人、すごい華肖の描く女性が好きだったんだなって判ったんです。なぜって、すごく丁寧に輪郭を切ってあるの。もう、黒い墨線のぎりぎりのラインのところをきれいに切って、背景から女性像を切り出してある。そういう、キリトリの迫力が、reblogされた画像にはあんまりないなあ。あらかじめ、「reblog」っていうキリトリ線がついてる。簡単に切り取れるっていうことは、切り取る過程を失うってことなんじゃないでしょうか、たぶん。
100均で買い物。夏休みということで、手軽にピンホールを体験する方法を考えてみました。
材料は、プリングルズとチップスターの100円筒(中身は食べてね)。
そしてキッチンペーパー。
ピンポン球があるとなお楽しい。
下記URLにてどうぞ。
http://12kai.com/obscura/pringles.html
http://12kai.com/obscura/pingpongpinhole.html
夕方、スゴシカフェに花火を見に行く。遠い松原町の花火は、思ったより煙がすごくて、煙のなかからおぼろ花火。
見終わってみんなでスイカ割りをした。
みごと一撃のもとに割れたあと、全員一斉にスイカのカケラを手にとって食べ出す。
ふと顔をあげると、暗がりのなか、全員がまるで仲違いでもしているかのようにあさっての方向を向いている。しかも、えらく前屈みで、お互い距離をとっている。前衛劇の一場面みたいだ。
スイカは食べると汁がこぼれる。浜で食べるからこぼれるのはかまわない。が、服を濡らしたくはないから前屈みになる。食ったら種をぷっぷと吐き出すので、他人に当たらぬよう距離を取る。当てる意志がないことを示すべく、あさっての方を向く。ひとりひとりが以上のような配慮のもとにスイカを食べすすめるうちに、気がつくと全員が違う方向を向いて離ればなれになっていたということらしい。各構成員の局所的な調整によって全体の配置に特異な形態が表れるという、いわばボトムアップ過程の好例である。「S-formation スイカ陣形」と名付けることにする。