- 19990327
- ▼雷門前電話ボックスよりお送りします。
▼ユリイカ4月号に「目睫の間にあるもの」。ちょっと今回は文が硬い。
▼東京に来たときは早起きが多いのだけれど、頭が重くて昼まで寝てしまう。「より道」の大根あら煮。ハローで珈琲飲みつつ日記。ルル飲んで少し復帰、神田へ。▼この前自転車で走ってからどうも坂が気になっている。と思ったら、東京の坂の本がちゃんとあったりする。何冊か見比べてから、あまりウェットでない「江戸東京坂道事典(石川悌二/新人物往来社)」を買う。読めば読むほどあちこちの坂から眺望が失われていることが確かめられて、勉強にはなるのだが、春閉塞の心地。その他例によって段ボール一箱分。▼浮世絵を繰る。清親の「神田明神のあけぼの」は摺りによってずいぶんとあけぼの具合が違う。値が張るが本所を描いた良い摺りは開いた途端に空気が匂うよう。清親は高いけれど、弟子の井上安治なら、いい光線画がいい値で買える。一景の東京名所四十八景、坂というと人がくどいほど転んでいる。階段でも転んでいる。とにかく転ばせるのが好きな人らしい。「芝増上寺」猿に眺望を託す絵柄の妙。とかなんとか考えながら結局一枚も買わなかった。▼が、浮世絵屋に行ったあと古書巡りをするのは注意しなければいけない。万単位、十万単位の絵を見て感覚がシフトしてしまっている。「あの摺りの悪い絵が3万したことを思えば、この1万の本は破格」なんて思っちゃう。浮世絵と本では価値体系が違うのだから、こういう考えをしていたらどんな本でもバカ安だ。あぶないあぶない。▼あぶないと思いつつ、武井武雄の豆本を買ってしまう。豆本はモノ性が高いから、浮世絵価値体系からうっかりスライドしてしまった。「人生切手」は開けると糊の匂い。
■あるき太郎がふねにのります
(「あるき太郎」武井武雄/銀貨社)
▼たまには違うところで、と、横丁を入ったところにある「きよ」というもんじゃの店に入ってみる。たたきを靴を脱いであがると畳の間。にぎやかな音はテレビの紳助司会クイズ番組。それにじっと見入って座っていたのがじつはご主人だった。補聴器を付けたご主人は、奥のおかみさんが声をかけるたびに立ち上がって、台所とテーブルの間をゆっくりと往復する。もんじゃのタネを置き終わるとまたゆっくりテレビの前に戻って見入っている。注文するのが気の毒なくらい。もしや浅草の人かと思い、昔の話を伺う。今年八十のご主人は小さい頃は千束1丁目に住んでおられたそうだ。十二階は途中まで階段で上った記憶があるけれど、くわしいことは忘れた、とのこと。「震災のときにあれが8階で折れてねえ」言問通りは車がすれ違うほどの広さで、いまよりずっとあちこちくねっていて、その言問通りをずっと行って上野の踏切を渡ると、山の斜面があって、学校に上がるまではそこでチャンバラで遊んだ。隅田川には言問通りからずっと下りていけて、川岸には砂があった。▼言問通りをたどって上野、隅田川と両側に線を伸ばしていくその記憶のたどりかたがおもしろい。「この店あたりまで遊びにくるのがせいぜいでした」。遊びエリアの南端はここ六区の端あたりだったわけだ。横が上野まで広がっていたことを考えると、縦の広がりは意外に狭い。花やしきはタダで、ときどき遊びに行った。「象がいました」。ひょうたん池あたりの話になって場所の東西をたずねると「わたしらはあまり東とか西とか考えないから」とおかみさんが合いの手を入れる。ひょうたん池の真ん中に「家」があって、そこ通って伝法院まですーっと行けたね。七十五のおかみさんは向島の出だそうだ。そういえばもうすぐ向島の桜がきれいですねというと、「いまの桜はあれはほとんど植え替えたんじゃないですか。まあ木は人間と違って長生きするけど」▼空襲のときのことはやはり二人ともよく覚えておられる。国際通りの向こうまでが空襲で焼けて、その後風がぶわっとこっちに吹いて来ちゃって火事が広がってもう全部焼けちゃいました、とご主人。「でも伝法院は残ったんですよ、塀がずっと囲ってましたからね」。本で知ってはいる話なのだけれど、やはりこうして語りの順序を聞くとえらく印象が違う。途中からメロディが歌えないように、空襲なら空襲の話の歌い出しがある。それはたとえば国際通りの向こうからやってくる。
▼「六区で映画が流行った頃はこの辺にもよくお客さんが来たもんだけどねえ。仲見世は観音様があるから、今日みたいに雨が降っててもいくらでもお客さんが来るけど」とおかみさん。その映画を衰退させたのはテレビであり、ご主人もおかみさんも、注文が途切れるとテレビの前にじっと腰を落ち着けている。この店でこのテレビを見ながら、昭和40年代以降を過ごしてこられたのだ。テレビが映画を衰退させ、六区を衰退させた、というと、なんだか六区の外にテレビがいて悪さをしているようだが、そうではない。店を空けることができない人々にとっての娯楽は、映画よりもテレビであり、いまや六区の多くの飲食店にテレビが居座っている。そのテレビに店主が見入っている。古くからある店ほどそうだ。ハトヤもヨシカミも二葉もそうだった。
▼お年寄りに特定の話を聞くのは難しい。こちらがことばを出しすぎると、うなずかれたり黙られてしまう。問い方が下手だと記憶が途切れてしまう。古老の会などで「そういえば」形式で話がはずむことがあるが、やはり同年の人が何人かいると尋ねやすい。今日はご主人におかみさんで助かった。
▼会話が記憶の器になる。集合的記憶。というより、会話という形式と記憶、そして話題の生成という問題。
▼米朝聞きながら寝る。 |