月別 | よりぬき


19980915
▼「アストロノーカ」。バブーが進化しやがった。あんまりまっこう勝負して進化されるとやっかいなので畑のひとつはバブー用に提供する。なんか森林管理とか保全生物学に近いもんあるなあ。▼シマ(猫の名前)の歯は鋭くなるばかり。いててて。

19980914
▼古本屋のカタログで明治期のパノラマ館の図絵があるので注文してしまう。江戸東京博物館のカタログでいくつかみたことはあるけど、字がつぶれていて見えなかったし、やっぱり現物を手にとってみたい。▼「アストロノーカ」まだまだ継続中。やっと三年めに突入。

19980913
▼猫は紙玉で遊んだあと、くわえて別の場所にもっていくことを覚えた。▼徹夜明けでふらふらになりながら京都へ。クイックガレージへ。ぼくは不器用なので、ここの人の手さばきの鮮やかさにいつも驚いてしまう。担当する人によって細かい作法が違う。前に直してくれた人は、はずしたねじを位置関係にしたがってひとつひとつテーブルにじかに置いていたが、今日の人(以下、今日、と略す)はまとめてねじ皿に入れる。今日はカバーをぐいぐい曲げてばきばき音をさせてはずす。今日はワイルドだ。今日はドライバでごりごりとフィルム状の結線をはずす。今日は歯医者みたいだ。今日は不安だ。でも直った。今日にありがとう。
▼寺町御池の横断歩道を渡るとき、西の風景の遠近が狂って塊のように迫ってきた。頭がぼうっとしているせいだろか。「舞姫」のウンテル・デン・リンデン状態だ。鴎外は寝不足だったのではないか。▼初めて入った浮世絵屋で話し込む。ご主人は四畳のたたみで、ぼくはたたきの椅子、それでちょうど目線の高さが合う。しっくり坐っておられるが、正座して商売するのには、なかなか慣れなかったと言われる。かたわらの押入は正座した肩の高さまで、その上は壁。壁の向こうは表のウィンドウ。押入から行李が取り出され、ふたをあけると浮世絵の束が出てくる。▼寝不足で物欲にもやがかかっているので、浮世絵には手が出なかったけどまた来よう。▼別の店で絵草紙。わー、読める読める。江戸かな古文書入門のおかげだ。絵をひとめぐりさせる文章の配置の妙。桜の花びらにまぎれてらんまんとさくさくらと読ませる児雷也。
▼三月書房。ここはまるで自分ちの本棚みたいに本が並んでるので、本棚から取り出すように買ってしまう。▼現代思想9月号。「遺伝子操作」という、陰謀史観風のタイトルだが、よく読むと、別にアンチ科学やアンチ遺伝子の話ばかりではない。反ソーカル雑誌と決めつけない方がよい。倉谷氏、立岩氏の文章。郡司さんの文章は独特の味が出てきた。おかわり派のぼくがそう感じるのもなんだが。▼「篦棒な人々」(竹熊健太郎)を読んでいて、石原豪人の生年生月が、さっき話した浮世絵屋のご主人と同じことに気づく。それで彦根の多賀神社に出兵前に参って中国に行った主人の話と、石原豪人の話がごっちゃになる。▼笹野みちる「泥沼ウォーカー」。さわやか京都紹介をはさむ泥沼話。紹介されている京都の喫茶店とか道筋があまりに身近過ぎて身体がもやってくる。全部頭の中で自転車の速さでたどれるもんなあ。ライブ前に車ぶつけてミュージシャン魂燃える話おもしろし。▼スクリーチ「春画」明治の「勝ち絵」と男のまなざしの変化の話。▼他にもいろいろ棚から取り出し。あ、物欲にもやがかかってたはずではなかったのか。本代合わせたら浮世絵一枚買えたよなあ。

19980912
▼というわけで、「アストロノーカ」まだ継続中。あいかわらず12時間くらいやってるが、それでもまだ二年めが終わらないぞ。畑は悪質銀河ドリアンや不良宇宙マメや究極ノイズ光速パインや魔神形式チンゲンツリーでとっても愛らしい。

19980911
▼赤松さんが来て、「移動体芸術論」のインタヴュー。Different trainの話など。▼「人生あみだくじ」ハイパーテクストには時間という考え方が欠落している。むしろ思考のありかたは、あみだくじの縦線を梯子段で往復するのに近い。しかも梯子段はあらかじめありかがわかっているのではない。あかりのない3D迷路のように、いきなり右や左への曲がり角が現れ、気がついたら別の縦線に飛ばされているようなものだ。▼たとえば、爪楊枝を取り出そうとして昔住んでいた部屋を思い出すとき、それは梯子段で飛ばされたのだ。▼「打ちことば」話しことばは書きことばよりも速い。が「打ちことば」は話しことばよりも速い。しかし、できごとから話しことばに至るまでの間にいくつもの梯子段がある。そのありようは、できごとから「打ちことば」に至るまでのありようとは違う。▼「自分ノイズ」通信上のノイズが減り、リアルタイム性が上がるほど、じつはできごとがことばになろうとするときにひびが入っていることに気づく。いくつもの梯子段を曲がっていることに気づく。ノイズのありかは自分の中に追いつめられていく。画像がシャープになるほど、自分のノイズにひりひりする。▼といった話をしたのだが、この「現代思想」にもひっかかりそうにない話、モバイルなビジネスマン向けの雑誌に載るらしい。▼というわけで、「アストロノーカ」継続中。夜を徹して12時間くらいやってるが、まだ二年めが終わらないぞ。「最悪野菜コンクール」に惨敗。最悪の美は乱調にあるのか?

19980910
▼かえるさんレイクサイドの更新が止まっているのは、かえるさんが初級シマイモコンクールや上級コスモニンジンコンクールに参加しているから。というわけで、「アストロノーカ」継続中。プレイヤー名は「かえるさん」。LRボタンで高級名産ねらい打ち、ブラインドウォッチメーカーならぬ目的論的時計師状態、進化の袋小路へと加速する。かえるさんはファンレターをもらってますます人為淘汰いや蛙爲淘汰に燃えている。わらっちゃうほどでかいヒヨコレモンを作るってけろっ。▼農作物の形容詞が、味覚の表現になってるのもまたいいんだなあ。サクサクで珍奇模様でやや甘でほのかな香りの電灯キューリ。そのあかりで書に親しみながら間食したいもんだ。

19980909
▼講義が終わってそそくさと中之島図書館へ。螺旋階段をのぼるとき、登りながら、どこかに注意が向く。3階のドアのノブ、手摺りの縁、ささいな点だ。登りながら、首が身体に対して回転する。やがて回転しきれなくなって、別の点に注意を向ける。▼微細な回転とあきらめの連続によって螺旋上昇運動は構成されている。▼マイクロフィルムの文章を写すときは縦書きが早い。▼帰りの琵琶湖線で4人掛けに坐っていると、二人の女子高生が乗りこんできて、友人同士の三角関係の話を始める。あまりに声が近いので、本を読みながらすっかり聞いてしまう。一人が草津で降りる。残った一人は、窓の外を見たり、下を向いたりしながら何駅も過ぎる。やがて腕枕に頭を押しつけるようにして無理に眠ろうとする。▼読んでいたのは楠木誠一郎「紅蓮の密偵」▼宮武外骨を主人公に、明治24年の帝国議事堂焼失事件を扱ったミステリー。東京電燈会社五十年史や帝国議事堂焼失事件の記事はあれこれ読んだことがあるので、そうした資料がどうアレンジされているかを楽しむ。一方、史実をこなすための筋運びも見えて、そこはつっかかる。▼物語からは、新聞記事を読みむのを楽しんでいる作者が伝わってくる。国会図書館の4Fへの上り下りを思い出した。▼関川夏央・谷口ジロー「坊ちゃんの時代」の一巻で、明治の文化人が通りでそれとは知らず行き交うシーンがある。そういう行き交いやそこで生まれる邂逅のシーンが、物語を進めるための作為として機能しない方法は?▼物語を操る糸が遠のいていく語りにおける人称と時制の手管。
19980908
▼アストロノーカを買ってしまった。なんせ制作会社が「ムームー」だもんな。ムームーといえばムームー星人。頭の椰子の木ソープリティー。これはきっと、あのジャンピングフラッシュを作った会社のスタッフではないかとにらんだのだ。▼うーむ、へっぽこブラインドウォッチメーカーって感じだ。でも、ドーキンス作のブラインドウォッチメーカーよりエンタテインメントだ。表現型もへんだぞ。しかも、品種改良だけでなく外敵との軍拡競争も入ってます。で、気がついたら4時間くらいやってました。ああ、徹夜になってしまう。

19980907
▼明治〜昭和初期にかけての視覚の変容の話を一回生にしようと思って、宮沢賢治の話をしかけたらみんな怪訝な顔をしている。そうか、読んだことないんだな。漱石は?そうか。鴎外は?そうかそうか。というわけで、「注文の多い料理店」「硝子戸の中」「夢十夜」「永日小品」「舞姫」を課題にする。そこから視覚的表現を引き出して現代の自分とのギャップを比較すること。で、原稿用紙10枚以上は書いてよね。本の引き写しじゃ10枚は辛いだろう。辛いだろうから何か自分の体験で埋めたくなるだろう。▼というのが「行動論実験実習」の課題だ。▼「あたし、一年に一冊ぐらいしか本って読まへんわ、雑誌は別として」っていう人もいた。▼大学生の教養の低下が嘆かわしい?いや、それよりも、そんな彼女がどう本を読むのか楽しみだ、と思うことにしよう。▼彼岸花、好きな花ではないのに、たった一本でも目に付く。▼夜、川辺を自転車で走ると、鈴虫の向こうから鈴虫、こおろぎの向こうからこおろぎの声。シンセみたい。

19980906
▼猫が足にじゃれることを覚えたのはいいが、まだ靴下あしと素あしの区別がつかない。寝ている間に素あしにおもいきり歯を立てるのはかんべんして欲しい。▼中之島図書館へ。ここの中央ホールをのぼるときに、いつもどっちを向いているのかわからなくなる。▼マイクロフィルム酔い。昔の新聞をチェックするたびに記事と記事をつなぐ力が気になってくる。時系列で書く力、因果を見出す力。▼帰りに古本屋で散財。鞄が重くなったところでなぜか谷崎潤一郎全集が一冊300円でばら売りされているのを見て、2冊ほど買ってしまう。背表紙のころころした字のせいかもしれない。昭和42年中公版。字が大きくて風通しがいい。が、重い。2冊で十分重い。近所ならともかく彦根までだからなあ。▼で、結局持って帰ったが、重い。机に置いて片ページを支えてるだけで重いよ。全集本って、ベッドで読める大きさが限度だと思う。▼小説新潮9月号冒頭の小説はもろエレベーターねた。

19980905
▼あいかわらずTokioscopeで遊んでいる。▼フィルム面の蓋を開けて、そこに硫酸紙を張る。で、シャッターを全開にする。すると、カメラオブスキュラができあがる。▼せっかくだから覆いをして、覗くためのフードもつけよう。バーチャルボーイのフードがとりはずしがきくから、これを転用する。▼これだけでじゅうぶん気持ちがいいのだが、せっかくシャッターが付いているので切ってみた。▼すると。フィルムになる。目がフィルムになっちゃう。マニュアルで一秒ほどシャッターを開ける。そしてシャッターがおりた後の闇のすてきなことといったら。これだけで、この覗きからくりの魅力は倍増する。▼スライドショーでスライドがかしゃかしゃ切り替わるときの気持ちよさの秘密がわかった。あれは、観客がカメラのフィルムの立場をなぞっているんだ。

19980904
漢字の近現代史。日本だけでなく、漢字圏の中での変体かなや異体字がどう変化していったかについてのヒント。▼エレベーターの作り手からの発信。EVを名乗る者として興味つきない。▼NHKでモンティ・パイソン放映。広川太一郎のエリック・アイドル爆発すると思ったんだが。BBCネタをNHKネタとして吹き替えてくれるかと思ったんだが。字幕でちと残念。

19980903
▼Kさんが部屋にきて、「これ」と紙に入ったものを差しだす。カールに似ているが、カールしていなくてまっすぐだ。とにかくその手のおやつだろうと思ってひとつ取って口に入れると、「あ、食べちゃだめです」という。他の人にあげるつもりだったのだろうか。しかし口に入れてしまったのだからしかたない。▼それにしても、へんだ。口の中でしなしなととけたので、さてチーズ味かカレー味かしょうゆ味か、と舌でさぐったが、ほとんど味がしない。麩のような、塩味のついていないポップコーンのような、ちょっとこげくさくてなつかしいような、妙な感じだ。▼「これ食べ物じゃないんです、梱包材なんです」と言われて、よくよく舌の上で転がしてみると、確かにどうしても溶けないシンのような部分がある。そのシンの分だけ納得して吐き出した。とけた分は飲み込んでしまった。▼Kさんは、見た目がとうもろこし系のおやつに見えるこの梱包材を見て、ぼくをだまそうと持ってきたらしい。うーむ、毒物混入事件流行の今日この頃、ええ度胸してるやないけ。明日ぼくのからだがしびれたら、きみは新聞のトップを飾るからな。▼というわけで、この奇妙な食感をなんとか誰かと共有したくなり、しばらくして部屋に現れたWさんにすすめてみた。(むろん梱包材だとは言わずに)▼すると、Wさんもしばらく口の中でとかしていた。やはり、これは、食べ物すれすれなのだ。▼Wさんによると、最近、とうもろこしを原料にした梱包材ができたらしい。ってことは、この梱包材にももしかしたらとうもろこしが入っているのか。▼とうもろこし以外になにが入っているか、も問題なのだが。

19980901
▼震災忌。▼さっき悲しいことをしてしまった。▼薄い紙を張って、そこにあちこち穴をあけて、それをTokioscopeで覗いたら楽しいかもしれない、と思ったところまではいい気持ちだった。で、昨日からはめっぱなしにしてあったガラス乾板を抜こうとしたら、フォルダのネジがカメラ内側の仕切り板にひっかかって取れない。▼で、少しずつ、仕切り板が曲がらないように加減しながら、押してみる。ぼくは不器用なことを自分で知っている。だけどなにかを試すように力をかける。何も起こらない。いやな汗が出る。▼そしたらぴきっと音がしてフォルダがはずれた。もうその瞬間なにが起こったかわかったけど、見たくなかった。でも手に持ってるから見てしまった。ああ、やっぱり割れてる。ステレオの二枚の写真をななめに、ひびが横切っている。▼焼き付けられた像は膜になって、ひびの入った乾板をかろうじてつないでいる。▼割れたことをプラス思考で考えるときの常套手段として、デュシャンの大ガラスのことを考える。▼でも、これは、自分の作品じゃなくて、誰かが撮った写真なのだ。▼悲しくなってしまったら、本棚の田村隆一の本を取っていた。ぼく、ぼく、と続いてちっともイヤ味じゃないぼくの本。▼それからまた、ひびの入った乾板を覗いてみる。▼源氏豆をなめる。浅草のひさご通りにある但馬屋で買った紅白の飴。チャイナマーブルみたいに固くてごつい。▼但馬屋のおばあちゃんは大正5年生まれでいまも店番に出ている。おばあちゃんは浅草十二階にのぼったことがある。「うちがマッチ箱みたいに見えました、それはよくおぼえてます。」震災のときこの建物は八階から上がぽっきり折れてしまう。その生々しい姿が写った写真を見せて貰う。「うちの若いしとが撮ったんですよ」当時の小僧さんのことを、おばあちゃんは「うちの若いしと」という。▼飴が小さくなる。歯にはさんで力を入れてみる。飴がぽろりとくだけると、中に落花生がひとつぶ、入っている。この落花生が、少し湿って柔らかい。梅の実を割るとでてくる「ほとけさん」に似ている。


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