いまだ本調子ならず。大学にいる間はまっとうに働き、家に帰るとネットにもアクセスせずただTVを見て寝る。給料分は働いているが、それ以外に何もしてないって感じ。
カブール陥落、音楽とラジオの流れる街の様子が流れる。(カブールでは)裕福な部類に入りそうな女性が部屋にある何台ものテレビを指差しながら「ようやくこれを見ることができるかもしれない」と言う。音楽をきいてテレビをみるのはいいことだ。音楽をきいてテレビをみるのはいいことか。
「どっちの料理ショー」をみている。昼にやってるTBSのリフォーム特集と同じ曲が流れている。その80年代洋楽ベストヒットのタイトルをぼくは知っている。
ポリス「マジック」にスウィングアウトシスターズ「ブレイクアウト」にヒューイ・ルイス&ザ・ニュース「いつも夢見て」にのって、ヨダレの出そうな料理や、コーディネイトのきいた部屋がファッションショーのように現れて、最後のシックな皿はシカゴの「素直になれなくて」で決まりだ。日本のまだ景気よかった頃に流れていた曲の数々でなければ景気がつかないのだ。グルメもリフォームも。
夜、「コンサート・フォー・ニューヨーク」を最後の30分くらいだけ見る。ジム・キャリーが「シニカルな時代は終った」と挨拶していて、何言いやがるライアーめ、と思ったが、彼の紹介によって登場したポール・マッカートニーが挨拶もそこそこに歌い始めたのがイエスタデイというのには不意をつかれた。「昨日まではすべての災難は遠い国のできごとだった」「どうして彼女がいかねばならなかったのか」。なんだ、どれもアメリカのことだ。
そのあと、ポールは、集まった消防士たちの前で、父親が大戦中にリバプールで消防士だったことを語った。流れてきたのは「ペニーレイン」ではなくて「レットイットビー」だった。
ポールは、ことさらに反テロを鼓舞することでもなく、ジョンのような平和への祈り方もしなかった。イエスタデイでレット・イット・ビーでフリーダムだった。背広のクラプトンは不良くさいギターを弾いていた。
起きると汗びっしょり。午前中の講義は休講にする。が、さしせまった卒論と修論のゼミは休みにするわけにもいかず、午後からとっぷり日が暮れるまで結局まるまるゼミ。
朝から寒気。どうやら風邪らしい。
帰りに成田君とジェスチャーについて1時間くらい話すうちにいろいろとアイディアが出る。数え上げと表象、指差しと指の乗っている掌、など。風邪だとかえって頭が回るのか。早めに帰って寝る。
のばしていた原稿。身振りの簡単な解説。解説なのだから一般的(つまり業界での認知度が高い話)を入れるのはもちろんだが、それ以外に、自分から見て重要な論点をどこまでコンパクトに言えるかが問題。
夜中にニューヨークで飛行機墜落のニュース。
朝、さらに準備。
昼過ぎからテプコ浅草館で浅草十二階についての講演会。始まる40分前から早くも人が集まりはじめ、結局60人を越える盛況。十二階の力恐るべし。
しかも質問を受けるうちにわかったのだが、十二階にゆかりのある方も何人かおられた。途中では、おじいさんが大正期に十二階を経営しておられたという冨田さんのお話もあり、ぼく自身初めて聞く話が出てきて興奮した。
会のあともいろいろな方とご挨拶し、さらに涙が出る十二階グッズもいただいた。ちょっと狼狽した。たぶんそれぞれの方がぼくの知らない十二階をご存じのはずで、一人一人の方と一時間くらいお話したいところだった。
会のあと、川端くん、榎本くん、田尻さんとコーヒー。
夜、ミスタードーナツで主催者の時代屋藤原さんと浅草話。藤原さんは独特のスタンスで浅草とかかわっていて、おもしろい。
藤原さんは浅草を「天然記念物」という。それは観音様にまつわるある種の共同体を指してのことなのだろう。
観音様をめぐる信心の度合のギャップについてときどき考えることがある。宿や食い物屋の主人からおまいりの話をよく聞かされるのだが、身についたその自然な信心ぶりは、よそ者のぼくにはないものだ。そんなぼくでも、最近では仲見世を横切るときになんだか観音様のほうにいったん体を向けないと申し訳ないような気分になることがある。かつて久保田万太郎は新仲見世ができたときに、観音様の前を横切るなんて、と憤慨したそうだけど、そんなことも思い出す。
今日の講演でぼくは、明治四〇年代の浅草を紹介するにあたって、まず雷門前で電車を降り、仲見世を抜けて観音様にお参りするというルートを紹介した上で、いわば不信心なルートではあるが、もんぜんまえ(あるいは田原町)で降りて六区に直行するというルートが当時よくとられたことを紹介した。これは、観音様を信じる地元民と遊興目的で来るよそ者とのギャップを語りたかったからだ。
明日の講演用に絵葉書をスキャンしまくる。
東京へ。文子さんに「浅草十二階」が「天声人語」に載ってたことを教えてもらう。読書欄に載るのとどっちが売り上げに反映されるだろう。
国際交流基金フォーラムでボロット、巻上さんに今日は声明の小島さんを加えての公演。
声明が一定のボリュームで鳴るので、それがある種の指標になりながら他の二人の声のボリューム変化があざやかになる。
ボロットの声はPAの能力を越えているということがよくわかった。あの低音を歪まないように録るのは至難の技だ。全体的に、ミキシングのボリュームがややアンバランスだったが、あれくらいの広さのホールならPAなしでやる線もあったかなと思う。
小島さんがホチキスの針でミニ口琴を作っていた。世の中すべての物品には口琴変換式があって、その式を会得すると、ちょっとしたコツで口琴になってしまうらしい。
浅草へ移動。時代屋の藤原さんと明日の打ち合わせ。いまのところ申し込みは10数人。それならそれでアルバムを直接見せつつ内輪の会というのもありかと思う。
帰りに銭湯。鉄錆色の水はいかにも傷に効きそうだったが、帰るやあちこちの小さなすり傷や切り傷が膿んできて困る。
消防署調査二日目。今日の司令部は比較的静か。メンバーによってずいぶん司令室内の雰囲気は違う。
帰って原稿、明後日の準備。
消防署調査第一日め。司令室の中の行動を1時間半ほど見学させていただく。
司令室には、各人用の固定された机はなく、そのかわりに作業台とコンソールがある。人別ではなく役割別に作業場所が決まっている。今日はちょうど定期検診の日で、職員の人はくるくる入れ代わるのだが、そのたびに緊急通報の係、署内連絡の係、その他書類作成の係なども入れ代わる。
それでも、いざ救急、というときは、さっと三人がコンソールの前に並び、一人は通報の応対、一人はディスプレイ上の地図確認、一人は署内や病院との連絡役となる。
119番の電話は、開口一番「はい、救急ですか、消防ですか」から始まる。消防署の側から話題を絞りこんで行く。もちろん、火事でけが人がいれば、救急かつ消防なのだが、それはあとから確認すればよい。短時間で必要な情報を得るためには、消防署の側からどんどん話題を絞りこんで、くだくだしい説明を排除し、一問一答の形にした方がよい。
むろん、通常の電話では「仕事ですか、雑談ですか」などとは言わない。
仕事場には、ひとりごとのようなコミュニケーションがある。たとえば、書類読み上げや、パソコンのディスプレイ読み上げ。半ばひとりごと、半ば次のコミュニケーションのためのリハーサルのような感じ。
何かがこれにそっくりだ、と思い出したのは、「ドリプシ」のCM。「ドリプシ・・・ドリプシってママなんのこと?」というあれだ。最初のドリプシはひとりごとだが、次のドリプシはママに向けられている。
芝居で、何かを思いつくときに、「××××(小さな声で)・・・そうか!(大声で)」という声の使い方をしばしばする。これはじつは、ひとりごとからコミュニケーションへの移行が形式化したものなのかもしれない。
講義ゼミゼミ。
ゼミは西阪仰氏の「心と行為」(岩波書店)。記憶痕跡説批判。下條氏が心理学の側から批判していることを、西阪氏は社会学の側から批判している。二次元が三次元に見える、という事態を相互行為として捉えるやり方には違和感。脳内の相互作用と対人関係における相互関係は、同じ拘束条件を持つといってよいか。
本屋でバイトしている田中くんの「なかよし」話。ある女の子がレジで図書券を出しながら「なかよし」といったという。ムカツクガキではある。が、このやり方は、キオスクで店員のうしろのものを頼むときは正解なのだ(金を置いて「おーいお茶」、とか)。人はいつから、このような微妙なレジにおけるルールの差を覚えるのだろう。
朝、ユリイカ原稿を送付。昼過ぎ、ボロット夫妻、巻上夫妻到着。この機会にロシア語を覚えようと思い、ロシア語会話の本を買う。が、まったく頭に入らず、結局、ダスビダーニャだのスパシーボだのカーゲーベーだの、むかしゴルゴ13で覚えた単語しか思い浮ばない。ああ、雨のサントロペ、恋のサントロペ。
藤居本家へ。会場設営、バイト準備などなど。「アルタイの癒しの声」ボロット・バイルシェフ、巻上公一、開演。最初のトプショールの音が小さくなった時点で、もうこれはすごいということを確信した。とにかくボリュームのコントロールがすばらしい。よき歌い手は、自分の声よりも環境音を聞くのだということがよくわかった。初めて来た場所で自分の声が響くのを聞き、その響いた声をたぐりよせながら、声の空間を作っていく。だから、日本のけやき空間で鳴らしながら、アルタイが現われる。一人の声からいくつもの人物が、遠近を変えながら現われる。
巻上さんの歌も、他のときと少し違って、けものじみていた。
ボロットの声は何種類あるのだろう、そしてそのいくつかが同時に現われる。声が入れ代わり、物語が現れては消え、時間は近づいては遠ざかる。「千年の王国 百年の城」のよう。
アルタイのならわしではこれを5晩やるという。もう一度聞きたくなり、東京公演に行く算段を整えようと思う。
ユリイカ原稿、ぎりぎりであがる。タイトルは「声と合いの手」と変更した。
明日の準備。
朝、飯を食ってから散歩。池のあるという方向へとにかく歩いてみる。
アスファルトの道はすぐ土になり、カラマツの落葉で敷き詰められた小道になる。落葉は昨日からの雨で湿り気を帯びているが、まだ落ちてさほど時間が経っていないのか、黄色が鮮やかだ。踏むと、すっと肉にナイフが入るように足が落葉に沈む。絶妙の踏み心地で、歩く感触だけですでに楽しい。
このあたりはところどころ湿地になっていて、思わぬところでずぶりとはまる。ぬかるみも固い土も、カラマツのおかげで踏んだ最初の感触が同じなのだ。
切り株の年輪から見るとカラマツの樹齢は50から60年か。ということは戦時中はこのあたりは丸裸だったのだ。
小鳥ヶ池、鏡池まで歩き、2時間ほどして宿に戻る。
近くの「うずら堂」というそば屋で天ざるそばをゆっくり食う。ぼくはそばの味を噛みしめるのが好きで、少しすすってはそれをぼそぼそと噛んで味が染み出してくるのを待つ。江戸っ子がみたら嘆きそうな食い方だが、この方が味がよくわかる。
特急しなので米原まで。着いたらもう夜。原稿。
東京写真美術館のレクチャーで戸隠まで。「セルフ探検隊」なる企画なのだが、自分を探すより他人を介してしまう我が身を知りましょうという趣旨のもとに会話分析の話をする。レクチャーは1時間半だったが討議で2時間半、質問がたくさん出ておもしろかった。
ひとりごとはコミュニケーションなのか? という質問。おそらくひとりごとには二とおりあって、誰もいないところで出るひとりごとと、人前でのみでるひとりごととがある。この二つは分けて考えたほうがいいのではないか、と答える。人前のひとりごとは、本人の意図にかかわらず少なくとも他人に届くからだ。
原稿。
書評原稿。少しカルマを落とした。