指輪読了。呆然。
Appendixをぼんやり眺めたりしながらなお呆然。
指輪のおかげでこの冬は例年よりもしのぎやすかった。
まだ読み終わったという実感がわかない。本屋に行き、指輪関連書物などを立ち読みするが、どうも本編以上に何かある感じがしないので買わずじまい。「ホビット ゆきてかえりし物語」も手にとってみるがパス。だってmy preciousが「僕チン」って訳されてるんだもん。訳のひとつとしてアリだとは思うが、私の頭の中のゴラムは僕チンとはいわないのだ。my precious と the Precious と Most Precious Gollum (p619)、相手をpreciousにしながらpreciousを欲しがらせるこのpreciousなリンクを僕にチンさせるわけにはいかないのだ。そういえば、映画ではこのゴラムのひとりがたり問題、うまい演出をしていた。
ふたたびAppendixを読み、そしてネット経由で"The Hobiit"を注文してしまう。ああ、またかよ。
宿題にしてあった戦場のピアニストの話をこちらに書いた。
夜、NHK教育「大野一雄 故郷に舞う」。プレスリーの声の抑揚に、車椅子から乗り出す身体。
山を下りても指輪は続く。だって「すべてのところにいることはできないから 」。伝聞で聞くヨロコビ。つまるところ指輪の楽しみは「誰かの声を通して聞く」ということだと思う。なぜ物語はが必要なのか。それは、Well, one can't be everywhere at once, I suppose. But I missed a lot, seemingly. (p936)だから。
指輪読書。ついに「Mount Doom」を読了。喫茶店でしばし呆然。
ゼミは浅井さんの実験に関して。アイディアがあれこれ出る。「で」の管理者、共同想起における「あれ」と談話管理理論におけるD領域、ジェスチャー不可能性としての腕組み、記憶の欠如と記憶の相違とのちがい、など。会話分析やジェスチャー分析の手法から認知言語学に貢献する方法はたくさんある。
『ロード・オブ・ザ・リング 二つの塔』。うーむ。残念ながら前作ほどはのめり込めなかった。とくに前半、総集編のノリで、短いシークエンスどうしを音楽がおしつけがましくつないでいくのがしんどいしんどい。誰かハワード・ショアを黙らせないのか。後半、ようやく各シークエンスがぐぐっと来る長さになったが、前半の細切れのせいでセオデン王一家のキャラが立ってない。戦闘シーンの俯瞰はスゴかったが、近接になると短いカット(しかもぶれぶれ)が多すぎて何が起こってるのかさっぱりわからん。メリーとピピンもやけにやる気まんまんで、指輪に魅入られているとしか思えない。
でも、あのゴラムだけで見たかいはあった。あと、水の中の魔はほんまにこわかった。
午前午後と入学試験監督。
指輪読書。ついにモルドールに入り、読む速さも悪の重力を感じてぐっと落ちる。それでも、おれが読まなきゃフロドが進めないじゃん! おれが読まなきゃ指輪を葬れないじゃん! いきごみだけは世界を救うつもりで牛歩読書。
牛歩読書中断。ダニエルの初期名作「Songs of Pain」「More songs of Pain」「Don't be scared」を聞いたり「Songs
in the Key of Z」を読み直してまた涙。やっぱIrwin Chusidって絶妙なバランス感覚あるなあ。アウトサイダー奇行を書きながら、でもけして奇行賛歌にならない。ぶっといところをばしっと押さえるんだよな。
最近気になっているのぞきからくりについてメモっておく。
小沢昭一の「日本の放浪芸」音盤のほうには大阪天王寺でかつて行われていたのぞきからくりの口上が残っているのだが、これは現在行われていない。また、「日本の放浪芸」DVD版にはこれとは別に、新潟県巻町の「幽霊の継子いじめ」と佐賀の北園氏による「不貞の末路」というのぞきからくりの実演がおさめられている。巻町ではいまも実演が行われているようだ。
さて、そののぞきからくりは押し絵でできていてそれをのぞくのだが(と書けば、乱歩好きの人はピクッと反応するだろう)、明治期の押し絵の第一人者である姫路押し絵の宮澤由吉もまた、のぞきからくりのネタ絵を作っており、「忠臣蔵」のネタ絵が瑞浪市博物館に残っているという(「グラフ岐阜」の記事参照)
おとついSP鑑賞会で中尾さんがかけたヴァレーズの「イオニザシオン」ってブーレーズ版はどんなんだっけと、手元にあった「20世紀のためのパスポート」に入ってる演奏をかけてみる。あれ? なんかこじんまりとした演奏だな。この前の、台所でネズミがどたばたしてるような演奏がけっこうよかったんで、ブーレーズのはもっといいかと思ってたんだが。
「戦場のピアニスト」に影響されて、手元にあるショパンのバラードの演奏をかける。ホロヴィッツはけっこうペダルの使い方がいい加減なのだが、音符がおそろしい勢いで止まるので、ペダルをリリースしたのと同じくらいインパクトがある。で、むかしはモラヴェックのようなていねいな演奏をかったるいと思って聞いたに違いないのだが、いまはしみじみといい演奏だと思う。
朝、丸太のように転がる人々の間を辞し、東京から京都へ。日本絵葉書協会関西支部会。九州の畑中さんがいらしているのには驚いた。三時間ほどひたすら回ってくる絵葉書を繰る。回しながら、「あ、これは橋爪さんが買うな」と思うやつはさっさと横にながす。あとで聞いたらやはり全部買っていたとのこと。さすがだな。
最近、絵葉書に対する物欲がめっきり減ったような気がしていたが、それでも箱一抱えくらい買ってしまった。箱一抱えなのでカバンにも入らず、両手で抱えて帰る。人が見たら、何をただの煤けた紙箱を大事に守っているのかと思われそうな外見。
ダニエルの"Hi, How are you"Tシャツを着て東京へ。代々木オフサイトで「中尾勘二SP鑑賞会」。アーサー・フィードラーの若気のいたり、耳の四角いドイツのミッキーマウス、ベルリン・フィルの演奏する貴志康一の「道頓堀」、驚異の笑うサックス(プレイヤーの名前を失念してしまった)、バルトークのようなリスト、泣けるルービンシュタイン、子供の生活を密偵する怖いスズメの「こそこそ話」、そして日本精神の徹底と丸裸を訥々と弁ずる松岡洋右など、今回も聞き所満載だった。
それにしても、中尾さんはごく適当に選んでいる風情なのに、終わってみるとじつに的確な構成で戦前の叙情とまがまがしさを浮かび上がらせるから恐れ入る。
終了後は例によってハットリフェスティバルにおまかせ。隣の畠山さんの勢いにも乗せられ、3つくらい近来まれに見るダジャレを思いついたはずなのだが、近来まれに見る出来だったということしか思い出せない。その後ハットリ邸へ。
大阪へ。梅田ナビオでポランスキー『戦場のピアニスト』。あまり街中で映画を見ないので知らなかったが、梅田の映画館ってすげえ人入るんだな。
映画はワルシャワで「近日公開」の表示を見て以来、ずっと見たかったもの。公開中なのでネタばれを含む話はいずれ別に。しかし、同じ列の人間が途中で三人も席を立ったのには驚いた。「おすぎにだまされた!」などと思ったのだろうか。
Bridge@フェスティバルゲートでダニエル・ジョンストン。開演前、小田さんと話してたら目の前をふらーっと恰幅の良すぎる男が・・・あ、ダニエルではないか!予想よりさらに腹がでかい。しかし、ほとんど誰も彼に気も止めぬ様子。そしてふらふらーと舞台そでに消えていくダニエル。あの腹であのオーラのなさに感心する。
フロント・アクトは山本精一の弾き語り。これがとてもよかった。唐突なリズムボックスの使い方も含めてやられた。「幸福のすみか」をさらにギターでぎょわぎょわにした感じ。
永江孝志の歌も初めて聴いたが沼地感漂うええ感じ。ラジオの入り方が絶妙。
そしてそして、ダニエルのライブ。「ベイビー」の第一声からもう泣いたよ(心の中で)。
そしていい意味でかなり期待を裏切られた。まず、ぼくは頭の中で、高くて素っ頓狂な声で絶滅寸前の小動物がこの世に絞り出すような歌を予想していたのだが、声の高さが意外にもまとも。いや、たぶんカセットと同じ高さなのだが、なんか思ったより声が太くてよく通るのだ。カセットより音質がいいからか?(だって生だし) それとも体重が増えたからなのか?
いや、そんなことより、こうやって聞くとあらためて、どの曲もすごくメロディがいいんだ。メロディ・メーカーやん、ダニエル。その恐るべきメロディに乗せて、千年地獄の果てにバンパイヤの夢を見て、気が付いたら自分がそのバンパイヤだったと歌うくだりでは、完全に連れて行かれた。
曲の構造も明快。ブレークしたい場所でブレークする。伴奏のいらない場所では伴奏を弾かない。ことばが区切れたところで区切る。4カウントで勘定すると音符が増えたり減ったりしているが、それは別に変拍子というわけではなく、伴奏とことばが合う場所で区切ると結果的に増えたり減ったりしているように聞こえるだけ。ダニエルはペットボトルから水をごくごく飲み、たらたらこぼしながら、じつにストレートに歌ってる。こだわる必要のないことをすっとばせるのが天才なんだってわかったよ。凡才はたぶん、人のこだわらないことにこだわろうとするんだ。
それにしても、Irwin Chusidの「Song of the Key of Z」を読んだり小田さんのダニエル体験記などを聞いていただけに、こんなに生ダニエルを長い時間聞けるとは正直思ってなかった。ギャモン・レコードのJordyに聞いた話では、泊まっている大阪のホテルで、午前三時ごろ、ダニエルの部屋からどたばたという音とハミングが聞こえるらしい。ええ話やー。ダニエル、でかいホビットなのか。
とってつけたような「レディーズ・ジェントルマン」という語りかけとか、客の呼びかけにただ「I can't understand」と答えるとか、もうええっちゅうくらいピアノのペダル踏みっぱなしとか、「もういいかな、終わります」というあっけない終わりとか、コートを羽織って会場に現れたお父さん81歳すげえいい感じとか、エピソード的にもあちこちに見所はあったが、それよりなにより、彼の曲はすごくいい、ということを再認識させられた。じつに素直ないいライブだった。
そしてもちろん、Tシャツを買った。
修論発表会。学生の相談などなど。採点。指輪読書。このピピンとメリーの、戦いからはみ出している感じがたまらん。
卒論発表会。そのあと三回生主催による打ち上げにちょっと出る。指輪読書。
朝8時前に水窪を発ち、彦根に着く頃にはもう昼過ぎ。午後、会議に修論査問会に卒論発表の準備。指輪読書。
朝、観音様のご開帳。
じつは昨年まではこのご開帳が終わると宿に戻って体力を温存していたのだが、今年は本堂別当の仕事を追おうという藤田さんの発案で、寿さんを追ってそのあと、別当宅にお邪魔する。能衆の間では、守屋一さんと佐々木寿さんがサイカヅクリをしている。作っているのはビンササラや面のひげにつけるタカラで、半紙に切れ目を入れて、それを切り出しの刃をあてながら折っていく。折る数は七五三と決まっている。祭りの前日のぽっかり空いた時間の作業。「この時間がいちばん好き」と寿さん。
その後、里芋のごろりと入ったすまし汁とご飯で昼食。一さんから、ご先祖の幾太郎という人の武勇伝を伺う。コドモは夜道では転ぶな、転ぶとオオカミにやられるから、と教えられていた時代のお話。幾太郎が足神様の近くまでてくてく歩いていくと闇夜に目が11。奇数なのは、おそらく藪で目をついたかなにかで片目になってしまったのが一匹居るからだろう。幾太郎はそこで、わざと転んでみせる。それとばかりに襲ってきたオオカミたちを脇差しでつぎからつぎへぶっさしていく。
別当宅を辞して、そういえば水窪に来て長野側に抜けたことがない、ということに気づき、北に向かう。草木トンネルを抜け、県道をうねうねと登っていくと、あたりの樹々が白くなる。あちこちが陽できらめいている。降りてみると、そこらじゅうからぴちぴちという音が聞こえる。雨粒の音とは違う。道沿いのコンクリートで固めた崖の上を、硬い霰のようなものがさらさら駆け下っている。霰は崖の上の木々から来る。樹の上に積もった雪が夜半からの雪で凍り、それがおりからの陽射しで小さな氷の粒となって落ちているらしい。
道は少し濡れているものの進めないほどではないので、さらに車を進めて兵越峠へ。ところが驚いたことに、峠を越えたとたん、雪がどっさり積もっている。下はけものを突き落とすような下りで、真っ白。よく「峠の北と南では天気がまるで違う」という話をものの本で読んだことがあったが、こうまで峠の向こうがはっきりと冬だとは思わなかった。藤田さんが「もうダメ、運転しないぞ」と宣言し、長野行きは県境を越えてわずか数メートルで挫折。
車を降りてあたりを少し歩くと、青崩峠までの遊歩道というのがある。雪はほんの数センチで歩けないことはない。歩けないことはない、と思いながら足を進めていくと、上からぴちぴちと音が降ってきて氷の粒が痛い。こんな風に歩くのははじめてだ。ときどき立ち止まると、はるか向こうに白い山々。誰の足跡もない山道を登り続ける。
気が付くと藤田さんが来ない。どうやら車に戻ったらしい。見晴らしのいいところに出たところで携帯を取り出してみると、西浦では圏外だったのがここでは圏内になっている。携帯の電波にとっても見晴らしがいいのだろうか。もっとも、人の気配のなさという点ではここのほうがよほど圏外である。圏外の圏内から藤田さんに電話をかける。電波の届かないところにいるらしい。下の車道は圏外なのだろうか。留守電を入れておく。
山を見て小便をして下山すると、藤田さんがいた。この雪道をチェーンも巻かずに降りていく剛の者がいたらしく、道を譲るために車を移動させていたらしい。
あとで車の中で地図を見ると、青崩から兵越峠の尾根は、朝日岳を経てぐるりと日本アルプスに連なっており、さっき見えた山々はどうやらその日本アルプスだったらしい。
夜、鎮守様の祭り。鎮守様は境内の北東、鳥居の向こうにあるのだが、ここには別当以外の人間はみだりに入ってはいけない。そのかわり、観音堂の外陣には、ちょうど鎮守様の方角に祭壇があって、ここがお参り用の鎮守様になる。祭りの灯明も、このお参り用の鎮守様に灯す。
聞き取りを続けたせいか、能衆の方々のどうということのない会話や動きのひとつひとつが意味を帯びてきて、舞い以外にもみどころがたくさんある。11時まではあっというまだった。
午前中、伊藤金吾氏の聞き取り。長々と話しておいとましようと思ったら昼ご飯までごちそうになってしまった。能衆の一家は、お祭りの7日前から精進に入っている。だから、伊藤さんのお宅のこの昼食も精進。フキやイモの揚げ物もおいしく、普段精進を食べつけない身にもまったく違和感なくいただいた。
昼、水窪文化センターで調べもの。そのあと、藤田さんの発案で佐久間ダムへ。山を抜けるトンネルの壁面がやけに手彫りのような肌理になり、しかも坂を上るので、トンネルの天井がこちらに迫ってくる。これは冥界の入り口か。途中、トンネル内が分岐して、右方向に小さな通路が。はげしく気になる。
そして現れたダムは、でかい。このでかさは写真ではわからない。ホビットの気持ちがよくわかった。
もっとよくわかりたくなったので、トンネルを徒歩で逆行し、さきほどの分岐路に入ってみる。分岐点に「展望台」と書かれた蛍光灯があるのだが、それは消えている。どうやらかつての展望台用通路らしい。真っ暗なので、デジカメで一枚写真を撮り、モニタで足下が安全なことを確認して、あとは暗闇をまっすぐに進む。
外に出ると、ちょうどダムと斜め前から向き合う位置に簡単な見晴らし台があった。何度目を凝らしても大きさを見失った。
旅館に戻る。夜は昼と一転して、旅館でぼたん鍋。この旅館の料理は、小鉢のひとつひとつにいたるまでじつに気が届いていて、朝晩が愉しみ。
7時頃、別当宅にお邪魔して、口開けのお酒をいただく。その後、宿舎で練習を拝見。能衆の方々の動きは例年のことながらじつに融通無碍で、見ているだけで楽しい。明日の準備にお札を刷っていたかと思うと、沢谷さんの「さあやるぞ」という太鼓の音とともに、あっという間に空気がしまり、舞いの練習になる。人が舞っているときにもこちらでは雑談をして、しかし笛が足りなければかたわらのを取り上げて節を吹き、若い衆の踊りを見て立ち上がって手本を躍り、また座って酒を飲む。というぐあいに、休みと練習が地続きで、しかしけじめがないわけではなく、むしろあっという間にけじめが乗り越えられているのだ。この調査も3年目になるが、練習を見るのはひときわ楽しい。
11時頃練習は終わって帰宅。