ポランスキー『戦場のピアニスト』(2002)

 『戦場のピアニスト』は、戦場を生き延びたピアニストの話である。「ピアニストだから生き延びた」という話ではない。「ピアニストだから死ぬに値しなかった」という話である。舞台は1939年のドイツ侵攻から終戦までのワルシャワ。しかしそこで描かれるのは、ワイダの『地下水道』のような出口なき抵抗ではない。主人公はポーランド系ユダヤ人のピアニストである。しかし、彼は地下組織に入ることも、ゲットー蜂起に加わることもない。彼はことあるごとに「ピアニストには無理だな」と判断され、抵抗の前線からはずされてしまう。
 地下組織やゲットーの人々だけでなく、ユダヤ警察やドイツ将校までもピアニストを助ける。ムンクの『パサジェルカ』で、主人公は収容所の女看守がかける情けを拒絶した。しかしピアニストは、相手が誰であろうと、さしのべられた救いに抗うことはない。パンを乞い、水を飲む。ピアニストは戦いの誇りから隔てられて生き延びている。
 しかしワルシャワのどこに、戦場でない場所があるのか。ピアニストは、戦いの空間から逃れることはできない。できるのは、戦いの前に潜み、戦いの後をたどり、戦いの時間から逃げまどうことだけである。ピアニストは爆撃を受けた病院の跡に入り、手術台の跡で眠り、トイレの跡で用を足し、崩れそうなその便器跡の上で背伸びをして、窓の跡から戦いを覗く。ピアニストの路地は死体と死体をつないだ線でできている。ピアニストの大通りは果てしない瓦礫でできている。
 逃げまどうピアニストの身体には、戦いには無用の音楽がたくわえられている。ドイツ将校が命じると、穴のあいた缶詰から漬け汁がどぼどぼ垂れるように、その指からバラードがあふれ出す。

 前世紀を生きたショパンもまた「ピアニスト」だった。分割後のポーランドに生まれ、独立の気運が高まるワルシャワでピアノ作品を次々と発表していたショパンは、1830年、友人ティトゥスとともにワルシャワを後にしウィーンに旅立ったあと、ワルシャワ暴動の知らせを聞く。ティトゥスはワルシャワに戻るが、ショパンは帰らず、翌年、パリに移住する途上のシュトゥットガルドでワルシャワ崩落を知った。
 1835年に作曲されたショパンのバラード第1番は、謎めいたオクターブのフォルテで始まる。旋律は何度も中断される。ピアニストがペダルを離したとたんに、重ねられた音はばっさりと途絶え、指で押さえられた音だけが生き残る。ピアニストはこの残酷なバラードのように、ピアニストの指が押さえた音のように、生き延びている。
 生き延びた音は、新たな和音を纏って旋律を紡いでゆく。バラードを弾き終えたピアニストは、ドイツ将校からコートをもらう。ピアニストは、ユダヤ人にとって唾棄すべきその新たなしるしを身に纏う。なぜならピアニストは「とても寒かったから」であり、そのコートを拒絶して凍え死ぬに値しなかったからだ。
 しかし、死ぬに値しなかったということは、弾くに値する。

(2003 Feb. 27)

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