けいたい版 | 月別 | 見出し1999.1-6 |見出し1998.8-12



20000315
夜、十数年ぶりに「日出処の天子」(山岸涼子)を読み出したら止まらなくなり一気に読了。いろいろ忘れてたことも多かったが、何より、以前は作為が過ぎるように思えたいくつかのエピソード(たとえば、刀自古と布都姫との入れ代わりで、厩戸・毛子の両方の思惑がはずれるあたり)がかえって魅力に思えたのが新鮮だった。たぶん前は、厩戸・毛子の葛藤に眼が行きすぎてたのだ。しかし、どうも最近何を見てもマグノリアを見いだしてしまうな。

いつもながらおもしろいのかつまらないのかわからない「たどりつけばアラスカ」。今日の話は、二人の男がはばたく真似をしながら終わったんだけど、そこでイーノ/ケールの「Lay My Love」がかかってるのにぐっときた。

小杉天外「魔風恋風」(岩波文庫)。明治36年の風物。まだ前巻だが、いくつかをメモ。

●下宿にどんどん上がり込む貸本屋。
●目が大きく鼻が高い、という美人観。
●あけすけなのぞきの扱われ方。
●女学生言葉:犯(バイオ)る、妬(エンビ)る。
20000314
とりあえず風邪から復帰。ユリイカ校正、予算調整などなど。喫茶店でPowerBookG3を広げるとさすがにでかい。初めて入った喫茶店でこれでかちゃかちゃやるのはちょっと抵抗ある。せっかくDVDドライブがあるので、リュミエールの「工場の出口」の3つのバージョンを見ながらメモをとる。映像画面と書き込み画面がすぐそばなので、映像から得た考えをスケッチするには便利。

●1:人々の動きと犬。「帰る」あるいは「出口」の不在を示す犬。馬車の登場。犬の示す不在を踏みしだく。
●2:左側の出口。犬。もぐりこんでいたかのように傾いて押しだされる自転車。自転車を「産み出す」産業の力。馬車。
●3:犬とともに押し出される自転車。悠然と左右に去る自転車。肩を叩かれる自転車上の人。帰ってくる犬。閉まりかける扉に急いで入る人。馬車の不在。このバージョンに馬車がないことに注意。すべての流れを集約するような大きな力をあえてカットしたこと。力の時間ではなく時間の力。点と点との間の力の変化。ドラマ。マグノリアのような、力点どうしの流れとしての「工場の出口」。
20000313
風邪がぶり返し、日中はほとんど寝て過ごす。寝汗をかきすぎて気持ち悪いのでちょっと起きて改造社の谷崎潤一郎集をぱらぱら。「赤い屋根」の冒頭。

 中山手三丁目で電車を降りて、三の宮の方へ一直線に下っているアスファルトの坂道を歩き出すと、繭子の姿勢には自ら一種の「形」がつき、足はひとりでに弾んで行った。

 あ、昨日ぼくが歩いたのと逆方向だ。冒頭の「形」からぐっとくるこの小説は、ここからトアロードを降りていく。これ読むと、「なんとなくクリスタル」って、もろ谷崎だって感じです。おやぢおやぢと四十おやぢを罵倒するこの話を書いたとき、谷崎はそのおやぢの年ごろで、昭和3年の伏せ字だらけの本には中国服に身を包んだ好中年って感じですました写真が載っている。後年の入道みたいな外見からは想像がつかない。
20000312
トア・ロードをずっと上がったところにある神戸のCAPHOUSEでパーソナル・ミュージック・パーティー。今回はわりと小さい音系が多くてなごみモード。岡崎さんの卵を落としながら喜びの舞を踊る?のが、宇宙人度大。ひょうたんオーケストラの間。一人しか聞けない楽器をまわしていくさまはまさに茶会。そしてひょうたんDJ。いやあ、大人のゆとりと緊張。じゃいさんのラジオ飛ばしはほとんどテックス・アヴェリーの「腹話術師猫」だった。音の幽体離脱。下田さんの振り子いいすねー。
ぼくは幻燈を持っていってお話。ろうそくがなかったので、東急ハンズに行って「光量の強いろうそくください」と言ったらアロマキャンドルのコーナーに連れていかれた。そうか「香料」の強いろうそくね。それもいいな。幻燈から匂う香り。カッターで削ったらいい光量になりました。
 終了後、水ぎょうざにラムを飲みながら話。水ぎょうざを作っていた山崎さんと「少女マンガ」の話。
20000311
原稿。ユリイカ最終回なんとか脱稿。体調が最悪だったことがかえって幸いした。
20000310
PowerBook G3到着。熱暴走とフリーズの嵐だった2400ともこれでお別れ。とりあえずあれこれHDに入れて様子を見る。
夜、ACTで中本マリライブ。最初の声を出すときの迷いのなさ。PAに寄せる信頼。塩次賢治のギタープレイの的確さ、すべてのストロークがかっちりと構築されてる。それに岡田勉のどこか飄々としたベース、ぽんと音が飛ぶときに、ちょっと音を置きましたという手つきが愛敬がある。
寒いところで聞いていたせいか、帰ると風邪特有の末端しびれ。ポケモンビデオ見ながら寝る。
20000309
日記をCGIが使えるvirtualave.netに移行。検索エンジンをつける。
夜、マグノリアサントラを探すが彦根では見つからず。
ポケモンビデオ。うかつにもニャースの声が犬山犬子だといまのいままで知らなかった。言われてみれば彼女しかいないではないか。ニャースのうた、名曲だなあ。ちなみにわたくし、ロリータな東京ポーキュパインも持ってます。

それにしても、ポケモンがアメリカで流行ってるってのはすごいな。ポケモンって、友情とか愛とかうまいこと言ってるけどつまりは奴隷制ですからね。でもってピカチューはアンクル・トムだ。
それもこれもお約束として、各ポケモンのキャラを立てることに専念するノリのTV版はおもしろい。だけど、劇場版はひでえ。ポケモンマスターとポケモンって階級制度が厳としてあるんだから、自分探しだのエコロジーだのおためごかしもいいとこ。「ミュウツーの逆襲」は出来の悪いエヴァンゲリオンだし「ルギア爆誕」は見るも無残な平面アニメとCGの貼り合わせだ。
20000308
竹川大介君がソロモンから送ってくる話は、これまでのこくら日記の中でもひときわおもしろい。ソロモンの「祝福された交換」の話は、交換に必然的に「蓄積」が伴うと考えがちなぼくの頭を見事に価値割って(おっといい誤変換だ)くれる。

夜、ビバシティで「マグノリア」。暖房の効き過ぎた館内で三時間、背中に冷や汗をかき続けた。ひさびさにぶっとい映画を見た。「マーズ・アタック」ミーツ「ジョンの魂」?21世紀に残るうわごと。
20000307
午前中発表会。昨日の今日で酔いと寝不足との戦い。
午後、高梨君と民族民芸村へ。売薬資料館と民芸館、合掌造りの家などを見る。その後、市街へ出てタラ汁定食。水墨美術館で下保昭展。「黒部幽谷」の象徴派のような空からロールシャッハのような白い滝にたどりつくまで。表に出るとでかい粒の霰。
駅前には、クスリでぶっ飛んでる楠田絵里子のような奇妙なナレーションで市の宣伝。高梨君と別れ、電車まで一時間ほどあったので、「シネマ食堂街」に入り、その奥の「駅前シネマ」という成人映画館に入る。1800円は一時間には高い。林由美香が出てる「人妻混浴温泉」が見たかったが、結局「料亭の若女将」の後半と「未亡人理容室」の前半のみ。銀幕左に八角文字盤の柱時計がかかっていて、そこにスポットがあたっているのがすごかった。客は10人ほど。
特急で泥のように眠る。
20000306
窓から見える富山市。町はあっけなく海で途切れ、そこからうっすらと海、うっすらと空。なにかがありそうでなにもない、蜃気楼不在。

朝からぎっしりと発表を聞く。チンパンジーのグルーミングから会話分析の基本的議論までたっぷり勉強した感じ。夕食後の飲み会はいろいろあって、菅原さんのもっともな怒号が飛び、研究者と人生を問われる晩だった。亀井氏が手話でぼくの話を同時通訳し始め、ますますめくるめく。伊藤さんのチンパンジー・ファーストコンタクト話を聞き、やはり奴らのコミュニケーションに入るかどうかというのは生命を賭ける決断なのだと思う。

なんか、最近つじつまの合わない事を話すのを、自分で止めなくなってきた。酔いにまかせて、ではなく、酔いに乗じてつじつまの合わなさを走らせる。つまり、オヤジになってきたのだな。オヤジ寝転びうだうだする。
20000305
米原からしらさぎ1号で富山へ。福井の霧。Texture Time
富山駅前の第一インでブリ刺身。しかし刺身より大根と煮たのがうまかった。この第一インの入ってるビルの3Fは中古CDと古本のフロアになっているのだが、フロア面積を埋めつくす古本とその半端さ加減、人のいなさ加減が絶妙なフラット感。棚がどれも低くて、いつでも撤去できる状態に設定されているように思える。それで気づいたが、高い棚いっぱいの本、うず高く積まれて地層化した本といのは、その古本屋から「撤去」という概念を消しているのだ。
午後から研究会。中でおもしろかったのは分藤氏の「バカ・ピグミーの歌と踊り」。精霊の踊りとは別の、精霊を頂かない歌と踊りの話。女と子供の離合集散ぶり。
「パノラマ大浴場」からの富山の夜景。夕食後は飲みながら分藤氏にピグミーの歌踊り集団の話をさらに聞いたり亀井氏から手話の微細な動きの話を聞いたり。
「あの人のいってる信念はね」というとき、どうやって「信念」を指し示すか。信じている、という手話は右手をやや握り内向けにして腹から胸へとあげる。そして、信念を指すときには胸まであがってきた右手を左手で指さす。このとき右手はぐっと握られている。信じているときは、まだぐっとは握られていなかった右手。それが、指し示されるときぐっと握られ、信念の形を成す。手話においても、信念は社会的に形成される。
20000304
シンポジウムで水の音を聞くミニサロン。あいにくの雨だったが、水の音に耳をすますにはよかった。寒かったけど。
Oldiesをメニューに追加。いわゆる古文書コーナー。中身は現代思想辞書とグミ脳テキスト。
20000303
ゲームボーイでポケモンをつかまえてずかん登録するとき、一画面がまるまるそのポケモンに使われる。それで「ゲット感」が上がる。画面にかっちりおさまったときの所有感。テキストを読むとき、同じことが起こらないか。というわけで、田中君のための携帯日記では、幅8文字(もしくは10文字)で字余りなしに収まるように文字数を決める。
20000302
Ego Exchange、新旧あわせて現在25種の文章が。
田中君のための携帯日記を始める。タイトル通り、田中君が携帯でWWWを見てたので始めた日記。機種によらず一画面で収まるように日付1行・8*5行で書く。短歌や俳句の持つ韻から分かたれて、なお、その短さゆえに言わされてしまうことはなにか。てなことをとりあえず考える。
それにしてもぼくは携帯を持ってないのだが。
延ばしに延ばしていた黒田さんの本の合評会原稿をやっと。
20000301
DVD でJohn & Faith Hubleyの諸作品。ガレスビーやクインシー・ジョーンズが音楽をやってるというふれこみだったので見てみたが、教訓臭が強くてウンザリ。倫理ではなく教訓。世界中にいるであろう現代絵画とインディアン・アートとガイアが好きな自称芸術家連中の権化みたいなアニメーション。手法にいくつか見るべきものはある(透明色の重ね方など)ものの、人生を語るにはアイコンを使い過ぎ(「Everybody rides the carousel」)、科学を語るには情緒に流れ過ぎ(「Ofstars and men」など)。マクラレンのような色や線への解体もイームズのような徹底したアイコン化もなし。そしてなんといっても長過ぎ!いちばんおもしろかったのは二人の語りが主を占める「The hole」「The hat」の対話シーン。

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