昼、久しぶりにサカネさんに会う。もう臨月だそうだ。「早くでといで」というサカネさんはもうお母さんの顔。青空市で田頭さんの作ったお椀を買う。もうひとつ、豆一輪を買ったら、そこに挿してあった小指の先ほどのツタがおまけについてきた。カフェ工船で豆を買って帰る。市バスの窓に、JRの車窓にツタ。池田朗子さんの飛行機みたい。
宿舎の草刈りがあった。住民は誰もが忙しいので、この数年、業者の人におまかせしている。電動草刈り機でいっきに平坦に刈られる。去年までは動じることもなかったが、今年は、あそこにコメツブツメクサの集落、あそこにヨモギとギシギシのジャングル、あそこにタカトウダイの灯と、それぞれの配置に愛着のわきはじめたところだったので、一網打尽に刈られると、さすがに気持ちにこたえるものがある。ほんとうはこちらが手を尽くして、縄でも張って、たとえそこがなんということはない草々の場所だったとしても、そのままにしておいて欲しいと主張すべきだったのかもしれない。
きれいに背丈のそろった芝の庭も、「雑草」だらけになった空き地も、それぞれ人為的な攪乱によって現れた生態系のひとつであり、それは手つかずの自然でもなければ「エコ」でもない。ただ、自分が草をかき分け、その名を調べ、どこからどこに伸びているのかを突き止めたということ以外に、その場所を保持する理由はない。が、その理由以外に、この地をいましばしこのままにと願う理由があるだろうか。
この大攪乱で植物は根絶やしになったわけではない。戯れに近所で摘んで植えておいたミント(何ミントなんだろう)のひと茎が刈り残されて、小さな葉を伸ばしていた。来年までにはいやというほど増えて閉口するかもしれない。そして、草刈り前に無事花実を終わらせたスズメノカタビラやコメツブツメクサやカラスノエンドウ、地下のあちこちに根を残したヨモギやギシギシ、物置の影からひそかに地上を這いながら陽の当たる場所を探っていたヘクソカズラは、広々と開けた日向に存分に芽を出して、一年後にはまたジャングルを作っているだろう。その人為的な植物遷移を見届けたあと、来年は草刈りのことを考え直すだろうか。
ジェスチャー研。河野さんの認知症とジェスチャーに関する発表。夜、ちょっとだけまほろばに行く。
再来月に出る「東京人」(8月号)に書評を書きました。原稿用紙6枚じゃとても書き尽くせないけど、簡潔に。
月刊誌に書評を書くと、早く言いたくてうずうずしちゃいますね。
「この世界の片隅に」は、みんなも読むといいよ。
数日前から左耳が痛くなり、寝返りを打っただけで、いててて、となった。これじゃ痛くてもうヘッドホンもできない。というか、なんだかトンネルに入ったときみたいに音がもごもごこもってきた。んー、これは我慢しないほうがいいのかなー。というわけで耳鼻科へ。今年はよく病院に行くなあ。
耳を見るなり、先生が「あー、これは中耳炎やね。ついでに外耳炎も。めずらしなー、大人で」。中耳炎って子供の病気なのか?
中耳炎の菌は、耳の穴からではなく、鼻で繁殖したやつが入ってくるそうで、そういえば、四月くらいからこのかた、ずうっと鼻の穴が痛くて、ようやくそれが収まったかと思ったら耳だったのだ。抗生物質と塗り薬をもらって様子を見ることに。
鼻で嗅ぎ耳で聞く。しかし、その穴は奥で通じており、菌はそこを長い時間をかけて伝っていく。菌の時間は、嗅ぐ時間や聞く時間をすり抜ける。菌のように嗅いだり聞いたりすることができたら、長い時間蓄積した音を嗅いだり、匂いを聞いたりできるのか。何週間も、何ヶ月もかけてきく音楽があるとしたら(それを「音楽」として感じることができるのだとしたら)、それはどんな感じなのか。
インフルエンザ休講もあけて、いつもの日。
宿舎の裏庭に黄色い花が咲いている。
花、というには花びららしいものがなく、しかしそこからやけに明るい光がはねかえってくるので、よく目立つ。タカトウダイ、というらしい。トウダイグサの仲間。
近くでしげしげ眺めると、このタカトウダイはじつに不思議な構造を持っている。
葉は、まず根元から互い違いに回るように茎から生える。これが、天辺近くまで来ると、五枚の葉がぐるりと輪生になる。そこから五本の花枝が伸びる。これは5の植物なのかな、と思うと、さらに先に、3枚の葉がつき、その上に花が咲く。
これだけでもおやおやと思うが、今度は花の数がむずかしい。3枚の葉それぞれに添って一つずつ、さらには真ん中から一つの花がひょいと出ているので、計4つ。真ん中以外の3つには小さな葉がついているが、これは各花に2枚。
じっくり見て数えるからこうなるけれど、下から上にざっと立ち姿を見ると、中空で突然、見たことのない幾何学が始まって、あれあれという間に小さな花にたどりつき、だまされたような気になる。杯状構造、というらしい。それにしてもどうしてこんな複雑な構造になるのか。おそらくは発生と分化の際に細胞同士の精緻なるインタラクションが起こるはずだが、ちょっとわからない。
「柳宗民の雑草ノオト2」によれば、トウダイグサのトウダイとは、港の灯台ではなく、部屋のあかりの台座のことだそうで、そういえば、輪生の葉に囲まれた花は、黄色い火のようにも見える。台座の5の上に、数列のともしび。
やはり「雑草ノオト2」によれば、トウダイグサ科 (Euphorbiaceae) の中には、多肉植物も含まれるらしい。むかし、ロサンジェルスの大学植物園を訪れたときに、ハシラサボテンやウチワサボテンに混じって、この世のものとは思えない形をした一群の多肉植物があり、なんとへんてこなサボテンだろうと思って名札を見たら、どれもサボテンではなくアフリカ原産の「トウダイグサ科」で、驚いたことがある。タカトウダイの謎めいた数列構造は、あの多肉植物たちの複雑な形に通じているのかも知れない。
写真のタカトウダイは、緑の手を持つ隣人が「試しに」植えてみたものだそうで、お試しだから、回りは生えるにまかされて、数字とは無縁そうな気楽な草が散らばっている。すっかり黒くなったカラスノエンドウに、このあたりではよく見かけるコバンソウ。暢気に実をぶらさげた植物たちの中で、すっくと立つタカトウダイは、港の灯台のようでもある。
花の構造を詳しく写そうと思って、一本摘んでスキャナの上に置いてみた。
ちょっとまがまがしい。数字の魔が強く出過ぎるからだろうか。切り口からは有毒の乳汁が出る。
写真:
左:裏庭のタカトウダイ
中央:UCLA植物園のEuphorbia ingens(トウダイグサ科)
右:タカトウダイ(スキャン画像)
庭、というより宿舎の共有地で、誰しも何かを植えるのははばかられるのだろう、園芸種のない草地になっている。雑草、といってもいいのだが、むかし日高先生から「雑草という草はない」と繰り返し教えられたので、折にふれて草の名前を覚えている。
四月の末から五月、カーペットのように陽当たりのよいところを黄色く覆うのはコメツブツメクサで、じっさいひとつひとつの花は米粒のように見えるけれども、虫眼鏡で見ると、シロツメグサと同じように、旗弁、翼弁、船弁の三種類の花弁がある。こういう構造はハチのような虫を寄せるためのもので、なるほど米粒ほどのハチやアブが寄ってくることがある。
コメツブツメクサは草刈りの翌年に真っ先に繁殖するが、もう少し放っておかれている場所にはヨモギが群生している。ベランダのすぐ横なのに、じつは、先日ようやく気がついた。さっそくヨモギ風呂にしたが、まだまだ山のように生えている。
そのヨモギをかきわけると、大ぶりの見事なギシギシがあった。どこにでも生えるありふれた草だけど、くすんだヨモギの群の中に一株どっしり広がっていると、ギシギシ特有の照りのある葉があざやかで、そこだけジャングルのように見える。
というわけで、低いもの、高いもの、埋もれているもので五七五。俳句の寄せ植えみたいなもの。
バラ園のある近くの公園に、ゆうこさんと出かける。インフルエンザの余波で、みんな遠出を避けるからだろうか、近場の公園は子供連れの人たちでにぎわっている。コンビニで買った弁当を広げて食べてから、小さなハーブ園を見る。名札がついているので、名前を覚えるのに便利。
裏の小さなスペースを耕してミントを植えてからというもの、道行く先々で花や草に目が行くようになった。
ミントは意外なところで勝手に繁茂している。行きつけの喫茶の垣根の隙間からも盛大に伸びている。もう十数年来ている店なのに、いままでは気づかなかった。ここで菓子を食べるときによく小さなミントがついてくるけれど、あれはこの垣根から採ってるのかしら。
彦根には田んぼが多いが、休耕地も多い。すっかり荒れ果てた田はひたひたの水をかかえたまま。都会なら空き地はススキの原になるところだろうけど、この辺では葦の原。大ぶりで葉っぱが広いので、ススキの原よりも豪快に荒れている感じがする。
その脇で、ミントが繁茂しているのを見つけた。水浸しの地面に茎を這わせて、一つの株から1mほどもある茎がにょきにょきと道にはみ出している。こんなに水が好きな植物だとは知らなかった。早足で過ぎると気づかないが、立ち止まって風向きが変わるのを待つと、歩道にいても青リンゴのようなミントの匂いに包まれる。
そのミントや葦の茎を、すいかずらがのぼってゆく。すいかずらは、上のほうにはあまり咲かないので、遠くから目の高さのあたりを見るとヘクソカズラかヤブカラシかしらと思う。近づいて足下を見ると、そこここに固まって咲いている。花は、ユリのようなキャラメルのような、甘い匂いがする。上で花を掲げなくとも、匂いに反応する虫が集まるのだろう。夜には蛾もやってくるのかもしれない。
対生についた二枚の葉の脇から、必ず二つの花が出る。双子の人を見るときに感じる、予兆のような不思議さがある。
文献をとりに大学に。学部長となった濱崎さんとすれ違う。土日もたいへんそうだ。茶店で論文を数本読み直し、イントロを考える。それからちょいデータ見直し。
吉田秀和「永遠の故郷」。ヴォルフ「古画によす」
この放送をダウンロードする
校務にて京都へ。霧雨の大原。
というわけで論文にとりかかる。積年の周辺機器の交換でデータがあちこちにばらまかれているので、Time Capsuleにまとめる。ついでにwavファイルも作りまくってELAN分析環境を整える。さあどこからでもかかってきやがれ。いや、こちらがかかっていくのだが。
連休中に廊下や床を片付けたこともあり、部屋の扉を開け放つことにした。風通しをよくするためなのだが、さっそく猫がやってきて、盛んに窓のあたりでなにかを嗅ぎ回っている。
講義やゼミの間に、綿谷さんに手伝ってもらって部屋をあちこち片付ける。とにかく書類をいろいろ捨てる。袋ごと捨てる。だいぶん床と椅子が片付いてきた(椅子の上にも書類が山積みだったのだ)。
夕方、大学からお達しがある。インフルエンザで26日まで休講とのこと。電話が鳴り、非常勤先の放送大学でも休講を検討中とのこと。週末は集中講義のつもりだったがぽっかり空いた。さて、懸案の論文を仕上げるとするか。
いよいよ本格オープンした「ラーメンにっこう」へ。今日は中華そば2というのをいただく。ラーメンよりもあっさり味。スープがうまい。ゆうこさんはつけ麺に。こちらはスープに酢が入っていてちょい冷やし中華風でこれまたうまい。
講義に会議に書類。夜、学部の懇親会。南彦根の魚忠だったのだが、おいしい店だった。そのあとカラオケに。アコースティックバージョン、と書いてある「あの日に帰りたい」を選んだら、MIDI打ち込みのギターで聞くに耐え難かった。ぼくの下手っぴなギターのほうがまだましだ。まだましだと思いながら最後まで歌った。
朝から実習。人間探求学では、琵琶湖畔に出る。いつもは草をかきわけて通れる小道が、水位が増して通れない。しかたないので迂回して、フェンスにつかまりながら湖水を越えるややアスレチックなルートをたどる。靴がびしょ濡れになる学生続出。ちょっと気の毒だったかな。
昼休みに実習の買い物。午後の実習は恒例の目隠し体験。一人がナヴィゲーター、一人が目隠しをしてペアで行動してもらうのだが、学生数が奇数だったので、一人にお相手になってもらう。久しぶりに長い時間、目隠しで歩いた。何度やっても、最初、相手を信頼するまでに時間がかかる。目隠しで歩くことの最初の難関は、ナヴィゲーターにまかせることができるかどうかにある。自分で独自に感覚を働かせて歩こうとすると、なかなか前に進めない。すべてを自分の感覚で判断する、ということをあきらめて、道の選択、歩くスピードの選択をナヴィゲーターにまかせる。この構えができると、不思議と視覚以外の感覚が開いて、ふだん聞こえなかった音が聞こえだし、匂いに注意が向き、足から伝わる地面の足ごたえがわかるようになる。
今日もシンポジウムのステージ脇に。とはいっても、実際には講演の始まりと終わりだけ脇にいて、あとはずっと客席で聞いていた。
午前は「「食」に見る子育ち、子育て」。川田学さんと上野有里さんは、どちらも、他者がすっぱいものを食べるという現象を乳幼児がどう捉えるかという研究なのだが、視点がちょっと違っている。川田さんの研究は、他人が真顔ですっぱいものを食べて見せるときに乳幼児がどう反応するかというもの。おもしろいことに、大人は真顔で食べても、乳幼児はそれを見ながら顔をしかめることが多いそうだ。つまり、単に表情を真似ているのではなく、相手の感覚を先取りして顔をしかめていることになる。これは、いわゆる「ミラーニューロン」形の反応とはちょっと違う(→川田さん論文のpdf)。上野さんの実験では、逆に乳幼児に大人の表情を見せて、それが大人の味わっているものと一致しているかどうかによって乳幼児の視線を見るという手法が用いられていた。こちらはむしろ、相手の表情と相手の行為との整合性をいつ乳幼児が評価できるようになるか、という問題。
則川さんのデータでは、日仏の食事におけるしつけの違いが論じられていた。フランスのデータでは、赤ん坊が食べ物に手で触ろうとすると断固として払いのけているのが印象的だった。日本では触るがままにさせている。このあたりはかなり違うなあという感じ。
ポスターをあちこち見てから午後のシンポは「発達初期の遊びとしての音楽性」。
壇上での乳幼児の「歌」の話を聞きながら、そもそも歌と会話では、どうして異なる発声をするようになったのだろう、ということが気になってくる。ミズンは音楽とことばを論じていながら、この点についてあまり考察していない。ミズンが想定しているのは「歌」といっても、近代以降のクラシック音楽やジャズのように、感情表現が記号によって構造化した言語的な音楽、かっちりとしたルールに基づいて作られた歌の話である。
進化上、最初に出てきた音楽は、おそらく現在のような複雑な歌ではない。それはおそらくモノフォニックなメロディとリズム構造による、音韻構造を持たない一連の声の変化であり、それは何度も繰り返されることで、「歌」として認識されるようなものだっただろう。
いっぽう、会話に使われることばには、ピッチや強弱などプロソディ変化に富んでいるものの、それは歌のような強いメロディとリズムを持っているわけではない。ことばは、それは音韻と呼ばれる、とても短い時間構造によって繰り返しを感じさせる。音韻はメロディを伴うこともあるが、伴わなくてもよい。たとえばロボットボイスのように平坦な声で話されても、それは音韻として認識できる。また、音韻の持つ抑揚とは違う抑揚で話しても(現在の「歌」がそうである)音韻として認識できる。
さまざまな音韻からなるさまざまな波長の声を長々と発し続けて飽きないのは、人間くらいのものだ。わたしたちはつい、会話が日常で歌が非日常だと思いがちだけれど、生物全体から見ると、会話のほうがむしろ異例である。動物の音声コミュニケーションのほとんどは、コミュニケーション機能に特化した音声パターンを持っており、そのレパートリーも限られている。単純に音声を発する能力、音声を聞くための可聴域から言えば、人間よりも複雑な音声を出せる動物はあるが、彼らには、人のようなとんでもなく膨大な音声レパートリーはない。たとえば、ウグイスはとても複雑な声を出せるけれども、その音声パターンはホーホケキョをはじめとする限られたものだ。人間ほどでたらめ?にいろんな声を出す動物は珍しい。
むしろ、歌から会話の声が進化したのではないか。メロディの希薄な声を記号として読み取る認知能力とともに、ようやく会話の声は、ただのでたらめではなく、コミュニケーションの一形態として進化したのではないか。うんぬん、と妄想はたくましくなる。
終了後、音楽シンポ参加者に則川さん、小嶋秀樹さんも加わってバスティアン・クントラーリに。現地に行ったら、青山夫妻とゆうこさんも来てた。竹生島観光のあとの夕食だと言う。彦根は狭い。
二藤宏美さんは、乳幼児の音楽発達の話をされていたが、じつはガムランをずっとやっておられるのだという。「ガムランというのはバリ、それとも・・・」「ジャワのほうなんです」「じゃ、マルガサリもご存じ・・・」「ええ」。わあ。
橋彌さんとクラシック談義をしていてブーレーズ話に。そばで聞いていた小嶋さんが、IRCAMという固有名詞に反応して、「キーポンってIRCAMで開発された言語で動いてるんですよ」と言う。「え、それってもしかしてMaxですか?」「そう、MaxとJitterなんです」「じゃ、もしかして赤松さんをご存じ?」「もちろん。赤松さんの仕事がモデルなんですよ」。びっくり。ぼくが昔、赤松さんとMaxを使ったバンドをやってたと言ったら今度はこちらが驚かれた。
世間はほんとうに狭い。
ちなみに、キーポン小嶋さんは以前お会いしたときと髪型が変わってなんだか他人とは思えない風貌である(→小嶋さんとキーポン)。キーポンは今やアメリカでも大人気。目線の動かし方がじつにかわいい(→Keepon dancing to Spoon's "Don't You Evah")。
ご一行をさらに柳太郎にお連れする。ふなずしも出てぐいぐい日本酒が進む。とうに夜半を過ぎる。
学会のお手伝い。もっぱらシンポジウムのステージ脇でサポート役。とはいえ、バイトの倉島くん、城さんがしっかりしているので、ほとんど気遣いはなし。ほとんどの講演は客席にまわって聴くことができた。午前中は、「胎児期からの運動と社会的認知の発達」。元同僚の明和さんも元気そうなり。
教室でそそくさとラーメンをすすってから公開講座会場へ。受講生の方々が百人ほど。どうやら滋賀県下の年配の方々とお見受けしたので、思いっきり彦根限定の話。スクリーンいっぱいに昭和30年代の彦根観光地図を写しだして現在との比較をする。神戸から青山夫妻も聞きにきてくれた。終わってからけっこう質問がある。さすが地元。本もたくさん配った。
それからまた赤ちゃん学会へ。地域発達支援と乳幼児健診に関するシンポジウム。人口の違う三都市の話。健診の頻度も違うし利便性も大きく違う。
帰ってから、青山夫妻、ゆうこさんと中華を食いに。青山夫妻とゆうこさんは講演の後、実際に絵はがきの現場を確かめに彦根ツアーに行ったという。あとで聞いたら「あんなに狭いエリアだとは思いませんでした」とのこと。スクリーン大の地図を見たので、どんな広大な土地かと思ったらしい。
明日の公開講座の準備。夜、赤ちゃん学会の準備。
近所に、「ラーメンにっこう」二号店が出来たので、プレオープンを覗く。店主の西川くんは、わが学科の卒業生。2005年に店を出してから4年足らずで二号店。基本のラーメンは、太麺にかつおだしが効いて旨い。思わずスープをすすってしまう。ラーメン店の多いベルロードだが、この味なら大丈夫だろう。
ゼミ講義ゼミ。今日の院生ゼミは久しぶりにデータセッション。発語とジェスチャーの不一致と他者修復を発見。おもしろいデータだった。
会議講義ゼミ。みるみる時間が過ぎる。
今日から本格的に綿谷さんに来てもらう。予算執行、部屋の整理などなど。何をするべきかを全く考えていない自分に気づく。
午前の実習で八坂を自転車回り。午後の実習は花の名前。毎年、この実習をやったあと、道ばたの草に対する意識がぐっと変わるのに気づく。通り過ぎるあの花、あの草のひとつひとつに名前がある。しゃがんでそこから見る景色のほうに意識が飛んでいく。コメツブツメクサの目線になっている。
昨日来、電車の中で読んでからというもの、繰り返し読み返している。御年96才の氏の評論のなんと瑞々しいことか。ここにはもはや、推薦すべきレコードも選ぶべき作曲家もなく、ただ添うべき歌があるだけだ。その歌に添う心に、読む者も自然と寄り添う形になる。もっと曲をききたくなる。
近くのCD屋に行ってみたものの、あいにくイタリア歌曲集しかない。どれもこれもトゥーランドットで三大テノールで声の筋肉がもりもりした音盤だ。おお友よ、このような歌ではなく、もっとつつましい歌はないのか。
というわけで、いつもはあまり使わないiTunesストアで次々と歌曲をダウンロードしては聴いている。不思議と、音盤を介さずとも、曲に向かい合う構えができ、静かに聞くことができる。ああ、もういよいよ、音盤は要らないのかもしれない。こちらの構えをいかに作るかなのだ。そんなことを、吉田秀和氏の著作に教わるとは。(まさか氏は、iTunesなど使っておられないであろう)
ヴォルフのメーリケ歌曲集、プーランクの歌曲集、R.シュトラウス、マーラーの歌曲集、いずれも、これまで遠ざけてきたものばかり。訳詩をたどりながらきいていくと、まるで初めての国を歩くかのように、新しい和声、新しいメロディが感情を織りなしていく。
ジュンク堂でオペラ対訳ライブラリをいくつか。
吉田秀和「永遠の故郷」夜と薄明。
ぼくはショスタコヴィッチの騒々しい曲は苦手で、5番や7番をきいてもあまり高揚するということがない。それでも、このオペラのどんちゃん騒ぎはおもしろく見た。
祝う言葉はことさらに、職務に励むことばもことさらに、そこにこもっていない心があることを映し出す。1930年代ソヴィエトの投げかける、帝政ロシアへの皮肉。オペラ歌手たちの声を鳴らすための肉体は、衣服をとると肉感的を通り越して肉々しい。舞台の上は肉だらけ。
あちこちで愛撫やまぐわいの場面があるのだが、そのたびに、オーケストラが、まるでおならでも鳴らすようにふがふがと体の音を鳴らす。特に、まぐわいの場面で、セルゲイとカテリーナがタンスの裏に隠れて、オーケストラのリズムに合わせて、タンスを揺らせる演出がよかった。ここは、クシェイ演出のDVD版ではストロボを使って緊張を表していたのだが、せっかくのオケのリズムが死んでしまって、ちょっと残念な感じがしていたのだ。ことが終わったあとの虚脱を表すトロンボーンのグリッサンドの馬鹿馬鹿しさは、タンスならでは。
登場人物の感情に添うかのように歌と共に高まりを見せるオーケストラは、主人公の歌が終わっても、暴風雨のように鳴り続ける。個人の感情がひとかたまりの運命へと転身し、その個人を圧してしまうかのように。個人に発した感情が解き放たれ、拠り所を失って荒れ狂う。生き霊のようだ。
音楽をきき、そこで揺すられている感情をききながら、その感情の主体を舞台の上の人に見出す。感情は人から人へと動き、人から離れていく。離れた感情を劇場という器が受け止める。どんな舞台でも、音楽にはそんな風に霊的なところがある。
今回は「フィガロの結婚」と郵便との関係について。
クラシックかわらばん
http://www.classic-kawaraban.com/
交換されるオペラ オペラ絵はがきの時代
http://www.classic-kawaraban.com/column_hosoma/
社会言語科学会の編集委員会。そのあと伝さんと中華を食いながらシークエンス分析のことを考える。夜、ちょっとニッポニアへ。行ったのが早すぎて、まだマスターはいなかった。ママさんと親しくお話する。マスターが来てちょっと飲んでから、アメヤさんちに。清志郎の話。
不思議と木曜日は連休をまぬがれている。朝からゼミ講義ゼミ。
アルバム「BLUE」が出たころ、京都に来たRCのライブに行った。もう20数年前のことだ。どんな曲をどんな順番でやったかはすっかり忘れてしまったけど、ひとつ覚えていることがある。
ライブも中盤にさしかかり、客席が十分暖まった頃、「でも」と清志郎が言った。もちろん、これは便宜上のひらがなで、ほんとは、あの鼻濁音の混じった、高みからさあっと降りてくるような声で、んでもぅ、と言ったのだ。
「売れてるバンドは、解散するんだ!」ざわざわする客席の中にちらほら「えー?」の声。「売れてるバンドは解散するんだ、イェ−」「解散するんだぜ、イェー」。誰も「イェー」とは唱和できない。「そんで、年を食ったやつが、有機農業なんかはじめちまうんだぜ、イェ−」。少し笑い。「そんなわけで、みんな、このバンドが解散するかしないか、これから賭でもしながら楽しんでくれ。イェー」そして次の曲が「ラプソディ」だったか、「どかどかうるさいロックンロールバンド」だったかは思い出せない。
ライブは、さあ大好きな「トランジスタラジオ」を聞いて「雨上がりの夜空に」を聞いて「スローバラード」を聞いて、などと安住できる場所ではなかった。
高いチケットを求め、最上の席を手に入れたのに、目の前の歌い手は、「後ろの奴のために」とこちらの頭越しに声を飛ばし、かぶりつきで演じ手を間近に見ている私を嫉妬に陥れる。あるいは、自らの振る舞いを「子供だましのモンキービジネス」と歌い、「まともな奴はオレしかいねえぜ」と歌う。声援を送っているこちらの立場はどうなるのだ。まったく油断ならない。そのくせ、「悲しい気分なんかぶっとばしちまいなよ」と泣かせることを言うのだ。
ロックンロールバンドは、まるで、清志郎の声のように、高いいななきで引き寄せ、ざらついた肌理で突き放し、続くと思った関係を冷たく切り上げたかと思うや、甘い響きで、こちらの懐にするりと飛び込んでくる。
きみとぼく、おまえとおれの関係は、歌詞の中で何度も揺らされる。近づいたと思った距離は離れ、触れたと思ったらばっさり断ち切られる。でも、けして観念的な歌じゃない。二人の関係は、演じ手と聞き手との関係にそのまま表れる。清志郎は、歌いながら、いま、この場で歌う者と歌われる者との関係を揺らす。そんな風に聞く者を揺らす人はめったにない。
あまりに物があふれているので部屋を片付ける。人にも物にも不義理の限りを尽くしていることが身に染みてわかる。半日かけて、ようやく床が見える。机の向きを変える。
竜王町へ苗村神社の流鏑馬を見に行く。
この付近のデイケアやグループホームに行くと、しばしば苗村神社の話題が出る。それで、この神社の神事に通じておいた方がよいだろうと思い、せっかくだから年に一度の流鏑馬を見に行った。休日ドライブがてら、ゆうこさんも一緒。
現地で城さんと待ち合わせる。早めに行くと、午後二時ごろ、田植えを終えたばかりの畦の一角から号砲がする。これは在所の人々を呼び出す合図だそうだ。それから三々五々人々が集まって、境内にゴザを敷いて、酒を酌み交わし始める。
雨がしとしと降ってきた。ゴザの一部は屋根付きの休憩所に移動する。午後三時、子供神輿が境内を練り歩く。東側の神社を回って、最後は神輿庫に神輿を入れる。そのあと、今度は大人の神輿が出て、やはり境内を練り歩く。
各在所に分かれたゴザの上では、大人が酒宴に興じている。GWでもあるから、久方ぶりに実家に帰ってきた人達ともども、旧交を温め合うという意味合いがあるのかもしれない。
午後四時を回って、表の土道へと人々が移動し始める。いよいよ流鏑馬か。しかしすぐに始まるわけではない。
まず、神輿を馬道の脇へと移動させる。それから、神官と思しき人が二人の従者をしたがえて、弓矢を持ち、神輿の前へ詣でる。さらに、馬道を何度も往復する。最後は、幾度か立ち止まっては馬のほうへ振り向き、おうと声をあげる。馬道を測っているようにも、清めているようにも見える。
そして太鼓がどろどろどろと鳴ったかと思うと、もう馬が走っている。これがじつにあっけない。高らかな合図があったり歓声があがるということはなく、あっという間に目の前を駆け抜ける。流鏑馬は三度あり、そのあと、6頭の馬で駆け比べを行う。けっこう種類がばらばらで、足の太い馬が意外に速かったりしておもしろい。これまた、ピストルや号令があるわけではなく、太鼓のどろどろを合図にわらわらと駆け出すので、ルールに則った競争ではなく、駆け抜ける速さを見比べるという感じ。
期待を存分に高めてクライマックスを迎えるような祭りではない。むしろ、談笑に興じている間にさっと馬が駆け抜け、意識が出し抜かれるような祭りである。
おもしろくはあったが、なにしろずっと雨で、すっかり体が冷え切った。帰りにグループホームに寄ってお茶をいただいてようやく人心地ついた気がした。
8号線沿いの極楽湯で体を温めて帰る。
今日は官舎の土をいじる日。
以前から、北向きの窓際の下が、なんとなく殺風景だと思っていたが、植物を根気よく育てるのが苦手で放っていた。が、お隣さんの北向きの窓際には、オーデコロンミントが繁茂していて、通るたびに良い匂いがする。それでなんだか、うらやましくなったのだ。
昨日紀伊国屋で買った「日陰でよかった」という本を読んでたら、日陰にもいろいろあることを知り、ちょっと考えが改まった。差し込むわずかな光、湿り気のマイクロな違いに注意すると、日陰は観察に足る豊かな場所らしい。
というわけで、朝飯を食ってから、まずは窓際にどんな草が生えているかを見る。
おもしろいことに、わずか一間ほどのスペースの中で、植生に違いが見られる。壁際は、コンクリートが水を吸うらしく、土が乾いており、芝の根がわずかに伸びている。壁から20cmほど離れると、幾分湿り気があり、そこにカタバミやイネ科の植物が生えている。
さらに、同じ壁際でも違いがある。ある部分では、壁の近くまでヨモギがびっしり繁茂しているが、別の部分はスカスカである。上を見上げると、ヨモギの生えているところは庇が浅く、より雨が降り込みやすくなっている。
なるほど。これはマイクロハビタットだ。
なにより、ヨモギがこれほど生えているとは思わなかった。ヨモギ餅がいくつ作れるだろう。さっそくごっそり取る。今日はヨモギ風呂でも沸かそう。
ざっといま生えている草をスケッチしてから、いよいよ作業にとりかかる。ハーブのようなちょっとした草なら30cm掘ればいいみたいなので、壁際をがしがしやる。お隣りさんが通りかかって「あ、やってますねー」。このお隣さんのことを、ゆうこさんは「緑の手を持つ人」と呼んでいる。彼女の手にかかると、庭先がみるみる植物で覆われていくからである。その「緑の手を持つ人」にさっそくアドバイスを仰ぐ。掘った土は赤土がわりにすればよい。簡単なハーブであればこのあたりはアルカリ土をさほど入れなくとも育つ。などなど。ツタやミントも分けていただけることに。
ゆうこさんと近所のアヤハディオへ。行き帰りの道、ご近所の壁際が気になってくる。あそこの壁はフィスカを這わせている。あそこの斑入りのツタはいいなー。あそこのプラントはよく育ってるなー。などなど。
ハーブを育てる本を片手に、腐葉土、牛肥、そしてハーブをいくつか買う。帰ってから、さっき掘った穴に腐葉土と牛肥をざばざばと入れ、掘り返した土とスコップで混ぜる。「あ、いい感じの土になってきましたねー」とお隣さん。お子さんも出てきて「あ、ここもうちょっとヨモギとったらええで」「ここもうちょっと水入れて混ぜるとええわ」とグッドアドバイス。彼らは日頃、このあたりで虫や草をとって遊んでいるので、マイクロハビタットを体感している。しかも、お母さんの植え込みの手伝いをしているので、私たちよりもずっと庭仕事に通じているのである。
私たちの手つきを見かねたのか、お隣さんがジョウロと移植ごてを持ってきた。ここはもっとざあっと水をやるといいですねー。このツタは思い切って葉っぱをとっちゃって、ちょっと見た目は貧相だけどこのほうが育つので。といった具合に、お隣さんの手にかかると、どんどん窓際が、それっぽくなっていく。育てるための論理と方向があって、それが目に見える形で現れる。
結局、休日の午前、すっかり手伝っていただいた。壁際には、お隣さんから分けていただいたツタ。少し離して、ローズマリー(這性)、クリーピングタイム、ペパーミント、オーデコロンミント(これまたお裾分け)。
午後からは雨。「庭」に出て、雨のあたるところを確認する(昨日までは「庭」とは思ってなかったが、耕した以上はもはや「庭」である)。やはり、ヨモギエリアはよく雨があたっていた。この養分を吸っていたのだな。ついでに物置の影や垣根のあたりも回ってみる。土の入り具合、陽当たり、そこにどんな低木や高木が生えているかによって、ずいぶん生えている草が違う。壁と物置の間、人が蟹這いでようやく入れそうな影に、みごとなシダが生えている。雨水がどっさり落ちるのだろう。
そのあとも、何度か庭先に出る。そんなにすぐに伸びるはずないのに。
いつもの店で散髪。鏡の中に清志郎のニュース。
以前カフェ工船ですてきなカエルのハンコをくれた田中美穂さんの店に行ったことがなかったのを思い出し、ぶらっと立ち寄る。田中美穂植物店コーヒショップ、という名前。
店の名の通り、植物を売っているのだが、その大きさは、見たところわずか二間ほど。その中にさまざまな植物の小宇宙が出来上がっている。
もっとも、この小宇宙にはすきまがある。片隅のストゥールに腰掛けさせていただく。植物にヤママユガの繭の如く割り込ませていただく、という感じ。さらに別のすきまで美穂さんが珈琲を淹れてくれる。さらにさらに別のすきまに彼女の書斎兼作業場があり、消しゴム版画を見せてもらう。オトシブミの版画がすばらしく、つい手持ちの封筒に捺してもらう。
植物店店主なのに、美穂さんは虫こぶやハモグリバエの描いた地図がお好きらしい。表のサンショウはアゲハ用だそうだ。開け放たれた扉や窓の外をハチやアブが通り過ぎていく。ぼくがいる間に何人かが道を尋ねていった。いきものの通り道のような植物店。外で飲んでるみたいな珈琲。
AMラジオみたいな音でスカが聞こえてくるので不思議に思ったら、書斎の本の奥のほうにプレーヤーがあるんだそうだ。
ここに来たことを覚えておこうと思って、月と星が描いてある小さな器を買う。
大阪へ。コモンズカフェでぶんかちゃんパーティー。入口に、ぶんかちゃんの笑う大きな写真。
森山ふとしソロ。最後にファミコンの「Mother」の曲を音色を変えながら単音で奏でていくの、よかったなあ。とつとつとしたところも。
ブラジル。西崎さんの詩と曲は、聞くたびにかなわないなあと思う。まったくもう。
オーロラ。じつはオーロラをずいぶん聞いてなかったのだが、川端さんの歌が、以前よりずっとストレートで確かになっていて、いいなと思った。猫あるきは名曲だ。
梅田くんの、「実験」音楽。実験的な音楽、というより、科学実験の過程でなる音楽。いっけん乱雑に並んだジャンクの数々が、次々実験道具へと駆り出され、みるみるテーブル上は理科教室に・・・と言いたいところだが、ところどころうまく行かないところもあって、その停滞ぶりがまた音楽になっている。この感じ、見ないとわかりようがない。
その実験をずっと食い入るように見てる男の子が一人。
奥成さんの作るパンは、もっちりしていて、噛めば噛むほど味が出る。これ、トーストするとさらに旨そう。おみやげにいただいた。
梅田でゆうこさんとカレーを食べて帰る。
実家へ。一族で食事。お祝いをもらう。
夜、京都へ。久しぶりにカフェ工船。夜半前、ザンパノに行ったらラヴラヴスパークや寺川さんが居て、まるで三日前の結婚式みたい。そこに、下村ようこちゃんから電話が入る。清志郎が亡くなったとのこと。ずっとRCがかかる。
頭の中の声が清志郎になってしょうがない。20才の頃、トランジスタ・ラジオを毎日聞いて、毎日頭の中で清志郎の声が鳴ってたことがあった。こんなに甘く、油断ならないほど近い声はない。
オペラ原稿。フィガロの結婚の話。夕方、実家へ。