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2001年3月a

20010315
 一冊分の最終校正がどんと来る。がーっと見てがーっとメール。

 そうそう、ドラクエVII、しこしこやってます。やってますが、んー、なんかいまひとつのめりこめんなあ。語りが多すぎるんだな。ことばの説明が過ぎて、こちらの想像がはためかない。ひらがなでことば足らず、ってとこがドラクエの味だったと思うんだが。ことば足りて伝説を忘れる。
 あと、3D表現はいらないと思った。だって、見かけは3Dでも移動の自由度は2Dだもん。64マリオやゼルダを体験してしまった者にとって、ドラクエVIIの3D空間は、ただの3Dプレゼンテーション空間であって、3D移動空間じゃない。
 ドラクエが3D化によって得たものは、3D移動ではなく遮蔽である。手前の壁や階段に隠れているものが視点を変えると見える、という仕掛けがそれ。でも、主人公の視線と世界の角度は連動していないので、いちいち、あやしいと思ったところで振り向かないといけない。つまり、歩いていると思わぬものが見つかるという生態心理学的な驚きがない。ここはあやしいから振り向くという意識的な心の動きで謎を解かなくてはならない。
 音楽もなあ。ぼくはいわゆるMIDI音源によるカラオケってのが苦手でしょうがないんだけど、それは音色に対する考えが安易だから。つまり、生のラッパよりMIDIのラッパの方がいいのだ!っていうフレージングじゃないのね。ほんとは生のラッパでファンファーレなんだけど、MIDIのラッパで我慢しとこう、とか、そういう貧乏根性がぷんぷん臭ってくる音楽って、なんかヤ。
 ・・・とかなんとか言いつつも、現在、フォーリッシュ・フォロッド城。だいたい一日1−2時間ペース。

20010314
 ずっと原稿。花袋論をようやく脱稿。この四日、論理を飛躍する瞬間が何度か来た。科学論文では隠されるそのような瞬間をあえて分かる形で書く。でなければ書いている意味がない。

 ここのところ、岩崎宏美の「センチメンタル」が頭の中で流れている。この曲のアレンジには無駄がまるでない。ハイハットはここでしか鳴りえないというところで鳴っているし、ギターはこのフレーズしかありえないというフレーズを弾いている。歌詞には男と女の出会いの描写が全くない。ただ「予期せぬこと」によって二人が結びつけられたことがわかるだけだ。あとは多幸感で頭がおかしくなってしまったような語り手が服を着ては幸せ、靴をはいては幸せ、髪に見とれては幸せ。そんな幸せぶりを表わすタイトルが「センチメンタル」。どうかしてる。
 

20010313
午前原稿。午後ずっと会議。

20010312
 午前中試験監督。午後年度末決済など。原稿。啄木論の章をようやく書き直す。

20010311
 原稿。とりあえずさらに2章分。難所の啄木論をいかに越えるかが課題。息切れするようなモデルじゃ飛び下りかねき。

20010310
 朝7時ごろ眼が覚めて朝風呂。原稿少し。午前中、今後の研究計画打ち合わせ。「ルール」概念、「リソース」概念についてひとしきり話が出る。ルールがそのつどリアルタイムで更新される、そのon going感を何とか言い当てたい。たとえば人と人がうまくすれちがうとき、たぶんすれちがいの「一瞬」ですべてが決まっているのではなく、そこをミクロに眺めると、さまざまなスリップやスリップの可能性が多発しながら、右なら右、左なら左に身体をかわすという方向に落ち着いていくのだろうと思う。そうしたさまざまな可能性が生成し収斂していく過程を記述していくことが、おそらく「ルール」なのではないか。

 「リソース」ということばを使うと、「使う」とか「機能」ということばがそこにゆるやかにまとわりついてくる。おそらく人間は、あらかじめ機能や使い方がはっきりしているものをリソースとして使うのではない。ことばやジェスチャーによってリソースが顕在化するとき、その機能もまた同時に顕在化する。リソースの輪郭も機能も、事後的に生成されることに注意したい。ことばやジェスチャー自体もまたリソースである。明らかにされた輪郭や機能じたいが、複数の可能性を持っていて、どの輪郭、どの機能にまとまるかはflexibleだ。このようなリソース化に継ぐリソース化を可能にしている「ルール」は何か。

 ・・・てなことをもう少しうまく言い当てることばはないか。新幹線でレンコンコロッケ食いつつ米原へ。岡山からは京都へ行こうが米原へ行こうが新幹線代は同じ。

20010309
 コミュニケーションの自然誌の合宿。新幹線で岡山、児島へ。宿は鷲羽山のそばにある。串田さんが「風呂みたいやなあ」。まったく、船の大きさはちょうど湯船に浮かべたおもちゃの船のごとし。それが絶妙な緩い速さで移動していく。実際は速いのだろうが、遠目には、しずしずとすべっていくようなのだ。あちこち小島が海に浮いているので、水面の面積が狭く、岩風呂のたたきにでもいる感じ。
 午後から各自最近の研究発表。久しぶりに定延さんの話。各エピソードのあまりの事件性(コンテクストがありそうでありそうにない絶妙な感じ)。天才やなあ。日本語にはカテゴリ判断と程度判断の二つの表現があって、それが「「りきみ」のプロソディとなって表われているのではないか、という話。それを聞いて感情心理学の情動二要因(感情価 valence と 覚醒度 arousal)のことを考える。覚醒度によって頭の中にプロソディのプランが立ちながら、感情価を表わすべく単語を検索するような発話、というのはどうか。
 あるいは、記述統計の基礎的な概念として、分布における位置(たとえば平均)とバラツキ(たとえば分散)があるが、ああいう考え方というのは、感情価と覚醒度に当たるのでは、などと妄想。
 いつもなら夜中過ぎまで話に加わるのだが、疲れ気味なのか11時ごろには沈没。

20010308
 昼からNTTでReevesの講演会。たくさん人に会った。会う人ごとに、「あれ、2月発刊じゃなかったんですか?」と聞かれ恐縮する。井浦さんに最終稿渡し。

20010307
 喫茶店で原稿。外に出るとみぞれに強風。風邪がぶり返しそうなイヤな天候の中、この世を呪いながら自転車を飛ばす。校正と原稿。

20010306
 朝、研究室に本棚を搬入してもらう。卒論生に手伝ってもらって部屋の大掃除。段ボールを大量処分する。必要なのは捨てる技術より捨てる気合い。病み上がりに気合いは辛い。が、何人かでやってるとなんとかなるもんで、廊下に出たゴミの量は部屋の体積分くらいありそうだった。おかげで夕方にはずいぶん片づいた。
 かえって校正。さて、明後日までに何とかなるかしらん。

20010305
 一晩寝たせいか熱は幾分下がった。相方に熱さまシートをかってきてもらい、蒲団の中で「いずみたく作品集」を聞く。好ききらいを越えて自分の身体に抜きがたく入っているいずみたくの労音的メロディーを知る。そう、いずみたくを聞くと、妙にTVがモノクロのがさがさのきらきらになり、目の前でくるくるかっぽんかっぽんぽんと藤城清治の影絵がまわり出す気配がする。赤や青のセロファンをモノクロ画面で見るような幻の色が、今陽子や坂本九の声を通して浮かび上がる。だいたい、「ピンキー」とキラーズって白黒の衣装だったじゃないか。

 解説を読んで初めて知ったのだけど、「夜明けのスキャット」「天使のスキャット」「見上げてごらん夜の星を」って、編曲は渋谷毅だったんだな。「夜明けのスキャット」を初めて聞いたとき、子供心にすごく気持ちいい一方でひりひりするようなヤバい世界に触れたような気がしたものだけど、あれがぼくの渋谷毅初体験だったわけだ。今聞いてもギターの硬いアルペジオとともに粛々と狂っていく気分。熱のせいかしら。「天使のスキャット」の弦の高音と由紀さおりの高音が重なるあたり、この世の音とは思えない。
 その他、2枚めに収められた幾多のCM(チョッコレイトの「チョ」!)やワールド・オブ・エレガンスのテーマなど、聞きどころ満載。

 いずみたくを聞いているうちに、7度6分あった熱はついに平熱に下がった。起きて校正。

20010304
 朝からスターバックスで原稿(こればっかり)。しかし日曜で人が多すぎるので、いったん宿に引き返してフィニッシュを決め、とりあえず約束の三章分送付。
 大荒れの天気との予想通り、外は雨が降り出し真っ暗。気分転換に東洋館へ。東洋館は元フランス座で、今は浅草演芸ホールの姉妹館として漫才や落語をかけている。
 入るといきなり寒空はだかが始めたところだった。客が少ないな。露骨なアクビをする老人もいるが、批評的アクビなのか単にそういう人なのか分からない。真空ギターは本当に「真空」だった。今日の天気のせいか会場の雰囲気は微妙に殺伐としていて、おそらく彼独特のスベリ具合になるはずのところが本気でスベッていてやりにくそうだった。それでも「東京タワーの歌」にはその殺伐さをぶち抜く脱力の立ち方。東京タワーにのぼっタワー。そうなんだ、塔はヌケて立つ。NHKの堀尾アナにちょっと似たマイウェイ昌彦の踊るときの靴下たのし。方言つかって癒し系という、ある意味漫談の王道ともいうべきたんごしんの長丁場。アンクルベイビーの芸の達者さにうならされる。あの短身で足を上げながら玩具のような動き。いや、このお二人はほんまにうまいわ。宮城けんじによるWけんじの思い出話で中入り。小林あずま、殺伐とした気分をさらに殺伐とさせる猫の死骸だの画鋲だのとうそ寒いネタの応酬に客は引きまくるが、最後に本人も半ばマジギレ状態で繰り出した自殺未遂話になぜか笑いと「がんばれよ」の声が出る演芸の不思議。「いまごろおそいんじゃ」と引っ込む小林あずま。こうた・ふくた、電光石火の左肩スーツ噛み。よく痕がつかないな。三太・良太の浪曲漫才。安心してうまい芸に浸れるヨロコビ。和才・洋才、ごめんなさい。ひでや・やすこ、「枯葉よー」を「アロハヨー」と間違えたのはマジなのか、やすこの笑いが止まらなくなり、許さないよで許ざざるをえないひでやの商売ぶり、夫婦ぶり。トリはWエース、本日の客席38人、と言うので目で追ったらほんとにそんなもんだった。これだけ出演者がいて入場料2500円で38人なら、ギャラが出るか出ないかくらいの入りだろう。おもしろうてやがてかなしき、どころじゃない。見てるそばから天気と客足のわびしさが芸にはねかえっているのがわかる。にもかかわらず、不思議と見ていて苦痛ではない。奇跡のように持ち時間を生き延びていく演芸にやられている。なにがかなしゅうておもろし。

 外に出ると晴れ。しかしうそ寒い。カレー食って地下鉄乗って新幹線に乗ると吐き気と寒気がする。ようよう家にたどりついたらえらい熱だった。演芸知恵熱? 布団を山ほどかぶって寝る。

20010303
 朝、オードリーを見てからスターバックスで原稿。ときわで昼定食。
 国会図書館へ。震災予防調査会のバックナンバーを繰るが、トリッキーな目録と分冊のおかげで空振り続き、しかも書き込み方で係の人に小言を言われて平謝り。だってOPACにどう分冊になってるかちゃんと書いてないんだもん。悔しいので、借りた分を拾い読みしながら受取待ち。おかげで少しは明治の震災研究に通じることができた。
 NHKで4月から新装開店するインパクのミーティング。デザインは大阪3D協会以来のつきあいの永原さん。ひな祭り弁当食ってあれこれCGIのアイディア出し。タクシーで浅草に帰宅。渋谷−浅草間って料金的には彦根−米原間だな。

20010302
 朝、オードリーを見てからスターバックスで原稿。より道で昼飯。国会図書館。金寿司で紙七軒の舞妓さんに会う。オードリーの「いわんといて」のアクセントはあれでいいのか質問。レコード屋で買いそこねていた筒見京平トラックス。さらに原稿。何年かぶりに太田裕美を聞きながら眠る。

20010301
 浅草へ。今回は浅草生まれ浅草育ちの廣野さんに紹介してもらい、大正生まれの浅草の方に話を伺うことができた。お二人とも八十九才なのだが、尋常小学校時代の記憶をしっかりと話される。それぞれ1時間から1時間半ほどお話を伺ったが、まだまだいくらでも伺うことがありそうだった。
 聞き取り調査で楽しいのは、相手が何を言うかではなくて、何から何を思い出すかということ。相手の話がこちらが知っている話かどうかが問題なのではなく、それが浅草のどんな道筋を、誰との行為をたどり、どこを経由するかが聞きどころだ。
 浅草の鯉の話を差し向けると、ああと顔がほころんで、ひょうたん池の鯉をつかまえて新聞紙にくるんで持ち帰った話。鯉をたらいに放して二時間ほど経って見ると、水が真っ青に濁っていたという。

 廣野さんとアリゾナで夕食。大学勤めの苦労のことなど。
 帰ってから、原稿。

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Beach diary