2008年4-6月
朝日新聞be(日曜版)「心体観測」に「漏れる動作」を連載。
ハンドメイド豆本(ハガキの半分の大きさ)、管の歌は、ガケ書房@京都、Lilmag storeにて。
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月刊言語7月号「空間参照枠は会話の中でいかに構成されるか」
ライブのお知らせ
6/20(金)@urbanguild かえるさん+α
学内研究会で発表。ここ数年やってきたジェスチャーと表情の研究について、ざっと話す。頭を整理するのにいい機会だった。
京都から菅原和孝さんが来てたので、霊研つながりの上野有理さんもまじえて飲む。彦根で飲むのは久しぶり。
京都で身振り研究会。城さんの相互指さしのデータを使ったジェスチャーセッション風の会。以前はスカイプを使って、「なかなか映像がこないよー」などと言っていたのが、いまや指先の微細な映像データについてテレビ会議を使って議論できるようになったのだから、隔世の感がある。
指さしはそのindex性も含めて見所が多い。
大阪で会話分析研究会。練習問題は串田さん提供。相手の発語の一部を繰り返すパターンについて。聞き手は、キーワードを他者開始修復の形式によって、拾い上げる傾向がある。平本くんの持ってきたデータが、ジェスチャーから見ても会話から見てもじつにおもしろい。長堀橋に移動してちょっと飲んで帰る。
京都へ。ジェスチャーデータセッション。坊農さんのデータをサカナに数時間。坊農さんがUCLAから帰ってきてから、関西メンバーでジェスチャーデータを見る機会が本当に多くなってきた。ちょっと前までは考えられなかったことだ。
ようやく彦根に戻る。が、明日からさらに研究会だ。
宿で本日のレクチャー準備。長年懸案だった、トムとジェリーのTV版、映画版を比較するための準備。映画版の「Heavenly Puss」「Yankee Doodle Mouse」とTV版「Shutter Bugged Cat(必殺ネズミ捕り)」のシーンを合わせて、音楽をマッシュアップするというもの。この記事、書いたのもう十年前だなあ。十年を経て解決するとは思わなかった。
銀座で吉田直子さん・・・いや、「トロ」から取材を受ける。浅草十二階とエレベーターについていろいろしゃべったのニャ〜。
映画美学校で、カートゥーン音楽講義。昨日とは内容を変えて、今日はトムとジェリーの「Heavenly Puss」を詳細に分析する。この作品は、ほかのトムとジェリーに比べるとかなり劇的な作りになっていて、ジェリーをいじめていたトムが、事故で天国に召されてしまうというショッキングな筋書きになっている。音楽の聞き所は、ジェリーをいたぶるトムをトロンボーンが5度で「レミファド〜」と邪悪なテーマで表している点。ジェリーを追い詰めかけた刹那、階段からピアノがトムめがけて落ちてきて、トムに激突!と相成るのだが、ここで、邪悪なトロンボーンのフレーズは、トムからピアノへと引き渡されるのである。音楽による因果応報。
朝、準備したマッシュアップを流して、この因果応報音楽が、テレビ版ではいかに処理されているかを比較する。頭の中にあっただけのときは、自分でもどこまで根拠があるのか確信がなかったが、映像を見ながら検証していくと、映画版とテレビ版ではあまりにクリアな差があったので驚く。
講義終了後、近くの居酒屋で岸野さん、受講生のみなさんと歓談。
岸野雄一さんにお招きいただき東京芸大のアニメーション学科で講義。芸大では今年からアニメーション学科が新設されたそうで、「ニャッキ!」の伊藤有壱さんも来られていた。
スコット・ブラッドリーの音楽とアニメーションの動作との関係について話す。無音でアニメーションを流してから、つけたい音楽をイメージしてもらい、簡単な図形で描いてもらう、というやりとり。映像に合わせて口三味線でイメージを歌ってもらったのだが、こうした即席のやりとりでも、その人がどんな音楽をつけたいかが意外にわかる。
使ったのは、ドルーピーの「Northwest Hounding dog」とトム&ジェリーの「台所戦争」。以前 Cartoon Music!でも取り上げたものだが、これらのカートゥーンは何度見ても音楽のタイミングが絶妙で飽きない。
講義が終わってから岸野さんと伊勢佐木町へ。古本屋をひやかしつつ、茶店でスパークス話。
学外講義と研究会週間。忙しいぞ。
まずは東京経済大へ。川浦康至さんのゼミにお招きいただき、かつての東京と絵はがきの話。川浦ゼミでは毎年異なるテーマを設定して学生さんが研究している。昨年は、日常の中の「矢印」、今年は、外国から見た日本。いまは英語版の日本ガイドを翻訳しながらゼミを進めているんだそうだ。
院生のお二人から、ピアキャストなど最近のネットの動向についてあれこれうかがう。
今年は一回生向けの「人間探求学」という実習形式の授業を担当している。テーマは、「お年寄りの話を聞こう」。大学の近所にお住まいの70才以上の方々のお話を聞くという、いたって簡単な目標。
が、そのためには、大学の近所がいかなる場所かを知っていたほうがよい。県立大の学生は、最寄り駅から大学までバスや自転車で通ってくるのだが、寄り道なしでひたすら往復している人が多い。大学のまわりをぶらぶらしたことがあるか、と聞くとゼロ。
広々とした田んぼが広がっているエリアなので、京都や東京のまちなかのように、ちょっと歩くと店があってあちこち冷やかして、というわけにはいかない。が、自転車に乗っているならば、少しは寄り道をしている人がいても良さそうなものだ。
とりあえず、30m以上ある大学塔に一緒にのぼって、あたりの地理を見てもらい、あとで、把握できた地理をできるだけ詳しく地図に描いてもらう。やはりディティールが空白のエリアが多い。さて来週からどうするかな。
夜、今週やるレクチャーの準備。
実家の法事。家族で会食したあと、一同が我が部屋に乗り込んでくる。書斎占拠。一族話いろいろ。本籍である広島について、あれこれ考える時期が来つつあるのかもしれない。
名古屋で「ことば・空間・身体」の執筆メンバーによる研究会。やはり本で読むより直接話をうかがうほうがあれこれ考える。鍋島さんの理想と現実のメタファー論を聞きながら、この件について格好のデータが手元にあったことに気づく。体調はいまひとつなので酒なしでおつきあい。篠原さんとなぜか伊藤比呂美の話に。
午前中、あいかわらず39度。そしてあいかわらず汗。
午後、38度台まで下がったので、ちょっとギターを弾きながら歌ってみる。あ、いけないこともないか。というわけで、夕方、京都へ。本日は、urbanguildでアコースティックのショウケースライブ。
開店直前のurbanguildで、キタさんとリハ。「とんかつレストラン」はまがまがしい曲になってきた。
本当はトリの予定だったが、ジローさんのはからいで順番を繰り上げていただく。
寝汗を山ほどかく。さすがにこれで熱が引いただろうと思って測ったら39度。あらら。というわけで、電話をかけて本日すべて休講にしていただく。キタさんとの二度目の練習もキャンセル。
蒲団のなかでもうおもしろいほど汗をかく。
会議。午後、にめ研より高橋さんと浅井さん来訪。e-learningについてあれこれレクチャーをしていただく。やはりどこまで導入するかは、サーバの運営と管理にどこまで予算をさけるか、というところにあるような気がする(あとは、教員のボランティアで乗り切るという手もあるが、サーバメンテ経験のある自分としては、ちょっと負担が重いなと思う)。難しいところだ。
どうもふらふらするので帰って熱を測ったら38.5度。あらら。
講義に会議。夕方、敦賀へ。喜多村さんちで20日のライブのための音合わせ。今日は曲の構成を決めたという感じ。これから二日で練り直してもう一度練習することに。野菜とツバスとイカに舌鼓。
帰りの電車が事故で遅れ、米原駅ホームでやけに待たされる。6月とはいえ、寒風が吹きえらく寒い。ちょっと風邪をひいたかも。
朝、実習。久しぶりにエンピツ塔に上って、世界を確認する。
午後、京都でコミュニケーションの自然誌。城さんの発表。ちょっと本人がデータセッション風のプレゼンをしていたので、もっとデータを見せながら自分の視点を明らかにするよう教育的指導。
囀で打ち上げ。いろいろ有益な議論が出たはずなのだがすべて忘れた(例によって)。
大山崎美術館「ジェスチャーを愛でる」二日目。今日も、結局パソコンは使わず、自らの身振り手振りだけでお話する。PCを使わないほうがかえってリアリティが出るところもあり。
夜、谷さんの歓迎会。明日もあるので・・・と思いながら夜半近くまで飲む。
アサヒビール大山崎美術館で「ジェスチャーを愛でる」その一。最初の一時間は、ほとんど動物行動学話で、なかなかジェスチャーに入らなかった。まあこれはこれでいいか(と演者がいってれば世話ないが)。
青山さん、万里子ちゃんと大山崎の近くのレストランで夕餉。カスクとおつまみうまし。
どうも旭川以来、喉が枯れてしまっている。
やはりシンポジウムの夜カラオケで「恋のマヒアヒ」を歌い上げすぎたのであろうか。
なぜいまごろ「恋のマヒアヒ」だったかといえば、フィリップの奥さんの出自のせいだ。
モルドヴァ生まれの彼女は、モスクワの大学にいた頃に折しもソ連崩壊に会い、突如大学はソ連ではなくロシアのものとなり、外国人留学生状態となった。それで、チャウシェスク政権崩壊後のルーマニアの大学に2年通ったのち(モルドヴァはルーマニアのすぐお隣である)、USAにわたって、テキサスっ子のフィリップと知り合ったのだという。
そんなわけで、ルーマニアポップ(とは知らなかったのだが)「恋のマヒアヒ」には、正しく唱和できる人なのだった。これはいやが上にも盛り上がらざるをえない。恰幅のいい彼女の声量に対抗すべく、普段にない裏声を張り上げたのだが、これの後遺症がけっこう長引いている。
喉が痛いのも困ったものだが、残念なのは、彼女に、あの歌の歌詞のほんとうの意味を聞きそびれたことだ。
今日の4回生ゼミは、会話中の姿勢をひたすらブラウズする、という内容だった。テーブルにつく手や腕のタイミングはおもしろい。
飛行機が出るのは15:55。さて、午前中何をするか。
というわけで、もちろん、旭山動物園に行く。
旭山動物園がどうやらすごいらしいというのは噂には聞いていたが、例によってほとんど下調べをしてこなかった。というより、そもそも旭川に来るまで、近所に旭山動物園があることすら知らなかった。空港で観光パンフレットを見ていたら、動物園の案内があって、それで気づいたのだ。
旭川駅から直通バスで30分ほどで着く。
最初のととり村で、ここはいい動物園だなと思った。フラミンゴやオオハクチョウ、マガモ、いる鳥はほかの動物園とさほどかわりない。しかし、表示板の内容に目がひかれる。各鳥がどのような家族構成で、これからどんな計画で繁殖させていくかがコンパクトに書かれている。飼育する人の考えがさりげなく見える内容だ。おそらく毎年、あるいは年に何度か表示を書き換えるのだろう。
途中まで、ほとんど気が付かなかったのだが、ふとエゾゼミの声を聞きながら空を見上げたら、目立たぬ網が張ってあった。それはそうだ。網がなければ飛んでいってしまうだろう。しかし、その網に、なぜか長い間気づかなかった。最初のフラミンゴに気を取られたからだろうか。ミスダイレクションにでもあったようだ。
ペンギン館は、残念ながら水中で泳いでいる数は少なかったものの、水槽の各所にトンネルやのぞき場所を作ってあり、見所が多い。ちょうど外では「もぐもぐタイム」と呼ばれる餌やりが始まっており、飼育員が一羽一羽に魚を呑み込ませる様子を、すぐ手が届くところで見ることができる。魚を呑み込ませるたびに、飼育員の方がチェックシートにやった魚の数を書いている。見ているうちに自然と、ペンギン、というよりも、その一羽一羽の個性に目が行くようになる。
この「もぐもぐタイム」は、園内のあちこちで時間がうまくずらされていて、行く先々で、餌を食べるために移動する動物を見ることができる。寝そべっていたホッキョクグマが、餌が投げ込まれるとざぶんと水に潜る。大きな肉球がガラスにあたると、それを目の前で見ていた男の子が思わず手をあてる。こういう特別な経験をすると忘れられないだろうなと思う。
レッサーパンダの檻からは、通りを横切って中空に木の橋が渡してあり、そこから、縞模様のしっぽがぶら下がっている。橋には特に囲いがない。この高さなら逃げないということなのだろう。町を見下ろす坂道を横切るようにこの中空の橋はかかっていて、振り返ると、遠い町の手前にしっぽはぶらさがっており、真下を人が通っていく。どこか浮世離れした感じがする。
オランウータンの檻からは、やはり空中高く橋が渡されていて、離れた円形の餌場から伸びる高い柱へと繋がっている。餌場は深く掘られており、上から檻なしで、餌を取りに来たオランウータンを見下ろすことができる。
それも、ただそこにいるところを見るのではなく、折から餌場への移動、四本の指と離れた親指で手がかりをつかむ様子や、長い腕と短い足が繰り出されていくところを、間近に見ることができる。
キリンの頭の高さに近づくことができるさりげない工夫や、チンパンジー館のあちこちにつけられた耐久ガラス製ののぞき窓(というよりは「のぞかれ窓」)など、あちこちうならされる。山際の、勾配のある土地柄をうまく利用した館が多く、同じ動物を違う高さから眺めることができる。もちろん、生き物だから、いつも特定の場所にいるわけではない。が、あちこちに動物の好みそうな場所が仕掛けられてるので、館内を巡っていると思わぬところで接近することができる。
行動と生態が、障壁のなさや近さへと変換されている。見物しながら、障壁のなさに驚き、その理由を考えたくなる。すると、その動物の行動生態に思い至る。
構造がよくできているだけではない。どの動物の表示もじつに丁寧に更新されている。他の動物園との動物のやりとりや、その理由も明かされる。動物園を作る仕組みの一端がわかり、一頭一頭について考えることが動物園を支えることに直結しているのだということが実感される。
相手のことをよく考えると、それが適切な距離空間となって目の前に表れる。そういうことが、自分の勤め先でもできないかなと思う。
人工知能学会前日の国際ワークショップ。人工知能学会ということで、光学的なアプローチが多かったが、メインの谷先生とP. Glenn氏は、ともに会話分析的な考察で、榎本さん、岡本さんの、聴き手の行動を意識した発表もあり、おもしろいバランスの会だった。
「Preliminary notes on the sequential organization of smile and laughter」というタイトルでお話する。Glenn氏に「このタイトル、Jeffersonのあの論文から来てるんでしょ。いいね。」と言われる。じつは、Jeffersonの笑いの論文に「Preliminary notes on」で始まるのがあって、それをもじったのだが、「Laughter in interaction」の著者にはすぐにピンと来たらしい。
哄笑が起こるときには笑いの「認知点」があるのに、微笑みにはそれがない、という話をしたのだが、谷先生が、そもそも笑いに明確な笑いの原因があらかじめ呈示されているのか、という発表をされたので、その点を考え直した。
あとで、谷先生と話すうちにすごく明快な仮説を思いついた。論文に反映することにしよう。
翌日の笑いシンポジウムのために旭川へ。夕方に着き、宿の付近を散策。駅前からのびる買い物通りのサウンドスケープがほとんどブレードランナー。山頭火本店を探そうとたまたま訪れた三条あたりの喫茶店群がいい感じ。結局、山頭火は駅前に移転しており、いったんそこまで戻ってラーメンを食し、再び三条の「ブラジル」へ。ブレンドを頼んだら、カレールーのような銀皿に生クリームがどんとでてきて驚く。地元誌の「郷土誌あさひかわ」楽し。安部公房の記事が毎号のように載っていて、彼の意外な一面を知る。挿絵が古風ながら洒脱でいいなと思った。村山陽一という画家が、挿絵も題字も担当しているらしい。
夜、谷先生、P.グレン夫妻らと落ち合い、よた話。
昨日いただいてきた蓄音機は「Penguin」製で、なかなかいい鳴り。しかし、あまりに針圧が高いので、レコードをかけようとすると、みるみる回転数が落ちる。基本的にレコードは手元の針圧の低い蓄音機でかけて、こちらは骨董品として愛でるしかなさそうだ。
北海道の準備。
秋葉原で通り魔事件。割り切れず、やりきれない。mixiにあれこれと書くものの、整理がつかない。
彦根の旧家に伺う。蔵を整理されるというので、いろいろ中のものを引き取らせていただいた。
いらしていた縁者の女性が二人、家に残った古道具をひとつひとつ手にとっては「どうしよう」「いらないわよ」と分類していかれる。なんだか原節子と杉村春子みたいで楽しい。
一人の方が、電車の中で「絵はがきの時代」を読んでくださっていた。
「絵はがきの時代」にはルソーの「新エロイーズ」の話が出てくる。その方はなんでもルソーのファンだそうで、ジュネーヴにルソーの生家を訪ねたときのことを話して下さった。
ジュネーヴでは意外とルソーのことは知られていなくて、生家のことをたずねてもなかなか行き当たらなかったそうだ。ようやく探し当てると、家の前に小さなルソーの看板がかけてあり、中で、編み物をしている男の人がいた。その姿を見たとたん、編み物が好きだったルソーのことが、一気に等身大で迫ってきたのだという。
いい話だ。
開学記念日で久しぶりの休み。部屋を整理する。
ゼミ三本と講義の日。ゼミの最中に、波形ソフトをカットアンドペーストして、沈黙がある場合とない場合で印象がいかに劇的に変わるかを実演する、という簡単な方法を思いつく。これを使うと、笑いや間投詞を貼り付けたり抜くことで簡単にその効果をイメージできる。
彦根に戻る。タワレコで買ったストラヴィンスキ自作自薦22枚ボックス。饒舌な作曲家のリズム。うんぱんぱんぱんうんぱうんぱ。
午前中の講義を終えて東京へ。北里義之「サウンドアナトミア」出版記念ライブ@新宿ピットイン。折しも千駄ヶ谷ループラインでは室内楽ライブが行われており、どちらに行くか悩ましいところだったのだが、たまたま先に知って予約をとってしまっていたという理由でピットインへ。
これはいろいろ考えさせられるライブだった。なんといっても取り合わせ。
ありそうでありえない以下の3セット。
巻上公一、中村としまる、大友良英、
巻上公一、Sachiko M
吉田アミ、吉増剛造、大友良英
mixi経由ではやりとりがあったものの、対面では初めての北里さんにご挨拶申し上げる。
考えたことは、随時、「ラジオ 沼」にて語る予定。
遅れに遅れていた原稿を入稿。午前四時。
来年の赤ちゃん学会のサーバ設定。実習三コマ。
一回生向けの実習では、数年前からやっている、リュミエール・エチュード(「工場の出口」を繰り返し見て映像の細部に注意を向けるエチュード)とドア開け行動の観察を組み合わせてみた。これがおもいがけなくおもしろい。
食堂のドアの近くで、人がドアをあけて出入りするのをずっと観察するのだが、これがまるで「工場の出口」なのだ。リュミエール工場から出てくる人々と、目の前の食堂から出てくる人々の姿とが重なる。学生から「わあ、リュミエールや!」という声があがる。
ただ、わらわらと出入りするだけで、なぜ人はかくもお互いに挨拶をかわし、道を譲り、進路を変え、お互いに関わってしまうのだろう。
撮影したドア開け行動のダイジェストをDVDに焼いて、それを各班に渡してディスカッションしてもらう。最初は操作方法でとまどう班が続出したが、しばらくして、スロー再生や逆再生のおもしろさがわかってくると、「あ、あの足の出し方が!」てな具合にちゃんとディスカッションが始まっていた。よかったよかった。
認知心理学会大会二日目。認知心理の発表をまとめて聞くのは久しぶりでいろいろ勉強しているという感じ。市川伸一さんの受賞講演は、「三囚人問題」再考。三囚人問題は、名著「考えることの科学」にも載っているのだが、何度考えても、頭が途中で理解を拒むようにつまずく。こういう問題を解こうとすると、自分の常識というのが、半ば生理的なまでに、理解の方向を決めていることに驚く。
いわゆる「バカの壁」と情動がどういう関係にあるのか、興味深いところだ。
一昨年だったか、De Martinoの論文(4 AUGUST 2006 VOL 313 SCIENCE pp. 600-601)で、合理的判断をするときに、じつは情動が効いているのだという話を読んだことがある。De Martinoの実験では、課題を判断をする人の脳でfMRIをとると、扁桃体は抑制されるのではなく、むしろ活性化する。で、その活性情報は扁桃体とは別の場所(前頭前野)で調節される。「合理的思考をするには情動を抑えるのではなくコントロールすることが肝心だ」という話なのだが、これ、情動と論理を考えるうえでヒントになるかもしれない。
老眼でスライドが見えにくいので、口頭発表では前の方に座る。ほとんど門外漢でわからないので、質問があがらないときには、謹んで質問させていただく。あの妙に的外れな質問をするオヤジは何者かと若い人には思われたかもしれない。