月別 | 見出し1999.1-6 |見出し1998.8-12



19991023
京都へ。クイック・ガレージに行くと珍しくえらい混雑。液晶パネルを交換。
そわかにちょっと寄って、うな丼食ってから、みなみ会館へ。まずはラス・メイヤー「ワイルド・パーティー」。もっと見せて!を逆落としにするつなぎの連続、説教くさいソフトロック、そして最後はどたばた+強引なハッピーエンドと、絶妙な破綻のバランス/バランスの破綻。ドラマー役のジタバタドラムがじつにキュート。
で、安田氏+大西氏+キングジョー氏のトークとともに悪男悪女特集。休憩中、大西さんがカバンから次々と取り出す元町収穫の濃いマンガの数々。宍倉ユキオの単行本なんて始めてみた。芳谷圭児「セッカーン」の話を振ったら、カバンから「カニバケツ」が。ドラエモンのポケットか?ドラエモンがオールナイトでポケットから物を出し続けたら世界はどうなるのか?
「銭ゲバ」広瀬健次郎の前半・浜口庫之助の終盤。冒頭テーマが何度もオルガンで変奏。緑魔子の裸の退色ぐあい。今後、金ピカ衣裳で泣く横山たかしを見るたびにこの映画を思い出すことになるズラ。
「悪人志願」ザ・閉ざされた言語空間に、崩れ落ちる岩肌の白さ。江藤淳はこの映画論を書いていないだろうか?完膚なきまでにことばを失った男をぶっすり射る女の目。選挙運動に余念のない父親vs迷走する青年津川雅彦という構図は、まんま「時代閉塞の状況」だが、炎加世子のまなざしの前では敵を国家と名づけることさえ安易でしかない。
「忘八武士道」沈む丹波と石井輝男の波打つ文字で、すでに眠っているような気がしたが、終盤の丹波妄想では明らかに寝たり起きたりしているのが自分でわかった。息継ぎが不自由な水中のように、いやな夢見だった。むかし、池島ルリ子のカバーガールぶりを食い入るように見てたはずなのだが、それどころではなかった。
「0課の女〜赤い手錠」ザ・閉ざされた言語空間2。基地闘争とヨコハマパンパンガールの記憶の扱いに思想の左右・有無とは独立なアメリカの影。で、女はますます無反応に。杉本美樹=名美説も納得の、蝋のような肉と分厚い唇。
で、外に出たらえらい天気のいい朝で東山の木影が透けて見えた。
菅原芳子から歌信。写真とともに返事。 千駄ヶ谷から電話、夕方までに三十五首。
19991022
CDの盤面デザイン。牛の惑星。
自転車の後輪がやはりどうもおかしい。結局自転車屋へ持っていく。スポークよけのゴムが切れていたとのこと。
モンティパイソン1-2。
貸本屋から風葉”天才”。 金田一君と散歩、花電車を見る。四丁目で活動寫眞。藪そば。
19991021
さらにジャケデザイン。
& Whiteのビデオ取り込み再検討。フォントをばんばんはずして、Firesoftの設定を一からやり直し。実験室に撮影から取り込みまで一貫作業ができるシステムが必要。この調子だとiMacDVを導入すれば何台かで取り込み>解析がスムーズに行くはず、だが、販売店が限られているので校費で買うのが面倒。
自転車の後輪の空気が抜けていた。あれま。
秋声の「凋落」読了。印象は灰色の重き圧迫。独歩の濤声繰り返して涙。
19991020
せっかく作った講義のレジュメを忘れた。鼻汁のせいか。

大学の窓のサイズを測りアヤハディオ(ホームセンター)でベニヤを切ってもらう。黒い布テープで窓に貼り込み、真ん中に小さな穴を開けるとカメラ・オブスキュラの出来上がり。ホワイトボードに映すと夕焼け雲のサーモンピンク色のすばらしいこと。今度は白い布を買ってこようかな。きっと朝がきれいなんじゃないか。しかし、これ、外から見ると立ち退きさせられた部屋みたいだろうな。

西村防衛政務次官の記事のインタヴュワーが大川興行総裁だということがなぜクローズアップ現代されない? 西村氏を地下鉄サリン事件の犯人にたとえたニュース・ステーション轡田氏の滅茶苦茶なコメント。暴言対失言。うかつをバネにする奴とうかつで墓穴を掘る奴の違い。

ここ数日ちょびっとずつやってる、12月発売予定のサンプリングCDのジャケデザイン。デジカメ画像を部分彩色して手彩色絵葉書風に。BGMにハイラマズ、きたろうの推薦文があまりにきまじめなのがおかしい。ビデオで「獄門島」を途中まで見て寝てしまう。
貸本屋で秋声の”凋落”、独歩の”濤声”。
19991019
朝からパンク修理。オランダパンク修理キットでね。そのせいか風邪気味。ゼミの間鼻紙を山ほど使う。
鼻汁を出しながらモンティ・パイソンDVD。オープニングもメニューもオマケも凝っている。英語字幕も表示可能でリージョンフリー。円高で輸入も楽々、好きな人ならまず買って損はない。
「七人の侍」続き。もう加東大介の名前もぱっと思いつかない。記憶力の減退は目を覆うばかり。
並木君、昨日のボートレースに敗けたといって残念がっていた。 上野の美術展。和田三造氏の”?燻”。  背後に二十才少し上の、肉置のゆたかな女が立っていた。所へ一人の中背の、やせた、余り風采の揚らぬ、鼠の中折を被った三十二三の人。  ”え。パンを食って書いたのは違います。”この語は、居ように強い響きがあった。予は妙に憧れる様な気持ちで、この人を見た。  萩原守衛氏の”文覚”。  交友の少いということ、実社会と接触しないということ、甚だ不利益だとは自分で知っている。それで何故予はこの三畳半から出ないのだろう?
19991018
京都でコミュニケーション研究会。小磯さんの自律モデルを使った話者交替研究の話。交替の音素計測や時間計測がじつに手堅く、着実な研究。我が身の分析の精度について考えさせられてしまった。飲み会に行く途中に荒神橋を渡ったら、雀荘の楽園荘の看板がまだあった。開いてるんだろうか。

彦根に戻る。あ、自転車がパンクしてる。
なぜか「七人の侍」を借りてきて見てしまう。今日は半分だけ。
米国の廻航艦隊が横浜に入港。これからの一週間は、東京も賑かだろう! 然しそれが自分と何の関係がある?
19991017
京都へ。青年の家でカメラ・オブスキュラ。シミのような影は倒立した京都タワーの頭。
ジョーズ・ガレージで美佐ちゃん久しぶり。ハイラマズの他は誰カバ、クニ河内、突然段ボールなど復刻中心。茂庵で大熊亘・坂本弘道デュオ。曲の終わり方、というか坂本氏のサンプラーの途切れ方が気になって「零式」買う。
市川昆「黒い十人の女」。これも映画館で見るべきだった。中村玉緒、もしかしてノーブラ?どいつもこいつも頭おかしいでごんす。

鳥影(二)。 千駄ヶ谷へ。新嘗祭だった為か、電車には美人が乗っていた。
19991016
絵葉書趣味に「惑星の茶屋」「事件の裏」を追加。

「喜劇・爬虫類」の冒頭。「ふるさと」の甘いテーマとともにテリー・エンジェルのでかくて緩い身体がご開帳、そこから八木正生のラウンジ音楽に乗せて、ヌード劇場ヌーベルバーグなタイトルになだれこむのが、息を飲むほどかっこいい。その中身は「アメリカの影」ばりばりのまごうことなき「戦後」映画。ラストは釜ヶ崎ギャルの幸せの黄色いパンティが飛ぶ。これ、前に新世界でかかってたのを見かけたんだよなあ、あそこで見ればよかった。

彦根骨董まつりで絵葉書。大津の明治21年?生まれの宮司さんの蔵から出た行李。亡くなったのは昭和40年代。こういう絵葉書漁りは、半ばその人のプロフィールを追うような作業になる。関東大震災時に日本からロンドンに出されたドキュメント絵葉書、第二次大戦中の私信などなど。例によって椅子に座って一枚一枚検討してると、店番と間違えられて、にわか骨董屋になった気分。中身ぐちゃぐちゃの行李を葉書と手紙と地図などなどに分けて差し上げるかわりに、おまけしてもらう。別の店で天橋立絵葉書。カバーに旅行原稿が記入できるようになっているのが楽しい。

「彼氏と彼女の事情」の、明るく悩める優等生という筋立てじたいは、ぼくのもっとも苦手とする「生徒諸君」に酷似しているのだが、不思議と気にならずに見ることができる。絵と文字とセリフと音とが全く別の時間を並行に進んでいるという、当たり前だがなぜか滅多に実現されることのないことが、ちゃんと成り立っている気持ちよさ。
釧路の鈴木から金の催促の手紙、イマイマしくなって起きた。貸本屋が来たので風葉の”恋ざめ”をかりて読了した。

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