twitter: kaerusan
つぶやく「ラジオ 沼」: radio_numa
■話したり歌ったり
8/21(土)目に見えるラジオ連@グッゲンハイム邸
8/29(日)Ett, かえる目@カフェ・パルル(名古屋)
8.30(月)popo, チコリーナ, かえる目@urbanguild(京都)
ライブ情報は、かえる目ホームへ。
2010.3.22「音遊びの会」にて。
「永遠野球」中継中の細馬+中尾。
撮影:松尾宇人さん
ベルリンからフランクフルト、香港で乗り継ぎ。なかなか疲れる。
朝7時に食事をして、タクシーを呼んでもらう。会場からずいぶん遠かったが、おかげで毎日行き帰りにいい散歩ができて、忘れがたい宿だった。
グループディスカッションを扱ったR. Williamsの発表はおもしろかった。ベストペーパー賞は申し訳ないがスキップして、一路ベルリンへ。以前に精華大学で話したパクリ論の原稿を校正、図版を追加しつつベルリンへ。天井が高くベッドだけでほぼ床がいっぱいの、独房のような部屋に割り当てられる。いやはや。独房だろうと原稿をさらに校正。iPadで図版を描く。ドイツ滞在もいよいよ最後の夜。Friedlich strasseの高架下のレストランで城さんと今回の無事を祝す。食事の下に敷かれた紙には20世紀初頭のFriedlich strasse駅を描いた絵はがきがプリントされていた。
朝7時に食事をして(以下同じ)。発表準備でくたくたになりつつもCienskiのPlenaryを聞く。そのあと、城さん、わたし、Judith Hodlerの発表。朝方までiPadに原稿を打ち込んでおいたのに、なんと宿においてきてしまった。しかたないので、原稿なしでしゃべる。質問もたくさんもらったし、何人かの見知らぬ研究者からあとで「すごくおもしろかった」と声をかけてもらったので、わりと伝わったんじゃないかと思う。
昼食後、川沿いで齋藤先生とあれこれ話す。そのあと休憩所で、アボリジニの砂絵の研究をしているJ. Greenにデータを見せてもらったのだが、絵を描くということと所作とことばが幾重にも重層的に折りたたまれたすばらしいデータだった。晩飯はマクニール研の人たちと川沿いのカフェへ。そして帰りはいつものごとく隣駅まで。遅い夕暮れを見ながら歩いて帰る。夜、EMCAの応募原稿を書く。
朝7時に食事をして、7:30に宿を出る(以下同じ)。今日はGoldenbergのプレナリー。そのあともずっとトークを聞く。
それにしても、暴風雨のような英語を話す人が多い。なにもかもつめこもうとして、尋常ではないスピードでまくしたてて聞き手を圧倒しようとする。国際学会ではもう少しゆっくり、そして論理構成を浮き立たせるように話せばいいのに。聴衆は正直なもので、早口でスライドが多くても論理構成がはっきりしない発表にははかばかしい反応がない。
不思議なのは、英語が母国語ではない人の中に、ものすごいスピードでしゃべる人がいること。英語をドライブする快楽が止まらぬという感じである。
ここ連日、早口の英語ばかり聞いていささかオーバーヒート気味。ドイツに来てから二冊目のノートがもう埋まろうとしている。夜、宿の夕食を食べる。野ブタの料理だったのだが、これがなんとも旨かった。この宿は本当にいいな。力を得て、明日の準備。
朝7時に食事をして、7:30に宿を出る。森の小径を抜け、7:57の電車に乗り(以下同じ)。今日はウィルコックスとコールのプレナリー。コールの話は、トマセロ本を検討したあとだったので、考えること多しだった。そのあとのトークでは、ホールドについて研究しているMischa Park-Doobという若い研究者の発表がおもしろかったのだが、なにより、彼のデータにぼくの調べているExtended Gestureが何度も出てくるのが興味深かった。あとで「あそこで聞き手がやっているあそこがおもしろいんですよ」などと話しかける。夕方までみっちりトークをきき、宿へ。城さんのデータを見直し、発表内容を短めにまとめてもらう。
朝7時に食事をして、7:30に宿を出る。森の小径を抜け、7:57の電車に乗り、隣駅のFrankfurt Oder駅へ。ちょっと時間が余ったので、Oder川沿いに歩いて橋を渡り、ポーランド側まで行ってみる。ポーランドの地を踏んだので満足して戻る。
朝は、Streek, Golden-Meadowのプレナリー。そのあと、ベストポスター賞にノミネートされた若手が5分ずつプレゼンをしていくというなかなかおもしろい試み。PCとプロジェクタの接続の調子がおもわしくなく、かわいそうな場面もあったが、若い人たちがベストを尽くしているところを見るのはすがすがしい。夕方からはパネルにトーク。
夜、駅でケバブを買って城さんと駅に。宿へ帰る途中、牧草地を見ながらケバブを食う。昨日たどった道とは別の散歩道が林の中に開けているので、そちらをたどってみる。ここも、丘陵を上り下りするすてきな道だった。楽しい数日になりそうである。
朝、アパートの若い主人にチェックアウトを頼むと駅まで送ってくれるという。ありがたい。
再び、Frankfurt (Oder)へ。まずは駅近くのホテルでサマースクールを受講していた城さんと合流。やはり夏合宿を受講していたという中司さんと近くのギリシャ料理屋へ。軽く昼飯を食うつもりが、食前にサービスでウゾが出る。出されたものは飲む。これがけっこうこたえた。
そのあと、タクシーで郊外のホテルへ。街をどんどん離れ、一面の畑がなす丘陵地を縫っていく。これは思ったより遠い。果たして通えるだろうか。宿の女主人はきっぷのよさそうな人で、夕方から学会に行くのですが、というと、近くの若い者を呼びつけて事情を説明している。どうやら車を出してもらえることになった。ウゾの力で1時間ほど熟睡したあと、車でヨーロッパ大学へ。
オープニングに引き続き、Kendonのプレナリーを聞く。そのあと、古山さん、井上さん、有働さん、城さんと軽く夕食。
宿へ車以外の手段で行くには、一時間に一本しかない鉄道に乗り、次のRosegarten駅で降り、そこから2kmほど歩かねばならない。早めに辞して駅に向かう。夜9時を回って、サマータイムの日は暮れようとしている。地図を見ながら舗装されていない道をたどると、やがて林のかたわらの小径となる。西の空が透けて美しい。しばし立ち止まって見とれてしまう。これなら毎日通う価値がある。
Frankfurt (Oder)へ。霊長類のジェスチャーに関するワークショップ。
チンパンジーの食物分配。乞う動作は明快に相手の注意を惹く。が、乞われる方は相手の注意から身を隠す。最後に肉が手放される動作も、相手の注意を喚起する動作とは言い難い。この非対称性は、ヒトの「乞う」「差し出す」という動作と異なって見える。
霊長類のジェスチャーはやはり実際に見ると文献とはずいぶん印象が異なる。来てよかった。夜遅くにベルリン梗概に戻る。
午前中、昨日買った絵はがきについてさらに調べもの。Google Bookやオンラインで調べのついた本を読みあさる。トータルでハードカバー二冊分は斜め読みしているはずだが、電子テキストというのは、どうも読んだ分量が身体に残りにくい。忘れないうちに調べた内容を書き留める。夜はまたトマセロ本を読みながらあれこれ考える。
晩ご飯を作りながらustreamでその様子を。
http://www.ustream.tv/recorded/8459654
10年前に行った絵はがき屋をたずねてフリートリッヒ通りに。骨董屋がいくつも入った高架下にあったのだが、どうも様子が違う。以前あった場所はがらんとして、椅子が並べてあるだけ。1階にある、旅の品々を売っている店の主人に聞いてみると、最近越したのだという。「わたしももうすぐ越すのよ。18年前からやってるんだけどね」
その主人に、引っ越し先を訊ねる。電車を乗り継いで、書かれた所番地までたどりつくが、それらしい店はない。おかしいなと思ってアパートの玄関を見ると、絵はがき屋の名前がある。ブザーを押して用件を伝えると、がちゃりと扉が開く。中庭に出るとまた横でがちゃりと音がして、見ると地下に通じるドアがある。そこをくぐってさらにがちゃり。女主人が出てきて招き入れられる。以前あったような広々としたスペースではないが、絵はがき棚に紙もの、以前訪れたときと同じ圧倒的な量だ。あのときは老齢の男主人だったのだが、いまの主人は見たところ娘さんくらいの年だろうか。なんとなく出自を聞きそびれてしまった。
英語とカタコトのドイツ語で話。お互い絵はがきには通じているので話が早い。しばらく座り込んで選んでいると、「これはどう?」と先方のセンスで選んでくれる。久しぶりだな、この感覚。
以前ならおおはしゃぎで10万くらい買ったと思うが、いまは、必要そうなものだけをほんの少し。それでもあれこれやりとりしてずいぶん知見が広がった。
帰ってから、絵はがき屋で買ったものについてネットでいくつか調べ物。
暑いのでベランダの外でご飯。ドイツの絵はがき屋に行ったこと。
http://www.ustream.tv/recorded/8440761
今日も暑い。朝から起きてトマセロ本をもとにノートを作る。これを使って後期の講義を進める予定。ついでに、いま書いている論文のイントロをもう一度考え直す。
最近、珈琲を飲むと鈍器でなぐられたように眠くなることがある。今日もMarktのそばのカフェで気付けに珈琲を飲んだらガンと眠くなった。まあ、暑いせいもあるのだが。
ドアの外にテーブルを持ち出してustreamでその様子を。行為の連鎖。行為とコミュニケーションの進化。ひとごとをわ がこと関連づける認知。
http://www.ustream.tv/recorded/8419245
移動日。早朝、ゆうこさんを送りにTegel空港へ。運転手によれば、ベルリンのBerとは「湿地」の意味だったという。Tegelも湖のそば(埋め立てたのかな。確かに、ベルリンの郊外にはあちこち湖がある。
宿に戻って少しかちゃかちゃやってのちチェックアウト。次の宿は、ベルリン郊外の湿地近く。Sバーンを何度か乗り換えて行くと、次第に緑地と家とが延々と広がるエリアに出る。今度のアパートは、S9の終点近く、Addellhof駅からさらに2kmほど歩いたところ。そばにコンクリート作りの使われなくなった学校があるところが旧DDR風だが、あとは3,4階だての真新しい集合住宅がずっと並ぶ住宅街。ここまで来るともう、観光も容易にはできない。バーデンバーデンの葡萄畑のような美しさはないが、緑も多いし、隠遁にはふさわしい。
スーパーに行き、買い物。夜は自炊。
たまには観光らしいことを、と思ってベルリンでセグウェイにのるミニツアーというのをやってみる。ガイドとゆうこさんとわたしの三人のみ。ほとんどプライヴェート・ツアーである。10分ほど練習すると、ターンやバンプ越えができるようになった。じつに快適な乗り物である。コストや充電の手間などを度外視すれば、乗ってる間の楽しさはすばらしい。彦根にも一台ほしい(無理だろうけど)。
ガイドは24歳の女性で、ベルリンの歴史を手際よく、裏話や皮肉もまじえながらさっさと話してゆく。手際よく整理できるのが若さということなのだろうな、と思う。もしリアルタイムで体験していたなら、どこかで口ごもり、伝わらなさに逡巡するところが出てくるはずだ。
ユダヤ犠牲者慰霊碑の前で、この素材を作った会社に関する裏話をちょっと披露したあとで「ところでザ・コーヴってみた?」と来た。なるほど、ホロコーストからの連想なのだな。
通りすがりの映画館で「Harakiri」なる映画をやっている。監督は・・・フリッツ・ラング! というわけで、伴奏付きの「ハラキリ」を見る。トランクやティーカップの出てくる江戸末期でいろいろツッコミどころはあったが、そんなことより、仰角の大胆な構図や、無人の扉(というより出入り口)から人を出入りさせる構図など、おもしろいショットがいくつもあった。カリガリ博士かとみまがうすごい表情の僧侶。
午前中に部屋を移動。今度はリフト付き。原稿を書く。昼はまたイタリア料理屋に。夕方、城さんを送ってFrankfurt der Oderに。駅でジュネーヴから来たという研究者と一緒になりあれこれ話す。Berlinに戻る。今日も夜は自炊。
今回はキッチン付きなので、近くのスーパーであれこれと買い物。
昼、昨日とは別のイタリア料理屋に行く。おいしい。
介護者どうしの会話について別のデータをおこす。夜は自炊。
今日は移動日。ゆうこさんの運転で、Baden Badenを出てまずはStuttgardへ。渋滞を何度か抜けて2時間半ほどで着く。
なぜシュトゥットガルトかというと、アップル系列のパソコンショップに行く必要があったから。数日前に城さんのMacBookの電源アダプタがいかれてしまった。幸いぼくのMacBookと同じ電源アダプタだったので、このところ一つのアダプタで充電しては貸し借りしてしのいでいた。
残念ながらバーデンバーデンにはMacの電源を売ってるような電気屋はみつからない。ネットで調べると、どうやらシュトゥットガルトにApple系列の店があるらしいので、そこに行くことにしたのである。しかし、あらかじめ電気屋をネットで調べて、その番地をカーナビにぶちこむと、異国の街でもほぼ迷いなくその場所へ行けるのだから、世の中便利になったものではある。
カーナビはほとんど無駄口を叩かず「Prepare to turn right」「Turn right」と適確この上ない。基本的には分岐に来たときに左か右を指示してくるだけなので「(蛸の)パウルくん」と名付ける。ちょっと道からそれるとパウル君は「New route!」と宣言して、注意深く元の道に戻るための最短ルートを教えてくれる。できるな、パウル君。
無事に電源アダプタを購入し、シュトゥットガルトからニュルンベルクを経由して北へ。途中でアウトバーン沿いのモーテルに泊まるはずだったのだが、パウル君の言うことを聞いているうちにずいぶん北上して、このままだと日暮れにはベルリンに着いてしまう。明日泊まる予定のアパートに「今日から入れますか?」と電話する。部屋は空いているけれど、フロントは8時で閉まっちゃうので、ボックスに鍵をいれておくわ、とのお返事。ならばもうベルリンに行くしかない。爆走700km。こみ入った街中のルートもパウル君はturn left, turn left (つまりUターン)の荒技を指示してきて、否が応でも最短距離を取りに来る。わたし街なかの左折がわからないのよ〜、と言うゆうこさんは、後ろからクラクションを鳴らされつつなんとか反対車線に滑り込む。
アパートが見つからないので、とりあえずこの辺だろうとおぼしきところに縦列駐車。番地を頼りにたどっていく。ヨーロッパは通りと番地で場所が判るから便利だなあ。探し当てたアパートは、すでにレセプションが閉まっている。電話で言われた通り、ボックスに入った鍵を探し当てる。部屋は5階でリフトなし。この旅行ではもはや定番となった城さんのでかいボストンバッグ移動の儀式を済ませて、無事入室。3部屋ある広々としたアパートでネットも使えて机もある。
中央駅にレンタカーを返しに行く。パウル君長いことありがとう。戻ってくると夜の11時近く。近所の安そうなイタリア料理店でスパゲティを食べつつ、無事の移動を祝す。
7時に起床。8時に飯、仕事、12時半に昼食、仕事、休憩、8時に夕食。夜中に就寝。規則正しい生活。葡萄畑に並ぶ葡萄の如く。
午前中に書類を書いて、葡萄畑に出る。ベンチに腰掛けて、次の本の構想を練る。
それぞれの房と対なす葉は破れ 伸びゆく蔓の影に枯れゆく
硬き葉を飛び立つ蠅の音がして葡萄畑の午前の終わり
トラクタの男に黄色いヘッドホン 葡萄畑の舗装路の熱
舗装路を渡る毛のある生き物の尾長く葡萄の列に消え去る
なだらかな轍のあとを下る坂 舗装路に皆坂は集まる
夕方、ゆうこさんが車を借りてくる。ちょっとドライブ。iPadに仕込んだ近所の地図を見ながら、国境まで行ってみる。ライン川を見て帰る。
午前中、査読を二つ。午後、畑の木陰で次の本の目次案を作る。そのあとデータ分析を数時間。夜、ものすごい夕立。下のレストランの客は全員中に避難。三食とも宿のレストランで。
ケルト妖精物語集を読みながら。あらゆる魔女譚、妖精譚、戦争譚において、目撃者=生き残りが帰還せねば、物語は後世に残されない。物語とは、語り手がいかに奇矯な経験から帰還したかの物語であり、すべての物語は「行きて還りし物語」である。
ある種の映画が、とてもよくできているはずなのに、なぜか表面的に感じられるのは、生き残りから話を聞いた、という態度を欠いているからだろうか。たとえば第九地区がもし、エイリアンの子供から聞いた話として撮られていたら、感想は違ったかもしれない。
バーデンバーデンにあったドストエフスキーの彫像。ぼろぼろの卵、もしくはぼろぼろの地球を裸足で踏んで、賭けに溺れた保養地を見下ろしている。割れなかったぼろぼろの卵。生き残り。
長らくお世話になったドストエフスキー像も今日で見納め。木陰で彼の背中ごしにバーデンバーデンを見下ろしながら仕事をする。社会言語科学の大会用原稿を書き終える。介護施設のカンファレンスでの身体動作の改変に関するデータを扱ったもの。ちょっと複雑なやりとりなのだが、なんとか見通しをつけた。
今日は宿替えの日。夕方、バーデンバーデンから南に下って葡萄畑地帯の宿へ。宿のレストランで夕食。
ドストエフスキー像そばの木陰で仕事。ユリイカの校正。せっかくなので持って来たiPadでやる。Dotimpactさんに教えてもらったのだが、iAnnotate PDFというソフトは、PDFに指書き入力であれこれ書けるので、簡単な校正だとこれでオーケー。鉛筆ツールを選んでるときにアンドゥや拡大縮小が自由にできるともう少し使いやすいんだけど。
午後、今度は発表用の静止画おこし。Sketchbook Proで作業。動画のキャプチャ画面から人物の輪郭を線でおこすのだが、この作業は、iPadの指先インターフェースだと実にさくさく進む。画面の上を直接なぞるのと、モニタを見ながらペンタブレットでなぞるのとでは、全く感覚が違う。以前は、10人くらいの多人数場面をおこしていたらとんでもなく時間がかかったものだ。これはiPadを買ってつくづくよかったと思う。
夕方、街へ。宿から川沿いを歩いてドストエフスキーを過ぎり、街へと下る道はいつも気持ちがよい。
連日細かい文字や動画を見ているので、すっかり肩が凝っている。せっかく温泉地にきたので、湯に入りたい。バーデンバーデンといえば「カラカラテルメ」なのだが、同じ名前のものが新世界のスパワールドにもあるので、なんだかありがたみがない。より本格的だと評判のフリートリッヒ浴場 Friedrichsbad へ行くことにする。なにしろ宿においてあったパンフレットによれば、こうなのである。
「フリートリッヒ浴場に来てからほどなく、あなたは緊張がほぐれ顔がなめらかになり、全身に完全なるリラックス感 complete relaxation が広がるのを感じるでしょう。まさしく正しい場所、正しい時に自分がいるかのように感じて、あなたは思わず微笑んでいる自分に気づくのです。」
あの皮肉屋のマーク・トウェインもこの浴場を絶賛したという。
フリートリッヒ浴場はバーデンバーデンの街中の一角にある。ロケーション的には銭湯である。
入口で3時間コースの券21ユーロを払うと、腕時計型のIDチップを渡される。そこから、個室らしいベンチのある場所へ。どうも着替え場所らしい。脱衣のプロセスで人々と切り離されるということなのか。よく要領がわからない。とにかく服を脱いで外に出ると、そこにロッカーがある。ここに服を入れろということらしい。靴も服も入れて錠らしきボタンを押してみるが、うまくいかない。隣の客がこうやるんだよ、とidチップをあててぐいと押してくれる。ぱちんと錠がかかる。ありがとう。しかし、なぜ脱ぐときは個室で、裸になると一緒になるのか。どうも釈然としない。
そして、すっぽんぽんである。日本だと手ぬぐいひとつをかざして「おじゃまします」という調子で入るところだが、その手ぬぐいすらない。フリチンである。身ぐるみ剥がされたようで所在ない。スタッフらしい人が迎えてくれるので、「はじめてなんですけど」というと、「じゃ、そっちでまずシャワーを浴びて」と言われる。「そっち」に行くとパネルがあって「シャワー、3分」と書いてある。壁に向かってシャワーを浴びながら、この所在なく言われるがままに裸でうろうろしているのは、何かに似ているように思える。アウシュヴィッツ。そうだ。不謹慎の極みとは思うが、アウシュヴィッツを思い出してしまった。システムに行き先を指示され、裸で移動させられるこの形式、瓜二つではないか。
まずい連想だが、連想に倫理はないので、止められない。まずい始まり方だが、始まってしまった以上は、パネルの指示通り移動する。白いシーツをもって2番、とある。はいはい、1の次は2ね。どうやらここはサウナである。木の堅いベッドがあるので、そこに寝転がり、シーツを上からかけると、もう完全に死体になった気がする。しばらくすると係の男がやってきて「それは違います」という。何が違うのか。「こうです」と男はベッドにシーツを敷く。体の上にかけるのではなく下に敷くのか。道理でへんだと思った。
さて次は何か。入ってきたドアを見ると「シャワーへ」とあるので、またシャワーを浴びる。ん? ということは次はまた白いシーツをもって2番ではないか。シャワー、2番、シャワー、2番、きりがない。おかしいなと思って、2番の奥を覗いてみると、なんと別の部屋があり「3 Hot air bath 68C」とある。
どうも戻ってはいけなかったらしい。当たり前だが、2の次は戻らずに3を探すべきだったのである。ああ、医学的に効果絶大とうたわれた段取りを、早くも間違えてしまった。せっかく入ったサウナをシャワーで洗い流してしまった。もうだいなしだ。これからの3時間はもうだいなしだ。だいなしだが、始めた以上は続けねばならぬ。シャワーで冷たくなった体をいきなり68度のサウナで5分温める。体に悪そうである。天井を見ると正三角形を二つ重ねたミツビシ型の天窓がある。なんだかダビデの星に似ているな、と、また悪い連想が働く。が、後には退けない。またまたシャワーを浴び、マッサージをスキップして、次は7番。ミストサウナなる猛烈に熱いサウナに10分とある。しかしこのサウナ室には時計がない。しかたがないので、考え事をする。考え事が次第にぼうとなってくる。この辺だろうと思って立ち上がるが、体を動かすと猛烈に熱い。次は8。わ、これはまた熱い。このさらに高温のサウナに5分間とある。そしてこの部屋にも時計がない。天窓の模様は複雑に入り組んで、星にも何にも見えない。もう考え事もできない。脂汗がだらだら出てくる。地獄の責め苦だ。サザエさんの歌をなぜか思い出す。サザエさんを二回くらい歌えば5分ではないか。サザエさんを歌う。おさかなくわえたどら猫について二度、頭の中で歌う。猫でもサザエさんでもいいから助けて欲しい。
あやうく立ち上がり、朦朧として出る。もうこれ以上サウナなら離脱しようと思っていたところに、心憎いタイミングで、9番は36Cの風呂。しばらく浸かってから、隣に行くと、突然ドーム状の広い浴場に出る。男が一人、湯船をゆうゆうと泳いでいる。ああ、気持ちよさそうだと思って、真似をしてざぶんと浸かる。天井を見ると、天窓はいつしか放射状の整った形になっている。ここは週末には混浴になるらしい。男女を問わず、統一された放射状の世界で、一糸まとわずくつろぐということらしい。しかし今日はただの男湯。
ひとしきり浸かってあがってから、さらに奥に浴場があることに気づく。パネルを見ると「10」とある。はて、と思っていま入ったばかりの風呂のパネルを見ると「11」とある。あ、また間違えた。考え抜かれたステップをまた踏み外した。
もう段取りも何もかもぐだぐだだ。本当にこれで完全なるリラックス感が得られるのか。シャワーを浴び、飛び上がりそうに冷たい水にざぶんとつかり(これも医療的に考えられた段取りらし)、あたたかいタオルにくるまって出ると、男が待っていて、「ポンプのクリームを全身に塗りたくって下さい。クリームには二種類の香りがあります」という。こんな場面をどこかで読んだことがある。ああそうか、「注文の多い料理店」だ。またまずい連想が浮かんでしまったが、もうやけくそで、顔にも耳にもぺたぺた塗る。「耳にもよく塗りましたか」などと言われないためだ。幸い、クリームからは酢くさい匂いはしなかったが、ちょっとココナッツのフレーバーがして、なんだか誰かの食欲をそそりそうである。
いよいよ終盤、あとは30分のリラクゼーションルームと30分の読書ルーム。30分も何もしないでリラックスするのか、悪い連想が山ほど浮かびそうだ。と思って、横になってしばらくしたら、ふと気を失ってしまった。はっと気がつくと、ずいぶん時間が経っているような気がする。表に出て時計を見ると、あ、もう1時間近く経ってるではないか。読書もせずにリラックスしてしまった。これが完全なるリラックス感というやつか。
あわてて出ると、すでに城さんとゆうこさんがホールで待っていた。ちゃんとリラックスして読書もしたらしい。普通はそうなのか。
さて今日は何を食べよう。インド料理屋の店先に、主人がまるで浴場疲れでもしたかのように、けだるそうにたたずんでいる。メニューをのぞくと、「ん?どれでもカレーよ。うちは全部カレーなの」と、声もけだるそうだ。じゃ、その、カレーにします。
でてきたのは、ほんとにおいしいカレー、おいしい米だった。
街に降りていく坂道の傍らに彫像があるのに気づく。ぼろぼろになった卵形の何かの上に裸足で乗っている男。ネームプレートを見ると「ドストエフスキー」とある。カジノで蕩尽してぼろぼろになって、自分がとりつかれた賭博の街を眺めている、というところのように見える。すぐそばに、大きな樹が何本かあって木陰がベンチになっている。このドストエフスキー氏を仕事の友と決める。
ELANでめぼしいところをデータおこし。時間は一分ほどなのだが、10人の多人数会話で、しかもモダリティがいくつもあるので、ひどく時間がかかる。
昼、街に降りてクレープを食う。再びドストエフスキーの下に。
午後三時。気分転換に、丘の上を散歩。38度でも木陰は涼しい。真夏らしい光景。
夕方、ドストエフスキーが蕩尽したカジノのバーを冷やかしに行く。来ているのは主に老夫婦で、ピアノがラグタイムを奏でるとソシアルダンスがあちこちで始まる。ゆうこさんと城さんも踊って、拍手をもらっていた。
夜、アジア系の料理屋で夕食。決勝戦はスペインvsオランダ。ほとんどはオランダびいきの客。前半が終わったところで宿に戻って後半戦を見る。
Baden Badenに行く、といっても、温泉地らしいということ以外、これといった知識はない。例によって、下調べしないで来たのである。宿もフランクフルトから、ま、この辺かというあたりを二つ選んで適当に予約。
パンフレットには、「バーデンバーデンはあまりに素晴らしい土地なので名前を二度呼ぶ価値がある」というビル・クリントンのことばが載っているのだが、ほとんど役に立たないエピソードである。
朝、DBでバーデンバーデン駅へ。車中で、ユリイカの原稿を仕上げる。
そこからうねうねと丘を越えて市街にほど近いホテルへ。森のほとりで静かな場所。それにしても、暑い。南向きの部屋にはさんさんと陽があたり、おそろしい温度になっている。何しろ、36度とか38度とか、このところ外気がとんでもない温度なのだ。日本なら間違いなく冷房をかけるところだが、部屋にあるのは、ちっちゃな扇風機のみ。それでも、馴れてくると、日陰にいて風があるだけで、それなりに涼しい気がしてくる。空気が乾燥しているせいだろうか。テラスに洗濯物を干すと1時間でパキパキに乾いた。無線LANがあるのはありがたい。原稿を送る。
街に出てテラスのモニタでドイツvsスペイン戦を観戦。保養地のせいだろうか、けっこうみんなTVから目を離してたりして、シュートが決まってから歓声をあげてる人も多数。ゆるい応援風景である。ともあれ勝って街は賑わっている。
移動日。フランクフルトへ。宿に荷物を置いてから、空港にゆうこさんを迎えに行く。そのあと、旧市街に出て夕食。そのあとユリイカの「電子書籍」用原稿。旅先にKindleもiPadもiPhoneも持って来た。我ながら、ばっかじゃないの?
今日は主にAustin勢のPanelに、大島さんのヘアカット、安井さんのゴジラブレインストーミング、砂川さんのSkype通話、いずれのデータもおもしろい。現場の数だけジェスチャーの知恵がありそう。午後は介護施設のデータを扱っているPanelに。
シマコさんに聞いたのだが、Chuckは、あるセッションでたくさんの志を同じくする人たちに囲まれて、感極まって泣いていたそうだ。ChuckやJohnが会話分析の論文を大量に書き始めた頃は、ほんのスモール・サークルで、学会に来ても語り合う人がわずかしかいなかった。それが今や、広いホールを埋め尽くす何百人もの参加者がいて、彼らが長年続けてきたmultimodalな分析やapplied CAの可能性がどんどん開けつつある。若い研究者もたくさん出て、Next Generationが育っている。
会議の最後はStreekのPlenary。今回の会議は、とにかく暑かった(気温が)。
夜、シマコさんと青木さんと城さんとで、ハイデルベルクへ観光。といっても、お城はもう閉まっていて、近くのレストランで、あーおわったおわったとビールを飲んでわいわい話す。
朝はMondadaのPlenary。大学での議論におけるチェアマンの行為について。フランスの学生は何人もがいっせいに意見を言い出すのでチェアマンは、ときには両手を使って忙しく指さしをしている。
安井さん、大島さん、砂川さんのパネルに。カイロプラティック、編み物、管制室と、多様な題材。パネルには公募性のものとクローズドのものがあるのだが、安井さんたちのは公募性だったので、なかなかバラエティに富んでいる。
夕方からは、ぼくが隣接ペアと拡張ジェスチャーの話。質問も多かったし、あとで声をかけてくれた人も何人かいたのでまずまずだったかな。でも、いろいろPanelがかぶってて聞いてもらえなかった人も多い。英語で論文書かなくちゃね。
城綾実さんは同調の話。城さんはムービーが動かなくてずいぶん苦労してたけど、はじめての国際学会発表をなんとか乗り切った。坊農さんはビデオ出演で手話の話。
懇親会。日本勢の大半は懇親会をスキップしたらしい。城さんとぼくが「あんまりみんな来てないね」などと話していると、目の前にJohn Heritageともう一人知り合いらしき人が座った。Johnとは、関西の会話分析セミナー以来だったので、どうもどうもと挨拶すると、城さんがもう一人の人と挨拶してから、ひゃー、という。「先生、この人、レヴィンソンです」。ぼくはStephen Levinsonの空間参照枠の論文を何度か引用したことがあって、城さんにも読むように勧めていたのだが、じつは顔を知らなかったのだった。城さんが娘くらいの年だと知ると、そうかそうか、きみはNext generationだ、いいね、とレヴィンソンはちょこっと笑ってワインを傾ける。くしゃくしゃっと笑う、愛敬のある人だ。おれたちが若い頃は会話分析なんてsmall circleで、こんな派手な場所はなくて、やってもやってもなかなか報われなかったもんだよ、きみはおれたちの屍を踏んでゆけ、とJohnは大きな顔をずずずっと右手のローラーで踏みつぶしてゆく。二人の論文を読み込んでいた城さんは感極まって泣いていた。
久しぶりにChuckと身体動作の進化の話をしていると、外で歓声が上がる。そう、今日はドイツvsスペイン戦なのだ。フットボールには全く興味がないChuckとしばらく話していたけれど、さすがに後半は見ようと思って、ホールの外の大きなモニタ前へ。国際学会なので、ドイツ一色というわけでもなく、スペインにも歓声があがる。
宿に戻ると、通りのあちこちから弔鐘のようなブブゼラが夜中まで。
朝のPlenaryはHeath & Luff。例のオークショニアの話。すでに聞くのは3回目だが、毎回違うことを考える。今回は、Extended gesture の変形としてa strike of a hammerを考えた。Kendonは体調がおもわしくないらしく欠席。今日もあちこちのPanelへ。今年のテーマはMultimodalityということもあって、身体動作を分析に取り入れている発表者が多い。が、Kendonの提唱したGesture phaseに沿って研究している人は、まだほとんど見あたらない。発話の分析は細かいが、動作の分析がそれに追いつくのはまだ先という感じ。
ICCA(国際会話分析学会)の間に、次に書く本についての思いつき。
まず、会話分析になじみのない人のために、簡単な隣接ペアの紹介をする。いくつかの簡単な例を見せる。そして、その同じ例をジェスチャー付きで解説することによって、いかにシンプルな言語活動が身体活動によって別の文脈を与えられているかについて論じる。その上で、会話分析が「ターン」という時間上で役割を分断された概念装置によって考えていること、ジェスチャーはそれと全く異なる時間のレイヤーを持っていること、この二つを同時に、オンラインで考える能力こそ人間が得た不思議な力であることを論じる。つまり、言語が進化したことだけが重要なのではなく、言語活動が身体活動とオンラインで結びついて進化したことこそが、言語進化にとって決定的だったことを、論じる。言語進化とは「言語と身体システム」の進化として読み替えられるべきである。このアイディアは、本全体の中核であり、各章のいたるところに、このアイディアのヒントがちりばめられるようにする。
相手と役割を交代することを維持する。言語は交代的で、ジェスチャーは維持的である。ならば交替と維持がonline elaboratedされる過程はどのようなものかが問題となる。
夕方の総会はスキップして、明日の発表の準備。
マンハイムは思いのほか暑い。しかも、ホテルにも会場の大学にも冷房がない。プロジェクタを映すために窓を閉めると、かなり熱気がこもる。
会場には冷えたペットボトルが大量に用意されており、参加者は次々とそれをとっていく。みんな珈琲を(ドイツ式に薄いやつだけど)じゃんじゃん飲む。朝のPlenaryはC. Goodwin。チャックは例によって次々とリッチなデータを見せて身体、環境、相互作用をそれこそ相互作用的に結びつけてゆく。一つのホールに七、八百人くらいいるだろうか。こんなに会話分析をやってる人がたくさんいるとは思わなかった。
午前中は空間のPanelを聞き、午後はHeritageのPanelをはじめあちこち渡り歩く。この学会は基本的に口頭発表のパネルが中心。
夜、串田さんや林さん、そして元UCLA,現Austin勢とドイツ料理屋へ。
森本郁代さんに聞いた話。模擬裁判で裁判員の人が殺意などを評定しようとするとき、立ち上がって犯人の所作をシミュレートすることがあるという。身体動作から動機や情動を推し量ろうという試み。スタニスラフスキーシステムの逆。動機語彙論の陥穽をうまくついている話だ。
ホテルの昇降機で行き先ボタンを押しながら、「ポインティングすることが命令を実行することと同じ、ってすごいインターフェースだよねー」城さんに話す。たとえば、電車の運転が昇降機みたいなインターフェースだったらどうだろう。「京都」というボタンを押したら、京都に行くためのすべてのコントロールが実行に移される。タイムマシンって、インターフェースとして昇降機に近いよね。時間旅行にはまだ、これといったドライブの方法がない(んじゃないか)。タイムスリップのトリックはSFで描き尽くされているかもしれないけど、タイムドライブの詳細を書いたSFってあるんだろうか。馬の手綱を引くように、目的の時刻へと割りいる方法。
早朝、フランクフルトに。マンハイムに移動してまだ7時。朝早くだったが、ホテルにチェックインさせてもらえた。城さんと近くを探索し、会場をチェックしてから、あとは発表用の原稿を用意。どうやらホテルは移民街の真ん中にあり、まわりはみんなトルコ料理屋だらけ。試みに一軒選んで入ってみたが、おいしかった。
のろのろとターミナル発つシャトルバス アウトバーンをゆくドイツ国旗
勝敗のゆくえやいかに 朝五時の釣り銭渡す駅員の口笛
眠たげに鍵渡すフロントはトルコの人 新聞に「Danke」 「4-0」 の文字
冷房はない 窓を開け放つ ページの折れた聖書三カ国語
昨日の結果報じる番組を探せば無修正のチャンネルもあり
ベランダを覆う国旗の黒と赤にやや緩みありミサ告げる鐘
「マラドーナか」席立ち際にテーブルのパン屑を寄せ 雀呼ぶ客
ショウウィンドウに並ぶトルコのユニフォーム 子が蹴るナイキ 日曜の朝
最上階 つばめは近く 薄暗き10時の鐘は弱まりてゆく
午前中、パッキングをして、中部国際空港へ。香港でトランジット。ドイツ戦の前半に歓声があがる搭乗口。
香港
今頃は後半開始 離陸待つドイツの人押し黙り眠る
ボヴェ太郎さんの「消息の風景―能《杜若》―」をアイホールで見る。
ホール中央に正方の穴。その穴の中にさらに正方の舞台。橋がかりは穴の周りから中央の舞台へと掛けられている。柱はない。囃に聞き入っていると、いつのまにかボヴェさんが登場しており、正方の穴の一辺一辺をしずしずと歩んでゆく。すでにして、能のあゆみと異なる。
黒い橋がかりは客席からは穴とみまごうばかりで、白足袋をはいたボヴェさんが歩むと、宙を浮いているようだった。
「杜若」はことばの音がとてもおもしろく、その音によってボヴェさんのしずしずとした歩みが練り上げられていくように見える。
三十一文字にちらされたことばが「かきつばた」という花になること。「来ぬ」と「衣」と「着ぬ」は同じ音だということ。ありわらにもなりひらにもからころもにも、ラ行が二つ入っていること。
ら行はゆっくりと旋回すること。ありわらのなりひら、は、旋回を介して「ある」から「なる」へと移っていくこと。
からころもが来る、からころもは遠くから来る。来たからころもを着て近しくなる。からころもを着つつ馴れにしこの身に、はるばる遠くから旅心をよせかきつばたになる。らせんの「ら」、旋回する「ら」に対して、きっぱりと立つ「か」「き」「つ」「ば」「た」。らせんから生まれ、垂直に為る音として、かきつばた。からころも、は、かきつばた、から螺旋へと迂回する三十一文字の旅のはじまり。
トークショーでは、ことばの音のことを中心にいろいろ話した。
じつは前回、ボヴェ太郎さんがプルーストを踊ったときにも、トークショーのお相手をさせていただいたのだが、あのときもいろいろ思いつくことがあった。そのときのアフタートークがwebにアップされている。自分で言うのもなんですが、いやあ、おもしろいな、このトーク。
ボヴェさん手が広いなって思ったんです。大きいというか広い。何でそんなことに引っかかったかと言うと、僕ら「手」といった時に、手から先がそんなに割れてないんです。一個の手がいろいろな動きをするだけなんですが、ボヴェさんの踊りって、指が長いせいかな、パッと手を出された時に広がりを感じる。手というのは記号性が凄く高いですから、上に向けて開けば「器」になったり「花」になったりしちゃうんだけれども、そこから指が分かれて行くと、記号かな?と思った所からまた別の方向に行く。
アイホール・ダンスコレクション vol.54 / Take a chance project 020
『Texture Regained −記憶の肌理−』 ポスト・パフォーマンス・トーク
ボヴェ太郎(舞踊家・振付家)×細馬宏通(滋賀県立大学教授)より
全文はこちらで読めます。
http://tarobove.com/works.php?page=texture_regained_interview
夜半過ぎに帰宅してラジオをつけると、いきなり藤本優さんの声がする。大友良英のJAMJAMラジオ。
三回生ゼミと卒論ゼミ。先週のイベントの搬出チェック。夜、日高先生に花火を贈る会の打ち上げ。