twitter: kaerusan
つぶやく「ラジオ 沼」: radio_numa
■話したり歌ったり
6/27(日)コードシンコーミュージック(安田謙一+細馬宏通)@shin-bi 辻井タカヒロ画伯(『ロックンロールストーブリーグ』)のサイン会つき!これは行かねば!
8/21(土)目に見えるラジオ連@グッゲンハイム邸
8/29(日)Ett, かえる目@カフェ・パルル(名古屋)
ライブ情報は、かえる目ホームへ。
2010.3.22「音遊びの会」にて。
「永遠野球」中継中の細馬+中尾。
撮影:松尾宇人さん
朝、不在投票をしに市役所へ。午前の院生ゼミ。
午後、科研のミーティング。中村さんに、結局きき手の納得のフィルターを通してしか動機は表れませんよね、というと「ミルズによれば、動機とは合意なのです」。おおすごい。が、よく聞くと「動機とは語彙なのです」。いや、それも深いのだが。
日本vsパラグアイ戦。ぎゃー、とか、もー、とか叫ぶ。
ワールドカップ、見ることができるときはできるだけ夜中に起きて見ているのだが、ここぞというときにリアルタイムでTVの前におらず、今回はどうも参加できていない感じ。先日の日本vsデンマーク戦がクライマックスのはずだったが、それも見逃した。
午前中は一回生向けの実習。盆踊りの近代史について、などなど。来月から留守にするので、いくつか課題をお願いする。
午後、コミュニケーションの自然誌研究会にて発表。介護スタッフの声をいかに聞き届けるかという問題について、カンファレンスデータから説き起こす試み。尿漏れパッドの使い方を議論する場面を扱ったのだが、入居者への強い思い入れが出ている場面というよりは、むしろきわめて実践的な議論場面だったので、ちょっと狙いとずれた内容だったかもしれない。でも、つらつら考えてみるに、介護スタッフのカンファレンスというのは、ほぼ実践的な議論で占められていて、その中にほんのわずか、入居者へのまなざしがほの見える場面が含まれているという配合なのである。この、実践を通した、(一見すると)ドライな議論の中に織り込まれた情動をいかに掬い上げるかが、今後のぼくの課題かなと思う。
ひつじ書房の松本社長も来席。新しい本の話。
shin-biにて、安田謙一さんとコードシンコーミュージック。ぼくは前半担当で「やさしさに包まれたなら」の歌詞分析をやったあと、歌声が聞き手に取り憑くことについての話。気付くと、なぜか清志郎の真似をしていた。後半は安田さんのDJ。タイトルコールをしてからテーマ、の繰り返し、いいなあ。先日亡くなった田中正史氏の特集も。
最後は二人で歌い上げて、シメ。好き放題やらせていただいて、楽しいトークショーだった。
夜半過ぎに帰ってから明日の準備。
一日、データ分析。発見いろいろ。
査読が次々と舞い込む。果たして日本を発つ前に全部終えられるだろうか。しかしまずは目の前のデータ分析から。
卒論ゼミ。ゼミ生の卒論テーマがなかなか決まらない。
すでに会話分析とジェスチャー分析の基礎はやったし、昨年までの卒論資料もざっと読んでもらった。それぞれ、なんとなくやりたいことはいくつかあるらしいのだが、「じゃ何にしよう?」と聞くと、はかばかしい答えが返ってこない。
今日kindle版で買った"Scientific papers and presentation. "(M. Davis)にこんなことが書いてあった。
手を付けるためにはどんな手段を使っても構いません。まずは手を付けなさい。いわゆる書くための準備運動なんぞに時間を使ってはいけません。書くこと。あなたの考えのへりにひっかかっているいかなるバケモノどもにも、邪魔させてはいけません。気むずかしいであろう聴衆の考え、書く以外のことにむかわせるような考え、あなたの英語教師によって植え付けられた良い慣用表現のテクニックを思い煩うこと・・・これらすべての悪魔を、行く手から追い払いなさい。何かを書ききるための唯一の道は「書くこと」です。突き進みなさい。改訂を重ねれば、やがてあなたの論文やプレゼンテーションはうまくまとまり、聴衆とうまくコミュニケートできるのだと確信できるようになるでしょう。たとえば、簡単な粗い原稿を10分でかいてごらんなさい。それは読むに耐えるドラフトになるには長い改訂を要するでしょうけれども、10分で書けます。そして、よい原稿を書くためのいしずえとなります。
(中略)
どう始めたらよいか迷うのは時間の無駄。書くための第一歩は何百もあるわけではありません。創作をするなら、意識の流れだのストーリーテリングだので芸術的で哲学的な次元を添えてもいいでしょう。でも、科学論文を書くのなら、次の四つ以外はまず必要ありません。
定義 define
列挙 enumeration
比較 compare - contrast
因果関係 cause - effect
どのアプローチにするかなどと迷わずに、どれかを選んで、とにかく書き始めなさい。他のものはあなたの考えのバックグラウンドに待機させておいて、使うときにすぐ呼び出せばよいのです。
論文執筆をする人のための文章だが、卒論に踏み出しかねている人にも使えそうである。
そこで、卒論ゼミで、前半部分を朗読し、後半部分をホワイトボードに書いてから、「じゃ、実際にやってみようか」で、10分間、かりかりと書いてもらう。条件は、「テーマは欲張らずに一つに絞る。そのテーマだけに10分間集中する」
10分たったら、それぞれの人に読み上げてもらい、コメントする。おもしろいことに、1時間後には、参加者全員の卒論テーマが固まった。あとはここから観察と実験と改訂を重ねていくのみ。よかったよかった。
薄花葉っぱのキーボーディスト、坂巻紗代をフィーチャーした夜。あずみちゃんとの夢見がち、鈴木こうさんを迎えてのオリジナル演奏、佐藤俊輔さんとの繭ごもり、そして薄花葉っぱ。どれも実に自在な演奏で、改めて紗代さんをはじめ薄花のメンバーの生き生きとした声の出し方はよいなあと思う。
繭ごもりの「時の鍵」「鳥かごを開けて」でちょっとボーカルとピアノを。かえる属(中尾+細馬)で、愛こそすべて、花牛図、転出、のびたさん(夏至過ぎゆえ)、坂の季節(紗代さんと)、電停(新曲)、街の名は渋谷。最後に「ぴかぴか星人応答せよ」「マイ・ボニー」を全員で合奏。ボーカルは紗代さんとようこちゃん。
朝から腹痛。食あたりか。午前中のゼミを午後に移動してもらう。午後、4割くらいのエネルギーでゼミ。すまぬ。あまり調子はあがらないが、来週以降のさまざまな準備。
「たんぽぽの家」へ。「ケアする人のケア」を身振りから考えるという研究会。
この日の発表については、委員の一人である佐久間新さんが詳しく書いて下さっているのでそちらを。
Gamelan Marga Sari Blog http://margasari01.blog63.fc2.com/blog-date-20100623.html
終わってから播磨さんのご案内で、焼酎のうまい飲み屋へ。帰りに志賀玲子さんと電車の中で話しながらいろいろ考える(途中で寝ちゃったけど)。
とても親密な相手とつきあっていると、「わたしがいなけりゃ」と思う。けれど、その関係は未来永劫続くわけではない。どこかで「わたしがいなけりゃ」を誰かに託すことを、「わたしがいなくても」を考えることになる。介護には、「わたしがいなけりゃ」と「わたしがいなくても」が同居している。
スキルがあって相性がよければよい介護ができる。けれど、誰もがそうなるとは限らない。グループホームにもデイケアにも、もちろんうまいへたや相性があるだろう。うまくケアする道をつけることはもちろん必要だ。でも、誰もが最初からうまくケアできるわけではない。できる人から見たらイライラすることもたくさん起こる。でも、そのうまくいかない関係が変わるのを「待つ」ことのほうが困難で、必要なこと。
うまくいかないとき、じつは関係がダイナミックに変化している。いままで表面的にうまくいってたことが問い直される。うまくいかないときこそチャンス。
「わたしがいなけりゃ」で途切れてしまう関係もある。終末医療に関わっている看護士の人が涙ぐんで話すのを聞きながら、いま「わたしがいなけりゃ」が託されようとしているのかもしれない、と思う。
看取る人にも、託す相手があるといいと思う。
実習、今年は盆踊りがテーマになりつつある。試しに東京音頭を何分でマスターできるか、そのプロセスで何が起こるかをみんなでやってみる。雨天気味ゆえ実験室内で。10分でおおよそ全員踊れるようになった。自分でけしかけておいてなんだが、室内で盆踊りを踊っている大学生と教員というのは、かなりヘンな図ではある。
夜、カフェ朴にて「まっくらカフェ」。今日は、前半が暗闇で料理を食べ、後半がねんどづくり。暗闇で10分間、手触りで粘土細工をつくる。テーマは「夏の思い出」。造形そのものよりも、丸めたり面を作ったり、というところにむしろ注意がいく。結局、「昆虫採集の最中に穴に落ちたら目の前にきのこに乗った芋虫登場」というわけのわからん作品ができる。他の人のは、スイカやトマトなど、もっとねんどのカタマリ感があって、あんな風にすればもっと気持ちよかったなと思う。
日曜日らしくギターを弾いて一日すごす。また新曲ができてしまった。この前3枚目を吹き込んだところなのだが。
昼からシンポジウムの会場設営と準備。展示室では金尾くんがお茶を、青山さんが食べ物を用意してくれてリラックス。あるお客さんが記帳に書いている様子が真摯で、気になって声をかけたら、呼吸器疾患の患者さんのことを考えている看護士さんだった。また、別の方が去りがたそうにしておられるので聞いてみたら、農工大時代の教え子の方だったり。
夕方から上田君の口上、曾我先生の挨拶、そしてシンポジウム。
懇親会。金尾くんとぼくとで簡単な展示ツアー。
外は雨が降りしきる。喜久子さん、レミちゃん親子と屋根のあるところづたいに中庭へ。着いた頃、不思議なことに雨が止む。何か口上があるのかなと思ったら、とんとんとんとんとんと小さいのが上がって、それからはものすごかった。花火が空を覆って、ずっとしびれてた。
こんな花火を見ることは、もう二度とないだろう。
夜中近くまで撤収。みんなおつかれさま。
会議会議。合間に日高先生パネル展の展示番。表に胡蝶蘭があるので、試しに暗室に持っていってブラックライトで照らしたら、中央上部にみごとに小さなスポットがあらわれた。これは「生物からみた世界」の解説にはうってつけだと思って、来客があるたびに、胡蝶蘭を暗室に入れて実験して見せる。
ブラックライトは、紫外線というよりは、紫外線に近い可視光を強調して他をカットするもの。だから厳密には、紫外線が見えている昆虫の視覚とは異なったものが見えているわけだが、それでも、他の波長に隠れてふだんは見えていないものを見るにはよい道具。ちなみに、ブラックライトのもとでお札を見ると、とてもきれい。
三回生ゼミと四回生ゼミで、日高先生のパネル展を案内する。ちょうどきみたちくらいのときに日高先生のゼミに入ろうって決めたんだよ、と話していると、自分もまたこの連鎖の中にいるのだなということが、よくわかる。
会話とは見えないものを見るという「投射」の力を行使するようなものだ、と、三回生に会話分析の話をしてから、「ソロモンの指輪」のことを解説。動物行動学は、「動物がいかに他の動物に対して投射の力を行使するか」を考える学問だという気がしてくる。
院生ゼミ。気がついたら3時間くらいディスカッションしていた。午後、日高先生のパネル展設営。14:00に始めて、夕飯時には終わるかなと思ったが甘かった。結局、夜半過ぎまで。
会議会議会議。
太宰治『女生徒』にいくつか気になる箇所があり、もととなった「有明淑の日記」を取り寄せる。手書きの日記がすべて複写され、翻刻されている。「このノート見ていると笑ひたくなる」。ああこれは全部いいな。青森県近代文学館発行の「資料集」。
posted at 01:37:00
卵のエッセイ、を書こうとして、日記を検索してみると、村上春樹「アフターダーク」について書いていた日があった。
posted at 10:06:18
2004.10.21「ハードボイルドになるためには、現在形の記述はどこかで過去の想起に押し込められる必要がある。そのことで、緩やかな卵の現在は、固ゆでの過去にされ、あともどりのできない変成を経た現実となる。」
posted at 10:06:45
「しかし「アフターダーク」ではその方式がとられていない。現在形の叙事的な記述が連なることで、村上春樹のハードボイルド文体は壊れている。壊れているから、読んでいて居心地が悪い。その居心地の悪さがそのまま、「私たちの視点」をとらされることの居心地の悪さにつながる。」
posted at 10:12:59
エルサレム賞で村上春樹氏によって語られた、卵と生き残りについての話は、彼の文体の問題として考えることができる。
posted at 10:15:39
実習に会議。卵料理のエッセイ、という、経験のないエッセイを書く。
昼前に目覚めて彦根に戻る。さすがに徹夜はこたえて、一日、役立たずになる。
出町柳駅に集合。今日はガケ書房主催の「いしゆ祭」のピクニック。幸い、梅雨前の上天気。緩急をつけて繰り出されるいしいさんと湯浅さんのホスピタリティ。
あなたはいま、森の中の神社にいます。数十人のピクニックに来た若者が、車座になっています。その中央に、一人の男性がいます。ギターを弾き始めました。「ドブ川の泡を、見つめながら」。あ、シェーだ! 湯浅さんがシェーを唄ってる!
電車の窓に貼られた湯浅さんの絵の中から「ラーメン」をもとめる。解散後、ひさしぶりにカフェ工船。それからアパート近くで、ピクニックに来てた方々と食事。ぱくぱく食べて飲む。
夜、Laboratoryのオールナイト梅田哲也へ。川手直人さんのギターは、コンロン・ナンカロウみたい。ぼくは夜半過ぎから好きなことをしゃべる。こんなことをしゃべった。
物が落ちる音が、上からやってきますね、ここは。
もちろん、かた、という音自体もびっくりするんですが、
一階にいますと、上から音が降ってくるのに、それは何かが落ちて当たった音なんですよ。ほらほら。
上で何かが落ちてるっておかしいでしょ。落ちてる物を見るとき、ふつうぼくたちは下を見下ろします。あ、落ちた、ってね。上から音が降ってくる。何かが落ちた音だ。それは、いま、ぼくがいる床とは違う、一段上の地平で起こっていることだ。ここはケッタイな場所だ。何にいちばん近いだろう。ピサの斜塔からガリレイによって上から同時に落とされながら、途中でひっかかったやつとひっかからないやつとの関係に似ているかな。で、ぼくがひっかからなかったほう。いっしょに落ちてきたのに、なぜおまえだけそこで落ちるの?っていう感じが、するんですね。
ぼくはいま、腰を落ち着けているけれども、これは気のせいで、きっとぼくはいま落下中なんだ。落下中だということを忘れたころに、あの、かた、という音がする。あいつには地面がある。ぼくには、ない。
まさかとは思ったけれど、ほんとにオールナイトで、ときどきサテライトに行ったり床でうつらうつらしながらなんとか最後まで居た。夢うつつで見る遠藤さんのドキュメンタリは美しかった。明け方、「Sunday Morning」の合唱。
今日は身体知の表現と獲得のセッションへ。リンゴの皮むきから溶接作業まで、扱われている事例は豊富。声による外化手法についての発表も。ちょうど、昔自分で自転車に乗りながらやっていた「独語論」に通じるところがあっておもしろかった。音声メモは時間に拘束される(時間に沿った着眼点を取り込む)が、手書きは時間に沿った着眼点を取り込みにくい(時間に拘束されない)。一方で、手書きだと、メモの空間配置によって、異なる時間どうしがくっつく利点がある。
そういえば、新聞取材を受けると、文脈が捨象されて「そんなこと言わなかったはずなのに」と思うような記事ができることがあるが、あれは新聞記者の人が、録音を使わずにメモをとって記事を構成することに由来しているのかもしれない。
茂里町から電鉄に乗って浜口町で降りる。見送る電車はぐっと左にカーヴして「長崎西洋館」なる奇妙な建物をくぐって消えた。電車とは反対に、車道を右側に。坂を上っていくと、長崎原爆資料館。爆心地を見下ろす丘の上にある。爆心地は谷にある。このあたりは低い丘と谷で形成されている。
「爆心地」ということばは、つい、地上でのできごとを思わせる。けれど、原爆は地上で爆発するのではない。それは、上空500mで炸裂した。丘では遮蔽できなかった。爆発は、丘も谷も照らし出した。
「爆心地」は戦前の元刑務所に近く、戦略拠点である港湾からはやや離れている。なぜそこが「爆心地」だったのか、という問いが、原爆には通用しない。天候の関係で、投下地点は小倉から長崎に変更された。雲間から見えたわずかな陸地をてがかりに投下された。そんな「おおよそ」の落とし方で、一帯をくまなく焼き払う威力が、原爆にはあった。「おおよそ」で人を殺めるとは、どういうことなのか。一帯をくまなく焼き払うほどの殺意が、なぜ「おおよそ」に為されるのか。
原爆資料館から、平和公園、爆心地跡へ。黒い墓碑の前で、空を見る。
松本町から電鉄に乗る。「長崎西洋館」をくぐる。
電車を乗り継いで彦根に戻る。
午後、学会を抜けて、長崎美術館へ。エル・グレコの「聖母戴冠」。片眼で見るとふしぎな3D感。三日月は鋭い船のごとく斜めに据えられて、その上に乗った聖母も、両側に座したキリストも父なる神も、上方に伸びて、天井画を仰ぐようなパースペクティヴ。しかも背後の天使は輪郭がぼかされている。まるで聖母、キリスト、父なる神だけが船に乗っており、それ以外の者たちは、窓の外を飛ぶように過ぎるかだ。高速でうつろいゆく時空の中に、突然この三者だけが確かなヴィジョンとなって現れた。三日月に乗って。
同じく長崎美術館で開催。じつは山下清の絵を生で見たのははじめて。
世間的には、山下清といえば裸の大将であり「スケッチ」なのだが、むしろ、学園時代から作られた貼り絵(ちぎり絵)に圧倒される。綿密に貼り込まれていく空や山や人物のレイヤーは、しかし、近づいてみると、こちらの想像を大きく裏切る。空の手前に山、庭の手前に人、というような常識的な順序では、貼り込まれていない。人の輪郭を出すために、人の足のまわりに土色を貼り込んである。空の手前に伸びる木が貼り込まれた後、その木の端が空の青でまたふさがれていたりする。事物の境界近くで、色が色を乗り越えて、どちらも手前に出ようとしている。それが遠目から見ると、エッジがきらめくような、不思議な輪郭感をもたらす。
夜、グラバー園を借り切っての懇親会。リンガー・ハットで喜波貞子展をやっていた。見ればよかったな。
朝から「認知症予防回復支援サービスの開発と忘却の科学」のセッション。午後、アルツハイマー型認知症高齢者の立ち上がり行動について話す。18:00過ぎまでひたすら認知症研究について。いささかくたびれた。
ustreamに浅草で行われたダブルオーケストラの映像。
ダブルオーケストラの指示はとても視覚的。指揮者同士もよく相手を見る。指揮者が見る先を奏者も見る。ところが、飴屋さんは相手の指揮をほとんど見ない。奏者は飴屋さんにぐっと注意が行きテンションが持続する。それは音に現れる。・・・で、それが最後にどんでん返しがあるんだよ!
人工知能学会で長崎に。今日は「認知症予防回復支援サービスの開発と忘却の科学」セッション・メンバーの顔合わせ。そばのビルに観覧車があったので乗ってみる。所要時間10分。起伏の多い町。遠い電停の音。
不思議なメルモ、イタリア版「魔法のキャンディ、リリー」。全然違うテーマ曲ですが、これはこれでなかなか。http://bit.ly/9JXvAj
posted at 02:33:27
RT @acoela: 学生時代、発生学をはじめて学んだ時に使った教科書が片桐先生の『動物発生学』でした。ご冥福をお祈りいたします。 RT @5goukan: [exblog] 発生生物学者 片桐千明 逝去 http://bit.ly/cKITym
posted at 08:13:52
iPhoneの動画撮影は、モニタとレンズが両面に固定されてるので、フィールドの撮影にはちと不便なんである。
posted at 09:27:48
さて、長崎に。人工知能学会で発表してきます。
posted at 09:28:18
岡山駅。倉敷の向こうで天文台もなかの看板が見えたりしないかしらん。Google mapを見てみる。新幹線からは、ちょっと見えないかなあ。
posted at 11:47:39
天文台は星を探しているうちに、星になってしまいました。天文台を探そう。新しい望遠鏡が必要です。
posted at 11:54:18
朝、京都から彦根に。一回生向けの実習。最初に八坂の鳥居を見てもらい、年号をチェックする。そこから思いついて、近所の神社の灯籠や鳥居や狛犬の年号をひとつひとつチェックしてもらった。いま目の前にある風景が、どういう順序でできあがったかを想像してもらうため。
夕方、昨日忘れたギターを取りに行く。彦根-大阪間を移動。今日はなんだか電車に乗ってばかり。
にゃうーん。みなさんご心配おかけしてすみません。ギターはおそらく阪急電車の梅田三ノ宮間を往復していると思われ。明日になったら拾得物預かり部署があくらしいので問い合わせてみます。
posted at 00:25:00
今日の音遊びの会の上映会、スペシャルだった。生のゆうごうくんの歌声が映画の最中に聞こえて、あのときを思い出す「うわー」っていう声がそこここからする上映会。
posted at 00:35:07
そして滑り込みで見た京都のmmm。いつにも増してぐっときました。emotional rescue!
posted at 00:36:41
みなさまご心配おかけしました。茶屋町忘れ物センターに届いてました。決め手は中に入っていたかえる目のCDでした。忘れ物係の人に「かえる目」って声に出して言ってもらった!
posted at 13:00:42
こ、今度こそは忘れずに持って帰りました。しかし、いざ忘れ物をしてみると、駅には実にあちこちに「忘れ物センター」の看板があるものだ。うかつ者への配慮なのかな。
posted at 20:51:00
会場に着くとさっそく永井くんが、おーって感じでやってくる。ムードメーカーやなあ、永井くん。今日は「音の城 音の海」上映会+音遊びの会演奏会。ぼくはしおりちゃんとデュオ。オフのときもしおりちゃんとペア。しおりちゃんは両手の人差し指をくっつけてふんふんふんと鼻歌を歌ってる。指の力の入れ方、いいね。指をくっつけていろいろ指話をする。リハでは指で数を数える。本番では、指は使わずに、声だけで。しおりちゃんの歌はすばらしいので、それにおんぶする形で。今日もリハにはなかった組み合わせがあちこちで。詳しくは、みつながレポートを。
みつながレポート 6/6上映会
http://blog.livedoor.jp/otoasobinokai/archives/51506865.html
上映会では、あやちゃんがどっこいしょに大笑いしたり、吉見くんがうおーと言ったり、ゆうごうくんの声が聞こえたり、とにかく「ライブ」な上映会だった。映画に声をあげても全然いいよね。そのあとのトークショーにちょっと出演。そのとき言いそびれたけど、つぐみちゃん、大友さん、江崎さんのトリオで、つぐみちゃんのショット、あらためて、すばらしかったです。あのピアノは本当に奇跡的。震える手も、そこからゆっくりと鍵盤が押される、その押され方も。
藤本さん作の花入れを買う。そのあと楽しい打ち上げ。
阪急電車でうつらうつらしてたら十三。あわてて降りて、ギターを忘れた。しまった。改札に申し出るも、出てくるかどうかは明日にならないとわからないとのこと。あいやー。
ギターに後ろ髪ひかれつつ、京都へ。urbanguildのドアを押すと、きつねの嫁入りの最後の曲。ベースが入って、大洋の感が高まった。
トリはmmm。外人さんもオムニバス号もしみじみと響く。みんなライブに来るといいよ。CDではわからない魅力があるのさ。そして、生をみたあと、CDが違って聞こえるからね。
朝、江崎さんおすすめのいずみベーカーリーでパンを立ち食い。
神戸から京都へ。部屋で査読。
守山へ移動。不動産を見学。高所から守山市内を眺める。
京都に戻って出町柳ソクラテス。DODDODO楽し。サンプラーはキーボードやギターを弾くのと違って、一押しすればフレーズが飛び出す。だから、リアルタイムでフレーズを作り出すというよりは、その一押しごとに曲があらたまることになる。サンプラーのボタンを、ぱちぱちと段取りよく押してもとりあえず音楽は鳴るはずだ。鳴るはずだが、DODDODOは歌いながら、一押しの瞬間に向けてうねるように情動を練り上げる。そのうねりが、一押しの瞬間を飲み込んだり、前でぐっと跳ね返ったり。手許を見てなければサンプラーであることがわからないほど。で、歌詞がまたいいのである。身の丈の壁にちゃんと向かっている。
HOSEはまたしても不穏な演奏瓦解。今日は段ボールが導入された分、いっそう瓦解度が上がっていた。段ボールの空虚。あらかじめたたまれることを運命づけられた空気。そこがドーナツの穴との違い。
mmm、今日は宇波くん、江崎さん、稲田さんをバックに。先日に比べて声の豊かさがどんと出てた。落涙者続出に違いなかった。
「セーラー服を脱ぎ捨てて」というところで、mmmは「セイラー sailor」と発音する。セーラー、だと女子高生だが、セイラー、だと水夫さん方面に響く。バスの歌だけれど、帆をあげていく船の歌のようでもある。
セイラー服を、というのは、浅川マキが「ちょっと、水夫さん」と呼びかけるときの、謎をかけるような感じにも通じている。そういえば「外人さん」は、そのなけなしの誘いっぷりが「港町」のようでもある。全然違うんだけどな、浅川マキとmmm。なぜ思い出すんだろう。新曲の「はい」ってかけ声、いいね。
本日もトリはcore of bells。昨日からさらにスピードが増した気がする。「へそにピアス」で一曲歌わせていただく。マイクの前に立ったらちょっと口元より高めだった。そのまま、おやじグラマラス、という所作で。
彦根市役所で、日高先生に花火を贈る会の記者会見。折しも新内閣発足の時間に集まっていただき恐縮至極。
神戸に移動。電車の中で日経に載せる書評を書く。
HOSE、かえるさん、core of bells。
リハのあと、「われわれが途中で全員倒れた状態になりますので、細馬さんがひとりひとりの頭をなでてください。そしたら次々に起き上がるので、それから演奏スタートです」という説明を受ける。段取りはわかったが、その意味はもちろん、まったくわからない。問うてもたぶん無駄である。それより振付をどうしよう。山形くんと歌詞の振付を取り決める。
まずHOSE。宇波くんが熊のようにうろつき出すと、早くも不穏な空気。そこから約40分にわたってバンド崩壊の気まずい雰囲気が持続し、演奏の終わりのありかすらわからないという内容。曲間の拍手もほとんどなく(一度数人が拍手しかけたが、これがまたじつに空虚な響きですさまじかった)じつにいやな後味を残してくれた。服部くんが片付けながら「客席あっためておきましたから」とニヤリ。
アゲンストの風吹きすさぶなか、わたくし、かえるさんは、たぬき、書架、古書通信、鳥かごを開けて、花牛図、街頭行進、坂の季節(全部曲名です。念のため)。ただの失敗をアダルトなタメにすり替え続ける。
そして本日のトリ、core of bells。ホルモン内閣成立から瓦解までの過程が繰り広げられる。服部くんと宇波君が、HOSEのときとは打って変わって嬉々としてヤジを飛ばしている。他人の不幸は蜜の味なのか。そんななか、きつねが出てくるかけあい妄言、よかったなー。と、書いてると、どこがハードコアなのかまるで判らないと思いますが、文章では意味不明なこの内容、その場にいれば初見でもすばらしくおもしろいので、みんなライブに足を運ぶといいと思います。ぼくは、指示通りに参入して、アルバム収録曲「へそにピアス」を歌った。
HOSEとcore of bellsはかなりオーナー近藤さんのツボにはまったらしい。その、上機嫌の近藤さんのご案内で、近所の焼肉屋に。ホルモン食うホルモン内閣。さらにクアハウスに移動して夜半を過ぎ、無責任な人生相談や相談事故が続く。
この夏のTシャツはどうしよう。と思ってたら、TeePartyという新しいサイトが立ち上がったとガビンさんに教えてもらう。デザインしたTシャツを一枚からオンデマンドでプリントすることができる。自分用に作るのも悪くない。というわけで、POSTCARDというTシャツレーベルを立ち上げてみた。
POSTCARD: https://teeparty.jp/postcard/
100年前に誰かが出した絵はがきが、まわりまわってTシャツの上にたどりつき、誰かが着る。もしかしたら、ぼくには読めないイタリア語やギリシャ語の通信文を、誰かがTシャツの上に見つけて読んでくれないかしらん。そんな期待もこめて、使用済み絵はがきを集めたレーベルにしてみました。
カタログ上では、絵はがきのエッジがかなりくっきりしてますが、実際に来て見ると、体の線に合わせて柔らかくなる。なかなかいい感じ。
他にも沢山レーベルがあるのでのぞいてみてはいかがでしょう。
TeeParty: https://teeparty.jp
三回ゼミと卒論ゼミ。会議。家に帰ってサキソフォン物語を読み通す。おもしろい内容だった。詳しくはさ来週かその次の週の書評にて。
林哲夫さんのdaily-sumusに「斎藤茂吉異聞」。「リギ山の一夜」の、あの微妙な文章の裏にはそんなことが。 http://sumus.exblog.jp/13381614/
posted at 00:10:05
さて、向こう50年のことを考えなくちゃね。その頃はもう生きてない、てのはナシで。
posted at 00:44:45
そこでまずは、ビールのつまみを買いに行こうかどうかを考えるのである。
posted at 00:48:36
中期計画は長期計画のもとに策定されたはずなのだから、長期計画の達成のために変更してもよいはずなのだ。
posted at 00:54:42
院生ゼミ。「エスノメソドロジーを学ぶ人のために」の読み合わせ。じつは三、四回のゼミでも同じものを読んでいるのだが、読むメンバーによって深度が変わるところがおもしろい。会議二本をハシゴ。
朝、新幹線で彦根へ。車中査読。書類に会議。