1.
渡辺直己の歌について書こうと思います。
渡辺直己のことは母からよく聞かされていました。昭和15年になくなった私の祖父、長田健雄は呉の市立高等女学校で美術を教えていました。前年の昭和14年に亡くなった渡辺直己は、祖父の後輩であり同僚で、祖父と旅をしたり頻繁に手紙を交わしたのだということでした。彼は戦争歌人としてアララギに取り上げられ、茂吉や文明から激賞されたという話も、やはり歌人である母はよくしてくれました。けれど、自分の縁者に近い話というものには、逆になかなか手が伸びぬもので、これまで歌集や記録を読んだことはありませんでした。
たまたま先日、祖父が愛唱していたという服部良一の国民歌謡『祖国の柱』がどのような歌であったかを知りたくなり、両親と話しているうちに、渡辺直己もまた、この歌を愛唱していたことを知りました。それをきっかけに、彼のことが気にかかるようになり、この夏、全集を取り寄せ、歌集や日記そして、随想や創作を読みました。読み進めるうちに、全集の帯にある「反戦」ということばが、なぜかしっくりこないのが気になってきました。とりわけ歌集と日記を読むほどにわたしの考えは「反戦」ということばとかみ合わなくなってくる。とても「反戦」ということばで渡辺直己を語れそうな気がしない。これはどういうことなのか。もしかしたら浅学者のわたしの思い違いなのかもしれないけれど、大事なことである気もするので、ここに書き留めておこうと思います。
なお、現時点で、渡辺直己について書かれた幾多の評論の存在は知っていますが、未だ参照してはいません。論文ならばこれらを渉猟する必要がありますが、ここでは、手元の全集のみを手がかりに考えてみようと思います。なぜかわからないけれど、そういうことを、この夏が終わるまでにやっておきたくなったのです。(2010.8.20)