『わろてんか』の第一週、幼少期の主役である新井美羽をはじめ俳優の演技を楽しんだ。ことに鈴木福の驚きのバリエーションが豊かで、いい役者さんになってはるなあと思う。竹下景子、鈴木保奈美、遠藤憲一も関西の人ではないけれど、それぞれよい味を出している。オープニングのアニメーションの、驚き盤を模したような風合いもよい。
その一方で、脚本と演出は、ちょっと物足りない。
たとえばてんが逃げ回るうちに高座にあがってしまい、その顛末が観客に笑われる場面。おそらくは、のちに「しし」として舞台に現れて笑いがとれなかった藤吉との対比を出そうという狙いだと思うのだが、この場面はこれから何度か回想されるのだろうから、何かあとでてんが思い出して心温まるような大人とのやりとりがあればよかった。怒られると思った噺家から声をかけられるとか、コツンとやさしく小突かれるとか。観客から「ええぞ!」の一言がかかるとか。あるいは高座の後ろの幕からこっそり覗いて、噺家の浴びる笑いをそのまま感じるとか。いまのままだと、てんはたまたま噺をぶちこわして笑われただけだから、将来この場面を思い出したとしても、ちょっと思い出が殺風景なのだ。そういえば、やはり繰り返し用いられるドイツ人とのやりとりだが、わざわざてんが謝りに行った結果はどうなったのだろう。
もっとも違和感を持ったのはチョコレートの扱いだった。わたしは明治30年代のチョコレート事情には通じていないが、武田尚子『チョコレートの世界史』(中公新書)などを読むと、この頃はまだ純正国産のチョコレートもなかったようだし、あんな金のノベボーみたいなチョコレートを、気楽に食べることはできなかっただろう(ちなみに森永が原料用のビターチョコレートとミルクチョコレートの製造を始めるのは1918年のことだという)。薬種問屋らしく、これは滋養強壮にきくんやとか、お菓子やない、薬どすえ、というような注意はなかったか。また、いまのように知られていないその不思議な味を、人は即座においしいと思っただろうか。そもそもこの時代のチョコレートは現在のミルクチョコレートのように食べやすいものではなく、もっとココア臭のきついものだったかもしれない。
だからこそ、まずはてんが食べたときの反応をどこかで見たかったし、珍しい食べ物なのだから、藤吉が一口食べて「けったいな味やな」とか、あるいはてんが「そない急いで食べたらあかん…」というやりとりもあり得ただろう。はたまた藤吉の口の周りについたチョコレートに対して風太が「なんやこいつ、口に『茶色い』のつけて」などと突っ込むとか、それを舌でひとなめして藤吉が「甘い」とうっとりするとか。すでに妄想が過ぎる気がするのでこの辺で止めておくが、ともあれ、この場面は、てんと藤吉、風太の初めての出会いなのだから、何か三人の心に刺さってあとで思い出されるような魔法が埋め込まれているとよかった。
もう一点、チョコレートを「チョコ」と呼ぶのはこの当時それほど一般的だっただろうか。もしチョコレート、ということばを「チョコ」と略して使うのであれば、その不思議な響きに対する違和とおもしろさを二人でかみしめるところも欲しかった。そういえば、あとでキースがそのチョコレートのことを「とろける」ということばで思い出すのだが、彼に「とろける」ということばを使わせるやりとりは、どこかに埋まっていただろうか(藤吉の口にべたべたついた茶色いものを見て、自分が食べもしないのに「とろける」とは言わないだろう)*。
思い出は物語ではなく、物語のタネであり、タネは定型におさまらない細部に宿っている。幼少期のエピソードには、そういう細部があるといいのになと思う。やはり明治30年代生まれで船場や神戸に暮らした稲垣足穂の書くチョコレットやココアの魔力を思うと、『わろてんか』にも、もう少しチョコレート・マジックが欲しいのだ。いや、私が単に食べ物に意地汚いだけかもしれないのだが。
(*注:10.7分を見て追記した。)
10.12 追記:その後、ドイツ人の扱い、酒の扱いほか、さまざまなエピソードを見たところ、これはどうやら、時代背景を掘り起こしたり各エピソードから細部を積み重ねていくドラマではなく、その場その場で笑いを取りに行くドラマのようだ。チョコレート云々などと細かい話を望むべくもなく、この文章もまるでアサッテのことを妄言したものと考えたい。