錦戸亮演じる坂本九は、ちょっとはかない感じがする。1961年、この前年に坂本九はすでに「恋する60才」でヒットを飛ばしていたはずなのだけれど、『夢であいましょう』のリハーサルで新井浩文演じる永六輔に「なんだその歌い方は!」と怒鳴られて、売れっ子というよりはなんだか寄る辺ない子犬のような表情になる。
トットちゃんと同じ早食いではあるが、九ちゃんにはがつがつとした勢いがなく、「ぼく、九人兄弟の末っ子なので」と言う。その九ちゃんに、トットちゃんはまるで姉のように九ちゃんにエビチリを分けてやる。九ちゃんのはかない表情は、ちょっと泰明ちゃんを思い出させる。
帰り道、九ちゃんが道ばたにいた子を拾い上げる。トットちゃんが矢継ぎ早に語りかける。「あらあなた、迷子なの?」「ねえ、何人兄弟?」「この人はね、九人兄弟なの。あなたは? 十人兄弟?」数を唱えることばはいつも、どこか呪文めいている。そしてこの犬はまるで、第一回でトットちゃんと鼻をつき合わせて、トットちゃんにけもののことばを教えた犬の末裔みたいだ。
いまやけもののことばを自在に操るトットちゃんは、九ちゃんに犬をあてがう。まるで九ちゃんにけものの魔法を与えるように。「九ちゃんに抱っこしてほしいんですって」。
九ちゃんは犬を抱いて本番で歌う。もう永六輔は怒鳴らない。きっと、犬の力だ。
それからというもの、九ちゃんは犬と一緒にいる。セリフを覚えるときも一緒、夕食に出るときも一緒。リハーサルと本番のわずかな間、中華飯店に食べにきた九ちゃんが犬にもちゃんとご飯をやっている姿を、カメラはさりげなくとらえている。
その九ちゃんが何者かにさらわれてしまうというのが、この日の「若い季節」の筋書き。本番、この筋書きをさらに混乱させるかのように、不吉なできごとが次々と起こる。ハナ肇の頭にはドアが激突し、トットちゃんの後ろからは壁が倒れかかる。カンペなしで臨んだ三木のり平は、このトラブルの連鎖にすっかり落ち着きを失い、セリフがとんでしまう。なんだ?とワンさん。椅子を蹴るディレクター。「終」の文字を手にするスタッフ。そのとき、トットちゃんの推理が炸裂する。三木のり平のセリフを次々と翻案し、犯人の名前を言い当て、そして九ちゃんはいまごろ…ドン!「横浜だ!」。
テレビジョンの中の横浜はプランタン化粧品のすぐそばにある。いや、実は新橋だってじつはすぐそばにあるのではないか。スパーク娘がスタジオで歌う「あなたもあなたも」。ワンさんが新橋の中華飯店で歌う「あなたもあなたも」。スパーク娘が踊る。餃子がみるみる焼ける。伊集院ディレクターがコードを必死でさばく。もつれて近づきすぎた歌と餃子の距離をほどくように。しかし歌は遠くのものを近くに引き寄せてしまう。テレビジョンは遠くのものを近くに引き寄せてしまう。あなたもあなたもあなたも。
本番はトラブル続きで大幅に押している。いや、大丈夫です!なぜなら満島ひかりのすばらしい早口がナマ放送を貫くからだ。「九ちゃんだけ誘拐したって、自分の映ってるフィルムを持っていかなきゃなーんの意味もないのに、キャメラを落としたことにも気づかないマヌケな犯人なんて、あたし、ちっともこわくないわ! それに…」突然、弟を思う姉の気持ち、子犬を九ちゃんに託した気持ちに突かれたように、トットちゃんの早口はさらに加速する。「アルバイトなのに正社員以上にプランタン化粧品のことを愛していて、拾った子犬を放っておけないような、やさしい九ちゃんのこと、わたし、このままほうってはおけないんです!」。
セットからセットへ!この世の最短ルートを駆けて九ちゃんの救出に向かうメンバーたち。ところが幾多の窮地を乗り切ってきたこの劇中劇に最大のピンチが訪れる。なんと倉庫のセットにスタンバイしているはずの九ちゃんがいない。北村有起哉、濱田岳が二人のディレクターの精神の限界をそれぞれのテンションで好演しており、彼らの奮闘努力の甲斐もなく、もはや劇は「終」寸前まで追い込まれる。
なのに満島ひかりは、黒柳徹子の半笑いが乗り移ったかのように、「九ちゃんは」「ちょっと九ちゃんどこ?」とピンチを意に介さない。そして不意に、トットちゃんはけもののことばを話し出す。すると、なんとしたことでしょう。ハープがぽろんぽろんと鳴り、魔法がかかる。
「テレとは遠い距離、ビジョンとは見ること」。テレビジョンは、遠い世界のできごとをすぐそこで起こっているように見せてくれる箱。でも、この箱には全く逆のしくみもある。トットちゃんの生きているのは、すぐそばで起こっていることを時間も場所もまるで違うできごとであるかのように見せる、テレビジョンの「ナマ放送」の世界だ。セットを仕切るドアはいつ倒れるかわからない。壁はいつ倒れてくるかわからない。セリフはいつ飛ぶかわからないし、人はいつ寝入るか分からない。そして、狭いスタジオの片隅で誰かが寝入ってしまったとしても、人間は誰も探し当てることができない。セットとセットの間には、人間ではないけものだけが見つけることのできる、こことよそとをつなぐ道がある。だからこそトットちゃんはパンダを抱え、犬と語り、けものに導かれて、こことよそを往復する道を見いだす。
そういえば、第二回で、トットちゃんは九ちゃんの肩をとんとんと叩き、まるで泰明ちゃんとやったようにどこか遠くを見上げた。泰明ちゃんも九ちゃんも、もういない。けれど、そこにたどりつく方法を、トットちゃんは知っている。犬に教えてもらったから。
魔法の時間。そこでは声が消え、ホーンセクションがバラードを奏で、犬はスタジオをかけてゆき、あんなにセリフが言えなかった三木のり平が、そばを高々とすする。離れたセットのかげへと、犬はメンバーを導いていく。そして、スタジオのかげで眠っている九ちゃんの上に乗る。
「九ちゃんいたよ!九ちゃんいた!」九ちゃんの命運を知っている者には胸が詰まるようなディレクターのことば。そしてなぜだろう、「九ちゃん最近忙しくて疲れてるから、このまま寝かしといてあげましょ」という、姉のようなトットちゃんのセリフで、九ちゃんはとても親密で、でもけして手が届かなくて、そして手を届かせないことで親密な存在になる。わたしは、まるで長い間見失っていた九ちゃんを見つけ直したような気になった。
植木等が決めぜりふを放つや、ギターが1,2,3、ピアノが1,2,3、そして「スーダラ節」の大団円に全員が巻き込まれていく。中華飯店に、まるで広々としたスタジオで鳴らされているような深い反響の手拍子が響く。歌も餃子も、一つの天井をいただき、踊っている。トットちゃんは、まるで木の上にいながら木の下にもいることができるかのように、櫓の上で歌いながら櫓の下で踊る。そして踊りの渦中にいながらまるでこの世にひとときまぎれこんだかのような絶妙な距離感でこう言う。
「楽しそうね、みなさん!いいことだわ。」