また、必ずここに、戻ってまいります:「おちょやん」の演技と演出

12/24(木)

 12月24日のラストはしびれるような演技と演出だった。一平の台詞、「また、必ずここに、戻ってまいります」が、どういうわけか、千代のことばとして響いて胸に迫ってきた。まだ物語は序盤で、戻るも何も、千代は役者にすらなっていないのに。なぜだろう。

 天海天海一座の楽日、一座の主役、千之助が出ていってしまった。しかも女中役の漆原が腰痛で出演不能になってしまう。一平は千之助の役をやることになり、たまたま居合わせた千代は芝居経験もないのに、急遽、女中の役をあてがわれる。

 もし千代が、「ガラスの仮面」のマヤの如く生来の天才役者であったなら、この場面で、お茶子をやりながら諳んじていた台詞をすらすらしゃべって、客をうならせたことだろう(実際、「ガラスの仮面」の愛読者でもあるわたしは、そういう展開を一瞬予想した)。けれど、事はそううまくは運ばなかった。千代には、物語のなかの女中が、まるで自分のように思えて、女中と自分がいっしょくたになってしまって、気がついたら「いやや!うちはどこにも行きとうない!」と叫んでいた。「岡安にいてたいんや!」もう役なのか自分なのか、区別がつかない。客はしずまりかえっている。

 舞台が終わり、千秋楽の挨拶で、千代はなぜか一平の隣に座らされる。天晴は、一座を代表して、一平に挨拶をまかせる。そんな段取りは打ち合わせにはなかった。挨拶をどうしようかと考える一平を、千代はじっと見ている。舞台には役者がずらりと並んでいるが、こんなに一平をじっと見ているのは天晴と千代だけだ。つい舞台前には、才能のない自分を自嘲するようだった一平が、絞り出すように言う。

「また、必ずここに、戻ってまいります」

 そう言って一平が頭を下げるショットで、わたしはやられてしまった。その瞬間、千代が、まるで一平と呼吸を合わせるように、一座の誰よりも早く、深々と頭を下げたからだ。お茶子で鍛えた客商売の反射神経だろうか。いや、おそらく千代は、一平のことばに、感応してしまったのだ。また、必ずここに、戻ってまいります。一平のことばが、どういうわけか、まるで自分のことばに思えて、一平と自分がいっしょくたになってしまって、気がついたら頭を下げていた。

 千代が顔をあげると、客の笑い顔が見える。どうしてみんな拍手をしているのだろう。涙が出る。これはただの別れの辛さの涙ではない。初舞台の高揚が千代を包んでいる。その高揚が、いましがた一平が訥々と発した決意のことばと重なり、自分のことばになっている。この先、何の後ろ盾もない。どこにも行きとうないのに、どこへとも知らぬところへ行かされてしまう。なのに、客席を見ているうちに、不思議な確信がわいてくる。自分はここに、戻ってくるに違いない。こんな風に、拍手を浴びに、ここに戻ってくるに違いない。涙が出るのに、笑みがこぼれてくる。

 拍手はまだ続いている。

記憶は街に留まる:「おちょやん」の「カチューシャの唄」

 12月18日(金)の「おちょやん」での、カチューシャの唄のシークエンスはすばらしかった。ちんどん通信社の演奏からサキタハジメによるアレンジに引き継がれながら、途切れることのなく、複数の別れを縫い合わせていく、一幅の音楽劇。

 高城百合子は旅立とうとしている。道頓堀の街、幟がはためくなか芝居客が通り過ぎ、物乞いは通りに留まって行き交う人々に頭を下げている。
 百合子は歩きながら、もはやこの通りの風景にはないなにかを思い出そうとしている。その背後で、まるで百合子の行おうとしていることに気づいた妖精たちのように、チンドン屋が様子をうかがい、演奏を始める。百合子が振り向くと、目前で、青木美香子の唄が始まり、ありありと記憶は色づき始める。記憶は音を奏でながら、時間に囚われたようにうねうねと歩き出す(このときの林幸治郎のすっとした表情と足取りがすばらしい)。ちんどんと唄は、別テイクで録音されているのだろう。音楽家たちの所作と音楽は少しずれている。けれど、それがかえって夢のような効果をもたらしている。クラリネットの指使い、太鼓のバチが音を鳴らしているのではない。それらを操る人の所作が、魔法のように音楽を生み出しているのだ。
 ちんどんは蛇行する。百合子はまっすぐ歩く。記憶と人とのあいだに、次第に距離ができる。百合子は音楽を背中でききながら遠ざかっていく。

 太鼓の調子が変わり弦の響きが加わると、それを合図に音楽は別の記憶を呼び覚ましに行く。芝居茶屋では、お茶子たちが、組見の芝居客を忙しく接待している。酔客の一人がふと遠い誰かに呼びかける。「おい、よしお、おまえなんか歌え、きいとるのか、よしお」。千代ははっとする。幼いヨシヲの顔が浮かぶ。ヨシヲは泣いている。ヨシヲの別れの姿。無言のヨシヲの代わりに、「カチューシャの唄」が再び始める。カチューシャかわいや、別れの姿。歌声の主を探して千代が振り返ると、ヨシヲとは似ても似つかぬ男が、ふらふらと立ち上がって、ただ「アホウ」と言う。立ち上がった記憶から遅れてぬっと現れる現実のような、一瞬のMr.オクレの姿。

 唄の続く間に、シズと延四郎は神社でなごりを惜しんでいる。別れ際に、シズは気持ちのこもった声で「お健やかに」と言う。その「健やか」ということばが、どんな風に思いがけず延四郎の感情を打ったかを、シズはまだ知らない。

 カチューシャの唄の順番は少し変更されている。本来は四番の歌詞が三番に、三番の歌詞が四番に入れ替わっているのだ。そのおかげで、千代がヨシヲの幻を見たあとには「つらい別れの涙の隙に/風は野を吹く ララ 日は暮れる」となり、シズと延四郎の別れの場面では「せめて又逢うそれまでは/同じ姿で ララ いてたもれ」となる。このちょっとした変更によって、ドラマと歌詞の間には微妙な綾がもたらされている。

 そして、ドラマで歌われなかった五番の歌詞はこうである。

 カチューシャかわいや わかれのつらさ
 広い野原をとぼとぼと
 一人出て行く ララ 明日の旅

 

「スカーレット」、身体の使い方

 第90回、3人が久しぶりに「赤玉」ワインで語り合っている。照子(大島優子)が気安く信作(林遣都)に足を乗せ、喜美子(戸田恵梨香)もそれに乗じて身体を預ける。なんて足癖の悪さ。こんなに足癖の悪い登場人物がかつてドラマで描かれたことがあっただろうか。その、照子の足癖の悪さを描くべく、カメラはまず並んで寝そべった3人を正面から撮り、後方で照子が信作に、手のかわりに足を出すところをうつしている。3人の身体配置を見せるべく、カメラは天井にも設えられており、次のショットではその天井カメラが、足癖をきっかけに喜美子と照子が平面でおしくらまんじゅうをするように信作の身体に乗っかっていくのをとらえている。この構図で見ると、信作の身体は、もはや喜美子と照子の運動場だ。運動場が腕立て伏せをする。2人が転げ落ちる。これらの運動のあとだからこそ、「いまやから言うけど大会」にはいまだから言う勢いがつき、いまだから言ってしまったあとのしみじみした空気が流れ出す。

 いい大人がじゃれあっている図、とひとことで言ってもいい。しかし、スカーレットのじゃれあいが、単なるなれなれしさを越え、いつも何か新しいことが起きている気にさせるのは、そこに俳優の思いがけない身体の使い方があり、そして使い方を逃さずとらえるカメラワークがあるからだろう。

衆議院オリンピック東京大会準備促進特別委員会のこと

 連載にも記したように「衆議院オリンピック東京大会準備促進特別委員会」はオンラインに記録が残っている。 議事録は、田畑や川島の口調をよく伝えているほか、津島委員による先のジャカルタ大会の詳細な報告もあり、ドラマの裏舞台を知るにはうってつけの内容だ。以下のページの詳細検索で、会議名を「オリンピック」で検索すると9/12分がヒットするので興味のある方は一読されるとよい。

http://kokkai.ndl.go.jp/

 せっかくだから、実際の議事録に載っている田畑政治の発言の一部を抜き出してみよう。

 「それではあそこにどういう競技会があったかというと、これは法律的に言いますと、アジア競技会以外の競技会はないわけです。国際陸上競技大会というものは正式になりたっていないわけです。従って、何をしたかというと、あるものはやはり第四回アジア大会ということでございますから、それに立った前半の話をしたので、あとのことについてのあれがなかったので非常に混乱して、相済まぬと思っておりますが、あの点については…」

 速記録ということもあるが、笑ってしまうほどコソアドが多い。思わず阿部サダヲの口調で読んでしまいそうだ。

 ところで、実はこの「衆議院オリンピック東京大会準備促進特別委員会」…ええい、面倒なので以下「オ特委」と呼ぶが、このオ特委は、何も田畑をつるし上げるために始まったわけではない。オ特委は、1961年9月30日、国会議員と参考人で構成される、まさに「準備促進」のための委員会として発足した。そして田畑政治や松沢一鶴は毎回のように参考人として出席し、予算増額の必要性を盛んに訴えている。スポーツと政治は別物。とはいえ、田畑自身もまた幾度も政治家と渡り合い、さまざまな手管でオリンピック予算の獲得に動いていた。その委員会が、1962年9月12日、急に津島と田畑の責任を問う内容へと豹変したのだった。

 それにしても、研究者でさえときに精読が苦痛になるようなこんなくだくだしい会議録をおもしろく読めてしまうとは、わたしたちは「いだてん」を通して相当な「オリンピック・バカ」になってしまったのに違いない。

吹浦忠正さんと森西栄一さんのこと(吹浦さんのブログから)

1964年東京オリンピックの際、式典課の国旗担当として活躍され、現在も国旗のスペシャリストで大河ドラマ「いだてん」の国旗考証をしておられる吹浦忠正さんのブログ。読みどころがいくつもあるが、その中から、聖火リレーコース探査隊として活躍し、組織委員会の職員でもあった森西栄一さんに関する記事へのリンクを集めた。

森西栄一・私が尊敬する人
森西栄一という人(2)
森西栄一という人(3)
森西栄一という人(4)
森西栄一という人(5)
森西栄一という人(6)
聖火リレー秘話
名は「サファリ」(1)
名は「サファリ」(2)
東京オリンピックの年に

聖火リレーコースの可能性を探る(「東京オリンピック」8号より

以下は、東京オリンピック組織委員会発行の「東京オリンピック」8号の記事「聖火リレーコースの可能性を探る」からの引用である。内容は1962年2月に行われた聖火リレーコース探査隊の報告会の記録で、各隊員が次の表題の文章を寄せている。ここには車両整備を担当した安達教三と車両運転を担当した森西栄一の文章を転載する。

安全正確に 麻生武治(隊長)
不順な気候 土屋雅春(医師)
沿道の熱意 矢田喜美雄(朝日新聞社員)
熱風の苦難 小林一郎(朝日放送)
砂漠と悪路 安達教三(車両整備)
歓待と拍手 森西栄一(車両運転)

砂漠と悪路 安達教三

 道路と自動車は切っても切れない関係にある。道路はというと、これは気候あるいは天災地変によって簡単に変り得る。従って車両と道路と気候の3つは不可分の関係にある。
 ギリシアからシンガポールまで182日間を費し、6月23日から12月21日までの長期間を踏査したが、車で走った日数は夜間走行6日間を含め僅か51日間。その走行キロ数は18870余で、これは実走行キロである。1日一番多く走った日は1072キロ、一番少なかった日は、ガンジス河を小舟で渡った日で、31キロ、1日平均の走行キロは、これらを全部含めて370キロ。その間行く手には、常に試練が待ち構え、この試練こそ、この上もない良き教訓を与えてくれた。
 第1に、ギリシアとトルコ、さらにイランの砂漠の中に、りっぱな舗装道路があった。最高速度150キロぐらい出る車でなければ物足りないと痛感した。
 第2に、シリア砂漠の横断である。シリアのダマスカスからイラクのルトバまで。ジョルダンを通れば砂漠の中にりっぱな道路があるが、ジョルダンがオリンピックに加盟していないので立寄らず、あえてシリアの砂漠を横断した。案内人を雇ったおかげで無事に砂漠を横断することができた。われわれが見ると砂漠には道がないようだが、案内人によれば、道はちゃんとあるという。
 第3に、中近東諸国、特にイラク、イラン地区の真夏の気温である。7月の半ばであったが、気温は車内で摂氏60度。もっともこの暑さはこの地方でも17年振りの猛暑の由であったが、こういう猛暑の時期があることを忘れてはならない。
 第4に、砂漠でのパンクである。われわれの2台は8回もパンクした。砂漠でパンクの取替え、取外し、取付けには全く閉口した。
 第5に、アフガニスタンでスレーマン山脈の4千メートルの峠を越したが、これは富士山の3776メートルよりも高いのだ。
 第6に、雨期におけるパキスタン、インド、ネパール地区の通過である。この地方も80年振りの豪雨でガンジス河は氾濫し、長さが東京・大阪間ぐらい、幅が関東平野ぐらいに拡がっていた。そこを深さ1メートル前後の水の中を走行した。さらにネパールからインドに入る時には、氾濫しているガンジス河を小舟に車をのせ渡らなければならなかった。
 第7に、タイ緬国境を半月がかりで通ったが、昨今では印緬国境、タイ緬国境は、治安上の問題で通過することが出来ないというのが常識になっている。なおタイ緬国境の道路は、おそらく雨期には通行は不可能と思え、ここ2,3年でこの悪路が急によくなるとは絶対に考えられない。
 以上はほんの僅かな例にすぎないが、今回の体験を十分に生かして、最悪の事態を常に予想し、対策が立てられなければならないと思う。(日産自動車)

歓待と拍手(森西栄一)

五輪の旗と吹き流しの鯉のぼりをもち、歓待と拍手に迎えられ、オリンピアからシンガポールまで踏破することが出来た。あるところでは軍楽隊の演奏に、あるところでは敬礼に迎えられ、ある市民歓迎会では100歳の老人もまじえて50人くらいの人と握手し、あるところではスポーツマンからサインを求められたりした。スポーツを支える数カ国の軍人や政治家、それにスポーツマンの全部が、この陸路聖火を運ぶというロマンを非常に熱望していることがよくわかった。そして私たちはオリンピック熱が、日本ばかしではなく、中近東の至るところにもひろがり、そしてまた日本人が聖火リレーを通して偉大な人間性やオリンピック精神をともにプロモートし、アジア、世界の精神的支柱として確固とした地位を位置づけるであろうことを信じて疑わない。(オリンピック組織委嘱託)

東京オリンピック 8号 1962年2月25日より

トットの抜け道 第3回(「トットてれび」のこと 再掲:2016.6.17)

 錦戸亮演じる坂本九は、ちょっとはかない感じがする。1961年、この前年に坂本九はすでに「恋する60才」でヒットを飛ばしていたはずなのだけれど、『夢であいましょう』のリハーサルで新井浩文演じる永六輔に「なんだその歌い方は!」と怒鳴られて、売れっ子というよりはなんだか寄る辺ない子犬のような表情になる。

 トットちゃんと同じ早食いではあるが、九ちゃんにはがつがつとした勢いがなく、「ぼく、九人兄弟の末っ子なので」と言う。その九ちゃんに、トットちゃんはまるで姉のように九ちゃんにエビチリを分けてやる。九ちゃんのはかない表情は、ちょっと泰明ちゃんを思い出させる。

 帰り道、九ちゃんが道ばたにいた子を拾い上げる。トットちゃんが矢継ぎ早に語りかける。「あらあなた、迷子なの?」「ねえ、何人兄弟?」「この人はね、九人兄弟なの。あなたは? 十人兄弟?」数を唱えることばはいつも、どこか呪文めいている。そしてこの犬はまるで、第一回でトットちゃんと鼻をつき合わせて、トットちゃんにけもののことばを教えた犬の末裔みたいだ。
 いまやけもののことばを自在に操るトットちゃんは、九ちゃんに犬をあてがう。まるで九ちゃんにけものの魔法を与えるように。「九ちゃんに抱っこしてほしいんですって」。
 九ちゃんは犬を抱いて本番で歌う。もう永六輔は怒鳴らない。きっと、犬の力だ。

 それからというもの、九ちゃんは犬と一緒にいる。セリフを覚えるときも一緒、夕食に出るときも一緒。リハーサルと本番のわずかな間、中華飯店に食べにきた九ちゃんが犬にもちゃんとご飯をやっている姿を、カメラはさりげなくとらえている。

 その九ちゃんが何者かにさらわれてしまうというのが、この日の「若い季節」の筋書き。本番、この筋書きをさらに混乱させるかのように、不吉なできごとが次々と起こる。ハナ肇の頭にはドアが激突し、トットちゃんの後ろからは壁が倒れかかる。カンペなしで臨んだ三木のり平は、このトラブルの連鎖にすっかり落ち着きを失い、セリフがとんでしまう。なんだ?とワンさん。椅子を蹴るディレクター。「終」の文字を手にするスタッフ。そのとき、トットちゃんの推理が炸裂する。三木のり平のセリフを次々と翻案し、犯人の名前を言い当て、そして九ちゃんはいまごろ…ドン!「横浜だ!」。

 テレビジョンの中の横浜はプランタン化粧品のすぐそばにある。いや、実は新橋だってじつはすぐそばにあるのではないか。スパーク娘がスタジオで歌う「あなたもあなたも」。ワンさんが新橋の中華飯店で歌う「あなたもあなたも」。スパーク娘が踊る。餃子がみるみる焼ける。伊集院ディレクターがコードを必死でさばく。もつれて近づきすぎた歌と餃子の距離をほどくように。しかし歌は遠くのものを近くに引き寄せてしまう。テレビジョンは遠くのものを近くに引き寄せてしまう。あなたもあなたもあなたも。

 本番はトラブル続きで大幅に押している。いや、大丈夫です!なぜなら満島ひかりのすばらしい早口がナマ放送を貫くからだ。「九ちゃんだけ誘拐したって、自分の映ってるフィルムを持っていかなきゃなーんの意味もないのに、キャメラを落としたことにも気づかないマヌケな犯人なんて、あたし、ちっともこわくないわ! それに…」突然、弟を思う姉の気持ち、子犬を九ちゃんに託した気持ちに突かれたように、トットちゃんの早口はさらに加速する。「アルバイトなのに正社員以上にプランタン化粧品のことを愛していて、拾った子犬を放っておけないような、やさしい九ちゃんのこと、わたし、このままほうってはおけないんです!」。

 セットからセットへ!この世の最短ルートを駆けて九ちゃんの救出に向かうメンバーたち。ところが幾多の窮地を乗り切ってきたこの劇中劇に最大のピンチが訪れる。なんと倉庫のセットにスタンバイしているはずの九ちゃんがいない。北村有起哉、濱田岳が二人のディレクターの精神の限界をそれぞれのテンションで好演しており、彼らの奮闘努力の甲斐もなく、もはや劇は「終」寸前まで追い込まれる。

 なのに満島ひかりは、黒柳徹子の半笑いが乗り移ったかのように、「九ちゃんは」「ちょっと九ちゃんどこ?」とピンチを意に介さない。そして不意に、トットちゃんはけもののことばを話し出す。すると、なんとしたことでしょう。ハープがぽろんぽろんと鳴り、魔法がかかる。 

 「テレとは遠い距離、ビジョンとは見ること」。テレビジョンは、遠い世界のできごとをすぐそこで起こっているように見せてくれる箱。でも、この箱には全く逆のしくみもある。トットちゃんの生きているのは、すぐそばで起こっていることを時間も場所もまるで違うできごとであるかのように見せる、テレビジョンの「ナマ放送」の世界だ。セットを仕切るドアはいつ倒れるかわからない。壁はいつ倒れてくるかわからない。セリフはいつ飛ぶかわからないし、人はいつ寝入るか分からない。そして、狭いスタジオの片隅で誰かが寝入ってしまったとしても、人間は誰も探し当てることができない。セットとセットの間には、人間ではないけものだけが見つけることのできる、こことよそとをつなぐ道がある。だからこそトットちゃんはパンダを抱え、犬と語り、けものに導かれて、こことよそを往復する道を見いだす。

 そういえば、第二回で、トットちゃんは九ちゃんの肩をとんとんと叩き、まるで泰明ちゃんとやったようにどこか遠くを見上げた。泰明ちゃんも九ちゃんも、もういない。けれど、そこにたどりつく方法を、トットちゃんは知っている。犬に教えてもらったから。

 魔法の時間。そこでは声が消え、ホーンセクションがバラードを奏で、犬はスタジオをかけてゆき、あんなにセリフが言えなかった三木のり平が、そばを高々とすする。離れたセットのかげへと、犬はメンバーを導いていく。そして、スタジオのかげで眠っている九ちゃんの上に乗る。

 「九ちゃんいたよ!九ちゃんいた!」九ちゃんの命運を知っている者には胸が詰まるようなディレクターのことば。そしてなぜだろう、「九ちゃん最近忙しくて疲れてるから、このまま寝かしといてあげましょ」という、姉のようなトットちゃんのセリフで、九ちゃんはとても親密で、でもけして手が届かなくて、そして手を届かせないことで親密な存在になる。わたしは、まるで長い間見失っていた九ちゃんを見つけ直したような気になった。

 植木等が決めぜりふを放つや、ギターが1,2,3、ピアノが1,2,3、そして「スーダラ節」の大団円に全員が巻き込まれていく。中華飯店に、まるで広々としたスタジオで鳴らされているような深い反響の手拍子が響く。歌も餃子も、一つの天井をいただき、踊っている。トットちゃんは、まるで木の上にいながら木の下にもいることができるかのように、櫓の上で歌いながら櫓の下で踊る。そして踊りの渦中にいながらまるでこの世にひとときまぎれこんだかのような絶妙な距離感でこう言う。

 「楽しそうね、みなさん!いいことだわ。」

トットの抜け道 第4回(「トットてれび」のこと:再掲 2016.6.19)

 独り言を他人がきくことはできない。

 いや、もちろん、一人だと思ってつぶやいたことがうっかり傍できかれてしまうことは、ある。傍に人がいようがいまいが、独り言が出てしまうこともある。しかし少なくとも、黒柳徹子の独り言を、わたしはきいたことがない。いや、もちろん、黒柳徹子はお芝居の中で独り言を言うこともあるし、彼女が矢継ぎ早に放つことばの中には、誰に宛てているのかわからないものもあるのだけれど、それらはあくまで、観客やカメラの前で意識されて放たれるものだ。「ンヒッ」のように。

 霞町のマンションに住む向田邦子と「毎日会っていた」頃、トットちゃんは、ふと独り言を漏らす。テレビの前で放たれる黒柳徹子の声を、満島ひかりは実にあざやかになぞってきたが、実はその黒柳徹子が独り言をどのようにつぶやくのか、わたしたちも彼女も知らない。

 「○○×○××△□☆□□○×○」

 満島ひかりが何ごとか小声でつぶやく。それはあまりにすばやくふいに鼻から抜けるようにつぶやかれるので、ふいに目の前をけものが横切ったようで、最初は何を言ったのかわからない。

 新橋のけばけばしいネオンの中で、電器店のテレビの中で、また満島ひかりが言う。今度は二回目だから、はっきりききとれる。

 「あたらしらしいってどういうことかしら」

 トットちゃんが、「あたしらしさ」について迷うことなんて、あるんだろうか。でも、その小さくすばやいことばは、小さくすばやいのにあまりに粒立ちがはっきりしていて、トットちゃんが言ったとしか思えない。
 満島ひかりはもはや、彼女もわたしたちも知らない黒柳徹子を演じており、しかもそれは黒柳徹子としか思えないのだ。


 第四回は、手から頭への回。

 『繭子ひとり』に登場する青森からやってきた家政婦、田口ケイのキャラクターを作るべく、子供の声がトットちゃんの考えを加速する。トットちゃんは牛乳瓶の底のような(この形容句はいつまで通じるだろう?)眼鏡をかけ、ぼろ布のような服をまとい、手にはあかぎれを覆う絆創膏を貼って、息子の洋平役の共演者の横に座る。そこに伊集院ディレクターが来て、通り過ぎようとしてから、振り返ってゆっくりトットちゃんの前に来る。ここで濱田岳は、首から上だけのいわゆる二度見のようなあからさまな所作をせずに、踵を返す前の速さと返した後の遅さの対比によって、一瞬のうちに「またコイツか」と即断するディレクターらしさを表している。彼はわずか数歩の間にクールダウンして挨拶へと転じる。

 「おはようございます…これでいきますか?」

 そして洗面所にトットちゃんを連れて行くと、一気に沸点をあげる。

 「絶対これやりすぎでしょ!…あのさあ、これ朝だよ、朝から誰もこんな汚い格好みたくないんだってば」

 そこから昭和二十年、疎開先青森の回想場面での見知らぬおばさん(木野花)の青森弁は、しみいるような調子なのだが、ここでもっともこちらの心を揺さぶるのは、その手に貼られた絆創膏だ。冬の駅舎で、おばさんの手が幼いトットちゃんのかじかんだ手をとって丁寧にこするのを見るとき、見ているわたしは、絆創膏の凹凸によってもたらされるであろうがさついた感触、そしてそのがさつきの摩擦とともに立ち上がってくる温かさを感じている。この、きわめて触覚的なショットのあとに、さらにおばさんは、トットちゃんの手に、まるで人工呼吸で蘇生させるかのように温かい息を吹きかける。

 そして、トットちゃんと伊集院ディレクターは、合わせ鏡の洗面室にいる。鏡に向かって、トットちゃんは「牛乳瓶の底のような」眼鏡をかける。その確信に満ちた表情は、第二回「実家に帰ってます、のひとことで片付けられちゃうって、なんなんだろう?」と消えたテレビに映った自分に見入っていたトットちゃんとはまるで違っている。

 トットちゃんは、ちょうど昭和二十年に見知らぬおばさんが自分にやってくれたように、伊集院ディレクターの手を、絆創膏だらけの手で握り、 「たのむすけ、このかっこうでやらせてくれねか」と疎開先で覚えた青森弁で言う。この様子をカメラは、あえて鏡ごしの角度から捉えている。そのことでわたしたちは、洗面所の外にいる息子役の男の子が、二人のやりとりをわたしたちと同じように盗み見ていることを、絆創膏だらけの手を見ることで、その手がもたらすであろうがさがさとした手触りとぬくもりを感じているであろうことを、知る。

 トットちゃんをデビューの頃から知る伊集院ディレクターは、いつも仕事に忙殺されており、なにごとも現場の打算で即断する。もつれたコードはほどくしかないし、奇矯な演技は遠ざけるしかない。この場面でも、彼は現場の都合をそろばん勘定するように困惑した表情を浮かべているのだが、その隙間に、ちょっとだけ人情の隙に囚われているような瞬間があって、そういう微妙な表情を、濱田岳は実に印象的に演じている。


 この回では何度か「グッドバイ」ということばが放たれる。トットちゃんが新しい世界に飛び込むときは、いつもちょっとかなしくて、お別れのかなしさを感じるくらいお互いが近くにいて、そのかなしさをさっと振り払って溌剌と「グッドバイ」をする。

 トットちゃんは、ニューヨークで田口ケイを演じきったあと、ヤン坊ニン坊トン坊の「さあさあ出発だ、さあさあお別れだ」を口ずさみながら、ゆっくりと絆創膏を剥がす。この「出発の歌」が、『トットてれび』ではなんとせつなく、愛らしく響くのだろう。見る者の手を温めた絆創膏は、いまやかさぶたのように剥がされて、新しい皮膚のような髪型が現れる。

 そしてラスト近く、三浦大知演じるチャップリンが「オニオン・ヘアー」と彼女にささやいたとき、わたしはそれがまるで「あたしらしいってどういうことかしら?」に対する答えをチャップリンがささやいたんじゃないかしらと思ってしまった。ああ、そこからニューヨーク・ニューヨークのセットを抜け出して、スタッフロールが流れる中、満島ひかりが「徹子の部屋」まで移動していくまでのワンショットのなんてすばやくてすてきなこと!

トットの抜け道 第5回(「トットてれび」のこと:再掲 2016.6.4)

これは、『トットてれび』第五回を見てから読むといいですよ。


 『トットひとり』に向田邦子の妹和子さんと黒柳徹子との対談が収められている。そこで、黒柳徹子は向田邦子に教わったという「禍福はあざなえる縄の如し」のことを、こんな風に語っている。

 でも私、今でも思い出して笑っちゃうんだけど、最初にその言葉を教えてもらった時に、「でも、幸せの縄二本で編んである人生はないの?」って訊いたのよ。そしたら向田さん、言下に「ないの」(笑)。

 対談だから、もしかしたら「言下に」というところは、実際には身振りを交えた、少しくだけた言い回しだったのかもしれない。ともあれ、このやりとりは、『トットひとり』の中でとても印象的で、『トットてれび』でもやはりこのことばは取り上げられていた。

 スタジオの調整室で差し迫った台本書きに勤しんでいる向田邦子に、セリフにあったその諺の意味をたずねにいく場面で、満島ひかり演じるトットちゃ んは、「あの、幸福の縄だけで撚ってあるってことはないんですか?」とたずねる。すると、原稿用紙にむかっていた向田邦子、まるで向田邦子の写真から抜け てきたようなミムラは、ちょっと笑ってから微かに首を横に一度振ってさりげなく言う。「ないの」。そしてすぐ、原稿に向かう。

 その、執筆の時間にちょっと差し込まれたしぐさ、歌の合間にほんの少し差し挟まれる会話のような、首のわずかな動きとすばやさを見て、もうわたしは「言下に」とは何か、わかってしまった。

 シャム猫はひとなつこいというけれど、寝転んでいる背中に飛び乗って平然としていることができるのは、限られた人の背中だろう。満島ひかり演じる トットちゃんの背中には猫の伽里伽がまるで柔らかい家具にでものっかるように乗る。同じ部屋でディレクターたちがトットちゃんの留守番電話で談笑していた ときには、まるで落ち着きがなかったのに。それで、この部屋で向田邦子とトットちゃんが、気配を消すくらいそれぞれの仕事に没頭していた、その時間の長さ がわかる。

 猫は、誰もいない部屋なら留守番電話の上にだって乗るけれど、トットちゃんの声が電話から聞こえただけで落ち着きなく駆け回る。その、向田邦子にあてた電話でトットちゃんは「黒いにちゃにちゃしたお菓子」を買ってくると言う。

 いつになくしみじみと落ちついた演出を見ながら、これは井上剛さんじゃないな、と思っていたら、百歳の黒柳徹子が現れて、こわいこわい『阿修羅の ごとく』のテーマが鳴り出した。百歳の黒柳徹子は、冒頭で無理矢理「んひ」と笑顔を作る以外は、この世の中なんてくそくらえだわとでもいうようにいつも憮 然とした表情なのだが、曲がまたその表情に似合って怖ろしい。昔わたしがテレビで見た『阿修羅のごとく』は、このトルコの軍楽隊の行進曲が鳴るだけで家族 の命運が逆落としに転がっていきそうな、この世に幸せだけなんてありえないかのような、食べたことのない味のする、こわいこわいドラマだった。その行進曲 が鳴り響く中、百歳の黒柳徹子がこどもたちに、「黒いにちゃにちゃしたお菓子」をまるでイモリの黒焼きのように刺した串を手渡してから、「ふん!」と鼻を 鳴らして串を嗅ぐ。

 見ているこちらにもにちゃにちゃした黒い味と匂いがつんときたとき、突然、トランペットスピーカーから歪んだサイレンのような音がして、それは 『寺内貫太郎一家』のテーマだ。そして商店街にその明るいテーマが鳴り響く中、向田邦子のお気に入りだった中華料理屋の席に向かって「あたしね、おもしろ いおばあさんになる!」と、トットちゃんが決然と言い放つや、世界はいまどきありえない紫色のネオンに輝きだし、トットちゃんが踊り出す、そうか、『寺内 貫太郎一家』はダンスナンバーだ! そして、百歳の黒柳徹子までも、立ち上がって踊り出す! もうその動きを見て、わたしはどうかしてしまいそうだった。 百歳の黒柳徹子とトットちゃんが、遠くのものを近くに見せるテレビの中で、踊りあっている。もし、いまの黒柳徹子が普通のメイクでカメオ出演しただけな ら、それはただ「おもしろいおばあさん」をこれこの通りと見せるお話になっただっただろう。でも、いまはそうじゃない。だぶだぶの衣装で踊る百歳のトット ちゃん、百歳とトットちゃん、未来と過去が踊っている。わたしの頭の中で現在が踊る。百歳とトットちゃんの間にある、「ないの」のような踊りを。

トットの抜け道 第6回(「トットてれび」のこと:再掲 2016.6.12)

 これは、『トットてれび』第六回を見てから読むといいですよ。


 『トットひとり』には、トットちゃんが兄ちゃんこと渥美清に『星の王子さま』をあげるくだりがある。とてもさりげない、一段落ばかりの文章だ。

 あの頃、私が兄ちゃんに『星の王子さま』をあげたそうで、兄ちゃんによると、「あなたが、僕に読書を勧めてくれたんですよ。僕に、知的なカケラがあるとすれば、それは、あなたの影響ですよ。『ほら、こんなキレイな物語があるのよ。仕事場で、すぐ、“この野郎!”なんて言っていないで、読んでごらんなさいな』。あなたは、あの時、そう言ったよ」ということになる。

(『トットひとり』)

 わたしは確かにこのくだりを読んだはずなのだが、『星の王子さま』なんてよく知ってるつもりでいたから、あああんなかわいらしい本を渥美清が読んだだなんておもしろいな、そしてそれを黒柳徹子が忘れていたというのもかわいらしい話だと思ったくらいで、たいして気にも留めなかった。

 けれど、『トットてれび』で中村獅童演じる渥美清が、楽屋に寝転がって『星の王子さま』を読むのを見て、驚いてしまった。中村獅童は、ものまねに淫し過ぎることのない落ちついた、しかし渥美清としかいいようのない口調で『星の王子さま』を朗読する。「そりゃ、もう、あたくし、あなたがすきなんです」。そうか! 内藤濯訳の『星の王子さま』では、バラの花は「山の手のお嬢さん」ことばだったのだ。そして、「あたくし」ということばが中村獅童の声で読まれると、それは「わたくし生まれも育ちも」の「わたくし」でもあるようで、『星の王子さま』を渥美清の「声」が読むということがどんなに衝撃的なことかを知って愕然としてしまった。『トットひとり』を読んで、こんなこと、想像もしなかった。

 ある日、トットちゃんは渥美清の『男はつらいよ』第四十七作の撮影風景を見ようと、今はなき大船撮影所ではなく、浅草寺の現場に遊びに行く。スタッフの一人が心配げに駆け寄って転ぶのだが、トットちゃんは意に介さない。そこにはちょっと生気が抜けたような渥美清がふらりと立っていて、トットちゃんを気軽に迎えてくれる。それを見た先のスタッフが心配そうにおみくじ売りの方を振り返るほんの短いショット。芹澤興人がとても印象的な表情をしている。それで、浅草寺のおみくじがずいぶん厳しくて、しばしば「凶」を出すことを、はっと思い出す。

 トットちゃんは、しばらく連絡をくれなかった渥美に「温泉いってたんでしょ?」と問い詰める。すると、中村獅童がまたなんともいえない口調でしみじみと「お嬢さん、あんたほんとばかですね」と言うのだが、それでわたしはまたさっきの「星の王子さま」の場面を思い出してはっとした。渥美清が楽屋で寝転がって読んでいた「星の王子さま」、そのページには確かに、バラの花が別れ際に王子さまに言った、こんな一節が映り込んでいたからだ。

「あたくし、ばかでした」。

 病院の屋上で車いすに乗った渥美清と相対するようにしている女性は、一目で渥美清を見つめる大切な人だと分かる表情で、この印象的な人は誰だったっけと思って最後の配役を見たら、中村優子だった。そうか、『カーネーション』であの役を演じた彼女だったんだな。切符もぎりの片桐はいりはもちろんだけれど、芹澤興人といい中村優子といい、脇役が強い印象を残す回だ。
 脇役といえば、第1回から、トットちゃんの庇護者のように登場する松重豊演じる中華料理屋の店主が、回を増すごとにしみじみとした味わいを増して見える。すでに彼が老眼鏡をかけて向田邦子の訃報を読んでいるところ、彼自身が老境に入っているところをわたしは見てしまっているのだが、その彼が、ダック入りの北京ダックを、まるで「食い食い族」であるトットちゃんの時間を励ますように、「のせて、のせて、ミソつけて、まいてまいて」と言っているのを見ると、まるで彼がこのドラマを駆動すべく薪をくべ火を守っているようで、ちょっとたまらない。

 ドラマの終盤近く、渥美清は、かつて熱愛と報道された写真の姿そのままのチンドン屋に扮して現れ、「男はつらいよ」がチンドンで奏される。そして、黒柳徹子が渥美清のことを「兄ちゃん」と呼んでいた話はさんざん『トットひとり』に出てきたのに、そして百歳の黒柳徹子が冒頭で「兄ちゃん」とつぶやくのに、わたしはなぜ「男はつらいよ」の主題歌が、兄が妹に歌いかける詞だと気づかなかったのだろう。いつになく、歌詞が次々と字幕で表示される画面を見ながら、歌の意味がこのドラマによって全く異なる色を帯びるのを、呆然と見てしまった。

 トットちゃんと『男はつらいよ』を見る。トットちゃんと北京ダックを食べる。トットちゃんとうどんを食べる。印象的なラストに比べれば、このドラマの中間に置かれた渥美清のエピソードは、どれも肩肘のはらない、ただのひまつぶしのような時間で、これまでのこのドラマにないほど淡々とした展開にすら見える。しかし、王子さまにとってバラの花がどんな存在かを「かんじんなことは、目に見えないんだよ」と言い当てたあと、キツネがこう続けたことも、私は長いこと忘れていたのだった。

 「あんたが、あんたのバラの花をとても大切に思ってるのはね、そのバラの花のために、ひまつぶししたからだよ」