「いだてん」周回遅れその6:ぐるっとぎゃん

 四三は播磨屋の主人、清さんと、毎日走るコースを相談している。

「どこを走ってんの?」
「お茶の水ん寄宿舎から大塚ん学校までば行ったり来たり」

 そのコースは坂が多いし道がよくない、というのが清さんの意見だ。それはもっともだとして、そのあとの提案がちょっと変わっている。お茶の水の宿舎から坂を下りて平地でトレーニングするのであれば、南東の日本橋へ直接行けばごく平坦な道ではなかろうか。なのに播磨屋と清さんのおすすめは、わざわざいったん北側の上野に向かうルートだ。コースはますます日本橋からそれて、さらに東、浅草に行く。

「上野から浅草、凌雲閣をぐるって回って…」

 凌雲閣こと十二階は浅草の北、だからそこを「ぐるっと回る」と180度方向転換して南向きになる。浅草から人形町、日本橋、というのは落語「富久」で主人公がたどるルートだ。

Google Earth + 東京地形地図による地形地図に、『いだてん』第六回関連場所を記入したもの

 四三は奇妙な迂回をすることになる。ただ直線の平地を行くコースではなく、まるで回転する身体から砲丸を放つように、十二階をぐるっと回るその遠心力によって自身を放つ。「ぐるっと回る」ことで四三の身体は一気に加速する。そこからはぎゃん行ってぎゃん行って、浅草から日本橋、いっそ距離をのばして芝の浜まで。宮藤官九郎のことばは、「ぐるっと」で回転加速し、「ぎゃん」でスピードアップしたその速度を表す。

 カメラはどうか。「上野から浅草」という四三のことばとともに、ショットはすでに十二階に走り込む四三の姿を写している。目眩のように景色は回転する。猿回しの猿が逆立ちをしているそばを四三が通り過ぎる。楽隊が音楽を鳴らしている。あたかもここ十二階こそ、身体をひっくり返すヘソなのだとでもいう風に。「浅草を抜けたらぎゃん行ってぎゃん行って…」ここでは町並みを進む四三を横から捉えながらカメラが併走し、ストレート感を出している。そしてショットが切り替わると、低層の東京がぐっと開ける。海までは平地だ。

 そこから日本橋をゴールにしてもいいけれど、四三はさらに芝まで行く。ちょうど志ん生が落語の中で、日本橋まで行けばいいはずの「富久」をそこからさらに距離を伸ばして芝までにしてしまったように。

 日本橋と芝。ばしとしば。あれ、回文だ。芝から。ばからし。あれ、アナグラムだ。阿部サダヲ演じる田畑は言う。「しばからにほんばしまではしるばかどこにいる?」。ばっ、まるで早口言葉だ。

 浅草。あ「さくさ」。あれ、回文が入っている。あさくさは、「あ」から「さくさ」への回転。上野から浅草、あさくさの「く」で生まれる遠心力。しばはばしの反転。芝は、日本橋まででよかったその先に据えられた夢。四三は毎日夢に行き、夢から帰ってくる。明日もまた夢になる。夢になるといけねえ。

「いだてん」周回遅れその5:彼岸過迄

 美川は寄宿舎で、消沈したように猫を抱いている。猫があんまり大きいので、美川の方が小さな動物のように見える。

 明治44年11月のこの時期、漱石は未だ創作の空白期にあった。

 明治43年夏、療養先の修善寺で、漱石は突如大量喀血し、生死の境をさまよった。いわゆる「修善寺の大患」だ。ようやく回復し東京に戻ったものの、その後は大患前後のことを書いた「思い出す事など」を除いてほとんど執筆活動を行っていない。「三四郎」以降、「永日小品」「それから」「門」と、わずか二年の間に次々と名作を生み出してきたあとの一年数ヶ月にわたる沈黙は、愛読者にとっては信じられないほどの長さだっただろう。

 翌明治45年の新年、ようやく漱石の新連載が朝日新聞で始まる。
「長い間抑えられたものが伸びる時の楽(たのしみ)よりは、背中に背負された義務を片づける時機が来たという意味でまず何よりも嬉しかった。けれども長い間抛り出しておいたこの義務を、どうしたら例(いつも)よりも手際よくやってのけられるだろうかと考えると、また新らしい苦痛を感ぜずにはいられない」。その緒言は、病み上がりの自身の具合を確かめるような調子を帯びている。

 そして「彼岸過迄」もまた、青年を主人公に据えながら、動き過ぎることを忌避するように始まる。「敬太郎はそれほど験(げん)の見えないこの間からの運動と奔走に少し厭気が注(さ)してきた」。飲みたくもない麦酒をポンポン抜いてもどうも陽気になれず、早々と布団に潜り込んでしまう。喉が渇いて目が覚める。夢を見て目が覚める。煙草を吸って、まだ眠れない。朝がきて風呂に行く。倦怠の中から、敬太郎はゆっくりと物語を探っていく。

 美川が尊敬してやまない作家漱石は、もうすぐそのような小説を書く。新小説を新聞で読み進めるうちに、美川はいよいよ自身を持て余し、猫は大きくなり、運動と奔走のもたらす華やかな身体の世界からはみ出していくに違いない。

「いだてん」周回遅れその4:弁髪

 物語の上では点景に過ぎないが、羽田の陸上競技場を手伝っている「弁髪の連中」がいる。弁髪は清朝の象徴であり、まもなく始まる辛亥革命によってこの風習は消え去るのだが、この場面を見てわたしはふと魯迅の『藤野先生』を思い出した。

 「東京もどうせこんなものだった」と『藤野先生』は書き出される。「こんなもの」という情景の典型として、魯迅はそこから、上野の桜に集う弁髪姿の留学生の姿を描写し、「まったくお美しい限り」と皮肉っている。同じ留学生でありながら、彼には旧来の清の風習を引きずった同級生たちの姿がおもしろくなかった。

『いだてん』に現れる弁髪の人々は、おそらく嘉納治五郎の作った清国留学生向けの予備校、弘文学院速成班 *1 の学生たちなのだろう。魯迅は『いだてん』の時代より少し前の1902年、この速成班に居て二年間を過ごした。先の『藤野先生』の冒頭に書かれているのもその頃の話だ。魯迅は、東京での生活に満足できず、1904年、仙台の医学専門学校に移り、そこで藤野先生に会う。

 「藤野先生」には、人を教えることに対する藤野先生の誠実な態度が静かに、情を込めて綴られる一方で、いくつか見逃せないできごとも記されている。ときは日露戦争の最中(ちょうど四三が熊本で日本の活躍に飛び上がっていた頃だ)、魯迅は学校で日本に勝っている場面を次々と写す幻灯を見せられる。ところが、映し出される写真にたまに中国人が混ざっていることがあった。「ロシア人のためにスパイとなり、日本軍に捕まって、銃殺されるところで、周りを囲んで見ているのも一群の中国人、講義室にはもう一人僕がいた」(『藤野先生』 *2 )。この経験から彼は「およそ愚弱な国民は、たとえ体格がいかに健全だろうが、なんの意味もない見せしめの材料かその観客にしかなれない」と知り、自分たちの最初の課題は医学ではなく「精神を変革すること」であると考えたと、『吶喊』自序 *3 で記している。

 弘文学院は実際には革命前の1909年に閉鎖しており、羽田運動場を作る頃にはすでになかった。一方、魯迅は1906年から1908年まで東京に暮らし続け、文芸誌の発刊を計画したが頓挫する。彼はその後も1912年までたびたび日本を訪れているが、「狂人日記」(1918)を書いて小説家として名を成すのはまだ先のことだ。

 「弁髪の連中」は、『いだてん』の時代が、実は清から中華民国への革命期でもあったこと、そして東京には、日露戦争の戦勝にわき講和に悲憤慷慨する人々とは全く異なる心情を持つ人々が存在したことを、思い出させるのである。

*1 弘文学院(宏文学院)での教育内容や当時の留学生の感情については、坂根巌子「宏文学院における日本語教育 」など、いくつか論文がある。

*2, 3 「故郷/阿Q正伝」藤井省三訳、光文社古典文庫

「いだてん」周回遅れその3

 まずは手元の絵はがきを一枚。明治期の浅草で、左端から中央にかけて写っているのが活動写真の千代田館。その隣、奥が電気館。右は三友館だろうか。ということは、これは浅草六区を、ひょうたん池の南端から南に向かって見たところ。カメラマンの背中側、池の北端には浅草十二階がでんとそびえているはずだ。

 左手前でピンボケになっている少年が、三友館を見上げる一瞬の表情が、この街に来たことの高揚を示しているようで見飽きない。同じ方向を向いているヒトが何人かいるのだが、あるいは掲げられた看板が見事だったのか、それとも何か見世物があったのか。

東京浅草公園(明治末期の浅草六区を南に向かったところ)

 さて、やはり注目すべきは千代田館にでかでかと掲げられた「不如帰全十一場」の幟と絵看板だろう。これはまさに『いだてん』第三回で、四三と美川が入った演目そのものではないか。

 この絵はがきは明治のいつ頃ものなのだろう。日本映画データベースによれば明治期に『不如帰』は1910年と1911年と二回映画化されている。さてどちらか。その奥の『苦学生』の幟に注目してみよう。こちらは1911年11月15日に電気館(!)で封切りとなっている。ということは、これは1911年(明治44年)の浅草、秋から冬というところではないか。服装もそれらしい。
 もう一押しして、明治44年秋以降の都新聞の広告をしらみつぶしにあたれば、千代田館、電気館その他の上映館でいつ何がかかっていたかが明らかになり、時期がはっきりするはずだ。この作業、都新聞のある図書館でいつかやろうと思いつつ、さぼっております。すみません。

 不如帰のかかっているのが仮に千代田館だとすると、専属の人気弁士がいたはずで、こちらも当時の新聞をくまなく繰っていけば誰かわかるかもしれない。というか、ドラマの中で見事な活弁をふるっておられた坂本頼光さんがすでにご存じかもしれない。

 絵はがきの画像を見るときは、モニタいっぱいに引き延ばして見ることにしている*。片目をつぶって見ていると、だんだん写真の中に入っていけそうな感覚が立ち上がってくる。そうすればしめたもので、あの左端の少年の横を抜けて、雑踏の中にまぎれることだって、できてしまうのだ。活動写真を見終わった四三と美川がひょいとまぎれていったように。

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「いだてん」周回遅れその1と2


 cakesでの連載「今週の『いだてん』噺」は、一回2000字、最大3000字という約束で書いているのだが、すでに書いた二回ともこの最大字数を大幅に超えている。にもかかわらず、噺から削った考えもあちこちある。この調子でいくと、書かなかったことがどんどんたまってしまうだろう。というわけで、ここでは、連載で記さなかったいくつかのことを思いつくまま書いておこう。まとまった論点を示すのではなく、あくまで目についたものを拾い上げる落ち穂拾いの要領で。まあ、気楽にお読み下さい。

クーベルタンの背負い

 第一回、クーベルタン男爵が「日本でライトマンを探してくれ」と言ったあと、気合いをこめて背負い投げを真似るショットが入る。ほんの短いショットで、筋書きの上では必要はない。でも、このショットは、実に井上剛さんらしい演出だなと思った。体で真似てみることには、新しいこと、まだ自分では体得していないことへのあこがれが表れる。この一瞬のショットのおかげで、クーベルタンは単なる好奇心から日本への接触を試みたのではなく、Jiu Jitsu という呪文のようなことばのもとに伝来した、わざへのあこがれを持っていたのだということが、体感される。

 それは、この第一回に漲っている、まだ見ぬものへのあこがれに通じている。

Harry H. Skinner “Jiu-Jitsu” 1904より

四三朦朧

 予選会でゴールした四三は、大きく腕を振り上げて合図を送り、両腕を広げて身構えていた嘉納治五郎の方とは異なる方向へ倒れこもうとする。疲労困憊していた四三にはもはや前方が朦朧としていたのか、それとも目の悪さゆえによくわからなかったのか。おそらく抱きとめられたときも、自分が誰に抱きとめられたのか、四三にはよくわからなかっただろう。あの嘉納先生についに抱きとめられたのだ、という感慨は、そういう意味でも、物語を見る者が特権的に感じているのだと思わされる。

机の上の十二階

 このドラマにはいたるところに浅草十二階のアイコンがでてきて、十二階好きにはたまらないのだが、第二回、海軍兵学校の試験勉強をする四三の机の上に、どういうわけか、十二階の置物があり、避雷針の代わりに鉛筆が差してある(欲しい!)。横には地球儀。つまり、地球の中の東京へのあこがれが、この机上に配置されているようにも見える。
 それにしても誰がこの熊本の山の中に、十二階の置物を持ち込んだのか。病弱の父親が東京見物をしたとも思えない。誰か来客の土産物か。その人はこの不思議な塔のことを、なんと説明したのだろう。

スッスッはーはー

おそらくこのドラマの基調となるであろう、この印象的な呼吸法は、第一回の冒頭、顔のわからない謎のランナーが登場するときにも用いられていた。おそらくドラマの時空を駆ける音のアイコンとして、今後用いられていくのだろう。ところで第二回、子供の四三がこの呼吸法を思いつくとき、さりげなくバックグラウンドの劇伴にも、スッスッはーはーという声がまぎれていなかっただろうか。しかも、スッスッはー、からスッスッはーはーへと移り変わるように。ほんの短い劇伴だったけれど、これがこの呼吸法を、走法のための発明以上のものとして、何か新しいアイコンの誕生として印象づけていたように思う。

カーネーションのあった朝

 勤務先が自転車で15分の場所にあるおかげで、朝の連続テレビ小説を見て出勤するのが長年の習慣になっている。気の合う作品と出会えると、朝の仕事にもその作品に合った調子が出て、半年間がその作品の緩急にうっすら染まる一方、一、二ヶ月で見落とすようになってしまうこともあり、そんな場合は、ドラマもそこそこに出勤してしまう。これまで、最後まで見続けたものは『オードリー』『てるてる家族』『芋たこなんきん』『ちりとてちん』と大阪放送局制作のものが多い。

 『カーネーション』を、3/31まで楽しみに見続けた。『カーネーション』を見ていると、作者や演出家、スタッフが、朝の生活をいかに丁寧に描いているかがよくわかった。早い朝、眠い朝、ミシンを踏みながら迎えてしまう朝、朝帰りの朝、子どもを蒲団から追い出す朝の光が描かれ、時代ごとにかわる衣装や家のつくり、調度に配慮が行き届き、物語の朝が、見ているこちらの朝に染みてくる。

 尾野真千子演じる糸子が、年齢を重ねたある朝、「おはようございます」と、冒頭のナレーションで挨拶をした。あたかも視聴者に朝の近況報告をするように、あれだけ苦手だった早起きもできるようになるから年はとってみるもんです、と言う。時代がいつかを説明するかわりに、朝のあり方が変わったことを親密に告げ、時代の移り変わりを言い当てる。朝にこの物語を見る視聴者のことが、作者にはよく見えているのだなと思った。

 一方で、この物語の一筋縄ではいかない展開には、朝からぎょっとさせられることもあった。

 尾野真千子から夏木マリへと役者が交代した三月のある土曜の朝、ほっしゃん。演じる北村を相手に、糸子がだんじりを見る窓の張り出しにもたれ、しみじみと来し方行く末を語る場面。それは同じ日の、千代が一階に集った人びとの合間に善作を見出す場面と並んで、物語のクライマックスだったといってよい。ところが、そのしみじみとしたやりとりを経て、尾野真千子演じる糸子が大写しになった直後に、突然、老いた糸子が蒲団の中で目覚めるところが天井から捉えられる。「おはようございます。年をとりました。」まるで、五ヶ月突き合ってきたこの作品が全部夏木マリの見ていた夢と化したようで、尾野真千子の演じ続けてきた糸子があわれに思えたのを覚えている。

 夏木マリのゆっくりとした平坦なナレーションは、当初、阪神で生まれ育ったわたしには違和感のあるものだった。が、それくらいのことで見続けるのをあきらめるには、この物語の続きはあまりにも楽しみだった。それまで好きだったキャラクタはみな写真に収まってしまい、映像はプラスチックな風合いになり、若い孫娘がなじまないサンダルとヤンキー風の服に身を固めてここまでの物語を踏みしだくように登場し、ドラマが保ってきた肌理はすっかり失われてしまったが、この肌理のなさは、いかにも1980年代の肌理のなさであった。そしてこの、さびしさを受け止める肌理すら失われたさびしさの感触は、だんじりの日に北村が糸子に予言するように告げた、どうせいっこずつ消えていく、おまえここにいちゃったら一人でそれに耐えていかないかんねん、しんどいどー、ということばを言い当てているようでもあった。リンリンではなくトゥルルルと鳴る電話、あほぼんたちが差し出すつるつるのワープロの企画書など、細かい演出や小道具にも、時代の肌理の変遷がよく写されていた。暴走族の襲撃で店のガラスが割られ、孫のなけなしのクリスマスケーキがつぶれてしまい、そのつぶれたケーキを夏木マリ演じる糸子が噛みしめる場面を見るにいたって、この肌理のなさは確信犯だなと得心して、新しい糸子による朝の15分を見続けた。

 夏木マリ演じる糸子になじみ始めたのは、やはり朝の描写がきっかけだった。階段から落ちて介護ベッドで生活せねばならなくなった糸子は、孫娘とベッドの上でテレビを見るようになり、朝にやっている連続テレビ小説に気づく。それまでの糸子はこの時間にはもうテレビを見る間もなく忙しく働いていたのだな、と改めて思わされる。そのとき、糸子の見るテレビから流れ出した『いちばん太鼓』の音楽は、それを見たことのない人にも、「朝ドラ」と呼ばれる前の「朝の連続テレビ小説」の気分、「主題歌」ではなく「テーマ音楽」で始まり、15分するとニュースへと席を譲る朝の物語の気分を伝えるもので、鳩子の海だとか、マー姉ちゃんだとか、おしんだとか、ふたりっ子だとか、そういう朝のひとつを思い起こさせるようなメロディだった。かつての連続テレビ小説を見る主人公の朝と、それを見ているこちらの朝とが重なるようにも思われ、そこまで少し快活過ぎるほどに見えた夏木マリの声や演技にも、落ち着きや親しみを感じるようになってきた。

 江波杏子、山田スミ子、中村優子(まさか最終回に現れるとは…)の絶妙な配役や、糸子がプレタポルテを始め出してからぐっと輪郭の付きだしたあほぼんたちとのやりとり、竹内郁子、小笹将継、中山卓也らの役回りを楽しみながら迎えた三月の最終回もまた、朝に見た。 「おはようございます。死にました。」という夏木マリの人を食ったナレーション。そうだった。『カーネーション』のナレーションは「うち」という主語を要所でうまく略して、前置きなしに近況を単刀直入に告げるのだった。それにしても、死んでもまだ語るのか。

 これまで、この物語のナレーションには、第三者の視点を排した、あくまで糸子の意識に沿ったことばがあてられていた。糸子に見えないものは、ナレーションからも語られない。糸子が遅れて気づいたことに、ナレーションも遅れて気づく。ナレーションはそのまま、糸子のひとりごとに漏れることもしばしばだった。尾野真千子演じる糸子の大きな魅力は、子どものようなうかつさにあり、糸子に恋心をいだく男が寄ってきても、幸運が近づいてきても、ナレーションは「なんやのん」「なんで」と、その意味にはっきりと気づくことはない。そして「気がついたら」誰かがそばにいて、何かがうまくいっている。最終回の直前の金曜日、主人公が亡くなってしまい、あの、糸子の意識にぴったり沿ったナレーションはどうなってしまうのかが、まっさきに気になった。そうしたら、死んだ糸子があっさり「死にました」と挨拶した。この声はどのような身分で、どんな意識から発せられている声なのか。

 「死にました」と語る糸子のナレーションは、それまでの生身の糸子から解き放たれたように、自分の居場所を自在に移動させていく。「そば/そら」「しょうてんがい/しんさいばし」「みどり/ひかり」。韻を踏んだことばが、ともすると安い詩になるのを嫌うかのように、「しょうてんがい/しんさいばし」というアキナイのことばが差し挟まれて、わらべうたのような稚気を出している。そうした稚気は、呉服屋から始まってずっとあきないの物語の中心にあった主人公の声に似つかわしい。脚本家、渡辺あやのことばづかいは繊細だ。
 ナレーションは「みどり/ひかり/みずのうえ」と続いて、韻を破る。そのことで、「緑/光」と名詞の対比に聞こえたことばが、「緑、光り、水の上」とも聞こえる。ひかりは、緑を照らす名のようでもあり、水の上に移る動きのようでもある。名と動きの間で揺れる「ひかり」は、このナレーションが生身を離れたことによって得た、新しい装いであるかのように響く。 みずのうえにそらが映っている。そのみずのうえのそらから離れた声は、「なんぞおもろいもんをさがしにいく」。おもろい、ということばは、たくらみを思いついた善作が幼い糸子ににやりと笑ってささやく呪文、糸子自身が新しいたくらみを思いつくたびに繰り返してきた呪文だ。

 自動ドアがあき、なにものかが通ったかのように玄関の植木が揺れる。カメラは視聴者を病院の一室へと誘い、そこから車椅子の女性があらわる。女性の顔はよく見えない。病院の待合室へと押されていくその女性が誰なのか、もはやナレーションは黙して語らない。が、長らくこのドラマを見続けてきたものなら、ここでこのような形でひとり現れるのは、奈津しかいないと直感できる。この物語ではずっと、見る者の感覚が信頼されてきた。最後もやはりそうなのだろう。
 その奈津が、待合室のテレビで『カーネーション』の第一回が始まるのを見ている。奈津の見る姿に半年前のわたしを重ねていると、カメラは次第にテレビの画面を大写しにしていく。「8:01」の文字が左上に見える。いまわたしの見ているテレビの画面には、「8:12」の文字が見えている。二つの朝の時刻が近づきながら、物語の中の90年間とこの半年間とを、二つながらきゅうと圧縮していく。やがて画面は一つになり「二人の糸子の歌」が流れる。10月、この歌の場面のもつ遊び心に、きっといい半年になるなという予感を持ったことを思い出す。その半年前に、年老いた奈津が配されている。さきほどまであちこちしていた声の主も、いまはその「そば」にいるのだろう。

 半年前、わたしのまだ知らない物語の始まりを、わたしは見ていた。その物語の終わりに、物語を終えようとする彼女たちがその始まりを見ている。これはただの入れ子でもループでもない。半年間という長い時間の感覚を、人の生というさらに長い時間に重ね、その重なりを記憶の時間として花束のように差し出す、愛らしい物語の閉じ方だ。これから先、幾度か思い出すことになるだろうこの物語の始まりは、ただの始まりではなく、奈津の見る物語の始まり、奈津の覚えている糸子の物語の始まりとなるだろう。

 朝といえば、ほっしゃん。演じる北村が、小原家の畳の間で迎える朝の場面は、これまでの連続テレビ小説では見たことのない朝だった。
 前日、小原家で洋装店の見学をした北村は、そのまま夕食の歓待を受ける。男家族に育ったという北村は、糸子の母千代の柔らかい物腰にすっかり参ってしまい、「おかあさん、仏さんでっか」と酔いながら絶賛するうちに、寝入ってしまった。
 朝、食事の支度の音とともに、おっちゃん寝てるよってな、おこさんようにな、と糸子の柔らかい声がする。畳の上を駆ける子どもの丸い物音が近づいてくる。その末娘の聡子の足が、北村の目の前を通り過ぎて、表の新聞を取りにいく。からりと扉が開いて、朝の淡いひかりが北村にかかる。北村は薄目を開けて、しかし体を起こすことなく、おこされなかったおっちゃんの振りをしている。糸子の気遣いを裏切ることなく、幼い足取りを裏切ることもなく、聡子の招き入れた朝のひかりを浴びながら眠っているふりをすることで、北村は小原家にとって、特別な存在になる。おそらく、この場面のほっしゃん。の表情で彼のファンになってしまった人は全国で一千万人いるのではないか(わたしもその一人だ)。

 その後、北村が、長じた聡子に喫茶でケーキやパフェを譲る「茶番」を繰り返すたびに、ああこれは、あの朝からずっと続く聡子との契約なのだな、と、北村のしあわせをお裾分けしてもらうような気がして、すがすがしくなった。『カーネション』のある朝は、そういう朝だった。

2012.4.1. 細馬宏通
(旧ブログ「Fishing on the Beach」掲載)

『カーネーション』再見 #53

 山の坂道のシーンがきいてくる。『チゴイネルワイゼン』のように。直子を抱える往路、直子のいない復路、直子のいない往路、直子のいない復路。
 「直子が頭から離れない」というときに、糸子は糸をはさみでぷちぷちと切っている。その音で、頭から引き剥がそうとするように。勝の頬の涙は凍ってしもやけになる。
 「人の親になるちゅうんは、なんやあわれなことなんやなあ」
 ようやく年の暮れに直子を迎えに行った糸子は子守の体ごと、直子を抱きしめる。いったん触れてから抱き直して愛おしいのではなく、もう触れるそばから愛おしいのだということがよく伝わってくる。糸子に抱き取られた直子を、勝も糸子ごと抱きしめる。まさに、人の親になるちゅうんは、なんやあわれなことなんやなあ。

 実は台詞を思い出すために、小説版『カーネーション』もときどきあとで参照しているのだが、こういう演技の細かいところは、小説版には書かれていないので見ないと解らない。

『カーネーション』再見 #52

 金糸入りの服は売れに売れているけれど、直子はあいかわらず猛獣。またあの子守の子が出てきた!なんとなくうれしい。

 手に余る直子を、勝は弟のもとに預けることを提案する。糸子はしぶしぶ承知する。

 勝の弟のところへいく道すがら、山道を登っていく糸子と勝。糸子は「こんな遠くやったか?前きたときは、もっとちかなかったか?」勝は「前きたときは手ぶらやったさかい。」と応じる。
 このやりとりをきっかけにことばの堰が切れたかのように、糸子は勝をちらちらと見ながら、ひとりごとともつかぬことを言う。

 前きたころは、結婚したばっかしで、気楽なもんやったな。
 戦争も始まってへんかったし、勘助もおった。
 うちはこどももいんで、もっと若かったし、もっとべっぴんやった。
 色かてもっと白かった、あしかてもーっと長かった。

 これらと引き替えに、糸子はいま直子の重みを背中に負っている。勝と糸子が山道を登っていく、その足取りの時間と、これまでの二人の来し方の時間とが重なる、美しいシークエンス。その終わりぎわに、糸子は背中の直子に振り向く。「な」。

 この短いひとことによって、これまでのシークエンス、糸子と勝の来歴は、まるごときかん気の直子へ捧げられたかのように感じられる。

『カーネーション』再見#51

 昨日から一日一話ずつ、『カーネーション』を見直すことにした。
 一気に観てしまってもいいのだが、そうすると一週間の呼吸を感じ取りにくくなる。
 実際、50話まではこの二週間くらいかけて間欠的に観て来たのだが、あまりの楽しさに一息に見たので、「朝の連続テレビ小説」の気分を受け取り損ねているような気もした。
 それで、51話からは、放映時の季節と合わせて、毎朝15分だけ観て、仕事への道すがら、その15分を揺らしながら考えようと決めた。

 ここには、そのメモを書き留めておく。こういうことは「あまちゃん」のときもやったのだが、あれはちょっと頑張り過ぎたので、もう少しメモらしく断片的な形で。

 昭和15年。昭和9年の勝との祝言以降、ドラマは一回ごとに時間をアップテンポで進めていくのだが、その変化は画面に巧みに表されている。たとえば今日は、菓子屋だった。小さい頃から食いしん坊の糸子が通ってきた菓子屋の棚やガラス箱ががらんどうで、木箱の片隅に大福が置いてあるだけ。この場面ひとつで、昭和15年の雰囲気が出る。「国民から栗饅頭をとりあげるようなみみっちいことで、ニッポンはほんとうに戦争なんか勝てるんか?」糸子はいぶかしがる。

 この菓子屋に足りないのは、菓子だけではない。勘助がいないのだ。店番をしていた勘助の不在が、がらんどうの棚から立ち上がってくる。

 勘助は前々回の昭和12年、盧溝橋事件の年に兵隊にとられた。この年号はいろいろ暗示的だ。

 この回ではこうした時局の変化と並行して、幼い直子の暴れっぷりがあちこちで表現されている。まず子守を頼まれた吉田のおばちゃんは前掛けをどろどろにして戻って来て、「どこの猛獣連れてきたんやちゅうほど、家ん中ぐっちゃぐちゃなってしもたわ」と言う。夜中には鉢植えを倒してあちこち這いずり回っている。

 中でも印象的なのは、生地屋の大将に言われて直子のおもりをした子だ。

 この、名前のわからない子は、戸口に立って「大将にいわれて、おもりしやったんやけど直子ちゃんがなんぼ言うてもうちのおさげひっぱってくるし、ひっかいてくる…」と訴える。彼女が登場するのはこのワンシーンだけなのだが、その個性的な顔立ちが妙に印象に残る。それは演出のせいだ。カメラは台詞の間、糸子の後ろから彼女の悲しげな表情をきちんととらえるように撮っている。さらに次のカットではせりふに出てくる「おさげ」や直子にひっぱられたらしい袖の破れ、泥で汚れた衣服の様子も映している。つまり、「猛獣直子の犠牲者」としてこの子の姿がくっきりと視聴者の目に止まるよう、演出が行き届いているのだ。こんな風に、通常のドラマでは端役として簡略に扱われかねない人物も印象に残るように描いているのが、『カーネーション』のぐっとくるところだ。