「いだてん」周回遅れその5:彼岸過迄

 美川は寄宿舎で、消沈したように猫を抱いている。猫があんまり大きいので、美川の方が小さな動物のように見える。

 明治44年11月のこの時期、漱石は未だ創作の空白期にあった。

 明治43年夏、療養先の修善寺で、漱石は突如大量喀血し、生死の境をさまよった。いわゆる「修善寺の大患」だ。ようやく回復し東京に戻ったものの、その後は大患前後のことを書いた「思い出す事など」を除いてほとんど執筆活動を行っていない。「三四郎」以降、「永日小品」「それから」「門」と、わずか二年の間に次々と名作を生み出してきたあとの一年数ヶ月にわたる沈黙は、愛読者にとっては信じられないほどの長さだっただろう。

 翌明治45年の新年、ようやく漱石の新連載が朝日新聞で始まる。
「長い間抑えられたものが伸びる時の楽(たのしみ)よりは、背中に背負された義務を片づける時機が来たという意味でまず何よりも嬉しかった。けれども長い間抛り出しておいたこの義務を、どうしたら例(いつも)よりも手際よくやってのけられるだろうかと考えると、また新らしい苦痛を感ぜずにはいられない」。その緒言は、病み上がりの自身の具合を確かめるような調子を帯びている。

 そして「彼岸過迄」もまた、青年を主人公に据えながら、動き過ぎることを忌避するように始まる。「敬太郎はそれほど験(げん)の見えないこの間からの運動と奔走に少し厭気が注(さ)してきた」。飲みたくもない麦酒をポンポン抜いてもどうも陽気になれず、早々と布団に潜り込んでしまう。喉が渇いて目が覚める。夢を見て目が覚める。煙草を吸って、まだ眠れない。朝がきて風呂に行く。倦怠の中から、敬太郎はゆっくりと物語を探っていく。

 美川が尊敬してやまない作家漱石は、もうすぐそのような小説を書く。新小説を新聞で読み進めるうちに、美川はいよいよ自身を持て余し、猫は大きくなり、運動と奔走のもたらす華やかな身体の世界からはみ出していくに違いない。