三叉路や犬に嗅がるる豆の花
佐藤文香『菊は雪』(左右社)より。
三叉路にはたいてい、三叉したわけがある。もとは迂回する一本道だったところに近道を通したために、旧道と新道が分岐した。そばに流れていた川が埋められたために、道と暗渠が分岐した。目の前の二本の道は、必ずしも同時に分かれたとは限らず、新旧異なる由来によって、一本から二本になったのかもしれない。左と右で二、来た道を合わせて三。三叉路ということばを、わたしは、道祖神のごとく、何かのしるしのように思って読み始めるのだが、犬が現れ、花が現れる。「犬の嗅ぐ花」ではなく「犬に嗅がるる花」。突然、わたしは、三叉路に行き当たる側から、三叉路に咲く側になる。新旧分岐する路傍に咲くこの豆の花は、カラスノエンドウか何かだろうか。とにかく花になってしまったので、わたしは犬に嗅がれている。人の足は正面から来ては、左右に去って行く。犬だけがまっすぐにこちらにやってくる。遠慮のない鼻先。やめろやめろ。新も旧もない。季節が来たのでつい咲いてしまった。