“Deacon Blues” by Steely Dan

「ディーコン・ブルース」の成立の背景については、「Deacon Bluesについて(M. Myers “Anatomy of a Song” より)」を参照のこと。

 

“ディーコン・ブルース”

ついにやってきた意識拡張者の日
あれはおれの影
かつてはあそこに立っていた
つい昨日みたいだ
ガラス越しに見ていた
ごろつき、ギャンブラーたちを
いまはみんな過去

馬鹿だと言うかい
そんな考え方は狂ってるとも
でもこれは本物
もう夢を買ってしまったのだから
問うても無駄
キスしてサヨナラ
今度こそやってやる
越える覚悟はできているあの一線

[Chorus]
覚えてみようサクソフォン
ただただ気ままに吹くんだ
スコッチ・ウィスキーを一晩中
そしてハンドルを握ったまま死ぬ
この世の勝者に名前があるなら
敗者にも名前をくれ
アラバマ大が「クリムゾン・タイド」なら
おれはディーコン・ブルース

もうあとがない
これじゃお笑いものだ
渡すものか
本物のロマンスのエッセンス
おれたちが知り、愛したものを分ちあおう
おれみたいなやつらと

啓示
自身を揺さぶる

ヘビみたいに這い回るのは
郊外の通り
女どもと乳繰り合うのは
けだるく苦く甘い
日暮れとともに起き上がり
街のことならまかせとけ
この世界はおれのもの
この世界をおれのホーム・スイート・ホームにしてやる

[Chorus]

ついにやってきた意識拡張者の夜
最後の一発をキメて
そろそろ行き止まりってところか
泣いてしまった、この歌を書き終えたとき
教えてくれ、プレイが長すぎたら
おれさまは自由
やりたいようにやるさ

[Chorus]

by D. Fagen and W. Becker (試訳:細馬)

“What a Shame About Me” by Steely Dan

 2000年の”Two against Nature” から。個人的にはスティーリー・ダンのなかでいちばん好きなアルバム。この”What a Shame About Me”は大学時代の同級生との再会を歌っているのだが、もしかしたら”Peg”で歌われているスターとなった女性とのその後かもしれない。少なくとも「昔の学校の頃に戻って」というところをきいて、「もう二度と戻るもんか、昔の学校の頃には」という”My Old School”の歌詞を思い出さないファンはいないだろう。2000年の歌ということもあって「新世紀に滑り込み」という部分がいかにも情けない。最後のShame!という女性コーラスの切れ味があまりにすばらしいので訳に加えてしまった。


“What a Shame About Me”

一日仕事に精を出していた
ストランド書店で古本を並べてると
ふらりと入ってきたのはフラニー、ニューヨーク大学以来だ
あの頃はちょっと深い仲だったが
今の彼女の映画やショウやCDのことを話した
他に話すこともなかったから
彼女は言う、そうね、ハリウッドは暮らしやすいわ
ところでどう、あなたの方は

あいかわらず小説を書いてるけど
そろそろ潮時かもしれない
だって将来のことも考えなくちゃいけないし
このままかもだし
まったくこんなことになるなんてね
消え入りたいよ

彼女は言う、ねえ、誰かに会った?
昔の仲間に
ボビー・ダカインはブンセン賞をもらって
今度新作を出すんだって
アランはスティーマー・ヘヴンズの支店を持ってて
バリーはソフトウェア王でしょ
誰かが80年代のはじめに言ってたけど
今度はあなたが大物になる番だって

いや、それはただの噂だよ
まあ元気にやってるけどね
リハブから戻って3週間
その日暮しで
新世紀におめおめ滑り込み
消え入りたいよ

消え入りたいよ
大学のジェーン・ストリートに日が昇って
君は非常階段で女神みたいだったっけ

立ち話も話題が尽き
もうどん詰まりというところだった
じゃ、元気でねと言おうとしたとき
彼女はぼくの手をとってこう言った
「ねえ、いいこと思いついたんだけど
すごくすてきじゃないかな
タクシー拾ってわたしのホテルに行って
二人で昔の学校の頃に戻ってみるの」

そうだね、君はとてもそそるし
こうやってすごく近くにいるし
でもここはロウアー・ブロードウェイで
君が話してる相手は幽霊なんだ
よく見てごらん、すぐ目が覚めるから
消え入りたいよ
消え入りたいよ

恥!恥!

by D. Fagen and W. Becker (試訳:細馬)

“Razor Boy” by Steely Dan

 ”Countdown to Ecstasy” の二曲目。
 リッキー・リー・ジョーンズが言う「それはシニカルでもあるし、ちょっとなんていうか…女嫌いなところがあった。ほんと、自分たちが心底嫌ってる女に取り憑かれてる感じだった」ということばにまさにぴったりの歌。
 
 歌われている女性の浸っている男、レイザー・ボーイはドラッグ・ディーラー、もしくはドラッグそのもののようにもきこえる。そう考えると、これは1970年代版「ミニー・ザ・ムーチャ」なのかもしれない。サビのコーラスがひどく美しい。

“レイザー・ボーイ”
 
まだ昔のうたを歌ってるんだってね
ぼくはもう泣かない
これで終わりだってわかってたよね
もう何年も
君はギャンブルしたり片っ端からつぎ込んで
良き伴侶といようとしたけれど
ともだちが何人集まったら
君を笑わせることができるんだろう
 
君にはまだ歌ううたがあるだろうか
あのレイザー・ボーイがきて
君の淡い望みを奪い去っても
君はまだうたっているだろうか
あの寒い風の日がきても
 
もうすぐそこまで来ているね
君は平気なんだな
たぶん商売女でなきゃ
こらえることはできないよ、
失った哀しみを
もう明日なんかこないかもしれない、
眠ってしまったら
拒むことはできない
 
by D. Fagen and W. Becker (試訳:細馬)

Chuck E’s in Love (リッキー・リー・ジョーンズ「恋するチャック」)

どうしてもうしないの? ぶらぶらとか
さそってみても
どうして消しちゃうのTV?
で部屋に入るなってもう
行こうよ行こう 
みんなでさそっても
へい、誘惑はだめっぽい かわっちゃったんだ

あぜん、すらすらしゃべってんじゃんいつもの
あのど、どもったりもなしで
ほんとほんと
なんかさまになってる かっこつけた身のこなしで
どこいったいつものぼろぼろジーンズ
健全、なんなんだなんかこざっぱりしちゃってキミ
だって

チャッキーは恋してる
チャッキーは恋してるよ
チャッキーは恋してる
チャッキーは

ああもう信じない みんなが言っても 
わたしもう自分で確かめる
いないなあ?
いないよビリヤード
いないなあ?
いないよドラッグストア
いないなあ?
もうここにはこないそうおもう

ほんとはね 知ってんだ
すわってたんだそこのうしろあの店で
もう彼がなにたくらんでてもいいけど
なにかの病気じゃなきゃいいけど
相手は誰? あそこのこかな?
あぜん、櫛まで使ってんじゃない?
あのこかな 名前は何?
もう前みたいにはつきあえない
でもそのこじゃない
しってるもの
だってチャッキーがほれてるのはこれうたってるだれかさん
だっちゅうの

チャッキーは恋してる
チャッキーは恋してるしてるしてるしてる
チャッキーは恋してるよ わたしに

(試訳 細馬)


 リッキー・リー・ジョーンズの「恋するチャック」。いろんな訳し方が可能だと思うが、歌えるように訳してみた(といってもこれを歌う人がいるとも思えないが)。

 最初はところどころに「we」が入っており、チャック E.に対する仲間の噂話に聞こえる。It’s true, it’s true というのも、いかにも別の仲間が話に割って入る感じにもきこえる。

I don’t believe what you’re saying to me
This is something I gotta see.

 というところで、噂話は収束して、中の一人が噂を確かめようとブルースコードの抜き足差し足であちこちをこっそり覗いていくが、チャックは見つからない。この一人は、語り手とは別人のようでもあるし、語り手がしらばっくれて探偵ごっこをしているようでもある。

 そこからまた歌は噂話となるのだが、「でもそのこじゃない But that’s not her 」とひときわ声が高くなったところでいよいよご本人から種明かし。

 声は語呂を楽しみながら次々と語りを変え、まさに噂そのものになってから、最後は一人の語り手へと歌を預ける。楽しい多声の歌。

バビロン・シスターズ (Steely Dan “Gaucho” 1980より)

サンセット通りを西に飛ばして
海へ
そのジャングル・ミュージック消してくれよ
街を出るまでの辛抱だから
これは一夜限りじゃない本格的なやつ
目を閉じればほらもうそこにいるんだ
足りないものはない
パーフェクトな一日の終わり
そこに来る遠い光、湾の向こうから

バビロン・シスターズ シェイク・イット
バビロン・シスターズ シェイク・イット
ああ美しい 若い
「ねえ、わたしだけだって言って」

ああ、あのサンタ・アナの乾いた砂風がまた…

ハリウッドの連中と砂浜をジョギング
チェリー・ブランデーを貝殻からすすり
サンフランシスコ風できめる、か
さてそろそろ気づいてもいいんじゃないか
これは束の間のオーガズム
ティファナの日曜みたいなもの
それに安いと言ってもただではなし
昔のおれならいざ知らず
わかってるだろう、恋は三人でするもんじゃない

バビロン・シスターズ シェイク・イット
バビロン・シスターズ シェイク・イット
ああ美しい 若い
 「ねえ、わたしだけだって言って」

友達はみなやめとけって言う
綿菓子みたいな女だが
おまえ、ありゃ火傷するぜ
何事も経験ってか
橋が焼け落ちてからじゃ
後戻りはきかないぜ

(試訳:細馬)


 スティーリー・ダン「ガウチョ」(1980)冒頭の一曲。初めてきいた頃は、ろくに歌詞も読まずにただそのタイトで妖しいサウンドに魅了されていたのだが、改めて逐一歌詞を追っていくと、これほどまでに墜ちるままに墜ちる男の歌だったのかとちょっと驚いてしまう。

 歌詞と合わせてきくと、2コーラス目から入るランディ・ブレッカーによる弱音器付きのフリューゲルは、1コーラス目のドライブの果てに広がる虚飾の世界であり、サンタモニカかヴェニスあたりの砂浜でのくつろぎを暗いユーモアで飾りたてている。もしかしたらそこにはティファナ(T.J.)ブラスのハープ・アルバートのイメージも混入しているかもしれない。

 「さてそろそろ気づいてもいいんじゃないか」と自分で気づきながらも、そして「友達はみなやめとけって言う」と周囲に言われながらも、語り手は危うい世界へあえて耽溺していく。ここにドラッグの影を見るのはたやすい。

(2015.1.8掲載の訳詩に追記)

ドナルド・フェイゲン、ウォルター・ベッカーを悼む

 以下、ローリング・ストーン誌(英語版)に掲載されたドナルド・フェイゲンによる追悼のことばの全訳。


 ウォルターは友達であり、曲作りのパートナーであり、バンド仲間でもあった。1967年にバード・カレッジで学生として会ってからずっとだ。ぼくらは狂った短い曲をアップライトピアノでいくつも作り始めた。ワード・メイナーというハドソン・リバー沿いにあったぼろぼろの古いマンションの小部屋にそのピアノがあって、当時はカレッジが寄宿舎として使っていたんだ。

 ぼくらは趣味がとても合った。ジャズは20年代から60年代半ばまで、W. C. フィールズにマルクス・ブラザーズ、SF、ナボコフ、カート・ヴォネガット、トーマス・バーガー、そしてロバート・アルトマンの映画も。それからソウルにシカゴ・ブルース。

 ウォルターはとてもひどい子供時代を送った。詳細は省くけれど。幸い、彼は切れ者で、優れたギタリストですばらしいソングライターだった。人間に対しても自分自身に対してもシニカルな一方で、ものすごい笑わせ上手だった。ひびの入った家庭に育った子供がたいていそうであるように、彼もまた人をおもしろおかしく真似たり、他人の隠された心理を読んだり、見たものをさらりと知的なものに変えてしまう才能を持っていた。よく彼が、送るつもりのない手紙をぼくの妻のリビーの言い方そっくりに書いて、三人で腹がよじれるくらい笑ったっけ。

 彼は中毒のせいで70年代末にはつぶれてしまって、しばらく連絡は途絶えてしまった。80年代にリビーとニューヨーク・ロック&ソウル・レヴューを作り始めたとき、また付き合うようになって、スティーリー・ダンのコンセプトをさらにすごいバンド・スタイルへと発展させていったんだ。

 ぼくはこれからも、二人で作り上げた音楽を、自分のできるかぎり、スティーリー・ダン・バンドとともに生かし続けていこうと思う。

ドナルド・フェイゲン

Rolling Stone誌 “Read Donald Fagen’s Moving Tribute to Steely Dan Partner Walter Becker”より

 

リッキー・リー・ジョーンズ、ウォルター・ベッカーを悼む(RS誌より)

 ローリング・ストーン誌のweb版に、ウォルター・ベッカーとスティーリー・ダンについての、リッキー・リー・ジョーンズらしい、時間を行ったり来たりの長い長い思い出話が載っていた。1970年代のティーン・エイジャーにスティーリー・ダンがどんな存在だったかを物語るすばらしい内容なんだけれど、あまりに話が長くてとても全部は訳せない。とはいえ、十分長いと思っていただける程度には訳してみたので興味のある方はどうぞ(追記:けっきょく全部訳してしまった)。


 私が最初にスティーリー・ダンをきいたのはミズーリ州カンザス・シティ、家から逃げ出した父を追いかけて一緒に住み始めてから二年目の夏。1970年で15歳だった。あの夏の夜、ラジオで「Do It Again」がかかってた。ちょっと薬をキメてから、レッド・ツェッペリンのUSAツアーを観にKCコンサートホールに向かってたときのこと。デートの相手は会ったばかりの太っちょで、車から通りがかりに「ヘイ、コンサートに行かない?」って言ってきた。彼はたぶんあわよくばって思ってたし、私は何としても家を出たかった。でもツェッペリンよりも記憶に残ってるのは黄昏の暑さを突き抜けてきた「Do It Again」のドラムソロ、そしてうっとりするようなヴィクター・フェルドマンのパーカッション。

 セクシーで。禁欲的で。だって「ダン」が何をやったかわかる? 彼らはその時代の音楽的会話に新しいアイディアをもたらした。それは知性的な音楽はクールだってアイディア。ドラム・ソロが何分も、下手したら10数分も続いて、ボーカルがとんでもなく叫ぶ時代にね。スティーリー・ダンは知性をクールにした。彼らがカレッジ・ロックの始まりだって言ってもいいんじゃないかな。

 そのとき、まさにそのときにアイディアは始まったんだ。二人の不器量な男たちが、毅然と、それまで誰もやったことのないことをやってのけた。くだらない感情表現抜きで。ビジネス第一主義。そこから来る洗練。いまのパンク・ロッカーは彼らをそう分類してる。そんなのおかしいよね、だって彼らはブルースのシンプルさと12小節のロックンロールが好きなんだから。そう、彼らはあのドラム・マシン(彼らのエンジニアであるロジャー・ニコルズが作ったやつ)については多少責任があるかもしれない。でもそれは、一緒にやってるプレイヤーたちにあまりにも正確さを要求しすぎた罰みたいなものだって私は考えてる。

 1973年に私がカレッジに入った頃には、「Reelin’ in the Years」がカレッジのアンセムになってた。そして「エクスタシー Countdown To Ecstasy」がリリースされると、みんなカバーを観るためだけにレコードを持ち寄ったものだった。それは聖地、それは聖書、それはシニカルでもあるし、ちょっとなんていうか…女嫌いなところがあった。ほんと、自分たちが心底嫌ってる女に取り憑かれてる感じだった。あとになってそれがどういうところから来てるのか、たまたま個人情報をきくつもりもなくきいちゃったんだけど、ウォルターは死んじゃったから。それは彼が墓場まで持っていく痛みだ。

 それからの数年間、スティーリー・ダンは個人的なレベルで私の生活の一部になった。というのも「Living It Up」に出てくるボーイフレンドがスティーリー・ダンのソロをノンストップで練習してたから。「滅びゆく英雄 Kid Charlemagne」のソロはほとんど唄える。でも…もしかしたら彼らはディルドの名前をデュオにつけるよりずっと前から私の生活の一部だったのかもしれないな(まだ知らない人のために言っておくと、スティーリー・ダンは、かの有名なヤク中作家ウィリアム・バロウズの「裸のランチ」に出てくるディルドのこと)。私はその本も読んだけど、実はディルドのくだりは覚えてない。

 デュオはまずソング・ライターのチームとして成功した。60年代のバンド「ジェイ・アンド・ジ・アメリカンズ」はフェイゲンとベッカーをバックバンドとして雇った。確かバンドの他の連中はスティーリー・ダンのもとになったんじゃなかったっけ。ジェイはいかにもアメリカンなハンサムで、ポール・リヴィア&レイダーズ路線だった。少なくとも13歳の私の頭には似たようなものだった。彼は「Only in America」とか「Come a Little Bit Closer」とかである種の女のふるまいについてちょっといかがわしい歌詞で歌ってた。

 サンタ・モニカ・カレッジに移ってからの私は、よく四人組でつるんでいて、休み時間は芝生に寝っ転がって、夜はときどきメイン・ストリートにあるクラブ、ピンク・エレファントとか、新しく発掘したゲイ・バーとかに行って、ジュークボックスで「I Will Survive」なんかかけて踊ってた。あとで四人のうちの一人はゲイだってカムアウトしたんだけど、それは別の話。四人組のいちばんのお気に入りはスティーリー・ダンで、それで私は「菩薩 Bodhisattva」とか「マイ・オールド・スクール」とか「ヴレ・ヴ Pearl of the Quarter」を聞くようになったわけ。アナンデールとかオーリアンダーとかいうフレーズにガタガタうるさいベースとドラムが乗っかって。つまり、彼らは音楽の作り方を知ってたってことね。彼らの出すレコードは全部ヒットして、ラジオで何回も何回もかかって、私たちが自分たち仲間をどう考えるかの手がかりになっていった。

 私は生まれつき、なんていうか想像力を存分に込めて、そこに小さな意味を添える書き方をする方だったし、そういうのがほんとに好きだった。ほのめかすこと、ユーモア、そしてちくっとさせること。何をつぎ込むかだけじゃなくて、何を書かずにおくかってところが彼らは天才なんだ。だからこそ、彼らは記憶のひと刺しで、彼らの音楽を私たちの個人史の一部にしてしまう。オーリアンダー(セイヨウキョウチクトウ)の影に何が隠れてるかはわかってる、だってほら、私、アリゾナ育ちだから(ってThe Orb から教わらなかった人はこちらを)。

 どうってことない一節だけど、悲しい怒りのメロディ、「ボストン・ラグを返してくれ。仲間みんなに言ってくれ、それはドラッグでもなんでもないって」。私はまだ19で、何かを取り戻したくて、だけどそれが何かもわかってなかった。でもメロディは感じてた、分かる?「ロニーはプレイルームを探し回って見つけたものを片っ端から飲み込んだ。ロニーが戻って来るまで48時間。」私たちの書く曲はたいてい予言的だって私はよく言うんだけど。ウォルターはドラッグで多くの友達を失った。気がついたら床に転がってる人たちだらけで。ベッド。あまりにもたくさんの心痛むできごと。

 ウォルターそしてドナルド。ウォルター・ベッカー、静かなる片割れ、ドナルド・フェイゲンの引き立て役。ドナルドがボーカルでそして…ウォルター。ウォルターはみんなが思ってるよりずっとたくさんの音楽を書いた。ドナルドと同じくらい。真のパートナーシップ。「ブルー・プリント・ブルーに仕上がって…もちろん君はとってもすてき…ペグ」。

「ねえ、ブルー・プリント・ブルーって?建築家が使う青写真みたいなやつ?」リッキー・リー
「さあね。ただなんとなくそう書きたかったんだ」ウォルター・B

 ドナルド・フェイゲンに会ったのは二枚目のアルバムを作ってるときだったかな。彼はシンセか何かで一曲参加してくれて。とてもクールな時間だった、彼と夜遅く、ニューヨーク・シティで彼のプロデューサーが経営してるスタジオで会うなんて。でもウォルターはいなかった。ああよかった、だってウォルターはおっかなかったもの。写真の彼は怖くて。いままで観た中で一番不快な男だってよく言ってたな。とっても意地悪そうに見えて。じつに意地悪に。

 で、運命はめぐり、私は自分の思い込みを、そして知りもしない人にひどいことばを吐くことを懲りることになった。1989年の私は、なんていうか、不安そのものだった。わかんなくなったコードを探して。番号札持って部屋で待ってる感じ。ウォルターはプロデューサー候補の一人だった。私はフランスから帰ってきたところで、妊娠していて、ロサンジェルスあたりに引っ越した。ウォルターにはLAである午後に会った。彼はマウイから飛行機、さらにオハイから60マイルも車を飛ばしてきてくれた、私に会うだけのために。それでわかったんだけど、彼は不愉快でもなんでもなかった。むしろ繊細な感じで。そしてやさしいエネルギーを持ってて、私が写真で想像したのと全然違ってた。とてもやさしい、ヤク中からの回復者。おっと、私もだった。彼はいままで会った誰よりも最近の音楽に通じてた。見下したり、偉ぶったりなんてことはほんのちょっとも、ほんの一瞬もなくて。

 私の書いた曲をとても尊重してくれて、なにもかも丁寧にきいてくれた。アイディア・マンだった。「マーヴィン・ゲイみたいな感じで行こうか」なんてことは言わなくて。前のプロデューサー候補はひどくてそういうことを言ったけど。そういう言い方の何が悪いのかがわからなきゃ、レコードをプロデュースしたりはできない。まあ最近ではいろいろ意見があるってのは知ってるけど。

 で、彼を雇って9月に仕事に入ることにした。前の二枚も9月に始まったな。ふむ。子育ては中断しなければならなかった。8月は生活を立て直すのに使って、街中のアパートで、子どもを手放して、別の子どもづくりの準備をしたってわけ。

 レコードが発売されると、彼はあらゆる手段でプロモーションしてくれた。気の毒だった。オースティンの赤頭DJときたら、栄光のスティーリー・ダンにあやかりたいだけだったんだから。ウォルターは彼に個人的に電話をかけた。でも、DJには電話をもらったからってレコードをかけたり何か恩返しをするつもりはなかった。アーティストが自分を切り売りするなんて、しかもウォルターにとって大事な時期に。それは私にはとても嘆かわしいことで。彼があんまり一生懸命私のためにしてくれるのでとても申し訳なかった。

 喧嘩をしたのは、プロデューサーのクレジットの件のこと。私はクレジットが欲しかった。自分ではクレジットを入れるほどの貢献の仕方はしてないなって分かってたんだけど。ウォルターがシャトー・マーモントの私の部屋にきてこう言った:

「リッキー、プロデューサーをなんだと思ってる? 理由がなんであれ、君はぼくをプロデューサーとして雇ったんだ。それはぼくの役職だ。もし君の名前をそこに入れるとしたら、ぼくのやったことはなんだ? わかってるだろ、君はアーティストだ。でぼくも同じくらいクリエイティヴなんだ。君はそっちについてはよく働いた。こっちについては何もしてない、そして、ぼくは自分の努力した分相応にプロデューサーなんだよ。プロデューサーがぼくの仕事なんだ。頼むからやめてくれ。ぼくの役職の価値を薄めないで欲しい。」

 私は恥ずかしくなった。彼がどんなにこの仕事に賭け、スティーリー・ダンのあとに自分のキャリアを築こうとしていたかが、突然わかったから。彼は高みから墜落して炎上したんだ。私のように。私はといえば、もっとたくさんの聴き手から称賛 credit が欲しかった、私がどんなに頑張ろうと認めてくれない連中から。あのインチキDJときたら偉大なる男に電話までさせて。まあ、それはウォルターには関わりのないことだけど。

 私たちは「フライング・カウボーイズ」をウォルターの大好きなエンジニア、いつもひどいジョークを言ってる天才、怒りんぼのロジャー・ニコルズと完成させた。すばらしいレコードだった。たぶんあの時代には早すぎたんだな。名曲だらけで。ワイルドでもアウトローでもなく思い切りポップで。テーマはウェスタンの超常現象…って、ぶっ飛びすぎてたかもね。ヒット曲は二つ「The Horses」と「Satellites」、でもたいしたヒットじゃなくて、ちょっとしたヒット。ゲフェン・レコードはがっかりしちゃって、私たちはレコードのプロモーションの最中にいきなり梯子をはずされた。6ヶ月でゴールド・ディスク寸前だったんだけど、彼らはもっと期待してたから。グラミーからもお声がかからず。いやほんとに。どういうわけかあと30000枚ってところで売上が止まっちゃって。それから数年たってもその30000枚を埋めることはできなかった。

 それからウォルターにはご無沙汰して、スティーリー・ダンが初めてのツアーに出たときに会った。彼はレコーディングに参加した大物たちとハリウッド・ボウルにいた。私はとても鼻が高かった。そこにはもうありとあらゆる有名人が集まっていて、もう誰も「The Boston Rag」や「The Royal Scam」をけなしたりしなかった。

 去年のこと、突然、私にスティーリー・ダンのNYC公演でオープニング・アクトをやらないかという話が来た。彼らはビーコン・シアターで毎年一週間にわたるライブをやっている。ヒット曲につぐヒット曲。完璧なプレイ。私は30分ばかり演った。うん、悪くない、十分よかったんじゃないかな。友達で名プレイヤーのマイク・ディロンがものすごいヴィブラフォンを弾いてくれた。いい感じでステージを降りた。ほとんど客入れの音楽って感じで、辛かったな。でもバックステージでウォルターとドナルドはすごくやさしくて。ドナルドはほんとにフレンドリーだった。居心地よくて。来てよかった。

 次の夜、彼らが誘ってくれて何曲か一緒に歌うことになった。それで私はスティーリー・ダンと「ショウビズ・キッズ」を歌ったんだ。彼らはお返しに「The Horses」をやりたいって言ったけど、断った。もうキーを変えないと歌えなかったから。ウォルターは、いいよって言ってくれた。またの機会にね。

 私の去り際にウォルターはハグしてくれた。「秋には君のところの近くでやるから、そうしたらもっとオープニングをやりに来てもらえないかな」

「ええ、ぜひ」

 そしてまた9月。あの秋はもうやってこない。なぜ彼が死んだのがこんなにこたえるのか言葉では言えない。これまでも何人か友達を亡くしたけどそんなに近しい人たちじゃなかった。彼らはよく会う人たちだった。だからかな、こたえるのは。

 二人は60年代末の長いドラムソロとジャムによる会話に対して、知性と正確さを持ち込んだ。ロックに対してジャズのソロを持ち込み、クールな歌詞の中でおかしみを産み、ハンサムであることよりクールであることを大事にした。彼らは初のカレッジ・バンドだった。それは確か。いまは懐かしいな、あの、人生が過去じゃなくてすべて未来に開けている感じ。なんでも可能で、泣く泣く手放すことなんて何ひとつない感じ。

 私はリッキー・リー・ジョーンズ。ウォルター・ベッカーが短い人生の中でひときわ気にかけた女の一人。それをぜひ知っていただきたい。なんて楽しい人だったんだろう。ああそう、「Satellites」のソプラノ・サックスは嫌いだったけど、でもそのサウンドがどうなったかっていうと…まあきいてみて、デイヴ・マシューズの「Satellites」をぜひ。ウォルターは自分が何をやりたいかわかってた。彼は音楽を植えたんだ。ほら、私たちのまわり、いたるところで育ってる。

Rolling Stone誌「Read Rickie Lee Jones’ Poignant Tribute to Steely Dan’s Walter Becker」より

Deacon Bluesについて(M. Myers “Anatomy of a Song” より)

 ウォール・ストリート・ジャーナルで健筆を振るうマーク・マイヤーズの「Anatomy of a Song: The Oral History of 45 Iconic Hits That Changed Rock, R&B and Pop.」はタイトル通り、ロック、R&B、ポップ史に残る45曲を取り上げたもので、一曲一章で構成されており、それぞれマークによる簡単な紹介のあとに当事者のインタビューが収められている。インタビュー自体はさほど長い分量ではないけれど、ミュージシャンのことやアルバムのことを幅広くきくのではなく一曲を集中的に取り上げることで、当事者の思わぬひらめきがあちこちに顕れており、読み応えがある。

 この本、選曲がまたぐっとくるのだが、どんな曲が入っているのかは、マーク自身のwebを参照してもらうとして、ここではスティーリー・ダンの「ディーコン・ブルース」の章から、ドナルド・フェイゲンとウォルター・ベッカーのやりとりをいくつか訳出してみた。サウンド作りについてもサックスのピート・クリストリーブ自身の発言など、ここに訳出した以外にもいろいろおもしろいことが書いてある(そしてあちこちのブログに出典なしで引用されている)ので、興味のある方は原著をあたるといいと思う。

 途中でウォルター・ベッカーが「天窓」についてさらりと発言していてはっとさせられる。この天窓のイメージは、まるでフェイゲンの「ナイトフライ」のラストではないか。確かにこの二人は、どれがどちらの考えなのか分かちがたいほど、イメージを分かち合っている。

 


フェイゲン:ウォルターとぼくで「ディーコン・ブルース」を書いたのはカリフォルニアのマリブで、1976年にはそこに住んでたんだ。ウォルターがぼくの家に来て、二人でピアノの前に座ったりしてね。ある日ぽつんとコーラスを思いついたんだ。もしアメフトのチーム、アラバマ大学なんかが「クリムゾン・タイド(真紅の潮流)」なんておおげさな名前になるなら、まぬけや負け犬にも同じくらいおおげさな名前があってもいいなってね。
ベッカー:ドナルドの家は砂丘のてっぺんにあって、小さな部屋にピアノが置いてあったんだ。窓からは他の家の向こうに太平洋が見えた。「クリムゾン・タイド」ってことばはぼくたちにはただただ勝者に授けられたずいぶんとごたいそうな名前にしか思えなかった。「ディーコン・ブルース」はそれに匹敵する敗者向けの名前だったんだ。
フェイゲン:ウォルターが来て曲を作りながら物語にあうようにさらに詞を埋めていったんだ。そのころ、ロサンゼルス・ラムズとサンディエゴ・チャージャーズのラインマンにディーコン・ジョーンズって選手がいた。ぼくたちは熱心なアメフト・ファンってわけじゃなかったけど、ディーコン・ジョーンズの名前は1960年代から70年代はじめにかけてよくニュースで口にされていて、ぼくたちは名前の音が気に入ってた。「クリムゾン」と同じ二音節でちょうどよかったしね。ウェイク・フォレスト大のデーモン・ディーコンズとか他の負けがこんでるチームとはまったく関係ないよ。ぼくらがその頃アメフトでなじんでた唯一のディーコンが「ディーコン・ジョーンズ」だったんだ。
ベッカー:他の作曲チームとは違って、ぼくらは曲と詞を同時に作っていくんだ。ことばと音楽は別々じゃなくて、一つの思考の流れなんだ。たくさんのリフをいったりきたりして、二人とも結果に満足がいくまで、ことばと音楽をすりあわせていく。二人ともいつも考え方やユーモアのセンスが似てるからね。

(中略)

フェイゲン:「ディーコン・ブルース」は郊外に住んでるミュージシャン志望の男の話だと思ってる人も多いだろうね。実を言えば、男が夢を達成したかどうかは定かではない。楽器さえ吹いてないかもしれない。これはある種のサブカルチャーから来た郊外に住む男の幻想なんだ。ぼくたちの歌にはジャーナリスティックなものが多いけど、この曲はもっと自伝的で、ぼくたち自身がかつて思い描いていた夢のことなんだ。ぼくはニュージャージー、ウォルターはニューヨークのウェストチェスター・カウンティ、二人とも場所は違うけど郊外育ちだからね。
ベッカー:ディーコン・ブルースの主人公はトリプル級の負け犬、LLL級のLoserなんだ。夢をかなえた奴のことじゃない、夢破れた破れ者の破れかぶれな人生のこと。
フェイゲン:この曲は「今日こそ the expanding man の日/あの幻はおれの影、かつてはあそこにいた」と始まるんだけど、この「the expanding man」ってのはアルフレッド・ベスターの「破壊された男 The Demolished Man」から思いついたって感じかな。ウォルターもぼくもSFファンだからね。歌の主人公は、自分が進化のレベルをあがっていくとともに、意識や精神の可能性や人生の選択肢を「拡張 expanding」できると空想してるんだ。
ベッカー:男自身の来歴はたいしたことはない、だから彼にがんと叫ばせてちょっとした未来予想図を与えてやったのさ。
フェイゲン:たとえば郊外で両親の同居してる奴がいるとする。31歳のある日、彼は目覚めると、生き方を変えてガツンといくと決める。
ベッカー:あるいは、ガレージに作った自分の部屋に天窓を作ろうと穴を開けたら、心が波立って、天啓を得るとか。一人チェスで本の通りにコマを動かしていてふとズルをするとか。何か不思議なことが起こって、突然、自分のまわりや人生のことに気づいて、自分の選択肢について考え出すんだ。この曲に「fine line」って出てくるだろう。「問うても無駄さ/キスを投げてさよならしておくれ/今度こそやってやる/fine line を越える覚悟はできている」のfine line ってのが敗者と勝者の分かれ目なんだ、少なくとも彼の決めたルールではね。彼は明らかに以前越えようとして、うまく行かなかった。

(中略)

ベッカー:ディーコン・ブルースはぼくには特別な曲。一日中録音をミックスして、いったん出来上がったら何度も何度も聞き返したくなった。あんなことはあれっきりだ。何もかも完璧な音だった。音楽自体も、登場する人物も、楽器の鳴り方も、トム・スコットのタイトなホーン・アレンジもぴったりだ。
フェイゲン:ディーコン・ブルースも他のすべてのレコードの場合も、ぼくたちが正しかったと思うのは、商業的におもねろうと決してしなかったことだね。自分たちのために作る。今もそうだ。

Marc Myers “Anatomy of a Song: The Oral History of 45 Iconic Hits That Changed Rock, R&B and Pop. ” 2016 より。


 

キャラバンを見るまで13’31”

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(16) 93/10/13 02:04

 1曲めでいきなり違和感を感じずにはいられなかった。ぼくはいままで小山田圭吾と小沢健二のどちらが歌っているのかなんて考えるほど熱心なフリッパーズ・ギターのファンではなかったし、このソロアルバムにも、あの細いけれど妙に透明感のある声の重なりを予想していたわけだ。

 「犬は吠えるがキャラバンは進む (TOCT-8183)」

 で、とりあえず思ったのは、「声が妙に低くて太い」ということで、さらに「すごく下手っくそだ」ということで、そのあまりに不安定な音程がぼくの神経を確実に逆撫でした。歌の下手さについてどうこう感じることなど滅多になくなったけれども、久々に癇に触る歌声だった。
 その声によってあちこちで突き出してくる独特の単語。急ぎすぎていることば。毎日毎日毎日という英語がつたない発音で、性急に歌われる。かつてフリッパーズ・ギターはアルバム一枚まるまる英語の詞を、ごくすっきりと歌ったこともあった。それがウソのようだ。
 「向日葵はゆれる」を聴きながら、なんだこれは、まるで吉田美奈子ではないかと思う。それにしてはやけにあっさりと終わるように感じる。そのように感覚はまるで落ち着かない。やがて、「天使のルール」が鳴り始めても、なにかもったりとしたリズムだと思うくらいで、ジェイク・H・コンセプションのあまりに快適なサックスソロにいたっては、なにかがっかりしたような感じさえする。そのまま仕事をすることにする。

 で、2度めのサックスソロにさしかかる頃、急に「あれ」が来た。

 ある種の曲を聴いたときに感じる否応のない推進力。どうあろうと進んでいるとしかいいようのないリズムの力。神様が現れ消えて、しかしその神様に関することばどもは吉田美奈子のある種の歌のように、あるいはフライング・キッズのある種の歌のように、視点を変化させ、確かな距離を持って響いてくる。それにしてもそれらに比べて、まったくなんて下手っくそで無防備な声なんだろう。

 そして、その無防備さとか、個人的なことどもを恥ずかしげもなく盛り込んだ詞とかを、ようやく「タフ」だと感じるようになる。

 そして何回か聞き直すうちに、若すぎる声に相変わらずあちこちでつっかかりながらも、ときおりそれがつっかかりとしてではなく、ある種の輝きとして感じられることがあることに気づく。あの、毎日毎日毎日、ということばすらも。

 たぶん個人的なゴスペル、というおおよそありえない表現に、ぼくは会ってしまったのだろうと思う。そしてそのように口にされる「神様」ということばが放つ強さについて、考えなければならないだろう。