2020.10.28 飯田橋ギンレイホールにて。
圧倒的な映像。圧倒的な映像だったんですけども、ほとんどワンショットで捉えていてカメラの動きが次々とほんとに信じられないような動きをする、すごい凹凸のある広大なフィールドで、いま誰がカメラを持っているのか、しかも鉄条網とか明らかに障害物があるのに、そこをカメラがすり抜けていく、どんなセットなんだ、もしかしてボストン・ダイナミックスのロボットでも使ってるのか? かと思えばほんとに狭いトラックに坐ってる人たちの後ろ側に回りこんだりとかもうほんとにどうやってとってんだろうっていうとこだらけだったんですけども、であるがゆえに映画に入り込めないってことがあるんだなと思いました。
カメラワークが見事すぎるがゆえに、カメラ位置が意識化されちゃう。主人公の歩く姿をぐいぐい回り込んでカメラが撮影すると、主人公よりもそのぐいぐい回り込んでるカメラの存在がありありと伝わってきて、没入感がそがれてしまう。第一次世界大戦の塹壕の泥水をかぶったり、川渡ったり爆撃の土をかぶったりする描写もとてもよく撮れているのに、どこかゲームに見えてしまう。
それはやっぱり、ワンショットで撮るということに物語を供してるからだと思うんです。
物語を作るために方法があるというより、ある方法を実現するために物語が進行していく感じがして、ほんとにひどい言い方で申し訳ないんだけど、「WWIだよ!カメラを止めるな」みたいな感じで。
描写もすごい細かく作り込まれてて、あと思いがけないカットもあるんですよ。片割れと飛行兵のやりとりのはっとさせるところとか、うまいなあと思うんだけど、それも含めて、どうだいワンショットはすごいだろう、と思わされてる感じがするですよね、物語を見せてるんじゃなくてワンショットであることを見せてる。
エンド・クレジットから、この脚本は、この監督が縁者の方から聞いた実話に基づいているのであろうこと、それがこの脚本にリアリティを与えているのであろうことはわかる。それだけに、そのノンフィクションの話が、ワンショットのために供されてるっていうことにどうしようもない違和感を感じるんですよね。
教会が燃えているところ、町が燃えてるところとかも、とってもアイコニックでゲーム画面みたいなんですよね、ある種の象徴を見せるための構図に見えるんです。カメラが移動してぱっとフィックスしたところでその象徴がばっちり収まるように仕組まれてる。それがうまくいってればいってるほど何か後息苦しい作り物めいた感じがしてしまう。逆に言えば、技術的なところはほんとに見所が多くて面白い映画でした。セットの組み方、入念なタイムコントロール、リハーサル、とても準備に時間がかかったんだろうし、それが見事にフィルムに定着してるし、スタッフも俳優も素晴らしいと思う。最初の平地から塹壕へとグラデーションで移動していくところとか、塹壕の深さを思い知らされる見事さでした。でも、わたしはもっとほころんだ映画が見たいな。
途中、ある場面で女の人が出てくるんです。その人とのやりとりがとても触覚的で、これはぐっときました。この映画は抱きかかえたり、支えたり、傷口に手をあてたりするところがどれもよかった。これらのシーンには、ただ触れているところをアップにするのではない、ワンショットならではの距離をとった構図によって、触れあう二人の身体からにじみ出るものが撮れている。
(2020.10.28 鑑賞後に口頭録音したものを編集)