cakesでの連載「今週の『いだてん』噺」は、一回2000字、最大3000字という約束で書いているのだが、すでに書いた二回ともこの最大字数を大幅に超えている。にもかかわらず、噺から削った考えもあちこちある。この調子でいくと、書かなかったことがどんどんたまってしまうだろう。というわけで、ここでは、連載で記さなかったいくつかのことを思いつくまま書いておこう。まとまった論点を示すのではなく、あくまで目についたものを拾い上げる落ち穂拾いの要領で。まあ、気楽にお読み下さい。
クーベルタンの背負い
第一回、クーベルタン男爵が「日本でライトマンを探してくれ」と言ったあと、気合いをこめて背負い投げを真似るショットが入る。ほんの短いショットで、筋書きの上では必要はない。でも、このショットは、実に井上剛さんらしい演出だなと思った。体で真似てみることには、新しいこと、まだ自分では体得していないことへのあこがれが表れる。この一瞬のショットのおかげで、クーベルタンは単なる好奇心から日本への接触を試みたのではなく、Jiu Jitsu という呪文のようなことばのもとに伝来した、わざへのあこがれを持っていたのだということが、体感される。
それは、この第一回に漲っている、まだ見ぬものへのあこがれに通じている。
四三朦朧
予選会でゴールした四三は、大きく腕を振り上げて合図を送り、両腕を広げて身構えていた嘉納治五郎の方とは異なる方向へ倒れこもうとする。疲労困憊していた四三にはもはや前方が朦朧としていたのか、それとも目の悪さゆえによくわからなかったのか。おそらく抱きとめられたときも、自分が誰に抱きとめられたのか、四三にはよくわからなかっただろう。あの嘉納先生についに抱きとめられたのだ、という感慨は、そういう意味でも、物語を見る者が特権的に感じているのだと思わされる。
机の上の十二階
このドラマにはいたるところに浅草十二階のアイコンがでてきて、十二階好きにはたまらないのだが、第二回、海軍兵学校の試験勉強をする四三の机の上に、どういうわけか、十二階の置物があり、避雷針の代わりに鉛筆が差してある(欲しい!)。横には地球儀。つまり、地球の中の東京へのあこがれが、この机上に配置されているようにも見える。
それにしても誰がこの熊本の山の中に、十二階の置物を持ち込んだのか。病弱の父親が東京見物をしたとも思えない。誰か来客の土産物か。その人はこの不思議な塔のことを、なんと説明したのだろう。
スッスッはーはー
おそらくこのドラマの基調となるであろう、この印象的な呼吸法は、第一回の冒頭、顔のわからない謎のランナーが登場するときにも用いられていた。おそらくドラマの時空を駆ける音のアイコンとして、今後用いられていくのだろう。ところで第二回、子供の四三がこの呼吸法を思いつくとき、さりげなくバックグラウンドの劇伴にも、スッスッはーはーという声がまぎれていなかっただろうか。しかも、スッスッはー、からスッスッはーはーへと移り変わるように。ほんの短い劇伴だったけれど、これがこの呼吸法を、走法のための発明以上のものとして、何か新しいアイコンの誕生として印象づけていたように思う。